日記と短歌
by papiko
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新品のシューズを履いて必要のないポシェットをさげ公園へ
 長女が元気に小学校へ行き、ほっと一息つく間もなく、今日も次女と公園へ。川沿いにある公園へ行き、ひとしきり遊んだあと、川縁の道を散歩して帰りました。今日も浅瀬の飛び石でカメたちが甲羅干しをしていました。石の上にいたカメが川に飛び込むと、ぼちゃんと音がして、こちらまで涼しい気持ちになります。小さいカメは、私たちが通ると、その音か振動に反応してすぐ飛び込むのだけど、大きめのカメは、長年生きた経験で肝が据わっているのか、ちょっとやそっと人が通ったぐらいではびくともせず、めったに飛び込む姿を見せてくれません。でっかいカメが飛び込んだらボッチャーンといい音がするだろうなあ聞きたいなあと思いながら、いつも飛び込むのを待っているのだけれど、ぴくりとも動いてくれません。
 今日はでっかいカメのすぐそばの岩に鴨が止まっていて、でっかいカメと見つめ合っていました。どちらも落ち着き払った表情をしていて、あれはどう考えても、人間には分からない何かしらの方法で会話をしていたのだと思います。波のない穏やかな川、甲羅の乾ききらないカメと鴨、光を浴びて眩しい飛び石、茶色とグレイと深緑に満ちたその風景は、もうそのまま、アーノルド・ローベルの絵のようでした。今日見た景色をそのままアーノルド・ローベルに伝えて、物語にしてもらえたら、どんなにすてきだろう。

 公園の砂場では、『窓ぎわのトットちゃん』を読んでいました。左手のシャベルで砂を掘りながら読んだのでほんの3ページしか進まなかったけれど、トットちゃんが、長女の言いそうなことばかり言って面白いです。子どもの頃読んだときには分からなかった面白さに、読み進めるほどに出会えます。今週はずっと、この本をリュックサックに入れておこう。
 長女のおかげで児童文学を積極的に読むようになって、自分は大人の小説よりも、児童文学が好きというか、性に合っているのだなあと、はっきり気づきました。思えば大学時代も4年間文芸を学んで、結局いちばん面白かったのは、純文学でも大衆小説でも漫画でもジャーナリズムでも校正でもなく、児童文学と詩歌でした。もっと学生のうちに児童文学を深く学んだらよかったなあと、今になって思います。
 私は児童文学の文体、リズムが好きです。もちろん児童文学と言ってもさまざまですが、大人向けに書かれたものとは、一文字一文字の染み込みやすさみたいなものが違うのです。児童文学の文字は、乾いた地面にポツポツまっすぐ落ちてくる大粒の雨のように、心にくっきり勢いよく染み込んでくる感じがします。大人の小説の文字はくまなく濡らす霧雨のようで、傘をさそうかそのまま行こうか、まずそこから悩める自由があり、それはそれで楽しいのだけれど、大粒の雨に叩かれて大地の匂いがむわっと呼び覚まされるような、児童文学の力強さに強く惹かれます。

 長女が帰ってきてからは、長女がなんだかやたら不機嫌でイライラしていて、珍しく次女にまでイライラをぶつけたりして、大変でした。朝もあまり機嫌が良くなかったので、今日はどうも、そういうわけもなくムシャクシャする一日だったのでしょう。本人曰く、「千年に一度ぐらい、そういう日があって、ちょうどそれが今日なの。だから、もう当分はないと思うけど」とのことで、私が笑いながら「いやたぶんこれからもそれなりにあると思うよ」と言ったら、「お母さんにも子どものころ、暴れたくなる日があったの?」と真剣に聞いてきました。やけにムシャクシャして暴れたい日なんて、子どもの頃も今もいくらでもあるので、「そんなの、いっぱいあったよ、暴れたと思うよ。今度ばあばに聞いてみな」と言うと、「ふうーん」と、しばらく天井を見つめて、足をバタバタさせていました。次女が寝るまで、次女にちょっかいを出して布団を奪ったり、転げ回ったり、ふがふが暴れていましたが、次女が寝てからは幾分落ち着き、抱っこして赤ちゃんみたいになでなでして、なんでもない話をしているうちに、最後はクスクス笑いながら寝ました。風邪が治ったばかりでなんとなく気だるくて、まだいまいちエンジンがかからなくて、甘ったれたい気分だったのかな。明日はお腹の中のムシャクシャ虫がいなくなっていますように。 
 

by papiko-gokko | 2017-06-12 22:52 | Diary
抱きしめるたび泡だって赤ちゃんじゃなくなっていくでも抱きしめる
 長くハードに感じた5月が過ぎ去り、気づけばもう6月4日。なんとなく、6月は早く過ぎていきそうな気がします。
 5月、長女の運動会があって小学校の運動会の迫力に圧倒されたり、次女とバスで少し遠くの図書館までお出かけして木陰のバス停でパンを食べたことが宝物の思い出になったり、長女が小学校から持って帰ってきたアサガオの種を次女と植えたらあっという間に芽が出たり、日記に書き留めておきたいことは、たくさんたくさんありました。それに昨日は、うちの一家と上の妹一家と下の妹と神戸で集合してみんなで王子動物園へ行き、動物を見たりお弁当を食べたり遊園地ゾーンで長女が初めて回転ブランコの遊具に乗っておでこを風でピカピカにしながら大はしゃぎしたりして、日帰りでくたくたになったけれど楽しく豊かな時間を過ごしました。
 そんなふうに、本当にたくさんたくさん、文章に残しておきたいことは日々起こっているにもかかわらず、書く元気を振り絞れないまま、明日こそ、明日こそと思っているうちに、自分の中で出来事の質感が薄ぼんやりしてきて、もういいか・・・と、書くのを諦めてしまってばかりいます。文章を書くことは三度の飯より大事と思っていたはずなのに、もういいか・・・と、諦めてしまえるようになったことが、悲しいです。書き残したい気持ちに、疲れを癒やしたい気持ちが勝ってしまうようになり、書かなければとれない頭と心の疲れだけが蓄積して、考えることが重くどんよりぼんやりしてきます。自覚をもって、くっきり生きていくために、もっと書かなければ。そのためには、体力をつけなければ。日記を書くそのためだけに、意識して体力をつけなければいけない年齢になってきたのか。日記を書く力の湧いてくる画期的なサプリメントがあれば箱買いするのに。

 公園と買い物以外だいたい家にいる私がどうしてこんなに日々疲労困憊しているのかというと、子どもたちが、やたらめったら大変だからです。3歳児には3歳児の、6歳児には6歳児の、それぞれに違った大変さや苛立ちや心配ごとがあって、それが一日中、プリンターから吐き出され続ける印刷用紙のように、際限なくどんどんがんがん押し寄せてきて、処理しきれないまま重なっていくのです。ハチャメチャなことを自信満々にしでかす3歳児と、憎たらしいことを言ったりちょっとしたウソで誤魔化そうとしたりなど無邪気ではなくなってきた6歳児、どちらも、私には受け止めきれないパワーで、だけど私が受け止めるしかないから、なんだかもう、ボクシングジムのサンドバッグみたいな、弓道場の的みたいな、そんな気分になってきます。ちょっとやそっと叱っても、二人とも聞きません。結局、こっちが本気で大きな怖い声を出さなければ、あっちも本気を出してくれないのです。腹を立てて大きな声を何度も出すと、眉間のあたりが疲れます。眉間のあたりを休ませるために、少しでも長く眠りたくなります。長女に負けないくらい寝るのが大嫌いだった私なのに、昼夜問わず、ああ寝たい・・・と思うことが増えました。寝ているあいだは、子どもたちのワガママを跳ね返したり受け止めたりしなくていいから、寝るのはとてもいい気持ちです。

 長女は、小学校をとても楽しんでいて、運動会前は踊りを毎日踊っていました。運動会が終わってかなりたつ今でもまだ、たとえば日焼け止めを塗ってやっている最中などにいきなり踊り始めたりして、今は踊るときじゃないでしょうと叱られたりしています。先生にも物怖じせず質問したりしているようで、外の世界を楽しむのが得意な子だから、今のところ不登校などの心配はしていませんが、お友だちがちゃんとできてきているのかなと、そのことはとても心配です。親から見ても不可思議なところのある子だから、余計に心配です。長女にとって優しい存在の子がいてくれるといいなと思うし、長女も誰かにとって、優しい存在の子になってほしいです。優しい関係をひとつ築ければ、辛い場面があっても、がんばれると思うから、それを切に願っています。
 夜に本読みタイムをつくってから、長女はもりもり本を読むようになり、最近1冊、読み終えてすぐ「この本、すっごく面白かった!本当にすっごく面白かった!だからお母さんも読んでみて!ぜったいに!」と、今までにないほど長女が大絶賛した本がありました。『ジェインのもうふ』というアメリカの作家さんが書いた児童書です。読んでみると確かによくできたお話で、長女にぴったりの内容でした。図書館で借りた本なのですが、本当によほど面白かったらしく、いつもはそんなこと言わないのに「この本、何度も読みたいから買ってほしい」とまで言いました。それから、「この本みたいな、何年間もの長いあいだの出来事がぎゅっと詰まっていて、主人公がどんどん成長していくようなお話が好きだから、そういうお話をもっと読みたい」というようなことも言っていました。何年間もの出来事と成長がぎゅっと詰まったお話、きっといろいろあるのだろうけれど、私の読書量では、ぱっと出てこないなあ。児童書に関する本やサイトを読んで、研究しなければ。
 子どもの本の世界って、知れば知るほど楽しいです。子どもたちのおかげで、すばらしい絵本にもたくさん出会えました。これからはきっと、自分が読まないまま過ぎてしまったすばらしい児童書にもたくさん触れることができるのだろうなと思うと、幸せです。子どもたちのおかげでそんな楽しみがもらえるのだから、がんばってサンドバッグにでも弓矢の的にでもなろうじゃないかと思えます。そんなふうに思えない瞬間もかなりたくさんありますが、今は子どもたちが寝ていて静かなので、心に余裕があって、そんなふうに思えます。

 次女に関しては、ちょうど今日で、3歳5カ月を迎えました。赤ちゃんっぽさが、固形石鹸のように、ぷくぷく泡立ちながらだんだんだんだん小さくなっていきます。だから太股やおでこのあたりにまだ残る赤ちゃんっぽさを、目と手で毎日たくさん愛でています。あともう少しだけ、赤ちゃんぽさを味わっていたいのです。
 最近の次女は、ジブリにはまっていて、『となりのトトロ』と『崖の上のポニョ』が大好きです。今の次女は、フォルムも動きも発言もメイちゃんそのものなので、メイとさつきが長女と次女にしか見えなくて、次女がトトロを見るたび、私は泣いてしまって鼻をすすっています。今日は私の希望で『天空の城ラピュタ』を見たのですが、次女にはまだ難しかったらしく途中から積み木で遊びはじめ、ただ「もしもしもしもし!?」のところだけはとても気に入ったようで、見終わったあとも真似して笑っていました。
 お絵かきでは、女の子の絵を毎日たくさんかいています。女の子の周りや女の子の服にハートをいっぱいかくようになりました。なんて乙女なんだろう。当時の長女とはかくものが全然違っていておもしろいです。次女は長女のかくお姫様の絵が大好きで、自分も長女のようなお姫様の絵をかけるようになりたいと、鉛筆をしゃっしゃと動かしている長女に羨望の眼差しを向けていました。
 絵本も大好きで、毎日読んで攻撃があります。夜は絵本のあと、昔話もします。お気に入りの昔話は、赤ずきんちゃんか、桃太郎か、浦島太郎のどれかなのですが、今日は、「オオカミはいやだから、キツネさんに会った赤ずきんちゃんにして」と言われて、キツネに出会って一緒におばあさんの家に行く話になりました。赤ずきんちゃんとキツネとおばあちゃんと一緒におやつとブドウ酒を食べましたというところまで話したら、「そしてタヌキさんもきました、そしてブタさんもきました」と、次女が途中から話を作ってくれました。
 次女と話していると、この子は頭がやわらかいなあと思うことがたくさんあります。たとえば公園でシーソーをしているとき、自分が上にあがるたび片手を高く上げるので、「何をしてるの?」と聞いたら「お空を触ろうとしてるの」という、なんともメルヘンチックな返答がきて、ほんわかしたりしました。おしゃべりでずーっとしゃべっているので、つい聞き逃してしまいがちだけれど、実は3歳ならではの発想でかなり面白いことを言っていたりすることも多くて、本当ならメモをもって常に書き取りたいくらいです。心のお友だちみたいなのも無数にいて、「ふりるんちゃんは、お口の中に、消しゴムのカスがいっぱいなの」とか「ひらりんちゃんは、ふうせんがおうちなの」とか、「めらりんちゃんは、風が目なの」とか、謎の設定が次々に飛び出してきて、それだけで、一冊絵本ができそうなくらいです。
 最近はよく、自分自身も別の名前の女の子になっています。次女が悪いことをしたときに私が「次女ちゃん駄目でしょ!」と叱ると、「次女ちゃんじゃないわ、わたち、チャミーちゃんよ」とか「あたちいま次女ちゃんじゃないわ、アルミホイルちゃんよ」などと言い返してきます。プール用のゴム入りタオルを腰に巻いてドレスにし、ボウルを頭にかぶって、何かわけの分からない人になりきっている姿は、おかしくて可愛くて、笑ってしまいます。
 ワガママで、理屈が通じない次女といると、くたくたになるけれど、可愛くて、やっぱり抱っこしてしまいます。だけど、あんまり抱っこしすぎると泡だって、赤ちゃんぽさがまた少しだけ減ってしまう気がしまうから、慎重にしなくては。そういえば、抱と泡は似ているな。そんな3歳5カ月です。


by papiko-gokko | 2017-06-04 23:39 | 月齢ごとの成長記録(次女)
新しいかばんが欲しい待つ人も行くあてもない雨降りの日は
 久しぶりに雨が降って、公園へ行かずに体力を温存することができたので、ふだん見て見ぬふりをしていた、洗濯機やらお風呂の隅のほうの掃除をしました。洗濯機が磨けば磨くほどピカピカになって、思いのほかいい気持ちでした。こういう掃除は、もっと頻繁にやらなければと、やるたび思うのに、汚れが目視できるようになるまで、つい後回しにしてしまいます。
 雨が降ると、公園大好きの次女もさすがに諦めがつくらしく、今日は一日おとなしく、おうち遊びをしていました。途中いきなり、ハートとリボンのついてる新しいかばんを今すぐどうしても買いに行きたいと泣き出して、でも雨だしもうすぐ長女の帰ってくる時間だし無理だよと言ってもどうしても欲しいと泣き止まず、なんとか泣き止ませるために、画用紙とビニールテープでA4サイズのかばんを作ってやったら、それに自分でハートとリボンを描いて満足してくれました。3歳児のそういうところが大好きです。雨の日には、またなにか作ってやろう。

 小学1年生になったのを機に、夜、次女を寝かしつけるあいだ、長女は読書をするようになりました。毎晩8時に寝室へ行き、8時半前に絵本の読み聞かせを終えて、そのあと次女はいだいたい15分~30分ぐらいで眠りに落ちるので、そのあいだが、長女の読書タイムです。次女がすんなり寝て、まだ9時になっていないときは、9時まで読書をしてもいいことにしています。長女は幼稚園のころから、次女が寝るまで絶対に寝なくて、いつも布団の中で退屈そうにしていたので、読書OKになったのがすごく嬉しいらしく、次女にはない自分だけの特別なそのひとときを満喫しています。これからもずっと、長女にとって読書が必要に迫られてするものでなく、人生の楽しみであり続けてくれるといいなと思います。
 9時になったら、長女の電気スタンドを私がもらって、今度は私が長女のそばで読書をします。少し前までは、私が本を読んでいると気になって眠れないと言って読書をさせてくれませんでしたが、彼女自身に読書タイムができてからは、気持ちに余裕ができたのか、そばにいさえすれば、本を読んでいても構わないというスタンスになってくれました。これが非常にありがたく、長女の寝付きが悪いおかげで、私の読書量が増えました。寝室はほかにすることがなにもないから、読書がはかどります。
 この前図書館で子育てに関する実用書も数冊借りたので、ここ数日はそれらも読んでいます。実用書を読むのはあまり得意ではないのですが、子育て、とくに長女のこれからの育て方についていろいろと考えたくて、借りてみました。そして読んでみた結果、これまでの子育てでわが子の性質に関するデータがある程度蓄積されてきているから、その蓄積データと本の内容の相性が良ければ、これは的を射たことがたくさん書いてある素晴らしい本だな・・・と思うし、逆にわが子にはまったく効果がなさそうな内容であれば、この本に書いてある子育て論は話にならんな・・・と思う、子育ての本というのはつまりそういうものなのだなということが分かりました。それに、何冊か子育ての本を読んだことで、私は自分が思っていたよりもずっと、理想の子育てのかたちを自分の中に持っているのだということも分かりました。だから、その漠然とした理想を、くっきり言葉で表してくれている本に出会うと、手探りで歩いていた暗がりの道にぱっと明かりを灯してもらったような安心感を得ることができました。
 たまに「子育ては千差万別だから育児書なんて読まなくていい」というような言葉を目や耳にして、それは確かにその通りなのかもしれないけれど、その言葉をそのまま鵜呑みにしてまったく一冊の育児本も開こうとさえしないのは、やはりもったいない気がします。数冊の育児書に触れることで、自分の中にある漠然とした理想にはっきり気づくことができたり、わが子はこんなの通用しないなとか、わが子もこのタイプだなとか、そんなふうに、わが子や自分の普段の子育てを客観視して考えることができたりするからです。たとえば今回読んだ本の何冊かにも出てきた「理由をちゃんと説明すれば分かってくれます」というのは、なかなかうちの子に通用しなくて、それはなぜなのだろうと考えたことで、うちの子の場合「どんなに説明されたところで嫌なものは嫌なんだ!」と、理屈の羅列に感情の爆発で反撃してくるんだよなあ、理屈に感情は適わないんだよなあと、結論づけることができました。子育ての本は、情報収集のためでなく、考えるために読むものなのだと思います。


by papiko-gokko | 2017-05-24 23:21 | Diary
図書館で好きな本を借りた日
 午前中、一家で図書館へ行きました。次女の絵本をたくさんと、それから長女がいまハマって4巻まで読んだ『かいぞくポケット』の5~7巻と、同じくハマっているモモちゃんとアカネちゃんシリーズの『ちいさいアカネちゃん』を借りました。かいぞくポケットはフリガナのない漢字があって自分では読めず、寝かしつけのときに読んでいるのですが、毎回ハラハラドキドキの展開なので、今日も「続きが気になりすぎて眠れない!」と、困っていました。たしかに、朗読しながら私も物語の展開にぐいぐい引き込まれて、夢中になりすぎて息を吸うタイミングがおかしくなり、ポケットを読んでいるとき必ず1回は咳き込んでしまいます。
 モモちゃんシリーズはすべてフリガナがあるため好きなお話をちょこちょこ自分でも読んでいるようですが、分厚いのですべて自分で読むのはまだ難しいらしく、これも11月に入ってからしばらく、寝かしつけのときに読んでいました。こちらは、読んでいて胸がぎゅーっと締め付けられたり、ぎくっとしたり、心の奥が揺さぶられます。モモちゃんやアカネちゃんのかわいらしさ、幼さ、ワガママさ、健気さ、大変さは、今まさに毎日触れ合っている子どもたちそのものでもあり、幼いころの自分を見ているようでもあり、また、モモちゃんのママのなにげない言動や悩みが、現在の自分や、自分が幼いころの母親にそっくりだったりもして、空想いっぱいのお話なのに妙にリアリティーがあり、小学生のころ自分で読んだときより、子どもに読み聞かせている今のほうが、ずっとずっと楽しめています。
 私が子どものころ読んだのは『ちいさいモモちゃん』だけだし、『かいぞくポケット』のほうもも3巻までしか読んでいなかったので、今、子どもと一緒に続きを読めているのが、とても嬉しいです。もしかしたら、長女以上に楽しんでいるかもしれません。長女の本を読むまえに、次女に絵本を2冊か3冊読み、次女は自分の絵本を読み終わると、長女に本を読んでいるのを聞きつついつのまにか寝ていたり、最後まで起きていて、たまにむくっと起きて挿絵を見たりしています。わあわあ大騒ぎの一日のなかで、絵本を読んでいる寝かしつけ前の時間が、母子ともに、もっとも落ち着いているひとときかもしれません。読み聞かせをしたからといって、将来的に人格者や秀才になるとは思わないけれど、読んでいるその瞬間は、母子ともに救われている気がします。
 ちなみに次女は、今日行った図書館で、必ず『ももんちゃん』シリーズを数冊借ります。赤ちゃんのころから、ももんちゃんシリーズが好きです。絵本全体が桃色で可愛らしくて、でてくる言葉もやわらかくて、基本的にみんながにこにこしてももんちゃんのことを大事にしていて大好きで、ももんちゃんが泣いたらちゃんとお母さんがきてくれて、そんな、絵本全体に漂っている安心感が、きっといいのだろうなぁと思います。『すりすりももんちゃん』というお話で、ももんちゃんがお母さんのところへ行くまで泣くのを我慢しながら走っている数ページで繰り返し出てくる、「がまんがまんのももんちゃん」という言葉を、次女は気に入って、ときどき思い出したように口にしています。がまんがまんのももんちゃん。たしかに、なんだか次女っぽい。次女は家の中にいるとちっとも我慢しないけれど、、お外でちょっと恐いことがあると、すぐに泣くのを堪えているような顔をして、しがみついてくるものな。長女の好きな本も、次女の好きな本も、すぐにつられて好きになります。
by papiko-gokko | 2016-11-27 23:49
父の日。幼稚園雑感。漫画の話。
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 父の日、長女と次女が作ったカードをプレゼントしました。飛び出す絵と手紙を長女が書き、周りのシールは長女と次女が一緒に貼りました。2週間前に作って以来、早く渡したくて渡したくて、毎日あとどのくらいで父の日かと私に聞き続けた長女は、ようやくやってきた父の日当日の朝、起きてすぐさま、まだ布団の中にいる夫に渡していました。去年に比べると、しっかり父の日のコンセプトを理解し、気持ちを込めてプレゼントをすることができるようになったなぁと感心します。夫はとろけそうな顔で喜んでいました。長女は超がつくほどパパ大好き人間に育っているので、そのパパにプレゼントを贈れるのが、嬉しくて楽しくてたまらない様子でした。もう少ししたら、私が手を貸さなくても、次女とふたりでアイデアを出し合って何か作ったり買ったりするようになるのでしょうか。手を貸さなくてよくなっても、ふたりの会話に、参加したいな。

 幼稚園に関することで、4月や5月ほどは疲れなくなりました。慣れってすごい。幼稚園というところは、どこまでも健全な明るさの保たれている場所で、子供たちはみんな天真爛漫で、先生たちも溌剌としていて、その場所に毎日通っていると、自然とこちらも、うつむきがちでくよくよもじもじなんてしていられなくて、幼稚園の雰囲気のおかげで、それなりに明るく挨拶を交わせる人になりました。こんな人見知りの私にも、同じクラスのお母さんたちがちょこちょこ話しかけてくださったりするし、長女にも、登園したときや帰りがけに、いろいろな子が、「長女ちゃん、おはよう!」「長女ちゃん、ばいばい!」と声をかけてくれて、そのたび嬉しい気持ちに包まれます。最初のころは長女のことで頭がいっぱいで、クラスの子のことはあまり見えていなかったけれど、最近は、同じ幼稚園に通っている子たちみんなみんな、かわいく感じるようになりました。
 去年までの私たち親子は、家から一步でたらそこは、自分たちの素性も名前も知らない人しかいない世界がどこまでも広がっているという状況だったから、こうして、私や子どもたちの顔や名前を覚えてくれて、同じ園の仲間として当たり前に話しかけてくれる人たちがたくさんいる空間が、家の外に一つできたことが、とても新鮮で、眩しくて、なんだかまだ少し、夢のようでさえあります。この町に住み始めてもう1年以上が経ちますが、長女が幼稚園に通い始めたことで、町の風景がまるで違って見えるようになり、この町の一員として暮らしているという感覚が、強くなりました。面倒だなぁと感じてしまうこともあるけれど、町の中に私たち親子の存在を受け入れ安全を守ってくれようとする場所が一つできた安心感は、何者にも代えがたいものがあります。
 慣れてきたとはいえ、まだ通い始めて2ヶ月ほどなので、全貌は掴めていません。幼稚園とは一体どういうところなのか、一年かけて学んで、次女のときには余裕綽々でなんでもこなす母になりたいです。

 最近、家事育児の合間合間で、漫画を読んでいます。読める時間が途切れ途切れにしかないので、ある程度の集中力を要する小説を読むのはしんどいけれど、漫画ならちょっとずつちょっとずつ読むのでも、さほどストレスを感じずに楽しめます。
 少し前には、もう何度も読み返した『めぞん一刻』をまた1巻から読み直して、最終巻のほうでは、これまで読み返したなかで一番といっていいほど涙ぐみました。まったく、なんてすばらしい漫画なのだろう。すばらしすぎて一人では抱えきれなくて、誰かと朝まで語り合いたい気分になります。
 それから先週は、長女がどらゼミを始めた影響で『ドラえもん』の漫画に興味を示し、本棚から何巻も引っ張り出してきたので、何となく私もそれを手に取って読んでみたら、これがまた面白くて、いつの間にか長女より熱中して読んでいました。示唆に富んでいて、風刺も効いていて、歴史や科学などあらゆる知識が盛り込まれていて、生きにくい社会をなんとか生き抜くためのヒントもそここにちりばめられていて、それでいて説教臭さはまったくなく、ちゃんと子供目線で描かれていて、この漫画の何気ない1コマ1コマに、一体どれだけたくさんの子供が、救われたり学んだり元気づけられたりして大きくなったことだろうと、『ドラえもん』のもつ懐の深さに、改めて感動しました。小学生くらいになったら、長女にもぜひ読んでほしいです。
 そして昨日は、福満しげゆき『うちの妻ってどうでしょう?』の7巻を買って読みました。1巻から読んでいたので、7巻が最終巻と知り、悲しくてたまりません。『僕の小規模な失敗』を読んではまり、『僕な小規模な生活』シリーズのほうも大好きでずっと読んでいたのに、こちらもどうやら終わってしまったみたいで、これからこの人のエッセイ漫画を読めないなんて、本当に寂しいです。またどこかで、エッセイ漫画を描いてくれたら嬉しいけれど、難しいのだろうか。この人が描くこの人の人生を、もっとずっと読み続けたかったのに、残念です。いつか復活しますように。以前エッセイを読んだときにも書きましたが(2014/8/30)、強烈なシンパシーを感じる思い入れの強い作家さんなので、これからも応援したいです。
by papiko-gokko | 2015-06-21 23:57 | Diary
そのままでとっておきたい剥きたての半熟卵みたいな言葉
 水曜から続いていた長女の発熱の正体は、突発性発疹でした。昨日ようやく熱が下がり、それと同時に全身に発疹が出て、これって育児書に出ていた突発性発疹の症状そのものじゃないか!と、驚きました。普通は1歳ぐらいまでに罹るらしいのですが、長女は4歳でようやく罹ったのでした。昨日は休診だったので、今日近所の小児科に連れて行き、正式に診断を受けました。発疹が出た時点でもう感染力はないから登園しても大丈夫ですと言われたので、明日の長女の様子を見て、発疹がさほど目立たなくなっていたら、登園させるつもりです。今日はまだ発疹が昨日と同じぐらい出ていて、まだ発熱後の気だるさも残っているらしく、普段ほどハツラツとしていませんでした。幼稚園を休んでいるという気持ちが元気をなくさせている部分も、少なからずある気がするので、明日元気になって登園できることを祈るばかりです。
 それにしても、予想はしていましたが、幼稚園に入ってから、熱を出したり、吐いたり、風邪気味が続いたりと、これまでとは比べものにならないくらい体調を崩しがちの長女です。昨日、私の愛してやまない育児書である松田道雄先生の『育児の百科』を読んでいたら、4~5歳の章に「よく熱を出す」という項目があり、幼稚園に入ると熱を出すようになることについて、こう書いてありました。
大勢子どものあつまるところへいくようになって、友人とあそぶ副産物として病気をもらうにすぎぬ。そういう病気のあるものは免疫をのこすから、熱をだしながらも丈夫になっていくのだ。(中略)それは子どもの「成長税」だと思わなければならない。([定本]育児の百科 松田道雄著)
 さすがです。まったくこの本には、救われ続けています。力強くて優しくて巧みな言葉で、すとんと納得させてくれます。よし、長女の成長税、力を合わせて払っていこうじゃないか。

 ここのところ、次女が活発にいろいろな言葉をしゃべり始めて、その、ほっぺたの柔らかさがそのまま音になったみたいな、剥きたての半熟卵みたいな、ぷるぷるほやほやした発音に、メロメロです。絵本に対する反応も生き生きして、読んでやるのが楽しいです。身につけるもの(とくに帽子と靴下)が好きな次女の、最近のお気に入り絵本は、『ぶかぶか』『かたっぽさんどこですか?』の2冊です。『ぶかぶか』は、女の子がパパとママの服を着てみるお話で、繰り返し出てくる「ぶかぶか」という言葉が好きで、「ぶちゃぶちゃ、ぶちゃぶちゃ」と言うようになりました。この絵本のおかげで、「ちゃちゅ(シャツ)」「とぅとぅ(くつ)」も言えるようになりました。帽子のでてくるページでは、自分の帽子を持ってきてほしいとせがんで泣き、持ってきてやると、得意顔でかぶります。『かたっぽさんどこですか?』のほうは、くつした、髪留め、スプーンフォークが、それぞれかたっぽどこかへいって探しに行くお話で、これは靴下のシーンだけが好きで、そこを読み終わると満足して閉じてしまうことも多いのですが、とにかく靴下のシーンで、指をさして大喜びしています。どちらも図書館で借りたもので、もうすぐ返さなければいけないのが残念です。とくに『ぶかぶか』は長女もお気に入りのようだし、買ってやろうかなぁ。
by papiko-gokko | 2015-06-01 22:39 | Diary
日常が始まる
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 お正月と次女の誕生日が終わって、夫の仕事も始まり、日常が戻ってきました。まだ微妙にリズムが整わず、夜、次女がいつまでも寝なかったり、朝、長女がいつまでも起きなかったり、私もなんだか気だるかったりしていますが、幸い、お正月の帰省で体調を崩すこともなく、みんな元気に過ごしています。
 1歳になった次女は、ふとした拍子、たまに2,3歩ぐらい歩くようになりました。しかし、その様子を写真やビデオに収めようとして、無理矢理立たせると、まるで歩こうとせず、ぺしゃりと座って、ハイハイを初めてしまいます。ハイハイがとても速くて上手なので、あまり歩く必要性を感じていないようです。誕生日、義母にファーストシューズを買っていただいたので、春になったら手をつないで、外を歩かせてみよう。外に出れば、きっと歩きたくなることでしょう。おしゃべりもどんどん活発になっていて、「ない、ばあ!(いないいないばあ)」「ぱぱ」「まんま」など、よく言うようになりました。夜、寝かしつけのとき、長女に向かって「ばあ!ばあ!」といい、長女を遊びに誘うので困っています。
 次女は以前、卵とミルクでアレルギー反応が出て、8ヶ月ごろからミルクは大丈夫になったのですが、卵は怖くてこれまで与えていませんでした。検査を受けた病院で、1歳になったら、卵の除去をやめて、お菓子などから少しずつ食べさせてみましょうという指導を受けていたので、今日はじめて、卵黄の少量含まれているせんべいを与えてみたところ、特に反応がでず、胸をなで下ろしました。つぎは、たまごボーロを与えてみる予定です。
 長女は、毎日一度は強く叱られて泣いていますが、へこたれることなく、歌って踊って描いて演じて、愉快に暮らしている様子です。4歳を目前に、体つきがしっかりしてきたなぁと、お風呂や着替えのとき、いつも思います。もう、いつでも私のそばから駆けだしていく準備の整った手足と肩と背中をして、それでもまだ、お母さんだっこしてえと、毎日何度も甘えてきて、大きくなった体をよいしょとだっこしてやると、ぎゅうっと抱きついてきて、抱きついたときに頭を置く場所や、こすりつけてくる感触は、赤ちゃんのときと変わらなくて、そのことに安心してしまう自分がいます。
 だっこといえば、以前図書館で借りて以来ずっと手元に欲しかった『ねえ だっこ』という絵本を最近ついに購入して、長女に読んでやったら、にこにこ聞いて、最後、絵本の女の子の真似をして抱きついてきました。下の子を寝かしつけ終えて家事をしているお母さんのそばにずっとくっついて、ねえ、ねえと、話しかけ続ける女の子が、笑っちゃうほどまさに長女そのものなのです。最後、女の子が弟をだっこするシーンが大好きです。図書館で借りて初めて読んだときはたしか妊娠中で、そのときも、いいなぁと思ったけれど、実際に次女が生まれてから読んでみて、ますます好きになりました。
 長女も次女も去年の今頃とは比べものにならないくらい成長していて、子ども部屋で仲良く遊んでくれる時間も増えました。一緒に遊んでいるときよりも、お互いに別々の遊びに没頭していることのほうが多いのですが、長女も次女も、子ども部屋にひとりでいるのは嫌みたいで、どちらかが子ども部屋から出てくると、たちまちもうひとりのほうも、出てきてしまいます。同じ遊びをしていなくても、そばにいるのが当たり前で、ふたりで一緒にいれば、親がいなくても安心して遊べるようになったのだなぁと、そのことがとても頼もしく、嬉しいです。

 今年の目標も決めないうちに、もう1月が10日以上も過ぎてしまって、年の初めらしく目標を何かひとつぐらい決めなければと思うのですが、びしっとしたかっこいい目標がなにも思い浮かばないので、食事と清潔で家族の健康維持に努めることと、それから4月からは幼稚園も始まるから、長女とともに幼稚園のある日々に慣れていけるよう、がんばろうと思います。1月の下旬にさっそく、幼稚園で健康診断やら制服などの注文やら面談やらあるので、今からすでに緊張していて、1日に何度もそのことを考えています。入園するのは長女なのに、私が緊張してどうするのだろう。これまでずっと避けてきたけれど、これからは、長女に迷惑がかからない程度に、保護者同士の人付き合いみたいなものも、がんばらなくては。こればっかりは、私にとって、がんばらなくてはできないことなので、がんばります。
by papiko-gokko | 2015-01-12 23:29 | Diary
今日書きたいと思ったことを書く
 今週から、長女の遊びに、何かになりきって遊ぶごっこ遊びが加わって、私も次女も、長女に割り当てられた役になりながら一日を過ごしています。今日は、パッコロリンのぱっくん、ポコポッテイトのメーコブ、ノンタンのくま役などをやりました。あと、オリジナルで、こわいお医者さん役というのもあり、長女は優しい看護師さん、次女は優しいお医者さん役で、ぬいぐるみたちの病気を治しています。私はこわいお医者さんなので、注射ばかりして、苦いお薬ばかり出して、そのアフターフォローとして、優しい看護師さんの長女が、痛くない魔法の注射をして、甘いお菓子や果物味のお薬を処方してくれます。こういうごっこ遊び、子どものころ大好きだったから、なんだか楽しいです。

 それから、これも今週から、お散歩のときにびっくりした出来事を、帰ってから思い出して言い合い、大笑いするという習慣ができました。買い物袋が風で飛ばされていったとか、トンボがたくさん飛んでいたとか、鳩の羽が落ちていたとか、そんな些細なことばかりですが、長女と思い出して話しては顔を見合わせてげらげら笑っていると、こんな会話って、きっと今現在の3歳の長女としかできな、すごく貴重な味わいのものなんだろうなぁと、胸がいっぱいになります。頼もしくて危うくて、繊細だったり豪快だったり、柔軟だったり頑固だったり、振り幅がすごくてぐらんぐらん周りを振り回す、パワフルな3歳児。その3歳児と見つめる散歩風景は、びっくりすることだらけなのです。

 今日は夫が休みだったので、はじめていく大きな公園へ連れて行ったら、巨大な遊具に長女は大興奮で、顔を真っ赤にして遊んでいました。日射しはすごかったけれど、風は秋の涼しさで、木陰で次女も気持ちよさそうに目を細めていました。歯が生えてきた次女は、発音の種類がここのところ増えて、長女の名前らしき言葉、まんまらしき言葉、パパらしき言葉、おっぱいらしき言葉を発することもあります。ただこちらの耳にたまたまそう聞こえるだけなのか、本当に意味を分かって発音しているのかは謎ですが、いずれにしても、たまらなく可愛いです。公園で遊んでいるあいだ、ほとんどの時間、夫が長女の付き添い、私が次女の付き添いをしていました。パワフルな長女に付き合って、夫はへとへとになっていました。再来年ぐらいになれば、長女と一緒に公園でしっかり遊べるようになってきて、親は楽になるのかな・・・と期待しています。
 
 福満しげゆきの『僕の小規模なコラム集』を読んでみたら、おもしろくて、なんかもう、異様におもしろすぎて、『僕の小規模な失敗』から漫画を読み返そうと思っているところです。この人の何がこんなに魅力的なのかって、この人だけは自分に対して、取り繕わずに本当の自分をさらけ出して見せてくれる、心の内を限界まで見せてくれると、読者に思わせてくれるところだと、エッセイを読んでいて思いました。それは、大学時代にはまった太宰治に感じていたものと通ずるものがあります。
 ネットで知らない人の日記ブログを読んでいて、ああ面白いなこのブログ・・・と惹かれるのもやはり、ああこの人は、見栄じゃなく魂をつかって本当のことを書いている気がするぞ、自分の言葉で本心をぎりぎり可能な限り綴っているぞ、と感じられるときです。だから自分も、この日記を初めたころから、そんなふうに書きたいと思っていました。しかしどうも、最近は、本心をぎりぎり可能な限り綴れているかどうか、自信がありません。なんでもかんでもさらけ出して書いていた20代のころ、とくに独身時代のようには、なんでもかんでも書きたいと思えなくなったし、さらけ出すことで誰かにあざ笑われたり哀れまれたりするのは耐えられない・・・と思うようなことも増えてきました。こうしてだんだんと、書くことの範囲が狭まっていくのかと思うと、ネット上に公開しながら日記を書いていく意味ってなんだろうかと、また分からなくなります。これについては、考え出すと過去もひっくるめていろいろ嫌になるので、いまは考えないことにします。これまでもこれからも、書きたいと思ったことを書く、だれかに聞いて欲しいと思ったことを書く、ただそれだけのことです。
 途中で自分の日記の話になってしまいましたが、とにかく、福満しげゆき、ひそかに追い続けたい漫画家さんです。なんだろう、この方に対して感じてしまう、強烈なシンパシー。クセになる面白さです。
by papiko-gokko | 2014-08-30 01:09 | Diary
いま好きな漫画の話
 昨日この日記に頭の中のもやもやをぶちまけたのと、今日、夫が長女を1時間ほど連れ出してくれたので好きな音楽を聴きながら自分のペースで掃除ができたことで、かなり気が晴れました。子どもたちとほどよい距離を保ちながら健やかに過ごすためにも、日記を書いて頭の中を整理する時間と、自分の好きなことに触れて気分転換をする時間は、なるべく毎日確保するようにしようと、つくづく思います。

 好きなことといえば、『町でうわさの天狗の子』(著者:岩本ナオ)を、いま夢中で読み返しています。ずっと前に夫が買って読んでいたのでなんとなく読み始め、最終巻まで読んですっかりファンになりました。キャラクターたちの魅力もさることながら、町の日常風景と天狗や神様の存在する世界がどこまでも身近で、いい具合にごっちゃり平然と混じり合っている感じが、私はたまらなく好きです。あまりにリアルな日常風景すぎてもつまらないし、ファンタジックすぎる世界も疲れてしまうけれど、この物語はその配合が絶妙で、ありえないはずの存在もつい信じてみたくなって、読んでいないときまで、ぼんやり物語の世界に思いをはせてしまいます。
 前に読んだときはさほど意識していなかったのですが、著者の出身地が岡山で、この漫画の舞台になっている町のモデルも岡山だと知って、ますます大好きになりました。東京にいたころは、大好きな高橋留美子漫画の舞台の多くが西武線沿いだと知り、自分がそこに住んでいることが嬉しくて嬉しくてしかたなかった私です。それ以外にも、東京には、物語に出てくる場所がたくさんあったから、その場所で自分が生きているんだと思うだけで、物語の世界に自分も溶け込めたような気がして、いつも幸せでした。だから、私にとって、大好きな作品の舞台に住めるのは、それだけで本当に心躍ることなのです。物語の世界に片足つっこんで、とまでは言いませんが、片足のつまさきほんの少しだけ、常に物語の世界に浸して潤しながら、普通の日々を暮らしていけたら、素敵です。すでに長女と毎日のように、片足どころか腰までどっぷり浸かっているような気もしますが。
 同じ著者の作品『雨無村役場産業課兼観光係』も、同じく岡山が舞台で、物語の中に出てくる桜は実際にあるらしいので、いつか行ってみたいです。ちなみに夫は車で、この漫画の舞台になったあたりの道を走っているとき、遠くから、このへんかなという場所を見つけたそうです。新しい作品が出る日が楽しみです。また舞台が岡山だったら嬉しいな。
by papiko-gokko | 2014-07-12 23:07 | Diary
幼稚園を見に行ったこと。絵本のこと。
 今日はとてもいい気候だったので、次女を抱っこして長女と手をつないで、初めて来年から通う幼稚園まで歩いてみました。これから月に1回、園庭開放で慣らし保育のようなことが始まるので、一度道順を把握しておきたかったのです。たいした距離ではないのですが、いかに安全な道で行くかを考えながら歩いているうちに、道に迷ってしまって、かなり大回りして、1時間半ぐらいずっと歩き続けていました。私はへとへとになりましたが、長女は元気で、公園にも行きたいとさえ言っていました。頼もしいです。次女がぐずって大変だったけれど、花壇の花や畑になっているイチゴやエンドウを見たりして、帰りにはコンビニでジュースを買って、楽しいお散歩でした。幼稚園入園に向けての一年、私のほうがどきどきしています。幼稚園には楽しい遊具がいっぱいありました。そこで長女が日々楽しく駆け回るのかと思うと、心が躍ります。長女は何を思ったのだろう。よいかたちで入園できるよう、この一年、大切にすごそう。

 ゴールデンウィークの横浜滞在中、近辺のブックオフを回って、ひさびさに絵本をたくさん買いました。絵本の本棚が充実して幸せです。
 今回仕入れたなかで一番嬉しかったのは、キャスリーン アンホールトの『わたしがあかちゃんだったとき』という絵本です。この作家さんの『あなたってほんとにしあわせね』と『わたしようちえんにいくの』をすでに持っていて、どちらの絵本も、私と長女の心をがっちり掴んだので、ほかの作品もぜひ欲しかったのでした。
 とくに、弟ができたお姉ちゃんが主人公の『あなたってほんとにしあわせね』は、次女がお腹にできたとたん、なぜだかまだ知らないはずの長女が、しきりにこの絵本を読んでほしがるようになり、実際、生まれてくるまでも、生まれてきてからも、何度も何度も読みました。お姉さんになるにあたっての心得のような説教臭さはまるでなく、かといって、上の子って寂しいんです辛いんです我慢してるんですというような押しつけがましい同情的な表現もなく、あくまでも子どもの飾らない視点で、揺れ動く気持ちの変化を描かれていて、だから私も長女も、すうっと主人公の心に入り込むことができました。それに、主人公の女の子と生まれてきた弟が両親からこよなく愛されているあたたかい家庭であることが、一枚一枚の絵から伝わってきて、とてもゆたかな気持ちになるのです。この絵本があったから、長女はさほど取り乱さずに次女の存在を受け入れることができたのではないかと言ってもいいぐらい、次女の妊娠から出産にかけて長女の心に寄り添ってくれた、かけがえのない一冊になりました。
 今回買った『わたしがあかちゃんだったとき』は、お母さんと女の子が、女の子の赤ちゃんのころのアルバムの写真を見ながら会話している絵本で、これがまたなんとも素敵で、私と長女がよくアルバムを見ながら交わす会話と同じような感じで、それでいて、私がうまく言葉にできなかった長女への思いが、この絵本からはしっかり伝わってきて、長女に読み聞かせていると、泣きそうになります。
 この作家さんのいいところは、きっと、必要以上に事情や感情を説明しないところなのだと思います。だから、一歩間違えば説教臭くなる内容なのに、それがまったくなくて、風が吹き抜けるようなさわやかさで、すうっと心に染み込みます。『わたしようちえんにいくの』も最近よく読みますが、これもまた、初めての幼稚園に対する思いが、どこまでも素直な言葉で描かれていて、来年から幼稚園という未知の世界に踏み出していく長女の心に、さりげなく、だけどしっかりと寄り添ってくれそうな一冊です。まだ持っていない作品もあるので、知らない土地へ行ったときには、すかさずブックオフ巡りをしたいです。
 子どもができてから、絵本をたくさん読むようになり、子どもにとってのいい絵本とは何かが、あくまでも私なりにですが、だんだん分かってきました。何より思うのは、子どもを理解力の低い無知な生き物だとなめて作っている絵本は、つまらないということ。子どもにとって難しいように思える内容でも、言葉に磨きがかかっていれば、子どもはちゃんと理解して楽しめるし、また、多少難しい言葉を使ってあっても、響きがすべらかで内容がおもしろければ、躓かず最後まで熱中できるのだということを、長女との読書で学びました。逆に、どんなに簡単な言葉であっても、簡単な内容であっても、子どもをなめて作ってある絵本は、子どもになめられて飽きられるので、そのあたりを見極める目を身につけなければと思います。
by papiko-gokko | 2014-05-10 23:57 | Diary


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