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日記と短歌


by papiko

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 朝、リオ五輪の開会式を、子どもたちと一緒に見ました。競技に特別熱心なわけではないのですが、開会式を見るのは子どもの頃から大好きです。4年前のロンドンのとき長女はまだ1歳半で、私たちは出雲で暮らしていて、4年後にはもっといろいろ一緒に感想を言い合いながら見たりできるのかなぁと、ぼんやりこの日を想像していました。8年前の北京五輪のときには、合わせたわけではないのですが開会式の日に夫と入籍届けを提出し、覚えやすくていいねと言い合いながら、東京の家で開会式を見ていました。そのさらに4年前のアテネ五輪のときも私は東京に住んでいて、ちょうど泊まりに来ていた友だちと開会式を眺めながら、20代前半らしいフワフワしたおしゃべりをしていました。そんなふうに、オリンピックごとの記憶をたどっていくと、自分のこれまでの人生を、紙芝居のように分かりやすくたどることができて、ちょっと楽しくなります。
 個人的オリンピック紙芝居の第1ページ、私が思い出せるオリンピックのもっとも古い記憶は、おそらく私が小学生低学年だったバルセロナぐらいです。開会式のセレモニーを始めてちゃんと見て感動し、その後の行進では、新しい国が登場するたび父がその国や国旗についての知識をなにやら熱心に解説してくれて、すごいなぁ世界には国がこんなにあるのかぁーと、子どもらしく驚きながら眺めていました。まだその当時は、日本を含め、わりと多くの国が手足をそろえ前を見据えてピシピシと行進しており、それに対してアメリカは、当時からすでに手を振ったりなんかしなからラフに自由に歩いていて、父が「アメリカは自由の国だなあ」と言ったことが、とくに強く印象に残っています。
 長女にとって、今回のリオ五輪は、オリンピック紙芝居の第1ページになる可能性もあるのだから、私も父のように熱心に解説しようと、密かに意気込んでいました。セレモニーが始まると、長女も次女も、興味深そうにじっとテレビを見つめていました。生命の誕生や、国の始まりを表現しているところまで、長女は私にあれこれ質問しながら、熱心に見ていたようでした。しかし、内容が、戦争と平和や、環境問題という、難しい話になってくると、やはりまだ5歳の長女には難しかったのか、飽きて子ども部屋へ行ってしまいました。残念だけど、無理矢理見せるものでもないし、仕方がありません。残念ですがそのあとはリアルタイムで見るのを諦めて、普段通り散歩に出かけて水遊びをさせて、そのあとネットのニュースサイトで、日本の行進風景や、聖火のシーンなどをちょっとだけ見せました。うーん、まだちょっと、長女の第1ページには、早かったか。4年後こそは、第1ページになるかもしれません。第1ページが自国開催だなんて、なんだかすごい。

 そうだ、8月4日で、次女が2歳7ヶ月を迎えたので、そのことも今日、書いておきたいのでした。
 最近の次女は、とにかく、しゃべります。そして大声で泣き、大声で笑い、やっぱり抱っこが大好きです。私がつい甘やかしてすぐ抱き上げるので、いつまでも甘ったれです。
 一昨日の「泣くとなんで、はなみじゅがでゆの(鼻水が出るの)」という質問は、涙と鼻水だらけの次女が生まれて初めてした、まともな質問でした。夏休みで長女がいるので、しゃべることが増えて、おしゃべりに磨きがかかってきています。「~だけれども・・・」とか「それなのに~」とか、接続詞を巧みに使うようになり、一度に伝えられる出来事や思いが増えました。
 とにかく長女と遊んでいたいらしく、長女を「○○してあしょぼうよ」と誘って、ちょっと待ってとか今ダメとか言われるたび、「あしょんでくれなぁいっていったぁー」と、私の前で泣き崩れています。次女はもっと小さいころから、泣き崩れるのが上手な子だったなぁ。次女が長女のことをこんなに大好きなのは、家族のなかで、じつは一番次女に優しくて、あらゆることを次女と共有してくれる、もっとも距離の近い存在が、長女だからなのかもしれないなぁと、夏休みのふたりを見ていて気づきました。私や夫よりも、長女は次女に優しい気がします。もちろんケンカもするけれど、今のところはおもちゃの取り合いなどの簡単なケンカばかりだし、どんなに次女に腹を立てても、次女を罵倒したりはしなくて、私に泣きついてくるだけだし、ケンカしてもケロッと仲直りして大笑いしています。いつまでも、そんな姉妹でいてくれたらいいなぁと、仲良くしているふたりを見るたび思います。
 トイレトレーニングはまったく進んでいません。本人にいまいち、やる気が見られないのです。長女のときにやったシール貼りも試みましたが、あまり効果はありませんでした。ただ、2日間くらいトレーニングパンツをはかせていたことで、おしっこが出てしまったあとに、報告してくるようにはなりました。夏になったら本格的にやろうと思っていたくせに、いざ夏がくると暑くて母子ともにやる気がでないので、この夏は、あまり本気を出さないことにしました。幼稚園が心配ではあるけれど、それまでには、まあ、なんとかなるだろう。
 ご飯は、夏休みになってから、よく食べるようになりました。毎日の散歩と水遊び、それから部屋で長女とケラケラ遊び回っているのがいいのかもしれません。ただ、もう2歳7ヶ月だというのにすぐ掴み食べしてしまうので、もうちょっと積極的にスプーンやフォークや箸を使わせるようにしなくてはと思っているところです。いまエジソン箸を使っているのですが、長女のときは喜んで使っていたのに、次女はどうも指を穴に入れるのが面倒なようで、スプーンやフォークを好んで使います。実家で普通の箸を持たせたら、わりと使っていたので、もう普通の箸にしてしまったほうがいいのかもしれません。箸ひとつとっても姉妹で違っていて、戸惑うけれども面白いです。
 次女は自分のことをまだ赤ちゃんだと思っていて、夜、寝かしつけの絵本を選ばせるといつも、赤ちゃん向けゾーンからばかり選んできていたので、今日は私が選ぶことにして、そろそろこんなのも楽しめるんじゃないですかという絵本を数冊提案してみたら、なんだおもしろいじゃんという顔で聞いていました。長女が選ぶ本にはまだちょっとついていけないことも多いけれど、赤ちゃん向けじゃない絵本も、これからどんどん読んでいってやりたいと思っています。長女がだんだん手にとらなくなってきた絵本を、ふたたび次女に読めるのは、とても嬉しいです。
by papiko-gokko | 2016-08-06 23:44 | 月齢ごとの成長記録(次女) | Comments(0)

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 節分を過ぎたので、日曜日にひな人形を出しました。数日前から、出したい出したいと言っていた長女も、大喜びで手伝ってくれました。去年までと違って安心して任せることができ、私の言いつけを守って慎重に丁寧に扱う長女の姿に、すごく成長を感じました。ハチャメチャ真っ盛りの次女には出し終わるまで夫と別の部屋で待機してもらい、きれいに並べ終えてから見せると、「かあいいー!」と、はしゃいでいました。そんな次女の反応にもまた、成長を感じました。
 こうして毎年出していると、なんだか、おひな様たちの顔が、年々優しく慈悲深くなっていくように思えてきます。きっと、出すたびごとに、私や子供たちのなかで、愛着が増してきているからなのでしょう。どうぞ私のかわいい娘たちを優しく見守ってやってくださいと思いながら、並べました。長女が生まれたばかりのころ、新生児の長女を膝に乗せて、母と一緒にネットであれこれ見て選んだのを、懐かしく思い出します。ひととえさんの、ちいさくてまるっこくてほんわかやさしいお顔をした雛人形が、私も母も一目で気に入って、この雛人形に決めたのでした。次女が生まれたときにはお道具も買ってもらって、いっそう華やかになりました。いま、雛人形の前でにこにこ喜ぶ子供たちの顔を見て、この雛人形にしてよかったなぁと、つくづく思います。

 雛人形を出したときにも本当に強く感じたのですが、5歳になってから、長女が急激にお姉さんになりました。なんというか、4歳までとはぜんぜん違う新しい段階、いうなれば、子ども時代の第二章に入ったなという感じが、すごくします。
 読んだことや見聞きしたことや教えたことを、これまでとは比べものにならないくらい、くっきりクリアに理解できるようになり、だから今は、あたらしい世界に触れることが、なんでも楽しくてたまらない様子です。一人で読書にふける時間も増え、どんなことにも、ぼんやりとではなく身を乗り出して向き合い、得た知識も生まれた疑問も、まるごとぐびぐび吸収して思考し、自分のものにしているのが、そばで見ていて分かります。私との会話も、これまではチンプンカンプンなところに面白味を感じていましたが、今はそれが、明瞭に通じ合えるからこそ生まれ面白さに変わりました。これまでの長女の思考や言葉がぶわぶわのわたあめだったのだとしたら、今の長女は、飴細工です。それくらい、変わったのです。
 言い出したらなかなか聞かないワガママは相変わらずだけれど、そのワガママの質もすこし変わってきて、わけのわからなくなるほど泣き続けていたこれまでと違い、最近は、たいてい泣きわめく前の段階で引き下がるし、どうしても引き下がれずにワアワア泣いていても、こちらの話に耳を傾けるようになり、それであきらかに自分が間違っていると分かったら、ある程度まで泣いて、諦めるようになりました。
 4歳と5歳のあいだに、こんなにも差があるなんて、知りませんでした。がむしゃらに可愛かったわたあめ幼年時代を過ぎ、飴細工の少女になった長女は、今、しみじみと可愛いです。これからしばらくはこんなふうに、しみじみと可愛い時代が続くのかなと思うと、楽しみで、嬉しくて、どきどきします。これからどんな女の子になっていくのだろう。
by papiko-gokko | 2016-02-08 23:24 | Diary | Comments(0)

 先日、幼稚園で生活発表会がありました。長女がクラスのみんなと一緒に舞台に出て、歌ったり、踊ったり、劇をしたり、合奏をしたりするのを、ビデオに収めました。母もこの日のためにやってきていて、私と次女と一緒に観賞しました。
 朝、緊張しているかと聞いたときには、「してない」と答えていた長女でしたが、最初に舞台へ出てきたときの表情はあきらかにこわばっていて、ピアノが鳴って歌い始めたときも、家で歌っているときのようには声を出していないのが、ぎこちない口の動きから分かりました。続いての劇では、おそらくたくさん練習しただろうに、大勢の観客を前にしてみんな緊張してしまったのか、だれもかれも声が小さくてもじもじして、先生の助けを受けながらなんとか台詞を言うような感じで、園児に台詞や動きを覚えさせて演技させるというのは、かなり難しいことなのだろうなぁと思いました。劇の完成度はともあれ、みんなのはにかみが可愛らしくて、ふだん送り迎えのときに見ているのとは一味違った表情を見ることができて、それだけで十分楽しめました。長女は緊張していたのかなんなのか、劇の間中ずっと何かにびっくりしているような顔をしていて、大きな効果音とともにオオカミの出てくるシーンでは、本気で怖がって隣のお友だちの手を握っていました。踊りは劇のときとは打って変わってみんな大張り切りで、長女も振り付けをすっかり覚えて上手に踊っていました。合奏では、タンバリンとトライアングルを、真剣な顔で叩いていました。
 長女が出ているときは撮影で忙しく、それに、ああ今日にかぎって長女の髪がなんかぼさついている・・・とか、ああ靴下がなんかずりかけてる・・・とか、体操服の下から肌着が出そうになってないか・・とか、小さな事があれこれ気になって、感動どころではなかったのですが、長女のクラス以外のときは、目の前の幼児たちをゆったりした気持ちで鑑賞することができ、長女と同じときに入園したこの子たちがもうこんなことできるようになったなんてなぁ・・・と、ふいに感極まって涙ぐんだりしていました。本当は長女のことも、そんなふうにゆったりした気持ちで鑑賞してやりたいのですが、わが子がでているとどうしても、感動よりも心配のほうが上回ってしまうようです。
 人生初の発表会はかなりくたびれたようで、家に帰ってからの長女は、いつもよりちょっとワガママでした。長女がその日の日記に記した「はっぴょうかいだった。ほんばんだった。がっそうした。げきもした。うたもした。たのしかった。うれしかった。とってもつかれた。」という言葉が、この日のすべてを物語っています。楽しくて嬉しくてとっても疲れることが、人生にはこれからもたくさんたくさんあるんだよ。本番が終わってしまったのが、いまは寂しくてしかたないようで、次女を相手に、発表会ごっこをして遊んでいます。長女が先生、次女は園児、私が観客役ですが、次女が言う通りにするはずもなく、それで何度となくケンカになっていました。私もよく、妹とそんなケンカをしていたのを覚えています。5歳になった長女は、ますます私の記憶のなかにある幼いころの私に似てきていて、しみじみと可笑しく、愛しいです。
by papiko-gokko | 2016-02-03 23:06 | 幼稚園生活(長女) | Comments(0)

長女5歳


 1月22日、長女が5歳の誕生日を迎え、長女本人の希望で、夫が休みの今日、1日遅れの誕生日パーティーをしました。電車1本で行き来できる距離に住んでいる下の妹にも声をかけたら来てくれて、大はしゃぎのパーティーになりました。長女がたこ焼きパーティーをずっとしたがっていたので、お誕生日ディナーのメニューはたこ焼きで、タコのほかに、ウインナーやチーズちくわやお餅やウズラの卵なども入れて、わいわい盛り上がりました。
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 そして今年の誕生日ケーキは初めてドーム型に挑戦し、長女の心の友であるヒットくんケーキにしてみました。クリームの泡立て以外はほとんど器用な夫にやってもらい、ほぼ構想通りに完成。ここをこうしてほしいああしてほしいと、横でわけの分からない無理な注文を言って困らせていた長女も、完成したケーキを見て満足したようです。
 ろうそくを立て、『ハッピーバースデー』の歌をみんなで歌って、長女がろうそくの火を吹き消す姿を見たときは、今年もやっぱりすこし泣きそうになりました。親として、こんなに幸せな瞬間は、なかなかありません。育ってくれた喜びと、育ってしまった切なさで、胸がいっぱいになります。ケーキのろうそくを吹き消したあと、これも長女の希望で、今年はじめてクラッカーを買ってみんなで鳴らしたのですが、赤ちゃん時代から大きな音が苦手な長女は、想像していた通り鳴らす前からびびりまくっていて、そんな姿に笑いながら、ああよかった、まだまだ私のちいさな女の子だ・・・と、ひそかにほっとしている自分がいました。
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 お誕生日プレゼントは、ネットで必死になって探して見つけたシンデレラのお人形セット。長女も次女もなかなかの食いつきで、すぐさま箱から出して遊んでいました。ネットで買ったので質感など写真でしか見ていなくて不安だったのですが、色もサイズもとてもいい具合のお人形で、私もすごく気に入りました。
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 それからもう一つ、毎年恒例の手作りプレゼント。今年はすごろくを贈りました。待ちきれない長女に製作工程をかなり覗き見されていたので、完全なサプライズにはなりませんでしたが、長女は飛び跳ねて喜んでくれて、さっそくみんなでゲームしてみました。途中、次女の邪魔が入ったり、長女が眠たくなってきたのもあって、若干ぐだぐだ気味のゲームになってしまったものの、それなりに盛り上がって、最後はなしくずし的に長女が1番でゴールして終わりました。ゲーム自体は厚紙で作った駒でやったのですが、そのあと長女と次女が、すごろくの上にシンデレラのお人形たちを乗せて遊んでいて、これを駒にしたほうが安定感があっていいかもしれないなと思いました。
 下の妹が帰り、長女とふたりでお風呂にはいっていると、長女が「お誕生日パーティーだった。○○ちゃん(下の妹)が来てくれた。プレゼントいっぱいもらった。ケーキもおいしかった。クラッカーは、こわかったけど、うれしかった。すごろくもした。とってもたのしかった。」と、噛みしめるように語ったので、「それ、そのまま文字にしたら、長女ちゃんの日記になるよ。日記を書くと、読むたびに今日のことを、思い出せるよ。」と言ったら、長女がすっかりその気になり、お風呂上がりに書くことになりました。
 しかし、もう寝る時間になっていて眠たかったのと、それからおそらく、指折り楽しみに楽しみにしていた誕生日パーティーの日が終わってしまう悲しみとで、感情が制御できなくなったらしく、日記を書こうとしたところで、「かこうとしたこと、わすれてしまいそうで、かけないいいいい、おかあさん、てつだってえええ」と、大泣きし始め、夫に怒られてますます泣き、手伝ってやってなんとか書き上げて、泣き止みました。泣いて文字が書けなくて、しかたがないので長女の言ったことを私が書いてやったのですが、最後の一行、「ぱぱは、おこった」というところだけは、自分の文字で書いていました。子どもは夜になるとどうしても疲れるから、1日の終わりに日記を書くというのは、難しいことなのかもしれません。

 長女の期待にどれだけ応えることができたか分かりませんが、そんなふうにして、5歳の誕生日お祝いが終わりました。あの日、目覚まし時計のような産声をあげて生まれた長女が、5歳になったのです。この1年で、長女ができるようになったこと、分かるようになったことは、数え切れないくらいあります。なんといっても4月から幼稚園に通いはじめ、集団行動を学び、お友だちを作り、これまでとは比べものにならないくらい、世界の広がった年でした。受け入れられることと、拒絶されること、幼稚園生活で長女はそのどちらも経験して、これまでのように、ただ天真爛漫に生きていける場面ばかりではなくなってきたけれど、それでもまっすぐ、いつも全力で、ほっぺたにあらゆる感情をにじませながら、長女は日々を生きています。
 最近、家でも幼稚園でも、なにかと人の真似をしたがる傾向があり、自分に自信がないのだろうかと、一時期すこし心配になったりもしたのですが、その一方で、ほかの子にできること(逆上がり、一輪車など)がまでうまくできなくても、いじけたり焦ったり悔しがったりしている様子はまったくないので、べつに劣等感などを抱いているわけではないのかな、真似をするのは自分に自信がないからというよりも、単純に、自分と異なる存在に対する興味や憧れからきているだけなのかなと、今は思っています。
 4歳になってからの大きな変化として、3歳までに比べると、お絵かきをしなくなったことがあります。3歳までは、自由な発想で気の向くままに、躍動感あふれる絵を描いていたのですが、4歳になってからは、きちんと正面を向いた、記念写真のような、動きのない絵が多くなりました。とくに最近は、お姫様のような絵を描くことが増えました。3歳までの、のびのびとした動きのある絵が大好きだったので、あの自由な世界観が長女から消えてしまったのかと思うと、ちょっと残念な気もするけれど、これも成長の一つなのでしょうか。
 自由気ままでなくなったかわりに、5歳に近づくにつれ、長女は積極的に外の世界に関心を向け、あらゆる物事を知ろうとし、考えるようになりました。幼稚園や本やテレビで身につけた知識を教えてくれたり、迷路やクイズやパズルにもどんどん挑戦して、頭を使う喜びを味わえるようになりました。人の手に爪のある理由から、地球誕生の不思議に至るまで、生活のなかで、興味の幅は、どんどんどんどん、広がり深まり続けています。最近になって黙読ができるようになり、一人でじっと、絵本や簡単な児童書を読んでいる姿もよく見かけるようになりました。読んでもらうのと、自分と読むとではきっと、見えてくる風景が違っていて、彼女はいま、本棚の絵本と出会い直している最中なのだと思います。
 自分の考えや思ったことをかなり言葉にできるようになったことで、即座に言い訳を考える力がつき、叱るとかならず口ごたえするので、私と本気で言い合うこともしょっちゅうです。たまに、言い負かされそうになることさえあります。知恵がついたことで、ちょっとしたウソをついたり、人のせいにしようとしたりすることもあって、そういうときは、悲しい気持ちになりながら叱ります。子どもはウソをつく生き物だということは、自分も子どもだったことがあるのでよく知っているけれど、やっぱり、わが子が自分にウソをつくのは、悲しいものです。ウソといっても、「ポケットにティッシュとハンカチいれた?」と聞いたとき、入れていないのに怒られたくなくて「いれた」と言う程度のことですが、そういう細かいウソをつかれるたび、ウソをつくのはいけないことだと教えながら、おまえはそんなに正直に生きてきたのかよと、心の中がざわつきます。ウソをつくことは、とても悲しいことなのだということを、長女の小さなウソが、毎回私に教えます。
 知識の深まりとともに、想像力も豊かになっているのでしょう。最近、長女はとてもよく泣きます。悲しいことがあって泣くのではなく、悲しいことを想像して泣くのです。想像する悲しいことはおもに、自分の大好きなものが、この世界から消えてしまうことで、「あの公園は、なくならない?長女が大人になってもずっとずっと、なくならない?」などと、涙声でしつこく聞いてきたりします。それから最近はよく、怖い夢も見るみたいで、この前はいったいどんな夢をみたのか、夜中にいきなり起きて「おかあさん、いなくならない?ずっとずっといなくならない?くるまに、ぶつかっちゃってもいなくならない?」と泣きながら言い、私にしがみついて寝ました。なにかがなくなったりいなくなったりしてしまうことへの怯えは、お正月に祖父に会ってからとくに強まったので、長女なりに、何か強く感じるところがあったのかもしれません。長女がそうした想像で泣くたび、「大好きなものは、そんなに簡単になくなったり、いなくなったりしないから、大丈夫だよ」と諭しています。本当にいつでもそうならいいな、そうでありますようにと思いながら諭しています。
 まだまだ、書き足りないけれど、きりがないので、このくらいにしよう。さあ、これからはじまる、長女、5歳の日々。5歳といえば、もうしっかり自分の気持ちがあって、嬉しかった思い出も、悲しかった思い出も、いくつも残っています。長女もきっと自分の感情をフル稼動して日々を過ごし、4歳のころよりもっともっと、わくわくすること、おもしろいことに出会えることでしょう。長女の5歳時代が、キラキラのびのび輝くよう、5歳という年齢を力いっぱい楽しめるよう、私の間違った言動で長女の自由な魂を縛り付けてしまわないよう、長女にとって自分がどうあるのが一番いいのかを、つねに考えながら、長女と向き合っていきたいです。5歳バンザイ。私の宝物。
by papiko-gokko | 2016-01-24 01:51 | 月齢ごとの成長記録(長女) | Comments(0)

風邪とクリスマスイブ


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 長女と次女に続いて、私まで風邪を引いてしまい、数年ぶりに熱が出たり鼻水が出たりして、風邪ってこんなにしんどい症状なのか・・・と、心身ともに打ちのめされているうちに、クリスマスイブがやってきました。長女はほぼ治り、風邪を引いてからずっと食欲がなく不機嫌だった次女も、今日からようやく食べるようになり、機嫌もさほど悪くなくなりました。私も熱は1日で下がり、いまはまだ鼻詰まりと咳があるものの、だいぶ回復してきています。風邪のしんどさを久々に思い知ったことで、これから夫や子供たちが風邪を引いたときには、もっともっと優しく労ってやろうと、強く思いました。
 クリスマスイブの今日は、部屋の飾り付けをしたり、次女のお昼寝中に長女とケーキ作りをしたりして、クリスマス気分を味わいました。妹からクリスマスのクッキーが届いたり、母と義母からそれぞれ子供たちにクリスマスの贈り物が届いたりして、今日鳴るチャイムは心なしか、いつもより弾んで聞こえました。夫が帰ってきてからごちそうを食べ、ケーキを食べ、お風呂にはいって歯磨きをして、それから子供たちは、クリスマスの絵本を5冊読んで眠りました。長女はサンタさんのプレゼントを楽しみにしながら、次女は「サンタさんきないよ(こないよ)」と他者に対する警戒心を抱きながら、眠っています。去年に比べて、長女はクリスマスの飾り付けもケーキ作りも上手だったし、長女は去年の何倍も、クリスマスの雰囲気を楽しんで、長女と一緒に歌ったり踊ったりしていました。ケーキを食べるときはなぜか「みかん、いいの」と、ケーキに背を向けてミカンを食べていましたが、それもまた、次女なりの楽しみ方なのかもしれません。なにはともあれ、今年も無事に平和なクリスマスイブの1日を送ることができて、幸せでした。
 これから、寝る前には、サンタクロースの大仕事が待っています。ぐっすり寝ているふたりの枕元に、夫と二人で一生懸命に考えて選んだプレゼントを置く瞬間が、楽しみでしかたありません。気に入ってもらえますように。
by papiko-gokko | 2015-12-24 22:23 | Diary | Comments(0)

 朝、水道の蛇口をひねると、キンと冷たい水が出て、思わずお湯をひねりたくなりました。自転車を漕いでいると、どこからともなく、金木犀の香りが漂ってきました。そこかしこに、子どもの喜ぶ赤い実がなり、日に日に秋が深まっています。

 週末に長女の幼稚園で開催された運動会は、ほのぼのとしてあたたかく、とても愉快なものでした。客席の場所取りなど殺伐とした感じになるのかなと怯えていましたが、いざ行ってみると、園児の数自体がそれほど多い園ではないので、のどかなものでした。私たちは次女もいたので、一応後ろのほうに敷物は敷いたものの、ほとんど立ってあちこち移動しながら過ごしました。長女の晴れ姿を見るため、私の両親と下の妹もかけつけて、あっちでもこっちでもカメラを構え、あらゆる角度から長女の勇姿をカメラに収めました。
 競技中も待っている間も、長女の顔はキラキラして、運動会を心から楽しんでいるようすでした。私たちの存在に気づくたび手をふってくれて、かけっこ的な競技のときまで、こちらに手を振りながらふわふわ走るという余裕っぷりで、ほかの子より速く走ろうという発想がないようでした。家でもたくさん見せてくれていたダンスは、可愛らしい衣装をまとってニコニコしながら、時折こちらに目配せしつつ、みんなと一緒にとても上手に踊っていました。そばにいたクラスの子となにやら可笑しくてたまらなそうに笑っていたりして、ああすごく、この子はいま、大丈夫なんだなぁ・・・と、幸せな気持ちになりました。整列するときにはきちんと整列し、お返事し、体操し、入園式のときからは考えられないほどしっかり集団行動ができていました。
 参加型の競技もそれなりにあって、祖父母と一緒に参加する玉入れには父が、親子競技には夫が、そして親子ダンスには私が参加しました。来年には次女も、未就園児として参加できるかもしれません。今年も参加しようと思えばできたようなのですが、私も次女も人見知りすぎて、参加しそびれてしまいました。来年はお互い、殻をやぶってがんばろう。
 ふだんの参観日では、なかなか長女のクラス以外の子たちの様子を見る機会が少ないのですが、運動会では、年少さんや年長さんの様子も見ることができました。まだあまりよく分かっていないなりに駆け回っている様子がなんとも可愛らしい年少さん、はにかみながら力いっぱいがんばる年中さん、難しい競技やダンスをこなしてみせる誇り高き年長さん、みんなそれぞれに、きらきら輝いていました。本当に、「きらきら」という言葉が、繰り返し頭に浮かんでくるくらい、みんながきらきらぴかぴかしていました。

 運動会が終わって家に帰ったあとも、長女はご褒美として幼稚園からもらったメダルやらグッズをみんなに見せて喜び、がんばったご褒美にと母が買ってきてくれたケーキをみんなで食べてはしゃぎ、興奮冷めやらぬ様子でした。夜はさすがに疲れて早く寝てくれるかと思いきや、いつもと同じ時間に寝て、翌朝いつもより早く起き、元気だなぁと思っていたら、その日の午後にいきなり「だるい・・・おなかいたい・・・」と不調を訴え初め、、夕方おんぶしてやっていたら、私の背中めがけて思い切り嘔吐しました。気力体力ともに限界を超えるといきなり嘔吐するというのは、1歳半ごろぐらいからなので、この現象ではもうそれほど焦らなくなりました。嘔吐したあとはよく眠り、次の朝にはほぼ回復していました。人生初の運動会、限界を超えるくらい全力で、本当によくがんばりました。まぶしくて、すてきな運動会でした。

  
by papiko-gokko | 2015-10-13 23:36 | 幼稚園生活(長女) | Comments(0)

長女、入園


 まだ少し丈の長い真新しい制服を着て、長女が幼稚園に通い始めました。
 入園式の前日になっても、わが子が幼稚園に通い始めるという実感が湧いてこなくて、パラレルワールドの出来事のようで、思わず夫とふたりで、長女の赤ちゃんのころや、2、3歳のころの映像を見たりしました。あんなおしゃべりの長女にもしゃべらないころがあったんだなぁとか、こんなに髪の毛少なかったんだなぁとか、思うことはいろいろあったけれど、それでもやっぱり、実感は湧いてきませんでした。

 そんなふうに、ふわふわした気持ちのまま迎えた入園式当日。長女は「今日はどんな一日になるんだろう!」と言って胸を高鳴らせながら朝ご飯を食べ、制服を着せるとますますテンションが上がって、「もう幼稚園!今日から幼稚園!」と、部屋を跳び回り、その後ろを次女が、通園鞄を持って追いかけていました。
 式に出かけるまえに、家の近くで記念撮影をしました。雨上がりのベンチにシートを敷いて腰掛けた、少し緊張気味の面持ちの長女が数枚と、その横に夫や私が座った写真、そのそばをわけも分からず歩き回るぶれた次女の写真を撮りました。
 幼稚園につくとすぐ、長女は名札とお花を胸につけてもらって何組になったのかを教わり、名札を着けてくれた先生が「さあ、これで、長女ちゃんは○○幼稚園の子になりましたよ」と言ってくださって、まるで呪文にかかったように、そのときから本当に、私の子が正真正銘の幼稚園児になった気がしました。
 長女にはその日からちゃんと長女の名前が書かれた靴箱があり、教室の中にはちゃんと長女の名前の書かれたロッカーがありました。長女はもう、この幼稚園のお客様ではなくなったのです。教室のロッカーに鞄や帽子などの持ち物を入れてから、案内に従って、入園式の行われるお遊戯室へ行き、席に着いたり、写真撮影などしているうちに、入園式が始まりました。そこからはもう、ハラハラの連続でした.長女ときたら、目立つことをするのです。式の途中で舞台に上がったり(ほかにも何人か上がっていましたが、長女もしっかりその一人でした・・・)、お母さんと離れて座っているのが辛くて泣いている新入園児のところへ歩いて行って頭をなでてみたり、どう見ても目立ってしまっていました。そんななか、年長の子たちが、「わからないことがあったら、なんでもきいてね、教えてあげるからねえ」というような内容の歌を歌ってくれて、年長さんてなんてしっかりしていて優しいんだろう!と、涙ぐみました。長女も来年の今頃には、そんな歌をしっかり歌える年長さんに、なれているのだろうか。式の間ずっと、微妙にぐずり気味だった次女も、年長さんのお歌のあいだは、じっと静かに聞いていました。
 ハラハラしっぱなしの式が終わったあとは、教室で担任の先生のお話を聞きました。そのときにもまた長女は、何を思ったのかいきなり匍匐前進を始めて先生を困らせ悪目立ちし、最後に先生がみんなに向かってさよならの挨拶をすると、長女は先生に向かって「じゃ、また明日もくるからね!」と、元気いっぱい気さくに言い放ったのでした。入園式当日からこんなにそこまで目立つだなんて、これから一体どうなるんだろうと、自由すぎる長女に頭がくらくらしましたが、しかし、端から見てどんなに突拍子がないように見えても、長女の行動にはいつも何かしら理由があるのです。舞台に立ったのも、匍匐前進も、きっとただの衝動ではなく、なにかしら長女なりの考えがあってのことで、あとから聞いたら舞台に上がったのは、私と夫に、長女の姿がよく見えないと思ったからだと言っていました。まだ長女は集団行動を知らなくて、入園式の場でも、パパとお母さんと自分という構図で世界を捉えてしまった結果、そういう目立つ行動に出てしまったのだと思います。それは間違った行動なのだということは、これからの幼稚園生活で、学んでくれることでしょう。長女なら学べるだろうと信じます。
 幼稚園を出ると、私も夫も、それから長女もどっと疲れが出たようで、長女は夫の抱っこで家まで帰りました。萎縮はしていなかったけれど、やっぱり彼女なりに、緊張はしていたんだろうな。

 そして、入園式の翌日からは、いよいよ通園が始まりました。次女を抱っこ紐で抱っこして、長女と手をつないで幼稚園まで行き、教室の前まで一緒に付き添って、靴を上履きに履き替えたら、長女はすんなり私から離れて、教室に入っていきました。私のそばに立っていたお母さんが、長女と同じ教室に入っていったお子さんに向かって、「先生の言うことよく聞いてねー!楽しんでねー!」と明るく大きな声で言っていて、私もまったく同じことを、長女に伝えたい気持ちだったのだけれど、教室からじっとこちらを見ている長女と目が合ったら、とたんに喉が詰まって、言葉がでなくて、笑って手を振るのが精一杯でした。私のそばにいたお母さんの声が、長女にも届いていればいいなと思いました。私が手を振ったのを見届けると、長女はふっと子どもたちのなかに混じっていき、見えなくなりました。悲しそうなわけでも、辛そうなわけでもない、ただ、今日からそうなんだなと納得しているような表情でした。だいたいいつも、長女はそうです。出産のときも、長女は泣かず、面会に来るといつも納得しているような顔をして帰っていました。
 幼稚園の門を出て、歩き出すと、とたんに、猛烈に寂しくて、さみしい!と叫びそうなほど寂しくて、涙が出てきて、次女の頭に顔をこすりつけながら歩きました。家に帰ると、リビングに座っていた大きいヒットくん人形と目が合って、ついに幼稚園いってしまったねえと言っているような寂しげな顔に見えて、また涙が出てきました。長女が幼稚園に行き始めたら、長女がいるとできないことをいろいろやろうと思っていたのに、いざその時がくると、長女がいないとできないことばかりが思い浮かんで、長女がいるとできないことなんて、何もないじゃないかと思えてくるのでした。
 たかが幼稚園で、大げさですが、この喪失感にも似た寂しさは、ただ単に、いまここに長女がいないという寂しさだけではなく、これまでどこにも属さず何の肩書きも持たず、ただただ私の娘であった長女が、とうとう、幼稚園という世界の一員になり、私と夫だけのものではなくなったのだという寂しさなのだと思います。その寂しさは、そのまま喜びでもあるのだけれど、今日はどうしても寂しさのほうが勝っていて、まだしばらくは午前中だけだから離れているのはたった3時間ほどなのに、その3時間が、とても長く感じました。楽しんでいるだろうか、寒くないだろうか、暑くないだろうか、着替え袋を入れた場所が分かっただろうかと、心配なことがいくらでも浮かんできて、時間の流れをますます遅くしました。
 。3時間のあいだ、私は洗濯を干したり部屋の掃除をしたり本棚の整理をしたりして、そのそばで次女は、いつも長女になかなか貸してもらえない、ぽぽちゃん人形で遊んだり、ヒットくんに抱きついたり、思う存分絵本を出して、私に読んでくれとせがんだりして、5冊くらい読んでやりました。最初の1時間はのびのびと遊んでいた次女でしたが、だんだんと退屈になってきたのか、抱っこしていなければぐずるようになりました。寂しさを感じていたのかどうかはよく分かりませんが、違和感はあったのでしょう。
 11時半すぎに長女を迎えに行くと、出てくるなり長女はトイレに行くと言い出し、これから帰りの会というのに、私と長女だけトイレに行って、帰りの会に出られませんでした。トイレから戻ってくると、先生が帰りの会で伝えたことを伝えに来てくださって、そのあと、「長女ちゃんは、やりたいことがいっぱいいっぱいあるみたいで」と、にこにこ教えてくださりました。それだけでもう、長女がどういうことを言ったのか、だいたい想像がつきました。
 長女に話を聞くと、帰り道では、「あんまり遊べなかったよ。長女が歌いたいっていった歌、歌わせてもらえなかったし、ブロックもできなかったし、お絵かきもできなかったし・・・」と、不満を口にしていた長女でしたが、お昼ご飯を食べるころには機嫌が直ったようで、楽しかったお話をたくさん聞かせてくれました。チューリップのうたを歌ったこと、みんなでうがいをしたこと、痛いことする子もいたこと、お友だちみんなでトイレにいったこと、などなど、刺激がいっぱいの楽しい一日だったようでした。話を聞くと、どうやら先生に、あれがしたいこれがしたいと、自分の要望を率直に伝えて、困らせたのだろうなぁ。良くも悪くも、長女は自分のやりたいこと、してみたいことが常に明確にある子で、それに向かってまっすぐに行動しようとするのです。しかしそれでは世の中渡っていけないのだよということを、幼稚園はしっかり教えてくれることでしょう。自分のやりたいことだけを追求することが、どうして自分勝手な行動として批判されるのかということは、やはり家庭より集団のほうが、より実感として学ぶことができるのだろうと思います。
 とにかくそんなふうに、初日は過ぎたようでした。 おおむね、楽しかったみたいです。まだまだ、始まったばかりの園生活。これから、家庭訪問や参観日など、イベントが目白押しです。どうなることか。とにかく、楽しく通ってくれれば、それ以上のことはありません。明日も楽しめますように。長女の好きなことが、一つでも多くできますように。
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 最後に、この絵は、入園式から帰ったあと、長女が描いたもの。折り紙の桜も散って、みんな嬉しそう。入園、ばんざい。幼稚園の子になれて、ばんざい。
by papiko-gokko | 2015-04-15 23:50 | 幼稚園生活(長女) | Comments(0)

 次女が少しずつ片言を話すようになったので、長女のことをどう呼ばせるかについて夫と話し合い、プレッシャーにならないように名前で呼ばせるのもいいんじゃないかと私は思っていたのですが、「次女は、長女のことを、おねえちゃんと呼べるのは、世界で次女ちゃんだけなんだから、おねえちゃんって呼ぶのがいいと思う」という夫の言葉で、なるほどたしかにと思い、「お姉ちゃん」と呼ばせることに決まりました。まだ次女がおねえちゃんと呼ぶことはできないけれど、その話し合いのあと、次女に抱きつかれたとき、長女は抱き返しながら、「ふふふ、おねえちゃんっていいなあ!」と、お姉ちゃんの喜びをかみしめていました。
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 ここ数日で、次女はよちよちどんどこ歩くようになりました。それはとても嬉しいのですが、歩くようになるということは転ぶようにもなるということで、毎日どこかしらぶつけて怪我しています。昨日は唇をテーブルにぶつけてを少し血が出たし、今日はテレビ台に向かってひっくり返って頭を打ち、流血というほどではなかったけれど、ほんの少し血がにじみました。家具の配置など、これまで以上に気をつけなければなりません。
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 次女が歩くようになるのと並行して、長女は毎日、ものすごい勢いでお絵かきをしています。最近はよく、眠っている自分が見ている夢の絵を描くようになりました。自分というものの輪郭をはっきり意識し、自分の身に起こった出来事や抱いた思いなどを、かなり相対化して捉えることができるようになってきているのが、絵を見たり話を聞いたりしていると、分かります。叱ったときに言い返してくる言葉なども、ぎょっとするほど理屈っぽくなってきて、3歳時代の「だってなんだかいやなんだもん!」という態度ではなく、「なぜあなたに私がそこまで従わなければならないのか理解しがたいので従いたくありません!」という確固たる意思をもって反抗してくるので、一瞬くじけそうになります。4歳は記憶のスタート地点。これまで私と世界を共通し、同じ物語のなかで遊んでいた長女が、ついに私から離れて、彼女個人の独立した物語を紡ぎはじめたのを、強く感じます。
 長女も次女も、そんなふうに日々、書き切れないほどの速度で、変化し成長していきます。先日長女が次女に、「大きくなったら抱っこしてあげるからね」と言っていたので、「長女ちゃんが大きくなったら、次女ちゃんも一緒に大きくなるんだよ。姉妹ってそうやって、一緒に大人になっていくんだよ」と教えながら、自分の言った言葉に、自分ではっとしたりしました。私も妹たちと一緒に大きくなりました。子供の頃と同じようなことで笑ったり苛立ったりしながら、いつのまにやら、それぞれ大人になっていました。一緒に大人になっていく存在があるのって、たまにやっかいなこともあるけれど、やっぱり心強くて、楽しいです。親として、それを見るのも楽しいです。

d0038776_015537.jpg 今日はバレンタイン。数日前に、バレンタインの日はパパにチョコレートを作ろうねと長女を誘ったら、「バレンタインて、パパの誕生日のことなの?」と不思議そうに聞かれたので、「バレンタインは、女のひとが、大好きな男のひとに、チョコレートをあげる日なんだよ」と教えました。すると長女は少し考えてから、「長女は、長女の知ってる人のこと、みんな大好きなんだよ」と言い、それを聞いた私も夫も、思わず口をそろえて、「すてき!」と言いました。自分の知ってる人のことみんな大好きだなんて、長女の世界は、なんてハッピーなんだろう。
 今年のチョコは簡単なチョコタルトで、チョコレートの上にかける粉と包装は長女がお小遣いで買い、次女がお昼寝しているあいだに作りました。まだ隠し事や内緒話ができない長女も、バレンタインのチョコはパパに内緒で作ったほうがいいんだということはなんとなく分かっていて、「パパ、バレンタインだから、これからチョコをとかすから、見ないで」と小声で耳打ちしたので、夫はにやにや外出し、なんとか、帰ってくるまでに完成させることができました。ハートのかたちに切った画用紙に、長女はメッセージを、まだわけの分かっていない次女はぐしゃぐしゃを描きました。チョコをもらって、ふたりの娘に抱きつかれて、夫はとても幸せそうでした。あと数年もすれば、私があれこれ用意しなくても、姉妹で相談してパパにあげるようになるのかな。そんなふたりに育つといいなと思います。
by papiko-gokko | 2015-02-15 00:22 | Diary | Comments(0)

長女4歳


 1月22日、長女が4歳になりました。半月前から「あと何かい寝たら4さいになる?」と聞き続けてきた彼女は、いよいよあと1回寝たら4歳という21日の夜、布団のなかで「ああ、なんかそろそろ4さいに、なってきてるかも・・・」と言いながら、体中からあふれるワクワクを抱きしめるみたいに身をぎゅうっと縮め、小声で何度も10から1までのカウントダウンをしながら眠りにつきました。
 そしてついに迎えた誕生日の朝、目を覚ました長女に「4歳になったよ、おめでとう」と声をかけると、笑いをこらえるような顔をして起き上がり、それから鏡の前に行きしばらく自分の姿を眺めたあと、「あれ、4さいになったのに、体の大きさがあんまり、変わってないじゃないか」と、困惑していました。年齢があがると同時に、背丈もびゅーんと伸びると思っていたようです。がっかり顔で鏡の自分を見つめる長女に「少しずつ少しずつ大きくなるんだよ」と教えたら、たちまち元気を取り戻し、「4さいになったから、もう、てちゅぼうのしゃかあがりとか、たかいジャングルジムができるよねえ」と、4歳になりたてのつたない口調で言い、目を輝かせていました。そんな、4歳の始まりの、まぶしいまぶしい朝でした。
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 夜、夕食のあと、4本のろうそくに火をともし、私と夫がハッピーバースデーの歌を歌っているとき、長女ははにかみながらろうそくの火をじいっと見つめていました。ろうそくの火で、頬がまるく光っていて、とてもきれいでした。歌い終えたあとは、「もう4さいだから、ひとりで消せるよ」という長女の宣言通り、一人で立派に4本のろうそくを吹き消しました。3歳の誕生日のときは、まだ新生児だった次女が火を怖がって大泣きしましたが、今年はそんなこともなくて、とても穏やかな時間でした。
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 ケーキのあとは、プレゼント。私たちからのプレゼントは、シルバニアの家具と、それから手作りのヒットくんかるたです。驚いたのは、渡した後、ひとしきり飛び跳ねて喜んだあとで、私と夫に向かって「ありがと!」と言ったこと。4歳になったんだなぁと、その一言に成長を感じました。かるたは、色塗りが間に合わなくて線のみのものも数枚ありましたが、とても喜んで夢中で遊んでくれて、がんばった甲斐がありました。
 そんなふうにして、4歳のお誕生日が無事に過ぎていきました。この4年間は濃厚すぎて、自分のなかではなんだかもう、人生の大半を長女と過ごしているような感覚だから、長女が自分の人生に加わってから実はたった4年しか経っていないことに、驚いてしまいます。4年前、真っ赤なお尻で生まれてきた、ふにゃふにゃだったあの子が、自分の誕生日をしっかり理解して喜び、ケーキの火をひとりで吹き消し、プレゼントをもらって、ありがとうなんて言うようになったのです。なんてすばらしいんだろう。
 今日、話の流れのなかで、なんとなく長女に「大きくなったら何になりたい?」と聞いてみたら、これまではいつも、わけの分からない返答ばかりしていた長女が、今日ははっきりにっこり、「おかあさん」と、答えました。長女の最も身近な大人がおかあさんなのだから、当然といえば当然なのかもしれないけれど、長女が初めてなりたいと思ったものが、「おかあさん」だったことが、幸せで、これまでの4年間に対して、長女から花束をもらったみたいに嬉しくて、「へえええそうなんだ!」と驚きながら、あやうく泣きそうになりました。普段の私が、なりたいと思ってもらえるようなタイプの母親をやれているとはとても思えないけれど、素直に嬉しかったです。
 これから始まる4歳の日々は、きっと、3歳の時にできなくて悔しかったいろんなことができるようになり、幼稚園でお友達もできて、どんどん世界が広がって、きっと最高の1年になるに違いありません。おめでとう4歳。すくすく育ってくれて、こんなに嬉しい気持ちをくれて、ありがとう。
by papiko-gokko | 2015-01-23 23:55 | 月齢ごとの成長記録(長女) | Comments(0)

 1月4日、次女が満1歳を迎えました。年末年始、夫の実家に帰省したので、誕生日の2日前に、みんなでごちそうを囲み、一升餅を背負わせて、賑やかにお祝いをしました。
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 予定日より一週間も早く生まれて、2415グラムほどの小さな体だったにもかかわらず、不思議と不安を感じさせない貫禄のある新生児だった次女。3日の夜7時半ごろ夫と長女とともに病院に行ってから、生まれるまでずっと長女が寝ずに待っていてくれて、4日の0時11分、生まれてすぐに姉妹の初対面を果たしたことや、体が小さくて新生児用おむつでもぶかぶかだったため折り曲げて使っていたこと、退院の2日前に爪を切ってやっていたら深爪してしまい、大泣きさせてしまったこと、長女が毎日お見舞いにきてくれて、バイバイしたあとその後ろ姿が頭から離れず病室で泣いていたことなど、懐かしく思い出します。入院中は長女のことが気がかりで、とにかく早く帰りたくて、なんとか次女が退院できる体重のボーダーラインをクリアして退院許可がでたときは、嬉しくて仕方ありませんでした。家に帰った次女を、初めて長女が抱いたときの写真は、いまも大事に飾ってあります。
 生後1ヶ月を向ける前からにこにこ笑う子で、誰にでも愛想の良い性格になるのかと思いきや、いまは人見知りが激しく、すっかり泣き虫の子になりました。嬉しいときには大きなお口で笑い、悲しいときには力いっぱい泣き、おもちゃを取られそうになったときには大声を出して威嚇し、甘えたいときにはものすごい勢いでよじ登ってきて、だっこが大好きな甘えん坊さんです。
 次女が生まれてきてくれたことで、育児の日々は、とても明るく、愉快なものになりました。長女ひとりのときには、とにかく何をするにも不安で、失敗したくなくて、思い詰めてばかりいたけれど、次女が生まれて、ふたりの違う人間を育て始めてみると、時間的には余裕がなくなったのに、精神的には不思議なくらい余裕ができて、無駄な力が抜け、多少不安に思うことがあっても、まあ大丈夫だろう、なんとかなっていくだろうと、思えるようになりました。そして日々起こるいろいろな珍事を、楽しめるようになりました。次女がいることで、一家全体の雰囲気が、明るくなりました。言葉と絵と音符があったところにリズムが加わったような、ちょうどそんな感じで、軽やかに、伸びやかになりました。この1年間でもう完全に、次女は我が家になくてはならない存在となりました。
 生まれた直後にも思いましたが、次女に対しては、私たち家族のところに生まれてくれてありがとう、我が家を選んでくれてありがとう、という感動、感慨を、とても強く抱きます。それはきっと、すでに長女がいて家族が成り立っているところに、一歩遅れてやってきてくれた、2番目の子に対してだからこそ、感じるものなのでしょう。次女が我が家に運んできてくれた幸せを、私も夫も長女も、毎日浴びて暮らしています。

 夫の実家でも誕生祝いはしたけれど、やはり4日当日にもお祝いしたかったので、当日は豆乳プリンを作って、長女がハッピーバースデーの歌を歌い、2度目のお祝いをしました。そして誕生日プレゼントも渡しました。1歳のプレゼントは、木琴。いろいろ悩んだ結果、楽器になりました。
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 与えてみたところ、次女にはまだ早かったようで、むしろ長女が喜んで叩いています。いまは無理でも、長女がやっているのを見ているうちに、できるようになるかな。なるといいな。
 それからもう一つ、誕生日恒例の手作り絵本も、なんとか年末に完成させて、渡すことができました。
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  今回も、描いた絵をパソコンに取り込んで色づけして印刷して製本しました。今回はなかなかの自信作で、次女が喜びそうな要素満載に仕上げることができ、満足しています。これまでと同様、文章が私、絵と全体のデザインが夫で、見返し紙には、長女が描いた次女の似顔絵を使いました。もちろん内容も、次女が主役になっています。さっそく読んでみると、次女はそれなりによい反応をしてくれました。文字が大きいので、長女が読むこともできて、何度か読んであげていました。
 ああ、それにしても、次女が1歳。とうとう1歳。もちろん心から喜んでいるのは言うまでも無いのですが、0歳の子がうちにいなくなってしまった・・・という、一抹の寂しさもあります。もうおそらく、私が0歳の子の親になることはないのだなぁと思うと、この一年間への愛しさが増します。かわいくてゆかいな乳児時代、育てさせてくれてありがとう。そして、1歳になった次女をこれから育てていけることが、私のなによりの幸せです。1歳ばんざい、おめでとう。

 そんなふうにして始まった2015年。今年もどうぞよろしくお願いします。
by papiko-gokko | 2015-01-06 23:33 | 月齢ごとの成長記録(次女) | Comments(0)