日記と短歌
by papiko
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退屈をくつがえすにはどうすればピンクのドーナツ買ってあげるよ
 11月になりました。10月は、良いことも悪いことも、どっさりあったひと月でした。今は、先週自転車で転んだときの打撲痛がやっと癒えてきたと思ったら、転んだその日に風邪を引いた影響で、咳をしすぎて背中と肋骨が痛みます。10月に限らず、今年はまったく、良いことも悪いことも、どっさりだったな。まだ振り返るのは少し早いか。

 10月の終わりに、長女の自転車の補助輪を外しました。まだぜんぜん乗れないけれど、ニコニコ嬉しそうに練習しています。本人は「6歳になるまでにぜったい乗れるようになる!」と意気込んでいますが、果たしてどうなるかな。私は長女よりすこし大きくなってから父と練習して、後ろを持っていたはずの父がいつのまにか手を離していて自力で乗れていた・・・という典型的な思い出があります。
 最近の長女は、もうすぐ1年生!という気持ちの高ぶりから、ものすごくお勉強熱心になっていて、毎日、机に向かってドラゼミで届いた問題集などをやっています。それはもちろんいいことなのだけれど、あまりにも熱心なその様子を見ていると、今からそんなにお勉強のことで頭をいっぱいにしていたら小学生になる前に勉強が嫌になってしまうのではないか、もしかしてお勉強のほかに楽しみがないのだろうかと、なんだか不安になってくるのでした。
 だから今日は、長女の楽しいことってなんだろう、私が長女を導くことのできる楽しい世界ってなんだろうと考えながら、公園に連れて行ったり、ここのところ日課となっているシャボン玉遊びをしたり、スーパーに併設されているパン屋さんで、長女が目を輝かせて欲しがったイチゴチョコでコーティングされているピンクのドーナツを買ってやったりしました。
 公園もシャボン玉もドーナツも、長女は満面の笑みで喜んでいたけれど、それはそれとして、暇になるとやっぱりお勉強もしていました。そして、「早く1年生になりたい!幼稚園もう終わりにして小学校いきたい!」と言っていました。それを聞いて、ああつまり、長女はただとにかくはりきっていて、そのはりきりがお勉強というかたちで表れているだけなんだなということが分かり、ほっとしました。義務としてでなく、はりきりという前向きな気持ちで楽しんでやっているのならば、いいのかな。別にほかに楽しみがないわけでもなさそうだし。実際に小学校に入って勉強が始まって、内容が難しくなってきても、そのまま前向きな気持ちを保っていられるといいなと思います。 

 次は次女の話。11月4日で、次女が2歳10カ月を迎えました。あとふた月ほどで3歳になるなんて、どうしよう。2歳の次女が可愛くて大好きでたまらない私は、残り少ない2歳の日々を、いったいどう過ごせばいいのだろう。とりあえず、嫌がられるほどべたべたしよう。
 最近の次女は、まずなにより、恐いもの知らずでわがままです。毎日、危ないところへ上ったりして、夫が叱ってもまったく聞き入れず、「あぶなくないんだもん!」と胸を張るので、夫が呆れています。しかし、本当に叱られそうになると、「ごめんなちゃい」と愛嬌たっぷりに謝って許してもらうテクニックを身につけており、ずるいなあと思いながらも許してしまいます。長女よりも気が強いけれど、長女ほど意地を張らないので、長女ほど叱られずに、うまいこと生きています。
 今はまっている遊びは、シャボン玉と三輪車。外で遊びやすい気候になったので、ほぼ毎日、シャボン玉と三輪車をやっています。長女が自転車の練習をするときも、必ず次女は三輪車とシャボン玉です。三輪車はまだいまいちうまく漕げませんが、シャボン玉はとても上手にやるようになり、吹いては追いかけ、手でぱちんぱちん潰して大はしゃぎして、また吹くということを、シャボン液が少なくなって「そろそろ帰ろう」と私が言うまで飽きもせずに繰り返しています。次女のおかげで毎日シャボン玉を見上げていますが、風向きや空模様で、シャボン玉の色や透明感ってだいぶ違うので、毎日、わあきれいと、新しい気持ちで思います。次女もきっと、そうなのでしょう。次女とこうして毎日のようにシャボン玉を見上げた秋を、次女が忘れてしまっても、私は忘れません。
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 おうち遊びでは、パズルや粘土ブームがちょっと落ち着いて、よくお絵かきをするようになり、家族の絵をたくさん描いてくれます。いつもまず最初に長女を描いて、次に自分を描いて、それから私と夫を描くのですが、たいてい長女と自分の顔がでっかくて、私と夫は小さく描かれています。次女の中で、いかに長女の存在が大きいかが、その絵を見ているとよく分かります。長女と遊んでいるときの次女は本当に嬉しそうで、遊ぼうと誘って「あとで」とか「ちょっと待って」と言われると、涙ぐんで私に助けを求めてくるほどです。
 「次女ちゃんは、3ちゃいになったら、おっぱいもおむちゅもやめるんだ」と日々宣言している次女は、まだどちらも卒業できていません。おむつはともかく、おっぱいに関しては、3歳をめどに、本当に卒業してもらえるとありがたいです。
 いろいろなことが分かるようになって、長女に言われたちょっとしたことで泣いたり、だってだってとわけのわからない言い訳したり、あれがしたいこれしてほしいと欲求に果てがなかったり、印象にのこった出来事をずっと覚えていて何度も話したり、2歳から3歳へと、次女は着実に成長してきています。身長に関しては、はかったてみたらやっと82㎝ぐらいで、平均で見るとやっぱり小さかったけれど、次女なりに伸びているから、あまり気に病まないことにします。まだひょいと抱き上げられる小ささと重みが、大好きだし。

 最後に、子ども以外の話。ビートルズを聴くようになってから、音楽ってすごいなぁいいなぁということを、強くまっすぐ思うようになりました。そして、楽器ができる人や、曲をつくって歌える人が、羨ましくてたまらなくなりました。20代のころに一瞬ギターをがんばってみようかと思って教本を買ってみたけれど、不器用な私の指ではFがぜんぜん押さえられなくて、リズムもうまくとれなくて、あっけなく挫折したのを思い出します。ピアノは子どものころ習っていたけれど、何度教えられても指を間違えるので、先生からいつも、あなたは強情だと怒られてばかりいて、褒められた記憶がありません。歌は、中学のころ合唱部で日々気持ちよく歌っていたけれど、地声で出せる音域が狭すぎてカラオケで歌える曲はごく限られています。そんな私だから、音楽のセンスや技術がある人はいいなぁと、本当に心からあこがれるのです。バンドを組んだりして、日々自分たちだけの音楽を生みだし奏でて、それを聴いた人の心に届けることができるなんて、それってほとんど魔法じゃないか。
 私がこれまでずっと続けていて、これからも続けていけそうな、音楽に通ずることが何かあるとすれば、それは短歌かなと、半ば無理矢理だけれど思っています。私の短歌に魔法はかからないし、短歌の世界の人をうならせるようなすごい歌も詠めそうにありませんが、歌の歌詞のような、歌えそうな短歌を詠みたいというのは、短歌を始めたころから思っていたことで、今も変わっていません。だから、音楽の世界に感動するたび、自分の短歌への思いも熱くなるのです。音楽は好きだけど楽器ができない歌えない私の、手放せないアイテムです。ぽつぽつじゃなく、もっとがつがつ詠みたいです。
by papiko-gokko | 2016-11-05 23:43 | 月齢ごとの成長記録(次女)
ブログを10年書き続けてみた感想。
 昨日の夜に微熱が出た長女は、一晩寝たら平熱に戻っていて、今日は一日ご機嫌で、たくさん大笑いと熱唱をして過ごし、寝かしつけにしっかり1時間かかりました。ああ、よかった。夜中の授乳で起きるたび、おでこに手をあててみて、1時ごろはまだ熱くて汗をびっしょりかいていたのですが、3時ごろにはもうあまり熱くなくなっていました。汗をかいて風邪を撃退したのか、それともただの寝不足で身体が熱かっただけなのか分かりませんが、とにかく本当にほっとしました。

 お正月があり、次女の出産があり、長女の誕生日があり、本当にイベントごとの多い1月でしたが、じつは今月もうひとつ、私のひそかに大事にしている日がありました。それは1月7日、自分のホームページとブログの誕生日です。当時たくさんあった、おしゃれなテキスト系サイトに憧れてホームページを立ち上げ、同時にこの日記を書き始め、今年の1月7日でちょうど10年が経ちました。
 5年目あたりから、とりあえず10年は続けてみたいなと思い始めて、10周年を迎えた暁にはなにか特別な記事を書きたいものだななんて空想していたのですが、いざその時を迎えてみると、当日は出産入院の真っ最中で、特別な記事を書く余裕なんてなくて、その後もなにかと日々がめまぐるしく過ぎ、今日まで書けないままきてしまいました。このまま書かずに終わるとあとで後悔しそうなので、いまさらですが、10年続けてみた感想を書きたいと思います。
 ホームページを立ち上げた当初はまだブログではなく無料レンタルのWeb日記を借りていて、掲示板も設置していたし、リンク集なんかもあったりして、いまよりずっと交流に積極的でした。あのころ、インターネットの世界は私にとって、自分のなかにある何かを知らないだれかに伝えたい人たちの表現の場という印象で、とても心地よくて、わくわくして、自分と近い感性を持っていそうな人のホームページを眺めることが大好きでした。
 しかし、10年のあいだに、インターネットの世界はどんどん変わりました。個人のホームページというものは影が薄くなり、ブログが流行ってそれまでホームページを持っていなかった人たちも気軽に日記など公開できるようになり、やがてミクシィが流行って仮想世界と現実世界の境目がだんだんとあやふやになってきて、そのうちに、ツイッターやフェイスブックが流行って、ネット上に実名を出してやりとりすることが当たり前になってくるにつれ、私はだんだん、インターネットと自分とのあいだに距離感を感じ始めました。
 それでも、自分のホームページとブログだけは続けたかったから、とりあえず10年を目標にして、続けました。数年前にブログのコメント欄を閉じ、去年メールフォームもなくして、メールアドレスを公開するだけにしたのも、ブログを続けるためです。本当はコメント欄をつけて、読んでくださる方からたまに感想などもらえたりしたら、どんなにかやる気がわいて楽しくなるだろうと思うのですが、自分の書いた記事に対して否定的な言葉をもらったとき、それに真っ向から立ち向かい、もしくはさらりと受け流し、変わらず書き続ける自信がなかったので、そういう後ろ向きな理由で、本来ネットの醍醐味であるはずの交流の機会を、狭めてしまいました。とにかく私にとって、続けることが、第一だったのです。
 そうやってとにかく書き続け、10年続けることができたら私は一体どんなことを思い書くのだろうかと、自分でとても楽しみにしていたのですが、実際に10年経ってみると、案外しらっとしたもので、よくもまぁ10年も自分の日常をネット上にアップし続けたもんだなぁ・・・と、いうのが一番率直な感想なのでした。継続は力なりという言葉を信じてここまできて、果たして何か力を得たのかどうか、それはいまいち実感できませんが、大学卒業後も文章や短歌を書くことをずっと続けられたのは、この場所のおかげです。それに、10年のあいだには、本当にいろいろなことがあったから、それを記録できたことも、それなりに意味のあることだったかなぁと思っています。いまはまだ、読み返すとこっぱずかしすぎて非公開にしたくなるだけなので、もっともっと時間が経って、恥ずかしさも含めて楽しめるくらいになってから、まとめて読み返してみたいです。
 ネットと自分との距離感も、書く範囲も内容も、自分のブログに対するテンションも、10年間でずいぶん変化していったけれど、そのとき書きたいこと、だれかに伝えたいこと、聞いてほしいことを書くというスタンスだけは、10年間ずっと、変わっていません。10年を区切りにやめるのもいいかもしれないなとか本気で考えた時期もありましたが、第2子が生まれてまた書きたいことがますます増えたし、積極的な交流はせずとも、だれかに伝えたい、聞いてほしい、という思いは相変わらずとても強くあるので、それが完全になくなるまでは、このままここで、こんな感じで、続けてみることにします。以上、10年続けてみて得た感想でした。
by papiko-gokko | 2014-01-26 00:58 | Diary
私はなぜブログに日記を書くのか。娘の愛するおにんぎょう。
 自分はなぜブログで日記を書き続けるのだろうか、ということを、ここ一ヶ月ぐらい、改めて考えていました。そして、ようやくなんとなく、自分のなかで結論が出たので、ぶれないよう、ここに書き記しておくことにします。
 例えば、日々の記録を残すためとかストレス発散のためなのならば、ノートに書くなりワードにでも打ち込むなりすればいいのだし、たくさん人に読んでもらえるような人気ブログを目指したいのならば、もっと人の興味を引くようなセンセーショナルな記事を書くべきだし、ブログを通じて意見交換なり相談なりがしたいなら、人の大ぜい集まる掲示板にでも書き込めばいいし、ネットで人との繋がりを感じたいなら、ブログにコメント欄をつけたり、ツイッターやSNSなども積極的に利用したらいい。だけど、私は、そのどれでもないのです。どれもこれも、少しずつ願望としてないわけではないけれど、それはあくまでも雑念であって、真の目的ではありません。
 では、私がブログで日記を書く理由って一体、なんなのか。それは私が、なんでもかんでもではなく、誰かに聞いてほしいと思ったことを、文章にしたいからです。ブログは私にとって、出来事と感情のごちゃごちゃつまった頭の中から、誰かに聞いてほしいと思うことだけを選ぶ力を与えてくれる、いわば、ろ紙のようなものなのです。その誰かは、画面の向こう側にいる誰かであると同時に、未来の自分でもあって、誰かに聞いてほしいと思って私が書いたことは、同時に、未来の自分に聞いてほしいと思うことでもあって、なんだかチープな表現になってしまうけれど、結局のところこのブログは、未来の自分へ宛てた手紙にほかならないのだと思います。
 ノートやワードに書くのでは、誰かに聞いてほしいというほどではなかったことまで緊張感なくだらだら書きすぎてしまい、未来の自分に読んでもらえるような文章ではなくなってしまいます。人気ブログになろうとすると、誰かに聞いてほしいこととはかけ離れたことを書かなくてはならなくて、未来の自分がそっぽを向きます。何かを他人に解決してもらいたくて文章を書いているわけではないので、掲示板に書き込むのも違います。人との繋がりは感じたいけれど、日記を読んでくれている誰かがどんな人物なのかがあまりに明確になり過ぎると、どこかの誰かに聞いてほしいことなのか、明確になったその人だけに聞いてほしいことなのか分からなくなって混乱するから、ツイッターやSNSに手を出すのはやめておきます。
 聞いてほしいと思うことだけを書きたいからブログなんだ、ただそれだけのことなんだ、と気付いたとき、すうっと、目の前が明るく、心が軽くなりました。なんだか、前にも似たようなことを書いたかもしれません。時々こうして、なぜ書くのかということを考えて文章にしないと、軸がぶれそうになってしまうのです。書いて、すごくすっきりしました。

 そんなわけで、今日の、誰かに聞いてほしいこと日記。日記以外の文章が長くなったから、短めにしよう。
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 今日の娘は一日中、夫の作ったヒットくんというフェルト人形で遊んでいました。生まれたときからずっと一緒にいるだけあって、何体もある色とりどりのヒットくんたちが娘は大好きみたいです。
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遊び方は様々で、おべんとうを食べさせたり、引きだしの取ってにひっかけてみたり、自分の脱いだズボンの上に並べたり、透明の入れ物にいれて持ち運んだり、シルバニアファミリーで遊んでいるときにも、うさぎちゃんたちに混じってヒットくんが寝ていたり、お風呂場にも連れて行ったり、とにかくずっとヒットくんを持ち歩いていました。
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最近夫と絡む時間が少なかったから、寂しさをヒットくんで紛らわしているのだろうか。作ったものでこんなに娘が遊んでくれるなんて、夫も嬉しそうにしています。いまは、ヒットくんを作るのと同じような要領で動物を作り始めていて、先日ブタが完成し、それも娘は喜んで遊んでいます。次はゴリラに取りかかっていて、パーツが多くてなかなか苦戦しているようです。なぜブタの次がゴリラなんだろう。ゾウとか、キリンがよかったなぁ。
by papiko-gokko | 2012-11-29 21:36 | Diary
片づけたおもちゃ散らかし読み終えた絵本をひらき睡魔をにらむ
 珍しく娘がすんなり8時半に寝てくれました。毎日寝かしつけに1時間以上かかるのに、今日はおっぱいを飲みながら、あっという間にねんねしてくれました。今日はお昼寝も2時間してくれたし、毎日こうならすごく助かるのですが、基本的には寝るのが嫌いで、ぎりぎりまで睡魔に背を向け遊ぶ子で、そういうところは私にそっくりです。
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 今日は雨でお外に行けず、昨日に引き続き絵本三昧の一日でした。絵本に関して不思議なことがひとつあって、これまで一度も娘に読んだことがなく本棚から出したこともなかった、『とん ことり』という引っ越しがテーマの絵本を、引っ越しが決まってからというもの、なぜか毎日のように本棚から引っ張り出してきて、私や夫に渡してきたり、自分でめくったりするようになったのです。娘にはまだ引っ越しの概念なんてわからないだろうし、『とん ことり』の内容を理解するのも難しいはずなのですが、やはり、子供にはなにか、本能で悟るような、特殊な力があるのでしょうか。この絵本を読むと、私はいつも最後のほうで胸がいっぱいになって喉が詰まるので、あまり読んでくれとせがまれると困ってしまいます。大好きな筒井頼子・林 明子コンビの絵本のなかでも、特に思い入れのある絵本です。

 ほぼ毎年参加しているネットの短歌イベント題詠100首blogに、今年も参加することにしました(参加用ブログ)。毎年新しく提示されるお題に沿って100首詠むというもので、去年は余裕がなくて24首までしか詠めなかったのですが、今年はがんばって、できれば100首全部詠み切りたいと思っています。ここのところ短歌をあまり楽しめていなかったから、情熱を取り戻すちょうどいいきっかけになりそうです。
 フェイスブックもツイッターもしておらず、サイトの掲示板もブログのコメント欄もなくしてしまって、ネットでのコミュニケーションツールがメールだけになっている今、これは私が唯一たくさんの人と交流を持てる機会(といっても私の場合ただ参加するだけで、感想を言い合ったりなどの積極的な交流をする勇気は結局ないのですが)です。だから、すごくわくわくしています。一首でも多く納得のいく歌を詠めるよう、がんばろう。
by papiko-gokko | 2012-06-09 22:57 | Diary
点描画みたいに日々があつまってきみの笑顔の絵になればいい
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 曇り空の一日。午前中、雨があがってからポストにはがきを出しに行き、その後はずっと家にいました。お昼ごはんのとき、娘が箸を使いたがったので試しに少しだけ持たせてみたら、思いのほか上手な手つきで動かし、一度だけ卵焼きを口まで運ぶことができました。まだ、スプーンのように掬おうとするか、フォークのように突き刺そうとするかのどちらかで、挟むことは全然できないけれど、幼児向けのお箸を買って持たせていたら、そのうちできるようになりそうです。初めて持ったのにちゃんと使い方を認識しているなんて、私や夫が食べるところを見て、観察しているのだなぁ。これからは、意識してお行儀よく食べなくては。
 午後、お昼寝をさせようとしたら、ちょうど外で子供たちが甲高い声を張り上げて楽しそうに遊んでいて、娘はその声が気になって仕方なくなり、結局お昼寝できないまま夕方になり、『おかあさんといっしょ』を見終えたあたりから、案の定眠くなって「ぱいーねんねーぱいー」と、ぐずぐずしだしたので、寝てしまうまえにとにかくお風呂とご飯だけは済ませておこうと、ぐずる娘の服をむりやり脱がせてシャワーだけで済ませ、夜ご飯を食べさせました。シャワーを浴びたことで娘はいくらかすっきりしたらしく、ご飯はご機嫌で食べてくれました。
 食後、絵本を数冊読んで、しばらくうろうろ遊んで、夫とふたりで「すごい!」「えらい!」「ぴかぴか!」と誉め称えながら歯磨きをして(そうしないと磨かせてくれず、夫がいない日はぬいぐるみと一緒に褒め称えます)、7時半に寝室へ連れて行ったら、5分もしないうちに寝てくれました。寝かしつけに時間がかからないと、こんなに楽なのか!早く寝たぶん、明日早く起きる可能性が高く、だから私も早く寝るべきなのですが、せっかく寝かしつけに時間がかからなくてたっぷり時間のある夜なので、夜更かししたくてたまりません。どうしよう。いくつになっても夜更かし大好き、朝は昼まで寝ていたい。

 私はこれから、どういう感じで日記を書いていきたいだろうかと考えていて、ふと、ナスカの地上絵が思い浮かび、地上ではただの線にしか見えないそれが、上空から眺めるとひとつの絵になるのと同じように、今の私は、点描画を描くような感じでこの日記を書きたいのかもしれないと、思い至りました。近くでひとつひとつの点だけ見ても、さほど変わり映えしない色の連続で、なんの意味があるのかよくわからなくても、時間の距離を隔ててその日々を読み返してみたとき、ひとつの絵が浮かび上がってくるような、そういう日記を書けたらと思います。


 
by papiko-gokko | 2012-06-06 23:55 | Diary
芯のない鉛筆で書く日記帳なにもないからなにか書きたい
 娘が寝ている時間は、ずっとスピッツを聴いています。やわらかくて優しい音楽に心を浸していると、すうっと雑音が消え、自分の夢とか身の回りの現実を、落ち着いた気持ちで愛することができます。今もぼんやり聴きながら、スピッツは私にとって、ゴーグルみたいだなぁと思いました。水中で目を開けているのは痛いし、よく見えないから恐いけれど、ゴーグルをはめることで、目を開けていられるようになり、クリアに見渡すことができて、安心するのです。
 昔だったら、ヘッドフォンをつけて大音量で聴くところですが、娘が泣き出したのに気付かないといけないので、いつも小さな音で聞いていて、ちょっともの足りません。ライブにもう一度、行ってみたいなぁ。今度は娘も一緒に行けたら、最高。

 娘の瞼の腫れは今日も治らず、むしろちょっと悪化していたので、今日は一番近い行きつけの小児科へ行って、目薬を処方してもらいました。虫さされなのかものもらいなのか、はっきりしなくてもやもやします。明日ますますひどくなるようなら、小児科ではなく、眼科へ行ってみようかな。やたらめったらいろんな病院へ行けばいいというものでもないのだろうけれど、顔を見るたびどうにも不憫で、少しでも早く治してやりたくて、気が急いてしまいます。本人は特に痛がったり痒がったりする様子もなく、元気いっぱいなのですが、これ以上腫れては、視界が悪くなったりしそうで、それも心配です。目薬をさそうとすると暴れてなかなか命中しないので、また別の病院へ行ってこれ以上目薬が増えても困りそうだし、どうしたものか。明日には少しでもよくなっていますように。

 人間ごっこの短歌10首ほどアップしました。前回の更新から約3ヶ月間で詠んだ中で、10首しか納得のいく歌が詠めていないのは、ちょっと問題かもしれません。日々と自分の内面を落ち着いて眺めることができていない証拠です。せめて20首のこしたかった。次の更新めざしてがんばろう。言葉と向き合うことをやめたら、私は芯のない鉛筆みたいになってしまうから、がんばらなくちゃだめです。
by papiko-gokko | 2012-05-18 00:08 | Diary
怒る叱る。なぜ書く(詠む)のか、いつまで書く(詠む)のか。
 娘の欲求や感情の表現が、日に日に豊かになってきて、私も娘につられて、楽しくなったり悲しくなったりしています。おなかがすくのは悲しいし、歌って踊るのは楽しいし、テレビを見たいときに見せてもらえないのはものすごく癪だし、おかあさんが、1歳児の生活は、大いなる悲しみと抑えきれない喜びに満ちています。欲求と感情の表現が豊かになればなるほど、可愛さがぐんぐんパワーアップしてきて、しかしその一方で、ついイラッとしてしまうことも増えてきました。
 今日も、夜になかなか寝てくれず、起きあがって遊ぼうとする娘を必死で布団に引きずり入れて押さえつけて半ば無理やりおっぱいを吸わせるというのを2時間以上繰り返し、娘が暴れて顔を踏まれて「もういい加減にして!」と、子供に対する言い方とは思えないきつい口調で言い放ってしまいました。怒ると叱るは別物だから子供に対しては怒るのではなく叱るようにしましょうと、どこかで聞いたことがあるけれど、今日のは完全に、「叱る」ではなく「怒る」でした。娘が感情を持つ人間である以上、こっちだって、喜怒哀楽を押さえつけて常に一定の心で向き合うなんて不可能です。感情の交換は人間の醍醐味なんだから、たまには怒ったっていいじゃないかと、どこで聞いたかも思い出せないその美しい子育て論に、心の中で悪態ついて、自分を慰めています。これまで、理想とか願望は私の原動力だったけれど、子育てに関しては、そうとも限らないみたいです。

 先日、ある機会に、「なぜ短歌を詠むのですか?」「いつまで詠むつもりなのですか?」という質問を受け、改めて、書くこと、詠むことについて考えました。
 まず、なぜ短歌を詠むのかということ。短歌を詠むのは、それが私にとって、最も自分の感情を、無駄なく偽りなく、素直に表現できる手段だからです。文章を書くのも大好きだけれど、文章では、どうしてもまどろっこしくなったり、きれい事を言ってしまったりして、本当に伝えたいことがぼやけてしまいがちだから、本当に想いをまっすぐ表現したいときは、短歌を詠みます。それに、短歌は短いからこそ、その瞬間にしか感じられない想いや情景を、鮮度を保ったまま閉じ込めることができます。私にとって、文章は動画、短歌は写真なのかもしれません。
 それから、いつまで続けるのかということ。中学3年生のころ、受験勉強をしながら聞いていたB'z出演のラジオ番組で、将来の夢について悩んでいるリスナーへのアドバイスとして、稲葉さんが言った「すてない。すてなければ、何が起こるかわかりませんから。」という言葉を、ずっと座右の銘にして、これまで様々なことに取り組んできました。とりわけ、文章を書くこと、短歌を詠むことは、とにかく何があっても続けようと、行き詰るたび繰り返し誓い、なんとかかんとかやめないで、現在に至ります。
 子供のころからの私のなによりの喜びは、自分の納得のいく文章や短歌を書き(詠み)、それを人に読んでもらうことで、そういう仕事をして生きていくのが将来の夢でもありました。もし私に、ものすごい才能があったなら、大きな賞を受賞するなり本を出版するなり、そういう形でもって、どんと華々しく夢をかなえることができたかもしれません。だけどどうやら私には、それほどの才能はなく、そんな私が自分の夢を裏切らないためにできることと言えば、とにかく書き続けることしかないので、なるべく毎日、書けることを書くということを、自分に課しています。
 そんなふうに、ずっとやってきて、「すてなければ、何が起こるかわかりませんから」という、あの言葉を信じてやってきてよかったなぁと、実感できるようなことが最近あって、ここに詳しくは書けないけれど、とても嬉しくて、本当に続けて意味のないことなんてないんだと、報われた気がしました。だから私はこれからも、書き続ける、詠み続けるということで、自分の夢を叶え続けようと思っています。
by papiko-gokko | 2012-04-12 00:05 | Diary
短歌のことと、自分のことについての、反省文。
 約5ヶ月ぶりに「人間ごっこ」の短歌を更新しました。7月から昨日までの日記タイトルより選んだ60首です。読み返してみて、じっくり練った短歌が少ないと感じました。じっくり練れば必ず納得のいく短歌ができるかといえばそうではなく、するするっと直感で出来た短歌のほうがむしろビシッと気持ちよく決まることも多いのですが、そういう歌は私の場合、30首詠んで1首あればいいぐらいの貴重なものなので、やっぱり、基本的には時間をかけて練らなければ納得のいく短歌に仕上がらないのです。娘を言い訳にしていないで、短歌をじっくり練る時間を、なんとか確保しよう。授乳しながらだって、考えることはできるのだし。
 文章にしても短歌にしても、私は自分の中にあるものしか形にできないので、今は、育児を詠むことが多いのですが、育児を詠むって、想像以上に難しいなぁと感じます。現在進行形のことを歌にするには、流しそうめんのそうめんを掬うみたいに、今にも過ぎ去ろうとする瞬間を、言葉のお箸でガッと掴みとる瞬発力が必要で、私はまだまだ、修行が必要です。読み返した時、娘との日々が写真よりも映像よりもぶわぁっと蘇ってくるような育児短歌を読めるようになりたいな。

 仕事を辞めて家にいる今、私の暮らしぶりを評価できるのは、夫しかいなくて、だからついつい夫に評価を求めてしまい、満足のいく評価をしてもらえないと不愉快になり、嫌味なことを言って、ケンカをしてしまったりします。私はもっと、自分で自分を評価できるようにならないと、ダメだなぁ。自分大好きなくせに、卑屈で自己評価が低いから、周りからの評価を求めずにはいられなくて、それでいて人付合いが苦手なものだから、評価してほしいという思いが、夫に全部いってしまって。まったく、面倒な人間だなと思います。自分で自分のやり方を評価して適度に反省しつつも概ね満足しながら生きていけるようになりたいです。
by papiko-gokko | 2011-11-24 23:05 | Diary
娘への想い、記録するということ
 風の強い日。時折どどどと音を立てて風が吹き抜けるたび、娘がはっと窓の方を向き、植木の葉が大きく揺れるのを、しばらく不思議そうに見つめています。数日前、震度3の地震があったときには、ゴドド・・・と揺れだし私が娘に駆け寄って抱きあげるまでの数秒間、不安そうに部屋を見渡していました。これまで娘が地震で不安そうにしたことはなかったので、その表情が目に焼きつき、いつもなら引きつった顔で即座にNHKをつけるのに、その時は不思議なくらい落ち着いていられて、「ひゃーゆれたねえー」と、娘に向かっておどけて見せることができました。私が笑うと、いきなり抱きあげられてぽかんとしていた娘も、にこにこ笑いました。そばに不安になっている人がいると、その不安を解消しなければというほうに意識がいって、自分の不安は消えるみたいです。人ってうまくできているなぁ。

 今日は、娘を膝に乗せてジブリソングを歌っていたら、「となりのトトロ」で泣きそうになって声が上ずり、「君をのせて」で喉が詰まって歌えなくなりました。私って今ものすごく情緒不安定なんだろうかと一瞬自分の状態が心配になりましたが、そうではなくて(若干それもあるかもしれないけれど)、娘に向かって歌ったら、あらゆる歌が、何倍も感動的になるのです。その歌に出てくる主人公(となりのトトロなら、「子供の時にだけあなたに訪れる」のあなた、君をのせてなら君)が、自分ではなく娘に置き換わったとたん、それまでその歌に対してなんとなく抱いていた想いや描いていた風景ががらりと変わり、これから多感な子供時代を過ごす娘への熱烈なメッセージ性を帯びて、胸に迫ってくるのです。歌だけでもこうなるのだから、物語そのものを見たら、トトロなんて特に、号泣してしまいそうです。

 写真、映像、そして文章。今、それらを総動員して、娘の成長を記録しています。
 後から見返したときの感触は、それぞれに違います。写真は、わぁ可愛いなぁこんなかったよなぁと、娘のその時々の娘の可愛さや面白さを、ほのぼのと振り返ります。映像には映している自分や夫の声も入っていて、その時のテンションが何の遮りもなく記録されている過去と真正面から向き合う感じで、あぁこんなことしたなーと、娘だけでなく自分と夫を含んだその時の空気感を思い出し懐かしみながら、今とよく似たその映像が、もう過ぎ去った日の記録なのだという現実に、ヒリヒリ恐くなります。だから私の場合、映像は気持ちが前を向いていて元気のあるときにしか、見返すことができません。
 それから、文章は、主にこの日記なのですが、記録と共に大量の感情が流れ込むので、私の場合、これが一番、記録する手段としても、振り返る手段としても、時間と労力をつかいます。人それぞれ、自分にとって一番パワーと時間と労力のかかる記録手段が、最も自分の重視して大切にしている記録方法なのだろうと思います。記録という言葉は、そのまま、「表現」という言葉に置き換えてもいいかもしれません。私にとって一番時間がかかってしんどい表現方法は、文章です。なぜそうなるのかといえば、文章が私にとって、もっとも大切な表現方法で、文章に対しては、他の表現方法とは比べ物にならないほどのプライドを持っていて、いつだって文章に対してだけは、本気で挑まずにはいられないからです。
 そんなふうに大切で、プライドを持っているからこそ、うっかり書きたくないことを無理に書いて書くことを嫌いにならないように、恐くならないように、文章を書くということには常に慎重に向き合い、自分が本当に書きたいことを書き続けていけるよう、見極めて書かなくてはいけません。今、私が書きたいのは、娘の成長記録です。書いても書いても足りないと感じるくらい、娘の成長は眩しくて驚きと感動に満ちていて、娘が散らかす光を鏡で集めるような心持ちで書きます。
 写真と映像と文章と、娘が大きくなった時、どの記録をどの程度娘が喜んでくれるのか、現時点では想像もつきませんが、今はそれらの三つを使って夢中で記録しているそのことが楽しいから、それで十分です。人の成長を記録することが、こんなに楽しいことだったなんて。明日は、明後日は、どんなことを記録できるのだろう。
by papiko-gokko | 2011-09-03 22:13 | Diary
伝えたい全部伝えて黙りたいこのからっぽが歌になるまで
 娘、お昼寝中。自由な時間は日記を書くに限ります。日記を書けた日は、それだけで一日が引き締まり、自分らしく生きた気分になれるのです。日記は私の一日にとって、プレゼントに結ぶリボン、花嫁さんが手に持つブーケ。楽しんだ後しみじみ見つめる入場チケットの半券。

 娘が生まれて以来、スカイプが大活躍しています。母とはほぼ毎日、父や妹とも1,2週間に1度ぐらいはスカイプをして、画面越しに娘をあやしてもらっています。娘は常に誰かに見つめられていたいらしく、私が娘に背を向けて掃除など始めるとすぐ怒りだすのですが、娘の前にパソコンをおいてスカイプで母や妹があやしてくれていると、時折パソコンに向かって笑顔を振りまきつつ、ご機嫌で遊んでいてくれるので、その間に掃除をしたりお昼ご飯をささっと食べたりできて、とても助かっています。母の方も、毎日リアルタイムの映像で会えて嬉しいと喜んでいて、いいこと尽くめです。実家が遠いし両親は今海外にいて、それほど頻繁には会えないけれど、スカイプのおかげで顔を見て会話ができて、それほど遠く離れている気がしません。現代の通信技術に感謝。
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 今日は娘と折り紙で遊んでみました。娘の前に何枚かおいたら、すぐさま両手で手に取って、ぐっしゃり握りつぶし、掃除をするみたいに畳に擦りつけたり、ばしんばしん叩きつけたりしていました。色のついている紙のほうが、白い紙より楽しいかなぁと思ったのだけど、これなら白い紙でも同じかな。いやいや、私が娘なら、色紙をぐしゃっとするほうが、やっぱり心躍る気がするし、たまにはこんな贅沢な遊びもよしとしよう。
by papiko-gokko | 2011-07-30 22:46 | Diary


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