日記と短歌
by papiko
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うまくやれない子育てと、育て始めた花
 長く長く感じた春休みが、ようやく終わります。土日を除いてほぼ母子だけで過ごした春休みは、想像以上に、しんどいものでした。大変だったのは長女です。5歳になりますます自己主張がはっきりしてきたことに加え、イヤイヤ期真っ最中の次女がなんでもかんでも「いやなんだもん!」と言っているのに引っ張られ、次女と一緒になってなんでもかんでも「いやなんだもん」と言ったり、こちらからの問いかけや指図を無視して何度も同じ事を言わせ、最終的にこちらが本気で腹を立てて怒鳴るまで言うことを聞かなかったり、買い物へ行っても次女と同レベルのことをして叱ってもやめなかったり、幼稚園がなくて体が疲れないせいか寝付きがすこぶる悪く、次女がすでに寝ているのにどたんばたん布団を蹴り続けたりなどなど、こちらの神経を逆撫でするようなことばかりするのです。可愛いとか愛しいと思う感情が、度重なる怒りの感情で擦れきれてしまいそうで、悲しくなって、何度か涙が出ました。
 4歳までのワガママと違うのは、叱られたときの態度に、ふてぶてしさが加わったことです。そのふてぶてしさに、苛立ちが募ります。馬鹿にされているような悔しさで、頭がカーッと熱くなります。お母さんを馬鹿にしてるのかと半泣きで問い詰めたら、馬鹿にしてないと、半泣きで返されました。おりこうにしたいのに、悪い子になってしまうんだもんと、目に涙をいっぱい溜めて言いました。
 5歳になった彼女には、もう私とは違う彼女の世界がちゃんとあり、主張があり、やり方があり、だから、自分のやっていることややらなかったことについて、なんだかんだと口を出してくる親はうるさくて、言うことを聞きたくない場面もたくさんあって、反抗したくなるのでしょう。自分もかつて子どもだったから、冷静な心で考えれば、その気持ちも分かるのです。だけど、親として長女と向き合っているとき、自分の子ども時代もそうだったからしょうがないわねなんて、のほほんと構えられるほど、私は大らかな人間ではないのです。やっぱり自分の子どもには、ちゃんと、正しいことをしてほしいのです。「お母さんはね、怒りたくて怒ってるんじゃないよ、長女が、悪い大人にならないように、ちゃんとした大人になれるように、叱ってるんだよ」なんて、長女に言い聞かせながら、われながら、なんて説得力のない言葉なんだろうと、むなしくなりました。実際、悪い大人にならないように叱っているのだけれど、叱ったからといって、悪い大人にならない保証はないし、そもそも、悪い大人ってなんだろう。ちゃんとした大人ってなんだろう。私は果たして、ちゃんとした大人なのだろうか。いやいや、とんでもない。
 『ドラえもん』の漫画を読んでいると、のび太のママを始め、子どもたちの母親はだいたい口うるさく描かれていて、「だいたい、親は、いばりすぎなんだ」なんて台詞も出てきたりして、子どものころ読んでいたらぜったい、この台詞に共感していたのだろうなぁと思いながら、いまは、母親側の気持ちで、その言葉を読んでいます。のび太のママはいつもガミガミ怒っているイメージだったけれど、そりゃあ、怒りたくもなるよなと、いまならママのガミガミの心情が、すごく分かります。ガミガミしたくてしているわけではないんですよねと、話しかけたくなります。ガミガミ言わなくては、あなたたち子どもはすぐに調子にのって、危ないことや人の迷惑になるようなこと、するじゃないですか。
 この春休みは私にとって、長女を育てていく上での、新たな難しい壁にぶちあたった日々でした。まだこの壁は、突破できないまま、春休みが終わります。土日には、島根と岡山の中間地点の大きな公園で母と落ち合って遊んだり、遠くまで花見に行ったり、楽しいこともいろいろあったのだけれど、そういう楽しい出来事を書く元気がないくらい、疲れた春休みでした。そういえば母と会ったとき、最近何回言ってもこっちの言うことを聞かないと話したら、「お母さんの声に慣れてしまっとるんよ。あんたたちもそうだったわ。なんかい言わすんよーって最後には怒って」と笑って言っていました。私もやっぱり、そうだったのか。そうだったのだろうなぁ。母親の声に慣れすぎてしまって、何度も言われないとピンとこないような現象、そういえばたしかにあった気がします。長女にとって私の声は、時計の秒針みたいなものになってしまっているのだろうか。声色をものすごく変えてみたらいいのだろうか。無視されたときは、妙な声を出してみようか。
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 そんな春休みの終わり。なんと昨日から、ベランダで花を育て始めました。子育てに疲れたせいでしょうか。きれいに咲く花を、育ててみたくなったのです。花を育てている母に、私も育ててみたいと言ったら、誕生日プレゼントとして、長方形方の鉢ふたつと、2種類の花の苗を3株ずつと、土と肥料をくれました。2種類のうち、どちらかは名前を忘れてしまいましたが、もう一つは、サフィニアブーケという名前です。母と娘たちと一緒にホームセンターにいって選び、母が鉢に植えるところまでやってくれました。アサガオもなかなか咲かすことのできなかった私に、果たしてできるかどうか不安ですが、とにかくやってみます。きれいな花が咲くといいな。自分が育て始めることになったとたん、お店に並んでいるいろんな花の苗や、よそのお庭の花壇に目がいくようになりました。ビートルズを好きになってから、英語に触れるのも楽しくなったし、どんなことでも、物事に興味を持つということは、日々を楽しく明るくする秘訣だなぁと思います。花が咲き、長女の年長生活が、順調にスタートしますように。
by papiko-gokko | 2016-04-10 22:38 | Diary
これまでのいっさいがっさい脱ぎ捨ててただあのころの話をしよう
 4月になりました。近所の桜並木もほぼ満開で、たくさんの人がスマホやカメラで撮影しながら歩いています。私も昨日、一家で桜並木に出かけて写真を撮りました。去年も同じ桜並木で写真を撮ったけれど、去年の写真では次女がまだベビーカーに乗っていたのに対して、今年の写真では長女が自転車、次女が三輪車に乗っています。1年のあいだに心も体も成長して、去年とはまるで違う景色を見ているに違いない娘たちと、桜のトンネルをくぐりました。
 昨日は私の誕生日で、夫と子供たちが、たくさん祝ってくれました。とくに夫は、誕生日の私に最高の1日を提供しようと、夕食やケーキ作りや家事や子守など、全力でがんばってくれて、夜、無事にケーキを食べ終えたあと、「なんか気が抜けた・・・」と、燃え尽きていました。長女も、夫と一緒にケーキを作ってくれたり、折り紙に描いたお手紙をくれたりして、ニコニコワクワク楽しそうに祝ってくれて、何度も「おめでとう」と言ってくれました。桜並木を歩いているとき、数メートル先を歩いていた長女がふいに振り向いて「おかあさん、お誕生日おめでとう!」と大きな声で言ったときには、恥ずかしくて思わずうつむいてしまったけれど、なんだかドラマのワンシーンみたいで、胸に焼き付きました。3人にハッピーバースデーの歌を歌ってもらって、子どもと一緒にロウソクを吹き消して、とても幸せな誕生日でした。
 そんな幸せな日だったのに、どうしたわけなのか、昨日はやけに涙もろくて、誕生日の日、3回も涙を流しました。長女が夫に叱られ目に涙をいっぱい溜めながら口をへの字に曲げているのを見てぼろぼろもらい泣きしたのと、あと2回はなんだったか忘れてしまいましたが、本当になんでもないことで、ぼわっと涙があふれこぼれてたのでした。誕生日という特別な日で、感情が高ぶっていただけなのか、それとも、この涙もろさは、33歳になったからなのか。
 古い友だちがおめでとうのメールをくれて、嬉しくて近況を返信したら、その返信に対して再びお返事してくれた一言一言に、ああ、もうずっと会っていなくても、私のこと分かってくれてるんだなぁ、さすがだなぁ・・・と感動して、そのときもまた、涙腺が緩みました。いまの私の人付き合いのほとんどは長女の幼稚園関係で、だからどうしたってうわべの付き合いが多くなり、なんとなく傷つくような場面もあったりして、この1年でわりと疲れて、だから、学生時代や会社員時代の楽しかったことをよく思い出したり夢に見たりするし、私のことをよく知っている人がくれるなにげない言葉が、とてもとても、優しく温かく身に染みたりします。
 33歳の1年は、精神的に、もっと強くなりたいです。家族のためにも、自分のためにも、強くなって、大事なものをしっかり守って、自分の生き方に胸を張って毎日を過ごせるよう、33歳を生きようと思います。
by papiko-gokko | 2016-04-04 23:17 | Diary
まだ桜さかない春の生ぬるい道であなたに帰りたくなる
 週末、一家で島根の実家に帰省しました。一泊二日の短い滞在でしたが、朝早く出発して夕方近くまでいたので、わりとゆったりできました。子供たちを両親に託してこたつに入り、一昔前のB'z会報誌なんかめくりつつうつらうつらしていると、あまりの幸福感に、立場も年齢もなにもかも忘れて、体のかたちがなくなりそうでした。実家に帰ると、じんわり癒やされる部分があり、その一方で、ぐったり疲れる部分もあり、心の中が、シーソーのようにギコンバタンきしみます。
 少し前に書いた通り、私はまだいまいち、周りの同年代の人たちのようには、家を買うなんてこと現実的に考えられずにいるけれど、独り立ちしてからもこうして定期的に帰ることのできる、思い出の染み込んだ実家があるというのはやっぱり、子どもにとっていいことなんだろうなぁ・・・と、ぼんやり思いました。家に思い出がなくても、土地だったり、持ち物だったり、写真だったり、思い出の染み込むものはいくらでもあるから、家にこだわることもないのかな。「振り返れば故郷は場所ではなくてあなたでした」と、GLAYも歌っているし。まったく、なんていい歌詞なんだ。車の窓から見る故郷は、どこもかしこも懐かしいような、ちっとも懐かしくないような、がらんとした風景でした。

 実家に帰った影響で、ひさしぶりに、B'zを聴いています。実家には、中学時代から貯め込んだB'zグッズの数々があるので、過去の自分に「ほら聴かなきゃ!」と言われているような刺激を受けるのです。子どもができてからは、ライブにも行けなくなったし、発売日にCDを買うようなこともできなくなったけれど、稲葉さんの力強い声とやさしい言葉が、やっぱり大好きです。思春期からずっと聴いているから、もう声だけでほとんど無条件に心のこりがほぐされて、ああそうか、いくつになっても思い切り葛藤していいし、悩んでいいし、もがいていいんだなぁ!と、心のもやもやに向き合おうとするエネルギーがわいてきます。
 稲葉さんの最新ソロアルバム(といっても、2年前くらいに出たもの)「Singing Bird」も、先日ようやくちゃんと聴いて、共感と励ましが絶妙に調合されている相変わらずの稲葉節に、ほれぼれしました。聴いていて嬉しかったのは、岡山の国道を歌った『ルート53』という曲。「喧噪に揉まれ成長しただなんてみっともない勘違いに気づいたよね」という歌詞が、ずうんと刺さっていい気持ちでした。稲葉さんの言葉は、もはや私にとって、ツボ押しマッサージ。そうそうそのへんそこそこそイテテテテああ気持ちいいー・・・となりながら、聴いています。またいつか、ライブに行きたいなぁ。長女はどうやら私と趣味が違いそうですが、次女はわりとロックなナンバーを好むので、一緒に行ってくれるかもしれません。

 実家から戻ってきた昨日と今日は、ぼけーっと過ごしました。ここのところ、実にぼけーっとしています。ぼけーっと過ごして、夕方にEテレを見て、泣きそうになっています。ぼけーっとするのも、涙もろいのも、春のせいでしょうか。ぼけーっとしながら、子供たちのことが、あれもこれも、心配です。たとえば次女のほっぺたにできた吹き出物とか、長女の抜けた歯がうまく生えるかどうかとか、幼稚園のクラス替えとか、そんな、時の流れに身を任せるしかないことばかり、心配しています。
by papiko-gokko | 2016-03-29 22:58 | Diary
駆けだした背中を追おうとして気づくもう赤ちゃんじゃなくなったこと
 岡山に住み始めて、2年が経ちました。来たばかりのころみたいな新鮮さはもうなくなったけれど、これといって不満もなく、日々快適に暮らしています。長女が幼稚園に通いだしたことで地域とのつながりができ、近所に買い物へ行くと高確率で幼稚園の人と会って、挨拶を交わすようになりました。子供のころからお店や飲食店で知り合いに会うのが苦手な私にとってこれはちょっとつらいことなのですが、親になった以上、そんなことは言っていられません。自分や子どもの存在を知ってくれている人が近所にいることは、とても心強い大切なことなのだから、前向きに捉えなくては。
 これから先、少なくとも子供たちが学校を出るまではこの地で暮らしていくのだろうけれど、私は子ども時代からずっと数年おきに引っ越しをして生きてきたので、長く暮らすという想像がいまいちうまくできなくて、考えれば考えるほど、心許ない気持ちになります。幼稚園のお母さんたちの話を聞くと持ち家の人もそれなりにいて、長女の友だちのところも数年後に買う予定だそうだし、上の妹も早く欲しいと言っているし、東京の友だちも家を買ったと聞いたりして、ああそうなのか、家ってそのうち買わなきゃいけないものなのか・・・と、33歳を目前にしながら、いまさら愕然としたりしています。それは、20歳を過ぎていつの間にか周りのみんなが車を運転できるようになっていたときの置いてけぼり感と同じで、車を運転したいとも、持ち家を欲しいとも思えない私は、一人前の大人として生きていくための大事なものが何か欠けているのだろうかと、これから先が不安になってきます。
 あまりにも方向音痴で注意力散漫すぎる私(身内からも免許取得を止められるレベル)は、ハンドルを握っている自分を想像するだけで身の毛がよだつし、どこに住んでもしっくり馴染んだためしのない私(いつも完全に馴染む前に引っ越してしまうから?)が持ち家を買ってしまったら、それはもう取り返しのつかないことになる気がして、明るい未来を想像できません。ポストに新築の広告なんかが入っていると、すてきだなぁとうっとり眺めたりするし、子供たちの駆け回れる広いおうちには憧れるけれど、それ以上に、いつでもどこかへ引っ越せる状態でいたいと思ってしまいます。
 しかし、人の親になった以上、やっぱりもうそんなことは言っていられないのか。ああ、考え出すとうっすらしんどい。思えばこれまでの人生、あこがれと理想を人生選択の最優先にしてきました。あこがれの引力を道しるべにして、渦巻く理想を原動力にして、生きたいように生きてきました。子どもが生まれてからも、それは変わらないけれど、いまは、あこがれや理想が、私のなかではっきりとしていなくて、うまく人生設計を思い浮かべることができていません。いつか明確なあこがれが発生したとき、選択肢をなるべく狭めず済むように、いまは貯金をがんばりたいです。
 どこでどんなふうに暮らすにしろ、愛する家族がいて、みんな家に帰るのが好きで、当たり前に日々笑ったり言い合ったりできる生活が続いていくならば、それ以上のことはないのです。そうか、いまこれといって次の一手が浮かばないのは、自分があこがれと理想の真ん中に、立っているからなのかもしれない。それならばとりあえず、毎日をじっくり積み重ね続けてみよう。2年前に私たちの選んだこの土地が、成長していく子どもたちにとって住み心地の良い、最高の場所であり続けることを願います。
by papiko-gokko | 2016-03-21 00:13 | Diary
手を伸ばし届く範囲と目を閉じて浮かぶ景色が大切なもの
 次女がお昼寝してくれて、絶好の日記タイム。何を書こう、どこから書こうと、うまく糸口を掴めないままパソコンの前に座っていると、わざとらしいほどの勢いで時間がずるずる過ぎていきます。著者を忘れてしまいましたが、何を書けばいいのか分からないときは、とりあえず身の回りの目に映るものを描写してみるとよい、そうするうちにだんだん言葉が広がってくる、というようなことを書かれている本を、いつかどこかで読みました。だから今日は、そんなふうに日記を書いてみることにします。

 まず、パソコンデスクの左端には、図書館で借りたビートルズ本が積み重なっています。まだほとんど開いていない本もあれば、けっこう読み進めた本もあります。最近は、寝かしつけのときなど私が本を手にとるたび、次女が「それ、びーとる?」と、聞いてくるようになりました。そのたびなんとなく、もじもじした気分で「そう、びーとる」と答えています。
 週末には家族で1時間半ほどカラオケにいき、ビートルズを3曲も歌いました。めちゃくちゃのカタカナ英語ですが、家族しか聴いてないから、いいのです。長女はEテレ「にほんごであそぼ」の『恋そめし』を振り付け付きで披露してくれました。歌も踊りも可愛らしくて大好きな歌です。次女は、同じくEテレ「0655」で聴いて以来のお気に入り『toi toi toi~おまじないのことば~』を、ノリノリで飛び跳ねて歌っていました。夫は往年のヒット歌謡曲を熱唱していました。だれもが、歌いたい歌を歌いたいように歌って、満足度の高いカラオケでした。

 パソコンデスク正面の壁には、先日自分で作って印刷した、ストレッチ一覧の紙が貼ってあります。どうもここのところ、冷え症が加速し手足がしびれやすかったり、気づくとへんな立ち方をしていたりして、運動不足による血行不良と日々の習慣からくる体の捻れを解消せねばと強く感じるようになったので、自分でメニューを作ってストレッチを始めたのでした。いまのところ、3日坊主にならずになんとか続いています。やはり、壁に貼るだけでかなり、3日坊主対策の効果があるようです。

 パソコンデスクの右側には、ブックスタンドがあって、仕事で使う本3冊と、クックパッドを印刷したものをまとめている(まとまりきらずはみ出している)ファイルと、幼稚園関係のファイル(ふくれてパンパン)が立てかけてあります。レシピなしで作れる料理のレパートリーが少ない私には、クックパッドがかかせません。日々、顔も知らないどこかの料理上手な人々のレシピに、助けてもらっています。つくづく、いい時代になりました。幼稚園のプリントは、どこからどこまで保管しておけばいいのか分からなくて、とりあえずなんでもかんでもとってあります。もうすぐ1年が終わることだし、整理しようかな。もうすぐ1年経つのか。長女が幼稚園に行き始めてからの1年間は、想像以上に長く感じました。入園なんて、3年くらい前のことのように思えます。しかし、あと1年通ったら小学生になるのかと思うと、とたんに、あっという間すぎる気分にもなります。

 キーボードの周りにも、あれこれものがあって、だらしない状況です。たとえば、リップクリーム。冬の初めに買ったけれど、あまり塗らずに春が来ました。それから、体温計と小児科の診察券。また子供たちが風邪気味なので、風邪薬をもらいにいったのでした。そのときのお医者さんの対応が微妙に冷たく思えて、必要以上に落ち込んだりしました。幼稚園でもすぐに、相手のちょっとした態度でへこんでしまったりするので、私はもっと、人の言動に惑わされない力を身につけたいです。
 それからほかには、次女の身長をはかったメジャーやら、化粧水やら。 次女は常に成長曲線ギリギリの小ささなので、つい、身長も体重も、こまめにはかりすぎてしまいます。体重なんて、毎日計って、たまに増えると大喜びしています。身長も体重も、次女なりに、ちょっとずつちょっとずつ、増えてはいるので、あまり神経質にならないようにしようと、頭では思いつつも、計ってしまいます。
 化粧水は、もうかれこれ8年くらい愛用しているオリーブ化粧水。肌荒れが酷くて何を使っても良くならなかった時期、岡山の牛窓に旅行したとき、母に買ってみたらと言われてダメ元で買ってみたこのオリーブ化粧水を使ってみたら、劇的に肌の調子がよくなったのでした。まさかあのときは岡山に住む日がくるなんて思っていませんでしたが、運命的なものを感じます。

 それから、私の膝には、ドラえもんの文庫本が一冊のっています。長女がドラえもんの漫画に興味を示し、私に漫画の基本的な読み方を聞いて、ひとコマひとコマ一生懸命読んでいるのですが、文庫なのでフリガナのない漢字も多く、特別に1冊だけ、一番長女が読みたがっている「恐竜編」の文庫に、えんぴつでフリガナをふってやることにしたのでした。ドラえもんの文庫すべてにふりがなをふるのは抵抗があるし大変だから、まだ読みたがるようなら、文庫ではなくドラえもんのコミックを買ってやるつもりです。人生初の漫画体験がドラえもん、とてもよさそうです。ちなみに私の人生初漫画は、『らんま1/2』の13巻と10巻でした。長女よりすこし大きくなってから、眼科検診の待ち時間に、母が買ってきてくれたのが、先にアニメで知っていて大好きだったらんまだったのでした。らんまも小学生くらいになったら、実家から持ち帰って読ませてみよう。

 デスク周りがごちゃついているおかげで、たくさんきっかけをもらって、書きたかったことを、思いのほか書くことができました。書いてみてはじめて、自分はこういうことが書きたかったんだと気づくこともあるのだな。ありがとうごちゃつき。これを書き終えたら、ちょっと整理をします。
by papiko-gokko | 2016-03-15 22:48
おやつおやつとはしゃぐわが子の声を背に一分間の黙祷をする
 東日本大震災から、今日で5年が経ちました。たしか去年も同じような事を書きましたが、あの日を境に胸に染みついた恐怖、悲しみ、怒り、不信感は、薄れるどころか、時が経てば経つほど、深く大きくなっています。震災の日以来、この世に生きている限り、どんな信じがたいことも起こり得るのだと、はっきり自覚して生きるようになりました。
 私自身の体験は、東京で、生後1ヶ月の長女を抱きしめて震えた震度5強の揺れと、めちゃくちゃになった部屋。そして、原発事故と、その後の混乱。なんでもないことだと必死に思い込もうとして、でもやっぱり、報道を見聞きする限り、とんでもないことが起こっているのは明白で、なんでもいいから確かなものにすがりつきたくて、だけど、どれもこれもがあやふやで、だれの言葉をどこまで信じればいいのか、分かりませんでした。生まれたばかりの小さな長女が、得体の知れない危険にさらされていることが、辛くて悔しくて、たまりませんでした。あのころのことを思い出すと、黒い感情が渦巻いて、みぞおちのあたりが、重く痛み、息を吸い込みにくくなります。あれだけの恐ろしいことが起こって、その現実と地続きの世界でこうして生きているのだから、この痛みは一生、消えないものなのでしょう。
 東京にいた自分でさえ、これほど生々しく、痛みが残っているのです。被災地で体験した人は、いったいどれほどの痛みを背負って生きているのか、想像するほど、言葉が見つからなくなります。この5年間で、震災直後は知らなかった被災地のさまざまな出来事を、テレビや書籍から、知る機会が多くありました。知れば知るほど、知ること、知ろうとすることには、意味があると、思うようになりました。あの震災の日を生き、そして今日も生きている私は、あの日どれほどのことが起こったのかを、知り続けなくてはいけない、知って、考え続けなければいけないと、強く思っています。
 人生で一番の恐怖を味わったあの日、理解を超える恐怖にみまわれたとき、人はとてつもなく強烈に人を求めるのだということを、身をもって知りました。ふだん、人との交流に苦手意識ばかり抱いている私が、あのときだけは、とにかくだれかと一緒にいたい、一人でいたくない、人と会話をしていたいという思いでいっぱいでした。震災直後に来てくれた友だちや義母たちの存在に、どれほど救われたことか。そのことを私は、このさきも覚えておきたいです。どんなにコミュニケーションが苦手で一人でいるほうが気楽だなんて言っていても、いざとなったら私はとてつもなく強烈に人を求めるのだということを知ってしまったことは、私を少し弱く、生きにくくしたけれど、それだけ大切なことを学んだのだと思います。
 出産で世界が変わり、震災で価値観がひっくり返り、2011年を境に、あまりにも大きく、自分の内側が変化しました。もし、震災がなかったら、いまどこで、どんなふうに生きているのだろうかと、たまに思いを巡らせます。考えてもしかたのないことだけれど、考えずにはいられません。たぶんいろいろなことが、少しずつ違ってきていて、いまとはまったく違う人生が、そこにはある気がします。だからなんだと言われればそれまでですが、それくらい、東日本大震災は、私自身の人生にとっても、大きなことでした。
 書いても書いても、うまくまとまりません。まだたった5年。まとまるはずもないのかもしれません。とにかく以上が、震災から5年経ったいま、私の思うことです。
by papiko-gokko | 2016-03-11 23:16 | Diary
玄関を開けて最初に吸い込んだ空気のまるみ春が始まる
 ぽかぽか急に、春の日射しです。ちょうど一週間くらい前、いつもより少し早く幼稚園のお迎えに行った日、年長組さんと先生が、声をあわせて「サクラ咲いたら一年生~♪」と歌いながら、園庭の桜の木を見上げて歩いているのを見ました。ひとしきり歌い終えて、「あ、ほら、この木、つぼみあったよ」と、先生が桜の幹を指さすと、子供たちも一生懸命に背伸びをして、「ほんとだ!」「こっちも!」と、口々に言い合っていて、なんてのどかな光景だろう・・・と、思わず涙ぐんでいたら、長女のペアだった女の子が、私のそばを通り過ぎるときに手を振ってくれました。あの日つぼみだった桜の木の一部が、週末からの暖かさで、今日かなり開花していました。いよいよもう来週は、卒園式です。

 先日、暖かくなる一歩手前の日に長女の参観日があり、「春を感じるものってどんなのがあるかな」という先生からの問いかけに、みんなが「さくら!」「チューリップ!」「たんぽぽ!」と、花の名前を言い合うなかで、長女が「くうき!」と言って全体の流れを止め、先生が「くうき・・・ふじ、のことかな?藤の花も、春に咲くね」とフォローしたのですが、長女は首を振って「くうき!く・う・き!」となおも言い続け、全体を微妙な空気にしてしまいました。そのときは、どうしてあの子は空気という言葉にこだわっているのだろうかとハラハラしたのですが、今朝、外に出てみて、ああ、空気がぜんぜん違う!と感じ、本当だ、春は空気からやってくるんだ・・・と、参観日の日に長女の言っていたことの意味を理解しました。そして長女が、ちゃんと自分の感覚で春を感じてそれを人に伝えようとする子に育っていることを、嬉しく思いました。そういえば私は毎年、春がくるたび「空気が違うねえ!」と、長女に向かってよく言っていた気がします。それを心のどこかで、覚えていてくれたのかもしれません。先生も、今朝の空気を吸って、長女の言っていた言葉の意味に、気づいてくれていたらいいな。

 この週末は、県立図書館へ行って、本をたくさん借りました。今回はなんと、ビートルズ関連の本を、10冊も借りてしまいました。ビートルズにはまってそろそろ1年が経ち、楽曲を聴くだけでは飽き足らず、映画を見たりネットで情報を仕入れたりしているうちに、もっともっと深いところまで知りたくなり、借りてみたい本をメモしたリストを司書の人に渡したら、さすがは図書購入冊数全国1位の図書館なだけあって、メモした本すべて書庫から出してきてくださり、借りることが出来たのでした。嬉しいです。とても全部は読み切れそうにないけれど、こんな本が出ていたんだなぁと、手にとってぱらぱらめくるだけで、十分に幸せです。なにかを大好きになって、その大好きなものにいろんな触れ方をして心をふくらませながら暮らせることは、本当に幸せです。雨じゃなく飴玉が降る世界で、さかさまの傘を広げて歩いているみたいに、めいっぱい甘い幸せです。

 もちろん私の本だけでなく、夫と、子供たちの本もたくさん借りました。最近、親子で中川李枝子童話にハマっていて、今回も『森おばけ』を借りてみました。『ももいろのきりん』は長女が最初に大好きになった児童書だし、『いやいやえん』も好きで何度か読んだし、少し前に借りた『かえるのエルタ』も『ガブリちゃん』もすごくおもしろくて、読み聞かせながら、私も一緒にワクワクして物語のなかに入り込んでいます。長女なんて、読み聞かせの最中に、足をバタバタさせながら「くふふっふ」と布団に潜り込むほど楽しんでいます。
 大きな字で書いてある1年生向けの児童書なら長女が自分で読むようになり、読み始めるとあっという間に読み終わるので、びっくりします。それはもちろん嬉しいことなのだけれど、こうしてどんどん自分で読めるようになったということは、長女が私の読み聞かせを喜んで聞いてくれる日々が、いよいよ終わりに近づいてきているということなのかと思うと、何とも言えず、寂しい気持ちになります。これといって立派な信念を持つわけでもなく日々迷ってばかりの子育てだけれど、絵本の読み聞かせだけは毎日、熱のある日すら欠かさずに続けてきました。だから、読み聞かせを喜んでくれる期間が終わるということは、私の子育ての、大きな一つの区切りになる気がします。
 年長さんの卒園や、長女の進級を目前にしていることもあってか、読み聞かせのことに限らず、長女が小さな女の子でいてくれる期間が、もうほんのわずかになってきていることを、最近感じる場面が多くなってきました。まだ抱っこはできるけれど、ずいぶん重たくなったし、子守歌を歌わなくても眠れるし、朝の準備も、ほとんど一人でできるし、言うこともしっかりして、私が手を貸さなくても、私が知恵を貸さなくても、歩いていける少女へと、着実に変化しつつあり、小学生になったら、ついに私の送り迎えなしに、登下校するようになるのです。そう考えると、これから始まる1年が、これまでにも増して、とてつもなく貴重なものに思えてきます。なまいきになってきたけれど、それでもまだ、童謡を歌えば素直に喜んでくれる、5歳の長女。あと1年の幼児時代、たくさん読み聞かせして、歌って、たくさん手をつないで、たくさん抱っこして、大切に過ごしたいです。
by papiko-gokko | 2016-03-07 22:52
念入りに値札をはがし人を避け一眼レフでつくる楽園
 家族で過ごした、心地よい週末。
 土曜日は、図書館へ行って、持ちきれないほど本を借りました。次女向けの絵本数冊、長女が自分で選んだ児童書数冊、それから夫と私の本がそれぞれ数冊、家族全員の貸出カードを使って借りました。私は図書館で限られた時間内に本を選ぶ能力がいつまでも上達しませんが、今回はわりとおもしろそうなものを見つけることができて、胸が躍りました。子供たちも、書店と違い図書館では気になった本を何冊でもどさどさカゴに入れられるから、それが嬉しいようで、のびのびと選んでいました。しかし、家族で図書館へ行く時間が、最近とても好きです。子供たちが大きくなっても、いつまでも一緒に行けたらいいなぁと思います。
 図書館のあとには公園にも行って、少し子供たちを遊ばせました。すべての遊具にガツガツ食らいついていく長女とは対称的に、次女はそれほど積極的に遊具で遊ぼうとせず、ちょっと歩いてはしゃがんで、足下の砂をいじったり、落ちていた枝や木の実を拾ったりしていました。

 そして今日、日曜日は、春先の海を見にいきました。
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 穏やかに晴れた昼下がりの海岸には、うちのような子連れの家族や、カップルや、それからなにやらスポーツクラブの子供たちでほどほどに賑わっていて、なかには波打ち際で裸足になって、本格的な砂遊びをしている子もいました。
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 砂浜には、小さな貝殻が無数に落ちていて、長女も次女も、砂浜に降りるなり目を輝かせてしゃがみ込み、貝殻を拾い始めました。しかし貝殻を拾う想定はしていなくて、袋も何も持ってきていなかったので、ふたりともポケットにせっせと貝殻を詰め込んでいました。瀬戸内海の波は、子供たちをそっとあやすように、たっぷんたっぷん優しく打ち寄せ、彼方にはいくつもの島や船が見えて、子供たちを喜ばせてくれました。
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 キラキラ輝く海はきれいで、子供たちの姿をファインダーごしに見ると、なんだか絵本の1ページのようで、思わず、たくさん写真を撮りました。私はわが子を、絵本の世界の住人にしたいのだろうかと、心の半分で自分をあざ笑いながら、どんどんシャッターを切りました。
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 広々とした景色のいい場所で、お気に入りの洋服を着せた子供たちの写真を撮るのが、とても好きです。写真のなかでだけは、自分の憧れや理想を、シャッターを切るその一瞬に、閉じ込めることができるからです。現実の子育ては、理想通りにいかないことだらけだけれど、だからこそ、写真の世界にそれを求めてしまうのかもしれません。他者や俗物の映り込まない、そんな稚拙な楽園を、カメラで切り取る一瞬でなら、実現することができるのです。だからいつもビデオより、写真をたくさん撮ります。
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 海でひとしきり遊び、写真をとりまくったあとは、海岸のすぐそばにある水族館へ行きました。長女はどの魚も水槽に張り付いて興味深そうに眺めていましたが、次女は薄暗さと動く魚介類の異様さを恐がり、ずっと私にしがみついていました。ただ、外にいたアザラシと亀のことは、かわいいかわいいと言って、喜んでいました。今度は動物園に連れて行ってやりたいです。
 海を見ると、それだけで不思議なくらい気持ちがすっきりして、元気がでました。海と本能には、やっぱり、密接な関係があるのだろうな。よい週末でした。
by papiko-gokko | 2016-02-29 00:02 | Diary
あらかじめ台詞が決まっているような会話あふれる陽だまりのなか
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 長女が幼稚園に行っているときは私にくっついて周り、長女が帰ってきてからは、長女にべったりの次女。2歳になってから、ますます甘えんぼ度が増しています。甘え方を心得ていて、「おかあちゃん、だいちゅきー」と、首筋に抱きついてきたりするので、そのたび、世界一気持ちいいとされる毛布に顔をうずめているような幸福感に浸っています。髪の毛を結うととても喜び、その延長で、最近は長女や私の髪の毛をもてあそんで遊ぶようにもなりました。2歳のころの長女にはまだあまり髪がなかったので、次女のこういった行動は、私にとってとても新鮮です。
 そんな次女に私がメロメロすぎるので、夫からは最近よく、次女を甘やかしすぎだと言われてしまいます。もちろん悪いことをしたときには叱るようにしているのですが、なぜだろう、次女に対しては、怒りを持続できないのです。可愛くて可愛くて、へなへな怒りがしおれて、怖い顔を作っていたつもりが、いつのまにか頬が緩んでしまっています。末っ子パワーのなせるわざなのでしょうか。しかし、もうきちんと悪いことを教えていかなければいけない年齢になってきているのだから、親として、なんとか心を鬼にしていかなくては。
 とはいえ、長女が次女と同じくらいのころも、まだそれほど強く叱ったりはしていなかった気もするのです。いまは長女が大きくなって、長女のことを厳しく叱るので、それでよけいに傍から見ると、次女に対する甘さが目立つのかもしれません。5歳児と2歳児で叱り方に差がでてしまうのは仕方がないと思うけれど、あまり長女にばかり厳しくしているような感じになってもいけないし、かといって、次女にもう少し厳しく、長女にもう少し優しくすればいいというような、そんな単純なことでもないし、どうしたものか。年齢ではなく、罪の重さで怒り方を変えればいいのかもしれませんが、次女の罪の重さときたら、たとえばテレビを壊したりするレベルなので、大変です。
 最近は食事中のお行儀が本当に悪くて、まじめに食べないのでいつも私と夫で叱っているのですが、いまいち改善しません。長女が私や夫から本気で叱られているところを何度も見ているから、自分がちょっとやそっと叱られても、怖がらないのです。長女に対するのとは違う、次女に対してのみ有効な新しい叱り方を、見つけ出す必要がありそうです。

 そんなふうに、家では私や夫がいくら叱ってもケロリとしている次女なのに、家から一步出たとたん、クリスタルメンタルになります。今日も、幼稚園へお迎えに行って園庭で長女のクラスが出てくるのを待っているとき、次女が入って遊ぼうとして近づいていたおうちに、ほかの子がタタタッと走ってきて入り、すぐさまドアを閉めたので、それだけでもう、しゃがみこんで泣き出してしまいました。自分の行動に他者の意思が介入することが、とてもきらいなのです。
 もし3年保育で入園なら、来年のいまごろにはそろそろ1日入園などあって、いよいよ入園間近という時期ですが、現時点の次女を見ている限り、あと1年で入園できるとは、とても思えません。早生まれだし、どうやらかなり小柄なほうだし、そのうえ内弁慶の甘えんぼだから、そんな次女を3歳で集団に入れると、楽しいと感じることより、しんどいことのほうが、多いかもしれません。長女の場合、3歳ごろになるともうぜんぜん人見知りしなくて、お友だちと遊びたくてたまらない様子で、むしろ3年保育でもよかったぐらいだったので、次女は3年にしようかとも考えていましたが、やっぱり長女と同じように2年保育にしようかなぁと、いまはそちらのほうに考えが傾いてきています。どうしたってあっという間に成長して私から離れていくのだから、次女がべったり甘えてくれるあいだは、できるかぎり長くそばにいたい気持ちも、強まってきています。次女は長女と性格がだいぶ違うので、2年にするか3年にするかは、長女のときの経験にとらわれすぎず、慎重に決めたいと思います。

 
by papiko-gokko | 2016-02-23 23:11 | Diary
八割は予定調和で過ぎていき残り二割で今日が色づく
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 土曜日は雨で1日じゅう家にいて、朝起きてから夜寝るまでずーっと、長女のごっこ遊びに付き合わされました。いま長女がはまっているごっこは、長女演じるかわいこりぼんちゃん(小学3年)と、次女が演じる妹のかわいこハートちゃんが織りなす、オリジナル学園ストーリーです。私はりぼんちゃんとハートちゃんの通っている学園の教師、ほしぞら先生役を、1日通してやらされました。
 最近の長女のごっこ遊びにはいろいろと細かい設定があって、それを聞いているだけで、一つの物語が浮かび上がってきます。たとえば、りぼんちゃんとハートちゃんには、とてもこわいお父さんとお母さんがいて、その名も、こわどおこり(母)と、こわどコラ(父)。すごく怒るので、りぼんちゃんとハートちゃんは、学園でたくさん勉強をしなくてはいけないという設定なのでした。
 りぼんちゃんとハートちゃんは、カバンをもってあちこち歩き回り、「先生、つぎは何のお勉強をすればいいですか」と私に尋ね、お歌を歌ったらどうでしょうと私が言えば、歌の絵本をカバンから取り出してひとしきり歌い、お料理の時間ですと言えば、おままごとでお料理し、お片付けしましょうと言えば、しぶしぶながらもお片付けをして、何をするときも、ご飯を食べているときさえ、長女はりぼんちゃんになりきりつづけていました。次は何をすればと聞かれすぎて答えに困り、「絵の具でもすれば」と答えてしまったために、面倒な絵の具の準備をするはめにもなりました。絵の具は準備も後片付けもわりと大変なので、たいした絵が描けなくても、絵の具で遊ばせてやれた日はそれだけでなんとなく、育児をがんばったような気分になれます。
 いつまでもごっこ遊びをやめない長女を見ていると、私も幼児のころ、同じように朝から晩まで何かになりきっていたのを思い出しました。あまりにも長くごっこ遊びの世界に浸かりすぎて、まるでお風呂で手の皮がふやけるみたいに、現実とごっこ遊びの境目がふやけてきて、現実がごっこ遊びの世界に飲み込まれてしまいそうになる、そのあやうい感覚を楽しんでいたのでした。そして今でもまだあちこち、ふやけっぱなしの境目が、私の世界にはあるのです。

 日曜日の今日も、空は晴れていたけれど、私の気分と夫の体調がいまいち晴れやかでなかったので、長女と夫が近所のスーパーへ出かけた以外は、1日家で過ごしました。夫が作ってくれた服を着てみたり、夫と長女の将棋をそばで見て長女に下手なアドバイスをして飛車を取られたり、次女の髪の毛を三つ編みにしたり、ホットカーペットに体をくっつけられるだけくっつけて本を読んだり、むせそうな勢いでオレオを食べたり、積み木に興じたりして、のんびりだらだら日曜日を満喫しました。おでかけの休日もいいけれど、こういう日曜日もまた、こよなく愛しています。
by papiko-gokko | 2016-02-20 23:07 | Diary


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