日記と短歌
by papiko
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次女生後4ヶ月と、ゴールデンウィークのことなど。
 5月4日で、次女が生後4ヶ月を迎えました。昨日4ヶ月検診と予防接種(ヒブ・肺炎球菌の3回目と、4種混合の2回目)を受けてきたところです。4ヶ月検診の結果は、身長が小さくて成長曲線からちょっと外れてしまった以外、とくに問題なく、首もしっかり据わっていて、順調でした。身長に関しては、私も夫も低いほうだし、長女も0歳代のころは、ぎりぎり成長曲線の内側に入っているような状態だったので、これはもうきっと遺伝なのだろうということで、あまり気にしないことにします。先生からも、気にすることはないでしょうと言われました。
 神妙な面持ちの長女に見守られながら注射を3本も打ち大号泣した次女は、それでも家に帰るころには、持ち前の明るさを取り戻し、にこにこ笑っていました。新生児のころからなんだか愛嬌のある子だなぁと思っていましたが、月齢が進むにつれ、ますますそれが顕著になってきて、本当に愛想がよくて、おっぱいと睡眠が足りていてだれかに抱っこされてさえいれば、だれにでもにこにこ笑いかけます。とにかく人が好き、人と目を合わせることが好きな子です。おもちゃを持たせても、相変わらず、おもちゃより人の顔に興味があって、あまり長時間おもちゃで遊ぶということはまだありません。おもちゃより、何をしでかすか分からない長女を眺めているほうが楽しいのでしょう。
 つぎはまた1ヶ月後、BCGと4種混合の3回目を打ちに行きます。まだ注射に対する恐怖のないうちに、こうしてどんどん打ってしまえるのは、子どもにとっても親にとってもありがたいことです。

 ゴールデンウィークは、夫の実家で3泊4日し、姪っ子(5歳)と甥っ子(1歳)がやってきてにぎやかに過ごしたり、6歳と1歳の女の子のいる友達一家と一緒に藤子・F・藤雄ミュージアムに行ったりもしました。たくさんの人と触れ合って、長女も次女も、一回り成長した気がします。とくに長女は、年の近い子と遊んだり、義母とチュロス作りをしたり、義祖母と歌ったりしたことで、たくさん印象深い思い出ができたようでした。私もそんな子どもたちを見ているのが嬉しくて、とても愉快な、充実した4日間でした。
 大変だったのはやはり行き帰りの新幹線で、とくに帰りは、最後の20分がめちゃくちゃでした。それでもなんとか無事行って帰ることができて、ほっとしました。ほっとしたらどっと疲れがでて、昨日から急に歯茎が痛み出したり、唇ヘルペスができたりしました。ちょっと身体を休めて免疫力を高めろよという合図なのだと思います。長女も鼻水を垂らしています。しかし子どもたちはもっと体調を崩して熱を出したりすることも覚悟していたので、この程度で済んでよかったです。
 ゴールデンウィーク明けの今週は、なんだかだるくて、あらゆるスイッチが入らなくて、ついつい、ぼーっとしてしまい、ぬか漬けのキュウリを持ったままぼーっとしていて長女に「それ、洗うんだよ」と教えられたり、救急箱を開いてから「なんだっけなんだっけー思い出せないよなーにくん・・・」とつぶやいていたら長女が「体温計で次女ちゃんのお熱を測るんだよ」と思い出させてくれたり、買い物の帰り、買い物袋が重くて「重たいよー重たいよー」とだらだら歩いていたら、長女が「これ持ってあげるよ」と日傘を持ってくれたり、長女に引っ張られてなんとかやっている感じです。日常的に私がこんな体たらくなので、長女はしっかり者になりそうです。気持ちを切り替えて、しゃきっとせねば。
by papiko-gokko | 2014-05-09 22:51 | 月齢ごとの成長記録(次女)
夫の実家に里帰りして、横浜と東京を満喫した5日間のこと。
 夫の実家、横浜に5日間滞在し、昨日の夕方帰ってきました。毎日大ハッスルだった娘は昨日空港についたあたりから鼻水が出始め、今日は微熱もあって、ちょっと風邪気味です。そのせいか、元気ではあるもののやはり少し不機嫌で、泣いてばかりいました。横浜滞在中の5日間はほとんど泣かなかったから、5日分まとめて泣いているようでもありました。

 滞在中はほぼ毎日、義姉が4歳の姪っ子と今年1月に生まれたばかりの甥っ子を連れてきて、そのたび娘は姪っ子と大はしゃぎで遊びました。横浜へ行く前に、姪っ子が弟を溺愛しているということを聞いていたので、もしもそれで娘が疎外感を味わって寂しい思いをしたらどうしようなんて心配していたのですが、それはまったくの杞憂でした。姪っ子も娘も、年の近いいとこの存在に夢中で、まだねんねの甥っ子のことは、気にしつつも二の次といった感じで、同じ年代の子供同士にしか分からないわけのわからないことで大笑いして、飛び跳ね転げまわって遊んでいました。それに、ふたりとも、お互いの生活習慣が気になってしかたないらしく、食事のときなど、自分のお皿より相手のお皿ばかり見て、お互いに「のこってるよ!」とか「こぼれてるよ!」とか言って世話を焼きあっていました。

 5日間のうちの2日間は、姪っ子が娘と遊ぶために保育園を休んでくれて、お昼前から夜まで一緒に遊びました。そのうちの1日は、せっかくだから都会ならではの遊び場所にいってみたいという私の希望で、デパート内にある有料の屋内遊具施設に行きました。靴を脱ぎ、子供たちは靴下も脱いで、大人たちは保護者のしるしであるカードを首からぶらさげて中に入ると、そこには、トランポリンやら、ボールプールやら、おままごとスペースやら、とにかくありとあらゆる子供が喜びそうな原色の遊具が所狭しと設置されていて、たくさんの子供たちが飛んだり跳ねたりして遊んでおり、普段私たちの遊んでいる貸切同然の公園とはまるで異なる世界に、娘も私も夫も圧倒され、萎縮してしまいました。
 この施設にこれまで何度も遊びに来たことのある姪っ子は、ぱあっとトランポリンのほうへ走って行き、娘も必死でそれを追いかけてトランポリンに上ってみたものの、たくさんの子供たちが飛び跳ねていて揺れるトランポリンは娘の顔を恐怖感でこわばらせ、しかし、見かねた私がトランポリンの横から手を伸ばして、「こっちへおいで!」と言っても、声が届かなかったのかあえて無視したのか、娘は私のほうを見ようともせず、10メートルくらい離れたところにいた姪っ子に向かって、トランポリンの上をこれまで見たこともないような速さで、びょびょびょびょびょびょと走っていきました。きっと恐ろしくてたまらなかっただろうに、そのなかで娘が頼る相手が私ではなかったことが、すごく意外で、少しショックでした。
 トランポリンのあとはボールプールに少しだけ行き、だけどそこでもやはり、姪っ子の遊び方にはまだ娘は付いていけなくて、ちょっと歩いただけで終わり、後半はもう、隅のほうにあったマグネット遊びをはじめて、同じ形をひたすら積み上げるという遊びに徹して、姪っ子からトランポリンにもう一回行こうよと誘われても、「いまこれやってるんだから」と断り続けていました。娘がマグネット遊びを始めてくれて、私としては、内心ほっとしていました。娘が恐怖感で顔をこわばらせているのをそばで見ていることしかできないなんて、耐えがたくて、涙が浮かんでしまいます。トランポリンごときで大げさだけど、本当に、娘がトランポリンにいる間ずっと、私は泣きそうでした。だけど周りを見渡すと、義母も義姉も、それにほかの保護者の方々も、おだやかな顔で楽しそうに子供の様子を眺めていて、どうすればそんなふうに穏やかでいられるのか、一人一人に聞いて回りたい気分でした。慣れなのだろうか。

 姪っ子が保育園を休んでくれたもう1日目のほうは、ピクニックに行くことになっていました。ところが、義母の作ったお弁当を持って車に乗り込み、公園に付いたあたりで雨が降り出してしまいました。これは中止かな・・・と、私も夫も義姉も、思ったに違いありません。しかし、義母は違いました。とりあえず屋根のあるところでお弁当を食べよう、と言うのです。そんなわけで、義姉と甥っ子は車で待機し、私と夫と娘と義母と姪っ子の4人で雨のなか傘をさして公園をありき、屋根のあるところでお弁当を食べて、デザートのおやつもたべて、さらには、3月並の気温のなか、ソフトクリームも食べて帰りました。
 デザートのおやつも、ソフトクリームも、姪っ子や娘がその場でぐずったから食べたわけではありません。出発前に姪っ子が義母と「お弁当のあと、おやつも食べようね」「ソフトクリーム買って食べようね」と話していたこと覚えていた義母が、その約束を率先して果たしたのです。これは、子供のわがままに振り回されるのとはまったく種類の違うことです。お弁当を食べ終えた時点でかなり体が冷えてきていたから、このときいた大人が私と夫だけだったら、出発前の会話を覚えていたとしても、「デザートは家に帰ってから食べようね」「ソフトクリームはまた今度、あったかいときにしよう」と言って、諦めさせたに違いありません。しかし、それはあくまでも大人の割り切り方であって、子供の心は、そんなふうに簡単に割り切れるかたちにはできていないのです。だから、子供たちの心を汲み取り、雨のなかでもできることを最大限して誰の心にも悔いを残さなかった義母の心意気に、私は心底惚れました。結果、姪っ子も娘も、雨で遊べなかったにも関わらず、大満足の笑顔で公園をあとにしました。
 ピクニックが雨で短く終わってしまったので、その日も後半は、屋内の遊具施設で遊びました。最初にいったところよりは規模の小さい、幼児用の車やら風船やボールプールなどがあるところで、最初の日よりは娘も萎縮せずに遊んでいました。ただ、いろんなことをして遊ぶのよりも、自分の定めたひとつの目標に向かって黙々と作業を続けるような遊び方が好きらしく、ボールプールではへりに飛び出したボールをすべてプールに戻していく作業に没頭していました。そしてときおり「ボールが、たいへんなことになっている・・・」とつぶやいていました。たしかに、ボールプールって、ボールがたいへんなことになっているよな。

 それから、今回のメインイベントとして、三鷹の森ジブリ美術館にも行きました。大学時代の友達2人と、友達の子供(5歳の女の子と、去年12月に生まれたばかりの次女ちゃん)と吉祥寺で待ち合わせて、そこからバスで美術館まで行きました。吉祥寺までは電車だったのですが、ちょうど朝のラッシュ時とかぶってしまい、私も娘も若干青ざめながら、東京っぽさを味わうことができました。久々にたくさんスーツの人をみて、働いていたころを思い出して、どきどきしました。自分が東京のスーツの人たちと同じ場所で働いていたなんて、嘘みたいです。
 到着してすぐ、子供ちゃんが娘に、お揃いで手作りしたというきらきらのブレスレットをプレゼントしてくれました。プラスチックのきらきらをつなげた、女の子から女の子へのプレゼント、ああ、なんてかわいいんだろう。はじめて手にするきらきらに、娘も嬉しそうでした。ジブリ美術館では、まずネコバスのある場所へ行って、娘と子供ちゃんふたりが遊びました。ネコバスのなかはいかにもふわふわしていそうで、私も小さくなって入りたい気持ちでいっぱいでした。娘は、どちらかというと、ネコバスよりも、そのそばにいくつか置かれていたまっくろくろすけに興味を示し、まっくろくろすけをネコバスのなかにひたすら入れていくという作業に没頭して、最後のひとつまですべてねこバスの中に入れてしまうと、満足げに自分も中へ入って寝転び、それから再び今度は、ネコバスの窓から、ネコバスのなかに入れたまっくろくろすけを外に出すという作業をせっせと始めました。一体どういう子なのだろう、私の娘は。
 ネコバスのあとは、屋上のロボット兵を見たり、各種展示を見たり、食事をしたり、それから、ミニシアターで『メイとこねこバス』を見て感動し、やっぱり宮崎監督はすごい!と改めて感じたりして、美術館をしっかり満喫しました。娘がちょろちょろするので、常に前かがみで娘の手やら肩をつかみながら歩いていて、それを見ていた友達が「ちょっとほっといてみたら?お母さんにかまってほしくてわざと暴れるだけで、ほっといてみたら意外と遠くまではいかなかったりするよ」というので、ためしに手を放してみたら、たしかに、さほど遠くまで行ってしまうことはなくて、はっとしました。私はどうも、少し過保護すぎるというか、娘に及ぶ危険や他者への迷惑の可能性を勝手に妄想して先回りして動きすぎているのかもしれません。解き放つ勇気を持たなくては。
 0歳の次女ちゃんはずっと友達がおんぶしていて、ときどきおなかがすいて泣き、そのたびお姉ちゃんになった子供ちゃんが「おっぱいあげてきなよ」と言い、友達があげにいっているあいだはいつも、少し心もとなさげにしながら、伏し目がちで口をきゅっと結んで、弱音一つはかずに、じっと待っていて、その様子に胸がぎゅっとなりました。これは、同じくお姉さんになったばかりの姪っ子を見ていても感じたことですが、子供ちゃんも姪っ子も、妹や弟、そしてその子を抱いているお母さんのことを、すごく大事に思っていて、労わろうとしているのが分かりました。これまで私は、第二子ができると上の子が不安定になりがちなのは、母親を取られる気がするからなのだろうとばかり思っていましたが、それだけではないのだと、今回ふたりを見ていて気付きました。赤ちゃんができて大変そうなお母さんを見ていると胸が痛んで、お母さんのことが、これまでよりもずっと大事に思えて、甘え方が分からなくなったりして、不安定になるのかなぁと思います。はたして私の娘にもそんな優しい心があるのだろうかと思いをはせてみるけれど、いまの娘からはとても想像がつきません。

 そんなふうに、毎日いろんなところへ行って、いろんな刺激を受けたし、夜にはいつも義母が美味しい料理を作ってくれて、5日のうち2日間は義兄もきて、みんなでにぎやかに食卓を囲い、本当に、本当に、楽しい5日間でした。実際に横浜の人たちに会うまで私は、娘が横浜の人たちに迷惑をかけないようにしなければなあなんて、そんなスタンスでいたのだけれど、それは間違っていたとすぐ気づきました。義母も義祖母も義姉も義兄も、大人たちはみんな、娘を当たり前に身内として迎え、身内として褒めたり、叱ったり、教えたり、かわいがったりしてくれて、ああ、そうだ、身内っていうのは、迷惑をかけないようにしなければならない人たちじゃなくて、私や夫と同じ側から、娘のことを一緒に育ててくれる人たちなんだと気付いて、それがうれしくて、幸せで、最終日が近付くにつれ、離れがたい思いでいっぱいになりました。娘と姪っ子が楽しそうなのを見ても、今度は9ヶ月も間をおかずに、近いうちにまた会いに行きたいと思います。娘には、横浜の人たちから、これから成長の過程ごとに、どんどんたくさんのことを学び、感じ取ってほしいです。
 横浜の人たちも、それに、今回会った友達も、心地よくて、楽しくて、大好きな人たちです。まだ帰ってきたばかりだけど、もうすでにまた早く会いたいです。すばらしい5日間でした。

 
by papiko-gokko | 2013-04-14 01:44 | Diary
約束は「はるになったら」封筒の宛名めがけて春が始まる
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 ハサミを使った娘の初作品、ライオン。はがきより一回り小さい厚紙をハサミで切って遊んでいて、四方に入った切れ目がライオンのたてがみみたいだなぁと思ったので、「ライオンさんみたいだね、ライオンさんのお顔描いてよ」とクレヨンを渡したら、「ライオンのおめめはね、すごくすごおくおおきいんだよ、とんがってるんだよ」と言いながら、かっこいい顔を描いてくれました。三角のものは牙なのかな。

 今日の娘は、朝からおしゃべりが大爆発していて、食事中と読書中以外、トイレでもお風呂でもとにかくひたすらずっとずーっと、なにかをしゃべっているか歌っているかで、声を発し続けていました。しかも、お昼寝をしていないにも関わらず、夜になっても興奮気味で23時前まで起きてしゃべり続け、私のほうがもういい加減くたくたになってしまって、「もう夜なんだよ!」と教えたら、「よるじゃないー!よるじゃないー!よるじゃないー!」と、ぼろぼろ涙を流して泣き出しました。続けて「ねんねしたら、あさがくるんだよ」と教えると、一瞬泣き止んでから、「ねむくないー!ねむくないー!」とまた泣きました。しかしそうやって泣きだしたということは、もう相当に眠気がきているということで、『いないいないばあ』のモウフの歌を歌ったら、すうっと瞼がおりました。
 夜がきたという事実だけで、子供の心は深い悲しみと恐ろしさに包まれるのだよなぁ。そういえば私もそうでした。寝つきの悪い子供にとって、夜って本当にやっかいな時間です。べつに寝なくていいよ、遊んでいいよと言ってあげたい気持ちはやまやまなんだけれども、夜8時を過ぎるともう私の気力と体力が限界になってしまって、お願いだからもう寝てください!という気持ちになります。明日は猛烈に楽しみにしているドラマがあるのだから、すんなり寝てくれますように。

 それから今日は、書いておきたいことがもう一つ。とても嬉しくて幸せな気持ちになることがありました。娘に生まれて初めての、おてがみが届いたのです。差出人は東京にいる、3つ年上のおともだち。よくうちにきて遊んでいた、友達一家の子供ちゃんです。娘の好きなりっくまちゃん(リラックマ)の封筒のなかから出てきたのは、子供ちゃんが、娘あてと、私たち大人宛に描いてくれた、2枚の絵でした。どちらにも、私と夫と娘の似顔絵が描かれていて、それに、娘のほうのには、トトロも描かれていて、私たち宛の紙の裏側には、「はるになったらととろのびじゅつかんいこ」と、しっかり読めるじょうずなひらがなで書かれていました。なんて素敵なおてがみ!
 こんな素敵なおてがみをもらって、娘が喜ばないはずがなく、「これはパパ!これおかあちゃん!これ○○(娘)!これ、ととろ!」と絵を指差してはしゃぎ、文面を読み上げると「○○(娘)も、ととろ、いく!」と飛び跳ね、最後は両手に手紙を持って喜びの舞を踊っていました。そんな娘を見ていると、おてがみを出すのももらうのも大好きだった、自分の子供のころを思い出しました。とくに年上のお姉さんからもらったおてがみって、すごくすごく嬉しくて、何度も封筒から出しては開き、すてきな便箋の模様や、自分よりずっとじょうずな文字を眺め、そうしてまた最初の折り目通りに折って封筒に入れ直し封筒の厚みを楽しみ、貼ってあるシールに憧れ、ずっと大事にとっていて、実は今もまだ、幼稚園くらいのころにもらった手紙もとってあります。きっと娘にとっても、この生まれて初めてもらったおてがみは、宝物になることでしょう。当たり前に電子メールのある時代を生きる子供たちだけれど、それでもやっぱり、おてがみをかいたりもらったりする喜びは、私の子供のころと、きっとまったく変わらないどころか、むしろありがたみとか喜びが増しているような気さえします。明日さっそく、娘とお返事のおてがみをかこう。
by papiko-gokko | 2013-03-07 00:28 | Diary
人生はむずかしいなあオイチニと付けた弾みを持て余してる
 夏にも一度会った高校時代の部活の後輩が遊びにきてくれて、楽しい時間を過ごしました。「後輩」と書きながらなんだか違和感があるのは、先輩後輩だった時代からもう10年以上も経っているからで、それでも彼女はこんななんの先輩っぽさもない私を相変わらず先輩と呼んでくれるので、申し訳ないような、でもちょっと嬉しいような気持ちでいます。後輩の子は娘をたくさん可愛がってくれて、娘はずっとご機嫌でした。人の来ることが少ない我が家なので、たまにこうして誰かが遊びに来てくれると、普段なかなか思い浮かべる暇のない様々な人と出来事が次々に浮かんできて、会う前と会ったあととでは、頭の中がまるで違った景色になります。

 いま、久々に音楽をかけてこの日記を書いていて、スピッツのアルバム『おるたな』に入っていた、奥田民生のカバー曲『さすらい』を聴いて、いまさらながら、この曲の歌詞の威力に震えが走りました。そうだよそうだよ、歌の力って、こういうことなんだ。娘の青春にも、こういう力のある歌が寄りそってくれるといいなぁと思います。いまは童謡がほとんどだけれど、少しずつ、私の愛する90年代後半のJ-POPを中心に歌謡曲も聴かせて、娘と歌える歌をたくさん増やしたいです。
 娘と歌える歌といえば、最近娘が泣くといつも私が、「泣かないで泣かないで私の恋心~あの人はあの人はおまえに似合わない~」と、『あばよ』のサビを口ずさんでいたので、娘がこの歌を覚えて、「なっかないで、なっかないで、あたちの、ことろ、あのちと、あのちと、にあわないー」と歌うようになりました。そんなわけで娘が初めて歌えるようになった歌謡曲が『あばよ』です。この曲の作詞作曲は中島みゆきで、そういえば新生児のころから、娘は中島みゆきが好きでした。うん、いいと思う。
by papiko-gokko | 2013-01-13 00:30 | Diary
年下のおともだち。よく読んだ絵本その9
 今日は高校時代に部活で同期だった友達が、来年1月で1歳になる女の子を連れて遊びにきてくれました。今年の夏に会ったときは、外だったため娘がじっとしていなくて本当に軽くお茶をするだけで終わってしまい残念だったので、今回はうちに呼ぶことにしたのでした。娘にとって、年下の子と遊ぶのはほとんど初めての経験で、どんな感じになるのかなぁちゃんと遊べるかなぁと昨日から少し緊張していたのですが、そんな心配をよそに、娘は待ち合わせした場所に迎えに行くときから「おもだち、むかええにいくのねえ」とノリノリの様子で、来てからもほとんど機嫌を損ねることなく楽しそうに遊び、バイバイまでずっとご機嫌でした。
 娘のちょうど丸1年違うその子は、現在づかまり立ちの時期で、もうちょっとで歩けそうな気配で、ああこんな感じだったっけなぁと、遠い遠い昔のことのように思い出しました。娘が生まれてからの日々はあまりに濃厚で濃密で、まだ歩かなかった日々がたった一年前のことだなんてとても思えません。ちっちゃな前歯が2本生えたお口であぶあぶおもちゃを噛みながらつかまり立ちしている子のそばにいると、あれこれしゃべったり歩いたりすべり台によじ登ったりする娘が、とてもしっかりしたおねえちゃんに見えました。体の大きさや重さはそんなに極端には違わなくても、手足の長さだったり、体の動かし方だったりがまるで違っていて、ああ、うちの娘は赤ちゃんじゃないんだなぁと、甘酸っぱい気持になりました。
 そんな1歳間近と2歳間近のふたりでは、まだ、ひとつのおもちゃで一緒に遊ぶのは難しくて、娘のお気に入りのおもちゃを女の子が手にとると、「○○(自分)ちゃんの!」と、胸に抱きかかえたりしていたけれど、それでも、「かしてあげようね」と仲裁に入ると、それに反抗して泣いたり無理やり乱暴に取ろうとしたりすることはなかったので、ほっとしました。途中からは、一度自分のものだと主張して渡さなかったものを、「どうじょ!」と、自ら渡してあげたりするようにもなり、でも女の子は別の遊びに夢中で受け取ってもらえなくて、「どうじょって、してるのにい!」と困っていました。娘よ、それがおねえちゃんの辛さというやつだよ。
 自分より小さなこの子を可愛がりたい、という気持ちもあったみたいで、女の子が転んだり打ったりしたら、「だいじょうぶ?」と聞いたり、「よちよち」と頭をなでなでてあげるようなほほえましい場面もあり、ちょっと感動しました。お互いを意識しつつ別のおもちゃで遊んでいる時間も結構あったけれど、それはそれでふたりとも楽しそうだったし、最後は打ち解けて、すべり台のジャングルジムでふたりできゃっきゃ飛び跳ねたりして遊んでいました。
 そうやって近づいたり離れたりしながら遊ぶお互いの子供に常に目をやり手を出しつつ、友達といろんな話をしました。寝かしつけのこと、卒乳断乳のタイミングのこと、『おかあさんといっしょ』のこと、自分や夫の仕事のこと、2人目のこと、保育園や幼稚園のこと、出産のときのこと、絵本やおもちゃを選ぶ基準のこと、この時期の服装のことなどなど、子育てしている友達と話したかったいろんなことを、小川に笹舟を浮かべるようにひとつひとつゆらりゆらりと話すことができて、話しながら、ああ自分は娘のおかあさんしてるんだなあと、母親業をしている自分の姿を客観視することができました。高校時代の友達なのに、そういえば高校時代の思い出話は、不思議と一つも出ませんでした。思い出話をしなくてもいくらでも話すことがあるなんて、なんだか、もう一度新たに出会って友達になれたみたいな感じがして、嬉しいです。
 娘にとっても、今日の出会いはきっとすごくいい刺激になったことでしょう。娘なりに気を使いつつ遊んでいた様子をみて、いつかは娘の弟か妹を生みたいなぁと思ったのと同時に、だけどそれはいますぐではないな、とも思いました。要領の悪い私は、まだいまのところ娘のお世話でいっぱいいっぱいだから、いま娘がおねえちゃんになったら、手が回らなくなって、どうしても娘に我慢や寂しい思いをさせてしまいそうです。今日だって、小さい子のほうにどうしても意識が集中して、娘の様子にまで気が回らなかった瞬間が何度かあり、ひとりで黙々と遊んでいる娘に気付いて、ぎゅっと胸が痛みました。自分が長女だったから余計に、年上の子の感情に敏感になってしまいます。もう少し私に余裕ができるまで、どっぷりたっぷり娘ひとりのお母さんでいることにします。

 
■1歳の娘と今年よく読んだ絵本 その9 おともだちの絵本■

『あのこはだーれ』岸田 衿子/長新太
・・・おすなばで出会った女の子と、おともだちになって一緒に遊ぶお話。0歳のころはよく分かっていないようでしたが、最近よく読むようになりました。すなばの色づかいがきれいです。

『すーちゃんとねこ』さのようこ
・・・1歳半で出会って以来、娘の大好きな絵本。パステル調で描かれた色とりどりの風船の色が、すごくきれいで、こんな風船ほしいなあと、絵本に指を這わせたくなります。娘は何度か読むうちに「ぼくのふうちぇーん」と真似するようになりました。なにかを自分のものであると主張することを、この絵本で学びました。

『だるまちゃんとてんぐちゃん』かこさとし
・・・1歳になって指さしができるようになったあたりから読むようになりました。だるまちゃんがだるまどんにいろんな帽子やいろんな靴を出してもらうシーンがお気に入りで、靴や帽子を指さして「これパパの」「ばあばの」などと言って遊びます。

『とん ことり』筒井頼子/林明子
・・・私の大大大好きな絵本。1歳半になるちょっとまえ、島根への引っ越しが決まったころから、急にこの絵本を本棚から出して読むようになって、私や夫を驚かせました。こんな素敵なおともだち、できるといいね。

『くまのコールテンくん』ドン=フリーマン,
・・・くまのぬいぐるみコールテンくんのお話。娘がくまのぬいぐるみを手に入れてから、よくぬいぐるみを傍らに置いて読むようになりました。ちょっと長いので、読み聞かせのときは、飛ばしながらのことが多いです。お店で売られていたくまのぬいぐるみコールテンくんを買って帰ったおんなのこが、コールテンくんのズボンのたすきのボタンを縫い付けながら言った「わたし、あなたのことこのままでもすきだけど、でも、ひもがすりおちてくるのは、きもちわるいでしょ。」という言葉、それに対するコールテンくんの「ともだちって、きっときみのようなひとのことだね。」という言葉が、とても好きです。

『ともだちできたら』内田麟太郎/石井聖岳
・・・引っ越してきたばかりで友達のいないタヌキくんが、勇気を出してクマくんに声をかけたことから、友達のできるお話。最後、タヌキくんの家にたくさんのお友達がきてくれて、外の丸テーブルでわいわい食事をしながら遊んでいるシーンが娘のお気に入りです。

『ムーミンのともだち』トーべ・ヤンソン
・・・私がムーミンの原作を愛しているので、娘が読めるような絵本もほしくなって買った一冊。内容はちょっとまだ難しくて理解できないみたいですが、絵を楽しんでいます。
by papiko-gokko | 2012-12-29 23:45 | Diary
新生児パワー。娘のイヤイヤと私。今年読んだ絵本その2。
 つい二週間前に第二子の女の子を出産した友達と、ほんの少しだけスカイプをして、まだ新生児のその子を見せてもらいました。とてつもなく、可愛かった!もうほとんど忘れかけていたけれど、新生児って実はちっともじっとしていなくて、薄い膜を破るみたいにほよほよと手足を曲げたり伸ばしたり、口を大きく開けてみたり、目を細めたり、絶えず動いているんだよなぁ。本当にもう、底抜けに強くて明るくて美しくて、遮るもののなにもない、新生児特有の生命の輝きに圧倒されて、実質2分にも満たない時間だったのに、接続を切ったあと、真夏の直射日光を浴びたあとみたいな脱力感がありました。ああ、可愛かった。
 娘も一緒にスカイプ画面を見ていて、終わったあと、「あちゃちゃん、かあいいねえ」と言っていました。たったこのあいだまで、自分も赤ちゃんだったのに、そんなこと言えるようになったんだなぁ。新生児のころの娘の重みや大きさはもう忘れてしまったけれど、新生児の顔や手足の想像以上の小ささ細さ柔らかさを感じるたび、愛しさやら恐怖やら責任感やらが溢れて、胸がきゅうーっと苦しいくらい締め付けられたあの気持ちは、まだしっかり覚えています。本当に、よくここまで成長してくれました。もうすぐ2歳だなんて、考え出すと泣きそうになります。
 午後は青空が広がって日射しが暖かそうだったから、年賀状の投函ついでにのんびり散歩でもしようかと出かけたのですが、いざ出てみると、風が冷たくて、結構大きな分厚い雲があちらこちらに浮かんでいて太陽を隠してしまう時間も多く、寒さでずっと身体に力が入っていました。しかし、娘は「さむいないもん!」と、北風をものともせず、『いないいないばぁっ!』でよく流れる「さむいのへっちゃら、へっちゃららん!」の歌を口づさみながら、予定していなかった公園に向かってずんずん歩き、寒い中公園で30分程度遊んでから帰りました。今日はぶらんこのほうが楽しかったみたいで、すべり台は一度も滑らず、登るだけ登ってまた階段を降りたりしていました。

 夜は、最近いつもそうなのですが、お風呂に入るのを嫌がって、脱衣所に連れていくまでに20分以上かかりました。お風呂がきらいなわけではないのですが、親のタイミングで遊びを中断してお風呂に連れて行かれるのが気に入らないようです。ぬいぐるみを使ったりして呼びかけても、「はいんないの!あそぶの!」と、すべり台の手すりにしがみついて動こうとせず、「じゃあもう先に行くからね」と私が部屋から出ても、「はいんないのよう」と泣きながら遊び続け、いくら待っても部屋から出てくる気配がなく、最終的には結局、無理やり力づくですべり台から引き離して抱っこで脱衣所まで連れて行き、泣きじゃくる娘の洋服を脱がして入れるしかありませんでした。
 はだかんぼうになってもしばらくは泣いていますが、があっと身体を洗って湯船に入ってしまえば、湯船には湯船での楽しい遊びがいろいろあるから、泣きやんで楽しく遊び始めます。そうして少しほっとしたら、今度は「でないの!まだあそぶの!」が始まり、持ってきたぬいぐるみで「お風呂から出て遊ぼうよう」と誘ったり、かえるさんのパジャマで「早くぼくを着てよう」と誘ったり、娘をその気にさせるために必死であれこれせねばなりません。
 お風呂のときだけでなく、朝の着替えやオムツ変えのときも、ズボンをはかせようとすると「じぶんでやるの!」と拒否して、そのままいつまでもはかずに遊んでいたりするので、毎回毎回、娘をその気にさせるために必死であれこれやっています。なんでも無理やり言うことを聞かそうとすると、ますます意固地になって嫌がり、最終的に大号泣で訳が分からなくなってお互い疲れるだけなので、できる限りは無理やり言うことを利かす作戦でなく、いろんな誘い方で娘をその気にさせる作戦を取っているのですが、なにしろ寒いので、いつまでも着替えなかったり、お風呂への移動や脱衣がスムーズに行かなかったりすると、腹も立つし風邪も心配だし、言うことを聞かなければっさと叱るべきなのか、それとももっともっとじっくり待ってやるべきなのか、娘のためにはどちらがいいのか、いつも悩みます。お着替えもお風呂も、お母さんが主導権を握っていて自分のタイミングで動けないのだから、子供っていうのも、なかなかストレスが溜まるものなのかもしれないな。だとしたら、「いましたくないの!」という気持ちを力いっぱいぶつけてくるのを、頭ごなしに叱るのはあんまりな気もするし、だからって、甘やかすのもいけないし、匙加減が難しいです。

 昨日に引き続き、今日も今年よく読んだ絵本を振り返りたいと思います。
■1歳の娘と今年よく読んだ絵本 その2 たべものをめぐる絵本編■

『くだもの』平山和子
・・・離乳食後期あたりで、いろいろなものを口にするようになってから、好んで読むようになりました。読むときはいつも、一緒に食べるまねっこをします。本当に食べたくなります。

『うたうぼうし』神沢利子/中村景児
・・・私が子供のころ好きだった絵本。娘も気に入って、一時期何度も読まされました。あひるさんの作るケーキやアップルパイが、すごく美味しそうで、キッチンでせかせか作っている様子の絵も楽しいです。美味しいケーキの作り方をうたってくれるこのぼうし、私も欲しいなぁ。

『グリーンマントのピーマンマン』さくらともこ/中村景児
・・・ピーマンというおやさいを、この絵本で覚えました。言葉がリズミカルで、絵もおもしろくて、内容も分かりやすくて、読むときは大抵2,3回連続で読まされます。

『ピヨピヨスーパーマーケット』工藤ノリコ
・・・夫が気に入って、最近買った絵本。スーパーマーケットに並ぶ品物の様子が細かく描き込まれていて、じっくり眺めてしまいます。そしてなにより、ひよこの子たちが、可愛い!最初のページの、何を買おうか相談している場面では、娘も絵を見ながら「パンとー、あいちゅとー」と、買いたいものを言ったりします。

『ぐりとぐら』なかがわりえこ/やまわきゆりこ
・・・この絵本の大きなカステラには、やはり娘も夢中で、いつも食べる真似をします。食べかけのカステラも、ちぎって食べている動物たちの表情も、本当においしそう。ぐりとぐらが歌う場面も大好きです。

『きょうのおべんとうなんだろな』岸田衿子/山脇 百合子
・・・生き物と食べ物がたくさん出てきて、みんな楽しそうで、おいしそうで、とてもほがらかな絵本。娘はこの絵本で、「おべんとう」というものの楽しさを知ったのではないかと思います。

『とまとがごろごろ』得田之久/吉野晃希男
とまと、じゃがいも、ピーマン、かぼちゃ、だいこんが、順番にごろごろころがってごっつんこしていくお話で、・・・赤ちゃん向けだから、絵も文も分かりやすくて、読むといつも喜びます。

『はらぺこあおむし』エリック・ カール
・・・あおむしの食べた食べ物に開いている穴に指を突っ込みながら読みます。仕掛け絵本は自分で次々めくりたがるので、文章をところどころ飛ばすか、ものすごく早口で読むことになります。なしの絵が洋ナシだったり、ピクルスやサラミなど、日本の子供にはさほど身近でなさそうな食べ物もでてきくるけれど、娘にはそんなことまったく問題ではないようです。最後の蝶々になる場面では、絵本をぱたぱたしながら蝶々の歌を歌うようリクエストしてきます。

『オニじゃないよ おにぎりだよ』シゲタサヤカ
・・・おにぎりが、おいしそう!娘はおにぎりが大好きなので、この絵本もお気に入りで、いつも真剣に聞きます。オニが握ったたくさんのおにぎりのなかにある、海苔部分が卵で、ごはん部分がチキンライスっぽいおにぎりが気になります。あれはオムライスおにぎりなのかな。

『キャベツくん』長新太
・・・ぶたやまさんの「ブキャッ!」部分を読むのが好きで、いつも気合いを入れて「ブキャッ!」と言います。たまに娘も真似して「ブキャッ!」と言います。食事でキャベツを食べたがらないとき、「ブキャッ!」というと食べてくれたりもします。この作家さんの作品で感じる、なにかとてつもなく深い哲学的なことを示唆しているような、単純でなんにも言っていないような、この感じ。これは、山だとか海を漠然と眺めているときに抱く感情に似ています。

『からすのパンやさん』かこさとし
・・・夫が子供のころ大好きだった絵本で、娘が生まれてわりとすぐのころに買いました。夫と同様、見開き1ページにいろんなかたちをしたパンがずらりと並んでいる場面が娘も大好きで、いつまでも眺めていたいらしく、そのページまでいくと、ページをめくらせてもらえなくなって、いまのところ、後半は読まずに終わることも多いです。

『なにをたべてきたの?』岸田衿子/長野博一
・・・食べ物を食べるたび、からだにその果物と同じ色がつくなんて、素敵です。文を書いている作家さんが好きでこの絵本を買ったのですが、絵のほうにもすっかり魅せられました。細くてシンプルな線と、リアルでありながらやわらかなパステル調の色合いにうっとりします。登場するぶたくんたちも、果物も、身体につく色も、せっけんを食べてしまったあと出てくるシャボン玉も、すべてが上品できれいです。0歳のころから読んでいて、0歳代のころはあまり興味を示してくれませんでしたが、1歳を迎えたあたりから、急に好きになってくれました。一時期、シャボン玉を飲み込んですべるシーンを怖がっていたけれど、もう大丈夫みたいです。

『どうぞのいす』香山美子/柿本幸造
・・・動物がみんな、たまらなく愛らしい!そして食べ物が、メルヘンチックでおいしそう!さりげなく最初から最後までずっといる青い小鳥の様子を追いながら読むのも楽しいです。この絵本はどちらかというと、娘がよく一人で黙読しています。

『おおきなかぶ』A・トルストイ/佐藤忠良
・・・この絵本を読むときは必ず膝の上に座り、うんとこしょ、どっこいしょのリズムで一緒に身体を揺らすのを喜びます。だんだん増えていく感じが楽しいみたいで、1歳になるまえから楽しんでいました。1歳になってからは、私の読むのに合わせて、動物や人を順番に指さしながら読むようになりました。

 以上。次回はたぶん、どうぶつ・いきものの絵本編です。
by papiko-gokko | 2012-12-21 00:27 | Diary
友達の第二子誕生と、2年前はまだお腹にいた娘の現在。
 昨日、東京で家族みたいに仲良くしていた友達の第二子が、無事に誕生しました。女の子です。赤ちゃんが大きくなったので促進剤で生むことになり一昨日入院し、それからたまにメールのやり取りをしたり、まだ陣痛だろうかとか、分娩に時間がかかってるだろうかとか、いろいろ想像しながら過ごし、なんだか時間が経てば経つほど、泣きそうな気分になってきて、ああこれは生まれたってメールがきたら泣いてしまうかもしれないな、と思っていたのだけど、実際に生まれたメールがきたら、込み上げてきたのは、意外にも、「くはっ」という、笑いでした。嬉しいやら、楽しいやら、愉快やら、爽快やら、これまでの人生で知ったハッピー関連の感情全部が、ぐうっと込み上げてばんっと弾けて、くはっと、笑いになりました。ああ、まったく、世相がどんなふうであれ、新しい命の誕生っていうのは、なんていいものなんだろう。
 これまでいつもこの日記に「子供ちゃん」と書いてきた、友達の娘さんである5歳の女の子は、このたび晴れてお姉ちゃんになり、早くも妹にメロメロなのだそうで、写真でも、どことなく凛としたお姉ちゃんらしい表情をしていました。私が初めてお姉ちゃんになったのは3歳だったから、そのときの気持ちなどは残念ながら全然覚えていないのだけれど、6歳離れた下の妹の生まれたときは、可愛くて可愛くて、自分がこの子のお母さんになりたい!この子のお世話をしたい!守りたい!という思いが溢れていました。いまもそれは変わらないから、きっとお姉ちゃんになった子供ちゃんも、これからずっとずっと、妹のことが可愛くて仕方ないことでしょう。ああ、いいなあ、姉妹。また来月には、姪っ子の弟も誕生する予定で、いまからわくわくしています。男の子って、どんな感じなのだろう。姉妹もいいけど、お姉ちゃんと弟っていうのも、それはそれで楽しそうです。

 2年前にはまだお腹のなかにいた私の娘は、そんなのもううそみたいに、よくしゃべり、よく食べ、よく遊び、そして限界ぎりぎりまで寝ません。最近見ていてとくに成長を感じ、面白いなあと感じるのは、娘のおままごと遊び。最近娘は私が料理をするのをいつも台に乗って見ているので、おままごとがリアルになってきて、フライパンに手をかざして熱さを確認するしぐさをしたり、「じゅううー」と効果音を自分で付けたり、フライパンからお皿に移したお料理を「まだ、あちゅいよ」と言いながら差し出したり、私が食べるまねをしたら、私がよく娘に言うのを真似して「ぺっ、しないよ」と忠告してきたりして、そういう一つ一つが愉快で、お相手しながらくふくふ笑いっぱなしです。おままごとで使う具材は、本当に刻むことができる小麦ねんどがお気に入りで、小麦ねんどで作った小さなお野菜や魚をおもちゃの包丁で小さく小さく刻む手つきも様になっていて、左手がちゃんと猫の手になっているところなど、1歳10ヶ月の子供の観察力に驚かされます。
 このほかにも、寒いなあ・・・とつぶやいたら、「さむいないよ!かあしゃん、さむいの?さむいないじゃん!」と言われたり、お風呂に入らたがらない娘にお風呂ちゃんが待ってるよと誘ったら、「おふろちゃんが、入るのかーい?って、言ってるの?」と、なんだかよく分からない愉快な返答をしたり、いちいち本当に面白くて、娘のおしゃべりすべてを録音しておきたいくらいです。
 でも、眠たくなったときだけは赤ちゃんに戻って、まだおっぱいなしでは眠れなくて、そんな、赤ちゃんのころと変わらない様子の娘もまたたまらなく可愛くて、ああ大きくなったなあ、ああまだ小さいなあ、と、ふわふわの髪の毛を撫でながら、幸せに浸ります。0歳のころから、娘の薄いふわふわの頭に顔をこすりつけると、母親としての幸福感で満たされます。いつまでふわふわしているのかな。本人は、そろそろリボンをつけたがっているみたいだけれど、まだ、もうしばらく、ふわふわでいてほしいな。
by papiko-gokko | 2012-12-08 23:49 | Diary
じぶんで!の娘。友達とスカイプ。
 いま、外は暴風雨で、ときどき雷も轟いています。明日には雪の降る予報です。昼間は晴れ間も出ていたのだけれど、家にあるすべり台で満足しているせいか、娘が外に出たがらず、一日家で過ごしました。お散歩しないと一日が長くて、ねんどをしたり、ただドアと窓をカッターでぶち抜いただけの簡単なダンボールハウスを作ってみたり、ぬいぐるみとすべり台で遊んだりしました。
 昨日から、娘の「じぶんで!」が勢いを増していて、自分でと言ったことはなにがなんでもやらないと気が済まないらしく、手伝うと激怒します。昨日は階段を降りるとき夫が抱っこをしたらものすごく怒って大号泣し、「じぶんでええええ!じぶんでええええ!じぶんでやるのよおおお!」と、お風呂でもずうっと泣いていました。寒いのに、タイツも自分ではきたがって、片方だけはいた状態で遊びだしたりして、でも手伝おうとすると「じぶんで!」と鼻息荒く差しのべた手を跳ねのけられるので、どうしようもありません。先ほどなど、寝言で「じぶんでやるのー」と言いながら眉をしかめていました。早くなんでも自分でできるようになるといいね。でも、お母さんとしては、そんなに急いで赤ちゃんじゃなくなろうとしなくても、いいんだけどな。

 夜、娘も夫も寝てから、第二子の出産を目前に控える東京の友達と1時間近くスカイプで話しました。友達のほうも、子供ちゃんが寝ていて旦那さんもいなくて、かなり久しぶりに2人でだらだらと会話を楽しみました。やっぱり、友達と話すと、気持ちがぱあっと、晴れるなぁ。本当に、不思議なくらい気持ちが軽く楽しくなりました。スカイプだと、顔を見ながら話せて、本当に喫茶店で話しているみたいで、電話が苦手な私でも、ちっともぎくしゃくせずにいくらでも話せました。ああ、楽しかった。予定日はすでに過ぎていて、明日入院するみたいで、もういつ生まれてもおかしくない状況なので、ドキドキしています。無事するっと生まれてきますように。
by papiko-gokko | 2012-12-06 00:27 | Diary
簡単に「懐かしいね」と口にするたび思い出に頬をぶたれる
 午前中、娘を連れて、高校時代の同級生とお茶をしました。先日の日記にも少し書いた、当時演劇部で苦楽を共にした役者仲間です。待ち合わせの場所にやってきた彼女は、抱っこひもで赤ちゃんを抱いて、両肩に荷物を下げて、控え目に染めた髪は肩より短く切りそろえ、すっかり綺麗なお母さんになっていました。だけどしゃべりだしたら高校時代と変わらなくて、2人ともが子供を抱っこしているなんて不思議だねえと笑いあいました。
 赤ちゃんは今6ヶ月で、ちょうど娘と1年違っていて、おててもあんよもぷくぷくふわふわ柔らかく、歯もはえていなくて、赤ちゃんっぽさにきゅんきゅんしながら、1年前の娘に思いを馳せました。6ヶ月の赤ちゃんと並ぶと、娘は随分スラリとしたおねえさんに見えて、もうふにゃふにゃの赤ちゃんではなくなったのだということがよくわかり、それが嬉しいような、ちょっと寂しいような気持ちになりました。娘は赤ちゃんに興味は示していたものの、まだ、一緒に遊ぼうとか可愛がろうとかいう発想には結びつかないらしく、小さな足を不思議そうに見つめながら、自分の足を持ち上げて「あんよ」と言ったりしていました。
 離乳食の話や、2人目についての話、それから当時の演劇部員についてお互いが知っている近況などなど、いくらでも話していたかったのだけれど、娘が飽きて動きたがって喫茶店に長居することはできず、喫茶店を出てからは、すぐそばのショッピングセンターのベンチでしばらく話をしました。お母さんになった彼女は、高校時代に部長さんをしていたころのように一人で抱え込んで苦しんでいるような様子もなく、支援センターなどへも行ったりしながら、日々じっくりと育児をこなしているみたいで、ほっとしました。そして、私もがんばろうと思いました。
 そのショッピングセンターは出身高校のすぐ近くにあって、当時はよく部活で使うものや打ち上げのお菓子の買い出しに来ていました。放課後の部活時間に制服でショッピングセンターに行くという、それだけのことがすごく特別に思えて、ほんの数分の距離を浮かれながら歩いたものでした。あれからもう10年以上も経つのに、ショッピングセンターの感じはまるで変わってなくて、匂いすら同じで、「全然変わってないねえ」と言いあいながら、彼女のピシッとアイロンのかかった制服姿が思い浮かび、その記憶の遠さにはっとしました。変わらないけど変わった、変わったけれど変わらない、そんなことを、演劇部時代の仲間と会うたび強く想い知って、どうしてだか、胸が苦しくなります。高校卒業から流れた10年という歳月は、私にとってもみんなにとっても、想像以上に、長くて濃くてめまぐるしくて、その10年を生きる前の思い出は、透明度が高すぎて、その透明感のなかに、ただ懐かしいと穏やかには振り返れない暴力的な何かが潜んでいて、「懐かしい」と口にするたび思い出に頬をぶたれる感触がします。
 お昼が近づいてきたのもあって、結局彼女とは、2時間足らずでお別れになってしまいました。思い出深い場所で会えたのも楽しかったけれど、やっぱり、家で会ったほうが、ゆっくり話せてよかったかなぁ。本当は支援センターで会う予定だったのですが、いざ行ってみたらそこが1歳までしかダメな場所で、急遽喫茶店になったのです。彼女はこちらの人ではなく、またお正月に帰ってくるそうなので、そのとき会えたら、今度はうちに来てもらおう。
 8月に旧友と会う予定は、きっと今度こそ、これでおしまいです。今回会った人はみんな、今地元には住んでいなくて、帰省してきていたのでした。もうみんなそれぞれの場所に帰ったんだな、帰って行くんだな、と思うと、人恋しさが湧きあがってきます。

 午後は娘が久しぶりにしっかりお昼寝してくれて、その間に掃除をしました。夕方には私の電池が切れて、娘がいないいばいばぁなど見ている間、寝てしまいました。人と会うと、楽しくて嬉しいけれど、やっぱりすごく疲れます。なんだか、思い出疲れしてしまいました。いつの時代を思い出しても、あの頃の私は間違いだらけだったということと、今もその時代からさほど成長していないということぐらいしか、わからないんだものな。
 明日からは、しっかり今を生きようと思います。
by papiko-gokko | 2012-08-21 00:06 | Diary
この色の名前を君に聞きたくて時間をかけてひらく唇
 昨日と今日と、立て続けに高校時代の部活仲間に会いました。昨日はお盆で里帰りしていた後輩の子がうちへ遊びに来てくれて、それから今日は、美大を出た同級生が地元で個展をひらいていて、招待状が届いていたので、それを見に行きました。
 後輩の子は、去年の秋ごろ会ったときよりもまたしっとり大人っぽくなっていて、娘のことを、いっぱい可愛がってくれました。娘はあっという間に懐いて、絵本を読んでとせがんだり、おもちゃを次から次へと渡したりして、どうしたものかと困りました。ゆっくりお話したくても、娘がまだこんな状態では、なかなかそれも叶いません。
 彼女からまたいろいろと、高校時代演劇部で一緒に活動していた子たちの近況を聞いて、ああ、みんな大人になったんだなぁと思いました。制服を着ていたころの思い出はもはや、夜みる夢より遥かに遠く淡くかすんで、ほとんど空想の世界に近いものになっています。会いたい気持ちもだんだんと現実感をなくして、メルヘンチックな願い事のようになってきました。あのころのみんなには会いたいけれど、現在のことに関しては、こうして話で聞くだけでいいかなぁと思ってしまう、薄情な自分がいます。まあでもそんなのおそらくお互い様かな。いつかきっとそのうちどこかでまたあいましょう。

 同級生の個展は、素敵でした。それはもう、なんだか悔しくなるくらい。自分の作品で人を呼べるなんて、うらやましいです。彼は照れ隠しからか自嘲を繰り返していたけれど、自分のやっていることに誇りを持っていなければ出来ないことのはずです。
 展示のなかには、売却済みになっている絵もありました。自分の作品を誰かに買ってもらうって、一体どんな気持ちなのだろう。いくらでも刷り直せる文章と違って、キャンバスに描いた絵というのは世界にたったひとつしかないから、売ってしまえば自分はその作品を完全に手放すということになるわけで、長い時間かけて描くのだろうに、もったいないとか寂しいとか、感じないものなのだろうか。描き終えた時点でもう、自分から切り離されるのだろうか。不思議です。そのへんの感覚はよくわからないけれど、私も買いたいなぁ家に飾りたいなぁと思うような気に入った絵がいくつかあって、お金があろうとなかろうとこういうのをさらっと買って帰れるような精神的余裕のある人になりたいなぁと思いました。
 個展をでたあと、胸の奥に、後味の悪い痛みがじわじわ広がりました。今回に限らず、作者本人のいるまえで芸術作品をみたあとは、いつもこうなるのです。作品をみて胸に去来したものを忘れないうちに伝えようとして、焦って言葉を探した結果、いかにも薄っぺらいことばかりしゃべってしまい、しまいには作品を直視できなくなる、そんな自分に嫌気がさすのです。私の場合、芸術だとか芸能は、作者から離れたところで楽しむほうが、いいのかもしれません。自分も一応情熱をもって文章や短歌を続けているので、作者が作品にかける情熱とか情念というものをある程度は想像できるから、だから本人の前で作品を見るのは、とてもこわいのです。台風直撃中の現場で中継しているレポーターみたいな、吹き飛ばされそうな気持ちになります。

 昨日と今日のふたりも、少し前に銀行に会いに行った幼馴染の子も、今回はじめて夫に会いました。夫に出会う以前の思い出に、夫の気配が加わることは、なんともいえず奇妙で、現像しないでおいたネガを光に透かして見られているような、そんな恐怖感すら覚えます。夫とは切り離されているはずだったいろいろなことが、地元に住んだことによって、だんだんと繋がっていく、そこには、心強さもあるのだけれど、同時に、友達といるときの家とは違う自分を親に見られたときにも似た気恥ずかしさ、きまり悪さがあります。そのうちこんなことにも慣れるのだろうか。

 
by papiko-gokko | 2012-08-17 23:44 | Diary


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