日記と短歌
by papiko
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冗談にしきれなかった悲しみを秋の夜長のお酒で濁す
 確かな日付はもう忘れてしまいましたが、秋の終わりに、チューリップの球根を植えました。私の誕生日に母からもらった鉢植えが、夏に花を枯らして以来、謎の雑草の住処になっていたので、それを全部取り除き、土も入れ替えて、心機一転の再スタートです。赤と黄色と白と紫とピンクの球根を、長女と次女にそれぞれひとつずつ、全部で10個の球根を買ってきて、二つの鉢に5個ずつ植えさせました。次女は1個だけ植える前に踏んでしまったらしく球根がちょっと潰れたので、それは咲かないかもしれません。奇跡が起きて、なんとか咲いてくれないだろうか。どんな具合に植えればいいのか、一応ネットで調べてから植えたものの、自信はまったくありません。最初から咲いている花の苗を植えた前回と違って、まだ土だけで何も見えないので、本当に芽が出るのかどうか不安で、掘り返して球根の具合を確かめたくなり、心の中で、THE YELLOW MONKEYの『球根』を歌いつつ、表面の土をちょっと撫でてみたりしています。子どもたちは、土だけの鉢に向かって、無邪気にじょうろを取り合いながら水をやっています。春、長女が小学生になるころ、咲いてくれるかな。咲いてくれますように。

 今週の土曜は、前々から長女の行きたがっていた公園に行ったり、長女の待ちに待っていた小学校制服を買いに行ったり、お店の前を通るたび長女が行きたがる回転寿司を食べにいったりして、なんだか長女デーになりました。それなのに、夜に悪い態度でご飯を食べて夫に叱られ、なんとなくへそを曲げたまま眠り、そしてひさしぶりの夜泣きをしました。夜泣きをして寝ぼけながら私になすりついてくるその様子は、もっともっと小さかったころの長女とぜんぜん変わっていなくて、ああまだ小さい子どもなんだなぁと、愛しくなりました。最近、本人が小学1年生になりたい気持ちでいっぱいになっているものだから、私もつられてもう長女はほとんど小学1年生みたいな気分になりそうになっていたけれど、やっぱりまだまだ、甘えんぼの幼児です。今日の寝かしつけでは、フランソワーズの『わたしのすきなもの』を読み、最後の「あなたのすきなものはなに?」というページで、すぐに長女が「おかあさん!」と抱きついてきてくれて、幸せな気持ちになりました。そのあと、スーパー甘えんぼの次女も慌てて抱きついてきて、ごろごろ幸せだんごになりました。いつかは大きくなってしまう子どもたちが、こうして甘えてきてくれるうちは、たっぷりどっぷり甘えさせたいなと思います。

 夏はシャワーで済ませていましたが、寒くなってきて、お風呂に入るようになりました。お風呂は私が、今年の春に他界した祖父のことを一番よく思い出す場所です。きっと、幼いころよくお風呂に入れてもらっていたのでしょう。私や妹の首を洗うときに『上を向いて歩こう』を歌って上を向かせていたこととか、タオルで湯船に大きなタコ入道を作ってくれたこととか、祖父が死んでから、ますますよく思い出すようになりました。
 今日も湯船で子どもたちと、おにぎりを握るみたいときに両手をすぼめて重ね合わせて手の中に空気を閉じ込め、その手をお湯の中に入れてから開いてあぶくをぶくぶくっと出す遊びをしながら、ああこれも祖父に教えてもらった遊びだなぁと思い出しました。手が大きい祖父の出すあぶくはひときわ大きくて、どうやったらあんな大きな泡が出るのだろうかと、必死で真似したものでした。あのころはまだ、両手を合わせた空洞に空気を閉じ込めているからあぶくがでるのだという仕掛けが分かっていなくて、祖父はかならず最初にパンパンと大げさに手を叩いてから手の中に空気を閉じ込めていたので、手を強く叩いたほうが大きな泡が出るのかと思って、私も妹も無意味にパチパチ手を叩いてやっていました。だけどどんなにやっても、出てくるのは指先ほどの小さなあぶくばかりでした。手を叩くのは手品っぽく見せるためのフェイクであって、泡の大きさとは関係なく、大きな泡を出すためには空気がたくさん入るように手をすぼめればいいのだと分かったのは、祖父とお風呂に入らなくなってからのことだと思います。
 そんなことを、今日子どもとお風呂であぶく遊びをしながらふと思い出して、書き留めておきたくなりました。長女はまだ、上手に泡を出せません。祖父の出していたでっかいあぶくを、見せてやりたかったな。あんなでっかいあぶくを、私は未だに出せません。
by papiko-gokko | 2016-11-13 23:54 | Comments(0)
梅雨の送り迎えのこと。ビートルズのこと。
 梅雨に入り、雨の日の送り迎えは大変です。普段は自転車に乗せていくのですが、雨の日は転ばずに運転する自信がないため、長女と次女にカッパを着せて、自分もカッパを着て、傘をさして歩きます。大人の足で歩けば10分もかからない距離なのですが、長女も次女も、水たまりという水たまりをとにかくじゃぶじゃぶ通らなければ気が済まなくて、とくに次女は、じゃぶじゃぶしだすとなかなか進まないので、いつもの倍以上の時間がかかります。しかもいきなり歩き疲れて「だっこ!」が始まり、傘をさしながら抱っこで歩いていると、腕がぷるぷるしてきます。去年は大人しく最初から抱っこ紐で抱っこされていたので、まだずっと楽でした。次女がどんどん手に負えなくなってきた一方で、長女は去年に比べると、かなりしっかり歩けるようになりました。水たまりじゃぶじゃぶも、次女ほどメチャクチャなことはしません。水が長靴に入らない程度のじゃぶじゃぶを、ちゃんと心得ています。次女の大変さでつい見落としがちだけれど、ここのところ、長女はお姉ちゃんになったなぁと、今日、数歩前をすっすと歩く後ろ姿を見て、思いました。

 ビートルズが好きになりすぎて、これまでの趣味そのものが、根こそぎ変わりそうな勢いで、影響を受けています。これまで、行ってみたい国を問われても、はっきりとしたものがなかったのですが、いまは断然イギリスのリバプールになりました。
 ビートルズ関連の番組があると知ればカレンダーに書き込み、暇さえあればビートルズ関連のサイトを眺め、短歌が一段落してしまったいま、情熱のやり場に困っています。とにかく、何か行動に移さなければ、情熱が有り余って頭がぼーっとしてくるので、楽譜でも買って、家にあるキーボードでピアノの練習をしてみようかとか、Eテレの英語番組を録画して勉強してみようかとか、そんなことを本気で考えています。
 それから先ほど、図書館で、ビートルズが登場する小説を数冊、予約してみました。有名な村上春樹の『ノルウェーの森』も借りて見ました。村上春樹、2冊くらいしか読んだことなくて、どちらかというと苦手意識が強かったのですが、ビートルズに関連しているとなると話は変わってくるのです。一度、頭をまっさらにして、苦手意識を消して、挑んでみるつもりです。他の小説も、面白そうで楽しみです。
 何かを猛烈に好きになるということは、こういうことだったなぁと、懐かしいような、新鮮なような気持ちです。
by papiko-gokko | 2016-06-13 23:23 | Diary | Comments(0)
長女、年長になる
 長女が年長さんに進級しました。登園すると、園庭にテーブルが置いてあって、クラスごとに色分けされいる新しい名札が並べられており、そこで初めて、長女が何組になったのかを知りました。花壇のお花みたいに並ぶピカピカの可愛らしい名札の中から長女の名前を見つけだし、さっそく胸につけてやりながら「きれいな色の名札だねえ」と言うと、長女は誇らしげに頷いて、笑いをこらえるみたいに、頬をふくらませました。3月からずっと、この日を楽しみにしていたのです。クラス替えなどの新しい環境に不安を抱いていたのは私だけだったようで、長女は意気揚々と新しい下駄箱のほうへ駆けていき、自分の名前を見つけ出し、さっさと上履きに履きかえると、ほとんど振り向きもせず、年長さんのクラスのほうへ消えていきました。そういえば入園式のときも、ちっとも物怖じしなかったものな。新しい世界に対する不安より、期待とか興味のほうが強い子なのでしょう。
 今日は始業式だけだったので数時間後に迎えに行くと、子供たちがわらわらと教室から出てきてクラスごとに一列に並びはじめました。長女を探すと行列の一番最後に並んで、まったく焦る様子もなく飄々とした顔で、桜の花びらをいじりながら歩いていました。年中のころから、相変わらずのマイペースぶりです。いつも家にいると、比べる対象が次女しかいないので、長女は手足も長く大きく感じるのですが、同じ年長さんたちと並んでいる姿を見ると、長女はとても小柄で、新鮮な気持ちで眺めました。
 降園連絡と帰りの挨拶が終わり、さあ帰ろうと次女を抱き上げ、それから長女の手をとろうとしたら、ほんのちょっと目を離したすきに長女の姿が見えなくなり、慌ててあちこち見回すと、長女は園庭の片隅で、せっせとタンポポを摘んでいました。本当に、相変わらずの自由人です。入園式の日、あまりの自由っぷりに青ざめたのを思い出しました。幼稚園に通い始めたことで、ルールや周りの状況を理解して集団行動するということができるようにはなったけれど、根本的な部分はあのころと変わっていないのだろうなぁと、その姿を見て思いました。あれしてみたいこれしてみたいという強い思いと新しい考えが、いつでも長女の頭の中には渦巻いていて、だから、あれしなさい、これしちゃだめと口を出してくる母親に、反抗したくもなるのでしょう。
 自転車をこぎながら、新しいクラスはどうだったか聞くと、「楽しかった!」という、一番聞きたい言葉が、爽やかに返ってきて、ほっと一安心しました。一番仲良しだった子とはクラスが離れてしまったけれど、そのこともほとんど気にしていないようです。幼児ってそんなものなのかな。また気の合うお友だちができることを祈ります。楽しい思い出いっぱいの1年になりますように。

 それにしても、長女とたった3時間ほど離れるだけで、ぜんぜん気持ちが違っていて、驚きます。ちょっとぐらいのワガママなら、余裕を持って向き合えます。長女もそれは同じみたいで、幼稚園で何かが発散されたらしく、私に対するふてぶてしさがなくなりました。やっぱり、いくら親子でも、ある程度大きくなってくると、お互いのために、離れて過ごす時間も必要なのだな。この春休み、それを学びました。この反省を生かし、夏休みは、実家に1週間くらい帰省したり、ほかにもいろいろと策を立てて、よい関係を保ちたいと思います。
by papiko-gokko | 2016-04-11 21:25 | 幼稚園生活(長女) | Comments(0)
うまくやれない子育てと、育て始めた花
 長く長く感じた春休みが、ようやく終わります。土日を除いてほぼ母子だけで過ごした春休みは、想像以上に、しんどいものでした。大変だったのは長女です。5歳になりますます自己主張がはっきりしてきたことに加え、イヤイヤ期真っ最中の次女がなんでもかんでも「いやなんだもん!」と言っているのに引っ張られ、次女と一緒になってなんでもかんでも「いやなんだもん」と言ったり、こちらからの問いかけや指図を無視して何度も同じ事を言わせ、最終的にこちらが本気で腹を立てて怒鳴るまで言うことを聞かなかったり、買い物へ行っても次女と同レベルのことをして叱ってもやめなかったり、幼稚園がなくて体が疲れないせいか寝付きがすこぶる悪く、次女がすでに寝ているのにどたんばたん布団を蹴り続けたりなどなど、こちらの神経を逆撫でするようなことばかりするのです。可愛いとか愛しいと思う感情が、度重なる怒りの感情で擦れきれてしまいそうで、悲しくなって、何度か涙が出ました。
 4歳までのワガママと違うのは、叱られたときの態度に、ふてぶてしさが加わったことです。そのふてぶてしさに、苛立ちが募ります。馬鹿にされているような悔しさで、頭がカーッと熱くなります。お母さんを馬鹿にしてるのかと半泣きで問い詰めたら、馬鹿にしてないと、半泣きで返されました。おりこうにしたいのに、悪い子になってしまうんだもんと、目に涙をいっぱい溜めて言いました。
 5歳になった彼女には、もう私とは違う彼女の世界がちゃんとあり、主張があり、やり方があり、だから、自分のやっていることややらなかったことについて、なんだかんだと口を出してくる親はうるさくて、言うことを聞きたくない場面もたくさんあって、反抗したくなるのでしょう。自分もかつて子どもだったから、冷静な心で考えれば、その気持ちも分かるのです。だけど、親として長女と向き合っているとき、自分の子ども時代もそうだったからしょうがないわねなんて、のほほんと構えられるほど、私は大らかな人間ではないのです。やっぱり自分の子どもには、ちゃんと、正しいことをしてほしいのです。「お母さんはね、怒りたくて怒ってるんじゃないよ、長女が、悪い大人にならないように、ちゃんとした大人になれるように、叱ってるんだよ」なんて、長女に言い聞かせながら、われながら、なんて説得力のない言葉なんだろうと、むなしくなりました。実際、悪い大人にならないように叱っているのだけれど、叱ったからといって、悪い大人にならない保証はないし、そもそも、悪い大人ってなんだろう。ちゃんとした大人ってなんだろう。私は果たして、ちゃんとした大人なのだろうか。いやいや、とんでもない。
 『ドラえもん』の漫画を読んでいると、のび太のママを始め、子どもたちの母親はだいたい口うるさく描かれていて、「だいたい、親は、いばりすぎなんだ」なんて台詞も出てきたりして、子どものころ読んでいたらぜったい、この台詞に共感していたのだろうなぁと思いながら、いまは、母親側の気持ちで、その言葉を読んでいます。のび太のママはいつもガミガミ怒っているイメージだったけれど、そりゃあ、怒りたくもなるよなと、いまならママのガミガミの心情が、すごく分かります。ガミガミしたくてしているわけではないんですよねと、話しかけたくなります。ガミガミ言わなくては、あなたたち子どもはすぐに調子にのって、危ないことや人の迷惑になるようなこと、するじゃないですか。
 この春休みは私にとって、長女を育てていく上での、新たな難しい壁にぶちあたった日々でした。まだこの壁は、突破できないまま、春休みが終わります。土日には、島根と岡山の中間地点の大きな公園で母と落ち合って遊んだり、遠くまで花見に行ったり、楽しいこともいろいろあったのだけれど、そういう楽しい出来事を書く元気がないくらい、疲れた春休みでした。そういえば母と会ったとき、最近何回言ってもこっちの言うことを聞かないと話したら、「お母さんの声に慣れてしまっとるんよ。あんたたちもそうだったわ。なんかい言わすんよーって最後には怒って」と笑って言っていました。私もやっぱり、そうだったのか。そうだったのだろうなぁ。母親の声に慣れすぎてしまって、何度も言われないとピンとこないような現象、そういえばたしかにあった気がします。長女にとって私の声は、時計の秒針みたいなものになってしまっているのだろうか。声色をものすごく変えてみたらいいのだろうか。無視されたときは、妙な声を出してみようか。
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 そんな春休みの終わり。なんと昨日から、ベランダで花を育て始めました。子育てに疲れたせいでしょうか。きれいに咲く花を、育ててみたくなったのです。花を育てている母に、私も育ててみたいと言ったら、誕生日プレゼントとして、長方形方の鉢ふたつと、2種類の花の苗を3株ずつと、土と肥料をくれました。2種類のうち、どちらかは名前を忘れてしまいましたが、もう一つは、サフィニアブーケという名前です。母と娘たちと一緒にホームセンターにいって選び、母が鉢に植えるところまでやってくれました。アサガオもなかなか咲かすことのできなかった私に、果たしてできるかどうか不安ですが、とにかくやってみます。きれいな花が咲くといいな。自分が育て始めることになったとたん、お店に並んでいるいろんな花の苗や、よそのお庭の花壇に目がいくようになりました。ビートルズを好きになってから、英語に触れるのも楽しくなったし、どんなことでも、物事に興味を持つということは、日々を楽しく明るくする秘訣だなぁと思います。花が咲き、長女の年長生活が、順調にスタートしますように。
by papiko-gokko | 2016-04-10 22:38 | Diary | Comments(0)
これまでのいっさいがっさい脱ぎ捨ててただあのころの話をしよう
 4月になりました。近所の桜並木もほぼ満開で、たくさんの人がスマホやカメラで撮影しながら歩いています。私も昨日、一家で桜並木に出かけて写真を撮りました。去年も同じ桜並木で写真を撮ったけれど、去年の写真では次女がまだベビーカーに乗っていたのに対して、今年の写真では長女が自転車、次女が三輪車に乗っています。1年のあいだに心も体も成長して、去年とはまるで違う景色を見ているに違いない娘たちと、桜のトンネルをくぐりました。
 昨日は私の誕生日で、夫と子供たちが、たくさん祝ってくれました。とくに夫は、誕生日の私に最高の1日を提供しようと、夕食やケーキ作りや家事や子守など、全力でがんばってくれて、夜、無事にケーキを食べ終えたあと、「なんか気が抜けた・・・」と、燃え尽きていました。長女も、夫と一緒にケーキを作ってくれたり、折り紙に描いたお手紙をくれたりして、ニコニコワクワク楽しそうに祝ってくれて、何度も「おめでとう」と言ってくれました。桜並木を歩いているとき、数メートル先を歩いていた長女がふいに振り向いて「おかあさん、お誕生日おめでとう!」と大きな声で言ったときには、恥ずかしくて思わずうつむいてしまったけれど、なんだかドラマのワンシーンみたいで、胸に焼き付きました。3人にハッピーバースデーの歌を歌ってもらって、子どもと一緒にロウソクを吹き消して、とても幸せな誕生日でした。
 そんな幸せな日だったのに、どうしたわけなのか、昨日はやけに涙もろくて、誕生日の日、3回も涙を流しました。長女が夫に叱られ目に涙をいっぱい溜めながら口をへの字に曲げているのを見てぼろぼろもらい泣きしたのと、あと2回はなんだったか忘れてしまいましたが、本当になんでもないことで、ぼわっと涙があふれこぼれてたのでした。誕生日という特別な日で、感情が高ぶっていただけなのか、それとも、この涙もろさは、33歳になったからなのか。
 古い友だちがおめでとうのメールをくれて、嬉しくて近況を返信したら、その返信に対して再びお返事してくれた一言一言に、ああ、もうずっと会っていなくても、私のこと分かってくれてるんだなぁ、さすがだなぁ・・・と感動して、そのときもまた、涙腺が緩みました。いまの私の人付き合いのほとんどは長女の幼稚園関係で、だからどうしたってうわべの付き合いが多くなり、なんとなく傷つくような場面もあったりして、この1年でわりと疲れて、だから、学生時代や会社員時代の楽しかったことをよく思い出したり夢に見たりするし、私のことをよく知っている人がくれるなにげない言葉が、とてもとても、優しく温かく身に染みたりします。
 33歳の1年は、精神的に、もっと強くなりたいです。家族のためにも、自分のためにも、強くなって、大事なものをしっかり守って、自分の生き方に胸を張って毎日を過ごせるよう、33歳を生きようと思います。
by papiko-gokko | 2016-04-04 23:17 | Diary | Comments(0)
さようなら最初の乳歯とまどいの混じる笑顔がたちまち少女
 昨日、5歳2ヶ月ちょうどの日に、長女の乳歯が抜けました。下の前歯です。幼稚園でいつの間にか抜けたらしく、抜けた歯はどこにいったか分かりません。「牛乳のんでるときに抜けた気がする」と本人が言っていたので、もしかしたら、一緒に飲んでしまったのでしょうか。お迎えに行って園庭開放でひとしきり遊ばせてから、さあ帰るよと顔をのぞき込んだとき初めて長女の前歯がなくなっていることに気づき、あまりにも驚いて、「えええ!歯が!?歯は!?いつ歯が?」と、思わず何度も歯という言葉を連呼してしまいました。
 前兆がまったくなかったわけではありませんでした。ちょうどいま、『きかんぼのちいちゃいいもうと1 ぐらぐらの歯』という児童書を読んでいるところで、数日前に、本のタイトルになっているぐらぐらの歯のお話がでてきて、そのとき長女が「ほら」と、自分の前歯をぐらぐらさせて見せてきたのです。しかし、まさかこんなに早く抜けるなんて思っていなかった私は、ただぐらぐらさせる真似をしているだけだと思い込んで、「わはは、長女ちゃんは、まだぐらぐらしてないよ」と、よく見もせずに聞き流してしまいました。思えばあのとき、ぐらついていたのです。今思えば、たしかにあのとき一瞬、本当にぐらついたように見えました。
 ひとしきり驚いたあと、「これから、大人の歯が生えてくるんだよ、おめでとう」と言うと、長女は、嬉しいような、困ったような、不安なような、とても複雑な表情を浮かべて、小さく笑いました。その表情につられて、私も胸がぎゅっと締め付けられ、わが子の成長していく喜びと切なさに、涙ぐみながら自転車をこぎました。たったこの間、乳歯が生えそろったと思っていたのに。もう、可愛い可愛い乳歯たちと、だんだんにお別れしていく時期がやってきたなんて。生まれたばかりのころに、まだまだ先のことだと思っていたいろいろなことが、気づけば、つぎつぎに過ぎていっています。歯が抜けるのなんて、本当に、まだまだ先のことだと思っていたのに、こんなにもあっという間にその日がやってきて、この調子だと、あっという間に巣立っちゃうんじゃないかと思えて、歯の抜けた笑顔を見るたび、ぎゅうぎゅう抱きしめたくなります。もう二度と、乳歯の生えそろった長女には会えないんだなぁという寂しさと、成長しているんだなぁという感動で、何度でも胸が騒いで、歯の抜けている状況に、まだぜんぜん慣れません。

 
by papiko-gokko | 2016-03-23 23:37 | 月齢ごとの成長記録(長女) | Comments(0)
正しさを上手に伝えられなくて雑な怒りで誤魔化している
 昨日も今日も、怒ってばかりいたような。いつも、今日こそもっと優しくしよう、笑顔で向き合おうと思うのに、気づけばあれこれ叱ることばかりで、ため息つきながら洗い物して。イヤイヤ期の次女がここのところ本当にワガママで、この世の仕組みのすべてが気に入らないらしく、現状に対する反抗と要求の繰り返しで、叱っても優しく言い聞かせても「いやだ!」ばかりで理解しようとせず、それどころかわざと悪いことをしてこちらの反応を見たりして、2歳児ってこんなにすさまじかったっけ・・・と、もはや圧倒されています。私がもっとうまく振る舞えば、反抗も要求ももう少しマシになって、空気も悪くならず穏やかな時間を過ごせるのだろうか。いまさらながら、私って子育て下手なのかもとしれないと思い始めています。上手だろうが下手だろうがなんだろうが、とにかく全力で育てる以外、ないのだけれど。

 5歳になった長女のほうは、基本的にかなり聞き分けがよくなったのだけれど、聞こえないふりをしたり、叱られないためにすぐに分かる嘘を言ったり、複雑なかたちで反抗するようになりました。そんなことをわが子にされると気が滅入るし、人として駄目なことだから自分のやっていることの愚かさに気づいてほしくて、つい口調が厳しくなります。
 それから、もう一つ難しいと感じているのが、幼稚園での態度。長女はなぜか、家でいるときより幼稚園でのほうが、私の言うことを聞かない子になってしまうのです。ワガママが発動するのは大抵、お迎えに行って、「今日は園庭開放(帰りの会のあと、30分ほど園庭で遊べる)せずに帰るよ」と言ったときで、長女は「いやだ!どうしても遊ぶ!」と、大きな声で抵抗し、すごい力で私の手をふりほどき、まるで言うことを聞こうとしなくなります。お友だちのいる前できつく叱ってはいけないと頭では分かっているし、叱りたくもないのに、そんな態度をとられると、叱らないわけにいかなくなります。お友だちが遊んでいるのに自分だけ帰るのがイヤなのは分かるけれど、それはみんな同じで、それでも用事のあるときはちゃんとお母さんの言うことを聞いて帰っているのに、長女はどうして、あんなに抵抗するのだろう。
 いつだか、どうして幼稚園ではお母さんの言うことを聞かない子になるのかと理由を聞いたら、「だって、幼稚園では、お友だちのほうが正しいんだもん」と言われてしまいました。幼稚園での私は、いまだにおどおどしているものな。幼稚園にいるときのお母さんは正しくない存在に見えるのかと思うと、悲しくなって、しばらく何も言えなくて、「ちがう、幼稚園でも、そこにお母さんがいるときには、お母さんが正しい、はずだよ」と、やっとのことで言いました。

 次女に対しても、長女に対しても、最近、戸惑うことが多くて、自信がなくなるばかりです。自信がないから、心が不安定になって、苛立って、叱る回数がますます、増えてしまうのです。娘のために必要だから叱っているのか、自分の感情が抑えられずにただ怒っているのか、分からなくなります。長女の絵に怒った顔の私が登場することがちょこちょこあったり、ごっこ遊びでお母さん役の長女が仏頂面で「まったくもう・・・」とつぶやいていたりして、私は子どもにそんなに怒った顔ばかりしているのかな・・・と、反省します。あれこれ叱った記憶はあるのに、今日あの子たちが、どんなことを楽しんで、どんなことを私に話しかけてきたか、もうあまり覚えていません。二人ともなにやら机に向かってやっていたけれど、できあがったものも、今日は一度もまともに見てやりませんでした。なんだかやけに疲れていて、いい加減に見て聞き流してばかりいた気がします。いつも、子供たちが眠ってしまってから、もっと触れ合えばよかった、優しくしてやればよかったと、思うのです。

 明日はこそはたくさん笑って接しよう。子どもたちの顔をよく見て、触れ合おう。そして幼稚園で、おどおどしないように、がんばろう。10代のころからおどおどし続けてきたから、いきなり堂々とした人になるのは難しいけれども、子どものために、がんばろう。まず、無駄な愛想笑いを、少し減らそう。頬骨が疲れるし。
by papiko-gokko | 2016-03-16 22:25 | Comments(0)
玄関を開けて最初に吸い込んだ空気のまるみ春が始まる
 ぽかぽか急に、春の日射しです。ちょうど一週間くらい前、いつもより少し早く幼稚園のお迎えに行った日、年長組さんと先生が、声をあわせて「サクラ咲いたら一年生~♪」と歌いながら、園庭の桜の木を見上げて歩いているのを見ました。ひとしきり歌い終えて、「あ、ほら、この木、つぼみあったよ」と、先生が桜の幹を指さすと、子供たちも一生懸命に背伸びをして、「ほんとだ!」「こっちも!」と、口々に言い合っていて、なんてのどかな光景だろう・・・と、思わず涙ぐんでいたら、長女のペアだった女の子が、私のそばを通り過ぎるときに手を振ってくれました。あの日つぼみだった桜の木の一部が、週末からの暖かさで、今日かなり開花していました。いよいよもう来週は、卒園式です。

 先日、暖かくなる一歩手前の日に長女の参観日があり、「春を感じるものってどんなのがあるかな」という先生からの問いかけに、みんなが「さくら!」「チューリップ!」「たんぽぽ!」と、花の名前を言い合うなかで、長女が「くうき!」と言って全体の流れを止め、先生が「くうき・・・ふじ、のことかな?藤の花も、春に咲くね」とフォローしたのですが、長女は首を振って「くうき!く・う・き!」となおも言い続け、全体を微妙な空気にしてしまいました。そのときは、どうしてあの子は空気という言葉にこだわっているのだろうかとハラハラしたのですが、今朝、外に出てみて、ああ、空気がぜんぜん違う!と感じ、本当だ、春は空気からやってくるんだ・・・と、参観日の日に長女の言っていたことの意味を理解しました。そして長女が、ちゃんと自分の感覚で春を感じてそれを人に伝えようとする子に育っていることを、嬉しく思いました。そういえば私は毎年、春がくるたび「空気が違うねえ!」と、長女に向かってよく言っていた気がします。それを心のどこかで、覚えていてくれたのかもしれません。先生も、今朝の空気を吸って、長女の言っていた言葉の意味に、気づいてくれていたらいいな。

 この週末は、県立図書館へ行って、本をたくさん借りました。今回はなんと、ビートルズ関連の本を、10冊も借りてしまいました。ビートルズにはまってそろそろ1年が経ち、楽曲を聴くだけでは飽き足らず、映画を見たりネットで情報を仕入れたりしているうちに、もっともっと深いところまで知りたくなり、借りてみたい本をメモしたリストを司書の人に渡したら、さすがは図書購入冊数全国1位の図書館なだけあって、メモした本すべて書庫から出してきてくださり、借りることが出来たのでした。嬉しいです。とても全部は読み切れそうにないけれど、こんな本が出ていたんだなぁと、手にとってぱらぱらめくるだけで、十分に幸せです。なにかを大好きになって、その大好きなものにいろんな触れ方をして心をふくらませながら暮らせることは、本当に幸せです。雨じゃなく飴玉が降る世界で、さかさまの傘を広げて歩いているみたいに、めいっぱい甘い幸せです。

 もちろん私の本だけでなく、夫と、子供たちの本もたくさん借りました。最近、親子で中川李枝子童話にハマっていて、今回も『森おばけ』を借りてみました。『ももいろのきりん』は長女が最初に大好きになった児童書だし、『いやいやえん』も好きで何度か読んだし、少し前に借りた『かえるのエルタ』も『ガブリちゃん』もすごくおもしろくて、読み聞かせながら、私も一緒にワクワクして物語のなかに入り込んでいます。長女なんて、読み聞かせの最中に、足をバタバタさせながら「くふふっふ」と布団に潜り込むほど楽しんでいます。
 大きな字で書いてある1年生向けの児童書なら長女が自分で読むようになり、読み始めるとあっという間に読み終わるので、びっくりします。それはもちろん嬉しいことなのだけれど、こうしてどんどん自分で読めるようになったということは、長女が私の読み聞かせを喜んで聞いてくれる日々が、いよいよ終わりに近づいてきているということなのかと思うと、何とも言えず、寂しい気持ちになります。これといって立派な信念を持つわけでもなく日々迷ってばかりの子育てだけれど、絵本の読み聞かせだけは毎日、熱のある日すら欠かさずに続けてきました。だから、読み聞かせを喜んでくれる期間が終わるということは、私の子育ての、大きな一つの区切りになる気がします。
 年長さんの卒園や、長女の進級を目前にしていることもあってか、読み聞かせのことに限らず、長女が小さな女の子でいてくれる期間が、もうほんのわずかになってきていることを、最近感じる場面が多くなってきました。まだ抱っこはできるけれど、ずいぶん重たくなったし、子守歌を歌わなくても眠れるし、朝の準備も、ほとんど一人でできるし、言うこともしっかりして、私が手を貸さなくても、私が知恵を貸さなくても、歩いていける少女へと、着実に変化しつつあり、小学生になったら、ついに私の送り迎えなしに、登下校するようになるのです。そう考えると、これから始まる1年が、これまでにも増して、とてつもなく貴重なものに思えてきます。なまいきになってきたけれど、それでもまだ、童謡を歌えば素直に喜んでくれる、5歳の長女。あと1年の幼児時代、たくさん読み聞かせして、歌って、たくさん手をつないで、たくさん抱っこして、大切に過ごしたいです。
by papiko-gokko | 2016-03-07 22:52 | Comments(0)
念入りに値札をはがし人を避け一眼レフでつくる楽園
 家族で過ごした、心地よい週末。
 土曜日は、図書館へ行って、持ちきれないほど本を借りました。次女向けの絵本数冊、長女が自分で選んだ児童書数冊、それから夫と私の本がそれぞれ数冊、家族全員の貸出カードを使って借りました。私は図書館で限られた時間内に本を選ぶ能力がいつまでも上達しませんが、今回はわりとおもしろそうなものを見つけることができて、胸が躍りました。子供たちも、書店と違い図書館では気になった本を何冊でもどさどさカゴに入れられるから、それが嬉しいようで、のびのびと選んでいました。しかし、家族で図書館へ行く時間が、最近とても好きです。子供たちが大きくなっても、いつまでも一緒に行けたらいいなぁと思います。
 図書館のあとには公園にも行って、少し子供たちを遊ばせました。すべての遊具にガツガツ食らいついていく長女とは対称的に、次女はそれほど積極的に遊具で遊ぼうとせず、ちょっと歩いてはしゃがんで、足下の砂をいじったり、落ちていた枝や木の実を拾ったりしていました。

 そして今日、日曜日は、春先の海を見にいきました。
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 穏やかに晴れた昼下がりの海岸には、うちのような子連れの家族や、カップルや、それからなにやらスポーツクラブの子供たちでほどほどに賑わっていて、なかには波打ち際で裸足になって、本格的な砂遊びをしている子もいました。
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 砂浜には、小さな貝殻が無数に落ちていて、長女も次女も、砂浜に降りるなり目を輝かせてしゃがみ込み、貝殻を拾い始めました。しかし貝殻を拾う想定はしていなくて、袋も何も持ってきていなかったので、ふたりともポケットにせっせと貝殻を詰め込んでいました。瀬戸内海の波は、子供たちをそっとあやすように、たっぷんたっぷん優しく打ち寄せ、彼方にはいくつもの島や船が見えて、子供たちを喜ばせてくれました。
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 キラキラ輝く海はきれいで、子供たちの姿をファインダーごしに見ると、なんだか絵本の1ページのようで、思わず、たくさん写真を撮りました。私はわが子を、絵本の世界の住人にしたいのだろうかと、心の半分で自分をあざ笑いながら、どんどんシャッターを切りました。
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 広々とした景色のいい場所で、お気に入りの洋服を着せた子供たちの写真を撮るのが、とても好きです。写真のなかでだけは、自分の憧れや理想を、シャッターを切るその一瞬に、閉じ込めることができるからです。現実の子育ては、理想通りにいかないことだらけだけれど、だからこそ、写真の世界にそれを求めてしまうのかもしれません。他者や俗物の映り込まない、そんな稚拙な楽園を、カメラで切り取る一瞬でなら、実現することができるのです。だからいつもビデオより、写真をたくさん撮ります。
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 海でひとしきり遊び、写真をとりまくったあとは、海岸のすぐそばにある水族館へ行きました。長女はどの魚も水槽に張り付いて興味深そうに眺めていましたが、次女は薄暗さと動く魚介類の異様さを恐がり、ずっと私にしがみついていました。ただ、外にいたアザラシと亀のことは、かわいいかわいいと言って、喜んでいました。今度は動物園に連れて行ってやりたいです。
 海を見ると、それだけで不思議なくらい気持ちがすっきりして、元気がでました。海と本能には、やっぱり、密接な関係があるのだろうな。よい週末でした。
by papiko-gokko | 2016-02-29 00:02 | Diary | Comments(0)
手をつなぎ名前を呼んでくれた人はじめて習うお別れの歌
 年長さんの卒園を目前にひかえ、長女の心が揺れています。昨日もカレンダーを眺めながら、「自分が年長さんになれるのは嬉しいんだけどね、年長さんが卒園していなくなるのは悲しいからね、嬉しい気持ちと悲しい気持ちと両方あって、なんだか、へんな気持ちなん・・・」と、言っていました。
 長女の幼稚園では、入園してすぐに年長さんと年中さんでペアを組み、1年を通して(特に園生活に慣れるまでの期間)様々な場面でペアになった年長さんが年中さんのお世話をすることになっており、長女にも、春からずっとお世話をしてくれた年長さんの子がいました。登園中などに会うといつも長女の名前を呼んで明るく挨拶してくれるその子のことが、長女は入園したばかりのころから大好きで、そういえば最初に長女の口から出たお友だちの名前も、その女の子だったのでした。だから、もうすぐいなくなってしまうのが、寂しくて仕方がないようです。私も、会うたびとびきり明るい声で長女の名前を呼んで手を振ってくれるあの子の存在に幾度となく元気づけられていたので、4月からはもう小学校へ行ってしまうのだと思うと、たまらなく寂しい気持ちになります。4月からは、長女が新しく入ってくる子をお世話するようになるなんて、信じられません。お世話できる? と長女に聞いたら、「いつも次女ちゃんのお世話してるから、できるにきまってる!」と、胸を張って言いました。年長さんの新しいバッヂを付け、張り切ってお世話しようとする長女の横顔が、目に浮かぶようです。
 『おかあさんといっしょ』の大好きなたくみお姉さんとのお別れと、1年間たくさんお世話になった年長さんとのお別れ。今年は長女にとって、生まれて初めて、別れの切なさを味わう春になりそうです。
by papiko-gokko | 2016-02-27 01:15 | 幼稚園生活(長女) | Comments(0)


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