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日記と短歌


by papiko

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 シャボン玉と同時に必ず三輪車遊びもしていた次女が、その甲斐あって、ついに自力で漕げるようになりました。歩くのとは違う速度の感覚に大喜びで体をのけぞらせケタケタ笑いながら、ちいさな広場内をくるくる漕いでいます。一方、期待に胸を膨らませて自転車の補助輪を外した長女は、外したからといってそう簡単に乗れるようになるものではないらしいと悟って以来、練習を積極的にしようとしなくなり、次女がシャボン玉をしているあいだ、次女の三輪車を乗り回しています。長女がそうやって次女の前で乗り回してくれたおかげで、次女がコツをつかんだのかもしれません。もう寒くなってきてしまったし、長女が自転車に乗れるようになるのは、春になってからかな。今は、幼稚園で縄跳びをしているらしく、跳べるようになったから見てほしいと、先日見せてもらいました。まだたどたどしくはあるけれど、なんとか跳べています。今日は走り跳びもできるようになったと教えてくれました。長女にとっても次女にとっても、自分ひとりの力で新しいことができるようになる喜びは、世界の色が変わるくらい、大きな大きなものなのでしょう。また見せてもらうのが楽しみです。

 クリスマスプレゼントを考えています。いまのところ、長女には本人の希望で目覚まし時計を、くもん出版の日本地図パズルが大好きな次女には、同じシリーズでそれよりちょっと難しいらしい世界地図パズルを贈ろうと思っています。しかしまだ決定ではないので、もうしばらくあれこれ楽しく悩むつもりです。1月にはふたりともの誕生日もあるし、どうしようかな。毎年恒例になっている手作り誕生日プレゼントのほうにも、そろそろ着手しなくては。

 ビートルズをアーティストがカバーしたものを、ネットで探して聴いています。これまで、好きなアーティストの曲を他の誰かがカバーした曲を積極的に聴こうとしたことはなかったのですが、ビートルズのカバーを聴いてみると本当に素晴らしいものが多くて、カバーを聴くことで、ますますその歌の魅力に気づき、大好きになっていきます。女性ボーカリストが美しい声でしっとり歌うビートルズが思いのほか良くて聴き惚れたり、それから男性では、エアロスミスの『Come Together』がものすごくかっこよくて、どうしようかと思いました。それから、エリック・クラプトンの歌う『While My Guitar Gently Weeps』も渋くて最高でした。オアシスのノエルが歌う『help!』もすてきで、当時のジョンの心情が伝わってくるようで胸に響きました。
 まだまだ聴いていないたくさんのカバーそれを歌うアーティストの歌声に、これから出会えるのだと思うと、わくわくします。またひとつ、ビートルズの楽しみ方が増えました。洋楽を聴かなかった私が洋楽を聴くようになり、さらには、カバーに興味のなかった私が、いろいろなアーティストのカバーを積極的に聴いてうっとりしているなんて。ビートルズの偉大さ、計り知れない!
by papiko-gokko | 2016-11-28 22:57 | Comments(0)

 午前中、一家で図書館へ行きました。次女の絵本をたくさんと、それから長女がいまハマって4巻まで読んだ『かいぞくポケット』の5~7巻と、同じくハマっているモモちゃんとアカネちゃんシリーズの『ちいさいアカネちゃん』を借りました。かいぞくポケットはフリガナのない漢字があって自分では読めず、寝かしつけのときに読んでいるのですが、毎回ハラハラドキドキの展開なので、今日も「続きが気になりすぎて眠れない!」と、困っていました。たしかに、朗読しながら私も物語の展開にぐいぐい引き込まれて、夢中になりすぎて息を吸うタイミングがおかしくなり、ポケットを読んでいるとき必ず1回は咳き込んでしまいます。
 モモちゃんシリーズはすべてフリガナがあるため好きなお話をちょこちょこ自分でも読んでいるようですが、分厚いのですべて自分で読むのはまだ難しいらしく、これも11月に入ってからしばらく、寝かしつけのときに読んでいました。こちらは、読んでいて胸がぎゅーっと締め付けられたり、ぎくっとしたり、心の奥が揺さぶられます。モモちゃんやアカネちゃんのかわいらしさ、幼さ、ワガママさ、健気さ、大変さは、今まさに毎日触れ合っている子どもたちそのものでもあり、幼いころの自分を見ているようでもあり、また、モモちゃんのママのなにげない言動や悩みが、現在の自分や、自分が幼いころの母親にそっくりだったりもして、空想いっぱいのお話なのに妙にリアリティーがあり、小学生のころ自分で読んだときより、子どもに読み聞かせている今のほうが、ずっとずっと楽しめています。
 私が子どものころ読んだのは『ちいさいモモちゃん』だけだし、『かいぞくポケット』のほうもも3巻までしか読んでいなかったので、今、子どもと一緒に続きを読めているのが、とても嬉しいです。もしかしたら、長女以上に楽しんでいるかもしれません。長女の本を読むまえに、次女に絵本を2冊か3冊読み、次女は自分の絵本を読み終わると、長女に本を読んでいるのを聞きつついつのまにか寝ていたり、最後まで起きていて、たまにむくっと起きて挿絵を見たりしています。わあわあ大騒ぎの一日のなかで、絵本を読んでいる寝かしつけ前の時間が、母子ともに、もっとも落ち着いているひとときかもしれません。読み聞かせをしたからといって、将来的に人格者や秀才になるとは思わないけれど、読んでいるその瞬間は、母子ともに救われている気がします。
 ちなみに次女は、今日行った図書館で、必ず『ももんちゃん』シリーズを数冊借ります。赤ちゃんのころから、ももんちゃんシリーズが好きです。絵本全体が桃色で可愛らしくて、でてくる言葉もやわらかくて、基本的にみんながにこにこしてももんちゃんのことを大事にしていて大好きで、ももんちゃんが泣いたらちゃんとお母さんがきてくれて、そんな、絵本全体に漂っている安心感が、きっといいのだろうなぁと思います。『すりすりももんちゃん』というお話で、ももんちゃんがお母さんのところへ行くまで泣くのを我慢しながら走っている数ページで繰り返し出てくる、「がまんがまんのももんちゃん」という言葉を、次女は気に入って、ときどき思い出したように口にしています。がまんがまんのももんちゃん。たしかに、なんだか次女っぽい。次女は家の中にいるとちっとも我慢しないけれど、、お外でちょっと恐いことがあると、すぐに泣くのを堪えているような顔をして、しがみついてくるものな。長女の好きな本も、次女の好きな本も、すぐにつられて好きになります。
by papiko-gokko | 2016-11-27 23:49 | Comments(0)

 朝、凍えながら日課のシャボン玉をしたあとで、クリスマスツリーを出しました。ハロウィンが終わって街の飾りが一気にクリスマスバージョンになり、お店でツリーを見るたび長女が家のツリーを出したがっていたので、朝、長女を起こすときに「今日、ツリー出そうか」と言ったら、それまでまだ眠たそうに布団の中でもぞもぞしていたのに、ぱっと目が開いて、「やったー!」と跳ね起きました。
 去年はまだまだ一瞬たりとも次女から目を離せない感じでしたが、今年はツリーを組み立てて電飾を巻きつけるところまで私がしたあとは、子どもたちに飾り付けをほとんど任せて、私はほかのことをしていました。長女が去年のことをよく覚えていたようで、次女にも指示を出しつつ、とても上手に飾り付けていました。次女はまだうまくツリーにつけることができなくて、たまに「できないー」と泣きそうになっていましたが、去年よりはずっと、ツリーのなんたるかを理解して、飾り付けを楽しんでいました。飾り終えて電飾のスイッチを入れると、「わあ!」と、子どもたちの口から歓声がもれ、幸せな気持ちになりました。
 ツリーを飾り終えたあとも、子どもたちは興奮がさめやらぬ様子で、去年もらったお菓子の入っていたブーツを、早くもベッドの枕元に置き、交代でサンタさん役になって、夜寝ていてサンタがきたときのシュミレーションをしたりしていました。次女がうまくやれないので、私まで駆り出され、サンタさん役をやらされて、変なサンタさんを演じて、必死で寝たふりしている子どもたちを大笑いさせました。ああ、クリスマスを楽しみにする子どもたちの可愛さよ。人見知りの次女は、去年と同様「サンタさんくるのこわい、プレゼントほしくない」と言っていますが、それはそれとしてクリスマスそのものは楽しいらしく、「やったー!きょうはクリスマスだー!」と、早とちりではしゃいでいました。
 午後は、箱の中で年代がぐちゃぐちゃになっていた年賀状の整理をしたりして過ごし、もうやりとりをやめてしまった人からの古い年賀状を見て、なんとなく気が沈んだりしました。人とのつながりを絶つのは、恐いくらいに簡単です。
by papiko-gokko | 2016-11-26 22:52 | Diary | Comments(0)

 子どもが体調を崩していたとか、それで疲れて書く気力が湧かなかったとか、眠かったとか、寒かったとか、仕事がきたとか、観たいテレビがあったとか、何日も日記を書かなかった言い訳なんて、いくらでもできるけれど、つまりは、怠けていたのでした。自分が好きで始めたはずのことを、簡単に怠けてしまうのは、人生をものすごく、つまらなくすることだと思います。好きでやっていることだから、がんばってまで続けることはない、という考え方もあるけれど、だいたい怠け癖のある私の場合、好きでやっていることぐらい、がんばって怠けずに続けないと、からっぽになってしまう。書かなければ私という人間は、底抜けにからっぽです。
 大学生や社会人のころなんか、一日中でも書き続けていたいくらい書きたい思いが溢れていたし、親になってからも、次女の出産前後までは、1日か2日で書きたい気持ちが充満していたものでした。それが最近では、書きたいと思えるまでに、何日もかかってしまいます。歳のせいかな。いやいや、立派に堕落しただけ。考えようとするのを、怠けているだけ。その結果、日常のガチャガチャばかり目について、書きたいことより、書きたくないことのほうが、多いような錯覚をします。そうじゃない。考えれば考えるほど、書きたいことにぶつかるはずなのに。
 体調を崩すタイミングまで同じほど長女と次女は仲良しで、だけどいつもふたりで遊んでくれるかというと、そうではなく、よほど二人の遊びたい気持ちと内容が合致しなければ一緒には遊ばず、二人仲良く交代で、おかあさんみてみて攻撃をしてきます。おかあさんおかあさんと求められることは幸せだけれど、あともうすこし、自分の時間があればなぁと、思わずにはいられません。ぼんやりぼけーっと、考えるともなしに考え続けるような、たっぷりの時間がほしい。そんな時間がほしすぎて、昔は嫌いだった眠れない夜も、嫌いじゃなくなりました。しかしせっかく嫌いじゃなくなったのに、布団に入る前から眠くて眠くてあれこれ考えられないまま寝てしまう日が多くなりました。
 だらだら眠り続けていたいし、だらだら起き続けていたい。子どもたちの髪の毛やほっぺたを撫で続けていたいし、夫としゃべり続けていたいし、一人きりでぼーっとしていたい。それらの全部をたっぷりしたい。そのなかで今、一番たっぷりできているのは、子どもたちのことかな。子どもたちはそのうち、髪の毛やほっぺを撫でさせてくれなくなるのだから、今、それが一番たっぷりできているのは、きっと正しいのかもしれない。夫としゃべり続けることや、一人でぼーっとすることは、子どもが大きくなったらもっとできるはずだし、今はどちらも少しずつならできているのだから、それでもうしばらくは、我慢しよう。
 そして、そんなことを日々自覚し続けるためにも、私は日記を書こう。日記を書かないでいると、そんなことすら分からなくなるから、私は書かなくては。書かなくては。書かなくては。書きたい書きたくないでなく、書かなくては。私は書かなくてはいけないのだと、そう思って書くことを、私は好み、楽しんでいる。そして、書かずにはいられない自分でなくなってしまうことを、かなり恐れている。
 ともかく、これからしばらくは、なるべく毎日を心がけて、書いてみます。
by papiko-gokko | 2016-11-25 23:52 | Comments(0)

 確かな日付はもう忘れてしまいましたが、秋の終わりに、チューリップの球根を植えました。私の誕生日に母からもらった鉢植えが、夏に花を枯らして以来、謎の雑草の住処になっていたので、それを全部取り除き、土も入れ替えて、心機一転の再スタートです。赤と黄色と白と紫とピンクの球根を、長女と次女にそれぞれひとつずつ、全部で10個の球根を買ってきて、二つの鉢に5個ずつ植えさせました。次女は1個だけ植える前に踏んでしまったらしく球根がちょっと潰れたので、それは咲かないかもしれません。奇跡が起きて、なんとか咲いてくれないだろうか。どんな具合に植えればいいのか、一応ネットで調べてから植えたものの、自信はまったくありません。最初から咲いている花の苗を植えた前回と違って、まだ土だけで何も見えないので、本当に芽が出るのかどうか不安で、掘り返して球根の具合を確かめたくなり、心の中で、THE YELLOW MONKEYの『球根』を歌いつつ、表面の土をちょっと撫でてみたりしています。子どもたちは、土だけの鉢に向かって、無邪気にじょうろを取り合いながら水をやっています。春、長女が小学生になるころ、咲いてくれるかな。咲いてくれますように。

 今週の土曜は、前々から長女の行きたがっていた公園に行ったり、長女の待ちに待っていた小学校制服を買いに行ったり、お店の前を通るたび長女が行きたがる回転寿司を食べにいったりして、なんだか長女デーになりました。それなのに、夜に悪い態度でご飯を食べて夫に叱られ、なんとなくへそを曲げたまま眠り、そしてひさしぶりの夜泣きをしました。夜泣きをして寝ぼけながら私になすりついてくるその様子は、もっともっと小さかったころの長女とぜんぜん変わっていなくて、ああまだ小さい子どもなんだなぁと、愛しくなりました。最近、本人が小学1年生になりたい気持ちでいっぱいになっているものだから、私もつられてもう長女はほとんど小学1年生みたいな気分になりそうになっていたけれど、やっぱりまだまだ、甘えんぼの幼児です。今日の寝かしつけでは、フランソワーズの『わたしのすきなもの』を読み、最後の「あなたのすきなものはなに?」というページで、すぐに長女が「おかあさん!」と抱きついてきてくれて、幸せな気持ちになりました。そのあと、スーパー甘えんぼの次女も慌てて抱きついてきて、ごろごろ幸せだんごになりました。いつかは大きくなってしまう子どもたちが、こうして甘えてきてくれるうちは、たっぷりどっぷり甘えさせたいなと思います。

 夏はシャワーで済ませていましたが、寒くなってきて、お風呂に入るようになりました。お風呂は私が、今年の春に他界した祖父のことを一番よく思い出す場所です。きっと、幼いころよくお風呂に入れてもらっていたのでしょう。私や妹の首を洗うときに『上を向いて歩こう』を歌って上を向かせていたこととか、タオルで湯船に大きなタコ入道を作ってくれたこととか、祖父が死んでから、ますますよく思い出すようになりました。
 今日も湯船で子どもたちと、おにぎりを握るみたいときに両手をすぼめて重ね合わせて手の中に空気を閉じ込め、その手をお湯の中に入れてから開いてあぶくをぶくぶくっと出す遊びをしながら、ああこれも祖父に教えてもらった遊びだなぁと思い出しました。手が大きい祖父の出すあぶくはひときわ大きくて、どうやったらあんな大きな泡が出るのだろうかと、必死で真似したものでした。あのころはまだ、両手を合わせた空洞に空気を閉じ込めているからあぶくがでるのだという仕掛けが分かっていなくて、祖父はかならず最初にパンパンと大げさに手を叩いてから手の中に空気を閉じ込めていたので、手を強く叩いたほうが大きな泡が出るのかと思って、私も妹も無意味にパチパチ手を叩いてやっていました。だけどどんなにやっても、出てくるのは指先ほどの小さなあぶくばかりでした。手を叩くのは手品っぽく見せるためのフェイクであって、泡の大きさとは関係なく、大きな泡を出すためには空気がたくさん入るように手をすぼめればいいのだと分かったのは、祖父とお風呂に入らなくなってからのことだと思います。
 そんなことを、今日子どもとお風呂であぶく遊びをしながらふと思い出して、書き留めておきたくなりました。長女はまだ、上手に泡を出せません。祖父の出していたでっかいあぶくを、見せてやりたかったな。あんなでっかいあぶくを、私は未だに出せません。
by papiko-gokko | 2016-11-13 23:54 | Comments(0)

 11月になりました。10月は、良いことも悪いことも、どっさりあったひと月でした。今は、先週自転車で転んだときの打撲痛がやっと癒えてきたと思ったら、転んだその日に風邪を引いた影響で、咳をしすぎて背中と肋骨が痛みます。10月に限らず、今年はまったく、良いことも悪いことも、どっさりだったな。まだ振り返るのは少し早いか。

 10月の終わりに、長女の自転車の補助輪を外しました。まだぜんぜん乗れないけれど、ニコニコ嬉しそうに練習しています。本人は「6歳になるまでにぜったい乗れるようになる!」と意気込んでいますが、果たしてどうなるかな。私は長女よりすこし大きくなってから父と練習して、後ろを持っていたはずの父がいつのまにか手を離していて自力で乗れていた・・・という典型的な思い出があります。
 最近の長女は、もうすぐ1年生!という気持ちの高ぶりから、ものすごくお勉強熱心になっていて、毎日、机に向かってドラゼミで届いた問題集などをやっています。それはもちろんいいことなのだけれど、あまりにも熱心なその様子を見ていると、今からそんなにお勉強のことで頭をいっぱいにしていたら小学生になる前に勉強が嫌になってしまうのではないか、もしかしてお勉強のほかに楽しみがないのだろうかと、なんだか不安になってくるのでした。
 だから今日は、長女の楽しいことってなんだろう、私が長女を導くことのできる楽しい世界ってなんだろうと考えながら、公園に連れて行ったり、ここのところ日課となっているシャボン玉遊びをしたり、スーパーに併設されているパン屋さんで、長女が目を輝かせて欲しがったイチゴチョコでコーティングされているピンクのドーナツを買ってやったりしました。
 公園もシャボン玉もドーナツも、長女は満面の笑みで喜んでいたけれど、それはそれとして、暇になるとやっぱりお勉強もしていました。そして、「早く1年生になりたい!幼稚園もう終わりにして小学校いきたい!」と言っていました。それを聞いて、ああつまり、長女はただとにかくはりきっていて、そのはりきりがお勉強というかたちで表れているだけなんだなということが分かり、ほっとしました。義務としてでなく、はりきりという前向きな気持ちで楽しんでやっているのならば、いいのかな。別にほかに楽しみがないわけでもなさそうだし。実際に小学校に入って勉強が始まって、内容が難しくなってきても、そのまま前向きな気持ちを保っていられるといいなと思います。 

 次は次女の話。11月4日で、次女が2歳10カ月を迎えました。あとふた月ほどで3歳になるなんて、どうしよう。2歳の次女が可愛くて大好きでたまらない私は、残り少ない2歳の日々を、いったいどう過ごせばいいのだろう。とりあえず、嫌がられるほどべたべたしよう。
 最近の次女は、まずなにより、恐いもの知らずでわがままです。毎日、危ないところへ上ったりして、夫が叱ってもまったく聞き入れず、「あぶなくないんだもん!」と胸を張るので、夫が呆れています。しかし、本当に叱られそうになると、「ごめんなちゃい」と愛嬌たっぷりに謝って許してもらうテクニックを身につけており、ずるいなあと思いながらも許してしまいます。長女よりも気が強いけれど、長女ほど意地を張らないので、長女ほど叱られずに、うまいこと生きています。
 今はまっている遊びは、シャボン玉と三輪車。外で遊びやすい気候になったので、ほぼ毎日、シャボン玉と三輪車をやっています。長女が自転車の練習をするときも、必ず次女は三輪車とシャボン玉です。三輪車はまだいまいちうまく漕げませんが、シャボン玉はとても上手にやるようになり、吹いては追いかけ、手でぱちんぱちん潰して大はしゃぎして、また吹くということを、シャボン液が少なくなって「そろそろ帰ろう」と私が言うまで飽きもせずに繰り返しています。次女のおかげで毎日シャボン玉を見上げていますが、風向きや空模様で、シャボン玉の色や透明感ってだいぶ違うので、毎日、わあきれいと、新しい気持ちで思います。次女もきっと、そうなのでしょう。次女とこうして毎日のようにシャボン玉を見上げた秋を、次女が忘れてしまっても、私は忘れません。
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 おうち遊びでは、パズルや粘土ブームがちょっと落ち着いて、よくお絵かきをするようになり、家族の絵をたくさん描いてくれます。いつもまず最初に長女を描いて、次に自分を描いて、それから私と夫を描くのですが、たいてい長女と自分の顔がでっかくて、私と夫は小さく描かれています。次女の中で、いかに長女の存在が大きいかが、その絵を見ているとよく分かります。長女と遊んでいるときの次女は本当に嬉しそうで、遊ぼうと誘って「あとで」とか「ちょっと待って」と言われると、涙ぐんで私に助けを求めてくるほどです。
 「次女ちゃんは、3ちゃいになったら、おっぱいもおむちゅもやめるんだ」と日々宣言している次女は、まだどちらも卒業できていません。おむつはともかく、おっぱいに関しては、3歳をめどに、本当に卒業してもらえるとありがたいです。
 いろいろなことが分かるようになって、長女に言われたちょっとしたことで泣いたり、だってだってとわけのわからない言い訳したり、あれがしたいこれしてほしいと欲求に果てがなかったり、印象にのこった出来事をずっと覚えていて何度も話したり、2歳から3歳へと、次女は着実に成長してきています。身長に関しては、はかったてみたらやっと82㎝ぐらいで、平均で見るとやっぱり小さかったけれど、次女なりに伸びているから、あまり気に病まないことにします。まだひょいと抱き上げられる小ささと重みが、大好きだし。

 最後に、子ども以外の話。ビートルズを聴くようになってから、音楽ってすごいなぁいいなぁということを、強くまっすぐ思うようになりました。そして、楽器ができる人や、曲をつくって歌える人が、羨ましくてたまらなくなりました。20代のころに一瞬ギターをがんばってみようかと思って教本を買ってみたけれど、不器用な私の指ではFがぜんぜん押さえられなくて、リズムもうまくとれなくて、あっけなく挫折したのを思い出します。ピアノは子どものころ習っていたけれど、何度教えられても指を間違えるので、先生からいつも、あなたは強情だと怒られてばかりいて、褒められた記憶がありません。歌は、中学のころ合唱部で日々気持ちよく歌っていたけれど、地声で出せる音域が狭すぎてカラオケで歌える曲はごく限られています。そんな私だから、音楽のセンスや技術がある人はいいなぁと、本当に心からあこがれるのです。バンドを組んだりして、日々自分たちだけの音楽を生みだし奏でて、それを聴いた人の心に届けることができるなんて、それってほとんど魔法じゃないか。
 私がこれまでずっと続けていて、これからも続けていけそうな、音楽に通ずることが何かあるとすれば、それは短歌かなと、半ば無理矢理だけれど思っています。私の短歌に魔法はかからないし、短歌の世界の人をうならせるようなすごい歌も詠めそうにありませんが、歌の歌詞のような、歌えそうな短歌を詠みたいというのは、短歌を始めたころから思っていたことで、今も変わっていません。だから、音楽の世界に感動するたび、自分の短歌への思いも熱くなるのです。音楽は好きだけど楽器ができない歌えない私の、手放せないアイテムです。ぽつぽつじゃなく、もっとがつがつ詠みたいです。
by papiko-gokko | 2016-11-05 23:43 | 月齢ごとの成長記録(次女) | Comments(0)