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日記と短歌


by papiko

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 コミュニケーション能力の低さゆえ幼稚園ママの世界で浮きがちな私ですが、そんな私でも、2人だけ、年中のころから仲良くしてくれているお母さんがいます。ひとりは長女の一番仲良しの女の子のお母さんで、私より5つくらい若くて、どこかまだ少女のような明るさ軽やかさもありつつ、子育てに関しては信念をもって厳しくしているしっかり者のお母さん。もうひとりは、入園したてのころの行事で話しかけてくださって、なんとなく波長が合い、あまり緊張せずにしゃべることのできる、年中年長と同じクラスになった男の子のお母さんです。
 今日はそのお母さんと、帰りがけで一緒になって、その話の流れで、お互いのうちでもてあましている野菜の物々交換をすることになり、野菜の交換がてら少し立ち話をして、「幼稚園、親の出番が多すぎて辛いよね」「いやほんと、こんなにしんどいと思わなかった」「毎日の送り迎えがすっごい憂鬱」「子どもには悪いと思うけど、行事とかぜんぜん楽しめない」みたいなことをしみじみこそこそ言い合い、なんだか、ものすごく気持ちが楽になりました。幼稚園はとにかく子どもが主役の光り輝く世界で、親は子どものために常にベストを尽くすべきで辛いとか面倒なんて思ってはいけないような空気があり、自分自身、そんなことを思うのは贅沢だ怠慢だと自分を諫めていたけれど、しかし、やっぱり辛いものは辛い、面倒なものは面倒なわけで、今日、「しんどいよね」と言い合えたことで、ああ・・・辛いと思ってもよかったんだ、毎日しんどいの私だけじゃなかったんだと、何かに許されたように安心して、内側にどろどろたまっていたヘドロがシャボン玉になっていきました。
 マイナスの言葉や感情を表に出しすぎるのは、あまりよくないことかもしれないけれど、ときにはこうして、内側のマイナス感情を誰かと打ち明け合って、ほんとそうだよね、分かる分かると、互いに頷き許し合うことも、大事なんだなぁと、今日思いました。そうすることで、むしろ気持ちは前向きになって、まあしんどいけど、それは私一人じゃないんだし、がんばるとするか・・・と、今は思えています。
 子どもとともに集団のなかで暮らしていく以上、多少なりとも人とのつながりは必要で、いくら苦手でも、そこを避けて通ることはできないし、避けてばかりいては駄目なのだということも、最近、痛感しています。小学校に向けて用品注文など始まると、みんな、小学校の子がいるお母さんに、買わなくても大丈夫なものだとか、サイズ感だとかいろいろ教えてもらったり、どこどこのお店で買うのほうが学校で注文するより安いとか情報を交換しあったりしていて、こればかりは、ネットでどんなに探しても出てこない、人とのつながりを避けていては得られない種類の情報で、私自身も、2人のお母さんにいくつか情報を教えてもらって、助かりました。それに、野菜の物々交換でもらったお豆は、すごく美味しかったのです。
 無理をして、気の合わない人たちと友情だ仲間だなんだとつるむ必要はないけれど、子どもたちを育てながら生きていくこれから先の数年、他者に対して完全に壁を作って生きていては、きっと、失うものが多すぎます。だから、しんどくても、なんとか、やっていかなくちゃなと思います。物々交換したお野菜をお互い片手に持ち、広場を駆け回る子どもたちを横目で見つつ、日暮れのなかで話した数分は、楽しかったし、嬉しかったから、だから私は、本当に人が嫌いなわけじゃない、人と話すのが嫌いなわけじゃないのです。ただ、誰とでもそれなりに会話をする力というものを、身につけないまま大人になってしまっただけなのです。昨日書いたように、私は、19歳のころと本質的に何も変わっていないけれど、立場は変わりました。立場が変わった以上、本質的には同じでも、表面的には、変わらなくてはいけません。浮きがちであろうがなんであろうが、幼稚園はあと半年だし、がんばろう。
by papiko-gokko | 2016-10-26 23:43 | Comments(0)

 義母に買ってもらった、長女のランドセルが届きました。ピカピカの赤いランドセル。さっそく背負って、飛び跳ねて喜んでいます。次女はどうして長女にしかないのかが理解できずに大泣きしましたが、なんとか言い聞かせて納得させました。年中のころからやっているドラゼミからも、入学に向けた特別号が届いたりして、長女の気持ちは日に日に盛り上がってきています。
 夏休みが明けてから、入学前健康診断だったり、学用品注文だったり、給食体験だったりと、小学校へ出向く機会もちょこちょこ増えてきました。入学前健康診断へは私も同行し、初めて体育館に入りました。体育館なんて本当に久しぶりで、広さと懐かしさに圧倒されました。親が体育館で学用品などの説明を受けているあいだに、子どもたちは小学生のお姉さんに連れられて健康診断を受け、40分くらいで帰ってきました。長女の行く小学校へは、長女の通っている幼稚園からだけでなく、いろいろな幼稚園、保育園から子どもたちが集まってくるので、長女も、ほかの子たちも、体育館に集まったたくさんの知らない顔ぶれに、緊張の面持ちでした。健康診断に行くために親のそばを離れ、お姉さんに連れられて体育館を出て行くとき、長女は固い表情ながらも手をふって気丈に出て行きましたが、なかには不安のあまりうつむいて涙をぬぐっている子もいて、その子やその子のお母さんの心情を思うと、胸がぎゅーっとなりました。
 私も、健康診断に行くまでは、もう1週間前ぐらいから緊張していたのですが、いざ始まって知らない顔が大勢が集まっているのを見ると、むしろ緊張がほどけて、ほっとしました。小学校は幼稚園よりもずっと規模が大きいから、もろもろ秩序があってシステム化されている感じで、私のように人と絡むのが苦手な人でも、生きづらさを感じずにやっていけそうな気がしたからです。数人の知っている顔のなかにいるよりも、大勢の知らない顔のなかにいるほうが、私はやっぱり、楽で落ち着くなぁ。
 これからもいくつかの小学校関係行事がありつつ、親子ともども、徐々に小学校との距離が縮まっていくのでしょう。希望をもって、進んでみよう。

 久しぶりに椎名林檎を聴いてみたら、一瞬で体中の血が騒いで慌てて音量を上げるくらい素敵でした。『虚言症』の「しかし何故にこんなにも 眼が乾く気がするのかしらね」という出だしを聴いたとたんに、ぶわーっと意識がタイムスリップして、19歳のとき、進学で上京して初めて住んだ所沢のワンルームマンションや、毎日駅に向かって一人で歩いたプロペ通りが、目の前に広がります。私にとって、所沢、とくにプロペ通りといえば、椎名林檎です。島根から出てきたばかりの私には、プロペ通りの煌めきが十分すぎるほどの大都会で、すっかり都会の絵の具に染まった気分で、人混み(当時にとってはとんでもない人混み)をかきわけガシガシ歩きながら、ヘッドフォンで椎名林檎を聴いてました。あのころの私と、今の私は、本質的には何も変わっていないらしいことを、久しぶりに聴いた椎名林檎に気づかされます。そして、変わっていないんだなというその感覚に、なんとなく救われています。あのころの私の痛々しさが、今の私には、とても大切です。馬鹿な思い上がりをもてあましてプロペ通りを歩いていたときの私を、今、全肯定してあげたい気持ちです。無意味によく行っていた小さなCDショップとか、週1、2回くらい夕食の調達をしていた吉野家なんかに、あのころみたいに一人でふらっと立ち寄ってみたりしたいな。生まれて初めてのひとりぼっちを経験していた19歳の私は、自由で、いきなりあまりにも自由すぎて、何をしたらいいのかまるで分からなくなって、結局、何にも手を伸ばせず、何もうまくやれないまま、ネットばかりしていました。そこから私は、何も変わっていないのです。結婚しても、子どもができても、あのころの私は今も私のなかにいて、相変わらず何をしたらいいのか分からずうまくやれないまま、パソコンの画面を眺めているのです。
by papiko-gokko | 2016-10-25 23:20 | Comments(0)

 長女は夫に叱られるたび目に涙を溜め、次女はしょっちゅう駄々をこねたけれど、笑った時間もたくさんあって、具体的な出来事といえばDVDを借りに行っただけの、のどかな週末でした。こんな日が、たくさんあればいいなと思います。

 もうじき長女の遠足があり、長女はそれをすごくまっすぐ楽しみにしています。長女のそういうまっすぐさに触れるたび、私は怖くなるのです。そういう楽しくて心が浮かれ弾んでいるときほど、ふだんはなんとか受け流せるようなトゲをまともに喰らいやすくて、しかもその痛みは遠足という思い出とともに深く刻み込まれてしまいがちだから、どうかどうか、遠足の日、長女に嫌なことがありませんように、悲しいこと、嫌なこと、気まずいこと、難しいことが、起こりませんようにと、願わずにはおれません。
 
 長女が楽しみにしすぎて、えんそくえんそくと口にするので、次女もなんだかその気になっていて、今日など、「もうすぐみんなでえんそくいくんだー!」とか言いながら布団にはいっていました。困ったな。遠足の日、長女を見送ったあと、「次女ちゃんもいきたかったのに・・・!」と泣く予感がぷんぷんします。近いうちに、家族で遠足みたいなことをしてやれるといいな。 

 今日のたいくつなひとときに、子どもたちと絵を描きました。私は、長女と次女の絵ばかり描いていました。子どもの絵を描いていると、心が落ち着いて、幸せな気持ちになります。似ているのがかけると、より幸せになれます。泣いている顔、澄ましている顔、遠足スタイルの長女、せんべいをほおばる次女、寝起きのふたりなど、たくさん描いて、楽しかったし、子どもたちも喜んでくれました。子どもたちが大好きです。
by papiko-gokko | 2016-10-23 22:51 | Comments(0)

 次女がシャボン玉にはまって、ここのところ毎日、家のすぐそばの広場で、シャボン玉をしています。いますぐシャボン玉をしたいと言って私が洗濯ものを干しているあいだじゅう声を張り上げて泣き、干し終えてシャボン玉を始めると、今度はきゃあきゃあ歓声をあげて走り回り、よく声が枯れないなぁと思います。シャボン玉を見ていると、風の動きがよく見えて、風というのは、風向きも強さも、一瞬一瞬で変化し続けているものだということを知りました。長女は大きなシャボン玉をつくろうとがんばり、次女はシャボン玉を追いかけてタッチするのに夢中です。そしてふたりとも、一気に大量のシャボン玉が出るタイプのストローで私が吹くと、はじけるように笑ってシャボン玉だらけのなかに飛び込んでいきます。

 今日は鳥取で大きな地震があり、私の住んでいる地域でもわりと揺れました。私は長女と寝室でごろごろしていて、次女だけが居間にいたので、地震だ!地震だ!と叫びながら、大慌てで次女のところへ走り、次女を回収して、「なに?なに?」と私のあとをついてきた長女の手を握って、少し開いていた食器棚の戸をしめて、揺れが収まるまで玄関にいました。ほとんどパニック状態だったらしく、どこで打ったのかまったく覚えていないのですが、おそらく次女のところへ走ったときに、右足の中指を強打していて、爪の中が青くなっていました。いまもまだじんじん痛みます。こんなに痛いのに、パニック状態だったときは打ったことすら気づかないなんて、やはり、地震発生時に、冷静な行動をするのがいかに難しいのかを、教えられた気がします。
 かなりガタガタ揺れたし、携帯もけたたましく鳴っていたのに、子どもたちはまったく動揺していなくて、地震だよ、地震だよと教えても、「え?なんで?どこが?」と、まるで分かっていない様子でした。ある程度気持ちが落ち着いてから、「さっきのが地震なんだよ。揺れてるの分からなかった?」と長女に聞いたら、「透明人間が、近くであばれたのかと思った」と、真顔で答えました。まだ5歳児って、そんな世界で生きているのか。それでも、テレビで、お店の商品が散乱している映像をみて、地震がどういうものなのか、多少は理解したようで、「どうして」と言ったきり、しばらく黙ってしまいました。あまり辛い映像は見せたくないけれど、地震は怖いものなのだということは、そろそろきちんと知っておいてほしいです。今回のことで、非常袋のチェックや、部屋の物の配置も、改めて見直さなければと思いました。それに、いざというときできるかぎり冷静に動けるよう、もっとシミュレーションしておかなくてはと反省しています。今日みたいにパニックを起こしてしまっては、子どもを守れません。
 地震のあと、ずっとつながりを持ってくれている高校時代の後輩の子がメールをくれました。それから、東京の友だちも、電話をしてくれました。いつもお仕事をさせていただいている方も、すぐにスカイプのチャットで心配してくださいました。それが、涙が出るほど嬉しくて、ああそうか、私は最近ずっと、寂しかったんだと、気づかされました。幼稚園で毎日たくさんのお母さんたちと顔を合わせているけれど、心から打ち解けて話せるような人はいなくて、だんだん親しくなっていくどころか、すべての人に対してどんどん警戒心を強め壁を作っている自分がいて、挨拶以上の会話を交わすこともあまりなくひたすら影のように送り迎えを繰り返す日々だったから、そんな私の安否を、心配してくれる人が、遠くにちゃんといたことが、すごく嬉しかったです。毎日おなじ集団と顔を合わせる生活をしていながら、そこに心をひらいて話せる人がいないというのは、やっぱり、寂しいです。
 どうかこれ以上、被害が大きくなりませんように。
by papiko-gokko | 2016-10-21 23:35 | Diary | Comments(0)

 すてきな暮らしがしたいなあと、ぼんやり思います。それから、もっとたっぷりのお金と時間が欲しいなあ、とも。だけど、すてきな暮らしってなんだろう。雑誌に出ているような、きれいなおうちでおしゃれな家具や食器をそろえて、リネン生地のエプロンかけて、家庭菜園の野菜をつかって調理したオリジナル作り置きおかずをタッパーに詰めて上手に保存することだろうか。きっとそれを、さらりとやってのける人もいて、そういう人には確かにあこがれるけれど、私にそんなまめなことは、とてもできないし。もし、お金と時間がもっとたっぷりあったとして、私は何をしたいのだろう。お金はあれば結局あるだけ貯金したいし、時間があったところで、大学時代みたいに、ぐうたらと無駄なことに思いをめぐらせながら過ごすだけになりそう。だとすれば、私の目指すべき、すてきな暮らしは、どこにあるのだろう。そんなことを考えていると、必ず頭の中に「本当はこれで そう 本当はこのままで何もかも素晴らしいのに 」という、エレファントカシマシの歌のワンフレーズが流れて、それからなんでもない瞬間の、家族の顔が浮かびます。なにもかも素晴らしいのに、私はいつまでも、いろんな遠いものにあこがれる癖が、治らない。次女が蝶々を見つけるたび、短い両手をいっぱいに広げて追いかけながら「ちょうちょ、つかまえられない、どうしてかな」と悲しげに言う、次女の手でつかまえられるわけないのに、大まじめな顔で首をかしげる、私のあこがれも、たぶんそれと同じです。

 運動会が終わって、ちょっと体調を崩しつつもふたたび平穏な日常に戻った長女は、最近クラスに気の合う新しいお友だちができたみたいで、本当によかったなあと思っています。これまで同じクラスに、いつも一緒にいるようなお友だちがいなくて心許なさげだったので心配していたのですが、今は何をするときもその子と行動しているようで、毎朝、安心して送り出せるようになりました。
 集団生活の中ではとくに、いつも一緒にいるような子がひとりできるだけで、全然、日々の安心度数が変わってくるものです。少なくとも私はそうでした。たくさんのお友だちなんていなくていい、いつでもそばにいてくれて、自分の存在を大事に思ってくれて、裏切らない子がひとりいれば、それ以上のことはありません。長女のこれからの長い集団生活に、いつでもそういう子がひとり、いたらいいなあと、切に願います。ひとりの子ばかりにこだわっていてはよくない場面も多いし、もろもろなかなか難しいのは、自分もそれなりに経験してよく分かっているけれど。
 長女が見せてくれた、新しいお友だちからのお手紙には、子どもの手のひらほどの小さな千代紙いっぱいに大きな文字で、「おともだちになってくれてありがとう」と書いてあって、そのやさしいあたたかい言葉と、千代紙についた丁寧な折り目に、涙が出そうになりました。こちらこそありがとうと、伝えたいくらいでした。長女もその手紙がとても嬉しかったみたいで、机に敷いている透明シートに、あいうえを表と一緒にはさんでいます。
 幼稚園から帰った直後の長女は、疲れているらしくなんだかアンニュイな感じで、だらだら本を読んだり、絵を描いたり、大人しい遊びをします。それが、長女の帰りを待っていた次女には、ちょっと物足らないようで、遊んで欲しくてちょっかいを出してケンカになることもよくあります。夕ご飯を食べ終わったあたりで、ようやく長女もまた力が湧いてきて、活発に動き始め、次女も大喜びでついて遊びます。
 幼稚園ではきっと、体だけでなく、精神的に疲れることも多いのだろうな。帰ってすぐには、私や次女に対してぶすっとした顔をしてしまうくらい、疲れることもあるのだろうな。思い通りにいかないことだらけなのだろうな。そういえば今日も、お弁当のとき○○ちゃんと座りたかったのに○○くんが真ん中にきちゃってとか、なんだかそんなことを話していました。日々集団の中でがんばっている長女を、毎日、もっとまるごと受け止めて、話を聞いて、労ってやらなくちゃなと、今日、つい些細なことで叱って長女を涙を見たあとで、反省しました。最近、次女に手がかかって、つい長女より次女のことを優先してしまいがちなので、それも注意しなければ。夜ご飯のとき、なにげなく次女を褒めたら、長女の顔が分かりやすくふてくされて、はっとしました。毎日がんばって幼稚園にいっているのだから、家にいるときには、長女のことを優先的に可愛がるようにしよう。

 次女は、いろいろなことをして遊んでいます。パズルとかるたは毎日の日課となっていて、それから昨日はねんどを、今日はえのぐをしました。お人形遊びもしました。最近は体を動かすのも好きになってきて、高いところによじ登ろうとしたり、飛び降りようとするので困っています。まだ確定はしていませんが、いろいろ考えた結果、おそらく、次女は、長女と同じく2年保育にすることになりそうなので、あと1年、母子で過ごすことになります。長女が3歳のときは、長女が活発なほうの子だったので、どう過ごしたらいいのか、悩む毎日でした。悩みながら、次女を抱っこして長女と手をつないで、日々近所をお散歩していたような、そんな記憶しかありません。長女が3歳のときは0歳の次女もいて3人だったけれど、次女が3歳になったときには、長女は幼稚園でいないから、次女と2人です。どう過ごしていくのか、今から考えておかなくてはと思います。何か習い事でもするべきだろうか。でも一体、何を。とにかく、次女が十分に楽しく充実した日々を送れるようにしたいです。
by papiko-gokko | 2016-10-18 22:52 | Comments(0)

短歌


 文章がうまく書けないというか、書きたいことを書こうとすると、ぼやけてしまうので、短歌を詠むことにしました。こういうときは、短歌に限ります。

幸せよ私はとても幸せと言い聞かせなきゃ忘れるくらい

ヘビみたく両手が伸びて部屋中の物の配置をぼんやりずらす

そんなには仲良くしたくないけれど薄く好意は持たれていたい

たいていの思いは伝わらないままで楽しかったよまた遊ぼうね

あくまでも逃げの姿勢を貫いて目指す楽園まちびとおらず

日常は愛しているがスーパーの話でそこまで盛り上がれない

社交辞令ひとつ言うたび妖精の世界の罰則事項が増える

2歳児と天気の話を交わしつつ自転車こいでそれだけでいい

個性とは深まり続ける水たまり明るい子どもが好きな先生
by papiko-gokko | 2016-10-13 23:18 | Diary | Comments(0)

10月になりました


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 どうしても、どうしても、どうしても欲しくて、買ってしまいました。ザ・ビートルズアンソロジーDVDボックス。5枚組、全部で11時間以上、当時の映像や、当時のことを語る本人たちの映像がたっぷり収録されているのです。まさか自分が、こんな領域にまで手を出すとは、思いませんでした。これで、私が手に入れたビートルズのものは、3つになりました。ビートルズが私にくれる幸福感は計り知れないものがあり、だから買ったことに後悔はありませんが、今回中古で定価より安く手に入れたとはいえ、日々いろいろと出費がかさむというのに、家族の生活と関係のない自分のためだけのものを買ってしまった・・・という自責の念はぬぐえません。もうこれから少なくとも半年は、自分のためだけのものにお金を使わないことをここに誓います。

 10月になり、運動会がありました。やはり年長ともなると、かけっこも団体競技もダンスもそれぞれに感動的で、とくにダンスは、いつも家でやってみせてくれていたので、ああこれを毎日がんばっていたのだなぁと、泣きそうになりながらビデオを撮りました。子どもたちが一生懸命にがんばる姿というのは、無条件に胸を打ちます。今年は夫が参加できなかったので、ビデオを去年以上にしっかり撮りました。夫は行けなかったけれど、私の両親が観に来てくれたので、長女は喜んでいました。親子競技では、私の鈍くささに苛立ったのか、目も合わせてくれず、競技のあと「がんばったね」と声をかけたら黙れとばかりに口をふさがれ、退場のとき手もつないでくれなくて、悲しかったです。パパの参加者が多かったから、それも複雑だったのだろうか。長女が胸を張れるようなお母さんになってやれなくて、そんな自分が情けないです。写真を見返してみても、私はいかにもおどおどしていて、落ち込みます。どうすればいいのかな。

 運動会で両親がきたタイミングで、前々から計画していた両親の還暦祝いもやりました。上の妹一家と、下の妹と、私たち一家と、そして両親とでホテルに泊まってお祝いし、夕食のとき、娘たち(とその夫)から、母には、おしゃれに詳しい妹たちが選んだダイアナの靴を、父には紳士コートを、それぞれプレゼントしました。母は泣いて喜んでくれました。ケーキも焼いていったので、翌日にみんなで食べました。思い返せば、長女としてもっとあのときああすればよかったとか、あれはいらなかったとか、反省点もいろいろありますが、とにかくなによりも、無事に両親の還暦をみんな笑顔で祝えたことを、幸せに思います。

 書きたいこと、書きたくないこと、その区別が、ここのところ、もやもやしてきていて、なんだかうまく、日記が書けません。つまり、今の私は、いまいちうまい具合に、前を向けていない、あるいは外に目を向けられていない、ということなのだと思います。些細なことで落ち込んでは、ビートルズに逃げ込んでいます。
by papiko-gokko | 2016-10-11 00:02 | Diary | Comments(0)

次女2歳9ヵ月


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 次女が2歳9ヵ月を迎えました。我が道をゆく破天荒ぶりにも、内弁慶の人見知りぶりにも、磨きがかかってきています。一人遊びがとても上手で、パズルや粘土遊びに熱中しているときには黙々とおりこうで遊んでくれるのですが、何か自分のなかに生じた欲求がスムーズに満たされなかったり、眠かったりお腹が空いていたりすると、ワガママいばりんぼうになります。のぼってはいけないところへ上ったり、描いてはいけないところへ描いたり、抜いてはいけないプラグを抜いたり、そのような非常に悪いことちょこちょこやらかして、厳しく叱られると必ず逆ギレし、大声を張り上げて泣き出します。そして、謝りません。小さな体を震わせて怒りを爆発させていて、つい、笑えてきてしまい、口元が緩むのを必死でこらえて厳しい顔を作らなければなりません。
 家ではそんなに強いのに、慣れない他者がいるところでは、相変わらず人見知りしておとなしくなります。昨日はショッピングモールにいったときには、案内ロボットのpepper相手にロボ見知りしていました。次女は半泣きになり、長女まで少し怖がって、話しかけたら応えてくれるよと言っても、何も言いませんでした。たしかにちょっと、怖かったです。目とか、長くてしなやかな手とか。私も人見知りなので、次女といると安心します。長女はあまり人見知りしなくて、ハラハラしたものでした。
 おうちモードのときの次女は、大きな声で歌をよく歌うようになりました。アナ雪だったり、アンパンマンだったり、あるいはでたらめな作詞作曲ソングなどを、歩き回りながら、時にはピアノをじゃばじゃば弾きながら、熱唱しています。私の鼻歌にも敏感に反応し、とくになぜだか長渕剛を口ずさむと高確率で反応します。長渕剛を歌うとき、私はわりと本格的に感情移入して歌っていることが多いので、そのせいかもしれません。先日は繰り返し『順子』を歌っていたら「じゅんこってだれなのよ」と冷静に突っ込まれ、昨日は『ろくなもんじゃねえ』を心の底から口ずさんでいたら「それだれのうたなの?びーとるず?」と尋ねてきました。私がビートルズばかり聴いているので、歌う曲もすべてビートルズだと思っているようです。ビートルズのなかで次女が一番好きなのは『All My Loving』のようで、私が歌ったり流れたりするたび、「いま、おーまいらびんて言ったねえ」と、なぜかとても嬉しそうに言います。ポール派なのかな。ちなみに長女は、ドラムが一番やってみたいからリンゴスターが好きだと言っていました。
 最近とてもよくご飯を食べるようになり、体重も増えてきました。身長は測っていないのだけれど、なんとなく、頭と体の比率が、赤ちゃんではなく幼児になってきたような気がします。トイレトレーニングは進まず、ごくまれにうんちをトイレでしてくれることがある程度です。せっかく作ったシール表にも、あまり興味を示してくれません。これから寒くなるし、外れるのは来年かな。なぜかまったく焦っていない自分がいます。
 そういえば、ここのところ文字に興味がでてきていて、文字のパズルをしたり、長女のやり終えたドラゼミをなぞったりするようになりました。まだぜんぜん読むことも書くこともできていませんが、興味がでてきたというのも、一つの成長だなぁと思います。長女が最初に覚えた文字は「ん」だったけれど、次女はどの文字を覚えるだろう。数を数えるということもだんだん分かってきて、「いちーさんーごおーしいー」と、でたらめになんでも数えたがります。そんな姿を見るたび、ああもう赤ちゃんじゃないのだなぁと、しみじみ思います。
by papiko-gokko | 2016-10-03 23:16 | 月齢ごとの成長記録(次女) | Comments(0)