日記と短歌
by papiko
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探してもどこにもいないそれでいていたるところに君がいる夏
 実家から戻ってきて、子どもたちとべったり過ごす夏休みが始まりました。生活リズムが壊れないよう、朝7時半には起こし、だいたい9時前におでかけし、買い物やら、銀行やら、歯医者やら、図書館やら、毎日なにかしら用事を作り、目的を果たして本格的に暑くなる前に帰宅して、ひとしきり水遊びをさせてから少し早めのお昼ご飯を食べさせる、というのが、ここ一週間続いている午前中の流れです。図書館はたくさん本を借りるから私の自転車で行きましたが、それ以外の場所へは、子どもたちの運動不足解消のために、徒歩か、あるいは長女の自転車と次女の三輪車ででかけました。長女に常に注意を払いつつ次女を三輪車を操縦するのは体力も神経もかなり使うので大変です。今日も自転車と三輪車であちこち回ったあと、汗だくだくになりながら最後にドラッグストアへ行ったら、レジで試飲の栄養ドリンクを手渡され、思わず一気飲みしました。あまりにもありがたくて美味しくて、寿命が延びたような気がしました。
 午後は、DVDを見たり、物作りをしたり、私が疲れて相手できなくなると子どもたちだけで寝室のベッドで飛び跳ねてはしゃいだり本を読んだりして好きに過ごし、そうこうしているうちに3時のおやつになり、夕食を作る時間になり、お風呂に入れる時間になり、バタバタしているうちに夫が帰ってきます。夏休みだから少しでも特別なことをと思い、一昨日は長女にお金をもたせて、自分でお金をレジに出して折り紙を買うという経験をさせてみたり(でも後ろに次のお客さんがきたので、けっきょく私がやった)、今日は数色のスズランテープを買って帰ってポンポンを作ってみたり、それから前々からやりたがっていた三つ編みを教えたりしました。長女は最初こそ戸惑ったものの、何度か教えているうちにコツを掴んだらしく、わりとすぐできるようになって、できるようになったのが嬉しくてたまらなかったらしく、何本も何本も30㎝くらいの三つ編みをこしらえていました。
 明日は何をしようか・・・と、毎日考えながら寝て、朝起きてからは、今日何しようか・・・と考えながら歯を磨きます。大変ではあるけれど、なんとなく去年に比べると、楽になった感じもして、私もそれなりに、子どもたちとの夏を楽しむことができています。去年より長女の聞き分けがよくなったし、姉妹で遊んでくれるようになったし、それになにより、最近は長女が本をすごく自分で読むようになって、読んで読んで攻撃がほぼ次女だけになったのも、大きな変化です。
 夏の手前あたりから、長女は黙読でストレスなく文字を追えるようになったらしく、本を与えておけば、30分から1時間ぐらいは、黙って読みふけっていてくれるようになりました。いまのところ長女の読書はとても雑食で、赤ちゃん向けの絵本も、シリーズものも、図鑑も、小学生向けの児童書も、迷路やクイズの本も、ジャンルを問わずなんでも貪欲に楽しんでいる様子です。読書が長女にとって、これからもずっと、純粋に楽しいものであればいいなと思います。義務感や責任感で読む本ほどつまらないものはないので、そんな本の読み方だけはしてほしくありません。私は10代前半のころ、より良い身になる本を読まなければという思いが強まりすぎて本の選び方を間違い、読書が嫌いになりかけた時期があるので、長女がそうならないよう、図書館でうっかり大人目線になりすぎて、道徳的要素のどぎつい本や背伸びしすぎた本を選ばないよう、子どもの頃に自分が読んでおもしろかったような本を選ぶよう心がけてます。
 明日は、何か簡単なお菓子作りでもしようか、それとも、遺品整理のときに出てきた、なぜかまったく使っていない水彩絵の具を、もったいぶって出して、喜ばせてみようか。考えたところで、理想通りにはならないと分かっているけれど、年長さんの夏休みは、たった一度しかないから、一つでも楽しい思い出を増やしたくて、あれこれ思いをめぐらせます。夏休みの中頃には、横浜への帰省もひかえているし、何度か幼稚園のお友だちとも遊ぶだろうから、私が気を揉むまでもなく、楽しい思い出満載の夏になることでしょう。

 夜、子どもたちが寝たあとは、ここのところ仕事もないので、ビートルズを聴きつつ、日記の文面や短歌を考えたり、『ガラスの仮面』の漫画をめくってにやついたり、至福のひとときを過ごしています。『ガラスの仮面』、おもしろすぎて、はまりすぎて、中古でほぼ全巻、大人買いしてしまいました。こんなにドハマリした漫画は、ひさしぶりです。ちょっと前に『ブラックジャック』を読み返してブラックジャック愛が燃え上がり、読み過ぎて夢にまで出てくるほどでしたが、今回はそれ以上の燃え上がりです。大学1年のとき『めぞん一刻』と『うる星やつら』にはまりまくって、ブックオフに通い詰めて全巻そろえたときに匹敵する熱烈さかもしれません。おもしろい漫画というのは、本当に、とんでもない魔力があるものだなぁ。幸せな魔力です。
by papiko-gokko | 2016-07-29 23:20 | Diary
一週間の帰省と遺品整理
 長女の夏休みが始まって、一週間、出雲の実家に帰っていました。行きは、岡山に来ていた両親の車に私と子どもたちで乗せてもらい、帰りは夫に迎えに来てもらうという初めての試みで、ひさびさにたっぷり実家で過ごしました。今回長く帰った第一の目的は、子どもたちの夏休みの思い出を作ること、第二の目的は、母に子どもたちの面倒を見てもらって子どもと距離を少し置き、私が長い夏休みを乗り切るための英気を養うこと、それからもう一つは、祖父の遺品整理を手伝うことです。

 第一の目的、夏休みの思い出作りは、大成功でした。事前に母が庭用のプールを買ってくれていたので、毎日それに入って大喜びで遊んだし、何度かショッピングモールに行って有料の遊び場で遊ばせてもらったし、新しいおもちゃや本も買ってもらったし、それに長女は母(ばあば)にべったりで、毎晩、私でなく母のベッドで眠り、朝には犬の散歩について行っていました。ウナギや桃など美味しいものもたくさん食べさせてもらったし、夫が来た日にはみんなで海に行き、長女だけ水着を着て初めて海に肩までつかりました。夜には、私や妹が小さい頃に着ていた浴衣を子どもたちに着せて、手持ち花火を楽しみました。思うぞんぶん遊んで、いつもなら聞いてもらえないような願いをたくさん叶えてもらって、長女も次女も、最初から最後まで、ずっと楽しそうでした。
 両親、とくに母がはりきってくれたおかげで、第二の目的のほうも、かなり達成できたかなと思います。親に気を遣って疲れた部分もどうしてもあったけれど、それでもやはり、普段の生活では離れることのできない子どもと距離を置いて過ごせたのは、ありがたいことでした。子どもに対して腹を立てずに過ごすことができて、冷静な目で、自分の子どもの性格はこんなふうなのだな・・・と、いいところも悪いところも、おもしろいところも問題点も、発見することができました。

 三つ目の目的、遺品整理は、行く前から絶対やろうとはりきっていたので、精一杯がんばりました。両親は忙しくてなかなか大変そうだし、それに私はお葬式でちゃんと泣けなかったから、遺品整理を手伝うことで、改めて、祖父と対話がしたいという強い思いもあり、できるところは私が自分の手で、やりたかったのです。子どもたちがプールで遊んいるあいだや、母が見てくれているあいだにひたすら整理し、祖父が一日の大半を過ごしていた居間の部屋を、2日間かけてほとんど片付けることができました。もう捨ててもいいだろうというものはどんどんゴミ袋に入れ、思い入れのありそうなものなどこれは遺品かなーと思えるものは、遺品候補のものを集めたカゴに入れていきました。携帯電話やら病院やら水道光熱費の請求書や領収書をたくさん捨てました。もう二度と電話代もかからない、水道も電気もつかわない、病院へも行かない、それが死ぬということなんだな・・寂しいな・・と思いながら、捨てました。
 祖父の引き出し関係の中にとにかくたくさんあったのは、祖父が定年後から病気になるまで生業にしていた鮎釣りと猟の道具で、それは、父が定年後に跡を継いでやるかもしれないと言っていたので捨てずにとっておくことになり、あちこちにしまってあったものを集めたら段ボール2個分にもなりました。私が子どもの頃、まだまだ体格ががっちりとして元気の漲っていた祖父が、プロ野球中継を眺めお酒を飲みつつ鮎を捕るための網を編んでいた姿はとてもよく覚えているので、ひさしぶりにそれらの道具を見て、時間が引き戻されるような気持ちがしました。子どものころからずっと祖父の部屋にあった棚からは、開いて物を出すたびに、当時と変わらない匂いが立ちのぼってきました。いつも祖父の傍らに置いてあった灰皿付き小物入れの引き出しを整理していたときには、一番奥から、私が7歳のころに描いた、やけに写実的な祖父の絵と、おそらく同じ日に描いたのであろう当時4歳だった上の妹の、祖母の絵が出てきて、気まぐれで祖父の絵を描いた7歳のその日から、その絵がずっとその引き出しの中にあったのかと思うと、時空が歪むような感覚を覚えました。

 片付けていて一番興味深かったのは祖父と祖母それぞれの日記帳でした。祖母のものはノートで数冊、祖父のものは1年ごとの手帳で、1979年から2012年までどっさりありました。祖母が倒れてもう二度と意識が戻らないと分かったとき、祖父が祖母の日記を読んで、日記相手にケンカをしていたことを思い出しながら、ぱらぱら、二人の日記をめくりました。祖母の日記は、朝コーヒーを飲んだこと、お腹の調子が悪かったこと、クリーニングを出しにいったこと、孫の吹奏楽を聴きにいったこと、天気のことなどが、時系列で細かく書かれていて、たまに感想や決意も書いてあったりして、その日の祖母のことが、口調や表情まで目に浮かんできました。一方祖父のほうは、日付ごとに区切られている手帳の少ないスペースに、その日の主な出来事だけが、ほぼ毎日書き込まれていました。それでもわずかな文面と走り書きの文字から、その日の祖父がどんなふうだったのか思い浮かんでくるのだから、日記というのは不思議です。
 祖父の83年4月3日の日付には「○○(私の父)の長女誕生」と、私のことが書かれ、私が進学で家を出てからは帰省するたびそのことが記録され、2012年の7月には、私たち一家が一時的に出雲に引っ越し住み始めたことも、ちゃんと書かれていました。しかし、2012年の後半あたりから、だんだんと、記録が毎日でなくなって、文字数も減ってきて、2013年の日記はついに見当たらず、そのあたりから、祖父の生きる気力が減退していったのだろうか、私たちが一緒に住んでいたころの祖父は、何を思っていたのだろうかと、しばし考え込みました。
 祖母が倒れ意識をなくして入院してからの日記には、しばらく毎日のように「病院へ行く。異状なし。」と書き込まれていて、その「異状なし」という言葉が悲しくて、あやうく泣きそうになりました。医学的診断でもう二度と意識が戻ることはないとはっきり分かっていても、病院へ行って昨日と変わっているところがないかどうか目で見て確認し、日記に「異状なし」と日々記していた祖父の心情を思うと、異状なしという言葉の、事務的な響きが、余計に辛くて、やりきれない気持ちになりました。
 祖母の日記にも、祖父の日記にも、私たちや両親の名前が、たくさん出てきて、自分の名前が出てくるたび、語りかけられているような気持ちになり、温かさと寂しさで、胸が締め付けられました。私を大事に思い共に生きてくれていた人がこの世からいなくなったんだということを、名前が出てくるたび、思い知らされ、大声で泣きたくなりました。それでいて、あまりの祖父らしさ、祖母らしさが垣間見える文章には、思わずくすっと笑ったりもして、日記を読んでいるあいだ、私の心は、祖父と祖母の人生そのものに、抱かれているように感じられました。日記ってなんのために、だれのために、どうして書くのだろうというのは、こうして日々ブログを書きながら考え続けているテーマだけれど、祖父と祖母の日記に、その大きなヒントが、隠されている気がします。その答えに、たどり着きそうで、だけどまだ、考えている途中です。ただ一つはっきり分かったことは、日記を書くことに、意味はある、ということ。これ以上の読み物はない、ということです。

 気の済むまで片付けて、祖父母の持ち物と対話して、日記の文面に触れて、心に浮かんできたのは、たくさんの、どうしようもない後悔でした。一緒に住んでいたときもっともっと親切にすればよかった、もっと長女や次女と触れ合わせたらよかった、耳のちゃんと聞こえていたうちに、もっといろんなことをしゃべっておけばよかった、もっと贈り物をすればよかったと、お葬式のときには、なるべく考えないようにしていた後悔が、頭の痛くなるほどわき上がってきました。そして、人が死ぬということの重さを知りました。からっぽになるはずないと思っていた場所がからっぽになったような、呆然とした思いを、まだ引きずっています。
 
 私よりずっとまだ引きずっているであろう父は、表面的には元気そうで、定年間近でありながらまだ海外出張もあったりして忙しく過ごしながらも、庭で自家製の梅干しをおいしく作ることに命をかけている様子でした。しかし、出雲で過ごす最後の日、みんなで花火をしたあと、祖父の祭壇が飾られている床の間でわいわい賑やかに写真を撮ったりしながら、「おじいちゃん、大騒ぎでびっくりしとるね」と言い合っていると、父が祭壇の祖父の写真に向かって「おやじ、嬉しいよなあ、おおはいごん(大騒ぎ)が、大好きだったもんな」と語りかけ、その、聞いたことないほど優しくて心細げな声を聞いたとき、ああ、父はまだ、ぜんぜん、祖父の死のそばにいて、死を過去のものにできてなんかいないんだ、ということが、痛いほど分かりました。いつも、父は祖父に対して、ちょっとつっけんどんなくらいのしゃべり方だったのに、祭壇に話しかけるその声は、いまにも泣き出しそうにも聞こえました。
 土日は高校野球の県大会を熱心に見て、涙ぐみながら校歌を聴いていた父。地元愛、母校愛のものすごく強い父や、一生を通して出雲で過ごした祖父の人生のことを思うと、地元を愛し、信頼し、ずっと地元で生きていけるのならば、それってすごく幸せなことだよなぁと思えてきます。そして、私にはどうしてそれができないのだろうかと、なんだか心許なくなります。20代のころは、いろいろなところへ住んでいろいろな場所を知って視野を広げてこそと人生は楽しいと思っていたようなところがあるけれど、人生の充実と、住んだ場所は、関係ないなぁと、今は思います。

 どうにも、とりとめのない日記になりました。まとまらないので、終わりにします。まだまだ長い夏休み、明日は何をして過ごそう。
by papiko-gokko | 2016-07-24 22:40 | Diary
夏休み蝉の鳴き声かき分けて君に見せたい不思議を探す
 朝、すさまじい蝉時雨の中、自転車で長女を幼稚園まで送っているとき、「なんでこんなに蝉の鳴き声がするのに、すがたが見えないのかな。どこにいるのかな」と長女がつぶやいたその数秒後に、私のお腹めがけて、でしっと、何かが激突し、ジジジジ!と飛び去っていきました。私には見えませんでしたが、後ろで「ぎゃ!」と叫んだ長女には、はっきりセミと分かったそうです。驚いて、しばらく動悸が収まりませんでした。セミが激突してきたのは、人生で2度目ぐらいです。まだ梅雨明け宣言は出ていないようだけれど、もうすっかり夏の暑さです。長女は連日のプールで、もうすっかり小麦色に日焼けしました。強めの日焼け止めを塗っていても、夏の日射しには敵いません。
 夏休みももう目前となり、昨日、長女を送った帰りに、重たいトマトの鉢植えを自転車に乗せて持って帰りました。帰ってさっそく次女と赤くなっているトマトを収穫して食べてみると、お日様をたっぷり浴びて、ほどよく甘い、美味しいトマトに育っていました。家でも美味しいトマトに育つよう、枯らさないよう、がんばらなくては。1学期が終わりに近づくにつれ、送り迎えのときの長女の表情が明るくなってきたように思います。ようやく長女なりに、クラスに馴染めてきたのでしょうか。集団生活においての自分の立ち位置というか、居場所を見つけるのは、時間も労力もかかって、いくつになっても、しんどい作業だものな。私の見ていないところで、きっとたくさん考えて、がんばったのだと思います。この調子で、長女が残りの幼稚園生活も、それなりに楽しく心地よく過ごせればいいなあと願っています。

 毎日おうちにいる次女も、日々水遊びをして、夏らしく過ごしています。汗をかくとすぐ「みじゅあちょびしゅる。だってあちゅいんだもん」と言うくらい、大好きみたいです。そういえば次女は赤ちゃんのころから、お風呂でお湯が顔にかかっても平気な子でした。まだ次女を大きなプールに連れて行ったことはないけれど、連れて行ったらきっと、大喜びしそうです。長女がいるときには長女を水遊びに誘うのですが、長女は幼稚園でやっているものだから「えー、いましたくないー」などと、つれない態度をとることも多く、そのたび次女は傷ついて半泣きになっています。何をするにも、長女と一緒のほうが何倍も楽しいのでしょう。
 そういえば、最近の次女には、見えないお友だちがいます。「ふりるん」という名前で、次女の遊びのなかに、しょっちゅう出てくるのです。先日次女が長女に「ふりるんて、何をたべるの?」と聞いていて、長女には当然そんなことわからないので「え、しらない」と答えたら、次女がいきなり「ふりるんは、くさ、たべたー!」と叫んで、私と長女を笑わせました。それにこの前は、ふりるんの絵を描きながら「このふりるんは、ぼりょちょ(ぼろこ)なの」と言っていました。ぼろこというのは出雲地方の方言で、悪い子という意味なのですが、なんとなく、悪い子と言うよりぼろこと言うほうがしっくりきて、私が子どもたちを叱るときにしょっちゅう使うため、次女も覚えてしまいました。ふりるんは、草を食べる、ぼろこな生き物、ということだけが、いまのところ分かっています。これからも、ふりるんの謎に注視していきたいと思います。

 私はというと、相変わらず『ガラスの仮面』に夢中、というより、もはやただただ、速水真澄に夢中で、速水真澄について考え出すと、時間を忘れてしまうほどです。ドラマはどんな感じだったのだろうかとyoutubeでドラマを少し見てみたところ、速水真澄役の田辺誠一がとんでもなくかっこよくて、期待を遙かに上回っていて、幸せな気持ちでクラクラメロメロ眺めていたら、盛り上がりのシーンでいきなりB'zの『calling』がかかり、あまりの衝撃と興奮で、もう、47巻ワンナイトクルーズでの「ああ・・・もう・・・だめだ・・・!完敗だ!」のときの速水真澄状態になり、心の中で白目をむきました。そうだったのか、callingって、そういう曲だったのか。いわれてみれば、まさに速水真澄にぴったりの歌詞。さすが稲葉さんです。速水真澄の想いと重ね合わせてこの曲を聴くと、ますますロマンチックで切なくて優しくて、前から好きだったこの曲が、もっともっと好きになりました。そしてこれをきっかけに、私のB'zスイッチが入って、B'zのほかの曲も、バラードを中心に聴き始めました。ああ、こういうこと、大好きだ。だれにもなんの影響も与えない、こんな遊び。そして、こんな遊びのことや、自分の好きなものについて、好きなだけ熱く語ることのできる、ブログというツールが大好きだ。
by papiko-gokko | 2016-07-15 21:52 | Diary
紫のバラのひと
 夫に軽く勧めたつもりが、私もどっぷり『ガラスの仮面』にドハマリして、現在刊行されている49巻まで一気に読みました。ああ、なんということだ、これほどまでに面白いとは。マヤと亜弓さんのライバル関係も、月影先生の激しさも、「紅天女」のゆくえも、桜小路くんも面白いけれど、それよりなにより、速水真澄社長が大好きで、大好きすぎて、もうこの人に夢中です。辛い過去を持つ大手芸能会社のイケメン凄腕社長で、冷血漢の仕事人間でありながら、恋愛には臆病、そしてじつはマヤをだれより深く愛している心優しき紫のバラのひと。ああ、なんて魅力的な人なんだ。高校時代に読んだのはヘレンケラー編ぐらいまでで、ほんの前半だったので、速水真澄社長の魅力にまったく気づけていませんでした。ふたたび読んでみて、本当によかったです。50巻、早く読みたいけれど、気長に待つしかないのだな。
 この『ガラスの仮面』にしても、ビートルズにしても、それから少し前にはまってガーッと読んだ『ワンピース』にしても、高校時代にさらっと触れて魅力にきちんと気づかないまま離れていたものと、30代になってから改めて出会い直して感動することが、続いています。こういうことがあるから、人生と自分の心は、侮れないなぁと思います。
 最近こうして、ふたたび好きなものに出会い直せるようになったのは、子どもたちが成長して、時間にも体力にも余裕がでてきた証拠かもしれません。まだまだ手のかかる年齢ではあるけれど、たとえばお風呂上がりにしても、二人をタオルでくるんで外に出すと、私が何も言わなくてもトテトテ居間に行って、たまに助け合ったりしながら、自分たちでパジャマを着替えるようになりました。1年前なんてまだ、次女はもちろん、長女も手伝いが必要で、てんやわんやだった気がします。そういうちょっとした成長が、いまの私に、好きなものにふたたびハマる余裕をくれているのかもしれません。
by papiko-gokko | 2016-07-12 23:42 | Diary
ほっぺたをたくさん濡らし膨らまし甘ったれつつ大きくおなり
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 夫が姉妹おそろいの新しいワンピースを作ってくれて、本格的な夏が始まりました。今日で次女は、2歳半になります。ワガママ盛りで、世界はなんでも駄々をこねれば自分の思い通りになると思っており、しかし現実は泣こうが喚こうがどうにもならないことだらけなのだということを、日々、大泣きしながら学んでいるところです。2歳半になったというのに、家でも外出先でも、すぐに「だっこ!だっこ!」が始まる甘ったれで、そんな甘ったれぶりに手を焼きつつも、まだいつまでも甘ったれていてほしい・・・と思ってしまう自分がいます。
 長女と遊ぶのが何より楽しいようで、長女と長いあいだ子ども部屋で遊んでいることも増えました。ひとたび夢中で遊び始めると、長女よりも私のほうへぜんぜん来なくなります。長女とのあいだでしか通じない用語がたくさんあり、たとえば、ベッド部屋で遊ぼうというときは、「べろべろばーしよ!」と、どちらかがどちらかを誘います。この言葉の起源は、ある日ふたりで「べろべろばー!」と言いながらベッドを飛び回って遊んだところから来ているようですが、最近のべろべろばータイムは、それほどべろべろばーせず、ベッドの上でひとしきり飛び跳ねたあとは、仲良くごっこ遊びをしたり、時にはそれぞれ気の向くままに、次女はぽぽちゃんに布団をかぶせる遊びをし、長女は寝転がって本を読んでいたりと、それぞれが好きなことをして過ごしたりもします。ケンカといえば、いまのところは大抵とりあいっこぐらいのもので、二人でへんてこなくだらないことを言い合っては大笑いするのが大好きな、仲良し姉妹です。
 次女特有の言葉というのもいくつかあって、たとえば「はれろん」「まるまる」などがあります。はれろんは、どう言っていいか分からないときによく使い、「これはだれの絵?」と聞いたときに「えーっとね、はれろん」と言ったり、泡だったボディーソープを手にもって遊びたいとき、「おかあたん、あわあわのはれろんちょうだい」と言ったりします。まるまるは、まるい形状のものについて言及するとき必ず出る言葉で、「おかあたん、まるまるのやつ、どっかいっちゃったー。あの、まるまるのやつどこ?」などと言われて、なんのことだか分からず困ったりします。まるいものを目にすると「まるまる」と言わずにいられないようで、外出先で丸いものを見かけるといつも「おかあたん、あそこみて、まるまるがいっぱいあるよ」と、嬉しそうに教えてくれます。
d0038776_22545932.jpg 最近はお絵かきをしている時間がとても増えました。顔だけでなく、手や足らしきものも描くようになりました。右の絵は、うーたんだそうです。それから、先日大雨のなかお迎えに行った日には、「あめ、じゃーじゃー」と言いながら、線をいっぱい描いていました。線の先端にすべてまるが描かれていて、地面に雨が激しく叩きつけている感じを、よく見ていたのだなぁと感心しました。次女は周りの世界を思いのほかよく見ていて、私が幼稚園のお母さんとなにげなく話していたことなどをしっかり聞いていて話題に出してきたり、私がいつも長女を叱るのと同じ口調で長女を注意したりして、ドキッとさせられます。いま、一日中一番私のそばで私を見ているのは、次女だものな。
 身長体重は、次女なりに成長はしているものの、成長曲線で見ると相変わらず小さくて、いまのところ、次女に関してはそれが一番の心配事です。今日、しつこく身長を測ろうとして、次女から逃げられてしまいました。あまり神経質にならず、様子をみよう。最近は牛乳をよく飲むし、おやつにいりこも食べるようになったので、ある日ぐぐっと、伸びてくれるかもしれません。これから始まる夏休み、両方の実家に帰る予定なので、またいろいろ刺激を受けて、心も成長することでしょう。成長してほしいけれど、まだまだ甘ったれの小さな末っ子でいてほしいです。
by papiko-gokko | 2016-07-04 23:05 | 月齢ごとの成長記録(次女)
とりかえしつかなくなってしまいたいあなたとならばそのほうがいい
 子どもたちの夏かぜがようやく治り、今日は長女がお休みの土曜日。午前中はお風呂で水遊びをしたり、わーわー言いながら子ども部屋の片付けをしたり、それから初めてかぼちゃプリンを作ってみたりして、平和に過ごしました。昨日、見切り品のかぼちゃを60円で買っていたのと、私の不注意で卵数個にヒビが入ってしまっていて早く使わなければならなかったので、かぼちゃプリンでも作るかということになったのでした。
 とても簡単と書いてあるレシピを参考にしたのですが、私にとっては面倒な工程の連続で、カボチャを小さく切りながら、ああもうこれ適当に炒めて夜ご飯にしてしまいたい・・・この後さらに夕食の準備とかしたくない・・・と、もうちょっとで投げ出しそうになりましたが、がんばりました。子どもたちと一緒に作るつもりが、子どもに手伝ってもらえる工程がほとんどなくて、子ども部屋で遊んでいたり、カラメルの匂いにつられて見に来たり、途中で使ったミキサーを怖がってキャッキャと隠れたりしていました。作るのに参加できなくても、お菓子を作っているのをちょこちょこ見に来て匂いを嗅ぐだけで、満足したようです。できあがったプリンは、とくべつ美味しいというほどでもない、ほどほどの仕上がりで、長女は喜んで食べ、次女は控えめに食べました。夫は、お菓子から野菜の味がすると脳が混乱すると言いました。カボチャと卵を無駄にせずに済んだし、子どもも喜んだし、作ってよかったです。

 次女が夏風邪をひいているあいだ次女を甘やかしすぎたせいで、風邪が治ったいまも、次女のワガママが続いていて、困っています。小さい自分は何をやっても許されると思っているらしく、昨日などは怒られたとき胸を張って「だって、あかちゃんだもん!」と言ってのけました。たしかに私のなかではまだまだ赤ちゃんで、つい赤ちゃん扱いしてしまいがちだけれど、もうあと2日で2歳半になるというのに。
 そんなワガママ放題の次女にも長女は優しくて、次女がお行儀の悪いことをして箸を落としたのを拾ってくれたりして、長女の存在にかなり助けられています。次女のワガママにうんざりしたときは、いつのまにか別の部屋へ行って、一人で本を読んでいることが増えました。最近の長女は、悪い子のときと良い子のときの差が、きっぱりしてきた気がします。一度へそを曲げると、ものすごく腹の立つことをしてくるし、良い子のときは、何をするのもスキップまじりで楽しそうにしています。気持ちの切り替えは下手だけれど、ご機嫌なときはお手伝いもがんばるし、鉛筆の持ち方や食事のマナーについて指摘したときもわりと素直に直すようになったし、年長さんになりたてのころと比べると、ちょっとお姉ちゃんになったのかな。しかし、夏休みあたりで揺り戻しがあるかもしれないので、悪い子の日がまた増えても、落胆しないよう、心の準備をしておこうと思います。
 そういえば、まだだいぶ先ですが、長女と初めて、子ども向けのミュージカル劇を観劇することになりました。幼稚園から持って帰ったチラシを見て、思い切ってチケットを予約したのです。チケットの予約なんて久しぶりで、それだけでもうドキドキしました。前々から長女に、プロの劇団がやる劇を見せてやりたいと思っていたし、私も『ガラスの仮面』再読中で演劇熱が高まっているので、すごく楽しみです。本だったり、音楽だったり、演劇だったり、それから勉学だったり、親というものは、自分がそれによって救われたり助けられたり報われたりしたものを、子どもにも与えようとするものなのだな。そしていくら与えたところで、それがストレートに子どもに届くかというとそんなことはまれで、子どもは子どもで、自分の力で自分の救いを見つけ出すのだろうな。
by papiko-gokko | 2016-07-02 23:06 | Diary


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