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日記と短歌


by papiko

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 4月の初めから育て始めた鉢植えの花が、ようやくいい具合に咲いてくれました。最初はぜんぜん咲いてくれなくて、母に相談したところ、水のやりすぎではないかと言われ、やるのを少し控えめにしていたら咲きました。次女が毎日水をやりたがって、毎日たっぷりあげすぎていたようです。これからも控えめに可愛がろうと思います。

 祖父の死から約一週間が過ぎ、これまでと変わらない日常を送っています。今は心もほぼ平常運転に戻りましたが、岡山に戻ってきてからもしばらくは、体の芯に力が入らないような、ふわふわした感じが続いていました。幼稚園の送り迎えも、週末に出かけた公園も、目に入るものすべてがやけにメラメラと眩しく感じられて、春の景色から立ちのぼってくる生命力に、どうしようもなく、ぼーっとしてしまうのでした。
 何をしていても、どこか違和感があるような、靴下を片方はき忘れたまま、立ち止まることも許されず外に引きずり出されて歩き続けなければならないような、なんだかそんな感覚の毎日が続いて、これが身近な人を失うということ、喪失感というものなのかと、これまで自分が死というもののなんたるかを、いかに知らずに生きていたのか、身をもって学びました。去年の秋の時点から覚悟はしていたし、わりと大丈夫なつもりだったのだけれど、人を失うということは、覚悟していたから大丈夫というような、そんな単純なものではないことが、よく分かりました。
 生まれたときから当たり前に存在していた祖父が、いなくなってしまったこの世界に、私が完全に慣れるまでには、もうしばらく時間がかかりそうです。これまで感じたことのないような違和感が、世界を覆っています。この違和感を、素直に、寂しさと言い換えてしまうと、うっかり泣きたくなってくるので、違和感があるなぁ違和感があるなぁ、と思いながら、過ごしています。四十九日や一周忌などといったものは、立ち止まってこの違和感と向き合い、受け入れていくためにあるものなのかもしれません。祖父の死が私に教えてくれたこと、そしてこれから私が学ぶであろうことは、祖父が生きていたときその生き様から私が学び考えたたくさんのことに、匹敵するほどの量と重みがあるように感じます。

 この一週間は、毎日、むさぼるようにビートルズを聴いています。どんな気分のときでも、音楽をあまり聴きたくないようなときでさえ、必ずぴたっとくる曲があって、ビートルズというのは、なんて懐の深い音楽なのだろうと、改めて驚いています。だからこそ、こんなに長いあいだ、多くの人に愛され続けているのでしょう。
 これまでかなりジョン派だった私ですが、ここにきて急に、ポールってばすごい!と、ポールの曲に酔いしれています。数日前は『yesterday』をひたすらリピートして聴いていました。これまでさらっと聴き流していた『ALL MY LOVING』なんかも、繰り返し聴いています。いまは、ポールのやさしいメロディと甘い声を求めている時期のようです。いや、でもやっぱりジョンの曲と声すごくすごくたまらなく大好きだし、そしてなにげにジョージの曲がまたたまらなく渋くてかっこいいし、リンゴなんてもうその存在感からしてすてき。ああ、まったく、最高にすばらしい。すごいなあ、すごいなあ、ビートルズ。すごいものに出会えてしまったな。まだまだ気づけていない魅力がたくさんあるに違いない。まだまだ好きになり足りない。まだまだもっともっとどんどん好きになれそうで、だから、ビートルズのことを考えていると、それだけで嬉しいのです。
by papiko-gokko | 2016-04-26 12:09 | Diary | Comments(0)

 今年の桜が散り終えたころ、島根に住む父方の祖父が、他界しました。85歳でした。最後に会ったのは3月末、入院先の病院で、お正月よりさらに痩せてはいたものの、談話室までしっかり自分の足で歩き、耳が遠くて会話はほとんどできなかったけれど、「またおーきゃん(大きく)なっただないか」と長女をなでたり、次女にじっと見つめられて「おらを、こわがっちょーわ」笑ったりして、最後は、一緒に暮らしていたころお風呂上がりに毎日そうしていたように、長女とタッチしてから笑顔でお別れしました。
 だから、まさかそんなに早く逝ってしまうなんて思わなかったのですが、肺と肝臓をガンにむしばまれた体は、2週間前のめまいを境に、みるみる体力をなくし、起き上がれなくなり、ささやき声しかでなくなりました。それでも、最期まで意識はあり、死の前日には、母の手を握って「ありがとう」と泣いたそうです。ちょうど海外出張中だった父も、危篤の知らせを聞いて死の2日前に急きょ帰国し、意識の確かな祖父と会って話すことができました。その死はとても穏やかなもので、死の数十分前に叔母にお昼ご飯のおかゆを食べさせてもらい、父や叔母や母と会話をしてから、そのほんの少しあと、苦しむことなく、静かに息を引き取ったそうです。
 死の知らせを受けて、しばらく頭の中が真っ白になり、それから次に思ったのが、長女にどう伝えようということでした。1歳半から3歳直前まで、長女は1年半、祖父と一つ屋根の下で暮らしたので、別れを知れば悲しがるだろうと思ったからです。しかし、伝えないわけにもいかないので、なんとか自分なりに考えて、「おじいちゃん(本当は長女にとってひいおじいちゃんだけど、おじいちゃんと呼んでいる)がね、もうたくさんたくさん生きたから、天国へ行くことになったんだよ。だから、そのお別れをしに、島根にいくことになったよ」と、長女に伝えました。すると長女は、目に涙をいっぱい溜めながら何度か頷き、「おじいちゃんの、写真やビデオ、いっぱいとってある?」と聞きました。それから、寝るまでずっとずっと、おじいちゃんはこれからどうなるのかということを、質問してきました。そして、「星になるという人もいるし、風になるという人もいるし、いろんな人がいるけど、おじいちゃんは、いつもほとけさまを拝んでたから、おじいちゃんは、ぴかぴかの、きれいなほとけさまになるんじゃないかな。それで、長女ちゃんのことを、守ってくれるんじゃないかな」と、そんなことを説明したら、「そうかあ」と、ようやく、寝てくれました。

 通夜は自宅でやるということで、帰省してすぐ、表の部屋に寝かされていた祖父の遺体と対面しました。死んだ人を見たのは、これが初めてのことでした。よくドラマで、眠っているような、とか、いまにも目をひらきそうな、という表現が出てくるけれど、祖父の顔は、ぜんぜんそんなことなくて、生前によく見かけた、テレビを見ながらうたた寝しているときの祖父の感じとは、やっぱりまるで違っていて、人生を生ききった、生き終えた、そんな顔をしていました。そして、元気なころあんなに大きな声だった祖父が、これまで見たどんなものより、静寂の塊のような存在になっていました。遺体というのは、もっと怖いものかと思っていたけれど、少しも怖くはなく、だけどやっぱりそれは、私の知っている祖父ではもうなくなっていて、だから、そばに飾られていた、元気なころのにこやかに映っている遺影を見たとき、なんだかほっとしました。それは、下の妹の成人式のとき、孫3人と祖父とでとった写真で、最高にいい表情をしていました。
 本当は長女には、遺体と対面させないつもりだったのですが、その場の流れで対面することになり、長女はやはり、異様な雰囲気に言葉を失っていました。でも、ちゃんとお線香をあげて、手を合わせることができました。そのあと2階にあがって、しばらく平気そうな顔で遊んだのちに、どこかに足をぶつけたのをきっかけにして泣き出し、「おじいちゃんと、お別れしないんだもん」と、ひとしきりわんわん泣いて、そのとき初めて、私も少し泣きました。
 ほどなくして通夜が始まり、それからはもう、段取り通りに動いて、忙しくて、緊張して、あっという間だったような、長かったような。子供たちは夫に見てもらっていて通夜にはほとんど参加しませんでしたが、棺にお花を手向けるときだけ来て、参加しました。そのときにはもう長女は泣かないで、真剣な顔で、祖父に向かって長いあいだ手をふっていました。上の妹も、下の妹も、父も母も叔母も、たくさん泣いていました。父は泣きながら、しきりに祖父の体をさすっていました。私は、まだ目の前で行われていることに心がついていかなくて、すべての流れを変に客観的に見てしまって、ちゃんと泣かないまま終わりました。私が泣いたら長女がますます動揺するだろうという懸念もあったし、長女として父と母の役割を手伝わなければと必死で気を張っていたし、それに、85年しっかり生き抜いた祖父の死を、自分のなかで、できるかぎり、悲しいものにしたくないという思いも、少なからずありました。
 夜9時すぎには通夜とその後の会食が終わり、実家には親戚の方々が泊まっていて自分たちが泊まれる場所はなかったので、近くのホテルに宿泊しました。これが子供たちにはちょうどいい気分転換になったようで、心配していた長女の夜泣きなどもなく、ホテルをひとしきり楽しんだあと、楽しそうに眠りにつきました。私にとってそうであったのと同じように、長女にとっても、祖父との対面は、悲しいものではあったけれど、怖いものではなかったのだなと、安心しました。その日の夜は、頭の中がぐるぐるして、ほとんど眠れませんでした。

 翌日は朝から出棺で、その後火葬場へ移動し、そこで一人一人、生身の祖父との最後のお別れをしました。私も手を合わせながら、小さな声で「ばいばい」と言いました。お別れを終えた棺は、とてもシステマティックな感じで、機械に乗せられエレベーターのような扉の向こうへウィーンと消えていき、その感じがとても近未来的で、これなら長女も怖くなかろうと、安心しました。妹たちは泣いていました。本当に妹たちは、涙が涸れてしまうんじゃないかと思うほど、泣いていました。二人ともよく、おじいちゃんのこてこての出雲弁の真似なんかして、笑っていたもんな。
 1時間半ほどしてから、収骨があり、長女に収骨はさすがにショッキングだろうと思い、夫に見てもらって、私だけが参加しました。死の一週間前まで自力で歩き、ポータブルトイレを頑なに拒絶し、早く歩きすぎて危ないと看護師さんに注意されるほどの祖父なだけあって、そのお骨は、とても立派なものでした。母が「おじいちゃん、こんなになっちゃったねえ」と泣き、妹たちも泣いていました。私は、あれはどのへんだろうかと、祖父の骨格を思い出しながら見ていました。そして、昔あんなに大きかったおじいちゃんだったのになぁ、儚いなぁ・・・と、思いながら拾いました。拾いながら、「おじいちゃん、おつかれさま」という言葉が、自然と口から出てきました。
 収骨のあとは、慌ただしく葬儀場へ向かい、簡単な打ち合わせをして、しばらく待機してから、葬儀が始まりました。花々で美しく彩られた祭壇のある葬儀には、通夜のような生々しさはなく、それゆえに、祖父はもうとうとう、本当にこの世にいなくなったんだということが、実感されてきました。しめやかなメロディとともに、祖父の人生が語られ、妹たちのすすり泣きがまた聞こえました。
 それからしばらくは、お坊さんのお経で、長いお経を聞きながら、祖父の遺影をぼんやり眺めていたら、なんだか、ふいに気が緩んで、ぽろんぽろんと、涙がこぼれました。何を言っているのか分からないお経の中盤でいきなり自分が泣くとは思いませんでしたが、やっと泣くことができて、なんだか少し、心の奥が楽になったのを感じました。どんなに悲しいものにしたくなくても、いくら十分に生きたとしても、やっぱり、おじいちゃんが死んだことは悲しいものなのだということを、そのときやっと、受け入れることができたように思います。遺影のころの元気なおじいちゃんが、たまらなく懐かしく、会いたくなりました。
 次女がぐずったので夫と子供たちはほとんど葬儀に出られませんでしたが、最後にはまた戻ってきて、長女もお焼香をしました。お経のことを、「おじいちゃんが、りっぱな仏さまになるための、じゅもんみたいなものだよ」と教えると、熱心に聞いていました。
 葬儀が終わり、そのあとはまたてんやわんやで慌ただしく納骨になり、祖父の遺骨は、お墓に入りました。先に帰っていた長女に戒名を教えてあげて、「おじいちゃんね、かっこいい名前の、仏さまになったから、これから長女のこと、いっぱい守ってくれるからね」と言うと、長女は「ふうん!」と、真剣な顔で、力強く頷きました。

 夫も長女もそれぞれ仕事と幼稚園があるので、葬儀のあったその日の夕方には、車に乗って、岡山に戻りました。車の中から、大きなまんまるい月が見えて、子どもの頃によく祖父が、私や妹たちがご飯を残さず食べたりお片付けをしたり、歌を上手に歌ったときなどに、「まるだ、こぎゃん、おーきゃんおおまるだ!」と、手でマルを作って褒めてくれたことを思い出しました。それで妹たちに、『空に、おじいちゃんからの、おーきゃんまるが出とるよ』と、思わずメールを送りました。
 晩年は痩せて、耳も遠くなった祖父でしたが、私のよく知っている祖父は、がっちりとした体つきで、川で鮎を釣り、山で猪を撃ち、酒とタバコを愛し、みんなに囲まれて飲むのが大好きで、浅黒く焼けた太い手足が自慢の人でした。晩年、痩せてからは、腕時計やLサイズの服がぶかぶかになったのを嘆いていたものです。声が大きく、目立ちたがり屋で自己中心的で、それでいて気弱で几帳面なところもあったりして、困ったところも多い人だったけれど、不思議と憎めない性格で、孫にはいつも優しくて、面白いおじいちゃんでした。長女が生まれてからは、長女のこともすごく可愛がってくれました。小さい頃、お風呂で私や妹の首を洗ってくれるときに、いつも『上を向いて歩こう』を歌って私たちに上を向かせたことを、いまだに、子どもたちの首を洗うとき、しょっちゅう思い出します。孫から見て、祖父の人生は、とてもいい生涯だったと思います。一緒に暮らしていたときには、腹の立つこともあったけれど、大好きな、自慢のおじいちゃんでした。寂しいです。さようならおじいちゃん。安らかに。
by papiko-gokko | 2016-04-22 22:40 | Diary | Comments(0)

長女、年長になる


 長女が年長さんに進級しました。登園すると、園庭にテーブルが置いてあって、クラスごとに色分けされいる新しい名札が並べられており、そこで初めて、長女が何組になったのかを知りました。花壇のお花みたいに並ぶピカピカの可愛らしい名札の中から長女の名前を見つけだし、さっそく胸につけてやりながら「きれいな色の名札だねえ」と言うと、長女は誇らしげに頷いて、笑いをこらえるみたいに、頬をふくらませました。3月からずっと、この日を楽しみにしていたのです。クラス替えなどの新しい環境に不安を抱いていたのは私だけだったようで、長女は意気揚々と新しい下駄箱のほうへ駆けていき、自分の名前を見つけ出し、さっさと上履きに履きかえると、ほとんど振り向きもせず、年長さんのクラスのほうへ消えていきました。そういえば入園式のときも、ちっとも物怖じしなかったものな。新しい世界に対する不安より、期待とか興味のほうが強い子なのでしょう。
 今日は始業式だけだったので数時間後に迎えに行くと、子供たちがわらわらと教室から出てきてクラスごとに一列に並びはじめました。長女を探すと行列の一番最後に並んで、まったく焦る様子もなく飄々とした顔で、桜の花びらをいじりながら歩いていました。年中のころから、相変わらずのマイペースぶりです。いつも家にいると、比べる対象が次女しかいないので、長女は手足も長く大きく感じるのですが、同じ年長さんたちと並んでいる姿を見ると、長女はとても小柄で、新鮮な気持ちで眺めました。
 降園連絡と帰りの挨拶が終わり、さあ帰ろうと次女を抱き上げ、それから長女の手をとろうとしたら、ほんのちょっと目を離したすきに長女の姿が見えなくなり、慌ててあちこち見回すと、長女は園庭の片隅で、せっせとタンポポを摘んでいました。本当に、相変わらずの自由人です。入園式の日、あまりの自由っぷりに青ざめたのを思い出しました。幼稚園に通い始めたことで、ルールや周りの状況を理解して集団行動するということができるようにはなったけれど、根本的な部分はあのころと変わっていないのだろうなぁと、その姿を見て思いました。あれしてみたいこれしてみたいという強い思いと新しい考えが、いつでも長女の頭の中には渦巻いていて、だから、あれしなさい、これしちゃだめと口を出してくる母親に、反抗したくもなるのでしょう。
 自転車をこぎながら、新しいクラスはどうだったか聞くと、「楽しかった!」という、一番聞きたい言葉が、爽やかに返ってきて、ほっと一安心しました。一番仲良しだった子とはクラスが離れてしまったけれど、そのこともほとんど気にしていないようです。幼児ってそんなものなのかな。また気の合うお友だちができることを祈ります。楽しい思い出いっぱいの1年になりますように。

 それにしても、長女とたった3時間ほど離れるだけで、ぜんぜん気持ちが違っていて、驚きます。ちょっとぐらいのワガママなら、余裕を持って向き合えます。長女もそれは同じみたいで、幼稚園で何かが発散されたらしく、私に対するふてぶてしさがなくなりました。やっぱり、いくら親子でも、ある程度大きくなってくると、お互いのために、離れて過ごす時間も必要なのだな。この春休み、それを学びました。この反省を生かし、夏休みは、実家に1週間くらい帰省したり、ほかにもいろいろと策を立てて、よい関係を保ちたいと思います。
by papiko-gokko | 2016-04-11 21:25 | 幼稚園生活(長女) | Comments(0)

 長く長く感じた春休みが、ようやく終わります。土日を除いてほぼ母子だけで過ごした春休みは、想像以上に、しんどいものでした。大変だったのは長女です。5歳になりますます自己主張がはっきりしてきたことに加え、イヤイヤ期真っ最中の次女がなんでもかんでも「いやなんだもん!」と言っているのに引っ張られ、次女と一緒になってなんでもかんでも「いやなんだもん」と言ったり、こちらからの問いかけや指図を無視して何度も同じ事を言わせ、最終的にこちらが本気で腹を立てて怒鳴るまで言うことを聞かなかったり、買い物へ行っても次女と同レベルのことをして叱ってもやめなかったり、幼稚園がなくて体が疲れないせいか寝付きがすこぶる悪く、次女がすでに寝ているのにどたんばたん布団を蹴り続けたりなどなど、こちらの神経を逆撫でするようなことばかりするのです。可愛いとか愛しいと思う感情が、度重なる怒りの感情で擦れきれてしまいそうで、悲しくなって、何度か涙が出ました。
 4歳までのワガママと違うのは、叱られたときの態度に、ふてぶてしさが加わったことです。そのふてぶてしさに、苛立ちが募ります。馬鹿にされているような悔しさで、頭がカーッと熱くなります。お母さんを馬鹿にしてるのかと半泣きで問い詰めたら、馬鹿にしてないと、半泣きで返されました。おりこうにしたいのに、悪い子になってしまうんだもんと、目に涙をいっぱい溜めて言いました。
 5歳になった彼女には、もう私とは違う彼女の世界がちゃんとあり、主張があり、やり方があり、だから、自分のやっていることややらなかったことについて、なんだかんだと口を出してくる親はうるさくて、言うことを聞きたくない場面もたくさんあって、反抗したくなるのでしょう。自分もかつて子どもだったから、冷静な心で考えれば、その気持ちも分かるのです。だけど、親として長女と向き合っているとき、自分の子ども時代もそうだったからしょうがないわねなんて、のほほんと構えられるほど、私は大らかな人間ではないのです。やっぱり自分の子どもには、ちゃんと、正しいことをしてほしいのです。「お母さんはね、怒りたくて怒ってるんじゃないよ、長女が、悪い大人にならないように、ちゃんとした大人になれるように、叱ってるんだよ」なんて、長女に言い聞かせながら、われながら、なんて説得力のない言葉なんだろうと、むなしくなりました。実際、悪い大人にならないように叱っているのだけれど、叱ったからといって、悪い大人にならない保証はないし、そもそも、悪い大人ってなんだろう。ちゃんとした大人ってなんだろう。私は果たして、ちゃんとした大人なのだろうか。いやいや、とんでもない。
 『ドラえもん』の漫画を読んでいると、のび太のママを始め、子どもたちの母親はだいたい口うるさく描かれていて、「だいたい、親は、いばりすぎなんだ」なんて台詞も出てきたりして、子どものころ読んでいたらぜったい、この台詞に共感していたのだろうなぁと思いながら、いまは、母親側の気持ちで、その言葉を読んでいます。のび太のママはいつもガミガミ怒っているイメージだったけれど、そりゃあ、怒りたくもなるよなと、いまならママのガミガミの心情が、すごく分かります。ガミガミしたくてしているわけではないんですよねと、話しかけたくなります。ガミガミ言わなくては、あなたたち子どもはすぐに調子にのって、危ないことや人の迷惑になるようなこと、するじゃないですか。
 この春休みは私にとって、長女を育てていく上での、新たな難しい壁にぶちあたった日々でした。まだこの壁は、突破できないまま、春休みが終わります。土日には、島根と岡山の中間地点の大きな公園で母と落ち合って遊んだり、遠くまで花見に行ったり、楽しいこともいろいろあったのだけれど、そういう楽しい出来事を書く元気がないくらい、疲れた春休みでした。そういえば母と会ったとき、最近何回言ってもこっちの言うことを聞かないと話したら、「お母さんの声に慣れてしまっとるんよ。あんたたちもそうだったわ。なんかい言わすんよーって最後には怒って」と笑って言っていました。私もやっぱり、そうだったのか。そうだったのだろうなぁ。母親の声に慣れすぎてしまって、何度も言われないとピンとこないような現象、そういえばたしかにあった気がします。長女にとって私の声は、時計の秒針みたいなものになってしまっているのだろうか。声色をものすごく変えてみたらいいのだろうか。無視されたときは、妙な声を出してみようか。
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 そんな春休みの終わり。なんと昨日から、ベランダで花を育て始めました。子育てに疲れたせいでしょうか。きれいに咲く花を、育ててみたくなったのです。花を育てている母に、私も育ててみたいと言ったら、誕生日プレゼントとして、長方形方の鉢ふたつと、2種類の花の苗を3株ずつと、土と肥料をくれました。2種類のうち、どちらかは名前を忘れてしまいましたが、もう一つは、サフィニアブーケという名前です。母と娘たちと一緒にホームセンターにいって選び、母が鉢に植えるところまでやってくれました。アサガオもなかなか咲かすことのできなかった私に、果たしてできるかどうか不安ですが、とにかくやってみます。きれいな花が咲くといいな。自分が育て始めることになったとたん、お店に並んでいるいろんな花の苗や、よそのお庭の花壇に目がいくようになりました。ビートルズを好きになってから、英語に触れるのも楽しくなったし、どんなことでも、物事に興味を持つということは、日々を楽しく明るくする秘訣だなぁと思います。花が咲き、長女の年長生活が、順調にスタートしますように。
by papiko-gokko | 2016-04-10 22:38 | Diary | Comments(0)

次女2歳3ヶ月


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 4月4日で、次女が2歳3ヶ月を迎えました。2歳になりたてのころは、2歳になった実感がまるでわかず、まだ1歳のような気がしてしかたなかったのですが、いまではもう、ずっと前から2歳だったような気がして、2歳になってからまだ3ヶ月しか経っていないことが不思議なくらいです。それくらい、最近の次女は2歳児らしい2歳児になってきました。毎日あれこれワガママ言ってイタズラをして、家事を2倍3倍に増やしてくれています。
 春休みで長女と過ごす時間が増えて、口調も行動もますます長女の影響を色濃く受けながら、毎日ギャハギャハゲラゲラ遊んでいます。仲が良すぎて同レベルで遊んでいるからか、単にそのほうが呼びやすいからなのか、最近長女のことを、「おねえちゃん」ではなく名前で呼び捨てするようになり、長女はとくにそれを嫌がってもいないようですが、できればおねえちゃんと呼んでもらいたいらしく、どうしたものかと考え中です。たまに「おねえちゃん、でしょ」と忠告すると、そのときだけ「おねえちゃん」と呼ぶのですが、またすぐ呼び捨てに戻ってしまいます。
 長女がよく「どうして」「なんで」と私に質問をするので、次女も「なんでおたあちゃん、ばんちょうこうしてるの?」などと、簡単な質問をしてくるようになりました。一昨日は『おかあさんといっしょ』を見ていて、ふいに「なんで、たくみおねえたん、でないの?」と質問してきて、ああ分かるんだなぁと驚きました。4月で新しいお姉さんになって、最初の日はとくになんの感想も言わず見ていたのですが、翌日になって、そういればいつものお姉さんじゃないなぁと気づいたのでしょう。そんなふうに、ぼんやりとではあるけれど、過去の思い出みたいなものを、次女も持つようになってきたようです。先日も、夫と長女と3人で出かけて帰ってきたあと、長女がトイレに行きたがったけれどトイレがどこも空いていなかったことや、買おうとしていた本がなかったことなどを、たどたどしい言葉ながらも、しっかり伝わるように話してくれました。一緒に写真を見ていても、「かいがらひろいのときのちゃちんね」と、そのときの思い出を話してくれたりして、感動します。
 春になったので、卒乳とトイレトレーニングに向けてがんばっていこうとは思っているのですが、卒乳はこちらがやろうとすればするほど執着して逆効果になってしまうし、トイレトレーニングに関しては、トイレに座るのは好きなようで積極的に何度も座りにいくものの、そこで用を足すことはまだできず、オムツでしてしまいます。焦ってもしょうがないというのは長女のときに学んだので、とくにトイレトレーニングは気長な気持ちでやっていきたいと思います。体は相変わらず小さいけれど、体重はちょっとずつ増えていて、ご飯も以前より、よく食べるようになりました。ただ、長女がごちそうさまをすると、一刻も早く一緒に遊びたくて慌ててごちそうさましてしまうのが問題です。
 長女よりも威張っていて、それでいて甘え上手で、みんなに可愛がられながら、自由気ままに生きている次女。まだまだわけのわからない生き物だけれど、それでも2歳児なりに、世の中のしくみみたいなものを、ぼんやりふんわり理解し始めています。なるべくゆっくり、赤ちゃんじゃなくなってくれるといいな。まだもう少し、わけのわからない生き物を、かわいいかわいいしていたいです。
by papiko-gokko | 2016-04-07 23:26 | 月齢ごとの成長記録(次女) | Comments(0)

 4月になりました。近所の桜並木もほぼ満開で、たくさんの人がスマホやカメラで撮影しながら歩いています。私も昨日、一家で桜並木に出かけて写真を撮りました。去年も同じ桜並木で写真を撮ったけれど、去年の写真では次女がまだベビーカーに乗っていたのに対して、今年の写真では長女が自転車、次女が三輪車に乗っています。1年のあいだに心も体も成長して、去年とはまるで違う景色を見ているに違いない娘たちと、桜のトンネルをくぐりました。
 昨日は私の誕生日で、夫と子供たちが、たくさん祝ってくれました。とくに夫は、誕生日の私に最高の1日を提供しようと、夕食やケーキ作りや家事や子守など、全力でがんばってくれて、夜、無事にケーキを食べ終えたあと、「なんか気が抜けた・・・」と、燃え尽きていました。長女も、夫と一緒にケーキを作ってくれたり、折り紙に描いたお手紙をくれたりして、ニコニコワクワク楽しそうに祝ってくれて、何度も「おめでとう」と言ってくれました。桜並木を歩いているとき、数メートル先を歩いていた長女がふいに振り向いて「おかあさん、お誕生日おめでとう!」と大きな声で言ったときには、恥ずかしくて思わずうつむいてしまったけれど、なんだかドラマのワンシーンみたいで、胸に焼き付きました。3人にハッピーバースデーの歌を歌ってもらって、子どもと一緒にロウソクを吹き消して、とても幸せな誕生日でした。
 そんな幸せな日だったのに、どうしたわけなのか、昨日はやけに涙もろくて、誕生日の日、3回も涙を流しました。長女が夫に叱られ目に涙をいっぱい溜めながら口をへの字に曲げているのを見てぼろぼろもらい泣きしたのと、あと2回はなんだったか忘れてしまいましたが、本当になんでもないことで、ぼわっと涙があふれこぼれてたのでした。誕生日という特別な日で、感情が高ぶっていただけなのか、それとも、この涙もろさは、33歳になったからなのか。
 古い友だちがおめでとうのメールをくれて、嬉しくて近況を返信したら、その返信に対して再びお返事してくれた一言一言に、ああ、もうずっと会っていなくても、私のこと分かってくれてるんだなぁ、さすがだなぁ・・・と感動して、そのときもまた、涙腺が緩みました。いまの私の人付き合いのほとんどは長女の幼稚園関係で、だからどうしたってうわべの付き合いが多くなり、なんとなく傷つくような場面もあったりして、この1年でわりと疲れて、だから、学生時代や会社員時代の楽しかったことをよく思い出したり夢に見たりするし、私のことをよく知っている人がくれるなにげない言葉が、とてもとても、優しく温かく身に染みたりします。
 33歳の1年は、精神的に、もっと強くなりたいです。家族のためにも、自分のためにも、強くなって、大事なものをしっかり守って、自分の生き方に胸を張って毎日を過ごせるよう、33歳を生きようと思います。
by papiko-gokko | 2016-04-04 23:17 | Diary | Comments(0)