日記と短歌
by papiko
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まだ桜さかない春の生ぬるい道であなたに帰りたくなる
 週末、一家で島根の実家に帰省しました。一泊二日の短い滞在でしたが、朝早く出発して夕方近くまでいたので、わりとゆったりできました。子供たちを両親に託してこたつに入り、一昔前のB'z会報誌なんかめくりつつうつらうつらしていると、あまりの幸福感に、立場も年齢もなにもかも忘れて、体のかたちがなくなりそうでした。実家に帰ると、じんわり癒やされる部分があり、その一方で、ぐったり疲れる部分もあり、心の中が、シーソーのようにギコンバタンきしみます。
 少し前に書いた通り、私はまだいまいち、周りの同年代の人たちのようには、家を買うなんてこと現実的に考えられずにいるけれど、独り立ちしてからもこうして定期的に帰ることのできる、思い出の染み込んだ実家があるというのはやっぱり、子どもにとっていいことなんだろうなぁ・・・と、ぼんやり思いました。家に思い出がなくても、土地だったり、持ち物だったり、写真だったり、思い出の染み込むものはいくらでもあるから、家にこだわることもないのかな。「振り返れば故郷は場所ではなくてあなたでした」と、GLAYも歌っているし。まったく、なんていい歌詞なんだ。車の窓から見る故郷は、どこもかしこも懐かしいような、ちっとも懐かしくないような、がらんとした風景でした。

 実家に帰った影響で、ひさしぶりに、B'zを聴いています。実家には、中学時代から貯め込んだB'zグッズの数々があるので、過去の自分に「ほら聴かなきゃ!」と言われているような刺激を受けるのです。子どもができてからは、ライブにも行けなくなったし、発売日にCDを買うようなこともできなくなったけれど、稲葉さんの力強い声とやさしい言葉が、やっぱり大好きです。思春期からずっと聴いているから、もう声だけでほとんど無条件に心のこりがほぐされて、ああそうか、いくつになっても思い切り葛藤していいし、悩んでいいし、もがいていいんだなぁ!と、心のもやもやに向き合おうとするエネルギーがわいてきます。
 稲葉さんの最新ソロアルバム(といっても、2年前くらいに出たもの)「Singing Bird」も、先日ようやくちゃんと聴いて、共感と励ましが絶妙に調合されている相変わらずの稲葉節に、ほれぼれしました。聴いていて嬉しかったのは、岡山の国道を歌った『ルート53』という曲。「喧噪に揉まれ成長しただなんてみっともない勘違いに気づいたよね」という歌詞が、ずうんと刺さっていい気持ちでした。稲葉さんの言葉は、もはや私にとって、ツボ押しマッサージ。そうそうそのへんそこそこそイテテテテああ気持ちいいー・・・となりながら、聴いています。またいつか、ライブに行きたいなぁ。長女はどうやら私と趣味が違いそうですが、次女はわりとロックなナンバーを好むので、一緒に行ってくれるかもしれません。

 実家から戻ってきた昨日と今日は、ぼけーっと過ごしました。ここのところ、実にぼけーっとしています。ぼけーっと過ごして、夕方にEテレを見て、泣きそうになっています。ぼけーっとするのも、涙もろいのも、春のせいでしょうか。ぼけーっとしながら、子供たちのことが、あれもこれも、心配です。たとえば次女のほっぺたにできた吹き出物とか、長女の抜けた歯がうまく生えるかどうかとか、幼稚園のクラス替えとか、そんな、時の流れに身を任せるしかないことばかり、心配しています。
by papiko-gokko | 2016-03-29 22:58 | Diary
さようなら最初の乳歯とまどいの混じる笑顔がたちまち少女
 昨日、5歳2ヶ月ちょうどの日に、長女の乳歯が抜けました。下の前歯です。幼稚園でいつの間にか抜けたらしく、抜けた歯はどこにいったか分かりません。「牛乳のんでるときに抜けた気がする」と本人が言っていたので、もしかしたら、一緒に飲んでしまったのでしょうか。お迎えに行って園庭開放でひとしきり遊ばせてから、さあ帰るよと顔をのぞき込んだとき初めて長女の前歯がなくなっていることに気づき、あまりにも驚いて、「えええ!歯が!?歯は!?いつ歯が?」と、思わず何度も歯という言葉を連呼してしまいました。
 前兆がまったくなかったわけではありませんでした。ちょうどいま、『きかんぼのちいちゃいいもうと1 ぐらぐらの歯』という児童書を読んでいるところで、数日前に、本のタイトルになっているぐらぐらの歯のお話がでてきて、そのとき長女が「ほら」と、自分の前歯をぐらぐらさせて見せてきたのです。しかし、まさかこんなに早く抜けるなんて思っていなかった私は、ただぐらぐらさせる真似をしているだけだと思い込んで、「わはは、長女ちゃんは、まだぐらぐらしてないよ」と、よく見もせずに聞き流してしまいました。思えばあのとき、ぐらついていたのです。今思えば、たしかにあのとき一瞬、本当にぐらついたように見えました。
 ひとしきり驚いたあと、「これから、大人の歯が生えてくるんだよ、おめでとう」と言うと、長女は、嬉しいような、困ったような、不安なような、とても複雑な表情を浮かべて、小さく笑いました。その表情につられて、私も胸がぎゅっと締め付けられ、わが子の成長していく喜びと切なさに、涙ぐみながら自転車をこぎました。たったこの間、乳歯が生えそろったと思っていたのに。もう、可愛い可愛い乳歯たちと、だんだんにお別れしていく時期がやってきたなんて。生まれたばかりのころに、まだまだ先のことだと思っていたいろいろなことが、気づけば、つぎつぎに過ぎていっています。歯が抜けるのなんて、本当に、まだまだ先のことだと思っていたのに、こんなにもあっという間にその日がやってきて、この調子だと、あっという間に巣立っちゃうんじゃないかと思えて、歯の抜けた笑顔を見るたび、ぎゅうぎゅう抱きしめたくなります。もう二度と、乳歯の生えそろった長女には会えないんだなぁという寂しさと、成長しているんだなぁという感動で、何度でも胸が騒いで、歯の抜けている状況に、まだぜんぜん慣れません。

 
by papiko-gokko | 2016-03-23 23:37 | 月齢ごとの成長記録(長女)
駆けだした背中を追おうとして気づくもう赤ちゃんじゃなくなったこと
 岡山に住み始めて、2年が経ちました。来たばかりのころみたいな新鮮さはもうなくなったけれど、これといって不満もなく、日々快適に暮らしています。長女が幼稚園に通いだしたことで地域とのつながりができ、近所に買い物へ行くと高確率で幼稚園の人と会って、挨拶を交わすようになりました。子供のころからお店や飲食店で知り合いに会うのが苦手な私にとってこれはちょっとつらいことなのですが、親になった以上、そんなことは言っていられません。自分や子どもの存在を知ってくれている人が近所にいることは、とても心強い大切なことなのだから、前向きに捉えなくては。
 これから先、少なくとも子供たちが学校を出るまではこの地で暮らしていくのだろうけれど、私は子ども時代からずっと数年おきに引っ越しをして生きてきたので、長く暮らすという想像がいまいちうまくできなくて、考えれば考えるほど、心許ない気持ちになります。幼稚園のお母さんたちの話を聞くと持ち家の人もそれなりにいて、長女の友だちのところも数年後に買う予定だそうだし、上の妹も早く欲しいと言っているし、東京の友だちも家を買ったと聞いたりして、ああそうなのか、家ってそのうち買わなきゃいけないものなのか・・・と、33歳を目前にしながら、いまさら愕然としたりしています。それは、20歳を過ぎていつの間にか周りのみんなが車を運転できるようになっていたときの置いてけぼり感と同じで、車を運転したいとも、持ち家を欲しいとも思えない私は、一人前の大人として生きていくための大事なものが何か欠けているのだろうかと、これから先が不安になってきます。
 あまりにも方向音痴で注意力散漫すぎる私(身内からも免許取得を止められるレベル)は、ハンドルを握っている自分を想像するだけで身の毛がよだつし、どこに住んでもしっくり馴染んだためしのない私(いつも完全に馴染む前に引っ越してしまうから?)が持ち家を買ってしまったら、それはもう取り返しのつかないことになる気がして、明るい未来を想像できません。ポストに新築の広告なんかが入っていると、すてきだなぁとうっとり眺めたりするし、子供たちの駆け回れる広いおうちには憧れるけれど、それ以上に、いつでもどこかへ引っ越せる状態でいたいと思ってしまいます。
 しかし、人の親になった以上、やっぱりもうそんなことは言っていられないのか。ああ、考え出すとうっすらしんどい。思えばこれまでの人生、あこがれと理想を人生選択の最優先にしてきました。あこがれの引力を道しるべにして、渦巻く理想を原動力にして、生きたいように生きてきました。子どもが生まれてからも、それは変わらないけれど、いまは、あこがれや理想が、私のなかではっきりとしていなくて、うまく人生設計を思い浮かべることができていません。いつか明確なあこがれが発生したとき、選択肢をなるべく狭めず済むように、いまは貯金をがんばりたいです。
 どこでどんなふうに暮らすにしろ、愛する家族がいて、みんな家に帰るのが好きで、当たり前に日々笑ったり言い合ったりできる生活が続いていくならば、それ以上のことはないのです。そうか、いまこれといって次の一手が浮かばないのは、自分があこがれと理想の真ん中に、立っているからなのかもしれない。それならばとりあえず、毎日をじっくり積み重ね続けてみよう。2年前に私たちの選んだこの土地が、成長していく子どもたちにとって住み心地の良い、最高の場所であり続けることを願います。
by papiko-gokko | 2016-03-21 00:13 | Diary
正しさを上手に伝えられなくて雑な怒りで誤魔化している
 昨日も今日も、怒ってばかりいたような。いつも、今日こそもっと優しくしよう、笑顔で向き合おうと思うのに、気づけばあれこれ叱ることばかりで、ため息つきながら洗い物して。イヤイヤ期の次女がここのところ本当にワガママで、この世の仕組みのすべてが気に入らないらしく、現状に対する反抗と要求の繰り返しで、叱っても優しく言い聞かせても「いやだ!」ばかりで理解しようとせず、それどころかわざと悪いことをしてこちらの反応を見たりして、2歳児ってこんなにすさまじかったっけ・・・と、もはや圧倒されています。私がもっとうまく振る舞えば、反抗も要求ももう少しマシになって、空気も悪くならず穏やかな時間を過ごせるのだろうか。いまさらながら、私って子育て下手なのかもとしれないと思い始めています。上手だろうが下手だろうがなんだろうが、とにかく全力で育てる以外、ないのだけれど。

 5歳になった長女のほうは、基本的にかなり聞き分けがよくなったのだけれど、聞こえないふりをしたり、叱られないためにすぐに分かる嘘を言ったり、複雑なかたちで反抗するようになりました。そんなことをわが子にされると気が滅入るし、人として駄目なことだから自分のやっていることの愚かさに気づいてほしくて、つい口調が厳しくなります。
 それから、もう一つ難しいと感じているのが、幼稚園での態度。長女はなぜか、家でいるときより幼稚園でのほうが、私の言うことを聞かない子になってしまうのです。ワガママが発動するのは大抵、お迎えに行って、「今日は園庭開放(帰りの会のあと、30分ほど園庭で遊べる)せずに帰るよ」と言ったときで、長女は「いやだ!どうしても遊ぶ!」と、大きな声で抵抗し、すごい力で私の手をふりほどき、まるで言うことを聞こうとしなくなります。お友だちのいる前できつく叱ってはいけないと頭では分かっているし、叱りたくもないのに、そんな態度をとられると、叱らないわけにいかなくなります。お友だちが遊んでいるのに自分だけ帰るのがイヤなのは分かるけれど、それはみんな同じで、それでも用事のあるときはちゃんとお母さんの言うことを聞いて帰っているのに、長女はどうして、あんなに抵抗するのだろう。
 いつだか、どうして幼稚園ではお母さんの言うことを聞かない子になるのかと理由を聞いたら、「だって、幼稚園では、お友だちのほうが正しいんだもん」と言われてしまいました。幼稚園での私は、いまだにおどおどしているものな。幼稚園にいるときのお母さんは正しくない存在に見えるのかと思うと、悲しくなって、しばらく何も言えなくて、「ちがう、幼稚園でも、そこにお母さんがいるときには、お母さんが正しい、はずだよ」と、やっとのことで言いました。

 次女に対しても、長女に対しても、最近、戸惑うことが多くて、自信がなくなるばかりです。自信がないから、心が不安定になって、苛立って、叱る回数がますます、増えてしまうのです。娘のために必要だから叱っているのか、自分の感情が抑えられずにただ怒っているのか、分からなくなります。長女の絵に怒った顔の私が登場することがちょこちょこあったり、ごっこ遊びでお母さん役の長女が仏頂面で「まったくもう・・・」とつぶやいていたりして、私は子どもにそんなに怒った顔ばかりしているのかな・・・と、反省します。あれこれ叱った記憶はあるのに、今日あの子たちが、どんなことを楽しんで、どんなことを私に話しかけてきたか、もうあまり覚えていません。二人ともなにやら机に向かってやっていたけれど、できあがったものも、今日は一度もまともに見てやりませんでした。なんだかやけに疲れていて、いい加減に見て聞き流してばかりいた気がします。いつも、子供たちが眠ってしまってから、もっと触れ合えばよかった、優しくしてやればよかったと、思うのです。

 明日はこそはたくさん笑って接しよう。子どもたちの顔をよく見て、触れ合おう。そして幼稚園で、おどおどしないように、がんばろう。10代のころからおどおどし続けてきたから、いきなり堂々とした人になるのは難しいけれども、子どものために、がんばろう。まず、無駄な愛想笑いを、少し減らそう。頬骨が疲れるし。
by papiko-gokko | 2016-03-16 22:25
手を伸ばし届く範囲と目を閉じて浮かぶ景色が大切なもの
 次女がお昼寝してくれて、絶好の日記タイム。何を書こう、どこから書こうと、うまく糸口を掴めないままパソコンの前に座っていると、わざとらしいほどの勢いで時間がずるずる過ぎていきます。著者を忘れてしまいましたが、何を書けばいいのか分からないときは、とりあえず身の回りの目に映るものを描写してみるとよい、そうするうちにだんだん言葉が広がってくる、というようなことを書かれている本を、いつかどこかで読みました。だから今日は、そんなふうに日記を書いてみることにします。

 まず、パソコンデスクの左端には、図書館で借りたビートルズ本が積み重なっています。まだほとんど開いていない本もあれば、けっこう読み進めた本もあります。最近は、寝かしつけのときなど私が本を手にとるたび、次女が「それ、びーとる?」と、聞いてくるようになりました。そのたびなんとなく、もじもじした気分で「そう、びーとる」と答えています。
 週末には家族で1時間半ほどカラオケにいき、ビートルズを3曲も歌いました。めちゃくちゃのカタカナ英語ですが、家族しか聴いてないから、いいのです。長女はEテレ「にほんごであそぼ」の『恋そめし』を振り付け付きで披露してくれました。歌も踊りも可愛らしくて大好きな歌です。次女は、同じくEテレ「0655」で聴いて以来のお気に入り『toi toi toi~おまじないのことば~』を、ノリノリで飛び跳ねて歌っていました。夫は往年のヒット歌謡曲を熱唱していました。だれもが、歌いたい歌を歌いたいように歌って、満足度の高いカラオケでした。

 パソコンデスク正面の壁には、先日自分で作って印刷した、ストレッチ一覧の紙が貼ってあります。どうもここのところ、冷え症が加速し手足がしびれやすかったり、気づくとへんな立ち方をしていたりして、運動不足による血行不良と日々の習慣からくる体の捻れを解消せねばと強く感じるようになったので、自分でメニューを作ってストレッチを始めたのでした。いまのところ、3日坊主にならずになんとか続いています。やはり、壁に貼るだけでかなり、3日坊主対策の効果があるようです。

 パソコンデスクの右側には、ブックスタンドがあって、仕事で使う本3冊と、クックパッドを印刷したものをまとめている(まとまりきらずはみ出している)ファイルと、幼稚園関係のファイル(ふくれてパンパン)が立てかけてあります。レシピなしで作れる料理のレパートリーが少ない私には、クックパッドがかかせません。日々、顔も知らないどこかの料理上手な人々のレシピに、助けてもらっています。つくづく、いい時代になりました。幼稚園のプリントは、どこからどこまで保管しておけばいいのか分からなくて、とりあえずなんでもかんでもとってあります。もうすぐ1年が終わることだし、整理しようかな。もうすぐ1年経つのか。長女が幼稚園に行き始めてからの1年間は、想像以上に長く感じました。入園なんて、3年くらい前のことのように思えます。しかし、あと1年通ったら小学生になるのかと思うと、とたんに、あっという間すぎる気分にもなります。

 キーボードの周りにも、あれこれものがあって、だらしない状況です。たとえば、リップクリーム。冬の初めに買ったけれど、あまり塗らずに春が来ました。それから、体温計と小児科の診察券。また子供たちが風邪気味なので、風邪薬をもらいにいったのでした。そのときのお医者さんの対応が微妙に冷たく思えて、必要以上に落ち込んだりしました。幼稚園でもすぐに、相手のちょっとした態度でへこんでしまったりするので、私はもっと、人の言動に惑わされない力を身につけたいです。
 それからほかには、次女の身長をはかったメジャーやら、化粧水やら。 次女は常に成長曲線ギリギリの小ささなので、つい、身長も体重も、こまめにはかりすぎてしまいます。体重なんて、毎日計って、たまに増えると大喜びしています。身長も体重も、次女なりに、ちょっとずつちょっとずつ、増えてはいるので、あまり神経質にならないようにしようと、頭では思いつつも、計ってしまいます。
 化粧水は、もうかれこれ8年くらい愛用しているオリーブ化粧水。肌荒れが酷くて何を使っても良くならなかった時期、岡山の牛窓に旅行したとき、母に買ってみたらと言われてダメ元で買ってみたこのオリーブ化粧水を使ってみたら、劇的に肌の調子がよくなったのでした。まさかあのときは岡山に住む日がくるなんて思っていませんでしたが、運命的なものを感じます。

 それから、私の膝には、ドラえもんの文庫本が一冊のっています。長女がドラえもんの漫画に興味を示し、私に漫画の基本的な読み方を聞いて、ひとコマひとコマ一生懸命読んでいるのですが、文庫なのでフリガナのない漢字も多く、特別に1冊だけ、一番長女が読みたがっている「恐竜編」の文庫に、えんぴつでフリガナをふってやることにしたのでした。ドラえもんの文庫すべてにふりがなをふるのは抵抗があるし大変だから、まだ読みたがるようなら、文庫ではなくドラえもんのコミックを買ってやるつもりです。人生初の漫画体験がドラえもん、とてもよさそうです。ちなみに私の人生初漫画は、『らんま1/2』の13巻と10巻でした。長女よりすこし大きくなってから、眼科検診の待ち時間に、母が買ってきてくれたのが、先にアニメで知っていて大好きだったらんまだったのでした。らんまも小学生くらいになったら、実家から持ち帰って読ませてみよう。

 デスク周りがごちゃついているおかげで、たくさんきっかけをもらって、書きたかったことを、思いのほか書くことができました。書いてみてはじめて、自分はこういうことが書きたかったんだと気づくこともあるのだな。ありがとうごちゃつき。これを書き終えたら、ちょっと整理をします。
by papiko-gokko | 2016-03-15 22:48
おやつおやつとはしゃぐわが子の声を背に一分間の黙祷をする
 東日本大震災から、今日で5年が経ちました。たしか去年も同じような事を書きましたが、あの日を境に胸に染みついた恐怖、悲しみ、怒り、不信感は、薄れるどころか、時が経てば経つほど、深く大きくなっています。震災の日以来、この世に生きている限り、どんな信じがたいことも起こり得るのだと、はっきり自覚して生きるようになりました。
 私自身の体験は、東京で、生後1ヶ月の長女を抱きしめて震えた震度5強の揺れと、めちゃくちゃになった部屋。そして、原発事故と、その後の混乱。なんでもないことだと必死に思い込もうとして、でもやっぱり、報道を見聞きする限り、とんでもないことが起こっているのは明白で、なんでもいいから確かなものにすがりつきたくて、だけど、どれもこれもがあやふやで、だれの言葉をどこまで信じればいいのか、分かりませんでした。生まれたばかりの小さな長女が、得体の知れない危険にさらされていることが、辛くて悔しくて、たまりませんでした。あのころのことを思い出すと、黒い感情が渦巻いて、みぞおちのあたりが、重く痛み、息を吸い込みにくくなります。あれだけの恐ろしいことが起こって、その現実と地続きの世界でこうして生きているのだから、この痛みは一生、消えないものなのでしょう。
 東京にいた自分でさえ、これほど生々しく、痛みが残っているのです。被災地で体験した人は、いったいどれほどの痛みを背負って生きているのか、想像するほど、言葉が見つからなくなります。この5年間で、震災直後は知らなかった被災地のさまざまな出来事を、テレビや書籍から、知る機会が多くありました。知れば知るほど、知ること、知ろうとすることには、意味があると、思うようになりました。あの震災の日を生き、そして今日も生きている私は、あの日どれほどのことが起こったのかを、知り続けなくてはいけない、知って、考え続けなければいけないと、強く思っています。
 人生で一番の恐怖を味わったあの日、理解を超える恐怖にみまわれたとき、人はとてつもなく強烈に人を求めるのだということを、身をもって知りました。ふだん、人との交流に苦手意識ばかり抱いている私が、あのときだけは、とにかくだれかと一緒にいたい、一人でいたくない、人と会話をしていたいという思いでいっぱいでした。震災直後に来てくれた友だちや義母たちの存在に、どれほど救われたことか。そのことを私は、このさきも覚えておきたいです。どんなにコミュニケーションが苦手で一人でいるほうが気楽だなんて言っていても、いざとなったら私はとてつもなく強烈に人を求めるのだということを知ってしまったことは、私を少し弱く、生きにくくしたけれど、それだけ大切なことを学んだのだと思います。
 出産で世界が変わり、震災で価値観がひっくり返り、2011年を境に、あまりにも大きく、自分の内側が変化しました。もし、震災がなかったら、いまどこで、どんなふうに生きているのだろうかと、たまに思いを巡らせます。考えてもしかたのないことだけれど、考えずにはいられません。たぶんいろいろなことが、少しずつ違ってきていて、いまとはまったく違う人生が、そこにはある気がします。だからなんだと言われればそれまでですが、それくらい、東日本大震災は、私自身の人生にとっても、大きなことでした。
 書いても書いても、うまくまとまりません。まだたった5年。まとまるはずもないのかもしれません。とにかく以上が、震災から5年経ったいま、私の思うことです。
by papiko-gokko | 2016-03-11 23:16 | Diary
玄関を開けて最初に吸い込んだ空気のまるみ春が始まる
 ぽかぽか急に、春の日射しです。ちょうど一週間くらい前、いつもより少し早く幼稚園のお迎えに行った日、年長組さんと先生が、声をあわせて「サクラ咲いたら一年生~♪」と歌いながら、園庭の桜の木を見上げて歩いているのを見ました。ひとしきり歌い終えて、「あ、ほら、この木、つぼみあったよ」と、先生が桜の幹を指さすと、子供たちも一生懸命に背伸びをして、「ほんとだ!」「こっちも!」と、口々に言い合っていて、なんてのどかな光景だろう・・・と、思わず涙ぐんでいたら、長女のペアだった女の子が、私のそばを通り過ぎるときに手を振ってくれました。あの日つぼみだった桜の木の一部が、週末からの暖かさで、今日かなり開花していました。いよいよもう来週は、卒園式です。

 先日、暖かくなる一歩手前の日に長女の参観日があり、「春を感じるものってどんなのがあるかな」という先生からの問いかけに、みんなが「さくら!」「チューリップ!」「たんぽぽ!」と、花の名前を言い合うなかで、長女が「くうき!」と言って全体の流れを止め、先生が「くうき・・・ふじ、のことかな?藤の花も、春に咲くね」とフォローしたのですが、長女は首を振って「くうき!く・う・き!」となおも言い続け、全体を微妙な空気にしてしまいました。そのときは、どうしてあの子は空気という言葉にこだわっているのだろうかとハラハラしたのですが、今朝、外に出てみて、ああ、空気がぜんぜん違う!と感じ、本当だ、春は空気からやってくるんだ・・・と、参観日の日に長女の言っていたことの意味を理解しました。そして長女が、ちゃんと自分の感覚で春を感じてそれを人に伝えようとする子に育っていることを、嬉しく思いました。そういえば私は毎年、春がくるたび「空気が違うねえ!」と、長女に向かってよく言っていた気がします。それを心のどこかで、覚えていてくれたのかもしれません。先生も、今朝の空気を吸って、長女の言っていた言葉の意味に、気づいてくれていたらいいな。

 この週末は、県立図書館へ行って、本をたくさん借りました。今回はなんと、ビートルズ関連の本を、10冊も借りてしまいました。ビートルズにはまってそろそろ1年が経ち、楽曲を聴くだけでは飽き足らず、映画を見たりネットで情報を仕入れたりしているうちに、もっともっと深いところまで知りたくなり、借りてみたい本をメモしたリストを司書の人に渡したら、さすがは図書購入冊数全国1位の図書館なだけあって、メモした本すべて書庫から出してきてくださり、借りることが出来たのでした。嬉しいです。とても全部は読み切れそうにないけれど、こんな本が出ていたんだなぁと、手にとってぱらぱらめくるだけで、十分に幸せです。なにかを大好きになって、その大好きなものにいろんな触れ方をして心をふくらませながら暮らせることは、本当に幸せです。雨じゃなく飴玉が降る世界で、さかさまの傘を広げて歩いているみたいに、めいっぱい甘い幸せです。

 もちろん私の本だけでなく、夫と、子供たちの本もたくさん借りました。最近、親子で中川李枝子童話にハマっていて、今回も『森おばけ』を借りてみました。『ももいろのきりん』は長女が最初に大好きになった児童書だし、『いやいやえん』も好きで何度か読んだし、少し前に借りた『かえるのエルタ』も『ガブリちゃん』もすごくおもしろくて、読み聞かせながら、私も一緒にワクワクして物語のなかに入り込んでいます。長女なんて、読み聞かせの最中に、足をバタバタさせながら「くふふっふ」と布団に潜り込むほど楽しんでいます。
 大きな字で書いてある1年生向けの児童書なら長女が自分で読むようになり、読み始めるとあっという間に読み終わるので、びっくりします。それはもちろん嬉しいことなのだけれど、こうしてどんどん自分で読めるようになったということは、長女が私の読み聞かせを喜んで聞いてくれる日々が、いよいよ終わりに近づいてきているということなのかと思うと、何とも言えず、寂しい気持ちになります。これといって立派な信念を持つわけでもなく日々迷ってばかりの子育てだけれど、絵本の読み聞かせだけは毎日、熱のある日すら欠かさずに続けてきました。だから、読み聞かせを喜んでくれる期間が終わるということは、私の子育ての、大きな一つの区切りになる気がします。
 年長さんの卒園や、長女の進級を目前にしていることもあってか、読み聞かせのことに限らず、長女が小さな女の子でいてくれる期間が、もうほんのわずかになってきていることを、最近感じる場面が多くなってきました。まだ抱っこはできるけれど、ずいぶん重たくなったし、子守歌を歌わなくても眠れるし、朝の準備も、ほとんど一人でできるし、言うこともしっかりして、私が手を貸さなくても、私が知恵を貸さなくても、歩いていける少女へと、着実に変化しつつあり、小学生になったら、ついに私の送り迎えなしに、登下校するようになるのです。そう考えると、これから始まる1年が、これまでにも増して、とてつもなく貴重なものに思えてきます。なまいきになってきたけれど、それでもまだ、童謡を歌えば素直に喜んでくれる、5歳の長女。あと1年の幼児時代、たくさん読み聞かせして、歌って、たくさん手をつないで、たくさん抱っこして、大切に過ごしたいです。
by papiko-gokko | 2016-03-07 22:52
次女2歳2ヶ月
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 3月4日で、次女が2歳2ヶ月を迎えました。もうなんでもしゃべり、長女が幼稚園で覚えてきた歌も、すぐ一緒になって歌い出し、でたらめのピアノ演奏だってお手のもので、「ちゅぎは、ちんでえや、ひいてあげゆー(つぎは、シンデレラ、弾いてあげる)」と、得意げに鍵盤を叩きます。自分の足の短さや身体能力をいまいち分かっていないようで、なんでもお姉ちゃんと同じようにできると思っていて、椅子によじ登ろうとしてひっくり返ったり、ベッドからころげ落ちたり、目を離すとすぐ危なっかしいことをして、毎日何度も泣いています。
 それでいて外に出ると、とたんにおとなしくなるところが、面白くもあり、心配でもあります。公園ではおとなしくなりますが、お買い物ではじっとしていません。どうやらショッピングが好きなようです。商品の中から可愛い柄のものを見つけると必ず私に教えてくれて、今日も「これハートがいっぱいちゅいてるよ、かわいいよ」と、私の趣味とまったく異なる芳香剤を勧めてきました。買い物のあとは、自分も買った物を何か一つは持たなければ気が済まず、今日も家まで、たべっこどうぶつの袋を抱えて帰りました。
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 最近お絵かきが大好きで、ちょっと前までは、丸のなかに小さな黒いくしゃくしゃを一つ描いたカエルの卵のような絵が多かったのですが、最近その黒いくしゃくしゃが二つになって、さらにそこに線が一本加わって、お顔になりました。カエルの卵を描いていたころも、顔を描こうとしていたんだなぁというのが、いまの絵を見ているとよく分かります。折り紙で折った犬やネコに顔を描くのがここ数日のブームで、たくさん折っています。
 長女との仲がここのところますます深まり、幼稚園へお迎えに行くと、長女に抱きつくようになりました。ごっこ遊びもどんどんこなせるようになってきて、一生懸命に長女の言っていることを理解し、世界観についていこうとしているのが、とてもけなげで、可愛くてたまりません。1時間に1回ぐらいのペースでとりあいっこレベルのケンカもするけれど、その何倍もの回数、二人で笑い転げて、走り回って、本当に楽しそうです。思い通りにならないことがあっても、私と遊ぶより、やっぱり長女と遊ぶほうが面白いようで、しゃべり方も遊び方も、なんでも長女の真似しています。
 最近の二人の仲良しぶりときたら、親も入りにくいくらい、なんだか二人だけに通じる言葉みたいなものが、生まれ始めています。姉妹にだけ通じる、可笑しくてたまらない言葉、これからどんどん増えていくのだろうな。そして時が経てば経つほどに、その言葉の数々は、口にするだけで笑えて、思い出すだけで楽しくて、かけがえのないものになるのだろうな。
by papiko-gokko | 2016-03-02 23:50 | 月齢ごとの成長記録(次女)


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