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日記と短歌


by papiko

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 先日夫と一緒に見た映画『マンマ・ミーア!』のなかに、「Slipping Through My Fingers」という歌が出てきて、その歌詞に心を打たれました。いつも自分が子育てしながら抱いている想いそのものだったからです。私が今まさに抱いているこの気持ちを、外国の有名な歌手が昔、こんなにすばらしい歌にしてくれていたなんて。本当に、捕まえても捕まえても、手をすり抜けていくように、成長していく。失敗を重ねて、ああこうすればいいんだとようやく気づいたときにはもう、子供たちが次の段階に進んでいて、また分からなくなる。そんなふうにして、何も満足にしてやれないまま大人になって、離れていってしまう感じがして、寝顔を見るたび、園に送り出すたび、やるせなさがこみ上げてきます。大事な存在であればあるほどに、大事にするって難しくて、ぜんぜん大事にしきれない。

 ここ数日、微妙に長女の機嫌が悪くて、機嫌が悪いとワガママになり、ワガママになると私の長女に対する態度がどうしても厳しくなり、それでますます長女がへそを曲げるという悪循環になっています。もっと優しくしてやりたいなぁと思いながら、目の前で悪いことをされると、やはり厳しく叱らずにはいられません。叱られると、長女はとても暗い目をします。まだ4歳、もうすぐ5歳になる長女の、心の強度が分かりません。
 今朝も、月曜の朝で気分が低調だったらしく、些細なことでぐずぐず泣いてばかりいたので、なんでそんなことで泣くのと苛立ちながら尋ねたら、「だって○○くんが叩くから泣いてるんだもん」と、急にそんなことを言い出したので、自転車で幼稚園に向かいながら、「叩かれたら、泣く前に先生に言いなさい。先生が助けてくれるから。」と教えました。長女はどうやらそれを素直に聞き入れたようで、後ろで「うん」と頷くのが聞こえました。本当は先生に頼る前に、自分で「やめてよ!」と強く言えれば一番いいのだけれど、私も幼いころ、何か言い返そうと口を開こうとすると同時に涙が出てきてしまう子どもだったので、長女が泣いてしまう気持ちがよく分かるのです。「泣くからよけいに叩くんかもよ」と、長女に言いながら、私も母に同じこと言われたなぁと思い出しました。そんなことを言われても、涙は勝手に出てきてしまうのだからどうしようもないんだということは、経験上分かっているのだけれど、親としては、そんなもんに泣かされるなよ!舐められるなよ!と言いたいくらい歯がゆくて、今はあのころの母の気持ちもよく分かります。
 朝はぐずぐずしていたけれど、幼稚園に行ってしまえば楽しかったようで、お迎えのときにはすっかりご機嫌でした。今朝言っていた叩かれたという話も、おそらく日常的にというわけでなく、以前に叩かれて悲しかった時のことを、月曜日の気だるい朝だったからしみじみと思い出してしまい、ブルーになったのでしょう。基本的には「年長さんになったら夏休みがなければいいのにな。だって幼稚園はおうちでできないことがいっぱいできるから、毎日いきたいもん!」と言うほど、幼稚園が大好きな子なのです。もし迎えに行ったときもぐずぐず泣きべそ気味のようなら先生とお話せねばならないだろうかと悩んでいたので、ほっとしました。
 家に帰ってから夕食を作るまでの時間、長女に誘われて、子供たちのおままごと遊びにすこしだけ参加しました。長女がお母さん、私がパパ、次女が赤ちゃんでした。幼稚園でもおままごとが流行っているようで、おそらく園ではなかなかできないお母さん役を、家では長女が思う存分やっています。次女もごっこ遊びを理解していて、ちゃんと長女に調子を合わせ、長女の作ったご飯を「いたーちまーちゅ、おいちいねーおかーちゃん」と食べるし、長女が「さあ寝る時間ですよ」と言えば「はーい、おやちゅみちゃーい」と、横になって目を閉じたりします。今日はパパ役だった私がへんてこないびきをかいて寝て、大爆笑になる場面もありました。いつも私が腹を抱えて大笑いすると、子供たちもつられて、はじけるように笑います。私や夫が大笑いすることが、子供たちにはとても興味深く愉快なことのようで、私や夫が一度大笑いすると、また大笑いさせようとして、何度も同じことをして、調子に乗りすぎて叱られるということも珍しくないパターンです。子どもと一緒に大笑いしていると、その瞬間の時間がキラキラしぶきをあげて降りかかってきて、私を泣きたい気持ちにします。
by papiko-gokko | 2015-11-30 22:47 | Diary | Comments(0)

 今日は長女のお友だちが遊びに来て、半日たっぷり遊びました。お友だちの妹がちょうど次女と同い年なのもあって、次女も楽しそうでした。夏休みに遊んだ頃より、次女もお友だちの妹もコミュニケーションの幅が広がり、遊びを一緒に楽しめるようになっていました。幼児が半日も一緒にいれば、ケンカも何度かあって、どっちもどっちのお互い様のケンカばかりでしたが、大泣きのケンカをしても、ちょっと仲裁してやるとあっという間に仲直りできてしまうあたり、幼児って強い生き物だなぁと思います。大人だったらこうはいきません。
 長女とお友だちのやりとりを見ていると、必ずしも互いが嬉しくなるようなことを言い合っているわけでもなければ、相手が喜ぶようなことをしあっているわけでもなく、どちらもワガママで自分が一番で、だからたびたびケンカが勃発するわけなのですが、それでも仲直りしては笑い合い、離れないのは、なんだか互いどうにもこうにも本能的に気が合う、ウマが合う、ということなのでしょう。本当の意味での友だちっていうのは、きっとこういうものなのだなぁと、夢中でガツガツ遊ぶ二人を見ていて思いました。相手の気持ちよくなるようなことを選んで言い合ったり、相手の喜びそうなことをしあって、常に互いにとってプラスの効果が期待できるから友だちでいるのではなく、腹が立つこともうっとうしいこともあるけれど、それでもやっぱり一緒にいると面白くてなんだか離れがたい、それが友だちなんだと思います。幼稚園に入ってすぐにそういうお友だちができたことは、長女にとって最高に幸せなことだったに違いありません。

 ただ、お友だちと遊んでいる長女を親の目で見ていると、どうしても、長女の悪い部分ばかりが目についてしまい、長女のこういう部分についてどう軌道修正していけばいいのだろうか・・・と考え込む場面も多くありました。お友だちとおうちで遊べるのが嬉しすぎて常に興奮気味で声が大きいし、思い通りに事が運ばないと感情が爆発して泣きだすし、まったく悪気はないのだろうけれど、自分の家に招いている嬉しさからか、貼ってある自分の絵や、書ける文字などについて自慢っぽい発言をするし、しかもその中に若干の不必要なウソ(というより、長女の空想世界における真実)が混じったりするし、それからこれはもう、かつてそういう子どもだった私と夫の子だから仕方ないのかもしれませんが、口が立ちすぎて絶妙に人をイラッとさせるような言わなくていい一言を言うし、なんだかもう、この子こんな調子で、この先うまく人間関係を築いていけるのだろうか・・・と、頭をかかえてしまいます。
 長女の場合、いまのところ、わざと意地悪なことをしたり言ったりするようなことはないので、そこは安心していますが、悪意のない辛辣な一言という、夫から受け継いだらしき非常にやっかいな武器を持っているので、こういうことを言うと相手がどんなふうに思うのか、ということを、発言するまえに考える力を養って、すこしでも人間関係をうまく築ける人にしてやりたいです。

 お友だちと遊んでいるときに限らず、最近の長女の遊び方は、演者かつ演出家のようです。これも私に似たのか、「ステージのある公園にいきたい」と言うほどステージに対するあこがれが強く、常に空想の中でステージに立っていて、ステージの上での彼女はスターであり、スポットライトと喝采を浴びながらミュージカルをしていて、それだけなら自分の世界で好きにやればいいのですが、ときどき、一緒に遊んでいる次女だったり、今日の場合だとお友だちに、自分はこうするからあなたはこのタイミングでこういうふうに動いて、こういう発言をしてくれというような、指示っぽいことを言ったりするのが問題です。次女にしてもお友だちにしても、その通りに動くわけがなく、それで長女が怒ったりへそを曲げたりすることはないものの、どこか物足らなそうな顔をします。たまに、次女が長女に会わせて歌を歌ってくれたりすると、大張り切りで長女ワールドのミュージカルが盛り上がります。ああ、長女よ、現実はステージのように効果的なライトも音響もないし、私たちはだれも主役でもなければ脇役でもなく、そして舞台監督でも演出家でもないのだから、だれも自分の指示通りには動かないのだよ、残念なことに。それをしたければ、芸術の世界、自己表現の世界に、入り浸るしかないんだよ。はやく文章を書けるようになるといいね。文章の世界は、主役も脇役も割り当て放題、演出し放題なのだから。
 もし、将来的になにか長女に習い事をさせるならば、なにかステージに上がって発表のあるようなこと、できれば演劇っぽいことをやらせてやると喜ぶのかなぁと、ぼんやり考えています。習い事をしなくても、これから学校などの発表会やクラブ活動で、いくらでもステージに立てる機会はあるのかな。私は幼稚園のころ、いとこのお付き合いで少しだけバレエを習っていて、そのときの発表会で始めてステージに立つ気持ちよさを知り、中学時代は合唱部でステージに立って気持ちよく歌い、そして高校時代の演劇部で、思う存分、ステージで演じることの喜びを味わいました。練習はしんどかったけれど、舞台袖で出番を待つときの緊張感も、舞台に一步踏み出して、いくつもの角度に影の分かれるライトに照らされ、さあもうどうとでもなれと腹をくくるあの瞬間も、ほどよく響く足音も、大好きだったから、ステージにあこがれを抱く長女にも、ぜひ味わわせてやりたいものです。まずは劇場へ連れて行って、本物の演劇なり、ミュージカル劇なりを見せてやりたいな。これから、幼稚園から小学校、中学校と進むにつれ、人間関係の世界はますます難しくなっていくだろうけれど、長女が自分の生きやすい世界を見つけてなるべくのびのびと生きてけるように、いまのうちから、世界を広げてやりたいです。
by papiko-gokko | 2015-11-29 01:08 | Diary | Comments(0)

 週の初め、子供たちと一緒に、インフルエンザの予防接種をうちに行きました。周りの意見を聞くと、受けるべきという人もいれば受けなくてよいという人もいて、非常に悩みましたが、長女が幼稚園からもらってくる可能性も高いし、それに今年は年末年始の休暇で両方の実家を渡り歩くことになったので、少しでも感染のリスクを減らしたくて、受けることに決めました。私と長女と次女、3人受けるとかなり痛い出費になりますが、背に腹はかえられません。予防接種に行く直前、体温計で子供たちの体温を測ったところで、長女は何かを察し「どうして・・・どうして体温を測るの・・・」と、消え入りそうな声で質問してきました。そこで私もつい必要以上に神妙な口調で「これから、注射を、受けに行くのです・・・」と言ってしまい、長女がごくりとつばを飲んだのが聞こえました。
 しかし、さすがはもうすぐ5歳になるお姉ちゃん。泣いて取り乱したりするようなことはありませんでした。わけもわからずるんるん気分でお出かけの支度をした次女に靴を履かせながら、「冬はこわい風邪が流行るから、注射を打って、なるべくかからないようにするんだよ。かかると幼稚園をたくさん休まないといけなくなるんだよ。」と説明すると、長女は黙って頷いて靴を履き、なにかを決意したような明るい口調で「どのくらい、痛い?やってみて!」と腕を出してきました。なので、「このくらいかな。あの看護師さんは、上手で、去年おかあさんやったとき、ほとんど痛くなかったし」と、腕にちょんと爪を立ててやりました。長女は「そんくらいかー!」と、楽しそうに言いました。そして「おもちみたいな針の注射だったら、いいんだけど・・・」とつぶやき、その発言に私が吹き出したので、つられて長女もゲラゲラ笑って、何度もおもち注射おもち注射と言って笑いながら歩きました。途中、何度かくじけそうになったのか、すごく歩く速度が遅くなったりしましたが、ずっと笑っていました。長女が笑っているので、次女も笑って、これから一体どんな楽しいことが待っているのだろうかというような調子で、病院へ向かったのでした。
 病院ではそれなりに待ち時間があって、長女も次女もだれていましたが、注射自体はあっという間に終わりました。本当に上手な看護師さんで、去年と同様、私はまったく、いつ刺し終わったのかも分からないくらい痛くありませんでした。長女もたぶん、あまり痛くなかったのでしょう。声一つ出しませんでした。そしてあとから「ちょっとだけ、痛かったよ」と言っていました。そうだね、それが真実だ。最後の次女は、やはり大泣きでした。痛さというより、成されていることの恐怖心で泣いたのかもしれません。子供たちは2週間後にもう一度打たなければいけませんが、ひとまず打ち終えて、ほっとしました。冬はインフルエンザだけでなくほかの感染症もいろいろ流行るから、手洗いうがいを徹底して、元気に年末年始を迎えたいです。

 年末年始に、島根と横浜、両方の実家に帰ることになったのは、島根に住む私の祖父にとって、この年末年始がさいごの年越しになる可能性が高いことが分かったからです。祖父は春になってから急激に痩せ始め、秋の検診でかなり状態の悪いガンだということが分かり、余命が1年前後と言われました。冬は中国山地に雪が積もって車での帰省が大変だから、帰らないつもりでいたのですが、祖父がみんなで集まりたがっていて、とくに長女に会いたがっていると聞いて、電車で帰ることに決めました。年末に横浜、年始に島根ということで、ハードスケジュールになりますが、なんとかがんばります。
 祖父はもう随分な年だし、ここ数年で足腰もかなり弱ったから、もうあまり長くないのだろうなぁということは、会うたび色濃く感じていて、無意識に覚悟していたから、祖父の余命が1年と聞いたとき、それほど目の前が真っ暗になるようなショックは受けなかったけれど、2年後の世界には祖父がいないのだと想像すると、これまで感じたことのない、混じりけのない寂しさが静かに押し寄せてきて、視界がぼやけました。ありがたいことに、私はこの年まで、身近な人の死というものを体験せずに生きてきたけれど、人が死ぬということは、きっとものすごくものすごく、どんなことよりも寂しいことなんだと、寂しさとはこういう感情なんだと、今、学んでいます。一緒に暮らしたころは、些細なことで苛立ったり疎ましく思うこともあったけれど、遠くない未来、いなくなってしまうのだと思うと、やっぱり、それはもう、途方もなく、寂しいです。悲しいというより、寂しいです。なにもいなくなることないんじゃないか、そんなおおげさなことやめたらいいじゃないかと、言いたくなります。お正月、うちの長女と次女と、それから姪っ子(上の妹の子)も集まれば、どうしたってにぎやかになるだろうから、わいわい楽しく明るく、きらきらの時間を過ごせたらいいなと思います。
by papiko-gokko | 2015-11-25 13:14 | Diary | Comments(0)

いろいろすこし前のめり


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 冬の手前の3連休。土曜日は夫が仕事でいなかったので、すっかり時間をもてあまし、まだ早いよなぁと思いつつ、押し入れからクリスマスツリーを出して、3人で飾り付けをしました。ツリーを組み立てる段階から、長女はもう待ちきれない様子で、袋から飾りを出して「これはなに?」を連発したり、組み立てにてこずっている私に「手伝おうか?」と不必要な手助けをしてきたり、とにかく大はしゃぎでした。
 飾り付けが始まると、長女は私が何も教えなくても、とても器用に、バランスなども見ながら上手に飾っていき、次女も長女の真似をして、飾り付けのまねごとをしていました。次女はまだうまく紐を枝に通すことができないようでしたが、たくさんの飾りを手に持つだけで十分楽しかったようです。わーわー言いながら飾り付けを終え、最後にライトを点灯すると、とても賑やかできらびやかなツリーになり、私も長女も「わあー」と思わず歓声を上げました。これから1ヶ月、ツリーのある毎日を楽しみます。次女がさっそく、赤いボールの飾りを「これ、とんとん(とまと)よー」と言って、いくつももぎ取ってしまいましたが、去年ほどはわけのわからないイタズラをしなくなったので、いまのところなんとか、赤いボール以外は無事に飾られています。

 夫が休みだった日曜と月曜は、公園へ連れて行って子どもを遊ばせつつ、年賀状用の写真を撮ったりしました。ふたりとも自由に走り回るし、次女はカメラをまったく意識せずに動き、長女のほうは逆に意識してわざと変な顔をしたり変な動きをしたりするので、どんなに連写してもなかなかまともな写真が撮れず、ふたりをシーソーの片方に乗せて、もう片方に自分が乗って、ぎっこんばったんしながら撮った写真が、なんとか年賀状用のものとして合格しました。本当に親しい人にしか出さないものだから、成長ぶりの分かる最高の1枚を撮りたくて、毎年苦労します。
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 休日は夫がご飯を作ってくれることになっていて、今週は長女も夫と一緒に餃子をつつんだり、餃子ピザの具を乗せたり、おやつの白玉をこねたりと、すごく嬉しそうにいろいろなお手伝いをさせてもらっていました。次女もときどきそばに寄っていってそれを眺め、「次女ちゃんもやるー」と、邪魔をしていました。長女は調理のお手伝いが大好きで、平日私が夕食を作っているときも手伝いたがるのですが、手伝ってもらえることがなかったり手伝ってもらうほどの精神的余裕がないことが多いので、最近は調理で出た野菜屑を渡し、去年サンタさんにもらった子供用包丁で自由に切って遊ばせています。そうして長女がこまかく刻んだ野菜屑はボウルにいれられ、次女がかきまぜて遊んでいます。今年のクリスマスプレゼントも、長女はクッキング系のものがいいかなぁと考えています。クリスマスプレゼントのことを考えながら子供たちの様子を眺めることのできるこの時期、くすぐったくて大好きです。
 せっかくそんなふうに大好きなパパと一緒にお料理して楽しく過ごしていたのに、夕食前、長女はくだらないことで叱られて大泣きし、みんなと食卓を囲めずに、みんながごちそうさまをしてから夜ごはんを一人で食べました。長女は夫に叱られると、私に叱られたときの数倍はげしく取り乱すのです。きっと長女にとって夫は、だれよりも自分を叱ってほしくない、そして自分のことを認めてほしい存在なのでしょう。ひとりで食べるのはとても寂しかったようで、食事の途中で素直に反省して謝り、その後はまた私も夫も次女も長女の食べているそばで過ごしました。長女が叱られているときなどに、ふだん何も考えていないように見える次女が、実はいつもそれとなく場の空気を読んで行動しているのだなぁということが分かります。いつも長女がいるから思う存分にめちゃくちゃなことをしているけれど、長女が泣いて食卓にいなかった今日は、やけにおりこうで、そして明るく「おいちーねー」と繰り返しながら食べていました。2番目の子の能力って、すごいなぁ。そんな、家族だけで過ごした、平和な3連休でした。
by papiko-gokko | 2015-11-23 23:02 | Diary | Comments(0)

 今朝、長女を幼稚園に送ったあと、幼稚園にちょっとした用事があったので、すぐに帰らず駐輪場に自転車を止め、数分ほどで用事を済ませてから駐輪場のほうへ戻りつつ長女の教室に目をやると、教室から長女がこちらをじっと見つめていました。まだ朝の準備をしている途中らしく、手にはコップの袋か何かを持ったまま、どことなく心細げに突っ立っています。隣を歩いていた次女に「ほら、お姉ちゃんがいるよ」と教えながら、長女に手を振ると、長女は少し間を置いてから、はにかんで笑い、手首だけ使ってこっそり手を振りかえし、それからタタッと自分のお道具箱が置いてある棚のほうへ走っていきました。普段、園門前での別れ際に「いってきます」と手をふるときの明るい緊張感とはまた一味ちがった長女の表情で、ひさびさにすこしだけ、胸の締め付けられるお別れでした。
 お迎えのときには、明日が勤労感謝の日ということで、クラスの園児みんなで声を合わせて「いつもがんばってくれてありがとう、だいすき」と言いながら、一人一人がどんぐりで作った置物をプレゼントしてくれました。長女も、ほかの子たちもみんな、嬉しそうに恥ずかしそうにもじもじにこにこしながら渡していて、ほのぼのと可愛らしいひとときでした。
 しかしそのあと帰り際、長女には悲しい出来事が起こりました。一番仲良しの子の機嫌が悪くて、長女が追いかけて何度「ばいばい!」と言っても返事をしてもらえなかったのです。私のほうを振り返った長女は、悲しみで顔じゅうしわくちゃにして泣き出してしまいました。そのお友だちは気分屋なところがあって、機嫌の悪いときはいつもそんな感じなので、そういうときまで無理に仲良くしようとせずにほかの子にも目を向けたらいいのにと、親としては思うのですが、長女の小さな小さな世界では、そのお友だちの反応が何より大事で、そのお友だちのことが大好きで、ほかの子に目を向けるのは難しいことのようです。大人でもそんなこと、難しいものな。まだまだ感情のコントロールができない子供たちの全力のぶつかり合いは、傍で見ているだけでパワーを使います。
 幼稚園にいるとき、長女の目はいつも大きく開いていて、その瞳は、石が投げ込まれるのを待ち構えている水面のように、張り詰めて見えます。彼女の世界には、毎日いくつもの石が、ときに優しく、ときに乱暴に投げ込まれて、だぼんたぽんぽちゃんと、さまざまな音を立て、泡立ちながら沈んでいくのでしょう。その石のいくつかを、家に帰ってから拾い上げ、私に話してくれることもあるけれど、最近は楽しかったことほど「ひみつ!」と言って、教えてくれなかったりします。日々、水面のような長女の瞳に投げ込まれて沈んでいく石たちが、だんだん蓄積して島をつくり、その島が将来、長女が物事を見定めるための目印になったり、周りを見渡すために上る高台の役割をしたりするのかもしれません。
 10月に引き続き、11月もあれこれ行事があって、遠足においもほり、稲刈りにミカン狩り、収穫祭に演劇鑑賞などなど日々いそがしく、最近の長女は少し疲れ気味ですが、とても楽しそうです。楽しすぎて家でも幼稚園を味わいたいのか、家に帰ってからは自分が先生になって、幼稚園ごっこをしたりもしています。今日は次女も長女のリュックと帽子をかぶって水筒まで下げて、ノリノリで園児役を買って出ていました。また2学期の終わりには個人懇談があるので、先生に幼稚園での長女についてどんなお話が聞けるのか、楽しみです。

 
by papiko-gokko | 2015-11-20 22:55 | 幼稚園生活(長女) | Comments(0)

 雨が降り続いています。雨の日は自転車で送り迎えするのが怖くて歩くのですが、最近は次女も歩きたがって、抱っこ紐で縛り付けていても暴れ狂うので、次女のカッパと長靴も持っていって、時間に追われない帰り道だけ歩かせています。雨の道を歩き始めると、彼女の世界には水たまりしか見えなくなるらしく、車道の轍めがけて、平気で車のほうへ向かっていこうとするので、恐ろしくて恐ろしくて、一瞬たりとも目が離せません。目につくすべての水たまりでビシャビシャできさえすれば、家に行き着かなくとも構わないというような、めちゃくちゃな歩き方をする次女を、長女は半分あきれて、半分うらやましそうに長め、たまに一緒になってビシャビシャしたりしています。本当はダメなことと分かっていても、妹の楽しそうな様子を見ていると我慢できなくて、こっそり一緒になってイタズラに興じてしまい、そのうち妹を先導していたりして、最終的に次女より厳しく叱られてしまう長女は、幼い頃の私とそっくりです。

 ここのところ、次女のワガママとイタズラが、いよいよとんでもなく本気度を増してきました。なんでも自分でやりたがる時期なのは分かるのですが、こちらが慌てていればいるほど「次女ちゃんがやる!」といって私の手を振り払い、ときには「ねえちゃん、いいの!」と、わざわざ私ではなく長女にやってもらったりすることもあるので、苛立ちを鎮めるために、つい深いため息をついてしまいます。
 毎日の洋服も、最近はすんなり着てくれません。私が選んだものを差し出すと、「ちだう(ちがう)!こっち、いいの!」と言って、自分の選んだものを着たがります。長女も同じくらいのころから着てくれなくなったような気がしますが、長女の場合、上下の組み合わせにうるさかったのに対し、次女は、洋服の模様にうるさくて、ハートかお花かリボンか星か水玉かウサギかクマがついていなければ気に入りません。今日などは、パジャマのズボンをどうしても脱がないといって大泣きし、パジャマのズボンのままで長女の見送りに行きました。
 イタズラのレベルも日々更新中で、おとなしくしているなーと思って振り向くと、七味唐辛子をテーブル全体に振りかけていたり、夫がこつこつ溜めているボタンコレクションを絨毯いっぱいにばらまいていたり、長女の机に座ってマジックで机に絵を描いていたり、私の引き出しから保湿クリームを出して顔に塗りたくっていたり、買い物に連れて行けば、カートを降りると大暴れして、どうしようもなくなって降ろすと一瞬でも目を離せば商品に手を伸ばすから買い物なんてできなくなるし、こうして書いてみると、つくづくとんでもないイタズラっぷりです。
 長女もこんな感じだったのかなぁと思って、長女の1歳10カ月ごろの記事をいくつか読んでみたら、長女の場合はとにかく気むずかしくて、それから限界ギリギリまで寝ない人だったということが分かりました。長女は次女に比べると慎重派なので、このころになるとイタズラに関しての記述はほとんどなく、次女ほど破天荒なことはしなかったようです。長女の気むずかしさも睡眠時間の少なさも現在進行中なので、次女の3年後も、やはり破天荒なのかもしれません。趣味や遊び方は長女より乙女っぽいのに、言動は荒々しくて、一体どんな女の子に成長するのでしょうか。楽しみです。

 破天荒の分からず屋ではあるけれど、その一方で、かなり言葉で意思の疎通がとれるようにもなってきているのです。お昼寝から目覚めてすぐ隣の布団を確認し、「おねえちゃん、おーちえん(幼稚園)、いってるの?」と聞いたり、私が何か物を落として大きな音がすると「じょぶ?(だいじょうぶ?)」と心配してくれたり、幼稚園では私の真似をしてすれ違うお母さんに「まっちゅー(おつかれさまです)」と小声でつぶやいてみたり、雨の日には「あめあめーぴちゃぴちゃーららーん」と歌ったり、会話の幅は日々どんどん広がってきています。それなのに、なぜ以前にも増してこちらの言うことを聞いてくれないのかと問いたくなりますが、それとこれとは別らしく、むしろ、いろいろなことが分かるようになってきたからこそ、反抗心や野心が芽生えて、ワガママとイタズラがパワーアップしているのでしょう。
 今日はそんな次女に「サンタさんになにもらうの?」と聞いてみたら、しばし考えたのち「ふーちぇん、もらうの!(ふうせん、もらうの)」という答えが返ってきました。次女は風船が大好きなのです。日記によれば、長女は同い年のとき、「けーき」と答えていました。ケーキとふうせん、なんだか二人をよく表しているような気がします。

 次女のワガママとイタズラがきっかけで3年前の記事を読み返してみたら、3年前はいまよりずっと高頻度で日記を書いていて驚きました。当時の記事を読んでいると、もうすっかり忘れている気でいたその日々のことがちゃんと鮮明に蘇ってくるもので、やっぱりなるべく毎日書くようにしたいなぁと思いました。あれこれやるべきこと考えることの多いなかで、今を暮らしながら同時に今を大事にし続けるってすごく難しいけれど、今の私が今を日記に記録しておくことで、未来の自分が、今ここにいる自分の時間を大事に愛でてくれるから、大事にしきれていない大事な今を未来の自分に託すべく、書き留めたいです。
by papiko-gokko | 2015-11-18 21:51 | Diary | Comments(0)

秋のピクニック


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 本格的な冬が来るまえに、秋のピクニックをしておこうと、今日は家族で森林公園へ行きました。暑すぎず寒すぎず、雲間からやわらかな日射しの降り注ぐなか、子供たちは広い公園を、元気いっぱい駆け回って、色づいている落ち葉を拾ったり、どんぐりを集めたりして遊びました。どんぐりですべりそうになるほどどっさりどんぐりの落ちている場所もあって、長女も次女も夢中でしゃがみ込んでいました。次女はどんぐりよりもどんぐりの帽子のほうが好きらしく、「ぼうち、あったよ!」と、どんぐりの帽子を次から次へと見つけては袋に入れていました。夫はどんぐりではなくセミの抜け殻を見つけて手のひらに乗せ、次女からは「むし!」と喜ばれ、長女からは「いやー」と遠ざかられていました。
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 歩いているうちに、落ち葉の舞うだれもいない小さな原っぱを見つけたので、そこに敷物を広げてお弁当を食べました。ひさびさのお外弁当はおいしくて、幸せに浸りながら食べていたら、次女が「にゃーにゃ、にゃーにゃいる!」と騒ぎ始め、いったい何が猫に見えたのやらと思っていたら、本当に、数メートル先に猫がいたので驚きました。猫は落ち着き払った様子で座って、こちらをじっと見つめていました。とてもきれいな猫だったので、どこか近所の家で飼われている猫なのではないかと思います。動物好きな次女も、冒険好きの長女も、このすてきな事件に大喜びでした。猫はしばらくじっとしていたあと、すっと木の陰に隠れ、そのうちどこかへいってしまいました。「にゃーにゃ、れんぼちたね!(かくれんぼしたね)」と、次女は猫がいなくなってからも、繰り返し楽しそうに、猫のいたほうを指さしていました。
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 お弁当を食べたあとは、家から持ってきたフラフープや縄跳びやボールなどで少し遊びました。子供たちは、フラフープや縄跳びで電車ごっこをしたり、ボールを投げたり、あれこれ挑戦していました。誰かが何かに挑戦するたび次女が「次女ちゃんもしゅる!」と言って近づいてきて、邪魔されつつも、楽しく体を動かしました。ものすごくひさしぶりに縄跳びを跳んでみたら、自分の体の重さに驚きましたが、何度か跳んでいるうちに力みがとれて、少し感覚が戻ってきました。夫も縄跳びをして「体が!重い!」と衝撃を受けていました。日頃から運動していなければ、年を取るごとに体は重くなる一方なのだろうなぁ。これからは夫婦で意識的に、体を動かさなければ。
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 次女は電車ごっこがとても気に入ったようで、大笑いしながら長女について走っていました。しっかり一緒に遊べるようになってきて、長女も楽しいだろうし、見ているほうの気持ちも、これまでよりずっと愉快です。最近は長女と会話も成り立つようになってきて、かわいい会話に笑ってしまいます。
 お昼をはさんでたっぷり4時間ぐらいは遊んでほどよくくたびれ、帰りがけに西松屋に寄って、子どものタイツやらベストやら何枚か買い、冬支度をしました。秋を満喫したし、あったかい服もそろえたし、これで心置きなく、冬を迎えられます。
by papiko-gokko | 2015-11-15 23:24 | Diary | Comments(0)

something


 日記を書かないまま、日々が過ぎていきます。時間ができるたび、さあ今こそ書こうと意気込んで編集画面を開くのだけれど、書きたいことがまとまらないまま、寝る時間になってしまいます。もっと軽い気持ちで、毎日書くようにしたほうが、スムーズに言葉が出てくるのだろうか。書き方をすこし変えてみようかな。
 今日は次女が初めて、トイレでおしっこをすることに成功して、たくさん拍手をしました。それから昨日は、長女のワガママに腹を立ててくどくどイライラ説教したり、そのあとなんの脈略もなく抱きしめたりしました。長女は少しずつ岡山弁をしゃべるようになり、そのせいか急激に、年長さんの雰囲気に近づいてきたような気がします。
 幼稚園では、運動の秋ということで、縄跳びやら一輪車に挑戦しているらしく、長女はどちらもまだうまくできなくて、一輪車を園庭開放の時間に練習していましたが、体が小さくて足が届かず、まっすぐな体勢でまたがることすらままなりません。私が一輪車を乗れるようになったのはたしか小学校低学年のころで、毎日目標を決めて練習していた記憶があります。長女もかなり練習をしなければ乗れるようにはならなそうなので、まずは縄跳びだけでもできるよう、今週末、少し練習させてみるつもりです。あれこれ集団で挑戦させられることの多い子ども時代に、悔しさや劣等感をなるべく感じないように暮らす一番の方法は、やっぱり練習しかなかったよな・・・と、自分の子ども時代を振り返って思います。ちなみに夫は一輪車にぜんぜん乗れなかったそうですが、「これは自分のやるものじゃない」と思っただけで、それについてまったく劣等感を抱いたことはないらしく、長女も夫のように考えて悔しさや劣等感を抱かないタイプの子なら、一輪車なんてできなくてもちっとも構わないけれど、もし悔しさや劣等感を抱くタイプの子なら、私もつられて悔しくなるから、できるかぎり練習に付き合って、力になってやりたいです。
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 発売日の翌日に届いた『ビートルズ1+』の2枚組Blu-rayを、日々すこしずつ味わっています。2枚一気に見る時間はなかなか作れないので、洗濯物を干す時間と、たたむ時間が、もっぱら私のビートルズ観賞タイムになっています。大きな画面できれいな映像を楽しむことができて、最高に幸せです。とくにカラーの映像などは、昨日あつまって撮ったんじゃないかと思えるほど鮮明で、まるで時代を感じさせません。音も相当よくなっているらしいのですが、あまり静かな環境で鑑賞できていないので、まだそこまで味わえていないのが残念です。白黒の映像を見ていると、次女がしきりに画面を指さして、「くらい、くらいよ」と言います。部屋を暗くするのが嫌いな彼女には、きっと白黒の画面が電気の消えた部屋に見えて、少し怖いのかもしれません。白黒はおろか、ブラウン管テレビの画面すら知らない世代だものな。ビートルズの音楽自体は好きみたいで、たまに『Please Please Me』を「たもんたもーん」と歌ったりします。しばらくはこのBlu-rayで、いくらでも幸せに浸れそうです。
by papiko-gokko | 2015-11-14 01:26 | Diary | Comments(0)

ビートルズ


 迷って迷って迷いに迷って毎日迷って、今日、ついに、注文確定ボタンを押してしまいました。11月6日世界同時発売の、『ザ・ビートルズ 1+』。曲は全部パソコンに入れてあるし、映像だって今どきはネットでそれなりに見られるじゃないかと、必死で自分に言い聞かせ欲望にストップをかけようとしたけれど、どうにもこうにも、買わずにはいられませんでした。これはどうやらもう、すっかり、ファンなのです。
 はじまりは今年の春あたり、広く浅く洋楽に触れてみようかな・・・と、youtubeでかつて流行った洋楽を聴いてみるうちに、どんどんビートルズに夢中になっていき、気づけばビートルズの映像ばかり見てうっとりしている自分がいました。広く浅くなんていう器用な芸当が、私にできるはずがなかったのです。自分はビートルズの音楽が好きなんだと自覚してからは、図書館でアンソロジーも含めすべての公式アルバムを借りてパソコンに取り込み、毎日ひたすらビートルズばかりを聴くようになりました。楽曲のすばらしさは言うまでもなく、映像を見るとみんな最高に輝いているし、服装なんかもオシャレだし、写真の撮り方もかっこいいし、なんともいえない物語性もあって、夢中になれる要素だらけです。夢中になりすぎて、夫に散発を頼まれたとき、無意識のうちに妙なマッシュルームヘアーにしてしまいましたが、夫はなぜかそれを気に入っているので、マッシュルームヘアーの人と暮らすことができて嬉しいです。
 聞き込んでいくうちに、とくに自分の好きな曲というのが、いくつかできてきました。初期のアルバムのほうがキャッチーな曲が多い感じがして聴きやすいのですが、後期の歌にも好きな感じの歌はたくさんあって、どの時期もそれぞれ本当に魅力的です。一番大好きな歌は『No Reply』で、ジョン・レノンの切ない歌声に魂が震えます。それから『Help!』もたまらなく大好きだし、『In My Life』『Any Time at All』『Strawberry Fields Forever』『Don't Let me Down』などにぎゅいんと心を奪われる私は、とくにジョン・レノンの声質や曲調に惹かれるのかもしれません。でも、ポール・マッカートニーの声質も曲調もやっぱり大好きで、お気に入りをあげるときりがないくらいあり、やはり『yesterday』『Let it be』『Hey Jude』といった名曲は聴くたびに感動してなんだか厳かな気持ちになるし、初期のポップな曲も大好きです。それから、ジョージ・ハリスン作曲の『Here Comes The Sun』もすごく好きで、聴くと心が穏やかになります。夫と長女はリンゴ・スターの歌う『Yellow Submarine』が好きで、よく口ずさみます。とにかく4人が4人とも魅力的で、私ももし当時のイギリスやアメリカに生まれた女の子だったなら、めちゃくちゃ熱狂していただろうなぁ・・・と、そんなことを想像しながら、古い映像をうっとり眺めたりするのが、子どもを寝かしつけたあとの楽しみです。
 そんなふうに、どっぷりはまっていたタイミングで、そんなベスト盤みたいなものが発売になったものだから、これはもう、飛びつかずにはいられなかったのでした。ふだん夫に気持ち悪がられるほど物欲のない私が、これはどうしても欲しくて、ブレーキが利きませんでした。子供ができてからはとくに物欲がなくなっていたので、こんなに自分のための何かが欲しくてたまらなくなったのは、久しぶりのことでした。ものすごく迷って決断しただけあって、いまはもう、届くのが楽しみで楽しみでしかたありません。私の洗脳で娘たちもでたらめにビートルズを口ずさむので、映像を見たらきっと喜ぶことでしょう。ああ、待ち遠しい。
by papiko-gokko | 2015-11-05 21:30 | Diary | Comments(0)

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 次女が1歳10カ月を迎えました。おしっこが出るたび教えるようになったり、この前は初めてトイレでうんちをすることができたりと、おむつ外れの時が近づいてきているのを感じます。お絵かきにも変化が出てきて、ただのぐしゃぐしゃから、なんとなく形を書こうとしたり、色をいくつも使ったりするようになりました。自分の絵を指さして「ちょうちょ」とか「さかな」と、教えてくれることもあります。見るとたしかに、蝶々っぽかったり魚っぽいかたちをしているのですが、これはたぶん、それを書こうとして書いたのではなく、おそらく書いたあと、たまたまそう見えたということなのでしょう。
 この1ヶ月での一番大きな変化はなんといっても、「これなあに?」の質問攻撃が始まったこと。目に付いたもの、手に触れたもの、なんでもとにかく「これなあに?」と聞くようになり、うまく答えられないとき、「なんだろうねえ・・・」と答えているうちに、最近では私の真似をして「これ、なんだろう」と、自分で考えるようなそぶりを見せるようになりました。語彙も増え、言葉をつなげてちょっとした文もしゃべるようになり、私や夫や長女のおしゃべりを聞いて、真似いて、毎日どんどん吸収していっているのを、すごく感じます。長女が「ほっぺたがかさかさするから、クリーム塗って」と言えば「次女ちゃんも、ほっぺ、かしゃかしゃ、するのー、ぬってー」と、必死で同じことを言おうとするので、その口調が可愛くて、言っている内容がわがままなことでも、つい甘やかしてしまいます。

 そんなふうに、ふだんは末っ子としてちやほやされて育っている次女ですが、今週の頭に、上の妹と1歳になったばかりのぷよぷよふにふにした姪っ子が泊まりがけで遊びにきて、初めて自分より年下の子と遊ぶという経験をしました。まだ何も分からない姪っ子は、興味の赴くままになんの悪気もなく次女の遊んでいるおもちゃを取ったりして、次女はそんな状況に愕然とし、最初のうちは「次女ちゃんのよ・・・次女ちゃんのよ・・・」と弱々しく言っていましたが、しかしそれがわりといつも自分が自分の姉に対してやっていることだと気づいたらしく、やがて、いつも自分が姉から言われているのとそっくりな口調で、「だめよ!だーめ!」などと、教え諭すように言ったりして、先輩ぶりはじめました。
 そしてだんだん、自分より年下の子がいるという状況が気持ちよくなってきたらしく、何をするときにもなんとなく得意げな表情を浮かべて、意気揚々と遊び始めました。長女が幼稚園から持って帰った、運動会の踊りで使った飾りをつけて、姪っ子に見せびらかしたりもして、自分がふだん長女にされているような振る舞いを姪っ子にできるのが、嬉しくてたまらない様子でした。もちろん、ただ威張ってばかりではなく、自分の使っていたおもちゃを姪っ子に貸してあげたり、あれこれ持ってきてあげたりと、ふだんにはない我慢や気遣いをして、精一杯おねえさんらしくしていました。次女にとって、今回の姪っ子との触れあいは、とても大きな経験になったのではないかと思います。

 姪っ子が帰ってからはまた、長女のノートを取って長女を困らせたり、ぐずぐず言ってまだ履き替えなくてもいいオムツを履き替えたりして、いつもの末っ子ちゃんに戻っています。卒乳もなかなかできそうにないし、やっぱりまだまだわが家の赤ちゃんポジションです。
by papiko-gokko | 2015-11-04 23:37 | 月齢ごとの成長記録(次女) | Comments(0)