うわのそら papiko.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

日記と短歌


by papiko

<   2015年 03月 ( 11 )   > この月の画像一覧



d0038776_061985.jpg
 暖かくていい天気。下の妹が遊びに来たので、子どもたちと妹と、つぼみのほころぶ桜並木を通って、いつもより少し遠い公園まで歩きました。途中で100円ショップに寄り、飲み物と、それから長女が先日からやりたがっていた子供向けのバドミントンセットを買って行きました。初めてのバドミントン、ぜんぜんうまくはできなかったけれど、下の妹に相手をしてもらえて、長女は大喜び。その一方で、いつものように長女に相手をしてもらえなくて、次女はちょっと物足りなそうに寂しそうに、それを眺めていました。出発のときは少し寒いように感じましたが、公園でいっぱい動いて日差しを浴びて、帰るころにはみんな上着を脱ぎ、日陰を選んで歩いていました。帰りがけにアイスバーを買い、家についてからみんなで食べました。3月の終わりに相応しい、春の訪れを感じる休日でした。

 あとで今日撮った写真を見返すと、長女の表情がどれも本当に生き生きしていて、こんな表情を、自分は日常的に引き出してやれているのだろうかと、胸の奥が痛みました。つい、おねえさん扱いしすぎたり、逆にその反動で、赤ちゃん扱いしすぎたりして、4歳児を4歳児らしく扱うのって、なかなか難しいです。まだ4歳という年齢に、私も長女自身も慣れていないからでしょうか。ここのところ、長女はわがまますぎるし、私は怒りっぽすぎるように感じます。子どもたちへの愛情は無限だけれど、ただ、一日の上限みたいなものはやっぱりあって、長女のわがままは、その上限を軽く超えてくるので、寝かしつけのころにはもう、とにかく一刻早く寝て私を解放してくれと、それしか思えない日も少なくありません。
 次女が相変わらず夜中に起きてつねに寝不足なのもあり、今日の妹のように、全力でハツラツと長女の相手をしてやることも最近あまりできていなくて、駄目だよなぁと思います。子どもたちとの時間をもっと大事に味わいたいのに、子どもたちの生活のお世話だけで疲れて、味わう余裕を持てないまま、一日が終わります。じっくり味わえないかわりに、場面場面で、ふいに可愛さに気づいて、ぎゃあああかわいい!と、空腹時の試食コーナーでもらったウインナーみたいに、ほんのひととき噛みしめています。それでいいのかもしれないけれど、可愛い時期はやがて過ぎるのだと思うと、もっともっと一日中、イライラせずにハツラツと向き合って味わいたいのになぁと、思わずにはいられません。毎日布団のなかで、明日はもっと、と思います。
 幼稚園が始まったら、先生やお友だちが、長女の笑顔をいっぱい引き出してくれることでしょう。その日が待ち遠しくてなりません。私だけではもう、長女の世界を響かせることができません。最近それをすごく感じます。入園まで、あとほぼ半月。それまで、最低限の生活習慣や、お友だちに言うべきでないことやるべきでないことなど、教えられそうなところは教えて、楽しみな気持ちを一緒に膨らませて、なるべく怒らず、笑い合いながら、入園式の日を迎えたいです。
by papiko-gokko | 2015-03-29 00:43 | Diary | Comments(0)

やっと日記を書けた


d0038776_093065.jpg
 寒かったり、暖かかったり、気温の変動が激しくて、お出かけのたび服装に迷います。先週の土日は天気がよかったので、お弁当を持って車で大きな公園へ行きました。長女は大型遊具に夢中で、私たちのことなど見向きもせず駆け回り、お弁当のときも遊びたくてそわそわしっぱなしで、食べ終わるとすぐまた遊具に駆けだしていきました。そばについていなくても大丈夫になったとはいえ、まだまだ一人にしておくのは心配で、見失わないよう、動き回る彼女を目で追うのが大変でした。次女は芝生をたくさん歩いて、ボール遊びやシャボン玉もして、大満足の様子で、最後はくたびれてベビーカーで寝てしまいました。来年には、一緒に大型遊具で遊べるかな。
 今日もまた暖かかったので、広場で少しだけ走り回って遊びました。長女はとにかく走りたいみたいなので、走って走って走りまくってすっきりしたようでした。次女も大きな声をあげながら、長女を必死に追いかけていました。

 この一週間、子どもたちを寝かしつけてから自分が寝るまでの約1時間余り、youtubeで洋楽を聴き漁っていました。日記を集中して書くために聴き始めたはずの洋楽でしたが、気づけば発掘に夢中になっていたのでした。宝石鉱山を発見したように嬉しくて、いろいろな年代のヒット曲を、手当たり次第聴いてみて、そうして最終的に行き着いた答えは、ビートルズって、やっぱりめちゃくちゃかっこいい!!でした。すうっと耳に馴染んで口ずさんでしまえるメロディー、爽やかさと渋さの両方を兼ね備えた歌声、おしゃれなルックス。なにもかもが、最高に新しくてかっこいい!こんなかっこいい音楽が、自分の生まれる20年も前にあったことに改めて感動するし、youtubeで当時の映像を見ていると、どれほど人気者だったのかもよく分かって、そのスター性にますます惹かれます。私がビートルズばかり口ずさむようになったので、夫が図書館でCDを予約してくれていて、昨日それを受け取り、ひたすら聴き続けています。私が音楽を聴くときに求めるものすべて、ビートルズはみなぎっていて、それでいてシンプルで完璧すぎて、自分がこれまで聴いてきたあらゆる音楽の根源はここにあったのだと、今更ながら衝撃を受けています。
 ビートルズのほかには、オアシスの音楽にもとても惹かれて、CDを借りてみることにしました。それから、エルトン・ジョンの音楽も美しくて、たくさん聴いてみたいと思いました。とくに『Your・Song』は、有名なので聴いたことはあったけれど、初めてちゃんと歌詞を見ながら集中して聴いてみて、なんて美しい歌なのだろうかと震えました。この人の歌も、これからまたいろいろ聴いてみたいです。しかしいまはとにかくビートルズに夢中です。

 毎日欠かさず見ている夕方のEテレ幼児番組で、今週は『いないいないばぁっ!』に、4月からの新しいおねえさんになる、6歳くらいの可愛らしい女の子が、ちょっとずつ登場するようになりました。4月から変わることはなんとなく知っていたのですが、いよいよなのだなぁと思うと、胸がいっぱいになります。2011年1月生まれの長女は、ちょうど現お姉さんのゆうなちゃんが就任した年から見ていて、どっぷりゆうなちゃんの歌やダンスで育ちました。体操コーナー「わ~お!」で、ゆうなちゃんと赤ちゃんがハイハイしているのを見てふいにハイハイができるようになった日の驚きと感動は、今も鮮明に覚えています。あれから4年経って、長女もゆうなちゃんも大きくなったものなぁ・・・と、なんだか危うく泣きそうになりました。
 4歳になって対象年齢を外れた今も、長女はゆうなちゃんが大好きで憧れているので、お別れを寂しがるかと思いきや、新しいおねえさんの登場に大興奮の大喜びで、「かわいい女の子!かわいい!かわいい!」と、かわいいを連呼して、見終わったあとさっそく絵に描いたり、ごっこ遊びに登場させたりしていました。子供ってこうして、残酷なまでに順応していくのだな。新しいおねえさんは、実際ものすごく可愛らしい女の子だったので、ゆうなちゃんとのお別れは寂しいけれど、私も4月からが楽しみです。次女はこれからきっと、新しいおねえさんのことを大好きになることでしょう。
 明日でいよいよ、ゆうなちゃんは最後なので、録画して、感謝の気持ちを込めてみようと思います。ゆうなちゃん、長女にたくさんの楽しい気持ちをありがとう。
by papiko-gokko | 2015-03-25 00:09 | Diary | Comments(0)

体験入園、予防接種


 今週は、体験入園があったり、1年ぶりに長女の予防接種(日本脳炎の追加接種)があったり、超特急納期の仕事がきたりと、慌ただしく過ぎた一週間でした。

 体験入園は、これまでにも参加していた園庭開放と同じような感じで園庭で遊ばせてもらうことができたのですが、今回違ったのは、先生たちが長女をもうすでに園児として扱ってくれて、声をかけてくれたり、遊びを手伝ってくれたりしたことでした。これからは先生たちが、長女の名前を覚えてくれて、良いよころも悪いところも知ってくれて、一緒に遊んだり教えたり叱ったり褒めたりしてくれるのだと思うと、もう安心で嬉しくて嬉しくて、「どうかなにとぞよろしくお願いします!」と叫びたい気分でした。その一方で、長女がうまくお友だちを作れるのかどうかは相変わらず不安で、一緒に入園する予定の子たちの様子を、祈るような気持ちで眺めました。遊びが何より大事だという考え方のすごくのびのびした幼稚園で、いつ行っても子どもたちはみんなそれぞれやりたいことをして力いっぱい遊び回っているので、きっと自由人の長女の性格に合っていると思います。長女のなかで渦巻いている、こんなことしたい!あんなことしたい!というまっすぐすぎる欲求を、受け止めてくれる幼稚園だと思います。楽しく通えますように。楽しく通えますように。どうか楽しく通えますように。

 予防接種のほうは、少し泣いたものの、想像していたほどではなくて、成長を感じました。1年前の3月に受けたとき、3歳だった長女は病院の待合室で大泣きし、「帰る-!」と大暴れして逃げだそうとし、それはそれは大変な騒ぎだったのです。その思い出があったので、今回も数日前から気が重くて気が重くて仕方がありませんでした。注射から逃れることはできないけれど、せめて注射前の気の重さは私ひとりで味わっておいてやろうと思い、長女には直前まで言わずに、当日いつも通りの感じでおでかけし、小児科まであと3メートルぐらいというところで、「今日は、病院にいきます」と発表しました。すると手をつないでいた長女が息をのむ気配がして、数秒の沈黙の後、「病院で・・・なにをするの・・・?」という、静かな質問が返ってきました。そこで意を決して「先生に、元気かどうか診てもらって、それから注射をします」と答えると、「どうして、注射するの?」と、再び静かに尋ねられ、「元気に幼稚園に通うため」と言いながら小児科のドアを開けたのでした。
 そんなふうに、もう逃げられない場所まで来てから言ったのがよかったのか、長女は抵抗することなく、無言で体温を測り、呼ばれるまでちょっと待合室のおもちゃで遊んだりなどして待ち、先生の前でもおとなしく、注射のときは、看護師さんにしがみついて恐怖に耐え、注射中は「いたああい」と泣いて、その後もしばらく震えていたようでした。だけど、病院を出るころにはもうケロリとしていて、いつまでもおもちゃで遊ぼうとして帰りたがらないほどでした。3歳のときよりは、これはもうどうあがいても逃れられないのだなということが分かっていたのでしょうか。1年で子供はこんなに違うのだということを教えてくれた日本脳炎の予防接種でした。

 今週末は、幼稚園に必要なものを買いにでかけたり、また広い公園へ連れて行って子どもたちを遊ばせたりする予定です。次女の歩く姿を見ているとなんともいえず幸せになれるので、またたくさん歩かせて写真を撮りたいです。
by papiko-gokko | 2015-03-16 23:37 | Diary | Comments(0)

d0038776_23574520.jpg 次女のお昼寝中、長女と一緒に、録画していた『かぐや姫の物語』を観ました。2時間以上あるので長女はところどころ集中力が途切れたりもしていましたが、わりと物語の大筋は理解したようです。都に出てお姫様の修行をはじめたあたりから、最初のころの(野山を駆けまわっていたころ)のかぐや姫のほうがいい、もう一度あのかぐや姫を見たいとしきりに言い、最後に里帰りして着物を脱ぎ捨てて駆け出す場面で、「ああよかった、また最初のかぐや姫に戻ったね」と喜んでいて、月に帰る場面では、「どうして本当は帰りたくないのに、月に帰らないといけないの?」と、何度も繰り返していました。きれいな着物を着たかぐや姫の姿がとても印象に残ったようで、観終わったあとすぐに、着物を着たお姫様の絵を描いていました。長編の物語が楽しめるようになってきたみたいで、嬉しいです。
 私も約2時間半、物語の世界に引き込まれて夢中で鑑賞しました。別れのシーンでは、おじいさんおばあさんに感情移入して涙が出ました。かぐや姫がこんなに悲しい、怖い物語だったなんて。月からの使者の奏でるやけに朗らかな音楽や、かぐや姫が地上での記憶をなくす瞬間が、たまらなく怖くて、悲しすぎて、寒気がしたほどでした。かぐや姫、月に記憶を持ち帰ってほしかったなぁ。たとえ離ればなれになっても、思い出してもらえたなら、それがどれほど救いになることか。おもしろかったけれど、結末が悲しすぎて、しばらくあとを引きました。

 昨日に引き続き、洋楽の話。今日は日記を書くときだけでなく、子どもたちが起きているときにも、少し洋楽をかけてみました。長女は少し、「これはなに?」と気にしていましたが、やはり邦楽ほど気にならないらしく、そのうちかかっていることも忘れてお絵かきをしたりしていました。小さな音でしゃわしゃわ流れる洋楽が、子どもたちの声と自分のあいだに、薄いフィルターをかけてくれて、いつもの大騒ぎも、心なしか普段よりソフトに感じました。
 私がこれまでほとんど邦楽しか聴いてこなかったのは、音楽にメッセージ性や物語性や共感を求めて聴いていたからです。しかし、いまの私が音楽に求めているのは、無音以上の静寂みたいなものなのだと気づきました。日中はとにかく子どもたちのペースで、頭の中がひっちゃかめっちゃかになるので、子どもたちが寝た後に聴く音楽には、強い意味より淡々とした静けさを求めてしまうようです。
 それでいろいろあれこれ聴いてみた結果、私に静けさをくれる音楽は、ピアノでもオルゴールでもクラシックでも小鳥のさえずりや波の音でもなく、あくまでも人の歌声であり、異国の言葉ならば意味に捕らわれることなく聴けるのだということが分かったのでした。日本語の意訳を読んでどういうことを歌っているのかはなんとなく分かりつつ、何を言っているのか細かい単語はぜんぜん聴き取れない、その距離感をとても心地よく感じます。この1年ぐらいずっと、何を聴けば自分の耳と心が喜ぶのか分からない日々が続いていたので、やっと見つけて嬉しくて、喜びのあまりひさびさにCDをレンタルしてみようかなぁと思っているところです。

 
by papiko-gokko | 2015-03-15 01:16 | Diary | Comments(0)

 今日は午後から気温が上がって、とても暖かくなったけれど、お出かけする気にならなくて、長女も今日はお出かけしたくないと言ったので、冬のあいだ子供部屋に敷いていたカーペットと長女の毛布を洗濯して外に干し、私たちのかわりにお日様を浴びてもらいました。
 そして、一日の一番暖かい時間に、長女とプリンを作りました。次女が寝ているあいだに作るつもりだったのですが、準備している段階で起きてしまい、抱っこをせがんでぐずぐず泣いていたので、抱っこひもで抱っこして作りました。お菓子作りをすると長女が喜ぶし、それにここのところ、私もお菓子作りをしたい気分なのです。春先で心がざわついているからか、お菓子作りをするときの、分量をきちんと計ってレシピの順序通りに進めていく、その平和で混じりけの無い緊張感を、とても心地よく感じます。生地を濾し器で濾しているときには、自分の内面も濾されていくような気がするし、混ぜるときには、自分のまとまらない思考もきれいに混ざり合うような気がします。心を込めて作る、というより、行程を心の空白部分に塗り込んでいくような作業。そう、作業。お菓子作りの、作業っぽいところがいいのだと思います。

 長女の背が、ずいぶん伸びました。ちょっと前のイメージより頭が高いところにあって、ふとした拍子に手が当たってびっくりしたりします。私と長女との大きさの比率が、赤ちゃんのころのそれとはもう違っていて、戸惑います。長女が小さな小さな赤ちゃんだったころは、私はそばにいるだけで、立派なことなんて言わなくても、絶対的な大きな存在でいられたけれど、いまはもう、長い時間は抱っこもしていられないし、走るのだって速いし、それに大きさや体力だけでなく、言うことも一端になってきて間違いを指摘してきたりするから、だんだんと、絶対的な母と子という関係から、対等な人と人の関係に近づいてきている感じがして、これから先、どんどんそれが強まっていくのだと思うと、これから私どんなお母さんになっていけばいいのだろうかと、少し気弱になります。次女はまだ、抱き上げれば泣き止み、おっぱいをやれば安心して眠り、何も言わなくても絶対的な存在でいられるから、それが救いになっています。だけどこの時も、ほんの数年なのだなぁ。どんなお母さんになっていこう。このようになっていこうとしてなっていけるものでも、ないのだろうけれど。

 こうして日記を書くときには、昔から大抵なにか音楽を聴いているのですが、テープ起こしの仕事をするようになってから、邦楽を聴いていると、歌詞が気になってうるさくて日記を書くとき聴けなくなりました。それで、youtubeでクラシックなども聴いてみたのですが、いまいち集中できず、ためしに洋楽を検索して聴いてみたところ、これが思いの外しっくりきて、洋楽を聴きながら日記を書くようになりました。これまでほとんど洋楽を聴かずに生きてきたため、両親が聴いていた時代の超有名な洋楽ぐらいしか知らないので、まずはそのあたりがまとめてあるようなものを探して聴いてみています。異国の言葉の歌詞はしゅわしゅわサイダーのように耳元ではじけて心地よく、とても集中できて、素敵です。
 
 
by papiko-gokko | 2015-03-14 00:23 | Diary | Comments(0)

 あれもこれもやらなければとか、やってみたいとかと思いながら、何もいまいち手につかない、そわそわ春の焦燥が、目を覚ますごとに強くなります。焦って頭の中がごしゃごしゃしているので、箇条書きでもすればいいのだろうとも思うのですが、それをしてしまうと、じつは大して何も無いということが自分自身にばれてしまい、私ってたったこれだけの人間なのかよと、焦燥の種類が深刻になってしまいそうなので、箇条書きもできず、もたもた考えたり考えなかったりして、寝かしつけの時間の、読書ばかりがやけに進みます。
d0038776_22125239.jpg
 夕食の準備中、長女と次女がとても仲良く楽しそうに遊んでいて、ふたりの笑い声を聞きながら、幸せな気持ちで包丁を動かしました。まだ次女はほとんどおしゃべりできないけれど、そんなことまったく問題ではないようで、なんだかよく分からないことを繰り返しては、ゲラゲラ大笑いしていました。
 1月や2月に行った幼稚園での子どもたちの様子を見ていても、姉妹で遊ぶ様子を見ていても、幼い子どもたちにとって言葉は、まだ伝達の手段というよりも遊び道具のひとつに過ぎず、大人ほど言葉に依存して生きていないのだということを、すごく感じます。まだ言葉のつたない子どもたちは、想像力と行動力でもって、みるみるうちに共通の楽しみ喜びを見いだし、遊びの世界を作り上げていきます。今日姉妹の遊ぶ姿を見ていて、人が自分を見失わず人と関わり合いながら生きていくために何より大切なのは、想像力なのではないかと、つくづく思いました。きっとどんな生き方を選ぶにしても、想像力は大事です。自分のためにも周りのためにも大事です。
by papiko-gokko | 2015-03-12 23:53 | Diary | Comments(0)

 東日本大震災から、今日で4年が経ちました。数日前から、震災があってからの1年のことをいろいろ思い出し、思い出すたびどうしようもなく、心が重く苦しくなりました。東京で自分自身が体験したことも、報道で見聞きしたことも、4年という月日で、より重みを増しているように思います。時間ぴったりにはできませんでしたが、子どもたちがテレビを見ているときを見計らって、1分間の黙祷をしたら、黙祷を始めるのとほぼ同時に長女が膝に乗ってきて、震災の起きたときも長女は膝の上にいたんだと思い出して、長女をぎゅっと抱きかかえながら黙祷を続け、次女が近寄ってきて手を握られたので目を開けたら、ちょうど1分が過ぎたところでした。
 震災を経て変わったことはいろいろありますが、小さな変化では、本を読むとき、必ず最初に、その本の初版が2011年以前か以降かを、確認するようになりました。あの日を境に、私のなかであらゆる価値観が変わったので、2011年以前に書かれているものと、あの震災を経て書かれているものとでは、読むときの心構えが微妙に違うのです。
 いま、日常が続いていることに感謝します。それが当たり前ではないこと、まだまだ、あの日から日常を取り戻せずにいる人、取り戻すためにがんばっている人がたくさんいることを、忘れずに生きていきたいです。

 3月だというのに昨日から急激に冷え込んでいます。昨日買い物にでたら、あまりにも寒すぎて、「てぶくろをしてくればよかった!」と、長女が何度も言っていました。今日はもう寒い思いをしたくなくて、家で過ごしました。1日家にいると、やはりもう、長女のパワーが有り余りすぎて、遊んで遊んでがすごすぎて、こちらがくたくたになります。幼稚園が始まったら、しっかり発散して帰ってきてくれるのだろうと思うと、入園の日が待ち遠しくて仕方ありません。最近はつねにごっこ遊びをしていて、私も何かの役をあてがわれているのですが、子供の頃みたいにごっこ遊びが上手ではなくなってしまった私は、ちっともなりきれなくて、家事をしながらなのですぐに役柄を忘れてお母さんに戻ってしまうので、そのたび長女に指摘され、かんべんしてーと泣きたくなります。もっともごっこ遊びのプロだった6~7歳ごろの私を呼んできて、長女の相手をしてもらいたい気分です。次女も役をあてがわれていますが、まだ演じられるはずもなく、めちゃくちゃするばかりなので、最終的にいつも「かいじゅう」という役に落ち着いています。このかいじゅうは本当にかいじゅうすぎて、必死で片付けたばかりの箱を平気でひっくり返すので、かんべんしてーと泣きたくなります。
 そんなこんなで、夜になるとかなりうんざりしてしまっていましたが、寝かしつけのとき、「おかあさん、かわいいね。だって、長女はおかあさん大好きだから。大好きな人のことは、かわいく見えるんだよ」と言われて、甘い気持ちになりました。続けて長女は「長女は、長女の知ってる人のことみんなすきなの」と言っていて、素敵だなぁと思うと同時に、心配にもなりました。今そんなふうに思えているのはきっと、これまで長女が、長女のことをあたたかい目で見つめ、大事にしてくれる人たちとしか、触れ合っていないからなのでしょう。だけどこれからは、そうではない出会いもあり、邪険な扱われ方をすることだってあると思うから、そんなときにも、いじけないでくじけないで、好きなものを好きなままで、生きていけたらいいなと思います。
by papiko-gokko | 2015-03-11 23:12 | Diary | Comments(0)

 日曜を除いて、ここのところ雨の日が続いています。お出かけしないと時間に余裕ができるので、ここのところずっと長女がやりたがっていたクッキー作りをしてみたり、最近発見した、子供向けの迷路やクイズを無料でプリントアウトできるサイトで、おもしろそうなものを印刷してやってみたりして過ごしました。次女は数日お外にでなくてもまだ平気ですが、長女は力が有り余ってしまうようで、その余力をわがまま方面に向けられると手に負えないので、雨の日は晴れの日以上に、過ごし方に気をつかいます。クッキーは美味しく焼けて、次女もよろこんで食べました。印刷してやった迷路やクイズは、長女がいくらでもやりたがるのでものすごい数になりました。いま、新しいことを学んだり考えたりすることが、とても楽しいようです。

 日曜日は、さあ子らを野に放ち給えと言わんばかりに晴れたので、車で広い大きな遊具のある公園へ出かけました。長女は公園に着くなり遊具に向かって駆け出していき、目にもとまらぬ速さで、遊具に群がる子どもたちのなかに紛れて見えなくなりました。去年、はじめてこの公園へ連れて行ったときは、まだ危なっかしくて、つねにそばに付き添ってやらなければ怖かったのですが、もうあのころの危なっかしさはなくなり、付き添おうにも動きが速くてとてもじゃないけれどもついて行けず、遊具から少し離れた場所で、様々な遊具につぎつぎ挑戦していく長女を見ていました。吊り橋も長いローラー滑り台も、前に来たときは怖がって、夫や私が一緒にやったのに、そんなのもう、遠い昔のことのようです。こうしてふいに思い知らされる長女の成長が、たったこの前まで当たり前だったはずのことを、一瞬にして遠い昔の思い出に変えてしまいます。
d0038776_2244384.jpg
 今回大きな成長を見せたのは、長女だけではありません。これまでいつもベビーカーか抱っこでの参加だった次女も、ついに靴をはいて、新しい帽子をかぶって、園内をたくさん歩き回りました。葉っぱや石に触ったり、いろいろなものを指さしたり、バンザイして大きな声を出しながら進んだり、とにかく楽しくてたまらない様子でのびのびと歩く次女のそばを歩きながら、私もいい気持ちでした。まだ長女と一緒に遊具で遊ぶことはできなかったけれど、そんな日もきっと、あっという間に訪れて、私と夫は、遠くで眺めているだけでよくなるのでしょうか。その日が待ち遠しいような、寂しいような。
d0038776_23391051.jpg
 ここのところすごく長女がわがままだったので、公園で発散させればおりこうになってくれるかなぁと思ったのですが、そんなことはなく、今日もわがままで、夕食のときには夫に叱られて大泣きで、大変でした。長女がわんわん泣いているのを、次女が、なんともいえない辛そうな、泣きそうな表情で見ていて、胸が痛みました。その後、なんとか機嫌を直してお風呂に入ったものの、お風呂でもまたわがままを言って叱られ、泣いて出てきて、そんなどうしようもない長女に、次女がけなげにパンツと化粧水を渡してあげていて、可愛くてたまりませんでした。次女は長女が泣くのがとても嫌いだし、長女もまた、次女が泣くのを嫌います。だけどふたりともとても泣き虫なので、協力し合って泣かないようにしてほしいものですが、ケンカして一緒に泣いたりもすることもしょっちゅうです。
 4歳になってからの長女は、ますます口が達者になり、だってだってといいわけをするようになって、こちらもつい感情的になってしまいます。我が子とはいえ自分と違う意思をもつ人間と向き合っているのだから、感情的になるのは仕方ない、それはもう仕方が無いから、どんなに腹が立つときでも、うんざりさせられたときでも、せめて長女の発言や表情から読み取れる内面と、つねに誠実に向き合う自分でいようと、思います。感情的になってしまうことはあっても、相手が小さな子供なのをいいことに適当にあしらうような、不誠実な態度だけは取らないようにしようと思います。自分と違う意思を明確に持ちはじめた我が子に対して、具体的にどうすればいいのか、まだ分からなくて、叱りながら考えている真っ最中ですが、誠実ということを、まずは一つ、現時点での子育てのキーワードとします。
 
by papiko-gokko | 2015-03-08 23:42 | Diary | Comments(0)

次女1歳2ヶ月


d0038776_23144193.jpg 3月4日で、次女が1歳2ヶ月を迎えました。もうしっかりどんどこ歩けるようになり、台所に立っていると足めがけて突撃してきたり、夫が帰ってくると玄関に向かっててってこ歩いて行ったり、長女を追いかけたり、一日中よく動き回っています。もうハイハイをすることはほとんどなくなり、どこまででも歩いて付いてきます。
 先週、あたたかい日を選んで、二度ほど靴をはかせてお外も歩かせてみました。最初は靴に慣れなくて、よたよたしていましたが、しばらく手をつないで歩いてやったら、やがて自力で歩けるようになりました。靴をはかせてベビーカーから降ろしてやると、わあ私もお外を歩けるのね!というような顔で目をきらきらさせて、声をあげながら歩きました。次女が外を歩けるようになったのが、長女もとても嬉しいみたいで、「これでお外でも一緒に遊べるよねえ!」と、次女の周りをぐるぐる走り回ってはしゃいでいました。

 しゃべれる言葉もまた少し増えました。「いた」「あった」「おちちゃった」「おちゃちゃ(お茶)」「めんめん」など、よく言うようになりました。何か新しい言葉を教えると、発音しようとして、口をぱくぱくさせます。まだ言葉にはできなくても、かなりいろいろなものの名前が分かるようになってきていて、「このおもちゃ、お姉ちゃんところへ持っていって」というと、ちゃんと長女のほうへ向かうし、「ワンワンどこ?」と言うと、ワンワンのぬいぐるみを指を指したり、持ってきたりするようになりました。ワンワンのパペットがいま一番のお気に入りで、ワンワンのぬいぐるみを見つけるたび「いた!」と言って手に取って、私につけるよう催促してきます。
 それから子供部屋で遊ぶのも大好きで、長女が子供部屋へ行くと必ずついて行くし、長女が遊んでいないときでも、子供部屋のほうを指さして誘ったりしています。子供部屋では、滑り台に上って雄叫びをあげたり、ブロックや積み木を打ち合わせて遊ぶほか、おままごとっぽいこともするようになりました。おなべにあらゆる食材や食材じゃないものをぶちこんでおタマでがつんがつん叩いたり、食材や食材じゃないものをぬいぐるみに食べさせる仕草をしたり、なかなか様になっています。長女の遊び方をいつもよく見ているからか、同い年のころの長女と比べると、遊び方に迷いがありません。

 次女に関する最近の悩みは、好きなもの以外すぐ口から吐き出す、偏食の傾向があることです。好物は、海苔とプチトマトとヨーグルトで、その3つがテーブルに並んでいると、そればかりをひたすら食べ続けようとします。どんなに泣いていても海苔を渡すと泣き止んでかじり出すほどの海苔好きなので、最近はほかのものを食べようとしてくれないときは、あらゆるものに海苔を巻いたりちぎってまぶしたりして食べさせています。それからお茶も大好物で、テーブルにお茶があると「ちゃちゃ!」と、お茶を指さすばかりするので、なるべく食事の最後のほうに出すようにしています。
 今日のお昼も偏食で、なにを口に入れても、海苔とトマト以外すべてぺっと出すばかりするので、なんだかうんざりして、「じゃあもういい、勝手にしな」と、次女にスプーンを持たせて放っておいたら、なんと、私が食べさせたときにはぺっとはき出していたご飯やスープを、ぼたぼたこぼしながらではありますが、なんとか自分ですくって、ぱくぱく食べ始めました。これまではき出していたのは、嫌いで食べたくないからではなく、『あなたの勝手なタイミングで勝手な量を食べさせないでほしいんですけど』という意思表示だったのでしょうか。我が道を行く次女なので、不本意なタイミングで不本意なものを食べさせられるのが、耐えられなかったのでしょうか。夜も、もうめちゃくちゃになるのを覚悟して、スプーンを持たせ放っておいたら、スプーンを使ったり掴み食べしたりして、辺り一面めちゃくちゃにしながらも積極的に食べていました。次女はエプロンをしたがらなくて、つけても数秒で外してしまうので、これまでも食事のたびに上の服が汚れて着替えていましたが、これからは上の服どころじゃなくなりそうです。
d0038776_2327121.jpg
 まだ1歳なのに、もうなんでもお姉ちゃんと同じようにできると思っていて、シルバニアの小物を並べているときでも、絵の具をしているときでも、一緒にやりたがって長女の計画をめちゃくちゃにしてしまい、結果的に「次女ちゃんが邪魔してできないようー」と、長女が泣いて訴えてきます。小物を半分ずつに分けて遊ばせたり、紙をふたつ用意しても、やっぱり次女は長女と同じがいいみたいで、なかなか平和にいきません。
 我が家で一番年下でありながら、長女や夫のお世話を焼くことさえあって、お風呂からあがったときなど、まず自分のおむつをぱっと手に持って、さあまずこれからはかせてちょうだいとせがみ、少し遅れて長女が出てくると、今度はそばに用意してあった長女のパジャマを手に持って、さあこれを着なさいと長女に持っていき、夫に化粧水を渡したりまでします。小さな体で短い手足で、もうなんでもできるような気持ちでいばっているのが、見てておかしくて可愛くてたまりません。まったく、末っ子って、かわいい。
 それでいて、まだまだおっぱい大好きで、そのときばかりは、しゅるると赤ちゃんになります。卒乳すれば夜起きなくなってくれるのだろうから、楽なんだろうなぁと思いつつ、おっぱいのたびしゅるると赤ちゃんになってくれることが嬉しくて、可愛くてしかたないので、まだ当分は決断できそうにありません。
by papiko-gokko | 2015-03-05 23:46 | 月齢ごとの成長記録(次女) | Comments(0)

d0038776_2341792.jpg
 ぎょっとするほどあっという間に3月です。ひな祭りの今日は、いつもより少しだけ豪華なデザートを食べて、おひな様の前で撮影をしました。長女も次女も動き回るので、まともな写真がほとんど撮れませんでしたが、それも含めて、成長の記録です。去年は引っ越し準備の真っ最中だったから、物置のような場所に飾って写真を撮りました。たった1年前のこととは思えないくらい、あれからいろいろなことがありました。

 昨日の朝、長女がいつになく真剣なまなざしで、「お母さん、一日は、ずっと続くの? 夜のあとには、いつも朝がくるの? ずっとずっと、夜のあとには朝がくるの?ずっとずーっと?」と、聞いてきました。カレンダーの日付や年月、季節、曜日などの概念をだんだん理解しつつあるなかで、眠ると必ず次の日の朝がきて日付が変わること、そしてそれが続いていくことが、急に不思議に思えたのでしょうか。冬の終わりと春の始まりが混ざり合って揺れているこの時期の気候が、その思いをかき立てたのかもしれません。「そうだよ、ずっとずっと、必ずいつも、夜のあとには朝がきて、それがずうっと続いていくうちに、長女ちゃんも次女ちゃんも、少しずつ大きくなるんだよ。」と答えると、「ずっとずっと?」と、長女がまた念を押すように聞いたので、一瞬なんだか泣きたい気持ちになって、「ずっとずっとずーっとだよ」と、祈りを込めて繰り返しました。3月は、あの恐ろしい震災と事故で、当たり前の日常がずっとずっと続くとは限らないことを、思い知った月。あの日から、私にとって「ずっとずっと」は、祈りの言葉になりました。

 春が近づいてきていることが、もちろん嬉しいのだけれど、今年は少し、憂鬱でもあります。これはきっと、長女の入園が近づいているからなのだと思います。ここ数年、何かの始まる春ってなかったから、単純に暖かく朗らかな春の気候に浮かれて楽しんでいましたが、今年は違うのです。新しい制服と帽子がすでに、クローゼットにかかっていて、一本一本に名前を書かなくてはならないクレヨンもあるし、通園バッグも夫が作ってくれました。数年ぶりのひさびさの、覚悟を決めねばならぬ春です。入園するのは長女なのに、私がこんなに緊張したり憂鬱になったりしているなんておかしいけれど、どこにも属さず誰にも知られず自分たちのリズムで気ままに過ごしていたここ数年の日々が、ついに終わるのかと思うと、あああ・・・と、全身が重たくなります。そろそろ同年代のお友だちがたくさん欲しい長女にとって、幼稚園はきっと、楽しい場所になるに違いないから、私がこんな弱気なことではいけません。憂鬱なのと同じくらい、私も長女の入園が楽しみです。4月に向けて、その、楽しみなほうの気持ちをむりやりふくらましていこう。だけど、ついに、ついにあと1ヶ月なのだなぁ、あああ・・・。春に前を向くのって、こんなに力のいるものだったか。
by papiko-gokko | 2015-03-02 23:42 | Diary | Comments(0)