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日記と短歌


by papiko

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いつでも一緒。浴衣。


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 特大ヒットくんがやってきてからというもの、長女はこのヒットくんを一日中連れ回して遊んでいます。テレビを見るときも必ずそばに座らせて「ヒットくん、おもしろいねえ」と話しかけたり、手を洗うときさえ洗面所へ引っ張っていったり、手をつないで激しくダンスをしたりもするので、あちこちがほころんだり裂けたりして、「今日もパパ病院に入院だね」と、一日の終わりには夫のデスクの上に入院することもしばしばです。そのうち、外にも連れて行きたがりそうでひやひやしていますが、すごく楽しそうに嬉しそうに遊んでいるので、作ってもらって本当によかったです。最近、次女の私に対する執着が強まってきて、長女に寂しい思いをさせる瞬間が以前より増えている気がするので、そういう意味でも、このヒットくんは、ちょうどいいときにやってきてくれました。暑くて外遊びもあまりできないので、これからの日々、遊び相手として、大活躍してくれそうです。

d0038776_231083.jpg 日曜日は、去年夫が作った浴衣を着て、一家で近所のお祭りに行ってみました。去年は長いくらいだった丈が、今回はやや短いくらいで、でも長いと踏んでしまいそうだったので、今年は丈を直さず去年のままで着ました。去年ほど着崩れることもなく、上手に歩けて、成長を感じました。お祭りは、ごくささやかなものでしたが、日暮れの道を浴衣を着て歩くというだけで、夏っぽい、楽しい気持ちになりました。次女も一応、赤ちゃん用の甚兵衛を着ていきました。おみくじを引いたら大吉でした。ラッキーガールの次女がいるので、わが家は安泰です。
 今回のお祭りには夜店がなかったので、今度は夜店のあるお店に連れて行って、長女に、わたあめがどんなお菓子か、食べさせてやりたいです。絵本のなかに「わたあめよりもふわふわであまい」という言葉がでてきて以来、わたあめとは何か、気になっているようです。リンゴ飴の輝きとか、ぷかぷか楽しげに漂うヨーヨーとか、金魚掬いとか、2歳のころにはまだ味わえなかったお祭りの楽しさを、今年の長女ならきっと、すごく理解して吸収すると思うので、連れて行ってやりたいです。花火に関しては、「長女ちゃんはもう3歳だからこわくないけど、次女ちゃんがこわいと思うから」と長女が言っていて、こういうことを言うときは、大抵まだ自分も恐いということなので、今年も見るとしても、遠くからにしようと思います。
by papiko-gokko | 2014-07-28 23:18 | Diary | Comments(0)

 1時間だけ唐突に、育児放棄をしました。今週は暑さで外にあまり出られなかったのと、週前半に届くはずだった仕事の到着がずるずるずれこんで諸々の予定が狂ったのと、長女が異様に早起きだったのと、次女がよるに何度も起きたのとで、心も体も余裕がゼロどころかマイナスぎみになっていて、昨日から長女を必要以上にきつく叱ってしまったり、夫に対しても辛く当たってしまったりして、もうどうしようもなく一人でどこかへ行きたくなり、次女をお昼寝させてから、「ちょっとでかけてくる」と夫に一言だけ言って、行き先も伝えず家を出て、真夏の真昼、炎天下の道を一人で歩きました。
 これでもかというほど攻撃的な暑さが、何も考えたくない頭にはちょうど心地よく、ぐちゃぐちゃの感情がどんどんしゅわしゅわ蒸発していくようで爽快でした。いつも歩く道が、子どもを連れていないだけで、ものすごく短くて平坦に感じられ、左手でベビーカーを押し右手で長女の手を引いて歩く普段と比べると、ランドセルを背負い忘れて家を出たときのように妙に身軽で、夢の中のように、足取りがふわふわして、つまずきそうでした。とくになんの用事もなかったけれど、お財布を持っていたので、いつもよく行くスーパーを3軒まわりました。スーパーを3軒回るなんて、子どもたちがいたらかなりの重労働ですが、一人だとなんてことなくて、味気ないほどで、敵のまったく出てこないスーパーマリオのゲームみたいでした。
 スーパーでは、切らしていた牛乳とチーズと、それから次女の食べられる赤ちゃん用お菓子と、数日前に長女が泣いて欲しがったのに「今日そんなものを買いに来たんじゃありません」なんて叱って諦めさせた、アクセサリーの入っているお菓子を買いました。一人で買い物に来ると、娘たちといるとき以上に、娘たちの欲しがるもののことばかり考えている自分がいて、普段は長女に気づかれないように避けて通るようなおまけ付きのお菓子売り場で、長いことお菓子を眺めて、これをあげたらどんな顔するかなぁどんなふうに遊ぶかなぁと想像したりしていました。けっきょく私は、どこにいても何をしていても娘たちの母親でしかいられないし、母親でいられることが何よりの幸せで喜びで、それ以外のものになんて、ちっともなりたくないのです。どのスーパーでも、会計のときなど、普段より店員さんが少しよそよそしいというか、距離があるように感じて、ああそうか、いつもは子どもを連れているから、店員さんが気にかけて親切に接してくださっているのだなぁと、改めて気づきました。
 暑い暑いなかを、だんだん荷物を増やしながら歩き、家に帰るころには、イライラもやもやがかなり消えて、早くみんなの顔が見たくなっていました。玄関のドアをあけると、「パパ折り紙しようよーパパー」という長女のいつもの調子の声が聞こえて、リビングに入ると、次女も起きていて、3人でなにやらごにゃごにゃかたまって遊んでいました。いきなり家を出たにもかかわらず夫は怒らずにいてくれて、たった1時間離れただけで、心の余裕も、家族に対する愛しさも戻り、本当に不思議なくらい、穏やかな気持ちで、夫とも子どもとも接することができました。1時間育児放棄してしまったことに対する申し訳なさもあって、そのあとは長女とたっぷり折り紙でお菓子屋さんごっこをして遊び、次女をべたべた抱きしめました。夫がおいしい夕食を作ってくれて、楽しく食べました。デザートには桃も食べました。私には家族しかいないので、今日一人で歩いてみてそれがよく分かったので、もう急に一人で出かけたりしません。
by papiko-gokko | 2014-07-27 00:06 | Diary | Comments(0)

子どもと過ごす日々


 次女が腹這いの姿勢で前にも進めるようになり、興味のあるものはなんでもかんでも口に入れるので、いよいよ目が離せません。長女のときとは違い、次女には危険な長女のおもちゃ(色鉛筆や、柄の長いおままごと道具、スーパーボール、シルバニアの小道具、お医者さんセットの体温計など)が、いくらでもあって、それらが下に散らからないように、一日中、拾い歩いてばかりいますが、座卓の上に置いてある色鉛筆にまで手をのばすので、大変です。一日に何度もひやっとする瞬間に出会い、慌てて取り上げています。動けるようになるに従って、甘えん坊度も増してきて、集中して遊んでいても、私と目が合ったとたん、泣き顔になって手をのばし、抱っこをせがむようになりました。可愛いけれど、困っています。
 いろいろと、分かるようになってきたみたいで、長女が大泣きすると、次女もだんだん辛そうな顔になり、一緒に泣いてしまうようになり、今日は長女の機嫌が悪かったものだから何度も泣き声の大合唱になり、獣のような長女の泣き声と、次女のアブラゼミのような次女の泣き声で、ぎゃあぎゃあびいびいうるさすぎて、思考停止状態になりました。幸い、隣接している家の方々は留守が多くて、今日もいないようだったので助かりましたが、こんなに激しく泣いているのに、この泣き声を聞いているのはこの世で私だけで、私だけに向けられているこの泣き声は私がどうにかするしかないのか・・・と思うと、無性に孤独でした。機嫌が悪くて手に負えない長女に、ひどい言葉を、たくさん、言ってしまった気がします。いまは、叱る場面じゃないだろうと、頭で考えながら、口がどうしても、止まらなかったり。よくない。非常によくない。なんとかしなければ。
 
by papiko-gokko | 2014-07-25 23:24 | Diary | Comments(0)

 長女が今日で、3歳半になりました。あと半年すると4歳になるだなんて、時の流れのまぶしさに、どきどきします。いろいろな物事について疑問が芽生え、「なんで?」「どうして?」が始まったことが、このひと月の一番大きな成長です。おもしろい質問を毎日たくさん受けて、自分の持っている知識を絞り出して答えたり、ときにはメルヘンチック方向の答えに逃げてみたり、一緒に考えてみたりして、頭の体操になっています。
 とくに多い質問は、自分の身体の不思議(どうして唇とおめめはほかのところと違う色なの?など)や、目に映る身近なモノ、現象に関する不思議(道の下はどうなっているの?など)で、当たり前に思っていたことを質問されて、そういえばどうしてだろう・・・どうなってるんだろう・・・と、考えれば考えるほどよく分からなくなってきて、恐くなることもあります。絵本を読んでいても、最近は「このあと、どうなったのかな」「この子は何をしてるのかな」「○○はどこにいるのかな」と、物語の外側に疑問を見出し、新しい物語を発見するので、読んでやるのが楽しいです。
 疑問が出るということは、自分の頭でいろいろ複雑なことを考えられるようになったということで、最近は疑問だけでなく、「シャツはおなかのシーツなんだよ」など、疑問に思ったことを、すでに分かっている何かに置き換えることによって自分で導き出した答えらしきものを教えてくれるようにもなりました。その組み合わせが、ちんぷんかんぷんなときもあれば、なるほどたしかに!と思えるようなときもあり、つぎはどんなたとえが出てくるだろうかと、とても愉快です。
 反抗期の感じは相変わらずで、以前に比べると、理解が進んだぶん聞き分けがよくなった場面もありますが、その代わり、以前にも増して意固地になったところもあり、日々、しつけの難しさを実感しています。昨日も夫と、あまりにも言うことを聞かなくて言葉で言っても無駄なときは、ばしっと叩いたりしたほうがいいのだろうかと、いやしかし・・・と話していました。子どもに手を上げたくないけれど、痛みとか恐怖で分からせるしかないようなときも、このくらいの時期にはどうしてもあるのかもしれません。心を傷付けるようなきつい言葉で叱るぐらいなら、ぱしっと叩いて瞬間的な肉体的な痛みで分からせるほうが、お互い精神的な負担が少ない気もします。しかし、暴力はいけないという大前提があって、それでもどうしても叩かなければいけないときもあるのだ、という、その理屈を一度通してしまうと、そのうちに、大して抵抗も感じずに叩けるようになってしまうのではないかという怖さがあります。ああ、屈するのではなく、理解してほしい。でも、理解だなんて、大人同士にだって難しいことを、子どもに求めちゃいけないのかもしれない。子どものしつけ、想像していたより、難しいです。
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 そんな、3歳半になった長女のところに、今日はちょっとしたプレゼントがありました。前々から長女が欲しがっていた、特大ヒットくんです。昨日、長女と夫がふたりで出かけて布を買ってきて、夫が一晩で作り上げました。でかすぎて、正直、かなり奇妙ですが、長女と次女は喜んで遊んでいます。とくに長女は、夢が叶ったみたいな気持ちのようで、一日はしゃいで、ボール遊びをしたり、ご飯を食べさせたり、いろんなことをして遊び、夜は手をつないで眠りました。明日もヒットくんは、姉妹と遊んでくれることでしょう。
by papiko-gokko | 2014-07-22 23:39 | 月齢ごとの成長記録(長女) | Comments(0)

もう金曜日


 なるべく毎日書きたいと思いながら、もう金曜日。毎日暑くて、次女のあせもが治りません。暑いからといって一日家に閉じこもっているわけにもいかないので、午前中のなるべく涼しいうちに出かけて、買い物やら銀行やら、その日にやろうと思っていたことを済まし、帰ってきてすぐに、次女はシャワー、長女は水着を着てお風呂で水遊びをして、汗を流します。足くびほどまで水を張った浴槽に、プリンの容器やペットボトルやじょうろやら浮かべて、水を注いだりこぼしたりしながらお店屋さんごっこをするのが、楽しくてしかたないようです。次女も遊べたらと思って、長女が赤ちゃんのときに買った50センチプールを膨らまし、洗い場で入らせてみましたが、座り心地や水温が嫌だったのか、泣いてしまいました。来年には、一緒に遊べるかな。
 長女が水遊びをしているあいだに洗濯をして、長女が出たらお昼ご飯にして、午後は子ども部屋に拠点を移し、3時のおやつまで、そこでねんどや積み木などしながら過ごし、このあたりで次女は1~2時間くらいお昼寝をして、おやつを食べてしばらく遊んだあと、4時20分から長女はEテレタイム、私は夕食準備に入り、次女は長女と一緒にテレビを見たり、泣いて私に抱っこされながら夕食作りに参加したりして、夕食準備が終わったところで、わーっとお風呂に入れて、長女と次女が夕食を食べ始めて少ししたころに夫が帰宅するというような、だいたいそんなふうに同じようなサイクルで過ぎた一週間でした。
 暑さのせいか、あせもが痒いのか、長女が騒がしすぎるせいか、次女の睡眠がここのところあまりうまくいっていなさそうで、ぐずる時間が多いのが気になります。基本的にご機嫌な子なので、もろもろ快適にしてしっかり寝かしてやりたいです。長女も、彼女なりに気をつけて声を潜めておしゃべりしてくれるのですが、遊びに夢中になるにつれ、どうしてもでっかい声が出たりするので、それを叱るのも可哀想だし、難しいところです。
by papiko-gokko | 2014-07-18 23:46 | Diary | Comments(0)

いま好きな漫画の話


 昨日この日記に頭の中のもやもやをぶちまけたのと、今日、夫が長女を1時間ほど連れ出してくれたので好きな音楽を聴きながら自分のペースで掃除ができたことで、かなり気が晴れました。子どもたちとほどよい距離を保ちながら健やかに過ごすためにも、日記を書いて頭の中を整理する時間と、自分の好きなことに触れて気分転換をする時間は、なるべく毎日確保するようにしようと、つくづく思います。

 好きなことといえば、『町でうわさの天狗の子』(著者:岩本ナオ)を、いま夢中で読み返しています。ずっと前に夫が買って読んでいたのでなんとなく読み始め、最終巻まで読んですっかりファンになりました。キャラクターたちの魅力もさることながら、町の日常風景と天狗や神様の存在する世界がどこまでも身近で、いい具合にごっちゃり平然と混じり合っている感じが、私はたまらなく好きです。あまりにリアルな日常風景すぎてもつまらないし、ファンタジックすぎる世界も疲れてしまうけれど、この物語はその配合が絶妙で、ありえないはずの存在もつい信じてみたくなって、読んでいないときまで、ぼんやり物語の世界に思いをはせてしまいます。
 前に読んだときはさほど意識していなかったのですが、著者の出身地が岡山で、この漫画の舞台になっている町のモデルも岡山だと知って、ますます大好きになりました。東京にいたころは、大好きな高橋留美子漫画の舞台の多くが西武線沿いだと知り、自分がそこに住んでいることが嬉しくて嬉しくてしかたなかった私です。それ以外にも、東京には、物語に出てくる場所がたくさんあったから、その場所で自分が生きているんだと思うだけで、物語の世界に自分も溶け込めたような気がして、いつも幸せでした。だから、私にとって、大好きな作品の舞台に住めるのは、それだけで本当に心躍ることなのです。物語の世界に片足つっこんで、とまでは言いませんが、片足のつまさきほんの少しだけ、常に物語の世界に浸して潤しながら、普通の日々を暮らしていけたら、素敵です。すでに長女と毎日のように、片足どころか腰までどっぷり浸かっているような気もしますが。
 同じ著者の作品『雨無村役場産業課兼観光係』も、同じく岡山が舞台で、物語の中に出てくる桜は実際にあるらしいので、いつか行ってみたいです。ちなみに夫は車で、この漫画の舞台になったあたりの道を走っているとき、遠くから、このへんかなという場所を見つけたそうです。新しい作品が出る日が楽しみです。また舞台が岡山だったら嬉しいな。
by papiko-gokko | 2014-07-12 23:07 | Diary | Comments(0)

 気を抜くと、長女を一日ずっと叱ってばかりになりそうで、できるかぎり叱らない方向に持っていけるように、感情を抑え知恵を絞って、毎日を乗り切っています。小さなわが子と過ごせる貴重な日々を、乗り切っている、なんて表現したくないけれど、実際、乗り切っているとしか言いようのない疲労感が、寝かしつけ終えたあと、どっと身体を襲います。朗らかに子育てしたいのだけどな。3歳半間近で、もうそろそろ記憶も残り始める時期だから、長女の人生の一番古い思い出が、お母さんに叱られている場面だったら嫌だなぁ悲しいなぁ・・・と、叱ったあとに、よくぼんやり思います。
 最近の長女からは、叱られたくないという思いがすごく強いみたいで、ご機嫌なときはすごくお利口だったりして、自分でできそうなことは、ちょっと無理してでも自分でやって、私が褒めるとすごく嬉しそうにするし、一生懸命にお手伝いしてくれたり、次女がおっぱいを吐いたときなど、私より早くそれに気づいて、ティッシュで口を拭いてくれたり、よりよい自分、お母さんから褒めてもらえるような自分でいようという努力が、すごく感じられます。だからそのぶん、叱られるとたちまち腹を立て、ちくしょう叱りやがって!と言わんばかりの辛そうな悔しそうな表情になり、わざと叱られたことを繰り返したり、ますます悪いことをしたりなど、反抗的になります。
 そんな長女のことを見ていると辛いから、なるべく叱りたくないけれど、叱るしかないようなことをしたり言ったりするのだから、どうしようもありません。せめて、感情的な叱り方はあまりしないようにしなくてはと思いますが、長女が幼いころの私にそっくりな意固地な反抗の仕方をしたときには、同族嫌悪みたいなものなのか、無性にイラッっときて、抑えられなくなります。自分にそっくりだから、長女がいま親に対してどれほど激しい怒りでもって向かい合い、親に屈してたまるかという一心で反抗しているのかが分かるので、余計に腹が立ちます。それに、あのころ私の親も私に対して、こんなにも本気で腹を立てて心底憎たらしく感じていたのかと思うと、そのときの親の怒りまでが乗り移ったみたいな気持ちになるし、同時に、当時それほどまでに親から腹を立てて叱られていた自分に対する同情心まで湧いてきて、感情の波が手に負えないことになります。
 毎日、あれやこれや私に反抗を繰り返しながらも、まだ3歳の長女にとって、親である私の判断は絶対的なものらしく、やっていいかどうか聞いたら駄目だと言われると分かりきっていることでも、「これやっていい?」と聞き、案の定わたしから「今いけません」と言われて、うわあああやりたいやりたい!とワガママモードに入り、「駄目っていってるでしょう!」と叱られ、ますます不愉快になって、後戻りができなくなって、それでもやっぱり、やっていいと言われない限り、勝手にやることはできなくて、わんわんわめいてますます叱られるという、そういうところも、長女は私とそっくりです。こっそりやればいいのに、それはできない、動けない。どんなに怒り反抗しても、謀叛はできないのです。
 そんな、困ったところばかり私に似ている長女が、愛しくて面倒で、どうしてやればいいのか、頭を抱えます。私そっくりの反抗の仕方をされると、感情を抑えられないくらい腹が立つのは、そんな私に似ている部分を抱えたままでは、生きにくい場面にこれからいろいろ出くわすであろうことが、よく分かるからなのかもしれません。親子って難しいな。似ていればいるほど、これから難しくなっていくのだろうな。覚悟しておこう。

 つづいて、次女の話。先日、アレルギー検査を受けたので、その結果を今日聞きに行ったところ、ミルクと卵にアレルギー反応があるとのことで、先生からは、1歳までは与えずに、1歳以降、様子を見ながら少しずつ与えてみましょうと言われました。結果が出て、まったくショックでなかったわけではないけれど、むしろはっきりと分かったことで、前向きになりました。はっきりするまでは、考えることもはっきりしなくて、ただもやもやと不安がっている状態だったけれど、はっきり分かったら、考えることもはっきりとして、気が晴れました。いまアレルギー反応が出たからといってずっと出るわけではなくて、年齢とともに大丈夫になっていくことも多いみたいだし、火を通せば大丈夫とか、加工品程度なら大丈夫という場合も多いみたいなので、現時点では、あまり深刻に考えずに、この数ヶ月の離乳食をどう進めていくかということだけ真剣に考えて、いろいろ試しながら、やっていこうと思います。可愛い可愛い私の次女、絶対に大丈夫。

 
by papiko-gokko | 2014-07-11 23:29 | Diary | Comments(0)

d0038776_22485371.jpg 今日は七夕。笹の用意をすっかり忘れていたので、今年は壁に折り紙で笹を作り、そこにぺたぺた、短冊やら飾りを貼り付けるというかたちにしました。子どもの頃に母がよく行事のたびにやってくれた手法です。くくりつけるよりも簡単で、3歳の長女にはちょうどよかったようでした。短冊にお願い事を書くんだよと教えたのですが、まだ長女には、具体的な言葉にできるようなお願い事がないらしく、『○○(長女)と○○(次女)とひっとくんのおひなまつり』『長女ちゃんてすてきだね』という2枚の短冊を書いて、満足そうにしていました。私と夫は同じような願い事を書き、次女は、手の届くところにある飾りをひきちぎって食べようとして興奮気味に手をのばし、そのたび長女が必死で止めていました。あいにく、天の川はまったく見えそうにもありませんが、今年もこんなふうに、平和に七夕を楽しむことができてよかったです。

 今週あたりから、長女の「どうして?なんで?」の質問が、堰を切ったように始まりました。日常の些細な疑問から、そんなことは神様にでも尋ねてくださいと言いたくなるような壮大な質問まで、つぎからつぎへと様々で、それに答えることがおもしろくもあり、ちょっと面倒でもあり、私の答えが与える影響を思うと、なんだか恐くもあり。印象深い質問は覚えておきたいので、ここ数日であった忘れたくない「どうして?」をいくつかここに記しておくことにします。

「長女ちゃんのおめめはなんでも見えるおめめなのに、どうしてうしろだけ見えないの?」
「どうしてどうろには白い線があるの」
「どうしてうちにはもう赤ちゃんが生まれないの?」
「どうしてうちには、男の子がいないの?」
「塩って、なになの?」
「どうしてうちは、お花の種をまかないの?種をまくの、楽しいか楽しくないかやってみたい」
「おかあさんや長女ちゃんは、人みたいなものなの?人のなかまなの?」
「どうして、おてての爪はうしろに付いているのに、足の爪は前なの?」

・・・など、など。もったいないことに忘れてしまったものもありますが、こんな感じの質問が、いくらでもあふれてきます。いまちょっと質問は勘弁してよというタイミングで質問してくることも少なくありませんが、できる限り、邪険にしないように、真摯に答えていきたいです。

 そんな長女、最近は、年齢と名前を自分の都合や気分によって自在に変えながら過ごしていて、昨日は一日ずっと「さなちゃん、15さい」でした。そして、「さなちゃん、15さいだから、夜もパンツで寝る」と言って、本当に始めてパンツで一晩過ごし、無事に朝を迎えました。今日はまた、1歳半のなんとかさんになっていたので、おむつをはいて寝ています。年上にも年下にも、同じくらい憧れがあり、それと同時に、3歳という自分の年齢にもとても誇りを持っているようです。明日は何歳の子になるのだろう。
by papiko-gokko | 2014-07-07 23:01 | Diary | Comments(0)

次女生後6ヶ月


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 今日で次女が生後6ヶ月を迎えました。もうハーフバースデーだなんて、早すぎて、なんだかもったいなくて、わたわたします。この調子だと、あっという間に1歳を迎えて、乳児じゃなくなってしまいそうです。ああ、この短い赤ちゃんのひとときをもっともっとしっかり味わっておかなくては。
 このひと月で、次女の行動範囲はぐんと広がりました。5ヶ月に入ったあたりから頻繁に寝返りを打つようになり、気づけば腹這いの姿勢でいる時間が長くなっていて、後ろにずりずり、横にずりずり、お腹を軸にぐるぐるずりずり、直進以外のあらゆる方向に進めるようになりました。将棋の駒にたとえると、銀の前後反対バージョンみたいな感じで、かなり使える動きなので、ちょっと目を離したすきにとんでもない場所に到達していて、とんでもないものに手をのばしていたりして、ひやっとします。何でも口に入れるし、早急に、動く赤ちゃんのいる部屋にしなくては。最近は、なんとか前に進もうとして、お尻を持ち上げよう持ち上げようとしていて、いまにも本格的なハイハイを始めそうです。ハイハイが始まったら、動き回りそうだなぁ。長女より動き出した時期も早いし、それに動き方がかなり活発だし、それになんでも口に入れる度合いも、長女よりすごい気がします。
 動きが活発になるにつれ、声や表情の感情表現も多彩になってきて、それが可愛くて仕方ありません。生後6ヶ月にして、親と姉で態度を使い分けるということを覚えつつあり、私にはとにかく甘えて、ちょっと泣きそうな顔でスカートをぎゅっと掴んだりなどたまらない仕草をして見せ、長女に対しては、遊ぼうよ、ねえ遊ぼうよとばかりに、満面の笑みで「きゃふー!」と高い声を出して手をあげたりします。親と姉の違いを、もうしっかり把握しているなんて、二番目の子ってすごい。気に入らないときは、長女との会話がかき消されるほどの大音量で泣いて存在を主張し、抱き上げるまで泣き止みません。強い子です。少し前まで、夫の抱っこだと泣いて駄目だったのですが、夫も家族の一員で自分にとってかけがえのない存在であるということが分かってきたらしく、最近は満足げな顔で抱っこされるようになりました。
 離乳食に関しては、長女の希望で5ヶ月から始めてみたものの、これまで食べさせたのは、おかゆとニンジンとカボチャとサツマイモとミルクがゆぐらいで、それも毎日というわけではなくて、まだ積極的には進めていません。というのも、何度か食べた直後に口の周りが真っ赤になってしまったことがあったからです。これがアレルギー反応なのかただのかぶれなのか素人には分からないので、念のため、本格的に離乳食を始める前に、アレルギー検査をすることにしました。その結果が出てから、本格的にやっていくつもりです。本人は食べる期満々で、あげるとスプーンを奪い取るような勢いでむしゃぶりついてくるので、早く食べさせてあげたいです。
 乳児後半戦、長女ともますます遊べるようになるだろうし、次女特有の性格もだんだんはっきり出てくることでしょう。そんな次女をこの手で育てられるのが嬉しくて楽しくて、なるべくゆっくり日々が過ぎていってほしいと思わずにはいられません。
by papiko-gokko | 2014-07-04 23:26 | 月齢ごとの成長記録(次女) | Comments(0)

ぎっくり首と妹の結婚式


 ぎっくり腰ならぬ、ぎっくり首になってしまいました。昨日くしゃみをした拍子に痛みが走って、その後どんどん痛みが広がり深まり、最終的に、首をちょっと動かすだけで痛いという、酷い寝違えのような状態になりました。原因は明白で、週末にあった上の妹の結婚式中、ずっと次女を必死に抱いて泣かないようあやしたり授乳したり必死で続けていたのと、結婚式後もなんだかんだと移動があり、かなりの長距離を抱っこして歩いたのと、極めつけに泊まったホテルの枕がとんでもなく自分の首のカーブと合わなかったのとで、かなりのダメージを負っていたのでした。
 治すには、とにかく無理をせず安静にするしかないそうですが、子どもたちが容赦ないので、なかなかそうもいかず、なるべく首を動かさないよう、さび付いたゼンマイ仕掛けのロボットのようにぎくしゃくと動いて生活しています。昨日はとても日記を打てる状態ではなかったのですが、今日は打ち始めてみたら、なんとかやれました。よかった!
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 異国情緒あふれる神戸の街で行われた上の妹の結婚式は、どこまでも妹らしい、キラキラおしゃれでフワフワ可愛くて、甘い優しさに満ちた、とても素敵な式でした。ウェディングドレスを着た妹は最高に美しくて、胸が詰まりすぎて、なかなか「おめでとう」が言葉にならなくて、間近で目を見ることもできなくて、ドレスのスパンコールに触れながら「きらきら」と、子どもみたいな感想を述べるのが精一杯でした。そんな私に妹は「私いま背が高いでしょ、すごい上げ底靴だに」と、いつものようにおどけて、わはははと、いつものように笑い合いました。式のあいだはずっと子どもたちが騒がないように必死だったので、演出の隅々までを十分に楽しめたとは言えませんが、バージンロードと両親への手紙は、やっぱり感動して涙が出ました。父も母も下の妹も、親戚の人たちも、みんな泣いていました。
 長女のリングガールはどうだったかというと、残念なことに、笑いをとって和ます方向で落ち着きました。リハーサルの前に髪のセットがあり、この時点で、人に髪をあれこれされることにまったく慣れていない長女は情緒不安定になり、せっかくくるくるの巻き髪にしてもらったのに、鏡に映っている自分をみて「こんなのはちっとも可愛いお顔じゃない」とすね、ドレスを着たら機嫌が直るかと思いきや、ドレスは着てくれたものの、靴は履きたくないと怒って、ドレスを翻して大人たちから裸足で逃げだしてしまいました。たしかに、てかてかしたピンクの靴より、素足のほうが、長女にはよっぽど似合っていました。
 それでもなんとか靴を履かせ、リングガールのためのリハーサルにはちゃんといったのですが、スタッフの人にリングピローの渡し方や歩き方などを細かく訂正されて、完全にあまのじゃくモードに入ってしまい、しかも本番前の待ち時間が長かったので、すっかり機嫌を損ね、ふてくされて、本番、本来なら新郎と手をつないで出てくるはずが、仏頂面で新郎に抱きかかえられて出てきたのでした。自分と自由をこよなく愛する3歳児にはまだ少し、荷が重すぎたようです。
 機嫌が悪かったのは、ごちそうがでるからとあまりお腹を満たしておかなかったせいもあったみたいで、披露宴が始まってからも、食事がすぐ食べられるわけではないので機嫌が悪く、新郎が挨拶しているなかで騒ぎ出しそうになったので、すぐさま退席して、外でわーわー気の済むまで泣かして落ち着かせてから再び会場に入りました。そうしてようやく食事が始まって、嬉々として食べていたら、リングガールを務めた長女にプレゼントがあるからと呼び出され、再び不機嫌になり、司会の人に「さあ、お姉ちゃんとお兄ちゃんに、ありがとうとおめでとう、言えるかな?」とマイクを向けられて、「だって、まだ食べてないのに!」と怒り、また会場を笑わせて、私だけ青ざめていました。本当に、笑ってくれる人たちばかりでよかったです。お腹が満ちたら眠たくなって、椅子でだらんとしたり、決してよい態度とはいえない長女でしたが、最後の最後、退場のときは、新郎新婦のほうを見て、力いっぱい拍手をしていました。次女のほうは、泣きそうになったらおっぱいという感じで、あとからぎっくり首を発症するほど抱き続けた甲斐あって、ずっとおとなしくしてくれていました。
 つぎ、下の妹が結婚するとき、次女がもしまたいまの長女と同じくらいの年齢だった場合は、ごちそうがあるからといってあまり食べさせないでおくことだけはしないよう、待ち時間なども考えて、おかしとシールブックか何かを持っていこうと学びました。妹がふたりいるおかげで、もう一度姉として結婚式に参列できるのが、なんだか嬉しいです。下の妹は、式をするなら変わったことがしたいと言っていたので、かなり楽しみです。
 
by papiko-gokko | 2014-07-03 23:09 | Diary | Comments(0)