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日記と短歌


by papiko

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 一週間、同じリズムで過ごしていたら、あっという間に週末でした。夫の出勤時間に合わせてみんなの起床時間が定まり、自然と生活全体のリズムが整ってきました。7時15分ごろに夫を玄関で見送り、その音で長女と次女が目を覚まして互いを起こし合う声が寝室から聞こえ、次女を抱き長女をぐだらぐだらとテーブルにつかせて、8時前に朝ご飯を開始し、8時半ごろから長女の着替えやら歯磨き洗顔やらトイレやらを終わらせて、9時ごろ次女をベビーカーに乗せ、長女に靴と帽子の装着を促し、3人とも日焼け止めを塗ってどうのこうの言いながら家を出て、食品や日用品の買い物をしてから公園に寄り、ひとしきりシャボン玉をして、滑り台をして、影踏みをしながら家に帰ると、10時半くらいになっています。最近は暑くて、10時を過ぎると暑くて乳児を連れて外を歩くのが辛い気温になってきました。
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 家に帰ってからは、少し休憩をして、お昼まで洗濯物を干したり、お昼ご飯を作ったりで時間が過ぎ、お昼を食べたあとぐらいに次女がぐずりはじめてお昼寝に入り、その後1~2時間ぐらい、次女がいるとできない種類の片付けなどをしながら、長女との時間を過ごします。だいたいいつも、3時のおやつを食べ終わったあたりで次女が起きるので、次女も一緒に子ども部屋で遊びます。次女も少しずつ、長女の遊びに参加できるようになってきて(といっても、長女にとっては、大きなお人形がひとつ増えたようなものですが)、見ているほうも楽しいです。
 そうこうしているうちに、もう夕方のEテレタイム。長女が唯一おとなしくなるこの時間に、次女を抱っこして夕食準備とお風呂の準備をして、時間が余ったら、しばしぼんやりネットなどして、『みいつけた!』を見終わったところでお風呂タイム。次女をバウンサーで待たせつつ、私と長女がまず身体を洗って、長女を湯船に入れてから、今度は次女を洗って、次女と私も湯船に浸かり、長女がのぼせたのぼせたと騒ぎ出すので、10数えて出て、自分と、それから裸で走り回る長女はとりあえず後回しにして、お風呂ではご機嫌だったのにお風呂からあがったとたん泣き出す次女におむつをして服を着せて、それから長女を追いかけ回して着替えさせ、『おじゃる丸』の時間。私も一緒にテレビを見つつお風呂上がりの授乳をしているあたりで、夫からこれから帰るという電話があって、夕食の支度をして、夫が帰ってきて、わーっと夕食をして、8時すぎに歯磨き、絵本、寝かしつけ。長女、次女ともに、9時45分ごろに就寝。その後は寝る時間まで、日記を書きたいなぁと思いながらも余力がなく、ぼーっとネットやテレビをみたり、仕事のあるときは仕事をしたり。
 そんなふうに、一週間が過ぎて、明日は土曜日です。先延ばしになっていたお宮参りにいい加減いかなければと思っているのですが、すごく暑くなりそうで、また先延ばしになりそうです。
by papiko-gokko | 2014-05-31 01:02 | Diary | Comments(0)

 今日は朝から日暮れまで、ひさびさに家の中で過ごしました。この一週間は毎日本当によく晴れていて、朝カーテンをあけて青空を見ると、さあ今日もお散歩だ!という気分になり、午前中必ず外出していましたが、今日は家の掃除がしたかったし、少し疲れも溜まっているように感じたので、家で過ごすことに決めたのでした。今日の青空はまた一段と気持ちがよさそうで、家にいることにするのは勇気がいりましたが、長女に外出したいか尋ねたら「今日はおうちであそぶ」と言ったので、それが決め手となりました。
 外出をしないと時間はたっぷりあって、体力もさほど奪われず、家事の傍ら、お絵かき、お人形遊び、お医者さんごっこ、ボール遊びなど、長女のやりたがる遊びにしっかり付き合ってやることができました。そんなふうに過ごした今日は、長女が一日ずっとご機嫌で、小さなわがままはあったものの、困らせるほどの反抗はせず、私も落ち着いた気持ちで、可愛いなぁ愛しいなぁと思いながら、にこにこ接することができました。
 もしかしたら、私だけでなく、長女自身も、少し疲れていたのかもしれません。考えてみれば、連休の横浜帰省のあとも、私の妹たちが代わる代わる遊びにきたり、夫の職場のイベントに参加したりなどなど、目白押しの日々だったから、家でのんびりまったり過ごす時間を、長女も必要としていたのかもしれません。長女の欲求不満を発散させるためにはとにかく外に連れ出さなければと思って連れ出していましたが、それはどうやら間違っていました。お外ばかりは疲れるし、おうちばかりもつまらないし、何事もバランスが大事です。
 今日の長女は、ただご機嫌なだけでなく優しくて、次女が大量のうんちをして私があたふたしていたらおむつの用意をしてくれたり、私が足をぶつけて痛がっていたら、なでなでしてくれたり、次女が私の髪を引っ張って痛がっていたら、次女の手を私の髪から離そうとしてくれたりしました。それに、なにげない会話もいつもより誠実に応じてくれて、だからおしゃべりが楽しくて、昨日までと比べて、少し成長したようにも感じました。そういえば長女という人は、0歳のころから、不機嫌で反抗的で頭をかかえるような状態が数日あったあと、精神的な成長が見られるという特徴の持ち主でした。今回も、今週の前半の反抗がとにかくすさまじかったのは、そういう部分もあったのかもしれません。

 夕方頃になると、私も長女も、少しは外に出たい気持ちになり、『おかあさんといっしょ』を見たあと、「パパおむかえに行こう」ということになって、今日は夫が帰りにスーパーに寄ると言っていたので、そのスーパーで待ち合わせることにして、次女をベビーカーに乗せ、長女はポシェットにカメラとがらがらを入れて、長女が引き出しの奥から引っ張り出してきたいつもと違う帽子をかぶって出かけました。 
 しかし出かけた時間が早くて、まだ夫の帰る時刻まで時間があったので、スーパーと隣接しているホームセンターで、1時間弱時間をつぶしました。ひとつのお店でそんなに時間がつぶせるのか不安でしたが、幸い長女がホームセンター大好きで、あれこれしゃべりながらぐるぐる何周も回っているうちに1時間が過ぎました。いつも、ついつい急かして、長女がまだ見たがっていても「ほら行くよ」と、長女の手を引いてつぎの場所へ行ってしまうのですが、今日は長女の見たいだけたっぷり見ることができて、とても満足そうでした。その様子を見ていたら、普段からなるべくもう少し、長女のペースで歩くようにしたいなぁと思いました。途中、クレヨンを見つけて欲しがったのですが、「今日は何も買わないよ」と言ったら、それ以降ほしいほしいと駄々をこねることもなく、今日は本当におりこうでした。
 その後、スーパーで無事に夫と落ち合い、長女は大喜びで飛びつき、平和に買い物をして帰りました。今週は、前半の外出がとにかく大変だったけれど、今日はとてもいい感じに過ごせて、幸せでした。明日はどんな日になるだろう。きりきりしないよう、体力温存しておこう。
by papiko-gokko | 2014-05-24 23:37 | Diary | Comments(0)

 最近の長女がすさまじすぎてつい長女のことばかり書いてしまうので、今日は最近の次女のことも書いておきたいです。次女も最近、なかなかに自己主張するようになってきました。あっくんうっくん以外のさまざまな声を出すようになり、自分でもそれが楽しいようで、高い声や低い声、太い声や細い声、毎日たくさん聴かせてくれます。つねに長女のことを目で追っているので、自分も同じように動きたくてしかたないようで、バウンサーから身を乗り出すようになりました。おもちゃにも興味が出てきていろいろなものを掴んだりするようになったし、ベビーカーも喜んで乗ってくれるようになって、成長を感じます。基本的にご機嫌な子なのですが、放置されて存在を無視されるのがとにかくなにより大嫌いのようで、そばを離れると、それはそれは大きな声で泣き出し、抱っこするまで泣き止みません。愛想の良さは相変わらずで、顔を見ると手足をふんふんふりながら笑ってくれるので、その可愛さに癒やされています。もう本当に、次女のすべてが癒やしです。

 今日のミュージックステーションに久しぶりに稲葉さんがソロで出演し、私はまったくそれを知らずにその時間いつものように寝かしつけしていたのですが、毎日のテレビ欄チェックを欠かさない夫が気づいて録画してくれたおかげで、先ほど見ることができました。新曲『oh my love』初めて聴いて、ああもうなんてさすがなんだろうと感動しています。題名を見たときは、ラブソングかと思ったけれど、聴いているうちに、これはきっと子育ての歌なんだと思いました。「歌を口ずさんで信号を待つ君に大きな声で呼びかける静かな歓び」という部分なんて、毎日の娘たちとの散歩風景がぱあっと浮かんできます。毎日いっぱいいっぱいで、その風景がどれほど特別な、いましかないものなのかを、つい忘れてしまうけれど、娘たちの眠ったあと思いがけず浮かんできたその風景の、なんと眩しいことか。
 サビの「いつか君に届けばいいい」という言葉も、シンプルでありながら、これ以上ないほど、いまの私が必要としていた言葉に思えて、びりびりしました。いますぐに伝わらなくても、いつか届けばいい、届く日がきっとくる。そう思ったら、両肩をぽんとされたみたいに、疲れ気味だった心が、ふうっと楽になりました。本当にまったく、稲葉さんはなんてさすがなんだ。いつだってさすがどこまでもさすが。この歌詞のような、ゆったりとした温かい目で、距離感で、娘たちの今を見つめてみよう。

 
by papiko-gokko | 2014-05-23 23:34 | Diary | Comments(0)

長女3歳4ヶ月


 今日で長女が3歳4ヶ月になりました。この1ヶ月は、長女の反抗期と赤ちゃんがえりのコンボがすさまじすぎて、私にとって、体力的にも精神的にも辛いひと月でした。優しくしすぎてもいけないし、厳しくしすぎてもいけない、挑発に乗って感情的になったらますます事態が悪化するだけだから、とにかく、できるかぎり冷静に、淡々と、耐えなければいけない、その上で、叱るべきところでは、しっかり叱らなければいけないし、褒めるべきところでは、褒めなければいけない。頭ではそう考えていても、立て続けにあんまりなことをされると、猛烈に腹が立つし、悲しく情けなくなるし、その激しい感情を抑えようとすると、なんだか吐き気がしてくる始末。
 まだ赤ちゃんでいたいという思いと、もうお姉ちゃんだもんという思いが、つねに長女のなかでぶつかり合っていて、食事にしろお着替えにしろ、お母さんに全部お世話してもらいたいようでもあり、自分で全部やりたいようでもあり、そのもやもやとした苛立ちを、「やだ!」という言葉でもって、私に容赦なくぶつけているのでしょう。長女の反抗一つ一つ、低反発マットの心で音もなく受け止め理解しうまく導きたいけれど、実際は、トタン素材のこの心、べっこんぼっこん盛大な音を立てて跳ね返したり貫通したり、てんで受け止め切れていません。
 ついこのまえまで、あんなに可愛くて無邪気だったのに、なんだかもう、邪鬼のかたまりみたいになっちゃったな・・・と悲しくなるときもよくありますが、それでも、ほろりとくるような可愛らしさや優しさを見せてくれることも、やっぱりあって、そういうささやかなひとときに救われています。たとえば昨日はおでかけの準備のとき、「次女ちゃんが泣いたときのために、ガラガラを持って行っとくね」と、自分のポシェットに次女の好きなガラガラを入れてくれて、小さなお姉ちゃんらしい優しさ感動しました。毎日お散歩で、用水路を泳いでいる魚を一緒に眺めて、競争してるのかなぁなんてのんびり会話をしたり、たまに見かけるすごく大きな鳥(たぶんサギ)に会えた日にはふたりで大笑いしたり、タンポポの綿毛を無心に吹く長女の横顔を眺めるのも、和む時間です。散歩の時間が楽しければ楽しいほど、家に近づくにつれ「いやだ!まだ帰りたくない!」が始まって、結局最後は殺伐としてしまうのが、残念なところです。
 この1ヶ月、長女はそれなりに同年代の子と触れ合いました。ゴールデンウィークには東京のいとこやお友達と遊んだし、私の通っている歯医者(授乳で歯が弱っていきなり欠け、先月から子連れOKの歯医者さんにお世話になっている)で、生まれて初めてボーイフレンド(4歳)ができて喜んで、つぎは食事に誘いたいなどと積極的な姿勢を見せていたし、夫の職場のイベント(バーベキュー)にも連れて行ってもらって、ほかの社員さんの子どもたちと一緒に遊び、サッカーゲームにも果敢に参加して繰り返しハンドして大きいお兄ちゃんを呆れさせたのだそうです。帰ってきてすぐ、長女はペンをにぎり、紙に大きく「おともだちできちゃった」と書きました。きっと、よほど嬉しかったのでしょう。一番嬉しかったことは、言うんじゃなく記したいというその気持ち、分かります。長女がお友達と遊びたがっているのを見ていてすごく感じるので、来週は園庭開放にも行くし、なるべく、私なりにがんばって、同年代の子と絡む機会を作ってやりたいと思います。
 3歳4ヶ月の長女がもっとも愛している遊びはお絵かきで、相変わらずヒットくんをいっぱい描いています。今日はヒットくんのパラパラ漫画を作ってやったら、わああヒットくんが動いてる!と大喜びしてくれて、何度もせがまれてパラパラして、指がじんじんしました。パラパラ漫画って、作ってみるとすごくおもしろくて、私もテンションが上がりました。が、明日はもっともっと楽しい動きのあるのを作ってやりたいです。ただただ可愛いだけの時代はどうやらついに過ぎてしまったようだけれど、長女の喜ぶ顔が大好きなのは、変わりません。
by papiko-gokko | 2014-05-22 22:25 | 月齢ごとの成長記録(長女) | Comments(0)

やっぱりすごく反抗期


 昨日今日と、二日連続で、外出時に長女のわがままが炸裂して、大変な思いをしました。とくに昨日はすごくて、歴史上に残る大号泣でした。事の発端はスーパーのカートです。スーパーに着いてすぐ、長女がカートに乗りたいと言い、子供用カートに乗せようとしたら、そのすぐ横に置いてあった赤ちゃん用カートが目に入ったらしく、「こっちがいい」と言い出したのでした。先日から、なるべく赤ちゃんのころと同じように優しく穏やかに接しようと心がけ、比較的平和に過ごしてはきましたが、こればっかりは、無理でした。赤ちゃん用カートは年齢制限を超えていて無理矢理乗れたとしてもぎゅうぎゅうだし、それに子供用に比べて椅子の位置が高く、私は次女を抱っこひもで抱っこしているので、その状態で長女を抱き上げて乗せ降ろしするのは楽ではありません。だから、「それは赤ちゃんのだから、小さくておしりが入らないから、乗れないよ」と言い聞かせ、子供用に乗せました。
 しかし、それが相当に長女のしゃくに障ったらしく、長女は暴れてカートを降り、買い物をする私のあとをついてきながら赤ちゃんのに乗る赤ちゃんのに乗ると泣き続け、カートのほうへ引き返そうとするので手を掴んでひっぱると、その力を利用してわざと転んでその場に寝転び駄々をこね、何を言ってもますます大きな声で泣くばかりで、もう仕方なく無視をして買い物を続け、赤ちゃんのカート赤ちゃんのカートと同じ言葉を繰り返しながら泣き続ける子を従えたままレジで会計をし、牛乳やら卵やらお肉やら買ってそれなりに重たくなった買い物袋を抱え、スーパーを出ました。それでもまだ長女は泣き続け、もう一回スーパーに行ってあのカートに乗りたいと、それだけをひたすら繰り返しながら泣き続け、ときどき逆走して引き返そうとし、追いかけるとますます逆走するのが分かっているので無視して歩くと、「おいていかないでえええ」大声をあげてまた泣き、そんなわけのわからない状態で、手もつなごうとしない子を、交通事故に合わせないように歩くのが精一杯で、なりふり構わず歩き続けて、何人の人に振り返られたか分かりません。
 なんとかかんとか家に帰ってからも、まだ長女は諦めず、玄関から出ようとして暴れ、手も洗わず泣き続け、外で叱れなかったぶん、ものすごく恐い大きい声で叱って、なぜあのカートに乗れないのかを説明しても、それでもなお泣き続け、お昼ご飯の準備をしている私の横で、泣いて泣いて泣いて泣いて、やがてつられて次女までぎゃあぎゃあ身をのけぞらせて泣きだし、私はその日朝からめまいがあったので、泣き声でますますぐわんぐわんしてきて、もうなんでもいいから泣き止んで欲しいと、わらにもすがる思いでテレビを付けたら、デーモン小暮閣下が出ていて、普通に恐かったらしく、ますます泣きだし、仕方ないので消して、姉妹の泣き声大合唱を背にお昼ご飯作りに没頭し、ナポリタンを作り終え、「はい、おりこうさん、たべましょうね」と、赤ちゃんに食べさせるようにして食べさせたら、ようやく、それでようやく、泣き止みました。食べ物の力は偉大です。本当に偉大です。
 スーパーで泣き始めてからお昼ご飯を一口食べて泣き止むまで、おそらく1時間ぐらいは泣き続けていたのではないでしょうか。きっともう、泣き止んだら負けだという精神状態に、自分を追い込んでしまっていたのだろうと思います。私にも経験があるので分かります。食後はぐったりしつつも、仲良く過ごしました。

 それから今日もまた、帰り道が大変でした。今日の場合は、買い物の帰りがけに立ち寄った公園でシャボン玉をしたのがよっぽど楽しかったらしく、雨が降り出しそうだったし次女がぐずり始めたので、そろそろ帰ろうと何度も言ってシャボン玉を片付け、滑り台を2回すべったら帰ろうねと約束して、2回滑ったところまではよかったのですが、やっぱりまだ帰りたくないと泣きだし、そのあとは昨日と同じで、家に帰ってからもしばらく泣き続け、しかし昨日ほどな長続きせず、私が目をにらみつけて「そんなふうに泣くなら、シャボン玉なんかしなかったらよかった!もう二度と一緒に楽しいことしない!一緒におでかけしない!」と言ったら、泣き止みました。昨日ほどはヒートアップしていなかったようですが、それにしても、二日連続だったので、かなりうんざりしました。

 本当にまったく、毎日一日に何度「いやだ!」と言われたことか。あまりにはっきり反射的に言うので、「いやだ!」というのが、気持ちいいようでさえあります。その「いやだ!」に対して、つねに厳しい姿勢でいても疲れるしお互いストレスが溜まるだけだし、かといって、いつもいつも赤ちゃんのころと同じように優しくできるかといえば、昨日や今日のように、そうはいかない場面もあって、長女のわがままが発動するたび、いまはどっちだ?叱るときか?受け止めるときか?と、瞬時に判断を迫られて、ああいま叱らなくてもよかったのになというときに叱ったり、ああいまのは駄目な甘やかし方だったなというときに甘やかしたり、そんなことばかりで、一日に何度か、わああああと、家を飛び出したくなります。昨日のように本格的に困らされると、これまでに触れた育児書の言葉やネットで目にした言葉が、浮かんでは消え、浮かんでは消え、どれもこれも役に立たず、結局、長女の状態をできるかぎり冷静に見つめてあの手この手を試してみるしかないのだなという結論に至ります。

 昨日の寝かしつけのとき、次女が寝付いたあと、次女から離れて、長女にべったりくっつき、両手でしっかり抱きしめてやったら、「○○(長女)は、両方の手で抱きしめてもらいたかったの、両方の手で抱きしめてもらうのが大好きなの、ふふふ」と、嬉しそうに笑って、そのまま眠りにつきました。そういう素直な一言が、たまにあるから、全部許してしまうし、愛しさが保たれます。自分の気持ちをしっかりと言葉にするようになったものだなぁと思います。あれだけ全力で泣いて発散したり、こうして気持ちを言葉にできているのだから、感情を押し込めている状態ではないのだろうか、ある意味、安心なのかな。すさまじくて大変だけど、そう思うことにしよう。
by papiko-gokko | 2014-05-20 23:09 | Diary | Comments(0)

長女不在の一日


 昼間だというのに、しんと家じゅう静まりかえっています。今日は朝から夫の勤め先でイベントがあって、子どももたくさん来るらしいので、それに長女もついて行ったのです。いまは次女もお昼寝していて、本当に、長女がいる日常の全力疾走生活からは考えられないくらい、いいのかしらと不安になるほど暇で平和で退屈で、思わず昼間からブログを書き始めてしまいました。
 長女のいないうちに、邪魔されずにしてしまいたい種類の家事をしておこうと思って、大型の布団を干したりなんかしたけれど、いまいち、達成感がありません。家事をしているあいだじゅう、あじゃあじゃおしゃべりしながら後をついてきたり、ねえこれ見て見てよと、こちらの事情お構いなしに手やスカートを力一杯ひっぱる長女がいないと、何をするにもスムーズすぎて、なんだか、おばけのでないオバケ屋敷を歩いているみたいな、ぽかんとした気分になります。そうして、ぽかんとするたびに、いま長女はどうしてるかな、トイレちゃんとできてるかな、お友達できたかな、と、そわそわしてきます。ぽかんそわそわぽかんそわそわの一日です。
 なんだか、時間の流れがいつもと違いすぎて、せっかく静かで暇なのに、集中できません。長女はいま、私の大地を満たしている水のような存在なのだなぁと思います。その、波が寄せたり返したりいきなり噴水が沸き上がったりして歩きにくい水のなかを、じゃぶじゃぶ工夫しながら歩いて進むのがあたりまえになっていたから、急にその長女がいないと、水のなかから突然に干上がった土地に上陸してしまったみたいで、つんのめって、うまく身動きが取れないのです。
 ひさびさに自分の時間が持てるんだなあと、昨日の夜はるんるん気分で、あれもしたいこれもしたいと思っていたのに、いまはもう、長女が帰ってくる時間が待ち遠しくて、わずかに足元に残る水をかき集めるみたいに、長女の書き散らかした絵を集めてスキャンしたり、ふたのあいたままのペンを片付けたりしています。

 長女がいるときに次女を可愛がるとすぐ長女がまとわりついてくるから、今日は起きているあいだずっと、次女にべったりで、おもちゃで遊んだり、にらめっこしたり、こちょこちょしたり、たっぷりたっぷり可愛がっています。次女とふたりの時間は、静かでまったり穏やかで、ああ、赤ちゃんってこんなにほんわか平和な生き物だったっけなぁと、驚きました。泣き出すとすさまじいけれど、泣いていないときは、笑い声も喃語のおしゃべり声も、ちっともうるさくはなくて、ちぱちぱ現れては消えるあぶくのようで、次女の生み出すあぶくにくすぐられて、身も心もふにゃふにゃになりながら可愛がりました。でも、どんなに可愛がっても、次女もやっぱり、はちゃめちゃな長女がいたほうが楽しいみたいで、なんとなく退屈そうにしていました。 
 お昼寝の前には、ほんの少しだけ、次女とベビーカーで散歩をしました。まだ次女があまりベビーカーになれていなくてすぐ泣くので、長女がいるときは、泣きだした場合困るためベビーカーで出かけられなかったのです。だからベビーカーに慣らすために、今日はあえてベビーカーで出かけてみました。お散歩も、長女がいないとやけにスムーズで、あれ私いま動く歩道に乗っているのかしらと思うほどで、逆に転びそうでした。立ち止まらなかったせいか、今日の次女はベビーカーでほとんど泣かず、ご機嫌でのっていてくれました。これからの季節、抱っこは暑いので、この調子で泣かなくなってくれるとありがたいです。

 きっと、あと1時間もすれば、長女が帰ってくるはずです。どんなお話してくれるだろう。きっとたくさん刺激を受けたことでしょう。楽しみだなぁ。
by papiko-gokko | 2014-05-17 16:18 | Diary | Comments(0)

 今日は午前中に公民館で本を返してまた借りて、そのあとスーパーに寄って、長女と一緒にいくつかお菓子を選んで買い、午後からのお客さんに備えました。
 今日来たお客さんは、下の妹と、それから妹のお友達ふたりです。下の妹は岡山の大学に通っていたので、岡山に知り合いが多く、今回も友達と集まることになって、うちにも寄ることになったということでした。
 私はそのふたりと会うのは初めてで、コミュニケーション能力が低いので、6歳も年下の可愛らしい女の子たちにどう接していいのか分からず、ぎくしゃくし通しでしたが、ふたりとも妹といかにも気が合いそうな、明るくパワフルでおもしろい人たちだったので、辛い気持ちになることはなく、たくさん笑って楽しく過ごせました。長女も大喜びの大はしゃぎで、若い子たちにいっぱい遊んでもらって、たっぷり可愛がってもらって、お菓子もたくさん食べて、最後は別れを惜しんで、惜しむ余り、ふてくされてバイバイが言えませんでした。そんな長女に、妹とお友達たちは、B’zの『さよならなんかは言わせない』を歌いながら、手を振って玄関を出て行きました。どこまでも明るい!こんなすてきな明るいお別れの仕方があったとは。

 長女はだれに対しても、一度懐くとすごく甘えてよくしゃべるのに、なぜだか「こんにちは」「ばいばい」「ありがとう」などの基本的なご挨拶が苦手です。今日行った公民館でも、職員さんが、返すときも借りるときもにこやかに挨拶してくださったのに、かたまって相手をじっと見つめるばかりだったし、お友達が来たときにも、こんにちはを言えずにもじもじしていたし、お菓子をもらったときのありがとうも言えずに、じっとかたまっていました。
 挨拶できない理由を聞いたところ、言わなければと思ってはいるようなのですが、言おうとすると、いろいろ考えてしまって、恥ずかしくなって、かたまってしまうみたいです。決して、相手が嫌いだからとか、挨拶がしたくないから挨拶しないわけではないのです。とにかく愛想がよく目があっただけで笑う次女と違い、長女は赤ちゃんのころから、何かしら自分のなかで納得して初めて笑うような子だったので、挨拶にしても、まず相手を観察することから始まるので納得のいくまでに時間がかかり、瞬時には返せないのでしょう。いま彼女にとって大事なのは、円滑な人間関係どうこうよりも、自分の身に起こっていることが一体どういうことなのかを注意深く観察し、納得することなのです。
 数ヶ月前、母と私と長女と次女で親戚の家に行ったとき、長女が親戚の人にちゃんとご挨拶できなかったり、つっけんどんな態度をとってしまって、私がそのことを気にしていたら、母から「子どもなんてそんなもん。大人に好かれるような子どもになんかならんでいい。」と言われて、それで少し、気が楽になったことがありました。それ以来、挨拶についても、あまり気にしすぎないようにしています。しかし、それはそれとして、やっぱり挨拶は人間関係の基本だから、自然にできるようになって欲しいです。長女はあまのじゃくだから、あまりこちらが構えすぎずにいれば、そのうちできるようになるのかも。

 それにしても、今日も昨日に引き続き、長女を叱ることなく、仲良く穏やかに過ごせすことができました。赤ちゃんのころの映像を見てそのころの関係を思い出し、当時と同じように話しかけるようにしただけで、こんなに長女の態度が変わり、無駄な力を使わずに済むようになるとは。赤ちゃん時代の映像、撮りためておいて本当によかったです。
 こんなふうに穏やかな関係に戻ることができて、長女のここのところの反抗は、本当にひとえに私の態度に原因があったのだなぁと、改めて反省します。私の余裕のなさや過度の期待からくる苛立ちが長女に伝わり、それで反抗的になって、私がそれにうんざりしてしまい、そのうんざりがまた長女に伝わり、ますます反抗的になって、私がますますうんざりして・・・と、完全な悪循環に陥っていました。
 今晩の寝かしつけのとき、次女を寝かし終えて長女の隣に移動したら、長女が甘い声で「おかあさん」と呼んできたので、「なあに」と返事しながら長女の頬に触れたら、くすぐったそうに笑って「ほっぺたが、すごおく、あまくなったよ」と言いました。私の手のひらで、身体が甘くなる子のいる幸せときたら。「あまくなったの、食べたいな」と、長女のほっぺたをつまんで食べる真似をしたりして、ラブラブな感じで寝かしつけることができました。数日前、大げんかして途方に暮れて涙を流して寝かしつけたのが、嘘のようです。いつまでも赤ちゃんのころと同じしゃべり方ではいられないけれど、しばらくはこんな感じで、甘く優しく過ごせたらいいな。
by papiko-gokko | 2014-05-16 23:29 | Diary | Comments(0)

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 昨日に引き続き、今日も自分の育児について、考えさせられる一日でした。今日はなんと、一度も長女を叱らずに、ずっと仲良く過ごせたのです。意識して、赤ちゃんのころの長女にしていたのと同じように、優しく穏やかに接していたら、長女はそれほど反抗的な態度をとらず、トイレや歯磨きなど、たまに「いやだ!」がでたときにも、これまでのように「こら!」とか「もう!」と厳しい声を出しそうになるのをぐっとこらえて、遠回りしてみたら、どちらも声を荒げることなく、うまい具合にいきました。これは意識したわけではないけれど、「~しなさい」という言葉も、今日は一度も使わずに過ごした気がします。「しなさい」の代わりに「してみようか」とか「してみたら?」という語尾を使っただけで、長女の反応は全然違っていました。
 一日そうやって過ごしてみて、自分がいかに、ここ最近、長女に対して厳しくなってしまっていたかが分かりました。次女が生まれてから、自分のなかでは、つねに長女を優先して、次女に対するのと同じように、もしくはそれ以上に長女に愛情表現をするようにして、大きいお姉ちゃん扱いしないように、姉の重圧を与えないように、すごく気をつけていたつもりだったのですが、子どもが2人いる生活に慣れてくるにつれ、いつの間にか、その意識が薄れてきて、ふたりいて大変なんだから長女にはちゃんとして欲しい、もういろいろ分かるはずなんだからあんまりワガママ言って困らせないで欲しい、こっちの気持ちを感じ取って欲しい、という身勝手な思いを、無意識のうちにぶつけていて、ついイライラと厳しい口調になっっていました。そりゃあ、反抗したくもなるはずです。最近の長女が手に負えないのは3歳の反抗期だからだと決めつけていたけれど、原因は私にもおおいにあったのでした。
 昨日まで反抗的な態度ばかりが目についた長女が、今日は、反抗する代わりに、とにかく甘えてきました。だからいっぱい抱っこして、赤ちゃんのときと同じように可愛がってやると、きゃっきゃと喜びました。最近のわがままは、赤ちゃんがえりの一種でもあったのかもしれません。心に余裕が足りなくて、長女を十分に甘えさせてやれていなかったのだと思います。
 不思議なもので、赤ちゃんのときの自分の口調を意識して、優しく穏やかに語りかけているうちに、もう思い出せなくなってきていた、ひとりっ子だったころの長女との距離感を思い出してきて、長女のことを、久しぶりに、次女と対比せずに見ることができて、今現在の長女の手や足や頬の大きさを、たくさんなでて確かめました。そして、自分ではそんなつもりなかったけれど、次女が生まれてから今まで、長女のことを、次女とセットでしか見ることができなくなっていたことに気づき、はっとました。
 次女が生まれてから、長女はいっきに手足が伸び顔立ちも大人びてお姉ちゃんになったような気がしていたけれど、対比せずに見ることができるようになったいま、改めて見つめてみると、たしかに少しは大人びたかもしれないけれど、これまで感じていたほどではなく、赤ちゃんのころの面影のあちこち残る、3年前の1月22日に生まれた、小さな私の娘なのでした。
 私と長女の心が穏やかだった今日は、次女もやっぱり穏やかで、大体にいつもおっぱいと睡眠が足りていればご機嫌な次女が、今日はますますご機嫌で、長女が近寄ってきただけで大喜びして、声を立てて笑い、いつも以上に目で追い、とにかく長女へのラブ光線を送り続けていました。長女も長女で、今日は叱られることもなくご機嫌だったから、次女にもとても優しくて、「ないしょのアイスクリームあげるよ」と、透明のアイスクリームを食べさせてあげたり、「次女ちゃんだいすき」と何度も言ったりしていました。そうだよな、人に優しくされてはじめて、自分も優しくなれるものだよな。そんな基本的なことさえ、ここのところ、できていなかったのかもしれません。明日も、優しく穏やかに、楽しく過ごせますように。
by papiko-gokko | 2014-05-15 23:03 | Diary | Comments(0)

長女の反抗期と育児


 昨日の夜は散々でした。寝かしつけを開始して2時間経っても長女がまったく寝てくれず、困らせるようなことばかりわざとしたり言ったり繰り返し、その上騒いで次女を起こして、眠たい次女が大泣きし、私も我慢の限界がきて長女をいまにも殴りそうな思いで激しく叱りながら涙が出てきて、そんな錯乱ぎみの母を見て長女はますます興奮状態になり、まったく本当に、めちゃくちゃでした。
 お互いに感情をぶつけ合って泣いてわめいてぼろぼろに疲れ果ててようやく長女が寝てから、長女というより、長女の眠りとうまく付き合えない自分に対する怒りと悲しみでぐるぐるしながら、夫に思わず「どこかで育て方を間違えたんだろうか」と口走って、「あの子は僕らに育てられているんだから、僕らが育て間違えたなんて言ったら、あの子の存在を全否定することになるでしょう。それはすごく可哀想だよ。だから、それだけは言ったら駄目だ」と言われて、それでようやく、冷静さを取り戻し、同時に自分の発言の浅はかさに落ち込みました。
 
 そんな散々の夜を経て、今日は午前中にお出かけし、お昼は、夫のお弁当を作ったついでに長女のも作ったので、子ども部屋でピクニックごっこをして食べて、そして午後からは、長女の要望で、長女の赤ちゃん時代の影像を流し続けていました。パソコンに入っている映像すべてを再生する設定にして、生まれる直前のところから、ひたすらずーっと流し続け、日が暮れ夫が帰ってくるころに、ちょうど1歳の誕生日のところまでいったので、そこでストップしました。BGMのように流し続けていて、私も長女も、それぞれいろいろなことをしながら見ていました。
 何気ない日常の影像もあれば、ハイハイした日、タッチした日、初めて離乳食を食べた日などの特別な記録もあり、そのどれもこれもが、純粋無垢で可愛くて、見ているうちに、ああ、こんな時期もあったんだなぁ、こんな声を出していたっけなぁと、長女との関係に自信を失いやさぐれていた心が、だんだんあたたまっていきました。
 それに、長女に話しかけている自分の声が、どれもこれも、恥ずかしくなるほど甘く優しく穏やかで、もう目の前の娘のことが可愛くて可愛くて仕方がないという感じで、殴りたい思いで激しく叱る母の気配などどこにもなく、ああ、そうか、赤ちゃんのころ、私はこんなに優しいお母さんだったんだなぁと気づきました。一体いつから、長女のことを、こんなに叱るようになってしまったのだろう。まだたったの3歳、生まれて3年しか経っていない、小さな小さな女の子なのに。長女が昔の映像を見たいと言ったのは、優しい頃のお母さんと、そのお母さんにたっぷり可愛がられていた自分に会いたかったのかもしれないと思うと、胸が締め付けられて、現在の自分と長女の関係を、少しだけ客観的に見つめることができました。

 映像を見ながら、今日はとにかく怒らないようにしようと決めて、長女がわざと困らせるようなことをしても、きつく叱りつけたいぐっとこらえ、1日声を荒げずに過ごしました。そうして過ごすうちに、長女が困らせるようなことをするのは、私を困らせたいからでも、叱られたいからでも、逆に叱られたくないからでもなく、優しくしてほしいからなのだと気づきました。どれほどひどいことをしても自分に優しくしてくれるのかどうか、愛の深さみたいなものを、試しているのだと気づきました。だから、ぐっとこらえて、あえて優しくしたほうが、叱るよりも意固地にならず、態度を和らげてくれることが多くて驚きました。
 2歳でイヤイヤ期が本格的に始まったとき、厳しく叱らなければどうしようもない場面もあるのだと気づいて、悪いことをしたときには厳しく叱ることにしたのだけれど、3歳になって、どうやらその時期とはまた違った局面がやってきたのです。2歳のころは、まだ道理が分かっていなくて、それゆえに、だってやりたくないんだもん!だってそんなのつまらないんだもん!というような、直接的な欲求からくる反抗でしたが、3歳のいまは、道理や善悪が分かっているからこその反抗であり、それは直接的な欲求ではなく、そこから一歩進んだ、複雑な感情の表現手段なのだと気づきました。だから、2歳のときのように、間違っているからといってただ叱ればいいというものではなく、執拗なまでに刃を向けてくる相手に対し、いまは、その幼い刃を折ってしまうような固い盾ではなく、いまは、強力吸収の低反発クッションでもって立ち向かうときなのだと思います。

 夜の寝かしつけのときも、長女はやっぱりなかなか寝てくれず、2時間かかり、ベッドで飛び跳ねてみたり、ごろごろと転がり回ったり、べつの枕を出してくれとごねて出させたり、トイレに行ったり、枕で御神輿をしたり、ありとあらゆることをして寝まいとしていましたが、最後、いよいよ眠くてたまらなくなって、寝転がった状態で次女にちょっかいを出し始めたとき、それを手でやわらかくよけながら、子守歌を歌ってやったら、ぐたっと、寝てくれました。その様子を見て、ああそうか、この子は、眠れないから騒いでいるのでもなければ、私を困らせるために寝ないのでもなく、ただ、うつつの世界が楽しくてしかたなくて、だから眠いけど寝たくなくて、だんだんと身体が眠たくなっていくのが悔しくて、私や次女にも寝て欲しくなくて、それで私を困らせるようなことを次々に言ったり、次女に乱暴なことをしようとしたりしてしまうのだと気づきました。そんな長女に対して激情して叱ったところで、それはもう、長女の思うつぼなのでした。

 ああ、なんだか、今日は気づいたことのたくさんあった1日でした。嵐の日々が幾日か続いたあと、そんな日がふとやってきます。これからもきっとそうで、またいまやっと気づいたやり方が通用しなくなる日がきて、嵐の日々を経て、新しい向き合い方を、なんとかかんとかして、見つけ出していくのだと思います。
 
by papiko-gokko | 2014-05-14 23:42 | Diary | Comments(0)

泣き笑い


 書きそびれていてもうかなり前のことになるのですが、上の妹が、数年前から恋人だった人とついに結婚をしました。6月に挙式の予定で、お腹には秋に生まれる赤ちゃんもいます。その妹が今日、旦那さんと一緒にうちに遊びに来ました。旦那さんはべつの用事があって、あまり長いあいだうちにはいませんでしたが、妹は一泊し、たっぷりうちで過ごしました。
 これから買う赤ちゃんグッズについているものいらないものリストを作ったり、母子手帳ケースを一緒に選んだり、結婚式や指輪のことをいろいろ聞いたり、自分の体験談などいろいろ話して、私たちはとても楽しかったのですが、ただ、長女には少し、厳しい現実を突きつけられた1日になってしまったようです。
 これまでずっと長女にとって、私の妹ふたりは、自分だけにメロメロで、お母さんよりも若くて力いっぱい遊んでくれる存在でした。だけれども、今回は、次女もいるし、妹のお腹に赤ちゃんがいるから、これまでみたいに力いっぱいは遊べなくて、抱っこもしてもらえないのです。お腹に赤ちゃんがいるということを、長女はとてもよく理解して、だから彼女なりにすごく気をつけていて、遠慮がちにお膝の上に座ったりして、甘えていました。だけど、最後に、つい忘れてしまったのか、思い切り抱きついてしまって、私が慌てて叱ってしまって、そうしたら、すごく悲しそうな、辛そうな顔をして、ああ、そうだよなぁ、力いっぱい甘えられないのって辛いよなぁと、私も切なくなりました。
 妹に甘えられないぶん、妹の旦那さんにいっぱい甘えて、すっかり懐いていましたが、やはり満足はできなかったのでしょう。妹が帰ってからも情緒不安定で、「いやだ!」ばかり言って親を困らせ、寝かしつけのときには、寝ている次女を蹴ったりして(本気でではなく力加減はしていましたが)、何度やめなさいと言ってもやめないので、こちらも我慢の限界がきて、次女を蹴っている足をぺちんと本気で叩き、「どうしてわからないの!」と怒鳴ったら、わあっと大泣きして、嗚咽のあまり少し吐いて、次女も泣いて、3人ともぐったりでした。もっともっと甘えたかった遊びたかったという鬱憤、切なさが、最後の最後で爆発したようです。長女がしつこう次女を蹴ったのも悲しかったし、私がこの手で長女の足に痛みを加えなければやめてくれなかったのも悲しくて、「お母さんは人を蹴るような恐い子なんて育てられないから、鬼のお母さんに育ててもらおうか」と言ったら、それはいやだと、ぼろぼろ泣いて、もう蹴らないと約束してくれました。私だって、子どもを本気で叩く鬼のようなお母さんになるのはいやだと、ぼろぼろ泣きたい気分でした。わが子をこんなふうに叩いたのは初めてで、本当にショックでした。
 これは今日に限ったことではないのですが、散々イライラ苦労して寝かしつけて、ようやく寝ついた長女の寝顔を見ていたら、胸が締め付けられて、泣けてきます。叱りすぎてしまったなぁ、あまり十分に遊んでやれなかったなぁ、もっと優しくしたかったなぁ、ご飯食べるときもっと手伝ってやればよかったなぁ・・・と、反省の念ばかりが沸き上がってきます。寝かし終えて、リビングに戻ると、長女の描いた楽しそうな絵がたくさんあって、それらの絵を整理しながら、ああ、明日はもっともっと、長女と笑い合いたいなぁと、また泣けてきます。3歳児、難しいです。毎日、ワガママに振り回されて苛立って、どう向き合えばいいのだろうかと、悩みっぱなしです。
 次女の寝顔を見ていると笑えてきて、長女を見ていると泣けてくるので、毎晩、泣き笑いの気持ちで、真ん中に寝ています。明日は、次女が寝ているあいだ、たくさん長女を甘やかそう・・・と、思うのに、そんなときに限って、可愛がらせてくれないモードだったりするのだよなぁ。
by papiko-gokko | 2014-05-12 23:59 | Diary | Comments(0)