日記と短歌
by papiko
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世の中でいちばんこわいものはおばけなるべく長くそうあればいい
 妊娠してから、はちゃめちゃなのにやけにリアルで後味の悪い感じの悪い夢を、毎日のように見るようになりました。夢の中心には、恐怖感だったり、恋愛感情のようなものだったり、嫌悪だったり、とにかくみぞおちのあたりからむらむらと湧き出してくるような激しい感情が渦巻いていて、そのなかで私は、さほど親しくもなかった小中学校の同級生などの、もう普段なら名前も思い出せないような、ぎりぎり記憶に残っている人物に、なぜだか強く依存していて、それでいて、夫や娘のことは、気にかけてはいながらも、どこかとても遠い存在なのです。現実の生活では、毎日べったり一緒にいて、夫と娘のことで頭がいっぱいなくらいなのに、いったいこれは、どういう深層心理なのだろう。
 嫌な汗をたくさんかいてぶわっと目が覚ましたあとは、ああ夢でよかった、でもなんだか夢に思えない、でもでも現実にはありえないことだしやっぱり夢だ、ああ気持ち悪い、と、頭の中がぐるぐるぐらぐらして、動悸がして、しばらく寝付けなくなります。これも、つわりの影響なのだろうか。つわりが終わればこの嫌な夢もみなくなるのだろうか。みなくなりますように。

 現実では、娘のトイレトレーニングを再開しました。娘なりに一生懸命がんばっていて、おしっこ!と教えてくれるのですが、そのときには大抵もう出てしまっています。でも、あきらかにもう出てしまっている状態で、「がまん、がまん・・・」と言いながら、トイレまで行き、座るので、よくがんばったねえ、と褒めるようにしています。パンツをはいているからには、トイレまではがまんするのが本当なんだ、ということを、しっかり分かっていて、自分にそれを言い聞かせている様子が愛しくて、ああ、この子はこの子なりに、いろいろ考えながら生きているのだなぁと思います。
 娘が2歳児なりにいろいろなことを力いっぱい考えながら生きているのは、日々のおしゃべりからたくさん伝わってきて、それが私を笑わせたり、はっとさせたりします。ごはんを残すとき、もういらないと言わずに「これは、パパにのこしておくよ」と言い訳したり、夫が歯医者に通うようになってからというもの、「パパみたいにむしばになっちゃうから、はみがきしなくちゃね」と素直に歯磨きするようになったり、今日などは、私が自分のことをしていたら「おかあしゃん、こっちにきてよ、ひとりはさみしいよ」と訴えてきたり、急に真剣な顔で「ねえ、おかあしゃんは、おばけってこわい?パパもおばけが、こわいのかな」と尋ねたり、本当に書き出せばきりがないけれど、発言の一つ一つが、私にとってはキラキラ眩しくて、ああこの2歳児の娘の放つ眩しさをまるごと閉じ込めることのできるビンがあればいいのに!と思ったりします。
 最近で一番はっとしたのは、夫が出張でいなかった日、私と娘が向き合って遊んでいるときに、ふと私と娘の横の空間を指さして言った、「ここにパパがすわったらまるになるんだよ」という言葉です。ああ、この子はもう、本能的なもので、家族のかたちを理解しているのだなぁと、胸がいっぱいになりました。
 会話の発展性も出てきて、受け答えがおもしろいので、おもしろくてかわいくて、娘に笑顔をもらう時間が、また一段と増えました。娘が寝ているときにも、帰ってきた夫と、娘があんなこといった、こんなこといったと、そんな話ばかりして笑っています。お人形を動かして一人遊びをしているときの、わけのわからない会話劇もまたおもしろくて、思わずぷっと吹き出してしまい、娘に気づかれて、おかあちゃんもあそぼうよ!とすかさず誘われて、あぁしまったなぁと反省することもしばしばです。一人遊びも大事な時間なのだから、邪魔しないようにしなくては。
 朝から晩まで、言葉もしぐさも、あまりにもおもしろかわいいので、頭で処理しきれなくて、たまらなくなって抱きしめては逃げられています。もう動き回るのが楽しくて、赤ちゃんのころのようには抱っこさせてくれなくなりました。思う存分抱っこできるのは、痛かったり怖かったりして泣いたときと、よっぽど眠たいときだけです。眠いときは、体の力の抜け方も、顔をうずめる位置も、赤ちゃんのころと変わらないので、とても懐かしい気持ちになりながら抱っこします。 

 日記を書く日数があくと、自分の日記に対して変に冷静になってしまって、公開するほどのことなんかなにもなかったしなにも考えなかったわ・・・と、何を書くのも空しく恥ずかしくなってくるのですが、いまさらやめてたまるかと思って、とにかく書きたいことを書いてみたら、けっきょく今日も、娘のことだらけの日記になりました。冷静になったところで変わらないのだから、これからも、苦笑の気配を追い風にして、情熱的に書き続けよう。
by papiko-gokko | 2013-06-30 00:01 | Diary
夫と娘のおでかけ。妊婦健診。
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 この一週間は私の仕事が立て続けに来ていて、仕事とつわりでいっぱいっぱいだったので、夫の出勤前や休日など、かなりの時間娘を見てもらっていました。夫と娘で過ごす場合、家で過ごすより外に出たほうがお互いにとっていいらしく、ふたりでいろいろなところへドライブへ出かけているようです。先日は、『古事記』の国譲り神話で知られる稲佐の浜までいって、ほぼ貸切の砂浜で砂遊びをして帰ってきました。車の運転できない私にはさせてやれない遊びなので、とてもありがたいです。帰ってきた娘は、とても満足げに、いろいろ話してくれました。私の知らない娘の経験を、娘がつたない言葉で一生懸命に話して聞かせてくれるときの、あのね、あのねの、せわしない息遣いが、大好きです。
 私もつわりが終わったら、海を見に行きたいなぁ。できれば今年は、娘を大きなプールにも連れて行ってやりたいなぁと思っていて、娘用の小さな浮き輪を購入し、お風呂で浮かぶ練習をしています。

 今日は妊婦健診の日でした。今回初期検査ということで、血液をかなり抜かれたし、体重測定をしたら妊娠前より2キロ減っていて、精神的なダメージで一時くらくらしましたが、そのあとの検診で赤ちゃんの元気な様子をエコーで確認できてからは、くらくらが吹き飛んで、明るい気持ちになりました。今日はなんと、3D映像も見せてもらえて、立体的な、ほぼ人のかたちをした不思議な生き物が、ひょこひょこ動いていて、そのなんともいえないかわいらしさと、技術の進歩との両方に同じくらい驚いて、泣きそうになりました。3Dって、すごい!いつものエコーでは、どこか宇宙人のような存在に思えていたおなかの子を、はやく触れたい抱きしめたい!と思いました。
 3Dの写真もくださって、家に帰ってから夫に見せたら、夫も驚いて何度も見返していました。いやあ、技術の進歩、すごい。夫と私が見ていたら、娘もみたがったので、まだお腹に赤ちゃんがいるということを娘にははっきり話していないのですが、「これなんだとおもう?」とみせたら、「よくわからないいきものだなあ・・・」と、しばらく考えたのち、「コアラじゃない?」と言いました。なるほど、まるまっている感じが、コアラに似ていなくもないような。
 娘には、もう少しおなかが出てきて、視覚的に分かりやすくなってから、正式に話そうと思っています。2歳の子は、妊娠というものをどのくらいそれを理解するのか分かりませんが、まだお腹に赤ちゃんがいることをはっきりと話していないはずの娘が、最近よく読んでと持ってくるのが、『あなたってほんとうにしあわせね!』という絵本です。これは主人公であるお姉ちゃんの視点から、お母さんが妊娠して、おとうとが生まれて、赤ちゃんがいる生活に慣れるまでの自分の気持ちが描かれている絵本です。実は娘はもう、とっくの昔から、本能的なもので、知っているのだろうか。だとしたら、すぐにでもはっきり話してやったほうがいいのだろうか。ああ、娘の気持ちが知りたい、娘の目で世界を見て、いろんなことを判断できたらいいのにと、切実に思います。

  
by papiko-gokko | 2013-06-26 21:32 | Diary
2歳5カ月
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 今日で娘が2歳5か月になりました。このひと月は、私がダウンしっぱなしだったし、珍しく夫が泊りがけの出張でいなかった日もあったりして、娘にとってもこれまでと違う、なんだかとても奇妙なひと月だったのではないかと思います。
 相変わらず口が達者で、とくに言い訳にかけては天下一品です。自分のしゃべりに自信が出てきたのか、声も大きくなって、一日中ちゃきちゃきしゃべって歌って踊っています。日中の大声はまあいいのですが、夜中に目を覚ましたときにも大きな声でしゃべりだしたりするのは、本当に勘弁してほしいところです。おしりだとかおならだとか、そんな言葉でいかにもおかしくてしかたない様子で笑うようになり、だれに教えられなくても幼児ってものはおしりとかが好きなんだなぁと、なんともいえない気持ちになりながら、一緒になって笑ってしまったりしています。あんまり下品なこと言うようになったら嫌だけど、おしりとかおなら程度なら、まあ、いいか。おしりのかたちは愉快だし、おならの音はへんてこだもの。
 ごっこ遊びが大好きで、お店屋さんだとか、おかあさんだとか、赤ちゃんだとか、おひめさまだとか、人魚姫だとか、動物だとか、日々いろいろなものになりながら、忙しそうに部屋中を駆け回っています。紙で作った帽子とか、バッチとか、ヘアピン一つでぱあっと何かになりきれる娘をみていると、幼いころの自分を見ているようで、とてもうらやましくなります。あのころ、憧れの何かになりきって遊ぶのが、とにかく楽しくて楽しくて仕方なかったよなぁ。
 身体は全体的にまだまだぽちゃぽちゃしているけれど、手足がのびて、動きもどんどん幼児っぽくなってきました。私がよくベッドで横になっていた影響で、そのそばで遊ぶうちに、でんぐり返しができるようになったのは、このひと月の象徴的な出来事といえます。最近では、家のジャングルジムを利用して、逆立ちの練習もしています。体が予測不能の方向に回転したり、あり得ない角度で静止したりすることの楽しさに目覚めたようです。
 そんなふうに、毎日にぎやかに暮らしている娘の背中を見つめるのが、最近の私のブームです。娘の視界に入る位置にいると、なんだかんだと要求され一緒に遊ぶことになるのでゆっくり見つめられないのですが、すぐうしろにいると、案外黙々と一人で遊んでいるので、思う存分見つめていられるのです。肩幅に対して大きな頭、赤ちゃんのころよりずっと多くなった髪の毛、まだぽにぽにだけれどずいぶん長くなった手足、細い首、それらのパーツ、ひとつひとつをじっくり観察したり、全体をぼんやり眺めたりしていると、しみじみ、あぁ、育ったなぁ・・・という気分になってきます。育てているのは自分のはずなのですが、いまは、育てたなぁ、というよりも、育ったなぁ・・・というほうが素直な気持ちです。
 成長を見逃したくなくて、毎日よくよく見ていたつもりが、気がつけば、いつのまにか小さな赤ちゃんではなくなって、いつのまにか、いっぱいしゃべるようになって、数字やひらがなに興味を持つまでに育っていました。気に入らないことがあるとすぐ泣くし、おっぱいもおむつも卒業できていなくて、まだまだ、赤ちゃんな部分もたくさんあるけれど、なんだか、娘はどんどん育っています。
 これからも、娘はぐんぐん育っていって、私はそれを、見逃したくないと思いながら、近くで見すぎて結局わからなくて、ときどきこうしてしみじみと、育ったなぁ・・・と驚く時期があるのでしょう。わが子を育てるって、もっと主体的なことだと思っていたけれど、実際のところは、娘がすくすく育っていけるように、あらゆる方面から手助けする、命を懸けたサポート業務なんだなぁというのが、2歳5か月時点での感想です。
 来月はついに2歳半。そのころにはつわりがすっきり終わって、いっぱい一緒に遊べているといいなぁ。
by papiko-gokko | 2013-06-22 22:01 | 月齢ごとの成長記録(長女)
どうなるんだろう
 私があまりにげっそりした顔で暮らしているので、夫にまで本格的につわりがうつってしまって、元気がありません。せめて夫には溌剌としていてほしいけれど、一緒に暮らしている人がげっそりしていたら、引っ張られちゃうよなぁ。娘はそんな両親を心配して、「パパ、ごきげんげんきかい?おかあしゃん、ごきげんげんきかい?おなかいたいこと、なおったかい?」と、元気いっぱいの声で尋ね、私と夫を笑わせてくれました。
 娘はここのところ日に日に甘えん坊になってきて、今日は本当に一瞬たりともそばを離れることを許さない感じで、一日で唯一娘の意識が私から離れる夕方の幼児番組タイムさえも、「おかあしゃんも、ここでいっしょにみて!」と、ずっと膝の上に座っていました。生まれたときから3人家族で、なんでも3つ並んでいるものを見ると必ず、「これが○○(娘)で、これがパパで、これがおかあしゃん」と言って喜ぶ娘にとって、もうひとり家族が増えるというのは、それはもう、人生初の一大事件に違いありません。だから生まれてからは、なにより娘の気持ちを最優先しなければと、いまはそればかり考えています。
 そのためにも、自分が幼いころのことを必死で思いだそうとするのですが、上の妹が生まれたころ(自分が3歳2ヶ月)のことって、残念ながらまったく覚えていません。ただ、妹の誕生日のたびにふてくされて、父に叱られていたのは覚えているし、そんな写真も残っています。母によると、私に「お姉ちゃん」という言葉を使わないようにしていたのだそうで、それもあってか、上の妹に対してはあまりお姉ちゃんという自覚がなく、一番の遊び相手であり、喧嘩相手であり、子分であり、ライバルであり、心強い味方でもあり、とにかく物心ついたころから肩を並べて育ってきた、という印象が強くあります。
 一方、下の妹とは6歳離れているから、自分のことを意識的に「お姉ちゃん」と呼んで、赤ちゃんのころから積極的にお世話をしたり(いま思えば、お世話とはいえないようなレベルだけれど)、母の代わりに園バスのお迎えにいったり、小学校に入ってからは勉強を教えたり、いつの時代も(今でも)お姉ちゃんらしくあろうとしていて、上の妹とはかなり違った関係でした。年の差でこんなに違うのだなぁと、自分を振り返って思います。3歳差の妹との関係も、6歳差の妹との関係も、私としては楽しかったのですが、妹としては、子供時代、どうだったのだろう。わりとうざったいおねえちゃんだったのかもしれないな。そのあたり、今後のために、正直な気持ちを聞いてみなくてはと思っています。
 ああ、本当に、いろいろ、どうなるんだろう。なにもかも分からないけど、とにかくいまは、つわりが終わるのを待つのみです。
by papiko-gokko | 2013-06-20 22:59 | Diary
続くつわりと叱られたい娘
 なかなか終わらないつわりの日々。長いこと具合の悪い日が続くと、どうしても精神的にもグジグジギスギスしてきて、夫に対しても娘に対しても心が狭くなり、些細なことでつい苛立ったり悲しくなったりして、辛く当たってしまいがちで、そのたび自分が情けなくなります。

 娘のパワーに私の身体がついていかなくて、普段なら叱るようなことでも、つい、わかったわかった・・・と聞き入れてしまったり、ああもう・・・と受け流してしまったりすることが多くて、そのせいでここ数日娘のわがままがますますひどくなってきています。これは私が叱らないのをいいことに調子に乗っているんだなと思いきや、どうもそうではないらしいことが分かりました。娘は私が、いつも通りに叱ってくれないことが気に入らないみたいで、普段なら一度で叱られるようなことを、私が厳しい声を出すまでわざと何度もやって、私が力を振り絞って怖い声で叱ったら、ちょっと口元に笑みを浮かべながらぴたっとやめるのです。昨日など椅子の上にわざと立ち、「おかあしゃん、おこって!」と、はっきり言いました。それに今日もわざと物を乱暴に扱って、「いけません、は?だめでしょ、は?」と、むしろ叱らないこちらを叱るような厳しい口ぶりで指図してきました。
 叱られるなんて、できれば避けたい嫌なことに違いないのに、子供は、優しく可愛がられているときだけでなく、叱られるという行為からもまた、しっかりシビアに愛情の具合を感じ取って確かめているのだなぁと驚き、それでなるべく叱るようにしてみたら、今度は私のことを遊びのなかで「おこりんぼさーん」と呼んだりして、なんだか、結局、私は身も心も娘に振り回されっぱなしなのだなと気づきました。弱っている私を、娘はもてあそんでいるのだろうか。いや、もてあましているのだろうな。つわりが終わったら、力いっぱい、向き合うぞ。

 身体や心が辛くてどうしようもなくなったときは、娘に「ぴょんぴょんタイムしよう」と誘いをかけて一緒に寝室へいき、娘がベッドでぴょんぴょん飛び跳ねているそばで、しばらく横になっています。ぴょんぴょん中の娘は、いきなりつんのめったり、でんぐりがえったり、ダイブしてこようとしたりするので、非常に危険ですが、おなかと頭を最大限に守れる姿勢を取って、注意を払いながら横になっています。
 ああ、このしんどい日々は、あとどのくらい、続くのだろう。入院や通院になっていないのだし、なんとか日常生活できているし、つわりのなかでは軽いほうなのだろうけれど、一人目のときより、長くしんどく感じます。でもきっと、あとちょっと!あとちょっとと信じよう。つわりの何が辛いって、日記をろくに書けないのが辛い。日記を書かないと、思考が循環しないんだ。
by papiko-gokko | 2013-06-16 21:31 | Diary
まだきみが赤ちゃんならば母さんはまだ赤ちゃんの母さんでいる
 つわりはまだまだ終わる気配がなく、菓子パンと、甘い飲み物と、梅干し茶漬けと、ゼリーなどをちょぼちょぼ食べて、なんとか暮らしています。今日は2度目の検診があり、出産予定日が確定しました。来年の1月11日です。娘の誕生日が1月22日だから、予定日通りに生まれたら、ゾロ目きょうだいです。現在9週だそうで、次回から本格的な妊婦健診が始まるから母子手帳をもらってくるようにといわれました。
 母子手帳は、じつは先日べつの用事で市役所に行ったときすでにもらっていて、娘の母子手帳ケースに一緒に入れてあるのですが、娘のとおなかの子のとを取り出して眺めるたび、なんともいえず不思議な気持ちになります。これまで、私はただ娘の母親で、子育てイコール娘で、なんでも娘がすべてだったから、自分がこれから娘ではない新たな命を生み育てるのだということが、不思議でなりません。娘のときも、生まれてくるまではそのかわいさがどれほどのものか想像がつかなかったから、きっと今回も、生まれてくるまで、ずっとふわふわ不思議な気持ちでいるのだと思います。このふわふわ感は、きっと妊娠の醍醐味だから、しっかり味わっておこう。
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 へろへろ寝転んでばかりの私を相手に、娘は元気いっぱいいろいろな遊びをして暮らしています。おとといは、ティッシュケースをもってきて、そこにタオルをかけてテーブルにして、ケーキ屋さんごっこをしていました。ぬいぐるみを並べるのは少し手伝ったけれど、ほとんど自分でセッティングして遊んでいました。ケーキ屋さんでありながら、「○○(娘)のすわるばしょはどこなの」と、自分自身も席についてケーキを食べるところが、2歳児らしくて笑えました。 
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 それから今日は、黙々と積み木を長く並べて、その並べた上に等間隔で積み木を立てて、それを電車の座席に見立て、ムテ吉とミーニャとメーコブを乗客にして遊んでいました。娘はムテ吉のことをうまく発音できないので、「ごきげんげんきさん」と呼んでおり、私はそれを聞くたび、ごきげんげんきって、いい言葉だなぁと思います。娘にはいつまでも、ごきげんげんきに暮らしてほしいです。

 そんなふうに毎日、ごきげんげんきで遊んでいる娘ですが、やはり、自分の世界になにかただならぬ変化が起りつつあることは感じているらしく、早くも少し、赤ちゃん返りみたいな状態になっています。たびたび自分はまだ赤ちゃんなんだぞということを主張するようになり、ほぼ完了に近づいていたトイレトレーニングも、急にトイレに行きたがらなくなってオムツに逆戻りしたし(私がつわりでトイレに付き合うのを苦痛に感じるようになっていたので、その気持ちが伝わったのかな)、ごはんも「あかちゃんだから、たべられないの、たべさせてよう」とたびたび言うようになったし、たまに赤ちゃんの泣き真似をして、甘えてくるようにもなりました。これは一時的なものなのか、これから一年くらい続くのか、見当が付きませんが、娘が赤ちゃん返りするなら、私も赤ちゃんのお母さん返りして、できるかぎり娘の欲求を満たしてやりたいです。私も、3つ下の妹が生まれた直後に、ふくれっ面で哺乳瓶を加えている写真があったので、娘もそんなふうになるのかなと想像しています。
 そんななか、これまで失敗ばかりでとても無理に思えた卒乳の気配が、ここ数日、急激に見え始めました。一昨日と今日は、回転椅子でゆらゆらしながら歌を歌っていたら寝たし、昨日は夜中に起きても、まぐまぐの麦茶を自分で飲んでそのまま自分で寝たのです。こちらが、もう卒乳は当分さきでいいやと思ったとたん、娘の方の執着が薄れるというのは、当然といえば当然なのかもしれませんが、とても不思議です。ここのところ気温が高いのも影響しているかもしれません。こちらが卒乳卒乳と構えると、また娘が執着するだろうから、ここは慎重にいかなければ。
by papiko-gokko | 2013-06-11 21:43 | Diary
まだ影を持たないきみの全力の今日がすみずみまで愛おしい
 娘の一挙一動がかわいくておかしくて、娘を目で追いながらずっと笑っていた一日。2人目の妊娠が分かってから、娘のことを、ますます、ますます、とんでもなく、かわいく感じます。生まれた日に、ああもうこんなかわいい存在のものはいない、と思って以来、かわいさは強まり、膨らみ、深まっていくばかりで、この想いはいったい、どこへ落ち着くのだろうかと思います。言うこと聞かなくて、はちゃめちゃで、本気で腹の立つこともよくあるけれど、それでもやっぱり、次の瞬間にはかわいくて、娘への想いを打ち消すものが、いま、私の世界にまったく存在しないのです。
 2歳の娘は、朝起きた瞬間から、寝る直前まで、一切手抜きなしの全力投球真剣勝負で、つねに力いっぱい動いて、しゃべって、歌って、怒って泣いて笑って、そんな娘を見ているだけで、明るく愉快な気持ちになります。まだ感情に立体感が芽生える前の、影のない、明るい明るい世界で、娘は今日も飛び跳ねています。しんどくて横になっているとき、そんな底抜けに明るい世界の娘に、「おかあちゃんどうしたの?ぐったりしてるの?」と屈託なく言われると、その、ぐったりしてるの?という言葉がおかしくてかわいくて、しんどいのに、すごく楽しい気持ちになります。娘といると、笑っているか怒って(叱って)いるかで、喜怒哀楽の、哀がありません。哀があるとすれば、それは娘が体調を崩したりしたときだけで、大抵の日は、娘の底抜けの明るさが哀を吹き飛ばし、喜怒楽で、毎日がぐるぐる、のんびりめまぐるしく、進んでいきます。
 そのうち、娘の感情に立体感が芽生えて、影が生まれたら、私はその都度、ランプになるような言葉を、一緒に探して見つけ出したいです。人の心にかざすランプは、そう簡単に見つからないけれど、一人で探すよりは、ちょっとは見つかりやすいかもしれないから、それが、いま底抜けの明るさに日々元気をもらっていることへのお返しかなと思っています。
 
 身体がしんどいから、娘との遊びは、絵本と歌の時間が倍くらいに増えました。絵本と歌なら横になってできるので、長い時間でもなんとかがんばれます。
 そういえば先日、横になりながら娘に絵本を読んでいたら、娘がとても嬉しいことを言ってくれました。それは『おおきくなったら』 (作:ふくだとしお 絵:ふくだあきこ)という絵本を読んでいるときのこと。この絵本は最後、ゾウさんに助けてもらったアリさんが、「ぼく、おおきくなったら、ぞうさんみたいに、やさしくなりたいなあ」という言葉で終わるのですが、読み終えたあと、娘が私のことを見て、「○○(娘)、おおきくなったら、おかあしゃんみたいに、やさしくなりたいなあ」と、言ってくれたのでした。ただ絵本の真似をしただけなのかもしれないけれど、そんなふうに言ってくれたことが嬉しくて、感動しました。やさしい、という言葉に、私を結び付けてくれたことが嬉しかったし、自分がおおきくなったときの姿に、私を重ねてくれたことも、嬉しかったです。いつもやさしくはいられないけれど、基本的には娘にとって、やさしいお母さんで、いられたらいいなぁ。

 絵本と歌以外には、やはりごっこ遊びで、自分がおかあさんになり、私を子どもにして遊ぶのが一番好きです。2歳4カ月のごっこ遊びに、物語の発展性のようなものはまだなく、あるのは気に入っている動作の反復で、ひたすらおりょうり(メニューは必ずかぼちゃスープ)を作って食べさせるとか、ケーキを並べ続けるとか、同じことが飽きるまで繰り返されるので、それに付き合っているとものすごく眠たくなってくるのですが、うとうとしつつがんばって子ども役を演じています。
 
 つわりのなかで娘と過ごすのは、身体的にはしんどいけれど、精神的には本当に救われていて、前向きでいられます。それに夫も全面的にサポートしてくれていて、台所の家事を一手に引き受けてくれているので、助かっています。私が食べられないせいで、夫まで食欲が落ちてしまっていたり、どうしても負担をかけてしまっているので、つわりが終わったら、娘にも夫にも、しっかり恩返ししなくてはと思います。
by papiko-gokko | 2013-06-08 23:36 | Diary
子と同じ歳に戻って思い切り同じ世界で遊んでみたい
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 今日は夫が休みだったので、ひさびさに車で遠くの大きな公園に行きました。ここのところ、私だけでは娘と外であまり遊んでやれず、近所をお散歩して田んぼで日々増殖していくオタマジャクシをひとしきり眺めて帰るだけというのが続いていたので、せめて夫が休みの日だけでも大きな公園で思い切り遊ばせてやりたくて、おにぎり持参ででかけました。
 遊具と坂道と松ぼっくりのたくさんある公園で、娘は車から降りるなり走りだして、松ぼっくりと枝を拾い、それから目的の遊具に向かってまた駆け出しました。外のほうが家のなかにいるよりも吐き気がなくて楽なのですが、ちょっと早く歩いただけで息切れしてしまうので、動き回る娘の世話は夫に任せて、私は写真係になりました。公園には、ほかに3組ほど親子がいて、みんな父親と子供という組み合わせでした。子供と遊ぼうとするとかなりのパワーを必要とする大きな公園だから、お父さんがいる日にくる人が多いのかもしれません。
 何種類かの滑り台を滑り、アスレチックに登り、トンネルをくぐり、トランポリンを飛び、1時間ほど遊んでからお弁当を食べました。いま、温かいご飯を食べられないのですが、おにぎりが冷たくなっていたおかげで、私もひとつしっかり食べることができました。この時点で、私も夫もかなり疲弊していたのですが、娘はまだ元気満々で、「いっぱい遊んで楽しかったねえ」と私がさりげなく終わりの気配をにおわすと、「まだあそんでるとちゅうだけど!」と、間髪を入れず返してきました。子どもって、遊びの終わりの気配に敏感です。
 お弁当のあとも、娘は元気に遊んで、夫はそれに付き合い、私は木陰で休んで、娘が満足するまで公園にいました。遠くで遊ぶ娘を眺めながら、いまは親が相手をしているけれど、下の子が生まれて、少し大きくなったら、二人で遊ぶようになるのかなぁ・・・と、ぼんやり想像して、楽しみになりました。私は妹たちと遊ぶのが大好きで、朝起きた瞬間から夜寝る直前までずっとごっこ遊びの世界にいられるのがきょうだいのいいところだよなぁと子供心に思っていたので、娘も、下の子とそんなふうに楽しく夢中で遊べたらいいなぁと思います。その場合、たまには私も、仲間にいれてほしいな。
 しっかり遊んで満足した娘は、今朝6時半に起きたこともあり、車でこてっと寝て、家に帰ってからもそのまましばらくお昼寝をしました。何か月ぶりのお昼寝だろう。娘が寝ているあいだは、私も夫も休んで、午後はのんびりと過ごしました。娘を遊ばせることができたし、私も気晴らしができて、よかったです。
by papiko-gokko | 2013-06-06 23:27 | Diary
娘の世界
 つわりの諸症状に耐えている日々。一人目の時より、症状の一つ一つが重く感じるのは、気のせいなのだろうか。娘がお腹にいるときは仕事に行っていて、通勤時などしんどかったのは覚えていますが、仕事中は案外と大丈夫だった記憶があります。忘れているだけなのかな。
 つわりだろうとなんだろうと娘にはまだそんなこと分からないので、なんとかいままでどおり接してやりたいと思うのですが、体も心もついていきません。ちょっと遊んではくたびれて、ずるずるソファに寝そべる私のところへ、娘は「いま、ケーキやしゃんしてるのよ」と、次々おもちゃのケーキを運んで来たり、「おかあしゃんはこどもで、○○(娘)はおかあしゃんね」と、ごはんを作って持ってきて食べさせる真似事をしたりして、健気に遊んでいます。
 家族そろっての食事のとき、食べ物のにおいが辛くて先に席を立って離れたところへ移動すると、なんだかさみしそうな顔で「おかあちゃん、ここにすわってて」と言ったり、娘と夫と同じメニューを食べられなくて、「お母さんはおなかが痛いから」と娘に説明し、ひとりだけ冷たい麦茶をかけた梅干しのお茶漬けを食べる私を見て、「おなか、なおってきた?」と言いながら、よしよしとなでてくれたりなど、これまで見たことのなかった娘の一面を知り、ドキッとしたり、きゅんとなったり、ますます娘への愛しさが増しています。つわりが終わったら、いっぱいいっぱい遊んでやろう。
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 私がこうしてへばっているあいだにも、娘はぐんぐん成長していきます。書きとめなければ。最近の娘は、ごっこ遊びが大好きで、毎日、いろんなものになりきって遊びます。今日も、おかあさんになったり、赤ちゃんになったり、天使さまになったり、おひめさまになったり、子ネコになったり、カエルになったりしていました。何かになりきっているときの娘はすごく楽しそうで、違うものになっている自分自身にわくわくしているのがこちらにまで伝わってきます。何かになりきって遊ぶって、楽しいものなぁ。私もつわりが終わったら、一緒に何かになりきって思い切り遊びたいです。
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 それから、私と一緒につみきでヒットくんのおうちを作って遊ぶのも最近のブームです。私が壁を、娘がテーブルと椅子を作って、テーブルの上にお皿(ねんどのフタ)を置いて、色とりどりのねんどのごちそうを盛り付けて、ヒットくんの晩餐会が開催されることもあります。
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 お絵かきも大好きで、毎日、ペンやらクレヨンやらいろいろ使って描いています。おととい描いたなかで驚いたのは、「これは、あかちゃん。おかあしゃんが、あかちゃんをだっこしているところ」と言いながら描いた、上の絵です。娘の絵にしては珍しく手らしきものが描かれていて、その手が赤ちゃんを抱っこしていて、周りにいるのは、パパと自分とおともだち(たぶん架空のお友達)なのだそうで、みんなが、赤ちゃんを見ているような感じがします。これって子供特有の不思議な能力が描かせた絵なのだろうかと、少し、ぞわあっとくるほど驚きました。まだ娘には、具体的なことを何も話していないのに、やっぱり感じるものなのでしょうか。
 大好きな歌「あめふりくまのこ」を歌いながら、その情景を描くのも最近のお気に入りで、雨をちょんちょんと描いて、それから小川の線を一本かいて、くまのこらしき丸を描きます。はたから見ると、記号っぽい、とても絵とは言えない感じなのですが、その絵を描いているときの娘はすごく楽しそうで、きっと娘の目には、その絵がちゃんと、あめふりくまのこの世界として描かれ、生き生きと動いて見えるのだろうなぁと思います。

 まだまだ書き足りないくらい、娘の変化はめまぐるしくて、おしゃべりも行動も、書き留めておきたいことだらけです。
by papiko-gokko | 2013-06-05 22:42 | Diary


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