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日記と短歌


by papiko

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 夫の休日。タオルと長靴と念のための着替えを持って、河原へ遊びに行きました。9月に行った場所と同じ河原で、半年ぶりの川遊びです。河原へ着くと、娘はすぐに石を手に取り、川に向かって投げ始めました。そしてそれを延々と黙々と、表情も変えずに続けていました。
 娘の遊び方は、なんだかいつも作業っぽいのです。それも、一つのことをひたすら繰り返す終わりの見えない作業。とくに好きなのが、こちら側にあったものをあちら側に移動させるという作業で、昨日も瓶詰のヘアゴムを、別のビンに移す作業を黙々とやっていました。しかし、ヘアゴムと違って、河原の石をすべて川のなかへ移すのは、当然不可能です。それでも娘は、本当にそれをしようとしているような真剣さで、河原の石を手に取っては投げ、手に取っては投げ、私や夫が、「石を積み上げて遊ぼう」とか「きれいな石を探そうか」などと別の遊びを提案しても、「まだ、いまこれやってるところだから」と、こちらを見もしないで断り、ストイックに作業を続けるのでした。
 やらせていたら夕方まででもやりそうでしたが、私と夫が飽きてしまって、写真を撮っても無心に投げている写真ばかりでつまらなくなったので、「そろそろ、おにぎりを食べようよ」と誘い、ストイックになりすぎて食欲すら忘れている娘に「でも、まだここに、いしがのこってるから」と断られても、何度もしつこく誘い続けて、なかば無理やりおにぎりタイムにしました。
 レジャーシートを持って行っていたので、河原で食べることも考えていたのですが、河原で食べていたら、きっと娘がおにぎりを食べ終わらないうちにまた河原で作業を開始してしまいそうだったので、河原から引き揚げて、土手をあがってすぐのところにある芝生の広場で、ベンチに腰かけて食べました。4月に入ってから、毎週あちこちの空の下でおにぎりを頬張っています。
 昨日雨が降った影響で芝生はまだ湿っていて、歩くとじゅわじゅわしていて、娘はそれを楽しみながら、長靴で力いっぱい走っていました。力いっぱい走る娘を追いかけていると、娘の内側にみなぎっている力が、しぶきのように外側にぱあっと解放され発散されていくのが目に見えるようで、気持ちが良くて嬉しくて、私の体も軽くなっていくようで、もっとはしれ!どんどんはしれ!と、心の中で思います。実際にそうやって同じだけ走ると、私のほうは息切れしているのに、娘は全然平気な顔でまだいくらでも走れそうで、そんな娘を、たまらく遠く眩しく感じます。幼児時代っていいなぁ。走っても走っても息切れしなくて、走れば走るほどどこまでも興味の世界は広がって深まって、それでいて、振り向けばいつでも守ってくれる人がいて。いいなぁ。
by papiko-gokko | 2013-04-30 21:59 | Diary

 4月から夫の出勤が午後からになり、娘の起きている時間帯に出ていくので、いつも娘と一緒に、いってらっしゃい音頭を踊って見送ります。娘はこのいってらっしゃい音頭を踊るのが大好きで、いつもげらげら笑いながら夫を見送り、夫もそんな娘が可笑しくて愛しくてたまらないようで、満面の笑みで出て行きます。夫が出ていっていってらっしゃい音頭を踊り終わると、部屋がしんとして、すぐには空気が切り替わらず、急に知らない駅に降ろされたみたいな心もとない気分になります。それは娘も同じらしく、まだ笑顔のほのかに残っている顔で閉まったドアのところへ歩いていき、そうっとドアにタッチして、数秒そのままいてから、ぱっと、普段通りの娘に戻ります。いつも誰かとバイバイするとき、「ばいばいたっち!」と両手をタッチするので、きっとドアにタッチするのは、娘にとって、バイバイ気分の区切りをつける手段なのでしょう。今日はドアにタッチしたあとで、おどけて「なみだがでしょうよ」とほっぺたを押さえるしぐさをして驚きました。いったいどこで覚えたんだろう。それとも本当にちょっと、涙がでしょうだったのかな。
 最近の娘のパパ好きは相当のもので、なんの脈絡もなく「パパのことが、だいだいだいしゅきなの!」と言って骨抜きにしたり、ふたりで手をつないでいるとき、片方の手を見つめて「こっちのおててはパパとつなぐんだもん」と言ったり、夫が仕事でいないあいだは、外で音がするたび「パパがかえってきたんだないの」と耳をそばだてたり、夕ご飯のとき、夫は遅いので夫のぶんを別のお皿に分けていると、「これは、パパがたべるのね、ぱくぱくってたべるのね!」と、嬉しそうに語ったりします。そういうエピソードを、娘が寝てから帰ってくる夫に話すたび、メロメロになっています。いつまでも、このまま、パパ不潔とか言い出さない娘でいてほしいものです。

 春になってから恐ろしい勢いで庭に雑草が生えてきて猛スピードで成長してきたので、今日、娘にシャボン玉をさせるというもう一つの目的を作って自分を鼓舞し、意を決して草むしりをしました。草むしりは苦手です。草や虫との距離が近すぎて、普段見えていない、というより見ないようにしている系のものが、どうしたって目に入ってしまうからです。雑草のなかには相当深いところまで根を張っているものもあり、ぐさっと深く鍬を降ろすと、そこからあまりにもリアルな質感の幼虫が出てきたりして、そのたび、ひいいいい!とのけぞりながら、なんとかかんとか、それなりにきれいになるようがんばりました。
 田舎で育って、子供のころはタニシもとったし、かたつむりもカエルも平気で触ったし、蝶々やバッタも捕まえていたし、これは食べられるよと誰かが言えば草でも花でも実でも率先して口に入れていたというのに、いつのころからか、土や草や虫との距離ができて、そのうち、怖いとか気持ち悪いとか感じるようになってしまいました。自然の生き物とあんなに親しかった子供時代の私は、どこへいってしまったのだろう。どこかに隠れているのなら、私のかわりに草むしりをしてほしいです。そして娘に自然との遊び方をいろいろ教えてやってほしいです。娘が生まれてから、いろいろな場面で、ああ子供時代の自分をここに連れてこられたらいいのになぁと思うようになりました。子供時代の私と娘とは、喧嘩もするだろうけど、基本的にすごく気が合うと思います。

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 午前中に草むしりをがんばったぶん、午後はおうちで、のんびりと過ごしました。娘がおままごと遊びをはじめたので、ティッシュ箱に布をかけてテーブルにしてやったら、そこに動物を並べて、お皿を出して、透明のかぼちゃのスープをおなべから大胆に盛り付けて遊んでいました。テーブルがティッシュ箱なのは気になるみたいで、遊びの合間合間に「これてーぶるじゃないよ、てっちゅだよ」と、我に返っていましたが、それ以外は、遊びの世界に没頭している様子でした。そういえばこのまえ、縄跳びをわっかにして娘と私と夫とで電車ごっこをしていたときも、大はしゃぎで遊んでいたのに、ふと立ち止まって「これでんちゃじゃないよ、なわとびだよ」と冷静に言い、一緒に遊んでいた私と夫が恥ずかしくなるということがありました。私は遊びだすと完全に現実を忘れて、寝るまでごっこ遊びのなかにいた子でしたが、娘は案外と、現実主義者なのだろうか。
by papiko-gokko | 2013-04-29 23:07 | Diary

 今日も一日、娘は元気いっぱいおしゃべりいっぱい。夕方になると、風邪薬の効果もあってか眠くなってきたらしく、食事の準備をしている私にすがりついて抱っこをせがみながらわんわん泣いていました。あまりに悲しそうに泣くので、「どうしてそんなに泣いているの?」と聞いたら、「だっこー、なみだがとまるー、だっこー、なみだがとまるー、だっこー」と、目をきつく閉じて涙を絞り出しながら繰り返していました。どうやら娘は、涙が止まりそうなのがつらくて泣いていたようです。涙が止まったらもう泣いていることにならないから、泣いていないとますます抱っこしてもらえない、それは困ると、泣いていたようです。
 これには、なるほどそういう泣き方もあったのかと、思わず感心しました。涙が止まるのがつらくて泣けるなら、いくらでも泣けるから安心だけど、涙が止まったらどうしようという悲しみも止まらなくて大変だなと思います。涙が止まるのがつらくて泣いているのと、涙が止まらないのがつらくて泣いているのと、どっちが大変だろう。どちらにしても、その理由で、娘みたいに泣きたいだけわあわあ泣けたら、気持ちがよさそうです。

 夕食を食べたあとは機嫌がよくなって、湯船につかりながら、洗い場の椅子の上にあったタライに、おもちゃのカップで黙々と湯船のお湯を注ぎながら、「いま、ここには、おみずがひつようなんだ」とつぶやいていました。いったいどこで覚えたのだろうかと思うような言い回しが、会話のあちこちで出てきます。あらゆる会話を、聞いていないようで聞いているのだなぁ。

 本格的に開始して約1ヶ月半のトイレトレーニング、3歩進んで2歩下がるといった感じで、ゆるゆると続いています。これまで、おしっこができたときは、「すごいね!」「えらいねえ!」「おりこうだねえ!」「おねえさんだねえ!」と、力いっぱい褒めていました。そうすることで、やる気が出ると思ったからです。その結果、たしかに娘はトイレでできたときとても嬉しそうな顔をしていたけれど、うまくできなかった場合、できたときに褒められたという記憶が娘を追いつめてしまったみたいで、もうオムツで出てしまってトイレでは出ないときまで、かたくなにトイレに座っていつまでも出てこなかったりするようになりました。
 このままでは困るのでどうしたもとかといろいろ考えていて、ふと、そういえばべつにみんな偉くておりこうだからトイレに行くわけじゃないよな・・・と思い、、おとといあたりから、褒めることを一切やめることにしました。そしてその変わりに、「トイレですると、きもちがいいね!」「すっきりしたね!」と、娘の感想を代弁するような言葉を言うようにしています。その効果はまだはっきり表れていないけれど、でないときトイレに居座る時間は若干短くなってきている気がするし、それになんとなく、お互いにトイレタイムの空気が軽くなったのを感じています。
 トイレトレーニングに限らず、今回のことで、これができると偉いからとか、おりこうだからというのではなく、これができたら自分が嬉しくなったり、楽しくなったり、気持ちかったり、面白かったりするんだよと、そんなふうに、感情の提案として話を進めたほうが、娘に無駄なプレッシャーを与えなくて済むことも多いのだろうな、ということを学びました。これからどうしたって、楽しくない、嬉しくない、気持ちよくない、面白くないこともいろいろ学ばねばならないのだろうけれど、いまの段階で教える範囲のことは、きっと娘にとってプラスの感情に働くことばかりのはずだから、感情の提案というのを、娘と向き合う上での、軸の一つに据えてみようと思います。
by papiko-gokko | 2013-04-27 23:49 | Diary

 気温がなかなか安定しなくて、くしゃみが出たり汗ばんだり、いまにも体調を崩しそうです。娘はまだ、たまに痰の絡んだ咳をしているけれど、よく食べよく遊びあまり眠らず、きわめて元気のようなので、ひとまず様子を見ることにしました。日中よりも、夜寝ているときに咳をすることが多いので、なんだかよけいに心配で不憫で、娘が咳をするたび、その音が私の耳と胸に鋭く突き刺さってきて、ぎくっとしたあと、ぎゅううと苦しくなります。早くすっきり治りますように。
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  夫が百均で少ない量でも結べる髪ゴムを買ってきたので、さっそく娘の髪を結んでやったら、私が不器用なのと娘が動くのとでメチャクチャな結び方になったのにとても喜んで、鏡を何度も眺めていました。メチャクチャな結び方でも、髪を結んだだけで、うんとおねえさんらしくなり、ちょっと自分の娘じゃないみたいでした。しゃべる内容も所作も、最近どんどん女の子っぽさが出てきて、夫はめろめろ、私はたじたじです。

 そんな娘と、焦点が合わないくらい顔をものすごく近づけて、見つめ合いながらお話するのが、今の私のお気に入りです。言うことを聞かなかったり、なかなか寝てくれなかったりして少しイライラしていても、そうやってお話をすると、愛しさや可笑しさが胸に満ちて、ああこのままずっとこうしていたい見つめていたい、と思えてきます。娘の部位は、言うまでもなくどこもかしこも好きだけれど、顔のなかでとくに好きなのは、目とほっぺたです。だから、目を見ながら、ほっぺを触っていると、うちでのこづちを振っているみたいに、いくらでもかわいさがあふれてきます。このこづち、今のうちに、振れるだけ振っておこう。欲張れるだけ欲張っておこう。
by papiko-gokko | 2013-04-26 23:53 | Diary

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 2日連続で娘が朝4時にぱっちり目を覚まし、そのあと6時まで寝てくれませんでした。6時から私ももう一度寝たものの、今朝はどうにも体がだるくて頭がすっきりしなくて、それなのに、なぜなのか、そういうしんどい日に限って、いつも以上にパワーを必要とする作業に取り組む癖があります。今日はホットケーキを一緒に作ったり、大きな画用紙に絵を描いて電車を走らせたり、なんでわざわざ今日こんなことしてるんだろうなぁと思いながらやりました。体がしんどいから無理にでもテンションをあげて元気を出さねばという思いもあるし、頭がぼーっとしているから、ついその場しのぎで軽はずみに「じゃあ、着替えたら、ホットケーキつくろうか」などと口走ってしまって、後に引けなくなるというところもあります。しんどいときに無理してやったことって、私も娘も、結局それほど気が乗らなくて、ますます身も心も重たくなり、よせばいいのにどんより自己反省(というよりただの自己卑下)を始めてしまって、だめだなぁだめだなぁで頭がいっぱいになります。
 私はそんな感じだったけれど、娘は寝不足の気配もなく元気いっぱいで、今日は寝室のベッドの上でよく遊んでいました。最近の娘は、ちょっとだけ私の目から離れた場所で、一人の世界に浸って遊ぶのが好きみたいです。どんなことをしているのか見たくてこっそりのぞくと、音を立てていなくてもすぐ気づかれて、「こないで、あっちいってて」と厳しく言われたり、逆に「おかあしゃんもきてきて」と誘われたりします。これからどんどんこうして、私の知らない娘の時間が増えていくのだなぁ。
 明日は、明るくなってから爽快に目を覚ませますように。昨日の夜から、ごくたまにだけれど少し痰の絡んだような咳をするので、それも少し気になっています。寝室が埃っぽかったのかもと思い、空気清浄器をフル稼働して、シーツ類を全部洗いました。明日には治っていますように。

 
by papiko-gokko | 2013-04-25 23:27 | Diary

 午前中は午後出勤の夫に娘を見てもらって今日来た仕事を終わらせ、午後は娘と踊ったり絵を描いたりして、夜、娘を寝かしつけてから、5月に発売されるスピッツの新曲『さらさら』をオフィシャルのyoutubeで聴いて、ああ、いいなぁと、しみじみ感動している今。素のテンションのままで、耳も心もすうっと馴染むから、スピッツの曲がたまらなく好きです。すうっと馴染んだそのあとに、深い共感が湧き上がってきて、なかでもこの『さらさら』は、最近のシングルのなかで一番といっていいくらい、胸が震えました。これはただの想像ですが、この歌詞は、すごく考えて考えて、言葉を選んで選んで削って足して削って、かなりの時間をかけて完成させたのだろうなぁ、と思います。一言一言に、そんな重みと熱を感じました。 

 おっぱいをまだやめられない娘は、寝かしつけのあとも、私が起きている時間帯に大抵は何度か起きます。さぁくつろごうと思っているときに泣かれると、つい、またかぁ・・・とため息が出てしまうのですが、そんなときは、寝室に入るドアの横の棚に飾ってある写真を見ます。それは、娘が生まれてまだ2時間かそこらしか経っていないとき、助産師さんが分娩室で撮ってくれた、私と夫と娘の3ショット写真です。これまでいろいろな場所で3人の写真を撮ったけれど、やはり、この写真に勝るものはありません。
 まったくもうと思いながら寝かしつけにいく直前、寝室のドアに手をかけながら横目でこの写真を見ると、娘の生まれた日のことをまざまざと思い出して、いま泣いて私を求めているこの子はまだ、たったこのまえこの世に生まれてきた子なんだよなぁと、初心に帰ることができ、娘への愛しさで満ち足りた心で添い寝することができます。べつにそんな効果を狙って寝室のドアのそばに飾ったわけではなかったのですが、思いのほか絶大な効果を発揮しているので、今後もこの写真は場所を変えずにおくつもりです。助産師さんに感謝。

 
by papiko-gokko | 2013-04-24 22:50 | Diary

 穏やかに過ぎた一日。娘が初めて、朝から寝るまで一度もおむつを濡らさずに、トイレでおしっこをできました。「おしっこいく?」と誘っても必ず「いかなーい、でなーい」という返事が返ってくるけれど、「お母さんトイレいってくるね」と言うと、一緒に行くと言ってついてきて、わりとノリノリで子供用便座を出してきます。何事も、いかに指図じゃない方法でその気にさせるかが、娘とうまく付き合っていくうえでのポイントになってきています。
 それにしても、これは娘だけなのかもしれませんが、2歳児のトイレが、こんなに時間のかかるものとは知りませんでした。トイレのあとは絶対に自分で流さないと気がすまず、トイレでできましたシールを表に貼るため、どのシールを貼るのかたっぷり時間をかけて選び、選ぶと今度はどこに貼ろうかをまたじっくり悩んみ、このシール貼り時間で短編小説が一編読めてしまいそうなくらいの時が流れて、ようやく洗面所で手を洗い、このときは必ず水だけでなく「ぴんくいろのも出すの」と、お湯の蛇口をひねらねばならず、手を洗ったあとはタオルで手を拭いてから、タオル掛けのバーを両手でサドルのようにつかんで「さんりん、さんりん、さんりんしゃー」と謎の歌を歌って、おしりを出したまま遊びだそうとする娘を追いかけてオムツとズボンをはかせ、それでようやくトイレの時間が終わります。
 トイレに限らず、娘には生活の場面場面で、必ず行う決まり事ときっちり守りたい順序というものが存在しています。たとえばお風呂では、出る前に、にんぎょひめ遊びをして、足をばたばたして水しぶきをあげ、それから肩まで浸かって10まで一緒に数えて、「おまけのおまけの汽車ぽっぽ、ぽーっとなったらはい出ましょ!」と歌って、「でないでなーい」と形式だけ反抗してから出て、お風呂から上がったら私か夫にタオルを巻いてもらって、娘の好きな絵本『おふろだいすき』の男の子と同じように「おふろだーいちゅき」と言い、そのタオルから両手を出して「おててバージョン」と言い(この言葉の出所は不明)、それでようやく服を着る段階に入れます。
 何をするにもそんな調子だから、急いでいるときとか、疲れているときは、もういい加減にしてくれえと叫びたくなるのですが、娘にとって、彼女のなかにある決まり事と順序を邪魔されるのは最も腹立たしいことのようで、急かしたり省略させようとすると娘の機嫌を損ねてますます時間がかかることになるので、いかなるときも耐えて待つのだ、この無駄に思える時間はいまの娘には必要な時間なのだと、自分に言い聞かせています。
 子供のころって時間が永遠のように長かったから、大人の私からするとあぁもう時間がもったいないなぁとイライラしてしまうような娘の時間の使い方も、きっと娘にとってはちっとも無駄なんかじゃなくて、無駄に感じる時間なんてどこにもなくて、行動のひとつひとつに娘なりの面白みだったり発見だったり心地よさだったりが詰まっていて、意味のある大事な時間なのでしょう。娘のために、もっともっと我慢強く、おおらかになって、娘の見ている世界や、感じている時の流れに、寄り添いたいです。
by papiko-gokko | 2013-04-23 22:47 | Diary

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 午前中、夫の出勤前にみんなで、チューリップ畑に行きました。広々とした土地一面、見渡す限り色とりどりのチューリップが並んでいて、車を降りるやいなや、思わず駆け足になりました。娘はチューリップよりも、チューリップ畑沿いの道にずらりと並んで泳いでいたこいのぼりに夢中で、こいのぼりの大きな影が道路に映り揺らめくのを不思議そうに眺め、しばらくチューリップどころではない様子でしたが、それでも畑のなかまで連れて行くと、手をお花のかたちにしてくるくる回りながら、お得意の『チューリップ』を熱唱していました。
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 気温が低く冷たい風の日でしたが、そんなこと感じさせないくらい、青空とチューリップが私たちに春をくれて、夫と私とで交互にカメラを構えながら、広い畑をぐるりと歩いて、いろんな色のチューリップを見て回りました。私はチューリップそのものよりも、チューリップ畑に立っている娘を眺めるのが嬉しくて、常にセットで眺めていました。
 このチューリップは、一輪50円で畑から掘って持ち帰ることができるそうで、ちょっと迷いましたが、ひとまず今回はやめておくことにしました。今年か来年の秋、勇気を出して球根と鉢と土を買って、娘と一緒に育ててみようかと思います。
 山陰の長く重たい冬を経験し、ようやく迎えたこの春。冬のあいだ耐え忍んだ心を解放するがごとくに、毎日これでもかこれでもかと春を満喫しています。この地で冬を越えたからこそ、いま、春がこんなに嬉しくて楽しくて明るくて、いてもたってもいられないのです。くっきりとした青空が見られるって素晴らしい、花が咲くって素晴らしい、寒くないって素晴らしい。

 話は変わって、今日で娘が2歳3ヶ月になりました。ますますよくしゃべり、よく歌い、おしゃまさんになってきています。最近、娘は私について、このお母さんはあまりしっかりした人間じゃないということに気づいたらしく、「ごはん、まだのこってましゅよ、ちゃんとたべなちゃい」とか、「おきがえ、しなしゃい」とか、いつも自分が言われていることを私に言ったり、洗濯や料理をしていると「おてちゅだい、してあげるから」と、世話を焼いてくれたり、階段を降りるときには、以前一度娘の目の前で階段から落ちたことがあって、それ以来いつも「かいだんは、てをちゅないで、きをちゅけておりるのよ」と、私を心配してくれるようにもなりました。頼もしいしかわいいけれど、お母さんは万能じゃないという事実にわずか2歳にして気づかせてしまった自分が、ちょっとだけ情けなくもあります。
 東京に行って少し年上のお姉ちゃんに遊んでもらったことで、子供としての自信とか喜びみたいなものを手に入れ、大きな声を出すことや思い切り体を動かすことの楽しさも教わったようで、東京に行くまえより、帰って来てからのほうが、声が大きくなり、動きも活発になりました。これも大きな変化の一つです。

 そんなふうに、すっかり子供らしくなってきた娘ですが、おっぱいとおむつの卒業は、まだもう少し先になりそうです。おむつに関しては、一時期あんまりがんばらせすぎてしまったのか、夜中におしっこが出るわけじゃないのに「おしっこするのー!」と取り乱したように泣いた日があったので、それ以来、パンツは履かせずオムツにして、娘がいきたいときだけトイレに連れて行くようにし、全体的にトレーニングを少しゆるめています。でも、うまくいけば今年の夏には取れそうかなという雰囲気です。
 おっぱいに関しては、毎日どうするべきか悩んでいて、先が読めません。友達や義姉の赤ちゃんと触れ合って自分が赤ちゃんじゃないことに気づいておっぱいをやめてくれるのではないかな・・・と淡い期待を抱いていたのですが、そううまくはいかなくて、「だって、○○(娘)は、まだ、あかちゃんなんだもん、あかちゃんはおっぱい、のむんだもん」と言っています。日中はもうまったく欲しがらなくて、せがむのは夜寝付くときと、夜中に目が覚めてしまったときだけなのですが、夜中に仕事をしているとき起きてせがまれるとかなり時間を取られてしまって辛いので、できることなら、もうそろそろ卒乳してほしいところです。
 しかし、先日「おっぱいは、○○(娘)があかちゃんじゃなくなって、いらなくなったら、もう、でなくなるんだよ」と言ったら、おっぱいそのものが体から消えてなくなると思ったらしく、すごく不安そうな悲しそうな顔をして、それからことあるごとに「おっぱい、まだある?まだのこってる?」と確認したり触ってきたりするようになり、ああやっぱり、2歳になるまであげてきた以上、いまさら無理やり取り上げてしまうのはいけないよなぁと、反省しました。もう娘は理解が進んできていて記憶力もあるから、ちゃんと娘が納得した上でおしまいにしないと、娘にとっても私にとっても後味の悪い終わり方になってしまいそうです。だからいま、娘をどう納得させるか、おっぱいに変わるよい寝かしつけ方はないものか、毎日考えていて、このことが今の一番の課題です。
by papiko-gokko | 2013-04-22 22:52 | 月齢ごとの成長記録(長女)

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 夫の仕事が今日まで休みだったので、車で海を見に行きました。4月の初めに行ったのとは別の海岸で、夏には海水浴でにぎわい、地元では人気のデートスポットでもある、管理の行き届いたとてもきれいな砂浜です。雨上がりの青空を映す今日の海はとびきり澄んだコバルトブルーをしていました。
 せっかくだから娘をハダシにして砂浜を歩かせたり、なんならちょっとぐらい海水でぴちゃぴちゃ遊ばせようと私も夫もはりきって、砂浜に降りるなり娘の靴と靴下を脱がせて砂浜に立たせました。ところが、脱がすタイミングがいきなりすぎたのか、私も夫も靴を脱いでいないのに自分だけ脱いでいることに強い違和感を感じたのか、「いやだー、およがないー、いかないー」と、顔をゆがめて嫌がってしまい、波打ち際には近づこうとしませんでした。どっぱんどっぱん打ち寄せる波も、迫力がありすぎて2歳の娘にはまだ理解が追いつかないようです。

 海の向かいの丘では風力発電の風車が回っていて、風車の下がちょっとした広場になっているので、海を見たあと、海岸沿いのパン屋さんでパンを買って、その丘の広場でベンチに座ってパンを食べました。風車が立っているだけのことはあり、この丘は海風の通り道であるらしく、ベンチのすぐそばで、パラグライダーを背負った人が、風が起こるたび何度も海に向かって駆け出し、一瞬体が浮くもののうまく飛べずにパラグライダーがぶわぁんと歪んで垂れてきて、そのたびもう一度パラグライダーを地面に広げ直して次の風を待つということを繰り返していました。
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 私も夫もパラグライダーで飛ぼうとしている人を見たのは初めてで、「あの人、本当に飛ぶのかな」「ええ、練習なんじゃない?」と言い合いながら、パンをかじりつつ興味津々で眺めていました。そして、全員パンを食べ終わり、ゴミを車に置きに行ったり食べ終わって遊び始めた娘を追いかけたりなんだりして、私も夫もパラグライダーの人から目を離していたそのわずか数分のあいだに、なんと、そのパラグライダーの人は本当に飛び立ったのです。最初に私がそれに気づき、「とんでるとんでるとんでる!」と、思わず大声をあげて指差し、夫も「わああ」と言いながらカメラのシャッターを切り、娘はパラグライダーのほうに向かって駆け出しました。海風にのってぐんぐん高く昇っていくその姿は『魔女の宅急便』のキキそのもので、それを見上げる私はトンボの気分で、頭の中で、キキが初仕事のお届け物を届けるために高く高く昇っていくシーンで流れる音楽『元気になれそう』が流れていました。
 飛び立つ瞬間を見逃したのはものすごく残念ですが、パラグライダーで飛ぶ人をこんなに間近で見たのは初めてだったので、それだけで感動しました。きっと実際に飛ぶのはいろいろ技術が必要で難しいのだろうけれど、はたから見ているぶんには、ただただ気持ちよさそうで、私も乗ってみたいなぁと思いました。パラグライダーの人は、そのまま風に乗って流れていき、どこか私たちのいる位置からは見えないところへ降りて行きました。風車を間近で見る目的だったのが、パラグライダーまで見ることができて、本当にラッキーでした。晴れた日は、丘に登ってみるもんだ。

 海と空を満喫したところで海からは離れ、町のほうへ出てブックオフに行き、あらかじめ車に乗せていた売れる本を売って、店内をまわったら立派な文学全集が一冊105円だったので、3冊ほど買いました。太宰治と、吉行淳之介と、幸田文。もうすでに文庫や図書館で読んでいる作品も多いし、字がかなり小さいから、たぶんこの全集をあえて読むことはないのだけど、ただ本棚に並べたくて買いました。とくに太宰治と吉行淳之介は大好きな作家なのに文庫しか持っていなくてしっかりした本が一冊欲しかったので、今回の収穫はかなり嬉しいです。本棚を眺めてにやにやしています。
by papiko-gokko | 2013-04-21 23:55 | Diary

 ひそかに長年憧れていた、大人のレインブーツを買いました。丈は短めの紺色で、2センチほどヒールがあって、幼いころに母が履いていたような、レトロな形のレインブーツです。毎日履くものでもないし、どうしても必要というわけだもないから、きっかけがなくてずっと手を出せずにいたのだけれど、よく行くお店の割引券が手に入り、思い切って買ってしまいました。長靴を履いていたのは小学生までで、中学生になったあたりからは長靴という習慣から遠ざかっていたから、実に15年以上ぶりの雨靴購入ということになります。レインブーツ、という言葉の響きがいいし、光沢のある質感も、私は長靴とは違うのよとばかりに澄ました形をしているところも素敵です。
 レインブーツを買ったら、レインコートやおしゃれな傘も欲しくなりました。雨の日のおしゃれは、とことん純粋に自分のためという気がして、心が躍ります。これから梅雨が来て、雨の日が続くときには、家にこもってばかりいないで、2人で明るく雨の装いをして、水たまりとカエルを探しにでかけてみよう。

 今日も夫が休みだったので、午前中は前述のレインブーツを含めいろいろと日用品の買い物をして、午後は家でのんびりそれぞれやりたいことをやりながら、久しぶりに『天空の城ラピュタ』を見ました。娘の初ラピュタです。まだ2歳の娘がこの物語のストーリーを理解するのは無理だったようで、あまり集中して観ていませんでしたが、ドーラが肉に食らいついているシーンでは、「たべてるねえ、こぼしてるねえ」と見入っていました。たしかにあのシーンのドーラは、迫力満点です。
 それから、ロボット兵がでてくると、「これは、ぼろっと?」と、興味を示していて、しかしロボット兵のシーンは戦闘シーンが多く、ストーリーを理解できていない娘にはこのロボットがなぜ暴れているのかも分からないだろうから、まっさらな心にロボット=暴力性というイメージを植え付けたくなくて、「このロボットは、いじわるする人から、ただ、シータを守り抜こうとしているだけなんだよ、本当は優しいロボットなんだよ」と、ロボット兵がぴゅきーんと光線を出して建物を破壊するたび、娘に必死で説明をしました。その結果、どこまで理解したのかは分かりませんが、「このぼろっとは、やちゃちい、かわいい、ぼろっとなんだのよねえ」と、ひとまず恐怖感や嫌悪感を抱くことなく、ロボット兵のことを受け入れたようでした。
 あと、ムスカが、「はっはっはっ」と高らかに笑うシーンもやたら気に入って、見終わったあとも「はっはっはっ」と真似していました。ムスカというのは、2歳児でも真似したいと感じる秀逸なキャラクターなのだなぁ。夜ご飯のときにも娘が「はっはっは」と笑いだし、「おかあしゃんもやって、ぱぱもやって」と催促されて、家族3人でムスカ笑いをしながら食卓を囲んでいました。久々のラピュタ、娘の反応も、ストーリーそのものも、面白かったです。ああ、やっぱり、いいなぁ、ジブリ。飛行石、いいなぁ。次回作品が猛烈に楽しみです。
by papiko-gokko | 2013-04-20 23:05 | Diary