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日記と短歌


by papiko

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 近所の小児科で、七ヶ月検診と予防接種(ヒブと肺炎球菌の3回目)を受けてきました。午前中の予約だったので、遅番の夫も一緒に付き添ってくれました。途中の並木道で、四方八方からセミの鳴き声がものすごくて、他の音が一切聞こえず、まるで耳をふさがれているようで、くらくらしました。セミしぐれのなかを歩くと、なんだかわけのわからない焦燥感に駆られます。終わっちまうぜいいのかよと、脅しをかけられている気分になります。今近づいている台風を境に、あのセミたちの数は、一気に減るのだろうか。

 検診の始まる直前までご機嫌で、抱っこの腕から元気いっぱい暴れていた娘でしたが、検診が始まるとそれが一転、表情がこわばり、体重計に乗せられて泣き、身長計に寝かされて泣き、頭と胸にメジャーをあてられて泣き、診察であちこち掴まれて泣き、そしてもちろん注射では号泣しました。ひとつひとつの検査が終わるごとに抱っこすると泣きやんで私にしがみつき、また次の検査のために降ろすと、みるみる顔が歪んでくるのでした。
 四ヶ月検診のときと比べると、不安や恐怖を感じる力が、格段についているのがわかります。抱きつき方も力づよくて、なんかイヤ!ふゆかい!という娘の意志を強く感じました。ねんねのときにも、寝たかなぁと思い私がそばを離れようとすると、寝ぼけながらものすごく強い力で抱きついてくることがあり、驚きます。
 検診の結果、すべて成長曲線の平均内に収まり、身長65.3㎝で小さめ、体重7690gで真ん中あたり、頭位44,5㎝で大きめでした。特に問題なしということで、一安心です。あれこれされて疲れ果てた娘は、家に帰るまでずっと、抱っこひものなかに顔をうずめて眠っていました。おつかれさま、がんばっておりこうさんでした。
 次の検診は10ヶ月だから11月末ごろ、次の予防接種は10月の終わりにポリオの予定です。9月は久々に注射も検診もないことだし、ほどよく涼しい休日に、娘を連れて動物園へ行こうと話しています。
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 慣れない場所へ行って興奮したのか、家に帰ってからの娘は、お昼寝に入る直前までハイテンションで、小児科でもらった海の仲間シールで遊んでいました。まだシールを台紙から剥がしてどこかに貼りつけるというようなことはできませんが、いつも紙で遊んでいるようにぐしゃぐしゃしていると、シールが自然と剥がれて手にべたべた貼りつき、そのべたべた感が楽しかったみたいで、長いこと集中して遊んでいました。そのうちにシールが床やら娘の額やらおしりやら、あちこちに貼りついていて、娘を抱っこした私の腕にも、いつの間にかイカのシールがついていました。夫の肩にヒトデのシールがはりついているのを、彼が出勤する直前に見つけましたが、敢えて言わずに見送りました。職場で誰かに言われたり自分で気づいたりしたとき、恥ずかしさののちキュンと楽しい気持ちになれそうな気がして。だけど自転車通勤だから、職場に着く前に、風にとばされてしまったかもしれません。
 体のあちこちに海の仲間をくっつけている娘や、クッションに貼りつき損ねてまるまっているタコさんを見ていると、たまらなく愉快な気持ちになってきて、もっといろんなシールが欲しくなりました。シールがこんなに愉快なアイテムだったなんて。もう随分と前から、シールといえばスケジュール帳に貼ったり手紙の封をするためのものになっていたけれど、そういえば子供のころは、ただただ貼ってははがしまた貼って、貼られたとたんその物体の雰囲気がガラリと変わっていく感じを、純粋におもしろがっていたのだっけ。小学生のころは、先生に提出した宿題のノートや連絡帳にシールやスタンプをもらえると、ペンでマルつけやコメントしただけの日に比べると格段に豪華なごほうびに思えて、嬉しかったなぁ。娘もこれからますますシール好きになるだろうし、壁や家具に貼られるのは困るけど、ぺたぺた貼って遊べるシール、これからは意識して集めよう。
by papiko-gokko | 2011-08-31 23:05 | Diary | Comments(0)

 午前中、網戸ごしに涼しい風が吹き込み、セミの鳴き声が大きくなったり小さくなったりしながら聞こえ続け、事故防止の網をかけた扇風機が弱の力で空気を回して、布団をあげたばかりの畳には娘がぺたんと座っていて、ふわふわ膨らむカーテンを不思議そうに見つめながらおもちゃを口に運び、私はそんな娘の様子をみながら朝の家事をして、洗濯物を外に出そうと網戸を開ければ空の高さに秋の近さを知り、こうして娘と過ごす今年の夏は、もう二度とないのだと思ったとたん、見えるもの聞こえるもののすべてが、儚い幻のように感じられて、柔らかな娘の体をぎゅうぎゅう抱きしめたら、娘はうきゃふぎゃと生えかけの前歯をのぞかせて笑いました。いっぱい成長した夏だったね。八月最後の日となる明日は、七ヶ月検診の予定です。どれくらい大きくなったかな。

 娘を食べてしまいたくなったときは、キスの嵐と、おでこごっつんこと、鼻と鼻すりすりと、それから、ほっぺっぺをします。「おかあさんといっしょ」のともだち8人というコーナーで、キャラクターたちがほっぺとほっぺをひっつけて「ほっぺっぺーほっぺっぺー」と言っていて、それがなんとも可愛くて、私も娘を相手に「ほっぺっぺーほっぺっぺー」と言いながら、ほっぺをひっつけています。娘は喜ぶ時もあれば、うっとおしそうにする時もあり、うっとおしがられるのもまた楽しくて、毎日何度もほっぺっぺします。肌のぬくもりや毛の感触が気持ちよくて、つくづく、哺乳類バンザイと思います。これから寒い季節になると、べたべたひっつきもっつきするのが、ますます気持ちよくなりそう。秋、待ち遠しいです。

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by papiko-gokko | 2011-08-30 21:46 | Diary | Comments(0)

夏祭りとその後


 いつもの友達一家と、近所の夏祭りに行きました。屋台あり、盆踊りあり、子ども神輿ありの、賑やかなお祭りで、去年はちょうど引っ越してきた翌日にこのお祭りがあり、夫とふたりで屋台を見て歩いたり盆踊りを眺めながら、来年もお腹の子と来ようねえと話していたのでした。そのときお腹にいた子は今年、友達が先日持ってきてくれたお祭り用のハッピ衣装を身にまとい、抱っこひもで抱っこされ、あちこちに虫よけシールを貼られて、人生初の夏祭りにでかけました。
 まだ空の明るいうちに会場で友達一家と落ち合い、しばらく広場の階段に腰掛けて、友達が屋台で買ったお菓子を食べたり話したりしました。広場では、浴衣姿の女子やハーフパンツの男子やペカペカ光る腕輪をつけた小さな子供たちが駆けまわり、階段では私たちと同じように、大人たちが腰かけて食べたり話したりしていました。広場に腰掛けたのなんて、一体いつぶりのことだろう。娘が生まれてから、たくさん人のいる場所へ遊びに出かけるということをまったくといっていいほどしていないので、友達とお祭りにいってごく自然な感じで朗らかに食べたり話したりしている自分というシチュエーションに、幸せを感じました。なんだか、あまりに娘とばかり遊び過ぎたせいで、もう自分はどこの世界にも参加できないような気分になっていたみたいです。子供ちゃんも娘もハッピを着ていて、ふたりとも可愛らしくて、一緒にいるだけで楽しくてウキウキして、子供っていいなぁと、しみじみ思いました。
 日が暮れかかった頃、盆踊りの音楽が聞こえ始めたので、やぐらのほうへ行ってみました。やぐらの上では、粋なハッピを着た姉さんが、太鼓と鐘を打ち鳴らし、練習を積んできたらしい浴衣の踊り手さんたちが踊っていました。やぐらの下にはたくさん見物している人がいて、初めは誰も踊っていませんでしたが、お調子者っぽい男性二人が踊り出し、それをきっかけにして、見物していた人がひとりふたりと踊りに加わり、オタマでかき混ぜられたお味噌汁の具みたいに、ゆるやかに少しずつ、盆踊りの輪になっていきました。
 その、ゆるく浮かれて和やかで、どこにも尖っている部分のない空気感にうっとり浸りながら、あぁここにいる人たちの多くはみんな東京であの大震災や余震を経験してそれぞれの生活のなかで不安と闘ってきたのだよなぁと思うと、それでもやっぱり夏には祭りに足を運び提灯の明かりに頬を光らせ踊っている私たち人間の、強さとか、可笑しさとか、悲しさに似た美しさが、大音量の盆踊り曲と共に胸に響き渡り、鼻の奥がつんとして、盆踊りの輪が、惑星みたいに見えました。そのころ娘は迷惑そうに、私の体に顔をうずめて眠ってました。子供ちゃんはお祭り関係の人から画用紙で作ったキャラクターのお面をもらって、嬉しそうにかぶっていました。

 気づけば日も暮れ、盆踊りが中休憩に入ったので、一旦解散してからわが家に集まり、夫が料理を作って、みんなで夜ごはんを食べました。私以外の大人はアルコールの飲みものを、私はノンアルコールビールを飲み、ゆらゆらと会話をしました。友達一家といるといつも楽しいけれど、お祭りの後の集まりは、心がどこか子供みたいに浮かれていて、いつも以上に楽しく感じました。はじめは人見知りしていた娘も、すぐ慣れて、ご機嫌でした。
 大人たちが飲んだり食べたりゆっくりわいわいしている傍らで、子供たちはだんだん眠たくなりながら、それでかえってハイテンションになって、いつも以上に明るく感じる蛍光灯の下、はしゃいで笑って、時間を忘れてお風呂がいつもより遅くなったりして、それに気づいてますます楽しくなる感じ。それはうっすら記憶している子供のころの思い出にそっくりで、新鮮な出来事なのに懐かしく、あぁ人って基本的に、出来事を繰り返すんだなぁと思いました。娘が生まれてから、新鮮な出来事のはずなのに自分の幼いころの記憶とだぶって、無性に懐かしく感じるということが、よくあります。
 ご飯を食べ終わったあと、子供ちゃんと折り紙を使って遊び、もう帰る時間だよとなったとき、子供ちゃんが、「じゃあさ、またつづきできるように、ここに隠しておこうよ」と、ハンガー入れのカゴに、折り紙などその時使っていたおもちゃをそっと入れたのが、たまらなく可愛くて、これはなんとしてもそのままにしておかねばと思いました。最近の子供ちゃんの可愛さは、赤ちゃんっぽさではなく、女の子のそれになってきていて、わぁ私もこんなことした!と思うことが多くて、きゅんきゅんします。次きたとき、果たして覚えているのだろうか。さすがにもう忘れているかなぁ。楽しみです。
by papiko-gokko | 2011-08-29 00:17 | Diary | Comments(0)

娘、娘で日が暮れる


 夫が休みの一日。午前中は夫に娘を見てもらって家事を済ませ、午後は比較的のんびり、娘と戯れて過ごしました。娘は夫が家にいるのが嬉しいみたいで、夫と目が合うたび、にやっと笑って手足をばたばたさせていました。

 お昼過ぎに夫が近所のブックオフへ出かけ、帰ってきてから5分も経たないうちに、少し前まで晴れていた空が急激に黒い雲で覆われはじめ、やばいやばいと慌てて洗濯物を取り込んでいたら、ぼつっぼつっぼつぼつぼつっと大きな雨粒がコンクリートを濡らし、その数分後には、物凄い雨が降り出しました。激しい雨音が家中に響くというより轟いて音の世界を征服し、窓の外をみると、数メートル先が白くかすんで見えないほどの豪雨でした。
 雨音のせいかだんだん眠たくなってきて、寝っころがって娘とだらだら遊んでいるそばで、夫は「耳をすませば」を見ながら、せっせとキャベツを刻み、お好み焼きを焼いていました。休みの日は夫が料理をしてくれるので、大助かりです。お好み焼きは今日のご飯ではなく、放っておくとお昼にろくなものを食べない私のための冷凍ストック用として作ってくれました。助かる!お好み焼きのあとは、圧力なべで煮豚も作っていました。一家に一人料理好きな人がいるというのは、ありがたいことです。明日早速、お昼にお好み焼きを食べよう。
 お好み焼きの焼き上がる香りのなかで娘と遊びつつ、私も「耳をすませば」を観ていました。これまでは見るたび自分の中学時代を思い出して甘酸っぱくなっていましたが、今日は、娘にもやがてこんな時期がくるのだなぁという思いが強く、なんだかハラハラしながら観ました。聖司君みたいな男の子と恋におちたら、その時は教えてほしいな。いや、やっぱり秘密にして欲しいな。バレバレの感じで秘密にして欲しいな。
 
 夫の料理をまだ食べられない娘は、私のつくった離乳食を食べます。七ヶ月になったので、新たな食材を少しずつ取り入れています。昨日のお昼は初めての魚介類、しらす干しをおかゆに混ぜて食べさせてみたら、大喜びで、一口ごとに「うふっ」と笑いながら食べていました。夜は青のりを振りかけたおかゆにしてみたら、これもまた大喜びでした。海の幸が好きなのかな。今日は初めてうどんに挑戦しましたが、これはちょっとゆで方が足りなかったのか、イマイチの反応でした。明日以降、鮭や鶏ささみにも挑戦してみる予定です。

d0038776_23595961.jpg そういえば今日は、ひとつすごいことが。まだ完全なつかまり立ちではないけれど、私が娘の両手を持って体を支えてやったら、自分の足で立つことができたのです。最初、私の膝に手をついて立ちたいようなそぶりを見せたので試しにやってみたものの、てっきりすぐにぐにゃりと座ってしまうとばかり思っていたから、これには私も夫も驚きで、夫が慌てて写真を撮りました。
 こうして動きが活発になり、表情が増え、頭も手のひらも足も大きくなってくると、この赤ちゃん私から産まれてきたのかぁ・・・と、また改めて驚きます。新生児のころは、その小さな体や弱々しさが、たったこの前まで私のお腹にいた子なんだということを実感させてくれていたけれど、今はもう、この子がほんの数か月前までお腹の中にいたなんてうそみたいで夢みたいで、ふりふり動くおしりや寝顔など眺めていると、とても不思議な気持ちになります。
 とにかく動きたくて仕方のない娘は、バランスを崩し前や後ろに倒れてゴチンと頭を打っては号泣し、そのたび抱っこでなだめます。これからますます、目が離せません。
by papiko-gokko | 2011-08-27 00:17 | Diary | Comments(0)

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 昨日から、娘が謎の行動をとります。頭をぶつけても痛くないよう緩衝材を貼ったテーブルの脚に、自らぶつかりにいくのです。ぶつかるといってもゆっくりなので痛くはなさそうですが、ぶつかったあとはしばらくそのままじっとしていたり、額を擦りつけたりして、傍から見ると、落ち込んで自暴自棄になりかけている人みたいにみえます。緩衝材の感触を楽しんでいるのだろうか。ぶつかっても痛くないようにしたとはいえ、ぶつからないに越したことはないのだということを理解させるには、まだまだ幼すぎます。
 ずりはいで動けるようになってから、娘の世界に、壁とかふすまといった、「行き止まり」の存在が加わりました。うごうご動いて壁やふすまに手足がぶつかると、娘はそれをひとしきり蹴ったり引っ掻いたりします。動かないことを確かめているのか、はたまた、ただ単に感触を味わっているのか。テーブルの脚にごちんと頭をぶつけるのも、自分の力で動かせるものと動かせないものがあるということを知った娘なりの、探究活動なのかもしれません。テーブルの脚が自分にとっての行き止まりか否かを、確かめているのかもしれません。

 娘との夕方散歩。毎日のことで、いい加減慣れてもいいはずなのに、人も車も信号も、みんな恐くて、楽しく話しかけながら歩かなければと思いながら、俯き加減の早歩きになります。そんなふうになってしまうのは、娘を守らなければいけないという思いが強いからだと思っていました。しかし、原因はそれだけではないことに気づきました。
 学校だったり会社だったり、どこかに所属しているときには、その立場を原点として、物事との距離を測ることができていました。近所を歩いていても、学生だったころには学生以外、会社に勤めていたころは自分と同じように電車で通勤している人以外、みんな自分とはほとんど関わりのない遠い存在の人として捉え、風景の一部のように見つめて、そうすることで、様々な人と事情が複雑に入り乱れる世界に飲み込まれることなく、淡々と過ごすことができていました。
 けれど、どこにも所属していない今、娘を抱いてふわふわ歩いている私の目には、大人も子供も男性も女性も、この町ですれ違う誰もかれもが、いつか娘を救ってくれるかもしれない、もしくは娘を困らせたり逆に娘が困らせてしまったりするかもしれない、無視できない存在として、熱を帯び立体的に迫ってきます。それと同時に、なにもかもが、私と娘を置いてけぼりにして進んでいっているような感覚にも捕らわれ、恐くて寂しくて、一刻も早く家に帰りたくなります。
 秋には児童館にも行ってみようと思うし、あんよができるようになったら公園にも行って、少しずつ娘の世界を広げていってやりたいと思うけれど、こんなことで、私はちゃんとやれるのだろうか。これからは、母親という立場で向き合う世界との距離感を、身につけなくては。
by papiko-gokko | 2011-08-24 23:08 | Diary | Comments(0)

 娘は今日で、生後七ヶ月を迎えました。日に日に動きが活発になり、身の回りの物への興味関心も留まるところを知らず、手を伸ばし足をくねらせ体をねじり、あらゆるものに触ろうとします。一人遊びも段々と上手になってきて、時折うごうご気の向くままに移動しながら、周りのおもちゃや紙やリモコンを手に取ってはじっくり眺め舐め叩きつけ、私のほうに背を向けて黙々と遊んでいたりします。いつ何を口に入れるか分からないし、どこでコテンと転ぶかもわからないので、そばを離れることはできませんが、常に相手をしていなければ間が持たなかったころに比べれば、随分と楽になりました。
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  動くようになってひとつ困っているのが、家族とスカイプをする時。娘が座れるようになってからは、画面が娘に見えやすいようパソコンを床に置いて通話しているのですが、最近は、パソコンやマウスやウェブカメラに触りたくて仕方ないらしく、手を伸ばしながら前へ前へと移動してしまうので、動きを封じるのに一苦労です。たまにスカイプ中ちょっと娘のそばを離れたときなど、画面の向こうで母が「わーたいへんたいへんー」と叫んでいる声がしてふりむくと、娘がウェブカメラを手に持っていて、画面に娘の鼻の穴のドアップが映っているなんてこともよくあります。
 そこで今日は、以前のパソコンでつかっていたキーボードを娘用に用意して、それで遊ばせながら母とスカイプしました。娘はキーボードの叩き心地が気に入ったようで、スカイプが終わってからも、バシンバシン叩いていました。できれば、ゆくゆくは文章を打つのが好きな子になってほしいから、キーボードと早くからお友だちになっておくのは、いいことかもしれません。目指せ、目にもとまらぬ速さのブラインドタッチでブログ更新する5歳児。

 そういえば、七ヶ月を迎え、ついに、今にも下の前歯が生え始めそうな状態になっているのを発見しました。歯ぐきから、うっすらと白いものが透けて見えるのです。歯が生えそうなのが関係しているのか、今日はおちょぼ口で「ほー、ほー」と、なにかに感心しているような声をだしながら遊んでいました。
 一体、どんな白さに出会えるのだろう。歯の生えた顔、楽しみ!
  
by papiko-gokko | 2011-08-22 23:20 | 月齢ごとの成長記録(長女) | Comments(0)

 どっしゃり雨が降って涼しくなったおかげで、今日は娘がすやすや眠ってくれています。素晴らしい。
 寝がえりを打てるようになってからというもの、娘は横向きで寝るようになり、時々寝ぼけて寝がえりを打ち、目を閉じたままうつ伏せで顔を上げてからハッと目を覚まして泣きだしたりします。仰向けで寝ていたころは、目を覚ましたら絶対おっぱいを咥えさせなければ寝なかったのですが、横向きになってからは、背中をぽんぽん叩いてやると、すーっとまた眠りに落ちてくれることも増えました。仰向けになっているときお腹をぽんぽんしても、それだと逆効果で、ますます泣きだしてしまいます。そういえば新生児のころから、背中やおしりをぽんぽんされるのが好きだったっけ。

 そんなことを思い出していたら、新生児の頃の娘がどんな感じだったか見たくなり、今日、出産してすぐのころや生後1~2カ月ごろに撮影した映像を見て、その小ささ細さにひゃあっと驚ききゅんとなり、ビデオを触ろうと必死に手を伸ばすぷにぷにの娘を抱きながら、この子ってこんなに小さかったんだなぁという愛しさと、こんなに大きく育ったんだなぁという感動で、なんの記念でもない日だというのに泣きそうになりました。手も足も爪もまつ毛もほっぺたの産毛も、じっくり見つめれば見つめるほど、なにもかもが細胞単位で可愛くて、元素単位で愛しくて、この子がこれから成長しておしゃべりしたり算数したりするのかと思うと、あまりに神秘的で、宇宙の謎について考えたときと同じような、眩暈と眠気に襲われます。
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  最近の娘は、リモコンと携帯電話のとりこです。他のおもちゃをいっぱい出してあっても、そばに携帯やリモコンがあると、おもちゃ達には目もくれず、そちらに全力で手を伸ばします。リモコンと携帯のためには、どんな無理な姿勢にでもなろうとします。そうしてリモコンや携帯をめでたく手にすることができると、とりあえずいつものごあいさつをといった感じで口に運んでしまいます。今使っている携帯とリモコンを壊されたら困るので、もう使っていないものをあげていますが、今朝娘の声で目を覚ますと、そばで娘が私の携帯電話をはぐはぐ楽しそうに食べていました。24時間油断できません。もう枕元には置けないなぁ。
by papiko-gokko | 2011-08-21 00:41 | Diary | Comments(0)

 数日前、くだらないことで夫とケンカになり、これまでで最も長時間(1日半だから、30時間ぐらい)口を利かないでいましたが、元々が伝えたがりの私にはそれが苦痛で仕方なく、昨日の夜にやめました。そのころには、もう怒りがすっかり消えていたし、そもそも、口を利かなくなる寸前のケンカで言いたいことは全部ぶちまけているので、口を利かないのはもうほとんどただの意地で、時の経過とともに怒りは冷めて悲しみと虚しさへと変わっていき、そうして悲観的になって落ち込むだけ落ち込むと、今度はなんだか可笑しくなってきて、笑いあいたくなって、我慢できなくなります。
 私の場合、子供のころから家族全体がそんな感じで、どんなに激しいケンカをして口を利かなくなっても、一晩寝たり、学校へいって帰ってきたりすると、なんだかお互いに押し黙っているのが可笑しくなってきて、お腹とほっぺたのあたりがくすぐったくなってきて、どちらからともなく笑いだして、ケンカが終わってしまうのでした。
 しかし夫の場合、子供のころからそうではなかったようで、口論になって口を利かなくなった場合、一週間ぐらい会話をせずに過ごすのが普通で、長い時は一ヶ月話さなかったこともあるそうです。義母も義姉もあんなに朗らかで優しい人たちなのにと驚きですが、でも確かに、義母も義姉も自分と他者の境目がきっぱりしていて依存しておらず忍耐力のある人だから、口を利かない状態になっても、それならそれで一向にかまわないわよと、それぞれの生活を淡々と続けられる感じがします。実際、30時間のあいだ、夫は飄々としてお風呂に入ったりご飯を食べたり出勤したり小説を書いたりなんかしていました。私は、これみよがしに離乳食を大量生産したり、掃除機をかけたり、押し入れの整理をしたりして、口を利かずに怒りを伝えるということに専念していたというのに。
 口を利かなかった日、張りつめた空気を敏感に感じていたのか、娘は妙に大人しくて、私が話しかけているときには夫を、夫が話しかけているときには私のほうを、じっと見ていて、このままじゃいけないなと、胸が苦しくなりました。親がケンカをしているのを見るのは私もすごく辛かったし、娘のためにも、口を利かないようなケンカはしないようにしなければなと思います。口を利かない間、夫は「つまらなかった」と言いました。私は黙ることに必死で途中からちょっと面白かったけれど、とても辛かったです。辛くてつまらない、ケンカはなるべくしたくありません。
by papiko-gokko | 2011-08-19 20:46 | Diary | Comments(0)

 あまりの暑さで、心身ともにへばっています。食欲がわかないのに母乳を吸われまくるので、干からびそうで、麦茶をがぶがぶ飲んでいます。なんだか、血も存在感も薄まっていくような気のする夏です。娘が相変わらず夜2,3回起きるので、頭のすっきりしない毎日が続き、持ち前のマイナス思考に拍車がかかります。しゃんとせねば。

 暑いからといってだらだらしていては、娘が疲れず夜寝てくれなくて困るので、昨日も今日もおうちのなかで、ミニプールにプラスチックのおもちゃをたくさんうかべて、水あそびしました。普段あそんでいるおもちゃを、プールやお風呂に浮かべたとたん、つやつやぷかぷか違った魅力を発揮して、子供のころ、いろんなおもちゃを浮かべてみては、まるで新しいおもちゃに出会ったような興奮を味わったものですが、娘にはまだ、さすがにそういった感覚はないようで、おもちゃよりも、水にぬれたビニールプールのキュムキュムした感触や、下に敷いてあるレジャーシートのたてるガシャガシャした音のほうに興味をそそられているようでした。プールに使っている間、娘は声をほとんど出さず、私もそんなにはしゃべらなかったので、静まり返った部屋に水音だけが響き、なんだか妙に、寂しくなりました。水の音には、散らばっている静寂を吸収する力があるのだな。

 離乳食の時間、昨日ひさびさにパンがゆを食べさせてみたら、ぱくぱく美味しそうに食べました。ミルクではなく水でひたし、バナナとまぜたのが功を奏したようです。もしかしたら娘がきらいなのは、パンではなく、ミルクの味かもしれません。一昨日、赤ちゃん用ボウロをくだいてミルクにひたしたものを与えた時も、だぁだぁ口から出して、ほとんど食べてくれませんでした。娘が与えたものを口から吐き出すなんて、ミルクパンがゆを与えた日以来のことでした。そんな、赤ちゃんともあろうお方が、まさかミルクの味を嫌うだなんて。ミルクを使えないとなると、バリエーションが狭まってしまうなぁ。

 ところで今日は、こんな変な時間(夜7時半)に娘が眠りに入ってしまい、物音で起きては大泣きしておっぱいを欲しがり、夕食の準備もできず、困り果てています。おかげで日記はかけたけど、お腹がぺこぺこです。お風呂もまだだし、どうしたものか。毎日6時半からと決めているお散歩にも行き損ねてしまいました。これでまた深夜おめめぱっちりになったら、しんどいなぁ。生活リズム、こちらがどんなに同じ時間を意識して整えようとしても、娘がこうして奔放な時間に寝たりおっぱいをせがんだりするので、いつまでも整いません。娘と暑さに振り回されっぱなしで、だれかー!と叫びたくなります。あ、また、泣きだした。
by papiko-gokko | 2011-08-18 19:51 | Diary | Comments(0)

ずりばい記念日


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 娘がついに、ずりばいで動き始めました。一昨日あたりまでお腹を軸にしてぐるぐる回っているだけだったのが、昨日から心なしか場所も移動しているようになり、そして今日、後ろに向かってずりずりと、あっという間に1メートル以上移動したのです。びっくりして、大慌てで写真を撮り、ビデオも回しました。その間にも、娘はずりずり移動して、壁のところまで到達してしまうと、ひとしきり壁を蹴ってからぐるぐる回って体の向きを替え、また後ろに向ってずりずりずりずり、真剣そのものの表情で突き進んで(突き退いて?)いました。面白い。そして、すごい!たった半年前にはまだ首も据わっていなかったなんて、嘘みたいな勇ましさです。それにしても、人ってまずは前じゃなく、後ろ向きに進む動物だったのか。

 今日は夫が休みだったので、おむつを買いに3人で赤ちゃん用品店へ行ったら、夏物のセールで赤ちゃん服をお菓子みたいな値段で売っていたので、ずりばいができるようになった記念に、上下分かれた服を数着買いました。これまでずっとロンパースばかりだったから、着せてみるのが楽しみです。
 選び終えてレジへ向かう途中、50~60センチの新生児用肌着が目に入り、あぁもううちの子はこういうの着ないんだなぁと思うと、甘い寂しさにため息が漏れました。これまで、別れという言葉は、距離や関係性が離れることだとばかり思っていたけれど、娘と暮らす毎日は、成長した娘との出会いと、昨日までの小さな娘との別れの連続で、育児はひとりの人間との出会いと別れをこんなにも頻繁に濃密に経験させてくれるものなのかと、驚いています。娘との日々の一瞬一瞬、とにかく全力で大事にしよう。
by papiko-gokko | 2011-08-14 23:46 | Diary | Comments(0)