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日記と短歌


by papiko

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 昨日から、娘のおしゃべりがパワーアップしています。遊びながらの独り言も多くなったし、それに向き合っていると、じっとこちらを見ながら、明らかに、彼女の内側にあるなにかをこちらに伝えようとしてしゃべってくるのです。意味のある言葉でなくても、表情や声色や語調から、嬉しいのだなとか、得意になってるなとか、怒っているなとか、退屈しはじめたんだなとか、そろそろ眠いんだなとか、なんとなく感じとることができて、そうなるとまた改めて、私は私じゃない別の人間を産んだのだということを、実感します。抱っこでねんねさせているときや、おっぱいをやっているときは、娘が自分という存在の一部のように思えるけれど、溌剌としておしゃべりする娘は、私とは完全に別の人格をもった人間です。
 「あくぁ」「ふちゃあ」「ぷぶう」。今にも言葉になりそうなご機嫌なおしゃべりは、なんとも不思議で可愛くて楽しくて、言葉の手前の魅力的な響きに、ぐいぐい惹き込まれていきます。今はまだ意味を持たない呪文みたいなこのおしゃべりが、卵白からだんだんとメレンゲになっていくみたいに、少しずつ少しずつ、意味を持つ言葉の会話へと、姿を変えてゆくのだろうか。言葉の始まりを目撃できるなんて、すごく楽しみ。

 昨日は遅くまで寝てしまったせいか、娘がほとんどお昼寝してくれなくて、やろうと思っていたことがなかなかできず、夫が帰ってきてから、やりたかったこと(コタツと毛布をしまうこと、上に収納していた重たいものを下に移動するという地震対策、本棚の地震対策)を一気にやったら、それが夫のやってほしかったこと(テーブルの上の片付け、ご飯の支度)と食い違っていたようで、ケンカになって寝る直前まで口を利きませんでした。怒りながら食事の用意はしたものの、あまりにも腹が立っていたので、自分は食べずに夫ひとりで食べてもらい、わざとその間に娘をお風呂に入れたり部屋を片付けたりしたら、どっと疲れました。娘はけろっとして、うんちしたりぐずったり遊んだり寝たりしていたけれど、そのうちケンカしていることがわかるようになったら、悲しむのだろうな、やっぱり。
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 今日は朝8時に起きて、手足の体操をしたあと、いつものように寝がえりの練習をして、ごろんとうつ伏せにしたら、いきなり頭をしっかり持ちあげて、びっくりしました。これまでうつ伏せにしても、なかなか頭をあげることができなくて最終的に泣いて終わりだったのに、今日はうつ伏せにした瞬間から、平気な顔で頭を持ち上げていました。一体これは、どういうことだ。赤ちゃんというのは、努力の末に段々とではなく、昨日までまったく出来る気配のなかったことがある日いきなり出来たりするから、本当にびっくりします。おっぱいに筋肉増強剤の成分でも含まれていたのかと思うくらいです。

 午後、抱っこしていないとぐずるモードの娘を抱いて、あぁこれからどう過ごそうかとぼんやりしていたら、友達が、貸してほしいとお願いしていた本を届けに来てくれて、友達と子供ちゃんと、一時間ほど遊びました。子供ちゃんがくると娘の表情が生き生きして、子供ちゃんの動作を、興味津津の目で見つめます。自分に近い生き物だということが、本能的にわかるのだろうか。ここ一週間、夫のいない時間はひたすら娘とふたりべったり過ごしていたから、友達親子のおかげで抑揚のある一日になって、よかったです。来週は、ひきこもってばかりいずに、ちょっとずつお散歩にでたりしよう。
by papiko-gokko | 2011-04-29 23:45 | Diary | Comments(0)

 部屋がむし暑くて、窓を開けたら夏の匂いがしました。つかの間の春、もう終わってしまったのか。寒い寒い時期に生まれて、いつも毛布にくるまれていた娘は、今日涼しげな半袖を着て、ぷくぷくの手足を元気にバタバタさせています。大きくなったね。

 今日は夫が午後出勤の日で、午前中にミネストローネを作ってくれました。野菜を細かく切るのが好きという夫は、かぼちゃやにんじんや玉ねぎを、てきぱきリズミカルに刻んでいました。彼に言わせると、私のみじん切りはみじん切りではないのだそうです。包丁とかカッターとかハサミとか、器用に慎重に扱わなけらばならない道具って、子供のころから苦手だなぁ。夫はミネストローネを作り終えると、包丁をカッターに持ち替えて、今度はせっせと消しゴムハンコを彫っていました。夫が刻んだり掘ったりしている間、私は掃除をしたり洗濯を干ししたりおっぱいをやったりして、あっという間に時間が過ぎていきました。

 午後、ぐずりだした娘を抱っこひもで抱っこして家中を歩き回りながら、大地震が起きた場合に物が落ちてきそうな危険なところを見つけては、あれこれ対策を練っていました。東京で暮らし始めてから地震のことは常に頭にあって、背の高い家具にはすべて突っ張り棒をしたりなど自分なりに対策していたつもりでしたが、震度5強の揺れを体験してから改めて家の中を見てみると、まだまだわが家は危険だらけだということがよくわかりました。高いところに重たいものを置かないようにしたり、耐震マットや飛び出し防止の金具をつけたりして、出来る限りのことをしなくては。
 あれこれ考えながら歩いているうちに娘が寝ていたので、抱っこひものままバウンサーに降ろし、今度は非常用持ち出しリュックのチェックをしました。このリュックに関しては引っ越しのたびに中身を確認しており、この前の地震直後にも一度中身を出してみましたが、その時は私も夫も完全に気が動転していたので、結局なにが足りなくて何が不要なのか、確認しないまま元に戻してしまいました。今日はそうならないように、ネットで見つけたチェックリストを参考にしながら必要なものをノートに書きだして、すぐに入れられるものはリュックに入れました。初めて準備したときは一人暮らしだったけれど、今は3人家族でしかも一人は小さな子供なのだから、必要なものの質も量も変わってきています。地震が起こりやすい状態になっているというし、とにかく、揃えられるものは揃えて、思いつく限りの対策をして、日常から少しでも恐怖感を追い出したいです。

 そうこうしているうちに日が暮れて、洗濯を取り込む音で娘が目覚め、それからしばらくお話したり、絵本よんだり、ガラガラつかませて遊んだり、抱っこしたり、ひざにのせてご飯を食べたりしました。なんだか、こんなメリハリのない生活で、いいのだろうか。娘の眠気と空腹感と機嫌によって、ずるずると私の行動が決まっていきます。教育的観点からみたら、私と娘の日常は、きっと間違いだらけなのかもしれないけれど、まぁ、いいか。いずれ幼稚園に入れば、嫌でもメリハリ生活が始まるのだから、それまではふたりでずるずるべたべた暮らそう。先ほど、ずるずるべたべたお風呂に入れて、おっぱいをやって、今はバウンサーで、ひゅごーんひゅごーんと小さないびきをかきながら寝ています。ベビーベッドでは、相変わらず寝てくれません。あ、起きてしまった。今日の日記はここまで。
by papiko-gokko | 2011-04-28 21:38 | Diary | Comments(0)

 時おり強い風の吹く、春らしい一日。夜中に最近では珍しく3回授乳があり、正式な起床は9時でした。窓のすぐそばで会話をしていた子供たちの声で目をさましました。いつも、数分間ものすごく騒がしくなってからぴたっと静まるので、幼稚園へいく子供たちがマンションの前あたりに集合しているのではないかと思います。
 横を見ると、娘も目を覚ましていて、うぐううぐうと短い手足をつっぱり伸びをしていました。体を起こし、おはよーと娘の顔をのぞき込んだら、私に気付いた娘は、にぱぁと、目を細めて笑ってくれました。寝起きに見る娘の笑顔はまた格別です。ああこの可愛い子と今日も一緒に過ごすんだなぁと、まどろみのなかに甘ったるい現実が流れ込み、ふふふと笑いながら、娘を抱き寄せたら、おむつから、夜中たっぷりしたおしっこのかおりがしました。
 おむつを替えて朝のおっぱいを飲んでからも、娘はご機嫌で、「あぷう」とか「あくう」とか、自分の握りこぶしに向かっておしゃべりしながら、ベビーベッドにぶら下げてあるフェルトおもちゃを掴んだりして、ひとりで遊んでいました。おかげで、掃除機をかけたりペットボトルをつぶしたりという、いつも途中で中断してしまいがちな作業を、午前中のうちに一気に終わらせることができました。
 午後、少しねんねしてからまたご機嫌になったので、母とスカイプで映像通話をしました。最近、母とは毎日のようにスカイプしています。家族閲覧用のウェブアルバムに写真も日々アップしていますが、リアルタイムで動く姿というのは、可愛さが全然ちがうのだそうで、スカイプって素晴らしいと、毎回言っています。娘の表情や動きを見ていると触りたくてたまらなるらしく、思わず画面を触ってしまうそうです。今日も「あぁ、感触も味わえるシステムが開発されればいいのになぁ!」と言っていました。6月には母が帰国し、私も2週間ぐらい帰省するつもりでいるので、そのときしっかり、味わってもらおう。人の顔が大好きな娘は、画面の母の顔に向かって笑顔をふりまき、母をメロメロにしていました。
 娘が飽きてぐずりだしたのをきっかけにスカイプを終え、抱っこひもの抱っこで再びねんねしました。いつもすぐには寝てくれないので、お昼のねんねにはふたりだけの儀式があります。まず、抱っこひもで抱っこをしてから、メリーのすぐ近くに寄って立ち、娘が手を伸ばしてまわるメリーのぬいぐるみに触れる(というより、ひっぱたく)という遊びを、5分くらいします。そして娘がほどよく疲れて満足してきたなと感じたらメリーから離れ、おしりをぽんぽん叩いて歌いながら、家中を歩きまわります。だんだん娘の目がとろんとして体の力が抜けてきたら、今度は全身鏡の前に立ち、鏡で娘の顔を確かめつつ、体をゆらゆらさせます。すると、鏡の中の娘の顔が、だんだんと私の胸にうずまってきて、目を閉じ寝息を立て始めるのです。寝たと思ってすぐに降ろすと怒って起きるので、寝てからも5分ぐらいは抱っこひもの状態でいて、寝息の感じから眠りが深いところに到達したのを確認してから、抱っこひものままそうっとバウンサーに降ろすと、30分くらいはそのまま眠ってくれます。この儀式を、一日に少なくとも3回は行ないます。
 ねんねから起きて、おっぱいを飲んでまたご機嫌になり、ガラガラを持たせたり、うつ伏せにして頭を持ち上げる練習をしたり、赤ちゃん向けの絵本をよんでやったりして、夫の帰宅を待ちました。娘とそうして遊んでいると、娘の温もりや柔らかさが、意識にもったりのしかかってきて、気だるく眠たくなってきます。
 目を擦りながら遊んでいるうちに夫が帰宅し、少しぐずり始めた娘におっぱいをやってご機嫌期限を延長させてから、キッチンにバウンサーをもってきて座らせ、夜ご飯をつくりました。ご飯をつくるのは相変わらず苦手ですが、主婦として、母として、なんとか克服せねばなりません。今日はけんたろうレシピを見て、レモンとトウガラシの効いた、鶏肉と玉ねぎの炒め物をつくりました。出来上がりはこれまで食べたことのない不思議な味だったけれど、たぶん、それなりにおいしかったんじゃないかな。明日は夫がミネストローネとつくってくれるというので、幸せです。私がレシピ通りつくる料理より、夫が彼のセンスでもってつくる料理のほうが、どうしたっておいしく楽しく戴けるもの。
 夜ごはんのあとはお風呂に入れたりなんだりして、先ほど、ようやく娘を寝かしつけることに成功し、日記を書いています。あ、起きました。つかの間だったなぁ。でも書けてよかった。2日以上書かない日が続くと、書くのがしんどくなるので、なるべく毎日書きたいです。
by papiko-gokko | 2011-04-27 23:47 | Diary | Comments(0)

 今日は娘の人生初となる予防接種の日。ひさしぶりに目覚ましをセットして、8時きっかりに起きました。予約をした近所の病院は9時からなので、朝一で行こうと決めていたのです。授乳をしておむつをかえて、午後出勤の夫も一緒に、3人で出発しました。
 9時ちょっと前には病院へ到着し、熱を測ったり問診票を書いたりしていたら、すぐに呼ばれました。そのとき夫が抱っこしていたため、流れで夫が娘を抱いて診察の椅子に腰掛けたのですが、服を胸の音と喉の状態を診てもらい、いよいよ注射となったとき、まだ注射を構えてもいないのに、夫が怯えきった表情で娘の腕から顔をそむけていて、これは私が抱っこしているべきだったなと後悔しました。そういえば彼は注射や血にとことん弱い人なのでした。親がそんなあからさまに怯えて目を背けたりしたら、子供も余計に恐がってしまいそうです。
 まだ注射が恐いなんてことわからない娘は、腕をぐわりと看護師さんに出されて少し無理な体勢になったことに対して怒って泣きだし、チクリと注射を刺された時も、怒りの泣き声を響かせていて、その力強さに、思わずちょっと噴き出してしまいました。いよいよ、外の世界で生きていくための準備が始まったね。大声で泣いた娘はしかし、注射を終えて衣類を整えるころにはもう、ケロッと泣きやんでいました。
 万が一副作用がでたときのために30分くらいは院内にいなければならず、娘を抱っこして待合室にいたら、ちょうど娘と同じくらいの赤ちゃんをつれたお母さんがやってきました。看護師さんとの会話から、同じ3カ月の子で、予防接種を受けにきたのだということがわかり、あぁあのお母さんとお話ししたいな・・・と心の中で思いつつ、ポスターを眺めたりなどして無関心を装いました。赤ちゃんは、髪の毛くりんくりん、ほっぺたぷくぷく、桃色のお洋服に黄色いソックスをはいた、可愛らしい女の子でした。その赤ちゃんもすぐに診察室へ呼ばれ、ちょっとしてから力強い泣き声がして、それからケロッとした顔で待合室に戻ってきました。その子も娘と同じようにお母さんに抱っこひもで抱っこされて、娘とよく似たくしゃみをしたり、娘と似たようなぐずり方をしてお尻をポンポンされながらあやされていて、あぁおんなじなんだなぁ・・・と、こっそりほのぼのしました。
 30分たって、次回の予防接種の説明を受けてから、自分たちが受けた予防接種の思い出など語り合いつつ3人で帰宅。医院で出会ったくりくり赤ちゃんのおかげで、もうソックスをはかせていいんだということがわかったので、娘にもお祝いでもらった靴下をはかせてみました。小さな足を包み込む小さな靴下、可愛い!娘もまんざらではないといった様子で、足をしきりに動かしていました。
 靴下をはかせたまま、娘におっぱいをやって、それから抱っこひもで寝かしつけ、今はベッドで寝ています。靴下をはいたまま、ころんと寝ています。今日は疲れて、よく眠りそうだなぁ。
by papiko-gokko | 2011-04-26 17:21 | Diary | Comments(0)

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 今月22日で、娘は三カ月になりました。明日いよいよ、人生初の予防接種を受けに行きます。先週ひいた風邪も無事治り、つやつやした顔に様々な表情を浮かべながら、おっぱいを飲んで、うんちをして、泣いて遊んで眠る、平和な毎日を送っています。
 この一週間で手の動きが活発になり、手に触れたものはなんでもぎゅっと掴みます。私はよく髪の毛をひっぱられてイテテと声を上げ、昨日は夫がパーカーのひもを掴まれて身動きとれなくなっていました。抱っこひもで抱っこしていると、眠たそうにぐずりながら服の袖をぎゅうっと掴んできたりして、甘えられている感じがたまらなく可愛く、肩に食い込む重みなんてふっとびます。
 手が動くようになるにつれ、本人も、手という存在を改めて意識しはじめているらしく、片方のこぶしを舐めながら、もう片方の手を目の高さに掲げて哲学者のような目で見つめていることもあります。声と手足を最大限に使った自己主張の種類も増えてきて、大変だけど愉快です。

 先週金曜日には、東京に住むいとこのところへ来た叔母が、いとこと一緒にわが家へ訪れ、娘と初対面しました。それから昨日は、義母と義姉と姪っ子がきて、義母と義姉の作ってきてくれたお洒落で美味しいごちそうを、賑やかに頂きました。叔母に対しても義母に対しても、最初娘は少し泣き、だけどしばらくあやしてもらううちにうちとけて、ご機嫌になっていました。これからだんだんと、人見知りが始まるのかな。
 夫と二人暮らしのときは、人が来ることなんて年に数えるほどだったのに、娘が生まれてからというもの、ぐんとお客さんが増えました。いつもふたりで過ごしているから、人が来てくれると私にとっても娘にとってもよい刺激を得られてありがたく、前日から出来る限り念入りに掃除をして、うちにあるなかで一番おしゃれなカップを出して、夫に買ってきてもらったお菓子をお皿に並べて、そわそわと待ちます。それから楽しい時間を過ごして、さよならしたあとは、明るく心地よい疲れとともに、ぼやんと小さなもやもやも抱えます。あのときお代わりを出すタイミングはどうだっただろうかとか、紅茶より珈琲だっただろうかとか、今更考えても仕方のないいろんな自分の行ないを、振りかえってはくよくよするのです。
 私は、他者と交流を持っている時の自分に、どこまでも自信がないのだと、ここ何度かの訪問で、気づきました。私の入れるお茶はきっとまずいんだろうな、私の出すお菓子はきっとダサいんだろうな、と、思うから、それが表面に出て、おどおどしてしまいます。今までは私ひとりの問題だったけれど、これからは娘も一緒にお客さんを出迎えるわけで、もう少し大きくなれば、私のおどおどだって伝わってしまうのだろうから、しっかりしなくては。他人に対していつもおどおどしているお母さんなんて、いけないいけない。
 日曜日、姪っ子と娘のツーショットを撮るためにふたりを並ばせたとき、姪っ子が娘の顔の目と鼻のあたりを、まったく悪気なく、手のひらでぐしゃしゃってやったとき、私は内心凍りつきながらも、自分に自信がないばっかりに、へらへらしてしまって、娘を守れませんでした。義母も義姉もしっかりした人だから、すぐに「そんなことしちゃだめ」と注意をしてくれたけれど、私がへらへらしていたから、姪っ子は楽しいことなんだと思って何度もしました。私が、へらへらせずに「痛いからやめてあげてね」と言えば、義母も義姉も、もっときつく叱ってやめさせてくれたはずだし、姪っ子だって、意地悪でしているわけではない(むしろ可愛がろうとしている)のだから、悪いことなんだとわかって、やめたでしょう。
 娘は別に泣かなかったけれどびっくりしていて、あとからその時の写真をみて、あぁ私はお母さんとして実に情けなかったなぁと、悲しくなりました。私の態度が、娘や娘を取り囲む人々に影響を与えるのだということを、肝に銘じて生きないと、これからもっともっと娘には、いろんな人との出会いがありいろんなことが起こるのだから、私がしっかりしないと。
by papiko-gokko | 2011-04-25 22:04 | 月齢ごとの成長記録(長女) | Comments(0)

 春の陽射しに気が弛み、母子そろって風邪をひいてしまいました。私は一日喉の痛みがあっただけで今はほぼ完治していますが、娘の方はまだ鼻をぐじぐじいわせていて、心配です。6カ月未満の赤ちゃんはお母さんから免疫をもらっていて強いので基本的に風邪をひかないのだけれど、そのお母さんが風邪をひいてしまうと、ひとたまりもないそうです。可哀そうに、お母さんが春に浮かれて、薄着で過ごしたばっかりに、ごめんよ。
 幸いなことに熱はなく、咳もたまにちょっとでる程度で、顔色もよく、しっかり眠りおっぱいもいつも通り飲んでいてご機嫌なので、病院へは連れて行かず、家で様子をみることにしました。寝ている時に時おり鼻がぐびびと呼吸が苦しげになるのが可哀そうで、鼻に蒸しタオルを当ててやったり、専用スポイドで吸ってやったりしているものの、大人のように自分の力で出せないから、なかなかすっきりとはいきません。
 加湿器がじゅわじゅわ湯気を立てる小さな部屋で、娘の鼻をぬぐっていると、母乳をやっているときとはまた少し違う、熱くてどろりと濃厚な繋がりを感じ、自分と娘の境目を見失います。まったく、鼻も自分で拭えない生き物を育てているこの時間の、なんと特殊なことか。来週火曜には初の予防接種である三種混合の一回目も予約したところだし、これ以上ひどくならないことを祈るばかりです。今、あったかくしてとてもいい子で寝ているし、きっとどんどん良くなるはず。

 娘のことに夢中になるあまり、最近の私は夫のことをぞんざいに扱ってしまっているらしく、そのせいでよく険悪なムードになります。実際、今の私は娘のことでいっぱいいっぱいで、夫のことにまで頭が回りません。それでいて、ふたりでいたころよりもずっと、いつも夫の帰りを待ちわびています。夫が帰ってくると、体中の力が、ほっと抜けます。娘とふたりで過ごしながら、夫が帰ってきたら話そうと思っていることが毎日たくさんあり、それなのに、いざ食卓につくと、テレビを見入る夫に苛立ってきて、だんだん何を話したかったんだかわからなくなります。夫のいないときにはひとりでなんとかやっていることも、夫がいるとつい頼りたくなり、手を貸してほしい時に思うようにしてもらえなかったりすると、何か重大な裏切りでも受けたかのように絶望的な気分になって、腹を立ててしまいます。
 夫の目から見て、今の私には心に余裕がないそうで、もう少しどんと構えてほしいと言われました。確かに、余裕なんてどこにもありません。娘が良い子で寝てくれて、たまにふと、夫とふたりの時間が訪れると、大事につかわなければと思うのに、おっぱいのケアやらお風呂やら、他にもやることがいろいろあって、夫とのんびりする時間はどんどん後回しになってしまいます。娘が生まれる前と生まれてからでは、なにもかもが変わって、どうしたって同じようにはいかないみたいです。娘が生まれるまえのふたりの生活はとても愉快で快適だったけれど、今となってはそれがどんなふうだったのかを具体的に思い出すのも難しいし、前とまったく同じようにしようとするとどうしたって無理が生じてしまうから、今の生活にあった心地よい関係をふたりで見つけて、だんだんと慣れていかなければなぁと思います。
 夫との関係に限らず、娘が生まれる前と、生まれてからでは、本当になにもかもが、私のなかで変化しました。人生が、人の子として生きてきた過去と人の親として生きる今という、ふたつにはっきり分かれ、その間には妊娠期間という太い川が流れていて、今はもう、過去という向こう岸を、異国の地平でも眺めるみたいな遠い気持ちで、眺めています。これまでとはまったく別の、あたらしい大地に立っている今、どんなふうに生きていくのかを、いま一度考えてある程度の方針とか理想を定めないと、どんと構えて生きるのは難しそうです。だけど今、そんなことじっくり考える余裕も、ないなぁ。育てているうちに、だんだんと見えてくるものなのだろうか。
 娘が生まれてから今日まで、とにかくその時その時を恐る恐るなりふり構わず進んできて、背後にはわけも分からないまま土壇場で脱ぎ捨てたものがそのままぐしゃぐしゃに転がっているような感じで、だからここらで一度、机で用紙をトントンと揃え整えるみたいに、自分の状態を、トントンと、揃え整えたい気分です。そのためにもまずは、私と娘の風邪を完全に治さなくては。
by papiko-gokko | 2011-04-21 15:12 | Diary | Comments(0)

 バウンサーをキッチンへもってきて、これまでベビーベッドで泣かせたまま大急ぎでやっていたキッチンでの家事を、洗濯を干す時と同じように、娘に見せながらマジシャン風にやってみたら、娘が喜んでくれました。少し前までこうはいかなかったので、日に日にものへの関心が高まってきている証拠なのでしょう。とてもありがたい成長です。「ほらぁ、ビールのグラスー!」「みてみて、いびつなにんじんー!」と、なにか手に取るたび娘のほうを振りかえって見せながら、今にも踊りだすような足取りで、ご機嫌に作業を進めていると、娘もどんどんご機嫌になって、「あふう」「ひゃえい」「とぅうあ」と、しきりに話しかけてくれました。特にニンジンを見せた時には、テンションが跳ね上がっていました。見せながらの作業は時間はかかるけれど、泣き声を聞きながら焦ってやるより、ずっといいです。あまりに泣くので、その状況の甘えてこれまで料理はほとんど夫にやってもらっていましたが、これからは娘とともにがんばろうと思います。
 赤ちゃんの心を掴むコツは、生活のなにもかもを遊び発掘の場と捉え、おもしろいものないかと常に五感を研ぎ澄まし、全身全霊を注いでパフォーマーになりきることなのだと学びました。NHK教育の幼児向け番組には、素晴らしいパフォーマーが揃っていて、次々に子供心をくすぐりそうなパフォーマンスが繰り広げられるので、大変勉強になります。娘が目を見開くと、私のなかでも何かが花開き、楽しくて仕方ない気持ちになります。娘にとって最高のパフォーマーになれるよう、日々探究心を持って暮らそう。

 一昨日の餃子パーティーで、ひとつ印象にのこった会話がありました。実家というものについてです。私以外の誰もが、「実家」を心地よい場所として捉えていたことに、驚きました。子供のいる友達は出産で実家に帰った時、家に戻るのが憂鬱で仕方なかったそうです。私は出産で帰らなかったし、帰ったとしても、そうはならないでしょう。
 私にとって実家は、今住んでいる家以外で、当たり前に帰ることのできる唯一の場所であり、思い出のつまった、かけがえのない大切な大切なものですが、だけど、そこが自分にとって居心地のよい場所なのかということになると、考え込んでしまいます。父の転勤やら子供たちの大学進学やらで、実家とはいえ全員がそこに揃って暮らしていた期間は案外と短く、祖父母を覗いて常に住んでいる人が少しずつ変化し続けている家だから、家全体がなんとなく雑然としていて、落ち着ける場所という感じではないのです。
 それに、例え両親が常に実家にいたとしても、実家で長期間一緒に過ごしたいかというと、それもまた、考え込んでしまいます。両親のことは疑いようもなく愛しているけれど、愛しているからこそ、平和に愛し続けるために、常に少し距離を置いていたいというのが、正直な気持ちです。父も母も私も感情の起伏が激しいので、一緒にいるとつい苛立ってケンカになりやすく、誰より大切にしたい人なのにうまく大切にできなくて、むしろ傷つけあってしまって、そんな自分がもどかしく、疲れてしまいます。大学進学で親元を離れた時、どうしようもなく寂しかったけれど、同時に、実家にいた時には得られなかった静かな心を手に入れて、少しほっとしている自分がいました。離れて暮らしていれば、些細なことで無駄に傷つけあうことなく、穏やかな心で互いを想いあっていられます。
 愛していることと、一緒にいたいと思うこととは、私の場合、必ずしも、イコールで結ばれません。身近にいる人を正しく大切にするということが不得意なせいで、家族を含め、愛している人とは少しだけ距離を置いて暮らしたいと感じる私が、それでも絶対に離れたくないと感じる夫と娘は、むしろ特殊な部類なのかもしれません。愛しているのに一緒にいたくないって、自分勝手で寂しいことのような気もして、心の奥がちくっと痛むけれど、自分が人生を共にすることで幸せにできる人と、そうでない人がいて、今私にとって、幸せにできる人は、娘と夫なのだと思います。自分がそばにいても幸せにできるわけではない人とそばにいてその人生に寄り添うのはむしろ苦しく、だから、離れていくのかもしれません。そして、離れているからこそ、いつだって幸せでいてほしいと願う想いは切実です。遠くにいてもいざというときにはとんでいくから、それを自分のなかで約束することで、離れて生きていることの痛みを、今は薄めることにします。ああ、なんだか書いているうちに、大げさな内容の話になってしまった。

 昨日、娘を抱っこひもで抱っこして、近くの赤ちゃん用品店へいき、そこではじめて、節電の現状を見ました。今、東京のお店は、あんなに暗いのか。「こんなの東京じゃないみたい、ショック、悲しい」と言ったら、「そうかな、むしろ新鮮で楽しいけど。でも田舎の人はそうかもね。」と言われました。何年東京に住んだところで、生まれながらの都会っ子と同じ感覚では生きられないようです。「死にたいくらいに憧れた花の都大東京~♪」と口づさみながら荷づくりした、憧れの東京。東京にはやっぱり、キラキラギラギラ、輝いていてほしいと、思ってしまいます。でももう、そんな東京には戻らないのかな。恐ろしいことが起こった以上、時代が変わったのだと、受け入れるしかないのかな。
by papiko-gokko | 2011-04-19 16:46 | Diary | Comments(0)

 バウンサーにのせていた娘が、洗濯物を干すのを眺めながら、いつの間にやら眠っていました。抱っこもおっぱいもなしでねんねするなんて、すごいことです。これも成長のひとつなのだとしたらありがたいのだけど、今日ひとりで寝てくれたのはそれ一度きりで、あとはぐずぐず泣いては抱っこの繰り返しでした。きっとただ単に、ものすごく眠かっただけかな。
 娘は新生児のころから、洗濯物を眺めるのが好きです。最近は洗濯を干す時いつも、娘をバウンサーにのせて、洗濯かごから「次はなにかななにかなー」と、マジシャンみたいに勿体ぶりつつ洗濯物を取り出して、娘の目の前で「これはパパのシャツ!」「これはくつした!」と、おおげさに開いたり揺らしたりしながら干します。娘は目を大きく開いて、洗濯かごから取り出される様子や、ぐしゃっとしていた服がぱっとひらく様子や、洗濯バサミに吊るされる様子を、興味深そうに見つめています。大きめの洗濯物は特に楽しいようで、バスタオルや夫のYシャツなど干すと、にやにや笑いながら見ています。
 娘が楽しそうに見てくれるから、私も洗濯を干すのが好きになりました。遊びのひとつのような気持ちで、娘と一緒になってわくわくしながら干します。この調子で、いろんな家事を遊びのようにできれば、毎日が楽しくなりそう。

 昨日はいつもの友達一家と、もうひとり大学時代の友達がきて、みんなでわいわい、餃子パーティーをしました。地震の日、うちで一緒に過ごしてくれた友達一家への感謝を込めて、近いうちにわが家で餃子パーティーをしようじゃないかと話しており、昨日久々に遠くの友達も遊びにくることになったので、この機会にぜひ実現しようと、盛大にやりました。
 餃子は夫がせっせとつくりました。私が手伝うと味が落ちるので、手伝わせてもらえませんでした。夫の餃子の包み方は、冷凍餃子のように美しいので、驚きます。美味しい餃子でおなかいっぱいになって、友達といろいろ話しけらけら笑い合えて、とても満ち足りた一日でした。幼稚園に行き始めてまたちょっとお姉さんになった子供ちゃんと触れ合ったり、子育てに慣れている友達に体操遊びをしてもらったり、夫よりぐんと背の高い友達の旦那さんに高い高いしてもらったり、お母さんとはまったく異なる麗しい色と匂いを纏った友達に抱っこしてもらったりして、娘は大いに刺激を受けたことでしょう。夜はぐっすりたっぷり眠ってくれました。
by papiko-gokko | 2011-04-18 23:46 | Diary | Comments(0)

成長


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 昨日娘の抱っこぐずりがいつにも増して激しく、これは新たな成長の前触れかも・・・と思っていたら、今日突然、ガラガラをしっかりと手に持ち、しかも自分で振ったりできるようになっていました。なぜだか毎回、なにか目覚ましい成長のある前日は、やたらめったらぐずって泣くのです。もうすぐできそうな何かを目の前にすると、歯が抜ける直前みたいに、イライラ歯痒いのだろうか。
 できるようになっているのに気づいたのは、今朝、ベビーベッドで朝のお世話をしていた時。顔を拭くためそばに置いていたガーゼをぎゅっと握りしめていたり、気温が下がったら着せようとして出したベストの裾をぎゅっとつかまえたりして、いつも以上に手の動きが活発だったので、これはもしかすると・・・と思い、少し前までは持つことのできなかったガラガラを持たせてみたら、指先に力を入れて、ぎゅっと握ってくれたのでした。振ったら音がでるということが、「楽しい」「おもしろい」に繋がっているのかどうかはまだ微妙なところですが、自分でゆっくり振りながらガラガラのほうを見たり、口にもっていったりしているので、自分が握って動かしているということを、きちんと自覚はしているようです。すごいすごい!

 あたらしい成長が嬉しくて、娘を思い切り高い高いしてやったら、すごく喜びました。視野がぱっと変わるのが、楽しいみたいです。いないいないばぁでは、まだ少しにやっとする程度で大喜びはしないけれど、高い高いをしたあと、私の顔の位置まで娘を降ろし「ばぁ!」と目を会わせると、うひゃっと声を立てて笑います。
 最近たっちの真似事も大好きで、座って縦抱きしているとしきりに両足をつっぱって立とうとするので、娘の両脇を抱えて支えながら私の膝の上に立たせてやると、私の膝の上で、ふんふん鼻を鳴らして得意げにしこを踏みます。よだれ対策にスタイをつけているので、写真をみた義母が「金太郎さんみたい」と言っていました。
 たっちの真似事もいいけれど、歩けるようになるのは、まだまだ先のこと。まずは完璧に首がすわってから、寝がえりとはいはいがんばらなければ。だけどうつ伏せは嫌いみたいで、ひっくり返された亀みたいに手足をじたばたさせながら、ふぎいいいと怒って泣きだします。腕の力より、足の力の方が、強い子なのかな。私ははいはいをしまくる子だったそうで、今でも腕の力が強いです。でも歩くのは遅かったみたいです。娘は果たして、いつ頃どんなふうにできるようになるのだろう。

 成長したのは、娘だけじゃありません。私も、ようやく抱っこひもを使いこなせるようになりました。これまでずっとうまく使えなくて、抱っこひもで抱っこするたび泣かれていたのですが、昨日、ついに抱っこしながらにこやかに目を合わせることに成功し、そのまま寝かしつけるというところまでマスターしました。抱っこひもで寝てくれた場合、抱っこひものままベッドやバウンサーにおろし、そっと自分の体から紐をはずすと、そのまま起きずに寝てくれるので、大助かりです。今もその方法で寝かしつけ、こうして日記をかけています。さらなるテクニックの向上を目指して、がんばろう。
 それから、夫も成長しています。夫の成長は、もっぱら手芸です。鈴の入ったカラフルサイコロに続いて、手にはめるタイプのガラガラや、押すとプープー音の出るおもちゃも作ってくれて、娘のおもちゃ箱のなかで、夫の手作りおもちゃ率がどんどん高くなっています。ガラガラの中に入れる鈴や、プープー音の出るもの(プラスチック製の、平べったい醤油さしみたいなもの)が、手芸屋さんに売っているなんて、知りませんでした。鈴もプープーもたくさん買ってきてあるので、まだまだ作る予定があるみたいです。フェルトもいいけど、お口に入れても大丈夫な、洗える素材のも欲しいなぁ。でもあまのじゃくの彼は、リクエストをすると作ってくれなくなるので、あまり口を挟まないでおこうと思います。あ、マジックテープのおもちゃも欲しいな。指人形もあと7個ぐらい作ってほしいな。パペットも欲しいな。
by papiko-gokko | 2011-04-16 17:05 | Diary | Comments(0)

 体重の増加に比例して、どんどんだっこ大好きっ子になっていく娘。よほどご機嫌な時以外は、抱っこしていないと怒って泣きます。寝たなぁと思ってバウンサーやベッドに寝かしてみても、数分と持たずに泣き出します。片手に娘を抱きながら、子育て中の人たちが集まる掲示板を読んでみると、同じぐらいの子を持つ人たちが、同じようなことを書きこんでいて、ちょっと安心しました。家にいてばかりで人とのかかわりがない今、同じ月例の子を持つ人たちの書きこんでいる掲示板を読むのが楽しみのひとつであり、情報収集の場にもなっています。みんな似たりよったりなんだなぁとわかると、気持ちが軽くなって、それまで割と深刻に悩んでいたはずなのに、ふふっと笑えてきます。そして、他の赤ちゃんたちと似たり寄ったりでありながら、この世で唯一私の子供である娘のことが、きゅんっと愛しくなります。ネットのある時代に子育てできて、よかったです。

 携帯に緊急地震速報の機能がないことと、抱っこしていると出来ることがかなり限られてしまい退屈なため、夫のいない時間は、音量を1とか2にしてテレビをつけています。今、一番みているチャンネルは、NHK教育。『みいつけた!』という幼児向け番組に出てくる謎の男オフロスキーのファンになりました。口調も表情も佇まいも、なんともいえず魅力的で、日々心を奪われています。オフロスキーは演劇をやっている人みたいなので、いつか娘と一緒に舞台を観に行けたら素敵です。子供と一緒にいろんな演劇を観に行くというのは、娘が生まれる前から抱いていた夢の一つなので、まずは子供向けの人形劇から始めて、舞台を見るということに、慣れさせていこうと思います。楽しみだなぁ。

 言葉について考えています。言葉を失う現実のなかにいて、それでもやっぱり言葉にしがみつくことでしか、自分の愛することのできる日常を取り戻せない、私にとっての言葉というものについて、考えています。今、こんなにも自分の言葉に向き合うのが難しいならば、もう日記を書くことをやめたら、もしくはしばらく休んだら、そのほうが楽になれるのではないかとも思ったけれど、後悔したくないから、やっぱりやめられません。書くことが私にとって、自分や自分の生きる世界に対して誠実でいることの、一番の方法だと感じています。
 今日読んでいた本に、人間が言葉を所有しているのではなく、人間は言葉に所有されているのだというようなことが、書いてありました。そう考えると、言葉に対する思いがなんだか謙虚に大らかになって、風景を眺めるような気持ちで言葉と向き合える気がします。自分が今、どんな言葉のなかにつつまれているのかを、眺めて記す作業。うん、その作業、好きだ。続けよう。
by papiko-gokko | 2011-04-14 22:50 | Diary | Comments(0)