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日記と短歌


by papiko

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 午前中は夫と3人で過ごし、午後から夫が仕事に出かけて、娘とふたりで過ごしました。3人でいるとき、3人で過ごしている、ということを、最近とても強く意識します。3人で過ごしている時間が、今、泣きたくなるほど大切で大好きです。その割には、今朝などくだらないことで夫と口げんかをして、ぶすっとしたままいってらっしゃいしたのだけれど。
 それにしても、3月が今日で終わるだなんて。地震の日以来、一日一日は気が滅入るほど長く感じられたのに、3月そのものは、とても短かったように思えます。4月は、どんなふうに過ごそうか。娘に春を教えたい。

 最近の楽しみは、夕方ドラマの再放送を見ることです。この前までは、金八先生の第1シーズンを見ていました。おもしろかった! 初期の金八先生が、あんなに愉快で愛矯のある軽やかな雰囲気の先生だったとは知りませんでした。こんな先生が担任だったら素敵だなぁ、相談しちゃうなぁと、毎回思いながら観ていました。稲葉さんが金八先生に憧れて教師を志したと言うのも頷けます。金八先生は、クラスで目立つ不良っぽい生徒だけでなく、私みたいな目立たないタイプの生徒のことも、ちゃんと同じくらい気にかけ手をかけてくれる気がします。
 ドラマの内容だけでなく、主題歌である『贈る言葉』にも、毎日胸を打たれていました。なんて素朴でいい歌なのだろう。第2シーズン主題歌『人として』も、聴けば聴くほどすばらしくて、第2シーズンもすごく見たくなりました。放送しないかなぁ。ちなみにリアルタイムで見たなかで私が一番印象的だったのは、自分がちょうど思春期のころやっていた第5シーズンです。当時、妹と競い合って兼末健次郎の物まねをみがいていたものです。
 金八先生が終わって、今日からは、GTOを見ています。鬼塚先生、かっこいい!でも担任はやっぱり、金八先生がいいなぁ。鬼塚先生は、隣のクラスの先生くらいの距離がいいです。
by papiko-gokko | 2011-03-31 23:16 | Diary | Comments(0)

 今週金曜日で予約していた、羽田発出雲空港着のチケットを、キャンセルしました。一時的に東京の水が乳児の飲用をさし控えなければならないレベルまで汚染され、瞬く間にスーパーからミネラルウォーターが消え、夫や母や義母と話しあった結果、ここ数日の様子をみて改善されないならちょっとしばらく出雲にいた方が娘のためかもしれないということになり、ニュースや数値を見ながら、どうするのが娘のためか、悩みに悩んでいました。そして昨日、まだ2カ月になったばかりで予防接種も受けていない抵抗力のない状態で人込みに出すよりは、今現在大丈夫な数値である東京にいるほうが娘にとってよいだろうと判断し、帰らないことに決めて、飛行機をキャンセルしました。帰らないことに決めたら、なんだか、腹をくくることができました。あまりにも信じられないことばかり起こって、そう簡単には前向きな気持ちになどなれないし、これからしばらく日本はしんどい状況が続くのだろうけれど、私はお母さんなのだから、娘が希望をもてる日本になるよう、まず自らが希望をもって、元気な気持ちで生きなければ。
 もしかしたら娘と自分だけ出雲に帰るしかなくなるかもしれないと考えた時、自分はこの世で誰よりも夫と離れたくないのだということに、気づかされました。いつのころからか、私の日常は、夫がいてはじめて成り立つものになっていて、夫と離れている限り、私は日常を失ってしまいます。夫がいなくたって楽しめることはいくらでもあるけれど、ただ、楽しければ楽しいほど、そばに夫がいないことが、辛く悲しくなってしまいます。子供のころ、父が単身赴任をしていた時期があったから、家族が離れ離れに暮らすことの寂しさは知っているつもりでいたけれど、夫と娘と私という、自分のあたらしい家族でそれを考えた時、子供のころに感じていたのとは比べ物にならない強い想いが体を突き抜けて、身動きできなくなりました。離れたくない、なにがあっても離れたくない。どんな世界も夫と見て、夫と聞いて、夫と生きて、そしてふたりで感じたいろんなことを、やさしくたのしく娘に伝え教えながら、毎日を暮らしたいです。
 私が悩んでいた数日のうちに、娘はどんどん声をだすようになり、ガラガラを入れた買い物袋を蹴って楽しむ遊びを覚えました。娘のそんな成長ひとつひとつが、今、なによりの喜びです。そうして喜びを含む日常が、だんだんと戻ってくるにつれ、何万もの失われた日常があるという事実に、幸せを感じる場所と同じ部分が、ずんと重たく痛みます。時間がたつにつれ、この痛みも消えていくのかと思うと、ますます、何を思えばいいのか、どうすればいいのか、わからなくなります。マザーテレサの言葉のように、まずは自分の身近な存在、家族を愛し守ろうとすることが、この国を愛し守ることに、繋がるのだろうか。今、そうすることは、自分勝手と、思われないだろうか。思われるって、一体だれに? どの程度まで視野を広げて考えればいいのか、難しくて、結局今の私といえば、ただただ、娘を抱っこして、お乳をやって、おむつをかえて、恐がりながらニュースを見ているだけの毎日で。
 とにかく。帰らないことを決めたからには、東京で、夫と娘との生活を、精一杯大切に、続けます。
by papiko-gokko | 2011-03-30 22:35 | Diary | Comments(0)

お客さんのきた3日間


 金曜日から今日まで、娘に会いに、毎日お客さんが来ました。金曜日には、東京で働く二つ年下のいとこ。お祝いに、レースのたくさんついたお姫様のような赤ちゃん服をくれました。小さなころからよく遊んでお互いに成長を見てきたいとこが、すっかり綺麗な大人の女性になって、華やかな香水の香りのする体で私の子供を抱いているのは、なんだか不思議な感覚で、時の流れを感じずにはいられませんでした。
 それから土曜日には、働いていたころ一番いろんなことを話して苦楽を共にした元同僚の子が娘に会いにきてくれて、手にはめるタイプの、とても良い音がするガラガラをくれました。わぁ小さい嘘みたいと言いながら、ガラスの破片を拾うような手つきで恐る恐る娘の手や足に触れて、抱っこするときにも、体中強張らせていて、彼女のきめ細やかな仕事スタイルを思い出しました。最近の営業部の様子をいろいろ聞くことができて、でてくる単語ひとつひとつが懐かしく、昔の恋を思い出すような気持ちで、よくも悪くも相変わらずな営業部に想いを馳せました。
 いとこも元同僚の子も、はじめて娘を抱っこしながら、「不思議だなぁ」と言いました。私の子供時代を知っているいとこは、私が母親になったことを、お腹の大きなころを知っている同僚の子は、お腹の中から出てきた赤ちゃんが目の前にいることを、不思議がっていました。本当、不思議。毎日、不思議のかたまりを育てています。いとこからも元同僚の子からも、可愛いってたくさんたくさん言ってもらえて、嬉しかったね。生まれて育つの楽しいね。

 夫の休みだった今日は、義母と義姉と姪っ子が遊びに来ました。義母はたくさんの手料理と手作りパンを、それから義姉は、ミネラルウォーターを買ってきてくれました。こんなにしてもらってばっかりで、ありがとうございますじゃ足りなくて、なんだか、感謝の言葉の種類が、この世にもっともっとあればいいのにと思います。2歳の姪っ子にとって、初めてのいとこと触れ合うはとても楽しいことのようで、今日もほっぺにキスしたり、義母に支えられつつ抱っこしたり、娘と一緒にメリーを楽しんだりしていました。娘と触れ合うことを楽しんでくれている姪っ子は、娘が生まれる前よりも、ますます可愛く感じます。

 今、娘とふたりでいると、つい鬱々としてしまうから、3日間たくさん人が来てくれて、精神的にすごく救われました。随分と気持ちが晴れて、前向きになりました。何の根拠もないけれど、大丈夫!と思えました。大事な人が笑っているなら、私と娘の世界は、とにかく大丈夫。
by papiko-gokko | 2011-03-27 23:55 | Diary | Comments(0)

日常を書きたい


 「カレーライスと飛行船」を書くのが楽しいです。なぜなら、娘の視点を借りながらなら、こんなに動揺の続く毎日のなかでも、ぶれのない日常をかけるから。これまでの人生のなかで最も日常を脅かされている今、自分自身の一日と向き合って日記を書くのには相当の力と時間が必要のようで、ちょっとやそっと粘ったぐらいでは、言葉がなかなかでてきません。私は日常を、そして日常を記すということを愛していたのだと、改めて気づかされています。そんな風に私はすっかり日常の感覚を見失ってしまっているけれど、まだなにもわからない娘にとっては、地震前も地震後も変わらない日常が続いているはずで、寝たり起きたりおっぱいを飲んだり、たまにご機嫌に笑ってみたり、いつも通り赤ちゃんらしい毎日を送っています。だから、娘の視点を借りて日記を書くと言うことが、今とても大切です。最初からそう意識して開設したわけではありませんが、何日か書いてみて、なぜ自分がいきなりそんなことを始めたのかが、わかりました。
 だけど、あくまでも私の日記はこの場所だから、この日記も、がんばって書き続けたいです。書くことから逃げないように、踏ん張りたいです。それを私の祈りのかたちとします。
by papiko-gokko | 2011-03-26 00:19 | Diary | Comments(0)

 一度途切れた日常を、取り戻すことの難しさ。母乳のためにミネラルウォーターでお米を炊き、娘の顔も、温めたミネラルウォーターで拭き。蛇口をひねれば流れる水は、相変わらず、透き通っているのに。風だって春めいて、心おきなく窓を開け放つことができればきっと、気持ちが良いだろうのに。膨らみ続ける恐怖と不安が、どこへもぶつけようのない悲しみと怒りに変わり、娘の顔を見ていると、どうにもこうにも切なくて、泣いてしまってみっともない。私はお母さんなのに、私はお母さんだから。楽しく子育てしたいです。夫と娘と私の3人、はじまったばかりのかけがえのない日常を、少しでもはやく、取り戻したいです。そのためにも、強くあろうと思います。正しい情報を正しい角度で受け取って、周りのアドバイスを冷静に聞いて、今回のことによって、娘が一ミリたりとも辛い想いをしないように、常に最善の形を考えながら、強く、前向きにあろうと思います。よし、もう泣かない。きれいな水と空気は、ちゃんと戻ってくるから、大丈夫。お花見のころには間に合わなくても、来年だって桜は咲くし、いろんなことが大丈夫になって安心につつまれたら、夫と娘と、それから買ったばかりの大きなマザーズバックと、ベビーカーで遠くまで、お散歩しよう。
by papiko-gokko | 2011-03-24 19:52 | Diary | Comments(0)

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 娘は今日で0歳2カ月になりました。いろんな人と触れ合ったこの一週間で、ますますよく笑うようになったり、ご機嫌な時しきりに声を出すようになったり、それから、細いものなら持てるようになったりと、この世を楽しむ力を、着々と身につけてきています。口の動きを見るのが好きなようで、おおげさに口を動かしながら歌うと、じっと見つめてにやぁっと笑います。すごくご機嫌だと、目があっただけで笑う時もあります。娘が笑うと、それだけで、いい匂いの花束を受け取ったように、くうんと胸いっぱいになります。こんなに人を幸せにする笑顔が、あったなんて。

 昨日から、少し前に図書館で借りた『親子で歌いつごう 日本の歌百選』というCDをかけて過ごしています。収録されている童謡は小さいころに歌ったものばかりで楽しく懐かしく、童謡だけでなく川の流れのようにや涙そうそうなども含まれていて、声も曲調バライティ―に富んでいるので、流しっぱなしにしていても飽きがきません。CDにあわせて歌っていると、地震以来ずっと続いている心の強張りがすうっとゆるんでひろがって、娘との穏やかな時間を取り戻せます。歌えるって、素晴らしい。

 穏やかな時間の中、娘におっぱいをやっていると、今この瞬間が、誰かの淡い思い出の風景なのではないかという、不思議な感覚に捕らわれることがあります。それは、私や夫の赤ちゃん時代の記憶のようでもあり、私と夫を育てた母と義母の思い出のようでもあり、そんなときは、私自身や夫のことを育てている気持ちになりながら、娘のことを見つめています。不思議な不思議な二人の時間。

 取り戻しきれない日常のなか、何かぱっとひとつ新しいことでも始めたいと思い、何年かぶりに、新しいブログを開設しました。『カレーライスと飛行船』。まだしゃべれない娘の代わりに書く、娘の日記です。続けられるかな。

 
by papiko-gokko | 2011-03-23 00:18 | 月齢ごとの成長記録(長女) | Comments(0)

日曜日


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 レンタルの注文をしていた体重計が届き、さっそく測ってみました。はだかんぼうで測ると、現在4290g。お乳を飲む前と飲んだ後に測ることで、どれくらい飲んだかがわかるので、安心です。あまり神経質に測りすぎるのもよくないし、ほどほどに活用しよう。すくすく育ちますように。

 今日は義母と義祖母がきて、義母のつくってきてくれたごちそうをお昼にみんなで頂きました。赤飯のおにぎりと、大根の漬物と、鶏肉で野菜をお洒落な感じに巻いたものと、大豆の煮たものと、スモークサーモンバーガーと、マーマレードバーガー。どれもこれも美味しくて、お腹いっぱい食べました。それから、前回のニンジンパンに続き、今回はベーグルをつくってきてくれました。ベーグルもバターをつかっていないので、気にせず食べられます。どうしていつも、こんなに考えてくださるのだろう。してもらってばかりで、返せるものが何も見当たらなくて、恐縮してばかり。
 帰るとき、駐車場まで見送るついでに、ベビーカーでまた少しだけお散歩に出てみました。ここのところは病的なまでに窓を閉め切り家に籠っていたので、外の空気がますます美味しく、眩しく感じられました。義母と義祖母の見守る中、ベビーカーを押しながら久々の外を味わい、ゆったりと雲の流れる青空が、ほのかに香る春風が、汚染されるなんて嫌だ、絶対に嫌だと、胸が締め付けられました。道行く人はみな朗らかで、二度ほどベビーカーを押す人ともすれ違い、なんだか安心しました。振動が心地よかったのか、ベビーカーの中で、娘は少し眩しげに顔をしかめつつ眠っていました。
 
 地震発生以来、ひと時も娘を体から離すのが恐くてひたすら抱っこし続けていたものだから、ますます抱き癖がついてしまい、とにかく抱っこ抱っこで、今も片手で娘を抱っこしつつ打っています。困ったことになったな。
by papiko-gokko | 2011-03-20 23:55 | Diary | Comments(0)

 地震発生から、おっぱいの出具合が明らかに悪くなってしまい、娘のぐずる回数も増えて、ほぼ一日中おっぱいを吸っているようになったので、昨日から少し、ミルクを足し始めました。今週の木曜か金曜に再び体重を測りに来てくださる予定だった保健師さんからは連絡がなく、きっと今回の地震でそれどころではないのだろうから、頼らないことにしました。今朝、ベビー用品をレンタルしている会社のサイトで体重計を3カ月レンタルの注文したところです。私でさえ出なくなってこんなに悲しいのだから、ミルクが足りない被災地のお母さんは、どんなにかやる瀬ないことだろう。我が子のお腹を満たすためなら、自分の血だって飲ませてやりたいだろう。

 余震の緊張感と、原発事故への恐怖と、スーパーから物がなくなったことへの不安、テレビに映る現実への悲しみで、自分では処理しきれないレベルに打ちのめされて混乱して、ここ数日は、周りの大人に、思い切り迷惑をかけました。父と母に、恐いよ嫌だよ逃げたいよと散々訴え、義母にも、一体どうすればこれからどうすればと不安をぶちまけ、小児科で看護師をしていた叔母にも、赤ちゃんが心配なんです大丈夫なんでしょうかと泣きついて、みんなから、大丈夫だから、大丈夫だからと、励まされてばかりいました。
 叔母は私に、赤ちゃんにも大丈夫な数値であることを分かりやすく説明してくれて、「もし万が一東京にいられないような事態になったら、叔母ちゃんがぱぴこちゃんと娘ちゃんも、○○(東京にいる私のいとこ、叔母の娘)と一緒に連れて帰ってあげるから、今は安心して暮らしてればいいから」と、笑いながら言って、私を安心させてくれました。普段はメールのやり取りなどない岡山の叔父からも、「東京では物資が不足しているそうですが、何かあれば送るので遠慮なく言ってくださいね、心配しています」というメールが届き、こんなに優しい叔父さんだったなんてと、涙が出ました。一人前になったつもりでいたけれど、とんでもない、私は生まれたときから私を見てくれていた親や親せきの大人たちに、今も全然、支えられて生きていました。こんなことがなければ、気づけないことでした。「遠くの親戚より近くの他人」という言葉があるけれど、私は今回、そのどちらにも、思い切り支えられました。支えてもらってばかり、不甲斐ない。
 ここ数日特に思いつめていたのは原発事故で、どんなにテレビで問題ない数値と言われても、生まれてまだ1カ月の娘のことを思うと、どうにも冷静ではいられなくて、不必要に恐れ戦き、そのことしか考えられなくなり、眠れなくなりました。親からは、そんなに恐いなら出雲へ帰りなさいと言われ、一瞬それも考えたけれど、たとえ自分と娘だけが出雲へ帰ったとしても、こっちの生活には夫をはじめ大切な人がたくさんいるのに、そんなのちっとも平和な心で暮らせないと、その選択はすぐ消えました。東京はいつの間にか自分にとって、もう簡単には離れられない場所になっています。青ざめ続ける私に、「君は今、一日家にいるから、テレビの情報がすべてになってるみたいだけど、外ではみんな、もう普通に生活してるんだからね?」と、夫が窘めました。
 被災地では、大変な恐怖を味わいながらも避難所でがんばって生きている人がたくさんいるのに、電気もガスも水道も問題のない家にいながら日常に戻れずにいるなんて、本当に、恥ずかしい。情けない。地震の日以来、私に毎日メールをくれている義母が、「今大切なのは、粛々と日常を送ること。普通に生活できる人がいつもと同じように、普通の生活をすることも、被災地の人を勇気づけると思うよ」と言っていて、その通りだと思いました。夫も、横浜にいる義母も義姉も小さな姪っ子も、不安のある中みんなきちんと日常に戻っているのに、私だけがいつまでも、ぐじぐじして怯えて、本当に、みっともないのです。とにかく今回の地震で、私は私の弱さを、思い知りました。そして、夫と夫を育んだ人々の持つ、温かさと冷静さとユーモアに、改めて惚れこみました。一度切断された日常を、取り戻すのにはそれなりの決意とパワーがいるけれど、日常を、とにかく日常を。そして日常のなかに、募金と節電を取り入れて、自然な心で長く行なっていけるようにしよう。まずはそこから。私が落ち込むのは違う。

 二日に一度、義母に教えてもらったバターなしニンジンパンを作って食べています。お店からお米とパンが消えたので、ホームベーカリーがあって助かりました。はじめて焼いてみたのは、ちょうど地震のあった日で、昼下がり、まさか大地震が起こるなんてそのときは思いもせず、娘の寝ている隙ににんじんを擦り、材料を入れて、スタートボタンを押しました。地震が起きたのはその約一時間後で、恐怖で部屋を歩き回っているさなかに、ぐわんぐわんと、のんきな音を立ててねりはじめ、その音に気付いたとき、ふっと緊張が緩んだのでした。
 
 娘は、毎日笑います。膝の上にのせて向き合うと、嬉しそうに笑います。ほっぺたをつつくと、今にも声をだしそうなくしゃくしゃの笑顔を見せてくれます。ニュースを見ている最中に娘がにぱぁと笑うと、どうしようもなく泣けてしまって、夫に、気持ち悪いと言われます。お母さんなのだから、強くならなくては。凛々しくならなくては。こんなことでは守れない。
by papiko-gokko | 2011-03-18 17:52 | Diary | Comments(0)

日常を


 朝起きてからから、夕方夫の帰ってくるまで、ずっとテレビをつけて、娘を抱いて過ごしました。もしまた大きく揺れたらと思うと、一瞬たりとも娘を自分の体から離すのが恐くて、おむつを替える時以外はベッドに寝かせることもなく、抱いたり膝の上に乗せたりしていました。トイレのときには、バウンサーをトイレの入り口に持って行き、そこに娘を座らせていました。そのおかげか、娘は一日、ご機嫌で、よく笑いました。ここ数日、いろんな人が家にきたことが刺激になったのか、娘の表情はますます豊かになった気がします。娘がにぱっと笑うたび、泣きたくなりました。この子の記憶に、この恐ろしい地震は残らないんだ。
 テレビから流れる映像と数字は、恐ろしくて、遣る瀬無くて、何度も消したくなりました。だけど、私の携帯は緊急地震速報が入らないから、緊急地震速報のためにも、消すわけにはいきませんでした。テレビで緊急地震速報の出るたび、娘を抱っこして立ちあがり、窓を開け、しばらくテレビを睨んでいました。娘とふたりでいるときは、とにかく気持ちが休まりません。
 娘のためにも、私は私の日常をしっかりおくらなければという思いと、現実を知らなければという思いとが、常にぶつかりあって、テレビで情報を得続けながら暮らすことに、くたびれてきています。くだらない番組を、くだらないなぁと思いながら眺めていた日常の尊さを、噛みしめています。私は何をどこまで知って、行動すればいいのだろう。おむつや粉ミルクが足りないという報道を聞いた時には、一刻も早く何とかしてほしいと、泣きたくなりました。避難所でお母さんに抱かれている赤ちゃんや小さな子が映ると、あまりに辛くて、目をそらさずにはいられません。でも、落ち込んではいけない、私が落ち込むのは違うと、それだけははっきり思います。日記をこうして書くことも、正しいのかどうか、わからないけれど、書くことは、私の日常にかけがえのない行為だから、私は私の日常を書きます。節電、心がけつつ短めに。
 
by papiko-gokko | 2011-03-14 23:46 | Diary | Comments(0)

私の体験した地震。


 恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい地震。これまで生きてきた中で、もっとも恐ろしくて、心細い体験でした。
 揺れを感じたのは、授乳を終え、ご機嫌の娘を膝にのせて戯れながら金八先生の再放送をみているとき。ゆさゆさ小さく揺れはじめ、嫌な感じの揺れだなと、娘を抱いて立ちあがりベランダのある窓の方へ向って歩くうち、みるみる揺れが強くなり、これまで聞いたことの内容な音につつまれ、片手で娘を抱いたまま、もう片方の手で窓をあけ、揺れが収まるまで、目を見開いてサッシにしがみついていました。揺れでパソコンのキーボードが落下したとき、これはただ事ではないと、あまりの恐怖に、喉の奥から声にならない声が漏れました。長い長い揺れでした。
 揺れが収まり、部屋に目をやると、本棚から本が落ち、全身鏡が倒れ、飲んでいたお茶のカップも落下して、お茶が携帯電話の上にこぼれていました。今連絡が取れなくなったら大変と、娘を抱いていないほうの手で携帯をとり、がむしゃらに服へ擦りつけました。恐怖と焦りで、息が上がっていました。操作してみると携帯は無事に動いたので、即座に夫へ電話をかけました。しかし、繋がりません。これでますます事の重大さに気付き、どうしよう、どうしよう、どうしようで、頭の中がいっぱいになり、荒い息を吐きながら部屋を動き回っていました。テレビは緊急特番に切り替わり、慌ただしい様子で、「落ち着いてください」と言う言葉を繰り返しており、繰り返されれば繰り返されるほどとんでもないことになったという思いが強まって、冷静さを失い、本の散乱している部屋のなかを、右往左往している自分がいました。まだ何もわからない娘は、片手できつく抱かれたまま、目をぱちぱちさせ、「あう」「うー」と、相変わらずご機嫌な声をだしていました。
 ニュースで次々と情報が伝えら、その間にも小さな揺れが続き、とにかく、誰かと話をしたいと、震える片手でマウスを握り、メッセンジャーを立ち上げて、母に「すごいじしん、こわい」と話しかけました。母がすぐに応対したので、しばらく、こわいよ、どうしようと、漢字変換する余裕もなく、ほとんどひらがなで打ちまくりました。現在中国にいる母も、日本のテレビチャンネルをみて大変な地震が起こったことを知り、「家のなかにいたら大丈夫よ」「外に人はいるの?」「外にでたほうがよさそうならでなさいね」「しっかり」と、励ましてくれました。
 そうするうちにも余震は続き、一度強い揺れがきて、再びサッシをあけると、窓の外に、抱き合って揺れに耐えている女性ふたりがいました。動揺は膨らむばかりで、私も誰かと抱き合いたい、と、強く思いました。もっともっと同じマンションの人と親しくなっておけばよかったと、心の底から思いました。外に出たほうがいいのか家にいたほうがいいのかもわからず、もうとにかく恐くて心細くて、「だれかといたいよ、だれかのいるところにいきたいよ」と、母に打った、そのときでした。チャイムが鳴ったのです。だれかがきてくれた!と、大慌てで玄関へ走りドアをあけると、そこにいたのは、ご近所に住んでいる友達一家の、旦那さんと子供ちゃんでした。嬉しくて、嬉しくて、とにかく安心して、緊張の糸が切れて、「うれしいー!」と、鳥の雄たけびみたいな変な声で泣きました。友達のうちはうちと逆でお母さんのほうがお仕事へでてお父さんのほうが家にいるためその日も旦那さんと子供ちゃんが家にいて、地震のあと私が娘とふたりで家にいることを思い出し、ふたりで来てくれたのです。この訪問に、どんなに救われたことか。
 来てくれてからは、次第に気持ちが落ち着いてきて、物の散乱していない和室でコタツに入り、テレビを見て呆然となったり、私も旦那さんもそれぞれの知り合いにメールを打ったりしていました。娘はずっと泣くこともなく、腕の中でいい子にしており、子供ちゃんも、何が起こったかを理解するにはまだ少し幼いようで、いつもと変わらず、娘をかまったり、ぬいぐるみを出したりして遊んでいました。その間にも余震はたびたびあり、揺れを感じるたびに、小さく揺れるベッドメリーのほうをみながら、収まるのを待っていました。
 どれくらいしてからか、夫がバタバタと帰ってきて、和室に入ってくるなり、「ああぁよかった」と、ひざから崩れました。生まれて間もない子がいることを知っている上司が、自転車通勤の夫に、一度家の様子をみに帰ってこいと言ってくださったそうです。全速力で自転車をこいで帰って来た夫は汗だくで、息を切らしながら、よかったよかったと、娘を抱っこしました。旦那さんが来てくれていたことで、夫もすごく安心したようで、ありがとう、よろしくと、再び仕事へ戻って行きました。夫の勤め先は本屋さんなので、本がすべて本棚から落ちていて、これからそれらを元に戻す作業をしなければならないとのことでした。
 夫が帰ってきてからまた少しして、今度は旦那さんの奥さん、つまり私の友達が、職場から直接うちへやってきました。メールも電話も通じなかったけれど、ツイッターでうちにいることを伝えることができ、スムーズにうちへ向かってもらえたのでした。ツイッター、今まで使わずにきたけれど、私もアカウント取ろうかと、今回のことで思いました。友達一家は、その後、夫の帰宅時間まで、ずっと一緒にいてくれました。自分たちの家も片付けなどあって大変だろうに、いてくれました。
 夫が帰ってきてからは、ずっとニュースをみながら、家の片づけをしました。食器棚の中で、数枚の食器が割れていました。これが割れたら悲しいねとついこの前話していたムーミンのマグカップも、割れてしまいました。落下した壁掛け時計は、地震のあった時間で止まっていて、あのときの恐ろしさが鮮明に蘇り、戦慄しました。テレビから流れる映像や数字は、信じられないものばかりで、私も夫も、恐さと悲しさで、気持ちがどんどん沈みました。
 その日は、寝る前に、転倒防止のつい立て棒のネジを締め直したり、非常用持ち出しリュックを整理して玄関先に置いたりしてから、布団に入りました。娘はいつも通りおっぱいを飲んでは腕の中で眠り、ベッドにおこうとするとぐずって再びおっぱいを口に含んでそのまま眠っていました。娘がいつも通りであることが、救いでもあり、切なくもあり、いつも通りであればあるほどに、この子のことだけは守らないとと、緊張が高まりました。

 翌日も夫が仕事で、娘とふたりきりでいるのがどうしても恐くて、友達の家にいかせてもらおうかと思っていたら、友達一家が再びきてくれました。それに、義母も急きょ、顔をみにきてくれました。義母と一緒に、実家に泊まっていた義姉と姪っ子もやってきました。義姉は職場が都内にあり、電車がとまって帰れず、義母が車で迎えに行って、実家に泊まったのだそうです。帰れないというのは、とても恐かっただろうと思います。
 友達も義母もお昼ごろにきたので、みんなでお昼ご飯を食べました。義母より一足早くきていた友達が、料理のへたな私の代わりにてきぱきとステキパスタを作ってくれて、友達一家と、義母と義姉と姪っ子と、わいわいがやがや食べました。おかげで、心細さは少しもなく、その間続いていたのであろう余震も感じることなく、楽しく過ごすことができました。人と人との繋がりの尊さ、寄り添う人のいることの喜び、ありがたみを、これほどまでに強く感じたことは、ありません。人づきあいが苦手だなんて、そんなのは平和だから言っていられることなのだと、思い知りました。
 お昼ご飯のあと、3歳の子供ちゃんと、2歳の姪っ子と、それから0歳のうちの娘とを並ばせて、写真を撮ったりしました。3人とも、本当に可愛い、大事な大事な子供たちです。この子たちが可愛ければ可愛いほど、今日本のあちこちで恐ろしいことが起こっているという現実が、辛く重たく、たまらなくなります。 
 義母と義姉と姪っ子は1時間ほどの滞在で帰り、友達一家は、この日もまた夫の帰宅時間近くまでいてくれました。いつかきっときっと、大事な場面で恩返しをしたいです。人は人によってこんなにも救われるのだということを、今回、友達一家が教えてくれました。
 夫が帰ってきてからは、ニュースを見て過ごしました。地震発生当日よりもさらに厳しい、信じがたい現実が、次々と報道され、一体何を思えばいいのか、あまりのことに、何も手に着きませんでした。テレビの前で、授乳と抱っこばかりしていました。

 夫の休みだった今日は、日常を取り戻すということに、専念しました。いつものようにご飯を食べて、娘を初めてベビーカーに乗せて、ほんの少し散歩にでたりしました。外はぽかぽかよく晴れて、公園では子供たちが、いつも通り遊んでいました。すぐ隣の家の瓦が落ちていて、お昼頃、それを直しているような音が聞こえました。ニュースでは、ますます酷い状況が流れ、見れば見るほど辛くなります。私は日常を取り戻すことができたけれど、日常を取り戻せなくなった人が大勢いるのだと思うと、悲しみと恐怖で、目の前が暗くなります。しかし、私が暗くなったところで、被災地の人にとって何のプラスにもならないのだからと、自分の日常に目を向けようとするけれど、とても楽しい気持ちにもなれません。何を思えばいいのだろう。思えばなんてどうでもいいから、何をすればいいのだろう、何が出来るのだろうと、それを考えるべきなのか。だけど、あの映像を見てしまうと、なにもできない、と、やっぱり、目の前が暗くなります。今は、祈ります。これ以上ひどくならないことを、とにかく祈ります。
by papiko-gokko | 2011-03-13 22:32 | Diary | Comments(0)