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日記と短歌


by papiko

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 デジタル一眼レフカメラ、買ってしまいました。正確には、買ってもらってしまいました。義姉の写真を見た時に私と夫があまりにも本気で羨ましがったので、その場にいた義祖母が「お金を出してあげるから買いなさい、甘えられるうちに甘えときなさい」と言ってくださったのです。感謝! カメラのことは私も夫もまるでわからないため、義姉と同じもの(キャノンEOS Kiss X3と、レンズEF50mm F1.8 II)をネットで購入しました。
 カメラは先週金曜日に届き、さぁ早速撮ろうと構えてみたものの、私も夫もこれまで本格的なカメラになど触れたことがなかったので、何が何だかちんぷんかんぷんで、その日は結局一枚も撮らず、説明書とにらめっこして終わりました。土曜日にはなんとか基本的な操作が分かるようになり、だけどピントを合わせるのが難しくて、大量の試し撮りをしました。
 日曜日にはだんだんとうまく撮れるようになってきて、ほぼ一日中私か夫のどちらかがカメラを持ち、事あるごとにカシャカシャ連写していました。暖かかったので、日光浴も兼ねて3分だけ外にでて、近所にある桃の花の前で撮影してみたりもしました。さすがは一眼レフ。背景がうまい具合にぼやけて、それっぽい感じに仕上がります。仕上がった写真を眺めながら、夫が「写真の構図って難しいもんだな。カメラ雑誌を借りてこよう。」と言っていたのには驚きました。夫とカメラ雑誌の結びつく日が来るとは。これから一体、どんな構図の家族写真が増えていくのだろう。

 そうして私たちが3日かけてようやくカメラに慣れたりしている間にも、娘はぐんぐん成長していきます。瞳には力が宿り、泣き声のバリエーションも日に日に増えて、毎日あたらしい声を聞かせてくれます。メリーを見せれば手足をばたつかせて笑顔になり、ガラガラを振りながら動かせば、しっかりと目で追うようになりました。ほんの少し前までは、なんとなく目で追っているような気がする・・・という程度だったのが、今では首まで動かして見つめています。ご機嫌なときにはご機嫌なときなりの、不機嫌なときには不機嫌なときなりの成長がみられて、見逃すまいと向き合いすぎて、疲れてしまうくらい。
 見逃すまいという思いが極まったときは、ほっぺたにキスをします。キスには、ほんの一瞬だけ、ふたりの時間をとめてくれる効果がある気がして、小さな衝撃を与えると一瞬にして凍る過冷却水みたいに、とめどなく流れる液体のようなふたりの時間がその瞬間だけ凍ってくれる気がして、極まるたびにキスします。

 娘が1カ月になったのを機にリビングでのクーファン使用を卒業し、これまで寝室にあったベビーベッドをリビングの真ん中にどんと移動させました。寝室にあってもベビーベッドにはまったく寝てくれなくて、もう毎日ダブルベッドでお乳を加えながら寝ている状態なので、リビングにあったほうがまだ少しは活用できそうです。クーファンに毎日寝かすことができたのはたった一ヶ月でしたが、広げてプレイマットに使えるタイプだし、お風呂に入れる時など脱衣場に置いてちょっと寝かせておくのにも便利だし、まだまだ活用するつもりです。
 リビングに移動しても、娘は相変わらずベビーベッドにはあまり寝てくれないので、義姉から借りたバウンサーにのせてみたら、これがとても気に入ったみたいで、ご機嫌なときには抱っこしていなくても、バウンサーにのせておけば足をバタバタさせたり、きょろきょろ部屋を見渡したりしながら、楽しく過ごしてくれるようになりました。ご機嫌でないときはバウンサーも意味なくて、ほぼ一日中抱っこなのは変わりませんが、ほんのひと時でも抱っこしないで泣き声に急かされることなく動ける時間があるのは、すごく助かります。

 今日の娘はご機嫌斜めな時間が多くて、ずっと抱っこしながら中島みゆきをかけたり歌ったりしていました。私のパソコンに入っている音楽をかたっぱしから試した結果、どうも娘はダントツで中島みゆきが好きなようです。
 今のところほぼ2時間に一度の間隔で授乳があり、そのリズムを軸として毎日がまわっています。約20分の授乳と縦抱き10分間で30分、そのあとも泣きだして抱っこしたりオムツを見たりしているうちに次の授乳時間がきて、あっという間に夕方になります。授乳中は本を読んだり居眠りしたり、抱っこしているときは歌をうたったり、そんな風にとてもゆったり過ごしていながら、やるべきことややりたいことをやれる時間を作るのは難しく、洗濯と食器洗いをやっとの思いで片付けました。途中で泣きだしたけれど、まってね、まってねと言いながら、片付けました。とにかく娘のご機嫌とお腹具合次第で過ごし方が変わり、のんびりなんだか忙しないんだか、よくわからない毎日です。
 夕方、少しまとめて寝てくれた瞬間があって、やった自分の時間だ!と嬉しくなったにも関わらず、気づけば母子手帳で予防接種のことを調べたり、昨日撮った娘の写真を眺めたりしている自分がいました。せっかくなのだから、そういうときぐらい、自分のやりたいことをすればいいのに。自分のやりたいことは、結局、今は娘のことばかりなのかもしれません。これっていいことなのかな悪いことなのかな。
 この日記だけは、自分のために書き続けています。娘と二人のときには落ち着いて書けないので、小刻みに下書き保存をしつつ、夫が帰ってから時間をかけて仕上げます。ひとつぐらいは自分のためにやっていることを持っていないと、私はあまりにも娘に夢中になりすぎて、娘の臓器の一部みたいになっちゃいそうだから、この日記は、私が私を生きるために、ますます大事な、欠かせない存在になっています。

 
by papiko-gokko | 2011-02-28 22:23 | Diary | Comments(0)

 今日は朝から、産後検診にいってきました。出かける直前にたっぷり授乳してから、仕事が休みの夫に娘を託して、私ひとりでお出かけです。夫にとっては、娘とふたりきりで過ごす初めての日なのでした。
 この前は娘も一緒だったからタクシーでしたが、今回は私ひとりなので、病院まで歩いて行きました。玄関をでて、空気を吸って肌で感じて、わぁっと嬉しくなりました。思っていたよりずっとずっと、春の気配に満ちている!まだまだ寒くて木々も裸だけれど、毎日安産目指してウォーキングしていた12月1月とは、空気の硬さも匂いも違います。
 ウォーキングしていたころと同じ道を同じコートでひとり歩いていると、妊娠していたころのことも、それから、今家に自分の産んだ子が夫と待っているということも、どちらもがとても遠い夢のように思え、私が私自身の人生の外側に一瞬はみだしてしまったような浮遊感を覚えました。考えてみれば出産してからはずっと娘と一緒にいたし、その前の10ヶ月間もお腹の中に娘がいたから、私ひとりの命でもって行動するのは本当に久しぶりのことで、そんな久々のひとりを味わいながら、私が生きているのはあくまでも私の人生なのだ、ということを、ふいに自覚したのでした。私は私を産んだような錯覚に陥りそうになるけれど、私が産んだのは、私の人生に登場する超重要人物であって、私ではないんだ。
 10分ほど歩いたころ、足の裏が痛くなってきました。毎日ウォーキングしていたころより体はずっと軽く歩きやすくなっているはずなのに、一ヶ月家にいる間に、もうすっかり体がなまってしまったようです。

 病院についてから検査を受けるまでの待ち時間、娘のことばかり考えていました。頭の中で、綿あめを作る機械でごうんごうん割り箸を回すみたいに、娘のことを頭でぐるぐる考えれば考えるほど、ふわふわ不安が膨らみました。家に帰って抱き締めれば、この甘ったるいふわふわは縮んで、ぺとべとに濃厚な時間が再び流れ始めるのです。それまでは離れて過ごすからこそ味わえるこのふわふわを思う存分味わおうと、娘のことばかり考えていました。不思議なもので、娘のことを考えると、おっぱいがじわーっと熱く張ってくるのです。娘の診察券の名前を見ただけで痛いくらいに張ってきて、自分の体のことながら、神秘的だなぁと思います。
 産後検診の結果は問題なしで、子宮が元の大きさに戻って傷口も治ったので、これからは本格的に普通の生活ができるようになりました。あぁ、よかった。

 検診のあと、助産外来で、乳房マッサージをしてもらいました。実はここ一週間ぐらいおっぱいの調子がすこぶる悪くて、私の乳房がどんどん母乳をつくりまくるのに対し、娘はまだそこまで大量に吸えず、乳房がカチコチになってどうにも痛くて、搾乳してしぼめようとしても自分ではあまり上手にできなくて皮膚を痛めてしまい、ここ数日は吸われるたびに激痛が走って、歯を食いしばりながら授乳していたのでした。
 助産師さんの手で優しくマッサージしてもらったとたん、自分ではうまく出せずにいたお乳がしゃっしゃか迸り、みるみるうちに乳房が楽になりました。助産師さんの手って、すごい。お産のときも、助産師さんがちょっと体のどこかをさすったり押したりしてくれるだけで、痛みを逃しやすくなったりいきみやすくなって、まさに魔法の手でした。入院中、どの助産師さんも優しくて頼りがいのある人たちばかりで、心身ともにお世話になり、助産師というお仕事に、とても興味が湧きました。ハードで責任重大でとても自分には勤まらないけれど、命の現場で凛として働くその姿に、憧れます。女性にしか出せない頼もしさ、凛々しさ、強さ、逞しさ、優しさを、今回の出産入院を通してたくさん味わいました。社会的な男女平等の話とは別の次元のこととして、女性と男性とでは、生命の根本にまったく別の、すさまじい野性の力を持っていると思います。良い悪いきれい汚いではなく、とにかく、すさまじい力を。
 爽快な気分で病院をでてまっすぐ家へ向かい、家が見えるのと同時に、再びぐわぐわ乳房が張ってきました。もどかしい気持ちで玄関を開け部屋に入ると、娘はストーブのすぐそばで、夫に抱っこされて眠っていました。抱っこしないと泣くモードになっていたようで、一度どうにもこうにも泣きやまなくてミルクを飲ませたら、100ミリリットル一気に飲みほしたそうです。夫も娘に釣られてうつらうつらしながら座っていて、ふたりのことがたまらなく愛しくなりました。はやく3人で、いろんなことをしたり、いろんなものを食べたり、いろんなところへ行ったり、見たりしたいな。どんな家族になるだろう。どんな家族にしていこう。私は気が短くてケンカしない家族なんてたぶん無理だから、仲直りの上手な家族になりたいです。

 午後は、友達と旦那さんと子供ちゃんが遊びに来てくれました。 普通の生活ができるようになり、乳房も爽快になり、嬉しくて心踊って、病院からの帰り道、近くに住むいつもの友達にこれからは普通の生活ができるからいつでも遊びに来てくださいとメールをしたら、今日さっそく来てくれることになったのです。
 この前義母や姪っ子が来た時にもそうだったように、今回もまた娘はすやすや眠っており、みんなでベビーベッドに眠る娘を触ったり、撮影したりしました。子供ちゃんが何度も「かわいいね」「小さくてかわいいね」「ぱぴこちゃんの赤ちゃん、かわいいね」「赤ちゃんだから、かわいいね」と、ささやくような声で言ってくれました。赤ちゃんのころから成長を見てきた小さなかわいい女の子が、生まれたばかりの自分の子を「可愛い」と言ってくれるなんて、素敵です。子供ちゃんの娘への触り方は、たんぽぽの綿毛を掴むみたいに恐る恐るで優しくて、可愛さと可愛さが化学反応を起こして、触れあった部分が光りだしそうなほどでした。この子と一緒に遊べるようになる日が、楽しみで仕方ありません。どんなふたりになるだろう。日なたの砂場やおままごとセットがうっすら思い浮かんで、眩しい眩しい想像です。
by papiko-gokko | 2011-02-26 22:55 | Diary | Comments(0)

一ヶ月検診と成長


 今日の子守唄は中島みゆき。6曲うたって今ようやく眠りに落ちてくれました。胎内音やら泣きやむと評判の歌やらあれこれ試してみましたが、結局のところ、私が自分の気持ちよくうたえる歌をうたうことが、一番簡単で手っ取り早くて、娘もすんなり泣きやんで眠ってくれるということに気付きました。なので毎日ひたすらうたっています。深夜、薄暗闇で延々と中島みゆきソングをうたいながら子を抱きゆらゆら揺れていると、眠気も手伝って、やけに恍惚としてきます。がらんとした舞台でピンスポットライトを浴びているような気分になります。

 昨日、一ヶ月検診にいってきました。退院以来初めての外出です。まずは大きなカバンに、母子手帳や診察券の入ったケース、おむつ5枚、おしり拭き、ガーゼ1枚、汚れたおむつを入れるビニール袋2つ、哺乳瓶、ハンドタオル、オムツを替えるときに敷く布、予備の着替え一式を入れました。これまでは忘れ物をしても自分が困るだけだったけれど、これからは娘と共に困ることになるので、気が抜けません。育児書に書いてあった外出用の持ち物リストを、何度も確認しました。
 カバンの準備が整ったら、自分の身だしなみを整え、ひさびさにお化粧をしました。それから娘にお乳をやって、伯母からお祝いで頂いた上等のお洋服に着替えさせ、退院のときと同じようにムーミンおくるみでしっかり包んで、夫が呼んでくれたタクシーに3人乗り込んで、いよいよ病院へ出発です。玄関からぱっと日なたに出た瞬間、娘がぎゅっと目を閉じたので、慌てて手で顔に日陰をつくってやりました。カーテン越しの陽射しとは比べ物にならないくらい、外の光は眩しいね。これから少しずつ少しずつ、慣れていこうね。タクシーの中でも娘はずっと目を閉じて身じろぎもせず、時折「ふー」と、おちょぼ口でため息のような息をしていました。

 病院へ到着し、総合受付で手続きを済ませ、小児科へいくと、入院中に一緒だった人たちがちらほらあって、自分と同じように小さな赤ちゃんを抱っこしていて、なんだかタイムトリップしたような気持ちになりました。それほど待つことなく名前を呼ばれて診察室前の椅子へ移動すると、入院中に一番よくお話した、出産日の近い2人のお母さんと赤ちゃんもそこにいて、お互い少しはにかみながら「おひさしぶりです」と言い合いました。入院中はみんなパジャマですっぴんだったから、一ヶ月検診で会っても分からないのではないかと思っていたけれど、思いのほか、みんなそれほど変わっていなくて、パジャマとすっぴんの時期をお互い知っているからか、人付合いの苦手な私でも、さほど緊張しませんでした。
 診察に呼ばれるまでの間、夜中に寝てくれない話や、搾乳頻度の話などして、ほんの数分のことだったのに、うんと気持ちが明るく軽くなりました。時を同じくして、眠れない日々が続いたり、お乳が張りすぎて悩んだりしている人がいるのだと思うと、それだけで不安が和らぎます。少し話して明るく軽くなったことで、自分があれこれ不安で誰かと話したがっていたことに気付きました。それぞれの腕に抱かれている赤ちゃんは、みんなふっくら逞しくなり、新生児のときの弱々しさから抜け出していて、娘と同じ時期に生まれた出産直後には感じる余裕のなかった愛しさを、同じ時期に生まれたその赤ちゃんたちに感じました。これからずっと、同級生の子たち。可愛いな。
 病院へついてからも娘はずっと、何かを拒絶するがごとく、眉間にしわを寄せて目をきつく閉じ、口をへの字にまげていました。わかるよわかる、私も知らない場所では、大抵そうしていたいから。

 話しているとすぐ診察室に呼ばれ、まず診察用ベッドに寝かせて服を脱がすように言われました。診察室に入る前からひっきりなしに赤ちゃんの泣き声が聞こえてきていたし、同じタイミングで着替えをしていた赤ちゃんたちもみんな泣いていたので、うちの子も泣くのだろうと覚悟して脱がせ始めたのですが、娘はきつく閉じていた目をきっと開いたものの、泣きだすどころか表情を曇らせることもなく、おとなしくしていました。
 脱がせたらすぐにその場で優しげな看護師さんに、胸囲と腹囲を測られました。このときも娘は看護師さんの顔をじっと見つめるだけで、少しも泣きませんでした。看護師さんが「かわいいねえ」と声をかけながらやってくださったのが、嬉しかったです。娘が可愛がられたり優しくしてもらえると、嬉しさと誇らしさで、無意識のうちに顔がにやけます。
 腹囲と胸囲のあとは、専用の台に乗せられて、体重と身長を測ってもらいました。体重は3810gで、出生時の体重から約1㎏増えて、身長は52㎝で、5㎝ものびていました。すごいなぁ。朝から晩まで私のお乳をこくこく飲んで、毎日どんどん成長したのだと思うと、じんと胸が熱くなります。成長というものが、こんなにも感動を伴うものだったとは。自分がぐんぐん成長していたときは、ちっともわかりませんでした。
 一通り測定を終えて再びお着替え。隣りでは娘よりひとまわりもふたまわりも大きな赤ちゃんが着替えていました。すぐそばで並んで着替えながら、その赤ちゃんと娘がしきりに見つめあっていて、その様子がたまらなく可愛くて、私も相手のお母さんも、うふうふ笑いました。あぁ何カ月ぐらいの子なんだろうなぁ聞いてみたいなぁともじもじ思っていたら、夫が大きな赤ちゃんのお母さんに「何カ月ですか?」と質問しました。夫が他人にそんなほがらかな感じで質問をするなんて、意外です。父親になって、若干性格が変わったかもしれません。大きな赤ちゃんのお母さんは「6ヶ月なんですけど、なんか、すごく大きく見える」と笑って、「可愛い、懐かしい」と、娘のことを見ていました。6ヶ月の赤ちゃんだってまだまだ小さいはずなのに、1カ月の娘と並ぶと、6カ月の赤ちゃんはものすごく大きな生きものに感じました。赤ちゃんの成長って、まったくもって凄まじい。
 着替えたらすぐに、今度は小児科の先生による診察がありました。まず入院中に行なわれた先天性異常検査の結果を渡され、「異常なし」という印字に胸をなでおろしました。それから胸に聴診器をあてて、しばらく音を聴いてから、「うん、大丈夫、心臓の音、大丈夫です」と、はっきり言われました。その言葉を聴いた瞬間、「ああ、よかったあ」と、思わず裏返った声で言うほど安心して、安心しすぎて、よかったあよかったあと、涙ぐんでしまいました。自分が先天的な心臓の病気を持って生まれて手術をしており、父も同じ病気で手術していることから、娘にもそれが遺伝しているかもしれないと、なによりそれが気がかりだったのです。私の病気が一ヶ月検診で判明したとき、母は頭が真っ白になって父に電話に伝えながら泣いたという話を何度も聴き、手術で治る病気なのにおおげさだなぁなんて思っていたけれど、そのときの気持ちが、今になって分かりました。娘には、細い針一本刺されるのも辛いし、恐い。
 聴診器に続いて、先生は再び裸になった娘のお腹や頭や足を大きな手で触診し、「うん、いいね」「元気いっぱい」「順調順調」「頭の形も良好」「まったく問題なしだね」と、力強く言ってくださって、そのたび大きな喜びと安心感に包まれて、数日前から続いていた緊張がようやくほどけていきました。ぐわっと片手で持ちあげたり、ぐんっと両手をひっぱったり、私たちにはとてもまねできないような大胆な手つきで扱われ、さすがの娘もここでようやくぎゃあっと泣きだしましたが、にもかかわらず、少しも不安な気持ちにはさせられないのだから、お医者さんの手というのは、不思議です。毎日診てもらえたらいいのに。毎日毎日、うんいいね、問題なしだねって言われたいです。
 診察のとき質問しようと思っていた皮膚の湿疹については、質問するまえに先生が「これはこの時期でるもので、放っとけば治りますから、薬なんか塗らず、洗うだけでいいからね」と教えてくださって、すべてのことが滞りなく終わりました。

 最後に、持参した哺乳瓶にビタミンK2シロップというものを入れてもらい、娘に飲ませました。これは入院中にも助産師さんから2度ほど飲ませてもらっていて、今回が最後の投与となり、止血の効果があるのだそうです。退院してからは今のところ母乳しか与えておらず、哺乳瓶で飲むのは一ヶ月ぶりのことだったので、口に含ませた直後は飲みあぐねて哺乳瓶の中にぶしゅっと戻したりしていましたが、そのうちになんとか飲み終えてくれました。美味しかったかな。
 看護師さんに言われたとおり、げっぷをさせて10分ほど安静にし、会計を済ませて病院を出ました。私はずっと娘を抱っこしていたので、会計などの手続きはすべて夫がしてくれました。この日のために抱っこひもの練習をしたのに、当日はムーミンおくるみで包むことで頭がいっぱいで、抱っこひもの存在をすっかり忘れていて、病院に着いてから気づいたのでした。他の人はみんなちゃんと抱っこひもをつけていて、反省しました。
 帰りのタクシーでも、娘はまったく泣かず、ひたすら何かに耐えるようにしかめっ面で目を閉じていました。なんだろう。私に似て、内弁慶外地蔵の子なのだろうか。うちに帰ったとたん泣きだして、おっぱいをせがんだので、一ヶ月おめでとうのおっぱいを、たっぷりやりました。
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 生後1カ月を迎えた娘は、まるでそのことを自分でわかっているかのように、この2日間で、また驚くべき成長をみせてくれました。なんと、笑うのです。こちらのしたことに反応して、ふにゃっと、笑うのです。はじめのうちはそれも新生児の生理的微笑というやつなのかなと思っていたけれど、明らかにそれとは違っていて、しっかり覚醒した状態でこちらを見て笑うので、これって笑っているんだ!と、感動して、夫にメールをしたり、写真やら動画やら慌てて撮りました。まだ、それほどしっかりとした笑いではなく、ちゃんと見ていないと見逃してしまうような短くほのかな笑顔だけれど、曇りの日に雲と雲のすき間からほんの一瞬のぞく太陽みたいに、ふわっと、笑うのです。
 ご機嫌なときの顔と不機嫌なときの顔が、新生児のときよりも、はっきりわかるようにもなりました。泣き方も、本気の泣き方とただちょっと泣いてみているときの泣き方で、全然違うようになりました。泣き声じゃない声を出すことも、多くなりました。まだどれもこれも、水に濡らすと浮かびあがる文字みたいな頼りなさと曖昧さがあるけれど、でも明らかに、成長しています。毎日成長、ありがとう。夜にいっぱい泣いてもいいよ、ぐずっていいよ、こんなに嬉しい気持ちをくれるなら、いくらでも困らせてくれていいよ。
by papiko-gokko | 2011-02-24 14:09 | Diary | Comments(0)

 デジタル一眼レフカメラを買おうかという話が、にわかに持ちあがっています。昨日、義姉の持っているデジカメ一眼レフで何枚か娘を撮ってもらってパソコンで見てみたところ、その立体感、質感、色合いにすっかり魅了され、今まで自分たちのデジカメで撮った写真が、急激に色あせて見えてきたのです。ただ見えるままを映すわが家のデジカメと違い、義姉の一眼レフで映した写真は、娘だけにびしっとピントがあっていて、背景がいい感じにぼやけていて、光の具合も蛍光灯の下で撮ったとは思えないほどふんわり柔らかく、薄い髪の毛や頬のうぶ毛まで今にも触れそうなほどそのままの質感で映っていて、姪っ子が娘のほっぺにチュウしている写真など、安田生命のCMに採用されそうなレベルでした。
 今まで知らなかった普通のデジカメと一眼レフの違いをはっきりと見せつけられ、せっかくの可愛い娘を一眼レフで撮らないなんてもったいなすぎる!と、日々加速していく私と夫の親ばか魂に火が付いてしまっています。カメラのことなどまるでわからない私と夫が一眼レフを欲しがる日がくるなんて、思いもよりませんでした。今、本気で悩んでいます。嗚呼、どうしよう。娘の成長を一眼レフで撮りたい、どうしよう。

 明日で生後1カ月を迎える娘は、手足をますますよく動かします。今日は泣きながら毛布を蹴って剥いでしまい、その力強さに驚きました。まだまだ小さくて細い足なのに、毛布を蹴飛ばせるほどの力があるなんて。泣いているときに抱っこすると、私のお腹も容赦なくぼこぼこキックしてきます。それはもう、お腹の中にいたころのキックと比べ物にならない力強さで、痛ければ痛いほど、笑ってしまいます。
 手の発達は足以上に目覚ましく、昨日と今日、抱っこしたとき、こちらのほうに手を伸ばして私の服をちょっと掴んだり、授乳しているとき乳房に手を添えたり軽く爪を立てたりするようになりました。飲み終えた時には、手で私の体を押しのけるような動きもしました。これまではされるがままだったのに、泣くという行為以外の意思表示を、小さな小さな手で、してくれるようになったのです。すごい!
 抱っこしていないときにも手は活発に動いていて、ただ単純に閉じたり開いたりではなく、早送りで見るアサガオの開花のような不思議な速度で指一本一本をゆっくり動かしながら、自分の周りに纏わりついている見えない膜を取り払うようなしぐさをしたりします。あれは一体、どういう動きなのだろう。
 それから、今日もうひとつ感動したのは、もうガラガラをちゃんと目で追うこと。まだそれで笑ったりはしないけれど、近くで振ると、興味深げに見ています。もう少ししたら、手で握って遊べるようになるのかな。楽しみです。早くうちにあるガラガラで喜んで遊ぶ姿がみたいです。
by papiko-gokko | 2011-02-22 00:13 | 月齢ごとの成長記録(長女) | Comments(0)

 ベビーベッドもクーファンも、からっぽ時間が日に日に長くなってきました。日中はよほど深く寝ていない限りすぐに泣きだして抱っこしたりあぐらの上に寝かせている状態だし、夜は夜でベビーベッドに寝かせても5分と持たず泣きだすことが多く、もうそのたび起きあがることに私が疲れ果てて、一昨日あたりから自分のベッドに娘を寝かせて横になった状態でおっぱいをやる添い乳作戦を開始し、そのまま朝まで私と夫と同じベッドで寝ています。
 自分たちの寝ているベッドに赤ちゃんを寝かせるのなんて、もし押しつぶしたらと思うと恐くて最初は絶対しないつもりでいたけれど、アンカで温めたベビーベッドで寝るより私と夫と寝るほうが温かくて落ち着くみたいで、ベビーベッドよりずっと長くまとめて寝てくれるので、バスタオルで堤防をつくったりして押しつぶさない対策をし、このままダブルベッドで寝かせることにしました。自分のすぐ横に寝かせると、体の小ささや手足の動きがよく分かって最高に可愛くて、自分の眠るスペースが狭くなることなんか、ちっとも苦ではありません。
 まったく、私も夫も娘にでれでれべたべたで、この調子だと、とんでもない甘えんぼに育ってしまいそうです。もう少し大きくなったら、社会で生きていくため躾を開始しなくてはならないのだから、今のうちは思う存分、でれんでれんのべたんべたんに、甘やかすのです。

 今日は横浜から、義母と義祖母と義姉と2歳の姪っ子がやってきて、娘をいっぱい抱っこしてもらいました。義母と義祖母は出産翌日に病院にも来てくれたし、その後退院してからも一度ベビー布団を持って来てくれていて、生まれてから3度目の来訪でしたが、義姉と姪っ子は今回が初対面でした。
 娘はまず義祖母に抱っこしてもらい、姪っ子も興味津津と言った感じでそのそばに座って、頭をなでなでしたり、ほっぺにちゅっとキスしたりして、2歳児なりの歓迎をしてくれました。幼い子供同士の触れ合いって、可愛い!加減を知らない子供の手つきは、見ていてちょっとハラハラしたけれど、一生懸命にスキンシップを取ろうとするその姿に、きゅんきゅんハートを射抜かれました。何枚か撮ったふたりの写真を見ては、いとこって素敵だなぁいいもんだなぁと、小さなふたりの間に芽生えた新しい関係に、ほのぼのしています。
 順番に抱っこしてもらいながら、義母の作ってきてくれたロールキャベツとパンとチキンと煮豆を戴き(これがまたどれもこれも、美味しかった!)、義母と義祖母へのデジタルフォトフレームを渡してみんなで見たり、姪っ子に絵本を見せたりして、約3時間、ゆったりとした時間を過ごしました。姪っ子にとって絵本はまだ、読むというより本棚から出すことが楽しいおもちゃといった感じで、「これもあるよー」「これもあるよー」次から次へと出して自分の周りに積み重ねていました。ボタンがあればなんでも押したがり、登れる場所は登りたがり、ダメと言われると余計にやりたがるという、目が離せないいたずら盛りで、今のわが家がいかに危険だらけであるかがよくわかりました。
 みんなが帰ったあと、娘を抱っこしたら、たくさんの人に抱っこしてもらったぶんだけ、可愛さ愛しさ大事さがぐんと増している感じがして、たまらずぎゅうぎゅう抱きしめました。たくさんの人にたっぷり可愛がってもらえた喜びと、自分のもとへ戻って来た満足感とで、胸がいっぱいでした。可愛くて、可愛くて涙ぐむほど可愛い子。自分や夫以外の人にかわいがってもらっている姿をみると、ますますその可愛さに気付けるのだなぁ。いつもふたりでいすぎて、可愛さが当たり前になりそうになったら、苦手でもがんばって積極的に人と会うようにしよう。
by papiko-gokko | 2011-02-21 00:27 | Diary | Comments(0)

 ほとんど一日抱っこの日。今日の娘はなかなかうまいこと眠れないらしく、うとうととぐずぐずを繰り返し、洗濯機から洗濯物を取り出して干し終えるまでに、4時間もかかってしまいました。今ようやく私の足の上からクーファンに移り、すやすやモードに入ってくれたところです。あぐらをかいた足の上に寝かせると娘が心地よさそうにうとうとすることがわかり、抱っこであやして泣きやんだら、あぐらベッドでうとうとさせるようにしています。ずっと抱っこしていると腕と腰が痛くなるし、両手の自由が効かないと本当に何もできないので、この発見は救いでした。
 娘を抱いてハミングしながら体を揺らしていると、その重みと温もりで、だんだんと瞼が重く、眠たくなってきます。娘の呼吸と自分の声が密着している体にしゅるしゅる巻きついて、抱き合ったままひとつの繭になりそうな、不思議な一体感があります。たったこの前まで、お腹の中にいた命だものな。もう二度とこの子がお腹のなかへ戻ることはないのだと思うと、少し寂しくて、カンガルーのしくみが、羨ましくなります。

 私に比べて娘と触れ合う時間のどうしても少ない夫は、仕事に行く前や帰ってきてからの時間、ずっと抱っこしています。はじめのころは抱っこするたび泣かれていた夫ですが、今はすっかり娘もリラックスして抱かれるようになり、日に日に親子らしくなってきました。沐浴のほかに、耳や鼻の掃除、爪切りなどの細かい作業は、手先の器用な夫にやってもらっています。夫はお世話が上手です。
 昨日の夜は、いつの間にかおむつからうんちが漏れて小さな背中がうんちまみれになるという事件が起こり、夫が大活躍しました。新生児のうんちは固形じゃないため被害が広範囲におよび、とてもおしりふきで間に合うレベルの汚れではなく、どうしようどうしようとお風呂へ連れて行き、私が抱っこしてあたふたしている間に、夫がふたつのタライにお湯を張って、一方には汚れた衣服を、もう一方には娘を入れ、てきぱきと洗ってくれました。娘は生まれて初めてお風呂場に行ってわけのわからないことを色々されたにもかかわらず、少しも泣くことなく、きょとんとした顔でされるがままになっていました。ほんの些細なことでものすごく泣くこともあるのに、赤ちゃんの感覚って、不思議です。
 今日は午前中に夫がいたので、23日にある娘の一ヶ月検診に向けて、みんなで抱っこひもの練習をしました。一ヶ月検診が娘を連れて初めての外出になるので、当日は夫も休みをとって、3人で病院へいく予定です。装着できるまで、娘は迷惑そうに泣いていましたが、うまく装着できてからは、ふっと泣きやんで、気持ちよさそうに目を閉じたりしていました。抱っこひものずっしりとした重みは、ちょっとだけ妊娠しているときの感覚に似ている気がして懐かしく、またカンガルーのしくみが羨ましくなりました。
by papiko-gokko | 2011-02-18 21:17 | Diary | Comments(0)

d0038776_2011972.jpg 夜中の寝かしつけに、母の送ってくれたムーミンおくるみが大活躍しています。いつも抱っこで寝かしつけて、寝たかなというタイミングで娘をベビーベッドに降ろすと、敏感に変化を感じ取りぱっと目を開いてしまい、1分と持たずに泣き出すのですが、ムーミンおくるみで包んでから抱っこして眠らせ、包んだままの状態でベッドに降ろした時は、少し目を開いても、泣きだすことなく再びとろんと眠りに落ちてくれることが多いのです。これは大発見でした。
 包めばどんな布でもいいのかというとそうでもなくて、バスタオルでも毛布でもダメでした。ムーミンおくるみの包まれ心地が一番いいようです。ムーミンおくるみで包んで抱き、軽く揺らしたり背中をぽんぽん叩いたりしながら、小さな声で歌を口ずさむというのが、もっともよい寝かしつけ方だということが、悪戦苦闘を繰り返すうちにだんだんと分かってきました。それでも寝てくれないこともやはりありますが、ムーミンおくるみは手触りが抜群によくて、抱いている方も良い気持ちになれるので、それだけでも十分に大活躍です。今夜もよろしくムーミン。

 今日の娘は、午前中ぐずぐず、午後すやすや。抱っこすると、何事もなかったかのようにケロリとして澄ました顔をしていることが増えました。新生児でも、甘え泣きというのをするのかな。朝、ぐずっていないタイミングを見計らって、洗濯物を干したら、娘はずっとこちらのほうを見ていました。新生児の目ってまだ輪郭はぼやけているものの、光りの眩しさや色合いはちゃんと見えているのだとか。窓辺で次々と開かれ干されていく大小様々色とりどりの洗濯物は、眩しさと色彩に満ちていて、楽しかったのかな。
 娘が日中リビングで目を開いている時、一番よく見つめている場所は、わが家で一番大きい本棚です。がちゃがちゃと背表紙が並び、写真立てや時計が置いてある段もあったりして、リビングのなかでもっとも色の詰まった場所だからかもしれません。起きている間は手足をよく動かし、目もしっかり開いてしきりに何か興味をもって見つめているような表情をしているので、ご機嫌そうなときは狭くて視界の遮られるクーファンではなく、テーブルの上に座布団を置いて寝かせたりしています。
 今、この子はどんな世界を見て、何を想っているのかな。私にもかつて同じような赤ちゃん時代があったなんて、考えれば考えるほど、不思議です。人の脳は、どうしてそのころの記憶を残せないのだろう。残っていればそれは、たまらなく眩しくて、不可解で、目まぐるしくて退屈で、いろんな高さで抱っこされて揺らされて、やわらかなガーゼや肌着はいつも清潔で、なにもかもが、甘ったるいに違いない。

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お知らせ

 唐突ですが、ホームページ「人間ごっこ」を移転しました。移転先はこちらです。来月から今住んでいるマンションで共同のプロバイダーに加入することになり、今まで契約していたプロバイダーのウェブスペースを使えなくなるため、急きょ移転せねばならなくなりました。ホームページにブックマークなどして頂いている方は、よろしければ、お手数ですが、変更をお願い致します。これで2度目の思わぬ移転、もう最後にしたいです。
by papiko-gokko | 2011-02-16 22:39 | Diary | Comments(0)

 朝、カーテンの向こうが眩しくて、開いてみれば、思いがけない雪景色。昨日の夜、窓の外で、どささ、どばたた、と何かが屋根から落ちるような音が何度かして、「ネコが屋根から落ちたのかな」「でも泣き声しないね」なんて夫と言い合っていましたが、あれは、雪ずりの音だったのか。まだ外に出せないし目のよく見えていない娘には、残念ながら雪の冷たさも白さも教えられないけれど、カーテン越しに、いつもと違う眩しさだけは、伝わったかな。来年は雪を一緒に触りたいです。その次の年には、一緒に雪の上を歩きたいです。

 昨晩、娘は奇跡的によく寝てくれて、おかげで睡眠不足がかなり解消しました。そのかわり、今日は午後からずっと不機嫌で、抱っこしていないと怒って泣くモードになり、お乳をやったり着替えさせてみたりして、先ほどようやく落ち着きました。今夜はどんな夜になることやら。
 まだ言葉をもたない娘との日々がはじまり、私のなかで、音楽の重要性が、ますます増しました。普通にしゃべるよりも、歌うようにしゃべるほうが娘の耳に届く気がするし、歌いながらあやした方が、泣きやんでくれる気がします。本当にただ気がするだけで、気のせいかもしれないけれど、なにより、歌っていると私自身の心が軽く柔らかくなるので、娘がぎゃあっと激しく泣いて心が強張りそうになったら、歌を歌います。歌を歌うようになったら、娘につられて泣きそうになることもなくなりました。
 今、一番よく歌うのは、童謡『七つの子』です。余裕のあるときはスピッツやB’zなども歌いますが、ぎゃんぎゃん泣いてしまってとにかく何かを歌わなくちゃというときは、自然と『七つの子』が口をついてでています。きっと歌詞に「なぜなくの?」という言葉が入っているからだと思います。なぜ泣くの!?と頭の中で思うと、途方に暮れてしまうけれど、その言葉をこの童謡に紛れこませて歌うと、すうっと気持ちが落ち着いて、「カラスは山に、可愛い七つの子があるからよ」「可愛い、可愛いとカラスはなくの、可愛い、可愛いとなくんだよ」「まるい目をした、いい子だよ」と歌い続けるうちに、ほんわか優しい気持ちになれます。娘も心なしか、この歌が一番すんなり泣きやんでくれる気がします。小さなころから知っていた歌だけど、こんなに優しい気持ちになれる曲だったなんて、知らなかったなぁ。

 そういえば、今日は娘が、声をたてて笑いました。笑ったといっても、新生児の笑いは反射的なもので、感情の笑いではないそうなのですが、そうと頭で分かっていても、娘の顔がにこにこっとなると、嬉しくてにやけてしまいます。今日は、ひゃひゃひゃ!と、可笑しくてたまらないような笑い方をしたので、私もつられて吹きだしました。まるでなにか可笑しい夢でも見ているみたいな、唐突な笑い方でした。あぁ、早く感情の笑顔をみてみたいなぁ。
by papiko-gokko | 2011-02-15 23:24 | Diary | Comments(0)

 昨夜も眠れぬ一夜を過ごし、朝方ようやく少し眠り、そうこうしているうちに母の出発時間がきて、娘をムーミンおくるみに包んで抱き、玄関で母を見送りました。リビングと寝室のどちらかで毎日を過ごす娘が玄関まで出たのは、退院の日以来のことです。涙もろい母は、泣きそうなときいつもそうするようにやけにクールで慌ただしい挨拶をしてそそくさと出て行き、バタンとドアが閉まってしまうと、ふたりぼっちという言葉がぴったりの、しんとした時間が始まりました。母は騒がしい人だから、いなくなったとたん、これが今までと同じ空間なのかと思うほど、急激に静まり返るのです。
 静かになったら急に歌詞のある曲を聴きたくなり、スピッツをかけたら、聴き慣れたマサムネさんの声が、頼りなく漂っていたふたりの時間を、ふわっと包み込んでくれた気がして、しばらくおくるみに包んだ娘を抱っこしたまま、体を小さく揺らして聴き入っていました。控え目な音で流れる『ロビンソン』が2番に差し掛かるころ、娘は眠りに落ちました。お腹の中でいっぱい聴いた曲だから、やっぱり心地よかったのかな。
 気持ちよさそうに眠り続ける娘をクーファンに戻し、産後初のお菓子作りをしました。外の世界と関わらない日々ですっかり忘れていたのですが、昨日夫が職場から綺麗な包装のチョコレートをもらって帰ってきたことによって、今日がバレンタインだということを思い出したのです。思い出したところで、買いに行くことはできないし、今年は何もあげられないなぁ・・・と思いつつお菓子作りの本をぱらぱら見てみたら、今家にある材料で簡単に作れるチョコマフィンを発見したので、作ってみることにしました。
d0038776_2144753.jpg スピッツの流れる部屋で、クーファンに眠る娘の様子を横目でちらちら確認しつつ、ボウルを抱え生地をまぜまぜしていると、なんだか、私と夫の暮らしに子供の加わった新しい生活がいよいよスタートしたんだなぁという感じがして、これから始まる3人の日々に、根拠のない勇気と希望が湧いてきました。小麦・砂糖・バター・タマゴの生地にココアパウダーを加えて混ぜ合わせマーブル模様になったころ、スピッツの曲は『チェリー』になり、何度か繰り返される「きっと想像した以上に騒がしい未来が僕を待ってる」という歌詞に、胸がいっぱいになりました。
 スピッツがよほど心地よかったのか、ボウルから漂うチョコレートの香りに酔ったのか、そろそろお腹の空いてくるころだというのに娘は泣きもせず、たまに目を開けたりしながらも、うとうと静かにしてくれていました。おかげで一度も中断することなく作ることができました。日中もっと起きてよく動くようになったら、こんな風にはいかないのだろうな。生地をオーブンで焼き始めてからゆったり授乳をして、少しぐずって抱っこして、今はまた、すやすや眠っています。はやくお菓子を一緒に食べられるようになるといいね。
by papiko-gokko | 2011-02-14 21:47 | 手作り | Comments(0)

母と娘との濃密な日々


 相変わらず昼夜逆転中の娘。昨日は今までで最も壮絶な一夜で、抱っこしていないと泣き続け、一時間ごとにお乳をやりながらあやしているうちに朝日が昇り、一睡もできませんでした。受験の冬だって3時か4時には寝ていたし、一人暮らしの寂しさからネット世界にどっぷり依存していた時期も朝5時にはベッドに倒れ込んでいたので、こんなにも寝ないで過ごす毎日は、生まれて初めてのことです。新生児のパワーって、すごい。
 普段は泣いても起きない夫も、泣き続けていた昨日はさすがに眠りが浅かったらしく、6時半のアラームで起きてからしんどそうに出勤準備をしていました。そんな夫をぼんやり眺めつつ、眠けのピークを何度も超えすぎてやけに清々しくなっている頭で授乳していたら、やがて母が起きてきたので、お腹いっぱいになった娘を母に託して、私は10時半まで眠りました。娘も授乳後は深い眠りに落ちたようで、私が起きてから30分後に目を覚まし、その後もおっぱいを飲み終えてはよく眠り、昨夜の暴れっぷりが嘘のように穏やかな寝息を立てていました。

 こうして母を頼れるのも、今日で最後。出産翌日からたっぷり3週間いてくれた母は、明日の電車で帰ります。ワイドショーを見ながら朝ごはんを食べ、昼ドラを見ながらお昼を食べ、小腹が空いたら娘の寝ている時間を見計らってだらだらとお菓子を食べながら、母や実家を取り巻くやっかいな人間関係のことなど同じような内容をいくらでもしゃべり続け、娘が泣きだせばオムツを変えたり授乳したりしながら娘のしぐさや成長っぷりを楽しみ、夫の帰りが遅い日にはふたりで娘をお風呂にも入れ、混じりけのない濃密でのどかな3週間でした。
 母とこんなに長い期間、毎日ずっと家でべったり過ごしたのなんて、記憶の限りでは、初めてのことです。きっとまだ幼稚園へ通いだすよりもっと前、自分が生まれてから妹が生まれるまでの3年間以来のことではないかと思います。今、私の娘が私との生活を記憶できないように、私にもそのころの記憶は残っていないけれど、母が孫と一緒に過ごすなかで思い出しては語りだす私が新生児だったころの話から、今の私と娘によく似た、当時の私と当時の母に、少し出会うことができました。母の毎日つくってくれた料理は、子供のころ当たり前に食べていた味で、実家で家族と暮らしていたころの無数の風景と会話の染み込んでいる味で、自分がこの人に育てられたのだということを、教えてくれました。
 母親のなんたるかを学んだ、なんていうと大げさだけど、母に育てられてきた娘として、これから娘を育てていく母親として、母と新生児の娘と過ごしたこの濃密な3週間は、とても印象深い、意味深いものでした。濃密すぎて苛立ちケンカっぽいこともしましたが、慣れない土地で色々とやりにくい中、一生懸命に私のお世話してして回復を助けてくれた母には、あした目を見てありがとうを言えそうもないぐらい、感謝しています。せっかちで心配性で何かと空回りすることも多いけれど、母は昔から私や妹たちの事に対していつもいつも、一生懸命なのだと、今回お世話をしてもらってよくわかりました。私も娘のこと、これから一生懸命にお世話しよう。一生懸命に育てよう。

 明日から、夫が仕事にいっている時間は、娘とふたり。どんな毎日になるのだろう。楽しみでもあり、不安でもあり。これまでは娘が寝てくれているとき、私も寝るかもしくはこうして日記を書くかのニ択でしたが、これからはそれに家事も加わり三択になります。娘との生活のために家事ははずせないとして、睡眠より日記を選んでしまいそうな自分が恐い。だって、娘が生まれてますます書き残したいことだらけの毎日なのに、書かずになんて過ごせない。嗚呼、3時間でいいから、今夜は眠れますように。
by papiko-gokko | 2011-02-13 22:28 | Diary | Comments(0)