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日記と短歌


by papiko

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 仕事中、時間のあいているときには、マニュアル作りに没頭しています。もうじきやってくるであろう新人さんに、私の仕事を引き継ぐためのマニュアルです。手順を覚えて身につくではややこしく難しく感じるあれこれを、いかに分かりやすく丁寧にまとめられるか、自分のこれまでやってきた仕事への愛情とプライドをかけて、一生懸命つくっています。
 妊娠するまえから、仕事辞めたい病になったときには、いつでも辞める決意ができるように、ストレス発散の手段として、ちょこちょこマニュアル作りをしたりしていました。なので、マニュアルの土台は1年半前ぐらいにもうほとんど出来上がっていて、今は主に、それらの文章を修正したり、フォントや色を変えたり、マーキングしたり、スクリーンショット画像を挿入してコメントや矢印など入れたり、、エクセルでできる視覚効果を自分の分かる範囲で最大限に駆使しながら、より見やすくなるよう、がんばっているところです。思えば入社したばかりのころは、数式なんてほとんどちんぷんかんぷんで、簡単な表を作るのさえ時間がかかったものなのに、約5年間で随分色々な機能や数式を使えるようになりました。この進歩は、私が営業事務の仕事で得ることのできた、ささやかな誇りのひとつです。
 辞めたい病のときは、ただただ自分の心の安定のために作っていたけれど、今は、引き継ぐためにつくっているので、マニュアルに取り組む思いの深さも全然違います。いうなれば、ホームページをつくっているときと同じぐらいの思い入れをもって作っています。楽しくて、楽しければ楽しいほど、寂しくもなります。同じ川の流れのなかで、一緒に舟を漕いできた人たちのなかから、気づけば私の小舟だけが、すうっと少しずつ少しずつ、みんなの位置から離れて、別の流れに乗り始めているような。気づけばみんなの舟はもう、私に背を向けて、私とかかわりのない流れのほうへ、進んでいってしまうような。舟は流れて続け止まってくれないから、これから別の小舟でやってくる新しい人が、私に変わってスムーズにみんなの流れに入っていけるよう、上等のマニュアルをつくらなくてはいけません。
 大学時代にアルバイトで新しく来た人にちょこっと仕事を教えたりしたことはあったけれど、数年間自分のやって来たことをごっそり引き継ぐという経験は、今回が初めてです。だから、いつごろ来るかもわからないのに、早くも緊張しています。会話が苦手な私はきっと説明も下手クソだろうから、せめて、マニュアルだけはしっかりと、見やすく作り込んでおかなければ。イメージとしては、プリンをお皿に移し替えるみたいに、慎重に滑らかに、つるんとうまいこと引き継ぎができればいいなと思っています。
 そしてできれば新人さんにも、私の大好きな担当営業さんを、私と同じぐらい大好きになって仕事してくれたらいいなぁと思います。私の担当営業さんは、みんなから「ドS間違いなし」と言われているほど厳しい口調の人だから、冷たくあしらわれるぐらいがちょうど心地いいんですっていう人がきてくれると、うまくいきそう。私は甘やかされるとどこまでも甘ったれて調子にのる人間だから、甘くない人で助かりました。いっぱい泣いたけど、結果的には、清々しくて助かりました。あぁ、どんな人が採用されてくるのだろう。楽しみ半分、恐さ半分です。
by papiko-gokko | 2010-09-29 21:16 | Diary | Comments(0)

d0038776_2258161.jpg かぎ針編みの特訓に、日々勤しんでいます。あまり長時間集中し過ぎると肩こりと目の疲れがひどくなるので、一日ひとつずつ新しい編み方を習得するというペースで進めています。
 その結果、ここ一週間で、なんとかいくつかの基本的な編み方ができるようになりました。右の写真は、その特訓の成果です。ところどころ目が飛んでいたり、ゆるんでいたり、決して美しい編み目とは言えないけれど、初めて編んだ記念に写真を撮りました。上から順に、こま編み、長編み、方眼編み、ネット編み、それから下の丸いふたつは、それぞれこま編みと長編みで輪に編んだものです。輪に編むためには、増やし目をしながら編まなければならないため、普通に編むより難しくて、最初の段階で何度もやり直しました。
 私が教科書にしている『いちばんわかりやすい かぎ針編みの基礎BOOK』には、まだまだたくさんの編み方が載っており、目次でまだ知らない編み方の名前を見ていると、一刻も早くできるようになりたくて、うずうずしてきます。私の計画では、この本に載っている編み方を一通りマスターすれば、すでに数冊買ってあるベビーニット本の中身に、取りかかることができるはずなのです。特訓の合間にベビーニットの本をぴらぴらとめくっては、はやくこれを編めるようになりたい!という想いを強めています。載っているどれもこれもが可愛くて、これらを自分の手で編めたらどんなに素敵だろうかと、夢が膨らみます。
 ベビーニットの可愛い本を傍らに置きつつ、明日も明後日も、基礎の特訓に励みます。手ごたえのある特訓って、楽しいな。だんだんできるようになってくるって、嬉しいな。ひとつの目標に向かってがんばるのって、気持ちがキラキラするなぁ。
 
by papiko-gokko | 2010-09-27 23:39 | 手作り | Comments(0)

 寝ても寝ても、眠気の取れない日曜日。6時半に一度起きて仕事の夫にお弁当をつくり、その後11時まで二度寝して、起きてのろのろ納豆たべて、洗濯物と部屋の掃除だけがんばってから、あとはぼんやり、ネットをしていました。
 最近、ネットの世界は昔ほど、私のことを楽しくしません。現実の生活が大キライだったころなど、ネットの世界に吸い込まれてしまいたいと思っていたこともあったのに、今は、あぁもううんざりだみたくない・・・と感じることのほうが増えました。以前はほどよく私の心を刺激した、ネット上で繰り広げられる知らない人同士の強気な自己主張は、今、私の心を冷やし乾かし、しんどくするばかりです。聞きたくないことばかり流れ出して来て、そしてそれを、つい読んでしまう愚かさ。

 打たれ弱くなっているのか、許容量が減っているのか、ニュース番組を見ていても、最近とてもしんどくなります。こんな恐いことだらけの世界に、問題山積みの世界に、私はこれから私の遺伝子をもつ子を産んで育てていくのだなぁと思うと、その重みに、押しつぶされそうになります。
 だからといって、こんな世の中に生んでいいのだろうかなんてことは、決して思いません。自分がこれまで生きてきた期間にも恐ろしい事件はたくさん起こったけれど、そのとき「こんな世の中に生まれたくなかった」なんて本気で思ったことはなく、むしろ「私は死にたくない、生きていたい」という想いが強くなったから、だから、どんな時代も、生まれてくることはよいことのはずで、生まれなければよかった世界なんてないと、信じているし、一瞬でもそれを疑うのは、日々お腹の中で成長して動くお腹の子に対してひどく失礼なことだと思います。
 ただ、生まれてくる子には、なるべく明るい優しい世界で生きてほしいから、暗く非常なニュースを聴くたびに、恐くて胸が押しつぶされそうで、やめてくれもうやめてくれと、耳をふさぎたくなります。そしてチャンネルに手を伸ばしながら、いやしかしこれから子供を育てる私がここから目をそらしてはいけないのではないか・・・と、変な葛藤がはじまり、いらいらしながら嫌なニュースを見続け、地方のお祭りに関するニュースや天気予報になってから、ようやくほっとして、テレビから意識を放すのです。
 ニュースだけでなく、職場の人や身内から生き辛い現状や後ろ向きな心情を聞くたび、ずんと気持ちが沈みます。どうして世の中みんなが同時には笑っていられないのだろうかと、そんなの当たり前で仕方のないことなのに、疑問に思って、ずんと沈みます。

 好きな音楽をかけながら、お菓子をつくったり、かぎ針の練習をしたり、絵の具で落書きをしたり。そういうことが、今の私にとって、一番楽しく、幸せな気持ちになれることです。妊娠している今は、わざわざ現実に目を凝らしたりせず、そういう好きなことだけに没頭して、自分と赤ちゃんに関することだけふわふわ考えて、頭の中をお花畑状態にしていたいなぁと思う自分と、妊娠している自分とそれとは関わりなく進んでいくシビアな現実とを、なるべく冷静に見つめていたいと思う自分とがいて、結局どちらも中途半端なまま、ぼうっとしています。

 ひとりでいると、気持ちが沈んでいけません。夫が家にいるときには、そばで夫が自分の好きなことに好きなだけ取り組んでいるから、私も自分の好きなことを思う存分前向きな気分でやれるのだれど、夫がいないと、やりたいことと、やるべきこととのバランスがとたんにとれなくなって、境目があいまいになって、やりたいこともやるべきことも、全部やりたくなくなってしまいます。これから仕事を辞めたら、子供が生まれる日まで独りで過ごす時間が格段に増えるのだから、家で過ごすときの自主性を補わなくては。
 夫はまだまだ帰らないから、今日はこれから、かぎ針の特訓をがんばろう。スピッツを聴きながらやります。今、季節のせいだけじゃなく、スピッツの歌詞が胸に沁みます。スピッツの歌詞にでてくる主人公(それはマサムネさん自身なのかな、架空の人なのかな)の、他人や外の世界に対して諦めている部分と、あくまでも守り抜こうとしている部分とが、自分のそれと似ている気がして、慰められるし、落ち着きます。なんでもかんでもに希望をもていなくたって、いいや。守りたいものがかろうじて守られていれば、ひねくれながら生きていけるよ。
by papiko-gokko | 2010-09-26 18:49 | Diary | Comments(0)

 高校時代の夢を見ました。高校時代の夢には二種類あって、ひとつがテスト当日だというのに勉強を全然やっていなくて、そのうえ教科書も持ってくるのを忘れていて、「どうしよう!なんで忘れとったんだろう!」と焦り騒ぎたてる夢、それからもうひとつが、演劇部の公演当日にまったく自分のセリフを覚えていなくて、必死でアドリブをするもののまるで的外れなセリフを言ってしまい、冷や汗をかく夢です。今回見たのは、冷や汗をかくほうの夢でした。なぜだかその公演は、丸井百貨店の広場で行なわれていて、お洒落女性の冷めた視線に耐えながら、必死でへらへら取り繕っていました。あぁ、くたびれた。中学や高校時代の夢を見ると、なんだかすごくくたびれます。あの頃だからがんばれた大変なことというのが、いっぱいあるんだなぁ。

 そんな夢をみて目覚めれば、今日は夫も休みの休日。布団から出ると空気も床もひんやり冷たくて、ふたりとも衣替えで出した冬服をさっそく着こみました。私は先日ネットで注文した妊婦用の厚手タイツを履き、その上から腹帯をして、腰痛ベルトもして、だるまのようになりました。急な寒さによる風邪と腰痛には、万全の対策を取って挑まなくては。着替えながら、温度変化に弱い夫がくしゃみを連発して、これはいかんと、漢方薬と鼻炎薬を飲みました。
 朝ごはんを食べて少し落ち着いてから、お出かけをしました。家から割と近いと知っていながら、これまでまだ歩いてみたことのなかった、普段使っているのとは別の最寄り駅まで、歩いてみることにしたのです。一度、その駅から家まで私ひとりで歩いてみようとしたときは、途中で道に迷ってしまい散々だったので、今回も覚悟して出たのですが、夫と歩くと案外すんなり、駅まで辿り着くことができました。夫も方向音痴ではあるものの、私よりはマシなのかもしれません。
 出かける間際に窓から確かめた時には曇り空だったので、外はさぞかし寒いだろうと思い薄手のコートを着て、今年初のブーツをはいて出かけたら、みるみるうちに雲が散り、日が高く昇るにつれ暑くなってきて、途中でコートを脱ぎました。いくら急に寒くなったとはいえ、さすがにちょっと気が早すぎたみたいです。それでも、コートを脱ぐと日陰では風が冷たいぐらいで、日陰から日なたに出るたび日光が、「あっつい!」じゃなく「あぁ、あたたかい・・・」と感じられる心地よさで降りそそぎ、あぁこの日を待っていたんだ・・・と、穏やかな秋の光に感謝しました。
 すんなり駅についてから、せっかくなので買い物をしようと駅の近くのブックオフに寄ったら、半額セールをやっていて、夫は漫画とレシピを数冊、私はいわさきちひろ画集を買いました。ブックオフのあとは、駅からちょっと歩いたところにある電気屋さんで、蛍光灯を買いました。リビングの電気が、昨日の夜から切れていたのです。ちょうどいいタイミングで電気屋さんのある街に行けて、ラッキーでした。
 電気屋さんを出たころにはお腹が減っていて、私のリクエストにより、おそばを食べて帰りました。天ぷらそばのでてくる夢をみて、とてもおそばが食べたかったのでした。どういうわけか妊娠してから、このような具体的な食べものの夢をよく見ます。一昨日はイカリングフライでした。お腹の子は、揚げ物が好きなのかな。

 帰り道、家のすぐちかくに、昔からやっていそうな貫禄のある自転車屋さんを発見して、家に帰り荷物を置いてひと心地ついてからすぐ、夫の自転車をひいて、その自転車屋さんへいきました。夫の今乗っている自転車には買った当初からカゴがついておらず、自転車通勤するには不便なので、どこか自転車屋さんがあればつけてもらいに行きたいと、前々から言っていたのです。
 こういう昔からやってそうなとこのおじさんは頑固だったりするから恐い・・・と怯える夫を勇気づけつつ、緊張ぎみにガララとサッシの引き戸を開けると、演歌のかかる店内の真ん中で、分厚いメガネをかけたおじいさんが丸椅子に座っていました。夫が自転車を引いて入って「カゴを取り付けたいのですが」と言うと、おじいさんは「はいよ」と立ち上がり、「こんなのと、こんなのと、こんなのがあるよ」と、数種類のカゴを出してくれました。ステンレス製の目が粗く底の浅いスタイリッシュな形のものや、丸みのある典型的なメッシュタイプのものや、大きなプラスチック製のものや、いろいろとあるなかから、夫は茶色い籐カゴ風のカゴを選びました。夫の自転車はサドルもハンドルも茶色だから、茶色いカゴがとても似合います。素敵な自転車、羨ましい!
 元々カゴのついていなかった彼の自転車は、やはりカゴをつけないものとして作られている特殊な自転車だったらしく、おじいさんさんが、ネジやらボルトやら大量に入っている引き出しをジャガジャガ開けたり閉じたりして、「これならはまるかな、いや、はまんねぇなぁ・・・これなら・・・お、これならいけるか・・・」と、プロっぽい長いドライバーで、一生懸命に取りつけてくれました。おかげで、特殊な自転車なのに、しっかり固定してもらうことができました。さすが町の自転車屋さんです。「ガタガタするようなら、また来てくれたら直すからね」と言ってくださって、私も夫も、入る前の警戒心と緊張が嘘みたいに、ふわふわやわらかな心地でお店をでて、つけてもらったばかりのカゴに、私のリュックを入れて帰りました。雨合羽もあるし、カゴもあるし、夫の自転車通勤はこれで安泰です。

 二度も外出してくたくたになったので、家に帰ってからは、編み戸の窓から吹き込む自然風のなかで、少し眠りました。いつのまにか夫がお腹に毛布をかけてくれていました。これからは、お腹を冷やさないことを、なにより注意して過ごさなくてはいけないなぁ。
 夜は、叔母が「赤ちゃんがぐんぐん大きくなるように」と島根から送ってくれた上等の和牛で、焼き肉をして食べました。やわかくて最高においしくて、でもあっという間にお腹が一杯になってしまい、半分以上は冷凍することになりました。私も夫も小食で、特に焼き肉など若者向けの料理だと、一人前食べきらないうちに満腹になります。子供が生まれても、食べ放題なんかは絶対に元が取れないから、連れていってやれないなぁ。
by papiko-gokko | 2010-09-25 22:50 | Diary | Comments(0)

 冷たい雨降る秋分の日。休みの日にも関わらず、今日はがんばって早起きしました。そしてとんでもなく珍しく、仕事にいく夫のために、お弁当をつくりました。、私の退職後は毎日つくるという約束をしたので、その約束に信憑性をもたせるための、予行練習です。お弁当といっても、つくったのは卵焼きと豚肉炒めだけで、あとは冷凍食品。ご飯のほうには、のりと、おかかと、シャケを入れました。イメージでは三色旗のように美しくなる予定でしたが、実際には、乱れたテレビの画面みたいになりました。眠たくて眠たくて、それが精一杯でした。仕事を辞めてからは、もう少し自分に厳しくなろう。

 夫を見送ってからたっぷり二度寝をして、10時半ごろ再び起きたら、窓の外から強めの雨音がして、低く雷が鳴っていました。起きて空気を入れ替えようと窓を開ければ、クーラーをつけずにいられない暑さだった昨日とは打って変わって、靴下を履かなければつま先が冷たくなるような肌寒さです。こうしちゃいられないと、慌てて衣替えをしました。衣装ケースから冬服を取り出し、タンスから出した夏服と入れ替えていると、あぁ巡る季節のなかで人生はぐるぐると繰り返しながら過ぎていくのだなぁと、可笑しいような物悲しいような気持ちになりました。人生って乗り物に例えるならば電車とか自転車とか、そういう前進する物のイメージだったけれど、本当はいくつかの小さな、観覧車なのかも。ぐるぐる回りながら、私の場所に誰かが乗ったり、降りたり、私もまた誰かの場所に、降りたり、乗ったり。景色が素晴らしかったり、風がひどくて揺れて泣いたり、霧に覆われたり、不思議な色の鳥が通り過ぎたり。
 衣替えをしながら、スピッツを聴いていました。秋から春にかけての生活になじむのは、スピッツなのです。9月29日に発売される新曲『シロクマ』が公式の試聴ページにアップされていたので聴いてみたらたまらなく素敵で、繰り返し聴いています。「星なる少し前に」という歌詞に、きゅんと一気に心を持っていかれました。スピッツを聴いていると、日本語ってこんなに可愛い言葉だったんだなぁと、日本語をつかう文化で生きていることが嬉しくなります。

 午後は、腐りかけのバナナを発見してバナナのパウンドケーキを焼いたり、かぎ針編みの特訓をしたりして、のどかで理想的な休日の過ごし方に成功しました。ケーキの焼き上がる甘く香ばしい匂いと、ゆるゆると編まれて小さくなっていく毛糸玉の柔らかさは、私をとろけそうに幸せな気分にしてくれます。今日はケーキの香りが漂い始めるタイミングと編み物の調子が上がってくるタイミングが同時だったので、鼻をクンクンさせながら針を動かし、でろでろ悦に入っていました。こんな幸せ気分に浸れるのも、秋が来てくれたおかげです。夏の間は息も絶え絶えな毎日で、のんびり編み物なんてできる精神状態じゃなかったし、お菓子も焼く気にならなかったものなぁ。かぎ針編みは特訓の甲斐あって、鎖編みとこま編みに続き、長編みと方眼編みもできるようになりました。この調子でどんどん覚えて、一ヵ月後には、なにかしらベビーニットを編み始めていたいです。
 夕方には夫が帰ってきました。雨の中自転車をこいで帰って来た彼はハイテンションになっており「雨の中を自転車ですっとばしてると、無敵な感じがしてくる!」と、濡れた前髪をふるふるさせて言いました。無敵なのは気のせいだけど、誕生日にプレゼントした雨合羽がさっそく役に立ったようでよかったです。
by papiko-gokko | 2010-09-23 23:20 | Diary | Comments(0)

 この日記の記事のタグに「こども」「ものづくり」「横浜の人々」という3つを増やしまし」た。タグの数は、そのまま私が大事にしたい事の数です。だからむやみやたらとタグの数を増やしすぎて、本当に自分の大事なもの、書きたいことを見失ってしまわないよう、最初の段階で決めたタグだけでこれまでなんとか分類していました。しかし、どの分類に入れてもしっくりこない大事な事が、とうとう明確になってきたのです。だから、その新しい大事なことをきちんと大事にするために、思いきって3つのタグを増やしました。生きていくうちに大事なことが増えていくのは、仕方がないことみたいです。これからも、どうしても増やさなくてはならなくなったときには、慎重に慎重に増やそう。

 それから、タグに関してもうひとつ、2年前ぐらいから暇な時に少しずつやっていた、「タグ機能を使い始めた2008年11月以前の過去記事にタグをつけていく」という作業が、今日やっと終わりの時を迎え、ようやく一番初めの記事、2004年1月7日までタグをつけ終えました。
 タグをつけるためには、その記事の内容を把握するために過去に書いた自分の記事を読まなければならず、それはかなり精神的なパワーをつかうことなので、一気にはとても進めることができず、結果的に2年もかかってしまったのでした。私にとって、過去の記事をたどることは、口内炎を舌の先でつつくことに似ています。すごく痛いんだけどそれがちょっと気持ちよくもあり、ささやかながらも命がけの行為。自分の書いた文章ぐらい、素直に気持ちよくなれればいいのにと思うのだけれど、気持ちいいけど強烈に、それはもう強烈に痛くて、めったにまとめて読み返したりはできません。
 たとえばここに書いている内容が、自分自身の人生の生々しい部分と切り離された客観的なことならば、痛みを感じることなく、ただただ気持ちよく読み返せるのかもしれません。だけど、私は私の日々や思考をつかってしか文章を書けないし、それに自分自身、書き手が自分の人生の生々しい部分をどこかしら犠牲にして書いている文章を愛するから、だからどんなに読み返すたび痛くても、この書き方の方向性を、やめることはできません。そして、そんな自分の文章を恥ずかしいと思う気持ちより、書きたいそして読んでもらいたいと思う気持ちのほうが、何倍も強いから、これからも書き続けます。そしてたまに読み返して、口内炎をつつくような険しくも甘い気持ちで、読み返します。嗚呼、我ながら、気持ち悪い!でも、日記ってきっと、そういうもの!
by papiko-gokko | 2010-09-22 21:25 | Diary | Comments(0)

編み物


昨夜早めに布団に入ったにもかかわらず、連休明けの朝はやっぱり眠たくて、顔を洗っても着替えても歯磨きしても、いつまでたってもうつらうつら状態から抜け出せなくて、電車を乗り過ごしそうになりました。ようやく目が冴えて来たのは、午後3時をまわったころだった気がします。今週は不思議な休みが続いて体に力が入らないけれど、がんばろう。

 ベビーニットを編める日を夢見て、かぎ針編みの練習をはじめました。編み方の基礎が描いてあるページを見たり、ネットで動画を見たりしながら、見よう見まねで編んではほどき、編んではほどき、ようやく、かぎ針編みの基本中の基本である「鎖編み」と「こま編み」ができるようになったところです。できるようになったといっても、まだまだ編み目がいびつで、正しく編めているかどうか怪しいところです。とにかくまずは、かぎ針をつかう感覚を、手に記憶させることだな。そうすれば棒針の時と同じように、楽しく淡々と編めるようになるはずです。
 かぎ針編みには、想像以上に様々な編み方があって、購入したベビーニットカタログの編み図にも、様々な編み記号が散りばめられていて、こんなの本当に編めるようになるのだろうかと、気が遠くなります。なにからなにまで、わからないことだらけです。詳しい誰かに、手とり足とり教えてもらいたいなぁ。
 夫の実家にいけば、義母も義祖母も、いらなくなった自分の洋服でちゃちゃっと姪っ子のお洒落服を作っちゃえる人たちだから、私のやろうとしている易しいかぎ針の編み物なんて朝飯前のはずで、ベビーニットカタログを指差して「これを作りたいのです」と一言お願いすれば、すぐに教えてもらえるでしょう。そのほうが、ひとりでがんばるより、身につくのも完成するのも、ずっと早いかもしれません。だけど、まずは人に頼らずなんとかやってみたいのです。独学で一ヵ月ぐらい修行をしてもまるで成長できなかったら、そのときは、教えてもらいにいこうかな。
 カタログのなかには、どう考えてもハイレベルすぎて、今の私には到底不可能と思われる手の込んだポンチョやワンピースものっていて、それに関しては、もう最初から作ってもらっちゃおうかなぁ・・・と、甘ったれたこともすでに考えています。ただ、夫曰く、「あの人たち、基本的に自分の作ったものしか好きじゃないから、カタログ通りには絶対つくらないと思うよ」とのことでした。確かにそれはなんとなく、夫をみていれば想像がつきますが、あの家の人たちならきっと素敵に仕上げてくれるに違いないので、それはそれで、楽しみです。
 よし、今夜は寝るまで引き続き、こま編みの練習をがんばろう。今日は暑くて扇風機をまわしているけれど、扇風機の風に吹かれながら、真冬に想いを馳せて編みます。 
by papiko-gokko | 2010-09-21 23:45 | Diary | Comments(0)

d0038776_20102411.jpg 今日は夫の誕生日。初のデコレーションケーキに挑戦しました。本当はイチゴショートにしたかったのだけど、今の時期はどこの八百屋さんにもイチゴが売っていなかったため、仕方なく、缶詰のフルーツでデコレーションしました。
 相変わらず手際は悪いものの、とにかくレシピ通り分量通り進めて、スポンジもうまく焼き上がり、生クリームもいい感じに泡立てることができたのですが、最後の最後、スポンジに生クリームを塗る作業が、すごく難しくて、見本のようには綺麗にできませんでした。レシピではパレットナイフと回転台をつかっていたけれど、私はそのどちらも持っていなくて、お皿の上でヘラをつかってがんばったので、それを綺麗にできなかった言い訳にします。無論、元々不器用というのも、大いにあるのだけれど。回転台はともかく、今後上達するために、パレットナイフは買いたいなぁ。
 ケーキがひと段落したら、夜ごはんの準備。今晩は、餃子を大量に焼きました。夫がちゃっちゃか餡をつくって、包むのは私も手伝いました。餃子って、何度やっても上手に包めません。餡がはみ出したり、皮がやぶれたりします。それに対して夫は、職人みたいな速さで美しい形の餃子を次々作っていくので、びっくりします。彼の手先をみて真似しても、私のはやっぱり不格好で、アンバランスです。
 お腹いっぱい餃子を食べたあと、冷蔵庫で冷やしていたケーキをさっそく切り分けて食べました。スポンジの柔らかさも生クリームの甘さもほどよくて、美味しかったです。ただ、分量通り直径18センチの大きさで作ったものだから、ふたりで食べるにはかなり多くて、まだ半分残っています。せっせと食べなくては。それから、やっぱりイチゴの不在に、何か物足りなさを感じました。イチゴがあれば、もっと美味しかった気がします。お腹の子は、ちょうどイチゴの季節に生まれてきてくれそうなので、生まれてからの誕生日には、イチゴのデコレーションケーキをつくろう。ちょっとひさびさにお菓子作りをして、お菓子作り好きだ!と改めて思いました。きっちりレシピ通りにすべき部分と、レシピをはみ出して自由にやっていい部分との比率が、自分がものづくりに挑むときの姿勢と、すごく合っている感じがします。
 誕生日プレゼントには、雨合羽をあげました。オレンジ色のパーカーに黒いズボンの、かっこいい雨合羽です。引っ越してから自転車通勤になったので、雨の日には雨合羽が必要だとこの前の雨で気付き、雨合羽をプレゼントすることに決まりました。夫はさっそく着てみて、しばし部屋をうろついたのち、「あっついわ」と、急いで脱いでいました。今はまだ暑いかもしれないけれど、これからぐんぐん寒くなっていくのだから、暑いぐらいのほうが安心です。
 ケーキを食べて、プレゼントを渡した後は、昨日買ってきたクレヨンとクレパスと水彩絵の具で遊びました。画材って、楽しい!特に絵の具、ひさびさに塗ってみると、すごく楽しい!パレットで色と色を混ぜ合わすぎて汚くなったり、水を含ませ過ぎてにじんだり、難しくて燃えました。夫と競争で、いわさきちひろっぽい絵を描こうとがんばったりもしましたが、ふたりともちっともうまくできませんでした。私のはつまらないただの女の子の絵になったし、夫の絵などは邪悪な宇宙人みたいなことになっていて、ひとしきり笑い転げてから本物の絵を見て、あぁ・・・やっぱりすごい方なのだなぁ・・・真似できるもんじゃないんだなぁ・・・と、思い知りました。あんな風にやわらかくて可愛らしい絵を、一体どうやったら描けるのだろう。これからも、夫が絵の具をつかうときは、私もそばで使わせてもらって、お絵描きを楽しもうと思います。
by papiko-gokko | 2010-09-20 22:01 | Diary | Comments(0)

吉祥寺めぐり


 ようやく涼しくなったので、夫とバスに乗ってひさびさの吉祥寺へ。今回の主な目的は、私のつくろうとしている赤ちゃん用ニットの毛糸と、夫の絵本づくりのための画材を仕入れるため、ユザワヤへ行くことでした。新居から吉祥寺へいくのは初めてだったので不安だったけれど、最初バス停がわからなくてちょっと迷ったほかは、スムーズに到着することができました。休日のバスは、のどかでいつも眠たくなります。
 到着したのがちょうどお昼頃だったので、お昼ご飯を食べました。せっかく吉祥寺なのだから、隠れ家的お洒落カフェにでも入ればいいのですが、隠れ家は隠れているのでわからないし、中には大変分かりやすいところにある隠れ家的雰囲気のお店もあったけれど、それはそれで、ひねくれものの私と夫が、店長のこだわりに満ちているであろう店内の雰囲気や料理を素直に楽しめる自信がなくて、ひと通り商店街を歩いた結果、安いチェーン店に入りました。その店内は10代の若者で溢れていて、ワイワイガヤガヤ学校の食堂のようで、私たちはそそくさと食べてお金を払い、「今度からはおにぎりを握って行って、井の頭公園で食べようね」と硬く誓いあいながらお店を後にしました。私も夫も、外食は苦手です。私は食べきれないかもしれない恐怖に思考が埋め尽くされるし、夫は店員やお客さんの些細な言動ですぐ心が折れて、美味しく食べられないので。楽しく大らかに外食できる夫婦が、羨ましいです。子供が生まれても、どこかの広場で三人で、いつもおむすび食べよう。夫がおむすび握って、私はおしぼり搾って行こう。

 落ち着かない食事のあとは、ユザワヤへ直行し、まずは夫の画材を選びました。買ったのは、30色クレヨンと、20色クレパスと、18色水彩絵の具です。30色クレヨンだなんて、夢のよう!
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 子供のころは、小学校の入学時に買わされた12色か16色のものが当たり前で、たまに文房具屋さんで30色も40色も入った鮮やかなクレヨンや色鉛筆を見かけても、そんなぜいたくなもの買ってもらえるとは思わず、世界地図の外国を見るような心地でただうっとり見惚れていたものだったのに、それを大人になるとこうしてさらりと買えてしまうのだから、大人になるっていいもんだなぁと思います。当時はなんとなく、もっととんでもなく高価ものだと思っていました。
 クレヨンもクレパスも、箱を開けると懐かしい匂いがしてきて、私も絵を描きたくなりました。小学校で私の使っていたクレヨンやクレパスはやたらとすり減っていて、巻き付けてある紙は破れ、本体はポキポキに折れ、失くしている色もあったりして、1年生の終わりごろにはすでにもうぼろぼろでした。男の子には私と同じようになっている子も結構いたけれど、女の子は大抵きちんときれいに揃っていたので、どうすればそんなふうに使えるのだろうかと、不思議に思ったものです。絵を描くのは大好きだったから、あんなにぼろぼろに使う子じゃなかったら、30色のクレヨンを、買ってもらえたのかも。

d0038776_2202949.jpg 画材選びあとは、毛糸を選びました。赤ちゃん用毛糸のコーナーがあったので、私がそこでクリーム色と桃色を手にとっていたら、少しあとからやってきた夫が、「もっとはっきりした色がいいと思う」と、赤やら紺やら黄色やら、赤ちゃんっぽくない色合いの毛糸を次から次へと買い物かごへ入れていきました。どの色を、何に使おう。数種類のかぎ針を3本と細い毛糸用の棒針も買ったので、準備は万端です。少なくとも、ベストと帽子とソックスぐらいは、がんばって編みたいなぁ。かぎ針編みの基本を、まずは訓練しなくては。棒針編みのほうも基礎しかしらない上に1年間のブランクがあるから、思い出しつつ勉強しなくては。そしてとびきり可愛いのを編もう。

 ユザワヤで満足したあとは、井の頭公園へ行きました。本当は、タイ焼とお茶でも買ってからいきたかったのだけど、今、ユザワヤが改装中のためお店の場所を移転して営業していて、その影響で道に迷ってしまい、公園に辿り着くだけで精一杯でした。秋らしい空の下まだ夏の気配が残る公園では、かろうじて、ツクツクボウシが鳴いていました。
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歩き疲れてベンチで腰をおろし、しばらく池と緑をぼんやり眺め、そばの枝にとまったトンボや池を通り過ぎていくカモを、16倍ぐらいにして写真に収めようとしてことごとく失敗し、家族や恋人同士で賑わうアヒルのボートを目で追い、近くのベンチに絶妙の距離感で腰かけてソフトクリームを食べる初々しい中学生カップルをチラチラニヤニヤ見つめ、その他とくにすることもなかったので、やっぱりどこかで甘いものを食べようと、井の頭公園を後にしました。つくづく、お昼ご飯を井の頭公園で食べたらよかったなぁ。今度からは絶対にそうしよう。レジャーシートを持ち歩く人になろう。
 
 井の頭公園を出たころには、疲れがピークに達していて、お洒落でも独特でもなくていいから、とにかく落ち着いた雰囲気の喫茶店で休みたいと、デパート内の喫茶店をめざすことにして、しかしデパートになかなかたどり着けず、ついにケンカになりました。ケンカになったというか、思い返せば私がいきなり唐突に、ぷつんと切れてしまったような気がします。とにかく疲れて疲れて、私に負けず劣らず方向音痴の夫にイライラしてしまい、限界だったのでした。
 もういい!と、夫を追い越してがむしゃらに歩いているうちに、デパートに辿り着き、しかし2階のカフェも3階のカフェも満員で、私がますますカァアとなっていたら、夫が「屋上にいこう」というので、カアァとなったまま、屋上へいきました。するとそこに、混んでいなくて落ち着いた雰囲気の、オーソドックスな喫茶店があったのでした。そういえば、デパートの屋上っていうのは穴場なのだと、いつか夫が言っていたっけ。その喫茶店で私はバナナジュースを、夫はコーヒーを頼んでようやく落ち着き、体が休まるにつれ、機嫌もなおりました。喫茶店の外には、デパートの屋上らしく、100円で動くタイプのレトロな遊具がいくつも置いてあって、小さな子供たちが走り回っていました。子供って、なんの理由もなくひたすらよく走る生き物だなぁ・・・と、思いながら、自分の子育てに想いを馳せました。あんなふうに走り回る子供に、私はついていけるかな。
 
 あまりにも疲れて、一度はもう帰ろうかという話もでていましたが、デパートの屋上ですっかり回復したので、再び吉祥寺巡りを再開しました。夫の行きたがっていたナチュラルキッチンでスプーンやフォークなどを買い、私はボタンの形をした陶器製の磁石を買いました。家に帰ってから冷蔵庫にくっつけてみたら、あまり強力な磁石ではないらしく、ふぁっとしかくっつかなかったけれど、可愛いからそれでいいのです。
 それから、私の行きたかった、絵本とおもちゃ屋さんのお店にも行きました。『おばあちゃんの玉手箱』と『NIKITIKI』の2件です。どちらも同じ通りにあって、木のおもちゃがたくさん置いてあり、「おばあちゃんの玉手箱」のほうには絵本もたくさん揃っています。木のおもちゃは、見れば見るほど、触れれば触れるほど可愛くて、しかし、おままごとセットなどどれもこれもが、割と普通に本物の良い食器が買えるぐらい立派なお値段で、憧れと諦めのため息が何度も漏れました。よし、木のおもちゃももちろん買える範囲で買ってやって、でもそれだけじゃなく、スーパーのパックとか変形したタッパーとかでも楽しく遊べる子供に育てよう。夫はおもちゃにはそれほど感動していない様子でしたが、親指に乗るサイズの小さな木彫り動物に感動して、「こういうの彫りたい」と言っていました。次は彫刻を始める気なのだろうか。どうせならおもちゃを作ってほしいのだけど。

 一時は険悪なムードになったものの、お互いの行きたいところへ行けたので最終的には満足して、最後にタイ焼を買い、タイ焼を食べながらバスを待ち、日が傾いたころバスに乗って、家路につきました。バスのなかでは、かっくんかっくん眠り続けました。目を覚ましたらお腹の子がぽこぽこ動いていて、安心しました。ハードな一日、元気でいてくれてありがとう。明日は家でのんびりと、夫の誕生日を祝おう。
by papiko-gokko | 2010-09-19 22:35 | Diary | Comments(0)

 秋が来て、過ごしやすくて切なくなって、スピッツを聴くようになりました。昨日『ロビンソン』が流れている間中、お腹の子がぽこん!ぬるん!と動きまくっていて、驚きながら嬉しくなりました。ロビンソンに本能を揺さぶられるなんて、さすが私のお腹の子。生まれたら、子守唄にしよう。
 昨日と今日で腰痛が収まってきたのに比例して、お腹の動きが、ぐんと活発になりました。時々、うおっと声が出そうになるほど、にゅるんと大きく動くのです。そんなふうに動いているときは、お腹に手をあてると、手のひらにも動きが伝わってきて面白いので、慌てて夫にも触らせます。胎動って、へんてこでかわいいなぁ。母から「胎動は感動するよ」と聴いていたけれど、私の場合、感動というより面白くて可笑しくて、へらへら笑ってしまいました。こういう神秘的なことって、自分の外側で起こっているのを見ているときには厳粛な気持ちになるのだけれど、いざそれが自分のなかで起こっていると、「へんなの~」と、思わずへらへらしてしまいます。妊娠は、へらへらしないと通過できない不思議現象だらけだなぁ。子供のころから、私のへらへらしすぎるときは、大体もうすぐ感情が爆発して泣きそうなときなのだけど、今のところ、それは大丈夫みたいです。

 ここ数日、仕事でよく電話をする取引先の人から、「またこんなもめごとばっかり持ち込んで、妊娠してるのに、悪いねぇ」と言われたり、「あぁよかった、まだいた、もういなくなっちゃったのかと思っちゃいましたよー」と言われたりしました。どうやらいつの間にやら担当の営業さんが、取引先の色々な人に、話しているみたいです。私がいるときに電話で私の妊娠のことをしゃべっているのは聴いたことがないので、私の帰ったあとの電話や、外回りで取引先を回った時などに、言っているのだと思います。それってなんだか、くすぐったいなぁ。
 自分のいないところで自分のことを話されるのは、それが好きな人であればあるほど嬉しくなります。逆に、好きじゃない人だったら、恐くて不愉快です。今回、私はとても嬉しくなったので、営業さんのことを大好きなのだとわかりました。仕事以外のことをほとんど話したことがないし、B'zが好きということ以外、趣味も性格も考え方も全然違って、恐らく話せば話すほど噛み合わないのはわかっているし、会ったばかりのころは鋭い口調も表情も恐くてすごく苦手だったのに、それでもこうして大好きになれたのは、仕事を一緒にできたおかげです。仕事で出会えなかったら、「わーぜんぜんちがう感覚で来ているタイプの人だー」と思うだけで、終わってしまう人でした。出会い方次第で、ひとりの人を好きになれたりなれなかったり、興味をもてたりもてなかったりするのだから、人生って、考えれば考えるほど、その時にならないとわからないことだらけで、つかみどころのないものだなぁ。

 明日から三連休。明日は夫が仕事なので部屋の掃除と洗濯をがんばって、明後日は、久々に吉祥寺へ行く予定です。楽しみだ!
by papiko-gokko | 2010-09-17 22:38 | Diary | Comments(0)