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日記と短歌


by papiko

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 宇野千代『おはん』を読みました。方言の語り口調で綴られていて、最初の数ページは少し読みづらさを感じたものの、一旦そのリズムに慣れてしまうと、これがもう、癖になるほど気持ちよくて、あとどれぐらいだろうかと一旦手を止めページ数を確かめるということもなく、お茶漬けをかき込むような勢いで、あっという間に読み終っていました。
 「宇野千代」というと、これまで私のなかでは着物の模様のデザインというイメージのほうが強くて、着物のこと知らないし・・・と、なんとなく敬遠していたのですが、まったく、なんて馬鹿だったんだろう。こんな人間模様の作品を書いている人だったとは。美しくて、粋で、私は一体今までなんでこの人を読んでこなかったのだろう!という、最上級に好みの作家さんに出会った時限定で感じる焦りを、感じることができました。
 「おはん」で特に感銘を受けたのは、音の表現。主人公の住まいが町中にあり、すぐ外を人が往来していて、賑やかな生活の音や声が聞こえてきます。それらの何気ない音、例えば日暮れに蚊帳の準備をする音や、学校帰りの子供が木の棒をひきずって歩く音などが、細かく説明してあるわけでもなく、擬音を多用しているわけでもないのに、ほんの少しのさりげない言葉だけで、まるで自分が今いる部屋の外にその町並みが広がっているかのように、そのまま聞こえてくるのです。言葉の表現力って、きっとこういうことを言うのだなぁ。
 これはもう、図書館でさっそく予約して、他の作品も読みまくるしかありません。

 ニトリで注文したコタツ布団と座椅子が届きました。すぐに梱包を開けて夫とともに歓声を上げ、はやる気持ちを抑えながら座椅子に付属のカバーを取り付け、コタツ布団をテーブルにセッティングしてまた歓声を上げ、そしてついにコタツに足をつっこんで座椅子にもたれながら、ふたり同時に感嘆のため息を漏らしました。コタツ布団の柔らかさといい、座椅子のフィット感といい、もう、夢のようです。「やばい・・・」「これはやばい・・・」とつぶやきながら、私も夫も、あまりの気持ちよさにしばらくそのまま動くことができませんでした。デザインも、ネットの画面で見ていた以上に好ましくて、部屋全体の雰囲気がモダンになった気がします。お値段以上期待以上。ニトリ万歳。

 その幸せなコタツにはまって、今週も『不毛地帯』を堪能しました。おじさんたちが腹黒かったり情けなかったり物悲しかったりして、内容はますますドロドロで、今日も鳥肌がたつほど面白かったです。組織のなかで生きる様々な立場の人たちが、それぞれの場面で印象的な表情と言葉を残し、その残像がすべて、主人公壱岐正の肩に、降り積もっていきます。会社の犠牲になって逮捕された小出の場面では涙ぐみました。散々働かせといて、ひどいよ近畿商事。誰の立場で見るかによって、憎らしい人物や腹の立ち方が全然変わってくるのも面白いです。しかしどういう立場であれ、こうした男社会の戦いによって一番辛く不安な想いをするのは、妻と子供なんだなぁ。
 あぁ、来週の木曜日が楽しみです。一刻も早く続きが見たい!WOWOWとかスカパーみたいに、来週の木曜日チャンネルというのがあればいいのに。
by papiko-gokko | 2009-10-29 23:23 | Diary | Comments(0)

 人を愛しほどよく人に好かれながら道徳の教科書みたいに真っ当に生きたい良い子ちゃんの私と、人間関係を疎ましく思い何でもひねくれた解釈をして背を向ける卑屈で皮肉屋な私と、あぁもう全部めんどくさいやどうでもいいやと無気力で虚しがり屋の私。その三種類の私成分が、頭の中で事あるごとにぶつかりあって、日々の歩調を乱します。仲良くやってくれよと音楽などを流し込んでなだめると、しぶしぶ手を取り合ってくるくる踊ってくれるけど、今度は同じところでくるくる回りすぎて、三種類の私が目を回して、歩調は千鳥足状態、ますますわけがわからなくなってしまいます。
 日々の歩調を緩めたり早めたりしながら、色々なことについて、迷ってばかりいます。たまには自分の選択に疑いを持つことなく、自信満々で歩いてみたいなぁ。

 ところが、という接続詞をつかった文章を書きたいなぁと思って、今日は、「ところが」で書きだせそうな出来事を探しながら暮らしました。ところが、「ところが」で書きだせそうなパッとした出来事は、何一つとして起こらなかったのです。日々のなんてことない考え事をこうして文章にしていると、ついつい「でも」とか「だけど」を多用してしまうから、意識的に減らすようにはしているのだけど、どうしても使ってしまいます。そういえば「してしまう」という言葉もよく使ってしまうので、これも気をつけよう。でも、使ってしまうんだろうなぁ。
 ところで、明日、ニトリのネットショップで頼んだコタツ布団が届きます。今からとても楽しみで、届いたらすぐに設置できるよう、部屋のごちゃごちゃを片付けました。コタツ布団と一緒に、座椅子もふたつ届きます。安くてデザインも好みで、これはきっとお値段以上の代物に違いないと思い、思いきって買いました。あぁ、楽しみだなぁ。コタツにはまって座椅子にもたれ、テレビを見たり本を読んだり編み物をしたり寝たり起きたり、いっぱいしよう。
by papiko-gokko | 2009-10-28 21:01 | Diary | Comments(0)

 私の頭は単純で、どれほどもやもやしていても、一晩眠ると大抵のもやもやは霞んでどこか遠くへ消えてしまいます。ただ、ひとつだけ、悔しさという感情だけは、どんなに寝ても消えません。むしろ日が経つほどに粘度を帯びて、思考にまとわりついてきます。今朝、目を覚ましても、昨日抱え込んだもやもやチクチクがまだ消えていなくて、あぁそうか、昨日感じた感情の正体は、悔しさだったのかと気付きました。
 そして今日はその悔しさをたいらげるべく、黙々と仕事をしました。発送手配に慣れていない人からちょくちょく質問を受ける宅配便発送伝票記入例をA3用紙にまとめて厚紙に張り、見えやすいところへ立てかけました。今までそんなのなかったのだから、なくても今さら誰もさほど困らないけれど、あったら少しは誰かの役に立つかもしれないと信じて作りました。嬉しさよりも、悔しさのほうが、こうして私を駆り立てます。「わぁい!」よりも「ちくしょう!」のほうが、腹の底から力がわきます。だけど、悔しさで駆り立てられたあとはどっと疲れるから、あまり頻繁には駆り立てられたくないなぁ。
 記入例を作りながら、昨日日記に書いた「働くとはなんぞや」の現時点での答えが浮かんできました。「私は会社のためじゃなく私の生活のために仕事してるんだ」という考え方は、間違っているとは言わないまでも、やはり幼稚だったと思います。働く時には会社のために働くのがあたりまえで、そうやって会社のために働くからこそお金がもらえて、お金がもらえるから生活できて、生活できるからまた会社のために働くという、それが大人社会のまっとうなしくみなのだろうと、ようやく少しわかりました。わかったところで急に立派にはなれないし、また会社に対して嫌悪感を抱くことがあれば、会社と自分自身の仕事との距離を保つべく、「会社のためなんかじゃない!私が働くのは私のためだ!」という考え方に容易く傾くのもまた、わかっているのだけれど。

 真昼に郵便を出しに外へでると、鬱陶しいほど陽射しが強くて眩しくて、空はほとんど見上げませんでした。帰りぎわにはちょっと嬉しいことがあって、すっかり日の暮れた道を歩きながらしばらく頬が緩んでいたけれど、風の冷たさでやがて引き締まりました。
 私の住む世界には、今までの人生ぜんぶ合わせて十人ぐらい、些細な一言や表情で巧みに私を嬉しくしたり悲しくしたりする人がいて、心模様のサイコロを握られている気分です。いつかそのサイコロが、転がされすぎて角がちびてまるくなり、目の数がかすれてなくなったら、宝石みたいにそれを指輪にでもはめこんで、完璧に所有してほしいな。
by papiko-gokko | 2009-10-27 21:34 | Diary | Comments(0)

 帰りがけ、同じ時間に仕事を終えた営業部の事務員仲間と、駅のホームで電車を待ちながら会社のしくみに関するもやもや話を始めたら、なんだかお互い止まらなくなって、いくつかの電車を見送りながら、少しだけ長話をしました。普段は帰る時間も微妙に違うし、仕事中はなかなか話せないので、一度こうして話しだすと、あれもこれもと、話したいことがいくらでも出て来るのです。自分のもやもやを声にして相手のもやもやに共感して、結構すっきりしたけれど、それと同時に、自分がもやもや感じていたことの輪郭をはっきり自覚してしまい、その輪郭が思いのほか刺々しい形だったことに気付いて、チクチクとみぞおちが痛みだしました。
 組織のなかでプライドを守りながら気持ちよく働くことは、なんて難しいのだろう。重視したいことや大事にしたいことが人それぞれに違うから、そこから生じたズレの犠牲になって傷つく人がいて、傷ついた人の背中を食べて、にやりと前進する人もいて。最近、自分たちと結構身近な業務をしている同年代の男性社員が、上から不本意な指令を言い渡されたことを知り、そういえばあの人はここのところ尋常じゃなく沈み込んでいる感じがするねというところから話が始まって、今日のもやもや話は、主にそれに関することでした。落ち込んでいるのが傍目にもわかって、遣る瀬無くなります。
 不景気のせいか、会社ではあまり明るくない種類のいろいろなことが起こっているようですが、事務員の耳にその詳細が届くことはなく、届いたとしてもそれはもうすっかりすべて決まった上での結果報告という形でしかなく、あぁそんなことになったんだひどいなぁ・・・と、もやもや思うことしかできません。そんなふうだから、会社のためにがんばろう!という気にもイマイチなれなくて、だから、お金を稼ぐための仕事だ!と割り切ることで、もやもやを押し込め気持ちのバランスを保っているのだけれど、そんななか、私よりずっと会社のことを考え志を持ってがんばっていた人が会社の都合で努力を無碍にされプライドを傷つけられて沈んでいる姿を目の当たりにすると、自分の考えがものすごく幼稚で、甘えているような気がしてきます。働くとは、なんぞや。
 この日記を打ちながら、どんどん眠たくなってきています。これは、今日の私がこれ以上考えても解決しないことだよという合図なので、今日はこれ以上、考えるのをよすことにします。とりあえず、担当の営業さんの役に立てるようがんばること、それが私の仕事。それだけ頭に入れて働こう。会社のためになることを考えるのは、私よりずっとお給料の高い偉い人たちの仕事だろうってことに、しておこう。

 
by papiko-gokko | 2009-10-26 23:12 | Diary | Comments(0)

d0038776_030866.jpg 編み続けていた夫のマフラー、ようやく完成しました。今日はちょこっと外出した時以外、ほぼ一日中編み続けていた気がします。今日はくるりを聴きながら編みました。あぁ、がんばった!
 昨日の夜、壊れそうな夫のパソコンのデータ保存をしつつ、さらにカレーの煮えている鍋を定期的に混ぜながら編み物をしていたら、そんな同時進行、私にはハイレベルすぎたようで、ひとつ目を飛ばして編んでしまい、直そうとしてほどけばほどくほどどんどんわけがわからなくなるという、絶望的な状態になりました。そのときはもうキエエと完全に取り乱し、唸り、涙を流し、先に布団に入った夫に言葉にならない絶望言語をはいて八つ当たりしましたが、彼は危険を察知したらしく、こちらに背中を向けて狸寝入りを決め込んでいました。私も夫の背中に絶望言語をつぶやきながらいつの間にか眠っていました。あまりにもどうしていいかわからないことが起こると急激に眠たくなるしくみの便利な頭で、よかったなぁと思います。
 朝、たっぷり眠って真っ白にリセットされた頭で、昨日キエエとほおり投げた棒針を再び持って、冷静にもう一度直しはじめたら、時間はかかったもののなんとか元通りに修正できて、全部ほどいて初めからという最悪の事態を免れることができました。私のような取り乱しやすい人は、行き詰ったときには、とにかく寝るに限るみたいです。
 本当に一時はどうなることかと思ったけれど、無事に完成してよかったです。昨日は狸寝入りをした夫も気に入ってくれたようで、朗らかに巻いてみたりしていました。私の鼻歌と涙とあらゆる感情の集合体マフラーで首を温めて、元気に冬を過ごしてほしいです。
 冬といえば、編み物を編んでいる真っ最中に焼きいも屋さんが通って、いしや~きいも~のあとに、「ほっくら美味しい焼きいも!」と言ったのが聞こえ、思わず手を止めて、近くにあった紙に「ほっくら」とメモしました。最初は聴き間違えかと思いましたが、耳を澄ましてよく聴いてみても、やはり「ほっくら」と言っていました。ほっこりでも、ふっくらでもない、ほっくら。焼きいもにぴったりです。ほっくら美味しい焼きいも、食べたいなぁ。コタツ布団もネットで買ったし、いよいよ冬です。
by papiko-gokko | 2009-10-26 01:00 | 手作り | Comments(0)

着物えらび


 一日の間に、母から四通メールがきて、二度も電話がありました。今日、成人式の着物用小物を選びにいって、あれこれ写メールを送ってくれていたのです。二度レンタルするよりは一着買ったほうが安いということで、振袖は三年前に上の妹の成人式で買ったものがあるので、今回下の妹は帯揚げと襟を新調することになっており、二時間悩んだ結果、きっぱりした緑色の帯締と柄の入った紫色の襟に決まっていました。上の妹のときは全体的にふわっとした感じだったけれど、緑と紫が入ることでビシッとしてかなり雰囲気が変わり、下の妹によく似合いそうです。私の成人式のときも、着物は母が成人の時つくったものを着て、帯締や襟やかんざしなどだけ買ってもらいました。
 成人式写真を撮る日、下の妹の写真だけでなく三姉妹着物を着た写真も撮りたいという母の野望が実現に向けて動き出しているらしく、その一環として今日、私の草履も選んでくれていました。そんなの別にいいと言ったのだけど、上の妹と下の妹には買ってやったのに私のときには買わなかったからどうしても買ってやりたいというので、お言葉に甘えて、買ってもらうことにしました。草履を持っている女性になれるのか、嬉しいなぁ。着物は、私も上の妹も、母のもっている着物を着ます。母も母方の祖母も着物が好きで、母が昔つくったものや祖母から譲り受けたものが何着か大事にしまってあるのです。三人ともが20代の時期って限られているし、せっかくあるのだから着て撮れば、いい記念になりそう。
by papiko-gokko | 2009-10-24 22:13 | Diary | Comments(0)

 定時に仕事を終え、さて帰ろうとコートを羽織ったところでお調子者の営業さんから「ぱぴこちゃーん、○○さん(私の担当営業さん)が、ぱぴこちゃんとどうしても飲みたいんだって」といきなり言われ、さらに続いて担当営業さんから「金曜日あけといてー」と言われたので、一体何事!? と、わけが分からないままとにかく「あ、はい、金曜はい」とカレンダーに目を走らせつつ返事をしていたら、私の混乱が伝わったらしく担当営業さんが「いや、ふたりとかじゃないからね、営業部みんなでね、その日夜あるから、ちょっと空けといて」と説明してくれて、やっと理解することができました。
 ああ、驚いた。お調子者の営業さんがわざと変な言い方するものだから、担当営業さんとサシで飲みながら私の仕事ぶりについて腰を据えて説教される日がついに来たのかと、カレンダーに目を走らせながら動悸が大変なことになっていました。ちょうど今日は少し失敗もしたし。だけど、今から思えば、「金曜日あけといてー」という響きは、なんだかドラマみたいで、とても素敵だったなぁ。私も「金曜日あけといてー」って、誰かに言ってみたいです。でも自分から人を誘うのは苦手だから、私と同じぐらい予定のない夫に言おうと思います。一週間全部私にあけといてー。
 予定あけといておいてといっただけでそれ以上の詳しいことについて話してくれる気配はなく、「何があるんですか?」と聞いてみても、営業さんたちは「ナイショ」とか「スペシャルイベント」とかいうばかりで教えてくれませんでした。でも、営業部メンバーが集まってする仕事以外のことといえば飲み会しかないので、飲み会があるのだと思います。とはいえ忘年会にはまだ早いし、一体何の飲み会なのだろう。この前、売り上げを上げるために営業部全体でひとつ新しいアクションを起こして、がんばった成果がちょっとだけ得られたようだから、その打ち上げ的なことなのかなぁ。
 営業部の飲み会は、去年の忘年会以来になります。基本的に大勢の飲み会は苦手ですが、営業部の飲み会だけは大好きです。もうみんなに対しては、心のほうがすっかり懐いているから、そんなにサラサラしゃべれなくても、無理して酔わなくても、十分楽しいのです。春夏秋冬雨の日も風の日も調子いい日も悪い日も、とにかく顔を合わせて同じ仕事に取り組んでいる人たちと、いつもと違う場所でいつもと違う席順でお酒を飲んで酔っぱらうのは、他の慣れない飲み会とはわけが違います。事務員同士で普段はできないようなことをクスクス話せるのも、営業さん達が酔って陽気になり小学生の男子みたいになるのも、とにかく楽しい。そんなふうに感じられるようになったのは去年の忘年会からで、それまでは営業部飲み会も苦手だったのだけど、心が懐けばこっちのもんです。
 ひさびさに営業部のみんなと飲めるのだと思うと嬉しくて、このまえ飲み会で人間関係に懲りたばかりの人間だとは思えないほどふわふわ浮かれて、いつもならコートを羽織るやいなや「お先失礼します、お疲れ様です」と挨拶して高速でタイムカードを押しそそくさとフロアを出るのに、今日は、コートのボタンを一番下まではめて、そのうえ無意味に両ポケットの中身を確認してから「おつかれさまです」と歩きだし、蝋燭を立てるようにそっとタイムカードを押して、印字された時間をおみくじの結果みたいにじっと確認してから、元の位置へ丁寧に仕舞ってフロアを出ました。自分で自分のことが、よくわかりません。今日わかったのは、満ち足りた気分の時には、コートのボタンを最後までしめてから歩きだすのだということぐらいです。最後までボタンしめる日が増えたらいいな。

 長い一週間が終わり、編み続けていたマフラーもそれなりに長くなってきました。がんばれば、この土日で完成させることができるかもしれません。今日のお昼休みには、The Yellow Monkey を聴きながら編みました。限りある生命と止め処ない感情を擦り合わせて火を起こしたような曲の数々に、気持ちが盛り上がってザクザク進みます。この人の歌詞のような生命のほとばしる短歌をいつか詠んでみたいなぁ。「球根」は私に、生命とそれに結びつく性の切実で厳粛なイメージを決定づけた、かけがえのない一曲です。これを聴いた時私はまだ子供で、はやく大人になって愛する人と抱き合ってみたいと思いました。いつかまた、バンド復活してほしいなぁ。
by papiko-gokko | 2009-10-24 00:32 | Diary | Comments(0)

木曜日


 やっと木曜日が終わり、明日いったらお休みです。平日は長いなぁ。会社でどんなにイヤなことがあっても、私生活さえ乱されなければ、大丈夫。お金をもらって働く以上どうしたって仕事中心の生活にはなるけれど、仕事重視の生活ではないのだと、自分に言い聞かせて暮らします。

 会社では私の使用しているパソコンの調子が悪く、帰ってみれば夫のパソコンの調子が悪く、今日はパソコンに悩まされっぱなしです。夫のパソコンはテレビ機能がついているので、パソコンが壊れると、我が家ではテレビが見られなくなってしまいます。録画をすることもできて、録画データをパソコンに保存しているのが、容量を食い過ぎていて、いけないのかもしれません。
 そんなわけで今、撮りためた録画データをDVDに焼く作業をしているのですが、なにしろ調子の悪いパソコンで、日に日に動作が鈍くなっており、一枚焼くのに30分以上もかかってしまい、先ほどやっと、私のB’z映像たちをひとつのDVDにまとめることができたところです。2007年から2009年までの映像です。DVDに焼くものと削除するものを選ぼうとすべて観賞したところ、どれもこれもかっこよくて、結局すべて保存しました。実家には、当時のB’z出演番組やら一瞬だけランキングに登場したのやらを片っ端から撮りためたビデオが4,5本あって、今も私の机の中で眠っています。あの貴重なビデオたち、一体どうしよう。まだ実家にはビデオデッキがあるけれど、もう古くてほとんど使っていない物だし、ビデオデッキがなくなる時代がくるとは、思いもよらなかったなぁ。

 そんな具合の悪いパソコンで、楽しみにしていた「不毛地帯」を見ました。いやぁ、面白かった。面白すぎて目が乾きました。企業、政治、金・・・こんな内容のドラマ、学生時代の私にはたぶんそれほど楽しめなかったと思います。自分自身が一応会社勤めをして、事務員なりに企業の内側を見ている今だからこそ、こんなにぞくぞくするほどドラマにのめり込んでいけるのだと思います。
 脂の乗ったおじさんたちが、スーツ姿で頭を下げたりふんぞり返ったり、眉間にしわを寄せたり片頬で笑ったりする姿は、なんともいやらしくてかっこよくて、特に唐沢さんは素晴らしく魅力的で、あぁ自分は、さらさら若い青年より、ほどよく皺の刻まれた翳りのあるおじさんのほうが好きなんだ・・・と、つくづく感じました。若い美青年を見ても、確かにかっこいいなぁとは思うけれど、それはよくできた彫刻をみて「いやぁ美しい」という感想を抱くのと同じで、異性として惹きつけられているわけではないのです。どうしてだろう。現実的な恋愛感情は、同じ年の男の子にしか抱いたことないのだけれど、手の届かない存在と知ったうえで強く憧れる異性は、いつも10歳から20歳近くも年上の人です。安心して憧れていられるからかもしれないなぁ。
 おじさんがいっぱいというのも見どころだし、それから、昭和の風景に触れられるのというのもツボです。吉行淳之介の小説にでてくるような町並み、豪奢な家具、カクカクした電化製品、艶やかな黒電話など、惹きつけられるものがたくさんでてきて、難しい問題の話の続いている時にも、退屈しません。
 嗚呼、来週の不毛地帯も、楽しみです。テレビ局にお願いして今週中に見せてもらいたい気分です。
by papiko-gokko | 2009-10-23 00:30 | Diary | Comments(0)

 落ち着くことと落ち込むことは違うのに、私にはそれがうまい具合に、分けられません。浮かれ過ぎている自分に気付き、落ち着こうと目を閉じると、暗い悲しい方向へと沈んでいく自分がみえて、あわてて目をあけて楽しいもの好きなものに目を走らせて、また浮かれて、落ち着け落ち着けと自分を沈めてあわてて浮かんで、結局つねに、落ち着かないのです。

 人の心は、海に浮かぶくらげのようだと思います。身内とか他人とか部下とか上司とか、そういった様々な括りの中で複雑に繋がる世界の裏側に、なんの仕切りもない、たったひとつ灯台が灯っているきりの、だだっ広い夜の海があって、その大海原に無数の心が、くらげのように、ふよりふよりと、漂っているのです。くらげの心は、潮の加減で浮いたり沈んだり繰り返し、灯台の気まぐれで、眩しいほどに照らされる瞬間もあれば、まったく闇の中に紛れてしまうこともあり、大波小波のくるたびに、漂う心と心とが、近づいたり、離れたり、時には強くぶつかったり、激しく絡まりあったりしながら、漂い続けています。どれもふよふよと半透明で柔らかいのに、どんなに近づいても、心と心が完全に溶けあってひとつになることはなく、別々のひとつとひとつであり続けながら、近づいては離れ、沈んでは浮かんで、いつか体が消えるまで、漂い続けています。そのなかには、時折やってくる恐ろしい高波に飲み込まれたきり元の場所へは戻れなくなる心や、思いがけない浅瀬に打ち上げられてそのまま干からびていく心も、きっとたくさんあるでしょう。
 自分の心に視線を落とすと孤独な気持になるのは、心の在り処が、生きている世界の表面じゃなく、その裏側のだだっ広い海だからです。そこには人の心が無数にひしめき合っているはずなのに、ほとんど光が届かなくて見えず、絶え間ない波の音のすきまから心の発する声を聞き取ることは、極端に難しいからです。
 私にとって、人と触れ合うことは、裏側にあるその海に、表面側の世界から、ほんの少しだけ足を浸すことです。足首にスサッと誰かの心が触れれば、ぎょっとして恐くなったり、くすぐったくて笑ったり、思わずうっとりしたり、チクリときて熱を帯びたり、何かしら自分自身の漂う心にその刺激が帰ってきて、しばらくはあらゆる波に対する抵抗力を、なくしてしまいます。それでも、人と触れ合うことは、やめちゃいけない気がするし、やめられません。裏側にある海の広さと暗さを知る為に、触れ合い続け、繋がり続けていかなくちゃいけないのだと思います。

 今日は会社で、「ワンピースが似合っていいなぁ」と言ってくれた人がいて、とても嬉しくなりました。ワンピースは女性の洋服のなかで一番好きな形だし、それに私はお洒落のセンスがイマイチで上下をうまくあわせられないから、いつのまにやらスカートは夏も冬もワンピースばかりになってしまったのです。そんな自分のことを、凝ったお洒落のできない女なんだとがっかり見つめていましたが、ワンピースを似合うと言ってくれる人がいたから、これからはもっと自信をもって、溌剌とした気持ちでワンピースばかり着ようと思いました。
by papiko-gokko | 2009-10-20 19:16 | Diary | Comments(0)

さまよう心に触れて


 先週発売になったB'zのシングル「MY LONELY TOWN」を今日ようやく手に入れて、初めて通して聴きました。歌を聴く前にまず歌詞カードを読み、ズシャッと、疼いていた部分を思い切り射抜かれて、続いて歌詞カードをみながら曲を聴き、頭と体のすみずみまで、ビリビリしびれました。
 MY LONELY TOWNの歌詞は、ここのところ自分が人間関係についてもやもや感じていたことにあまりにも合致していて、そのまますぎて、気付きたかったことがみごとにビシッと言葉になっていて、私にこんな凄まじい鮮烈な感動をくれるのは、やっぱり稲葉さんしかいないやと思いました。稲葉さんの言葉は、どうしていつも、こんなにいつもどんぴしゃで、疼く部分を鋭く射抜いて、行き詰った世界に風穴をあけてくれるんだろう。あぁ、もうこれ以上は膨らませないよと思っていた憧れがまた、ビリビリ震えて膨らんで、胸がいっぱい。どうしよう、どうしよう、最高に、かっこいい!
 来月発売のアルバム、聴くのがちょっと恐いぐらいに楽しみです。来年のライブも楽しみだなぁ。
by papiko-gokko | 2009-10-20 00:14 | Diary | Comments(0)