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日記と短歌


by papiko

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壮絶


 昨日、事あるごとに疼いて私を困らせた右下親知らずを、抜きました。今、頬にタオルを巻いた保冷剤をあてながら、これを書いています。座る元気がなくて、携帯で打つことにしました。執念の更新。
 レントゲンではまっすぐ生えているかのように見えた私の親知らずは、しかしいざ抜き始めてみるとかなりのくせ者であることが判明し、頑固にしがみついている上に妙なところにひっかかっていたりして、1時間以上かかりました。その1時間で体験した細かいことは思い出すとくじけそうになるので、ただ、壮絶であった、と一言、書き記しておくことにします。脳裏に焼き付いているクマ先生の言葉は、「ひっかかってんだな」「困ったなこりゃ」「いじわるな生え方だなぁ」「血が温泉のように沸いてきた」です。心のなかで、つぶやいていてほしかった……。
 壮絶な1時間ののち、よたよたと待合室へ戻ると、隣で治療を受けていた小柄のおじいさんもほぼ同時に戻ってきて、少しのためらいもなく、まるでいつものお散歩仲間に話しかけるような調子で、「いやぁ、いくつになっても歯ってのは、いやだねぇ」と、私に声をかけてきました。辛い治療を終えた者同士の友情が芽生えるのを感じた私は、知らない人に対する警戒心をいつになく緩めて、麻酔の効いた回らない口で、「ふぁい」と笑いました。おじいさんは「いやいやいや…」と小さくつぶやきながらゆっくり隣に腰掛け、「ぼくなんて、若いころは歯をみがいたことがなかった」と言ってニヤリと笑い、しかしそのときに覗いた前歯は、真っ白ではなかったものの、しっかりきれいに生えそろっていました。
 この気さくなおじいさんとの会話をもっと楽しみたかったけれど、しびれでエヘエヘ頷くことしかでいなくて、声をひそめていたずらっぽく「虫歯ですか?」と尋ねられたときも、「いえ、おやすぃらふれふ」となんとか口を動かすので精一杯でした。それでもなんとか伝わったらしく、おじいさんは「あぁぁ、それはそれは」と、ひざを叩いて頭を緩やかに下げながら、同情してくれました。
 間もなく、私のほうが先に受付に呼ばれ、うがい薬とのみ薬と止血用のガーゼをもらって、明日消毒にくるようにと言われ、歯医者をあとにしました。歯医者を出る間際、おじいさんに挨拶しようと振り返ってみたけれど、おじいさんはこちらの様子には気づかずに、ぼんやりうとうと座っていました。会えてよかったな。
 家に帰ってからは、すぐに痛み止めを飲み、冷やしながら、止血のために脱脂綿を噛み締めていました。だんだん麻酔が切れるにしたがって、扁桃腺と喉に痛みを感じ、つばを飲むのも辛い感じで、気を紛らわすために夫と将棋をしたりしましたが、ちっとも思考が働かなくて、すぐにやめてしまいました。あとは寝るまでテレビをぼんやり眺めながら、今が一番辛いんだと、ひたすら自分に言い聞かせていました。しゃべれなくて、夫とは筆談で会話をしたりしていました。
 夜は、眠りにつく直前に痛み止めをもう一度飲んだおかげか、朝までぐっすり眠ることが出来ました。痛みで一晩中眠れないという事態を何より恐れていたので、そんなことにならなくて、安心しました。

 今日は、喉の痛みも昨日よりは落ち着いて、顔も目で見てわかるほどには腫れておらず、歯医者さんに消毒をしてもらいにいったあとは、頬を冷やしながら一日中横になって過ごしました。精神的なこともあってか、椅子に腰かける元気すらでないのです。
 まだ噛む食べ物は食べられなくて、朝とお昼はゼリー飲料、3時のおやつににヨーグルト、夜は夫が栄養満点のおかゆをつくってくれたので、それをたらふく食べました。ニラと玉子と小さな干しエビとしらすと干し貝柱の入ったおかゆ、美味しかった!あったかい食べ物って、人の心を満たすものだなぁ。それまで冷たいものばかりだったから、あったかいおかゆがふわふわ食道を通っていくことに、この上ないしあわせを感じました。
 明日はもう少し、楽になっているといいなぁ。次回は火曜日、また消毒をしてもらいにいきます。
by papiko-gokko | 2009-05-30 21:56 | Diary | Comments(0)

 朝からしとしと雨が降り続き、よその庭先で紫陽花が、あちこち大きく咲いていました。ピンクと白と水色の紫陽花を見かけて、今年の自分はなんとなく、ピンク色の紫陽花を一番多く見かけるような気がするな・・・と、なんの根拠もなく思いました。どの紫陽花もいきなりボンッと咲いたわけではないはずなのですが、私は今日までまったくどの場所でも気付いておらず、雨降りのなか傘の影から見る景色のなかで初めて、その存在に気付きました。不思議です。雨の日のほうが、花びらの色が鮮やかになるのかな。
 紫陽花を見つけると、いつも自然と6月生まれの妹と友達の顔が思い浮かんできます。季節ごとにいろいろな花が咲くけれど、紫陽花ほど、6月というたったひと月にのみぴったり寄り添って咲く花はないような気がします。だから、他の季節の花を見てもそれが誰かの誕生日と直結することはなく、紫陽花だけが特別なのです。6月にぴったり寄り添った後、暑さのなか散らないままで枯れてゆく紫陽花の、ごまかさない強さが好きです。

 明日はとうとう、人生初の抜歯です。クマ先生の言いつけどおり、明日に備えて今朝から抗生物質の薬を飲みました。抗生物質を飲んでおくことで、抜歯後の腫れが少なくて済むのだそうです。つまり、相当腫れるんだなぁ・・・。怯える私を見兼ねた夫が、「付き添おうか?」と言ってくれましたが、歯医者の待合室の椅子に浅く腰掛けて時計にソワソワ目をやりながら、歯が抜けるのを今か今かと待ちわびる夫の姿は、想像するとなんだかかなり滑稽に思えたので、断りました。抜歯後の食べられなくなる数日に備えて、今日と明日はたっぷり食べておこう。

 8月5日に、B'zが新しい曲を出すと、公式サイトを見て知りました。最高に嬉しい!その知らせをずっと待っていたんだ!また今年もB'zのおかげで、苦手な夏が、楽しみになってきました。夏だから、バラードよりも、ロックがいいなぁ!熱くて激しいのがいい!でもバラードでも、それはそれで、いい!

 それからもうひとつ、草野マサムネさんと平井堅さんの歌う「わかれうた」を発見。なんとも、しぶくて素敵です。平井堅さんの、とてもじゃないけどやりきれないよ・・といった感じの歌い方、マサムネさんの、ずっと遠いところを見つめているような歌い方、どちらも切なげで、うっとり。とろんとろんお酒を飲みたくなります。今、飲んではいけないけれど。
by papiko-gokko | 2009-05-28 22:52 | Diary | Comments(0)

 きれいとか、素敵とか、素晴らしいとか、愛しいとか、前向きな言葉をあんまり使いすぎると、私は自分の文章に疲れるみたいです。気をつけよう。公開日記を続けるうえで、ひとの目を気にしてうっかりキレイ事を書いてしまうことが、いちばん恐い。だけど、きれいな事とキレイ事との区別が、イマイチつかなくて、困ったな。自分の嘘に鈍感です。

 今日から会社のお昼休みにサガンの短編集を読み始め、一話目にしていきなり「これは私のことかもしれない」と思えるような主人公に出会うことができて、ますます虜になりました。図書館で5冊予約して4冊はもう手元に届いたので、しばらくどっぷりつかろうと思います。私の思考回路はそのとき読んでいる本の文体にすごく影響を受けるため、今は、「ノン、それは違うわ、ジャムでブレッドをはさまないのと同じよ」みたいな、慣れない感覚でものを考えています。外国っぽい名前の食べ物を食べたい気分です。ソーセージとか、エッグとか。あ、別に普通に、冷蔵庫にあるのか。

 家に帰ってからは、夫が面白いから読んでみてと言っていた漫画を読みました。渡辺ペコ『ラウンダバウト』全3巻です。中2の日常を描いてあり、回ごとにスポットを当てられる登場人物が変わります。思い出すと、ぎゃあ!と叫びたくなるような中学時代の行動や心模様が、割とリアルに、それでいてコミカルに描かれていて、笑えたりちょっと泣けたりして、あぁ自分もこういうことあったなぁ・・・と、当時の自分を生々しく思い出しながら読みました。外部からの衝撃をまともに食らって、まともに傷ついて悩んで、まともに暴走して、あのころほど自分や自分を取り囲む存在とあんなにもまともに向き合った時期は、なかったなぁ。中学時代自分もはまって読んでいた占い雑誌『MyBirthday』を登場人物の子たちが真剣に読んでいたり、当時一生懸命取り組んでいた「進研ゼミ」を漫画のなかでもみんながやっていたりなど、でてくるアイテムも絶妙でした。

 日常的に映画を見る人になろうと思ったけれど、徒歩15分ぐらいのところにあるTUTAYAまで、借りに行くのはまだしも返しにいくのが猛烈にめんどくさい!!と気付いてしまったので、今、解決策を考えているところです。ネットで借りて自宅に届きポストで返却のやつは、元がとれない気がするし・・・。まぁ、いいか。趣味なんか、無理に増やさなくても。図書館へ行くのはめんどくさくないのにTUTAYAへ行くのはめんどくさいということは、それほど映画を、好きじゃないってことなのかも。今、私の日常には、必要じゃないということなのかも。
by papiko-gokko | 2009-05-28 00:06 | Diary | Comments(0)

 今日はひさしぶりに、担当営業さんから嬉しい言葉を頂きました。普段事務員ではなく営業さんがする複雑な見積もりの仕事を、時間があったので出来る範囲でやっておいたら、「あ、やっといてくれたんすか、助かります、あっす(ありがとうございます)」と、言ってくれました。嬉しい。仕事関係で起こるあらゆることのなかで、これが一番嬉しいことです。反対に、ヘマをして担当営業さんの足をひっぱってしまう事が、一番悔しいことです。仕事に関する場合、嬉しいの対義語は、悲しいでも辛いでもなく、「悔しい」になるみたいです。すなわち、たたかいなのだな。

 帰宅してすぐお風呂に入り、ぐでんと寝そべっていたら、母から電話がありました。特に何か要件があったというわけではなさそうで、いつもより若干はしゃいだ声で早口にしゃべるので、なにか声を明るくしなくちゃやってられなくなるようなことでもあったのだろうかと訝しんでいると、ふいに、「今日土手を散歩しとったら、ぱぴこの声が聞こえたに・・・」と、急に口調を緩め、「子供のころの声で、お母さーんあのねえー、って聞こえてきて、涙がでたわ。もっともっと話を聞いてやればよかったかなぁとか思ってね」なんて、ふるふる言いだすので、とたんに懐かしい土手の風景と、毎日学校から帰るなり散々話を聞いてもらった子供のころの思い出が一気にフラッシュバックして、役者みたいにぶわっと涙があふれだし、それがばれないように、「はぁー?なんか死んだみたいだがね!変なこと言わんでよーやだわぁ」と、へらへら笑いました。まったく、困るよお母さん。いくつになっても乙女チックで、そんな夢みたいなこと言って。私はそのころ東京で、珍しく営業さんに褒められていたりなんかしていて、大丈夫なのに。
 実家のそばにのんびりと伸び、犬さん親子の散歩コースでもあるその土手は、風が強くて空が広くて山が近くて誰もいなくて、だからでしょうか、聞こえないはずのいろんな呼び声や歌声が、ふうっと聞こえてくることがあります。私は子供のころからそのあたりで当たり前に遊び回っており、私にとって土手の道が特別な場所になり、聞こえない声が聞こえる気がするようになったのは、受験を終えて上京することが決まってからでした。上京直前、土手で見る夕日の美しすぎるのに、心がひるんだのを思い出します。あの時には、まだほとんど知らない東京の喧噪や、体育祭練習で嫌になるほど聴いた音楽なんかが聞こえてきました。少しも恐くない、心地よい空耳でした。東京へ出て母が帰り、生まれて初めてひとりぼっちで暮らした夜、泣きながら寝ていた時に、耳の奥で母の呼ぶ声がしたのももしかして、土手の風のしわざだったのかな。私も母に似て、思考回路が乙女チックぎみなのか。
 やっぱり、五月の連休に、少しでも帰ったほうがよかったのかもしれないと、後悔しています。遠いところに住んでいるのだから、帰れる時には帰らなくちゃいけないなぁ。連休のときには、お金をケチらず、旅行なんかいけなくていいから、ちゃんと故郷へ帰ろう。帰ってもたぶん、相変わらずの私は、ぐうたらわがままになるだけだけど、土手の風に幼い日の声がまぎれたりなんて、そんな淋しい気持ちをさせちゃいけない。私だって会いたいのだし。
 その後電話では、私がいかに親知らずについて心を痛めているかを語り、大丈夫ようお父さんが抜いたのなんか何十年も昔の話だけん今はいい薬があるわねーと、励ましてもらいました。親知らずを抜いて、お盆のころには痛くない歯で、爽やかに帰省しよう。まだ治療中とかだったら、いやだなぁ・・・さっさと終わりますように。

***

 昨日見た、『ALWAYS 三丁目の夕日』、笑いあり涙ありの、素晴らしい映画でした。映画館で見た母が「ぱぴこが絶対好きなタイプの映画だよ」と言っていましたが、まさにその通りで、人の営みとか繋がりがたまらなく愛しくなる、私の求めている種類の映画でした。
 登場人物一人ひとりの日常と、それぞれが何を大事に生きているのかが描かれていて、見終わるころには、一人ひとりを好きになっていました。それに、建設中の東京タワーや、改装前の上野駅、路面電車の走る銀座など、私の知らない東京風景もリアルに再現されていて、これにも心を奪われました。今の若者は、透明チューブの中を車が走っているような未来予想図よりも、知らない過去の街再現のほうが、ずっとわくわくするのかもしれません。
 お気に入りの登場人物は、なんといっても茶川竜之介です。茶川竜之介みたいな感じの人が、大学時代は周りにたくさんいました。実生活はまるでなっていないのにプライドばかり高くて、自分の内部を見つめることに忙しくて周りを見渡す余裕など無く、それでいて他者に対する警戒心は人一倍強く、世間を恐れるあまりに見下し、自分の痛みには敏感なくせに人の痛みにはどこまでも疎い、あの人たち。あの人たちに対する同属嫌悪を抱えたまま卒業した私は、あの人たちによく似た彼が、ヒロミや古行淳之介の存在によってだんだんと変わっていく姿に、救われました。
 残念だったのは、物語がクライマックスに向けて盛り上がり始めたところで夫から「これから帰ります」の電話があって一旦中断してしまったことと、その後食事が終わってから再び見始めると彼は気を利かせてお風呂に入ってくれたものの、まさにクライマックスというころにトランクス一枚で出てきて、忍び足で部屋をうろうろしているのがちらちらと目の端に映り、熱くなっていた目頭がみるみるさめてしまったことです。映画好きの母がよく、鑑賞中に誰かがドアの開け閉めをしたり部屋をうろうろしたりすると憤慨していたのを思い出しました。私も危うく憤慨しそうになったので、これからは、もっと早い時間からみ始めようと思います。
 一平役の男の子が大変可愛くて、どんな子だろうとネットで調べてみたら、95年の平成生まれで、特技はパソコンと書いてありました。現代っ子!映画のなかでは、駄菓子屋さんでクジひいたり、フラフープして遊んでいたのに!
by papiko-gokko | 2009-05-27 00:20 | Diary | Comments(0)

 月曜日の朝は、目をあけてアラームを止めるのも一苦労です。朝のパンをかじりながら、駅への道のりを歩きながら、のっぺり生ぬるい溜め息が、ふぁぁーふぃぃーといくらでも出て、肺がもやもや膨らんで、操縦不可能な気球になりそうでした。そんなふうに朝のテンションがあまりにも低かったので、今日は午後になってもイマイチやる気が湧いてこず、最後まで不機嫌な顔で一日を過ごしてしまいました。月曜日というのはどうしてこんなに、体も心も重たいのだろう。
 今週は、金曜日に親知らずを抜くという一大イベントがあるせいで、余計に元気がでないのかもしれません。いつもの平日なら、開放的な金曜の夜を目指してがんばれるけれど、今週は、金曜日に決行される抜歯に向けて、恐怖の序章を延々と読み続けているような気分です。親知らずめ、私をこんなにも憂鬱にするとは、許せん。成敗してくれる。せめて潔くスムーズに、すぽんと抜かれよ。お願いだから。

 親知らずの憂鬱を吹き飛ばすためにも、今日はこれからお風呂へ入って、それから、映画を見るのです。夫の帰りが遅い日は、ついつい、ぼんやりと時間が過ぎるのを待ってしまうので、週に何度かあるそんな日は、積極的に映画鑑賞をする人になろうと決めました。今日はまず、以前DVDに録画しておいた、「三丁目の夕日」を見ようと思います。洋画にも邦画にも見たい作品は沢山あるけれど、果たして、映画鑑賞が習慣の人に、私はなれるでしょうか。世界よ広がれ。
by papiko-gokko | 2009-05-25 20:54 | Diary | Comments(0)

 友達と友達の子(1歳半)がきて、ご飯を食べたり、お菓子を食べたり、友達とおしゃべりをしたり、友達の子と遊んだりして、豊かな楽しい一日を過ごしました。
 友達の子がお昼寝をしている間は、ひさびさに2人だけで話をして、いくつもの話題のなかで、自分の人生について、考えさせられました。別に、真面目な顔で鼻を突き合わせて「人生とは何ぞや」なんて語り合っていたわけではもちろんないのですが、友達の人生は私の人生とは違っているし、友達から聞く彼女の周りの人たちの人生もまた私とはまったく違う未知なるものだから、普段自分の日々の舵をとることで精一杯の私は、別の人生がいくらでもあるのだという当たり前の事実にすら、衝撃を受けるのです。
 人生は、その気になればいくらでも新しい方向に開けて、日常は変えていくことができて、それにまた、自分の意思とは無関係に起こる出来事だっていくらでもあるのだと思うと、人生に勇気が湧いてくるようでもあるし、足がすくむようでもあって、一体私の今はどんな人生なのだろうか、言葉に表すことのできる人生なのだろうかと、自分の日々を客観的に見つめたくなり、そして泣きたくなりました。決して悲観的な気持ちになったのではなく、自分は今まさに人生を選べる若さの真っ只中にいるんだよなぁという感動と恐れで、泣きたくなったのでした。私は、人生が否応なしに進んでいくことへの恐怖感と、生きて人生を歩めることへの感動の、バランスを整えたくて日記を書きます。我ながら大げさだなぁと思うけれど、大げさに捉えておくぐらいでないと、流れる日々をどんどん無駄にしてしまいそうで恐いから、たまにこうして、努めて大げさに考えるのです。大げさじゃなく軽やかに、それでいてきちんと大事に重大に人生を扱える人は、カッコいいよなぁ。
 やがて子供が目を覚ましてからは、帰る時間までたっぷり遊びました。パソコンのお絵描きソフトで遊ぶのが一番のお気に入りで、「あんぱーまーん!」とその子が言うたび、アンパンマンを何度も描きました。アンパンマンを描くと次は、「ばいばいきん!ばいばいきんはー?」と言うので、バイキンマンも何度か描いて、描くうちにちょっと上手になりました。カーテンで隠れる遊びもお気に入りのようでした。それから磁石も好きで、冷蔵庫から取ってきては、いろいろな場所にひっつけようとしていました。ここのところ結構頻繁に遊びにきているので、何がどこにしまってあるのかだんだん覚えてきていて、色鉛筆を自分で出してきたりしたのには驚きました。しかも出すだけじゃなく、お片づけもちゃんとできるのです。しつけってすごい。私なんて自分が出しっぱなしの人だから、子供もそうなりそうだなぁ。
 この前来た時は単語をしゃべれることに感心していましたが、今日はそれどころかちょっとずつ会話もできるようになっていて、何か尋ねると、「うん!」と頷いたり、違う場合は、眉間にしわを寄せながら首をふったりします。歩くのも走るのも、もうよたよたじゃなくて、すたたたっと、速くて力強くなりました。愛をふりまき愛されながら、すくすく育っています。あぁ、かわいいよ。また遊びたい。あなたと戯れていると、本当に、どんななんでもない物も、あぶなっかしくて楽しくなる。 
 明日は仕事。雨のなかを歩くのは、憂鬱だなぁ。自分の人生がどうであれ、明日は雨降り。傘のいる空。
by papiko-gokko | 2009-05-24 21:55 | Diary | Comments(0)

 夫も休みの土曜日。お昼前までだらだらと寝て、タンスの衣替えをしました。いつのまにか、実家から持ってきた服よりも、東京へでてきてから買った服の数のほうが、ずっと増えています。東京へきてから、そんなに季節を超えたのか。衣類に限らず、実家から持ってきたものの存在感が、だんだんと薄れてきています。テーブルも結婚してから新しく買ったし、お皿も気付けばほとんどこっちで買ったものを使っていて実家から持ってきたものは奥にしまってあるし、大学生のころ使っていた布団も今はお客さん用となり、カーテンも押し入れで眠っています。今リビングにある物たちのなかで実家から持ってきたものは、今ざっと見渡した限り、パソコンデスクの下に置いてある小さな本棚のみでした。これは小学校のころから使っている、この部屋一番の年代物です。思えば遠くへきたもんだ。
 衣替えを済ませたあとは、今年初めて扇風機を稼働させ、そのそばでただひたすらにごろごろして過ごしました。 ごろごろしながら、ついこの前にも見たばかりの『耳をすばせば』をまた見たりして、きゅんきゅんする場面のたびに夫とふたりして、ニヤニヤグヒャグヒャ身をよじりました。恋は最高のモチーフです。『耳をすませば』は、私と夫が中学時代にやっちゃったこと(テスト前に物語執筆、図書カードの名前で妄想)と、やりたかったこと(両思いの恋)の両方が詰まっていて、だからもう、見ながらトキメキと恥じらいが止まりません。なんだか夫とは、アニメの映画ばかり見ています。人間の演じる映画だといつも、どちらかが飽きて寝てしまうからです。なぜだろう。
 『耳をすませば』を見終わったあとも私は夢中でごろごろし続け、ここ最近Tシャツのデザイン作りに凝っている夫は、今日もパソコンで何枚も作っていました。私の随分前に描いた絵を使ってうわのそらTシャツもつくってくれました。それからもっと昔に描いた変な絵で、メロヘロTシャツもつくってもらいました。あぁ、つくったりつくってもらったりするの、楽しい。傍から見ればアホらしくて寒いかもしれないことほど、やっているほうは楽しいものなのだ、きっと。
 夜ものどかに時間が過ぎて、お風呂に入ってご飯を食べて、先ほどめちゃイケを見ていたら、コンビ芸人さんのなかで自分の一番好きなブラックマヨネーズがでていて、小杉さんがB'zのファンだということを知り、ますます好きになりました。自分の好きな人が自分の好きなものを好きだと、うひょうとテンションがあがります。好きでいるのが好きすぎます。
by papiko-gokko | 2009-05-23 21:42 | Diary | Comments(0)

 ようやく今日は金曜日。親知らずとインフルエンザ(というかマスク率)に怯えながら過ごした一週間でした。仕事が暇だったせいもあってか、一日一日をとても長く感じました。今日は駅でマスクをしている人の数が、6人に1人ぐらいになっていた気がします。なんだか、血眼でマスクを探しまわる気にも、騒ぎ過ぎだと斜めに笑う気にも、なれないなぁ。

 アンソロジー短編集を読んでいて、すばらしい作品に出会いました。フランソワーズ・サガンの『ジゴロ』という短編です。ほんの短いお話にも関わらず、その数ページからは登場人物達の発する生命のにおいがこれでもかというほど立ち昇ってきて、文字を追うごとに魅了されていきました。これまでサガンの作品は、親の本棚に並んでいた『悲しみよこんにちは』を読んだことがあるだけで、そのときはただ、へぇー外国にはえらくませた気難しい女の子がおるんだなぁ・・・と驚いた程度で終わってしまいました。きっとまだ、サガンを読むには心が幼すぎたのだと思います。こうして再び巡り会えた今こそ、もう一度あの作品に出会いなおさなくては。今読んだら、どんなことを感じるのだろう。外国の小説を私は普段ほとんど読まないので、これからサガンに夢中になれたら、それは私的文学革命の幕開けかもしれず、ドキドキします。
 サガンの短編のあとには、吉行淳之介訳の作品(題名を忘れてしまいました)も載っていて、艶やかな淳之介節に読みながら胸が高鳴り、嗚呼、自分が読み物に求めるのは、生と性なのだと、はっき自覚しました。生といっても、素敵な生き方や壮絶な生き様が書いてあるものがいいというわけではなく、正しく生きようとすることに躓きどこか諦めているような、それでいて生きることを人一倍愛しているような、自分の命についてわがままな主人公の「生」にほど、ぐいぐい心惹かれます。性といっても、まぐわいの様を具体的な言葉で生々しく書いてあるものは好きじゃなくて、その前後の心の動きが細かく描かれているほうが、ずっと想像力に火がつきます。乾きかけてはあふれ出す、投げ捨てそこねては押しつぶされる、朝焼けに目を細め夕焼けに立ち尽くす、冷めてるようで暑苦しいほどの、生と性。私はそんな感覚に、いくらでもうっとりしていたい。
by papiko-gokko | 2009-05-22 22:04 | Diary | Comments(0)

 来週金曜日、親知らずを、抜きます。
 今日歯医者にいって「抜いたほうがいいなら抜いてしまおうかなぁと、迷っているところで・・・」と伝えたところ、診察もそこそこに「痛いならまぁ、抜いたほうがいいでしょうね。じゃ、次回、抜歯ということで」と、普通に決定されてしまいました。もう、後には引けません。レントゲンを見ながらの説明によれば、抜くのが難しいのは上の歯で、下の歯のほうは一応まっすぐ生えているのだそうで、とりあえず先日痛かった下の歯から抜くことになりました。歯ってすぽんと、抜けるのかな。まるで口の中で工事しているみたいだと聞いたこともあるし。ああ、考えたくない。想像したくない。
 診察後、受付の女性に、「次回は抜歯なんで、次の日が休みのほうがいいですよね」と言われて、うわぁやっぱりそれほどまでに大変なことなのだ・・・と、内心震えあがりました。やっぱりやめますと言いたいのをなんとか堪えて「そうですね、できれば、金曜日がいいです」と答えると、「来週の金曜日じゃ、早すぎるかな、まだ心の準備ができないですかね?」と尋ねながらニヤリとされて(マスクをしていたけれど、ニヤリとしたのがわかりました)、もう本当に、泣きたくなりました。どうしよう。抜歯なんて初体験、未知との出会いです。まったくもって人生は、未知なるもので満ちている。真夜中に脱脂綿、かみしめたくないなぁ・・・

 未知との出会いといえば、電車でのマスク率が、10人に1人から7人に1人ぐらいになっていました。会社で『恐怖!新型インフルエンザ!パンデミック間近!完全生き残りガイド!』みたいな名前の、よく知らない出版社から出ている冊子が回覧としてまわってきて、「生き残り」という言葉にも、赤と黄色のいかにも恐怖感を煽るような装丁にも、嫌気がさしました。中身はテレビで散々聞いたことばかりで、マスク着用しましょうと繰り返し書いてあって、だってどこもマスク売り切れだし・・・と心の中でつぶやきながら、『火垂るの墓』の映画で、食べものがなく栄養失調になって倒れた節子を病院へつれていった清太が、お医者さんから「まぁ、滋養をしっかりとることですなぁ」と言われて、思わず「滋養なんて・・・滋養なんて、どこにあるんですかっ!」と、唇を震わせ声を荒げたシーンを思い出しました。こんな豊かな現代に生きていて、まさかあのセリフに共感する日がくるとは、思わなかったなぁ。清太と節子の苦しみは戦争のせいだったけれど、マスクがないのは誰のせいでもないので(というより、さっさと買っておかなかった自分が悪いのか)、今は手洗いうがいと栄養補給をがんばって、このよくわからない状態が過ぎるのを待ちます。
by papiko-gokko | 2009-05-21 23:39 | Diary | Comments(0)

 暑いです。アイスクリームを食べたいけれど、親知らずがまた暴れだしたら涙が出そうなので、我慢します。毎年5月下旬の夏日に、そういえば自分は夏が苦手なんだった・・・と夏の恐ろしさを思い出します。親知らずが痛み出したのも、もしかすると夏のせいかもしれません。異常気象なのだか通常気象なのだかわからないけれど、いずれにしても負けないよう、よく食べよく寝て体力をつけよう。明日あたり、安かったらうなぎを買おう。

 朝方に夢をみました。担当営業さんと、冗談半分本気半分で、口げんかをする夢でした。夢なのだからいくらでも会話がはずむかと思ったのに、「つーか、とりあえず腹減ったわ」という営業さんの一言に、「ああ、そうですか」とふてぶてしく返したところで、会話は終わってしまい、そこで目を覚ましました。現実の会社へいったら、担当営業さんはすでに外回りに出かけていて、帰りも遅かったので、今日私が営業さんに向かって発した返事以上の言葉は「24日に予定入ってます」と「あ、ありました、すいません」だけでした。
 なんだか最近、現実よりも夢の方が、出来事も想いも具体的。現実世界は、時間とか、情報とか、会話とか、流れゆくものが多すぎて、それを受け止めたり避けたりするので、精一杯です。

 会社帰りに駅のホームで、高校時代同じ部活だった男の子らしき人が、向かいの電車に乗り込むのを目撃しました。あっ!と思った時すでに私はエスカレーターで下っていたし、その人の乗った電車も動き出していてあっという間に見えなくなってしまいましたが、いくつかの特徴を確認したので、たぶん間違いありません。彼は大人っぽいグレイのスーツを着ており、それがちゃんとしっくり似合っていて、あぁそうかあの人もすっかり社会人の大人なんだなぁ・・・と、強烈な懐かしさと少しのよそよそしさを感じながら、その人に恋心を抱いたことは一度もないはずなのに、なんだか恋をしていた時期があったような錯覚をしました。懐かしさと恋しさの波動は、とても似ているようです。一瞬の印象を今改めて思い出す限り、彼は高校生のころよりも、佇まいが凛々しくかっこよくなっていました。
 なぜだか忘れていたけれど、高校時代の部活仲間の多くは、東京にいたりします。あの頃あの部室の雰囲気を共にした人が、今も案外近くで生きているのだと思うと、返ってその存在を遠くに感じました。あの頃の日々がもう二度と戻らないのは、みんなが遠くにいるからではなく、それぞれにとってあの頃が遠い過去になったからなのだと、そんな当たり前のことにハッと気付かされて、いつもの景色が急速に、ぱさぱさ淋しく渇きました。蜃気楼を信じて走ったあとって、こんな気分なのかな。
by papiko-gokko | 2009-05-20 21:15 | Diary | Comments(0)