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日記と短歌


by papiko

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 教室にいる夢をみた。木とパイプでできたあの簡素な机と椅子、ゆるやかにカーブする黒板、壁に張られた時間割や掃除当番表、SEIKOのさっぱり丸い時計、窓から光を集めて温もる埃。いつも知り合いの夢を見る私にしては珍しく、その教室には誰も来なかったし、何の授業も始まらなくて、私は自分の席に座ったまま、だんだんと目的の分からない退屈に追い詰められていきながら、それでも教室をでなかった。明け方の夢は、潜在意識の表層をひやりとすくって映し出し、目を覚ますと波が引くように立ち消える。夢の私は誰を待っていて、どんな授業を受けたかったのだろう。

 連絡をしばらく取っていなかった人のことがふいに気になって、先日なんとなしにメールをしてみたが、返ってこなかった。うん、ごめん私が悪かった、どうでもいいタイミングでした。
 しょうがない仕方ない、人それぞれに事情があるからしょうがないよ忙しいから大変な時期だからしょうがないよ仕方ないよしょうがない・・・・・・事あるごとに、しょうがないって自分に言い聞かせなければ精神を正常に保っていられないような友人関係が、果たして必要か。少なくとも、そんなふうに思われながら私と友達でいたい人など、ひとりもいないだろう。わがままなのは私かな、それとも、誰も彼もがわがままだから、誰かがわがままをした数だけ、私のなかに「しょうがないしょうがない」が生まれるのかな。いや、やっぱりこれは、私ひとりのわがままでしょう。
 嗚呼、人は存在として好きだけど、現実社会でもネット社会でも、人付き合いはこんなにも苦手。大切にしたい関係の補強を試みるたび、ひどく心が疲れる。もうやめよう。器用な人間関係を築けない私は、せめて、忘れられることぐらい、不必要な人になることぐらい、恐れずに生きてゆこう。

 「篤姫」、今週もおもしろかった。篤姫(宮崎あおい)と徳川家定(堺雅人)のやりとりが、とにかく大好き。ストーリーもいよいよ幕末っぽくなってきて、目が離せない。篤姫のかんざしが、毎回可愛らしくて、目を奪われる。かんざしっていいなぁ。さしたいなぁ。

 ひたすら中島みゆきのいろいろな曲を聴いていた日曜日。年に何度か中島みゆき期みたいなものがめぐってくるのだ。歌声も言葉も、圧倒的だ。ここまで生々しい心模様を歌にすることが可能なのか。

***

文学全集を読んでぐっときた文を抜き出そう月間。なんだか集英社文庫で中原中也詩集がカッコいい青年の表紙になっていて衝撃を受けたので、中原中也「山羊の詩」憔悴より。人間失格の表紙は許せなかったけど、中原中也の絵は、個人的に素敵だと思いました。

『さてどうすれば利するだらうか、とか
どうすれば哂はれないですむだらうか、とかと

要するに人を相手の思惑に
明けくれすぐす、世の人々よ、

僕はあなたがたの心も尤もと感じ
一生懸命郷に従つてもみたのだが

今日また自分に帰るのだ
ひつぱつたゴムを手離したやうに

さうしてこの怠惰の窗(まど)の中から
扇のかたちに食指をひろげ

青空を喫ふ 閑(ひま)を嚥(の)む
蛙さながら水に泛(うか)んで

夜は夜とて星をみる
あゝ 空の奥、空の奥。』
by papiko-gokko | 2008-06-29 23:33 | Diary | Comments(0)

 もしかして、これがいわゆるマリッジブルー。少し前まで、結婚の話をするたび「まだ待って」と言葉を濁してばかりいた恋人が、どうしたかことか急に動き出し、今度は私が怖気づきそうである。結婚するといっても、親元を離れてからもう六年も立っているし、恋人ともすでに一年以上暮らしているので、変わることと言えば、苗字と親戚関係ぐらいだ。そんなたったふたつの変化さえ、具体性を帯びて差し迫ってくると、ぐんぐん不安になってくる。結婚で初めて実家をでる人なんて、一体どれだけ不安なことだろう。
 今の苗字は、名前とよくマッチしていると自分で思っているだけに、変わってしまうのが名残惜しい。両親や妹たちと違う苗字になるのだと思うと、たまらなく寂しくもなる。いずれは三姉妹別々の苗字になってゆくのだと、わかってはいたけれど、彼女らと同じ苗字で呼ばれ同じ屋根の下で育った月日は、今にして思えば楽しくかけがえのない日々だった。ごっこ遊びの最中に、誰かひとりが「わたし、いーちぬーけた!」って言ったとき、他のみんなが一斉に浮かべる、ぽかんと気の抜けたあの表情。あの瞬間を、なんとなく思い出す。
 そんなゆらゆらする気持ちのなかで観ていた先週の篤姫に、はっとさせられる言葉があった。「おいは今日から鬼になります」という息子(大久保利通)の決意を聞いた母が、きりりと息子の目を見つめ、「そんなら私は鬼の母になるまで」と、はっきり言いきるシーン。眼圧検査の風を受けたみたいに、ずばんと胸にきた。そうだ、親や姉妹って、そういうものだ。例え鬼になろうと立派になろうと別の苗字になろうと、母と子であること、姉と妹であることには、変わりない。そういう変わりない関係があるということに気づくことのできるこの機会を、喜びこそすれ、寂しがってはいけないのだ。
 それにしても今の苗字を手放すが寂しくて仕方ないので、苦肉の策として、短歌など作品をどこかに応募などする際の名前、つまりペンネームは、今後も今の苗字のままでいようと決めた。応募してみようしてみようと思いながら、結局全然応募していないから、苗字を手放さないためには、応募しなくては。
 
 披露宴の予定はないけれど、式だけはきちんと挙げたくて、現時点で式場は、出雲大社と決めている。生まれてすぐのお宮参りから七五三に合格祈願、そして毎年のお正月と、物心つく前から今までずっと節目節目で親しんできた神様だから、やっぱり結婚も、出雲の神様に見守られたいなぁと思って。正直なことを言えば、東京で式場を選ぶのが面倒だというのも多いにあるのだが、恋人もせっかくだから出雲大社でと言っているし、ちょうどよかった。憧れの白無垢と綿帽子。子供のころから、出雲大社で挙式をしていたりすると、伏し目がちのお嫁さんの白さにうっとりとしたものだけど、ついに自分がそれを着られるのかと思うと、感慨深い。男の人の袴姿も楽しみだ。ただ、その日に行きつくまでが、なんだかいろいろ大変そうで、早くもいくつかの問題について、頭を抱えて始めている。うまくやれるかな。

 結婚してしまうまえに、何かやり残していることとか、清算しなければならないこととか、ありはしないか、恐る恐る考えている。なにもない気もするし、ありすぎて手に負えないような気もする。あるかなぁ。結婚したからといって、仕事を辞めるわけでもないし、変わらないかな。変わらないでほしいことが、変わりませんように。
by papiko-gokko | 2008-06-28 23:57 | Diary | Comments(0)

 今日のミュージックステーションは夏うたランキングの二時間スペシャルで、とても楽しかった。季節や感情などのテーマで選んだ邦楽ランキングは、時代に縛られず様々な人の歌を聴けるから、一曲一曲が懐かしかったり新鮮だったりして、心模様が活発になる。歌を聴くのはもちろんのこと、一生懸命に歌っている人の表情を見るのも好きだ。言葉や曲調に合わせて、眉間や口元にぐっと寄る皺が好き。歌っている人は、日常生活じゃ誰もがなかなか人に見せないような、人間らしく生々しい表情をたくさん見せてくれる。歌詞の内容によって、目を閉じたり睨みつけたり細めたり、見上げたりうつむいたり、見ていて飽きないのだ(とはいえ、個人的にどうしても生理的に無理な歌い方の人も結構いる)。こんなにも短時間に一人の人間のいくつもの表情を引き出すことができるのは、歌の力だと思う。
 歌っている人を見ていたら、ひとりカラオケに行きたくなってきた。中島みゆきと鬼束ちひろだけを歌い続ける三時間。夏がきてへろへろになる前に、一度いっておこう。
 
 歌といえば、友達の旦那さんが映画を作る人で、最近作った映画にテーマ曲をつけるのだそうで、先日その歌詞を書いてみてと言われて、私なりに考えたのを書いたら、そのまま採用してもらえた。正式に歌詞を書いたのはこれが初めてだったのだけど、なんて楽しい作業だろう!リズムや語呂をなんとなく合わせつつ、基本的に削る作業を前提にして考えていくのは、短歌にも似ていた。私は、限られたなかで言葉をやりくりすることに、快感を感じる性質なのだなぁ。こうして書いている文章でさえも、書き終えてから三割ぐらい削ったりすることが多く、付け足すということはほとんどない。作詞が私にとって楽しい作業であるということが実感できたので、これからは短歌だけでなく長い歌、作詞もしてみようと思う。自分の言葉でもってできることは、なんだってやってみようじゃないか。言葉が形になっていく、こんな気持ちのいいことはない。
by papiko-gokko | 2008-06-27 22:50 | Diary | Comments(0)

 坂道を自転車でのぼりながら、あぁ私の人生は私にとって、たったひとつの大きな出来事なんだなぁと、唐突に気づき、息切れしながら途方に暮れた。十代のころまでのイメージでは、人生って絵本のページをめくるように、ぱらりぱらりと様子が変わって、あるページをめくったとたんぱらりと大人になり、そのまた次のページではぱらりとお母さんになるのだと思っていた。けれども実際に二十五年ほど生きた私の人生は、七歳のころの癖をもったまま、十三歳のころの苛立ちを燻らせたまま、十七歳のころの想いを秘めたまま、いつでも同じこのたったひとつの体で、ひと続きに流れている。絵本のページをめくるようにぱらりぱらりとではなく、ひとつのキャンバスに少しずつ少しずつ絵の具を重ねていくように、人生は同じ土台の上でにゅるにゅると変化している。生まれてから死ぬまで、こんな重大なたったひとつの出来事の真っ只中に居続けるだなんて、これは大変な事態。この出来事を、私はどこまでうまくやれるかな。

***

 昨日は仕事のあと、恋人の地元横浜へ行き、彼の家族とお食事をした。恋人が戸籍謄本をもらうために横浜へ行かなければならなかったので、急きょ私も行くことになったのだった。恋人の家族にはもう何度も会っているけれど、未だにぎくしゃく緊張する。恋人の家族はみんななんだか都会的な雰囲気を纏っていて、私に対してしてくれる細やか且つクールな気遣いには、恐縮するばかりだ。うまく説明できないけれど、ともかくあれは、島根にはない種類の親切。例えばケガをしたときの、ヨモギとマキロンぐらい違う種類。
 食事はよどみなく続きタイミングよく配膳が行われ、私だけがおどおどタイミングを外しているようなのだった。軽やかに話し軽やかに笑い合いサラサラと続いて行く会話のなかで、私だけが的外れな相槌と笑いをこぼしているようなのだった。恋人家族と比べると、うちの家族って、みんなそれぞれに必死な感じで、大抵誰かしらのタイミングが悪くて誰かしらがふてくされたりしてて、がちゃごちゃしてるよなぁ・・・と思う。あんな都会的な会話に、私もそのうち自然と溶け込めるようになるのだろうか。自信がない。
 そういえば今回の移動で、話題の副都心線を初利用した。先週と先々週の「タモリ倶楽部」が副都心線特集で、出演していたくるりの岸田さんが興奮しているのをみて興奮していた私だが、この便利さと美しさは、体感すれば鉄道マニアでなくても興奮すると思う。渋谷から池袋まで本当にあっという間だったし、真新しい地下鉄ホームは、どこの壁も足元も表示盤も、ピカピカツルツル輝いているのだ。東京の駅って出来たての時は、こんなにきれいなものなのか。ホームのあちこちで携帯写真を撮っている人がいたり、車内で副都心線がいかにすごいかを熱く語り合っている人がいたり、みんながそれぞれに東京の真新しいこの出来事を、楽しんでいる様子だった。それはなんだか、私の知らない時代にあった万博や東京オリンピックのころの日本人を連想させ、あぁ人って変わらないんだなぁ・・・と、愛しさが沸いた。古き良きものを懐かしみ味わう人の姿も好きだけど、それ以上に、新しいものにわくわく興奮している人のほうが、好きかもしれない。

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 先週が最終回だった木曜10時の「ラストフレンズ」、ひそかにずっと見ていた。総集編も今から見るところ。上野樹里さんの演技がすごく素敵だった。こんな、惹きつける演技ができるって、すごいと思う。のだめちゃんのときも好きだったけれど、こんな違う演技ができるなんて、すごい!いいなぁ。
by papiko-gokko | 2008-06-26 21:48 | Diary | Comments(2)

 内側で温めた言葉ほど、外に出すとしらじらしく響いてしまうから、だんだん、その場しのぎの冷たい私になっていく。そのほうが、いいみたい。言葉もどうやら生もので、温めたら腐るものみたい。うちをでてからうちへ帰るまで、私の内側には抜け目のない風が吹いている。どんな想いも長らく停滞させないように、湿っていじけないように、あくびと挨拶と鼻歌で、風を起こし続ける。仕事中は、きっぱりふてぶてしい心。それは、私のなりたかった大人の姿じゃないけれど、誰にでも思いやりをもち心を込めて仕事に望むのは、よほど多岐に渡って優秀でない限り、単なるのろまの役立たず。どうやらそういうことみたい。なんて役立つ、社会勉強。

 受け身で背伸びの、さし障りない会話。互いの名じゃない固有名詞が主役の、普遍的な話題。違う、違う、そうじゃない、あの人となら私は、もっともっと独特の、温度をもつ話を、できるはずだし、したいのに。そう思いながら、語尾の三回に一回は、すごい!ごめん!ありがとう!って、いかにも退屈なびっくりマーク。 違う、違う、違うんだ。本当には、びっくりマークじゃなくて、はてなマークの嵐を降らせたい。季節はずれの雹のように、怪しくやかましく。そうして、困らせたいのだ。困って返答をためらわれたい。困らせれば困らせるほど、壁は厚く硬くなって、冷え冷えとするだけだろう。困らせることでその関係を深めることができるのは、互いに愛し合うものだけの特権だから。それでも、関係が破たんしてもいいから、ふたりが主語の話をしたい。私のために返答を、考えあぐねてほしい。仕方なしに続けないでほしい。

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 文学全集を読んでぐっときた文を抜き出そう月間。倉橋由美子『聖少女』より。まだ読み始めたところなので、冒頭のほうでぐっときた文。最近の作家さんすぎるかなぁとも思ったのだけど、一応、これも文学全集だからよいのかな。先日からちょっと、女流作家な気分。

未紀の容貌やからだつきや服装を描写することになんの意味があるだろう?未紀に多くのことばを貼りつけて読者のまえにつれだそうとする小説家に呪いあれ、だ。ぼくなら、むしろ未紀を透明にして読者のまえからかきけすためにことばを使いたい。とにかく、未紀は、みえなくてもいい。そこに存在していることさえ信じられればいいのだ。』
by papiko-gokko | 2008-06-23 22:07 | Diary | Comments(0)

 大学時代の友達ふたりと、友達の赤ちゃんと旦那さんがみんなで遊びに来て、のんびりわいわい、とても楽しかった。うちにきてくれる人がいるって、嬉しいことだ。
 赤ちゃんは、この前会った時にはまだつかまり立ちができるかできないかぐらいだったのに、もうつかまり立ちどころかつかまり歩きもできるようになって、ハイハイもするようになっていた。それに表情も、豊かではっきりしてきている気がする。まだ言葉はしゃべれないけれど、あまあまうぷぷと、なにやら話しかけてくれたりしたし、何かものをもっているとき、「ちょうだい」と言って手を差し伸べると、それを渡してくれるのだ。かわいい!かわいすぎる。次にあったときには、どう成長していくのだろう。去年の九月に生まれたばかりの子が、たった一年で、こんなにも成長するだなんてなぁ・・と、ぷにぷにの腕や足に触れながら、生命の神秘に思いを馳せてしまった。まったく彼女の成長っぷりには、会うたび感心させられる。日本語をしゃべられるようになったら、私のことを、何て呼んでくれるかな。「おばちゃん」だったらちょっと悲しい。まだもうしばらく「おばちゃん」は、受け入れられない。
by papiko-gokko | 2008-06-23 00:20 | Diary | Comments(0)

 家の掃除と洗濯物の一日。むしむしと湿度が高く、時おり思い出したように雨の音。梅雨だなぁ。

 掃除をしながら、B'zのベストアルバムについていたDVDをずっとみていた。こんなに何度もみてしまうDVDは、初めてだ。若いころから最近までのライブ映像がいくつも入っていて、ファンにはたまらない。観ていたら、やっぱりまたライブに行きたい!と、強く思った。時には強い雨に打たれながら、時には枯れかけた声を必死にふりしぼりながら歌う姿を見ていたら、そんな、ライブでうまく楽しめないだなんて、いじけている場合じゃない!と思った。稲葉さんと松本さんの、一生懸命に体を張って働く姿を、またこの目に焼き付けたい。ふたりの働く姿は、お金を払ってみる価値がある。武道館のライブのMCで、稲葉さんがメロディに乗せてこういった。「週末もじゃんじゃん働きます~だってみんなに会いたいからぁ!」って。あれが、今回のライブで、一番嬉しかった一言だった。例え、盛り上げるための社交辞令の言葉だって、あれは本当に嬉しかったなぁ。またライブに行こう、だって稲葉さんに会いたいから!

 大事にしたい、いつまでも大切に想っていたい、そういう人があり、けれど友達にはなれそうにない。遠くで静かに幸福を祈り続けていますと、それで完全に連絡を絶ってしまうのが、一番美しく気楽な関係になれるのかなと思う。しかし、それも私にはできそうにない。どうしても、たまには元気か尋ねたくなる、向かい合いたくなる。名前の見当たらない関係を、保つことができるだろうか。そして、それを保とうとすることは、正しいだろうか。それとも無理やり名前を付けるなら、なんだろう。言い当てられたらしらける気がして、誰にもそれを聞けないでいる。

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 文学全集を読んでぐっときた文を抜き出そう月間。昨日幸田文だったから、今日はお父さんの幸田露伴。代表作「五重塔」などは、難しい漢字と古典的表現が多すぎて、改行もすごく少なくて、ちっとも読めなかった・・・情けない。唯一、「太郎坊」というのは読みやすくて短くて、それに読んだら面白かった。ので、「太郎坊」より。
 
人の一代というものは、思えば不思議のものじゃあ無いか。頭が禿げるまで忘れぬほどに思い込んだことも、一ツ二ツと轄(くさび)が脱(ぬ)けたり輪が脱(と)れたりして車が亡くなって行くように、だんだん消ゆるに近づくというは、はて恐ろしい月日の力だ。』
by papiko-gokko | 2008-06-22 01:06 | Diary | Comments(2)

もうすぐで雨


 頭痛。毎年このころになると本気で不安になるのだが、私、果たして今年の夏を、無事に乗り切れるだろうか。昨晩は体力をつけようとウナギをお腹いっぱい食べたのに、今日は元気になるどころか、ぐったり感が増している。先日も書いたが私は汗をあまりかけない体質のため、それで体温調節がうまくいかないのだ。暑い部屋にいれば、手のひらが長時間熱湯に浸していたようにぽっぽ火照って熱くなり、クーラーの効いた部屋に十分もいれば、今度は氷を握り締めているかのようにひんやり冷たくなって、一体、自分は変温動物なんじゃないかと思えてくる。同じ部屋ですごす恋人はどうやら新陳代謝がよいようで、首すじなどに触れてみれば程よく汗ばみ、汗のおかげで皮膚の表面温度は比較的低く、「暑いね」と言い合いながらも、おそらく彼の「暑いネ!」と私の「あづい・・・」の間には、かなりの隔たりがあるはずだ。
 まだまだ、暑くなるのはこれからだというのに、今からこんなにしんどくては、大変だ。早急に体質改善を試みなくては、このままでは間違いなく近いうちに体調をくずすだろう。確か去年もこの時期ぐらいから、一気に気力減退し、頭痛やら腹痛やらで、最終的に会社を二日も休んでしまった。もう有給の無駄遣いはしたくない。がんばろう。夏って、がんばろうがんばろうと繰り返さないと、本当に何もできない。

 私のB'z好きが、いつのまにやら営業部全体に広まっている。今日は営業さんから、「ぱぴこちゃん、昔のアルバムの限定版って持ってる?」と聞かれ、私は昔のアルバムを中古で集めたので、ないですないですと首をふったら、「月曜に持ってきて見せたげようか。ブックがついてるよ」と言ってくれた。その営業さんは33歳なので、結構昔のころからリアルタイムで聴いていて、限定版を持っているらしい。やった!情熱を持っていると、そしてそれを表現すると、いいことがあるなぁ。情熱のやり場に困ったり振り回されて疲れてしまうこともしばしばだし、嫌な思いをすることだってあるけれど、でも、やっぱりこうして、情熱が伝わって、嬉しいことがあったりなんかする。会社であることも忘れて、大喜びしてしまった。これからも、情熱をもっていよう。

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 文学全集を読んでぐっときた文を抜き出そう月間。今日は幸田文。この人の随筆、とても好き。きちんとしていながら、気取らずやわらかで、テンポがよくて、あこがれるなぁ。自分も文章を書きたくなる。私にとっての「いい文章」は、文章を書きたくさせる文章。この人はまさに、そういう作家さん。
 「髪」という作品の、冒頭部分より。

ながいつながりだった。それが、死んで、断れて、私だけがのこった。すぽんとした、へんな気持ちだった。順ならば親がさきへ死ぬのはあたりまへな筈だけれど、そこんところがどうもすっと来なかった。どうしてははの方がさきへ死んだんだろう、なぜ私があとへのこったんだろう。

死別のかなしみには実感が来ず、遠い感じばかりがしていた。それはなにかに似ている感じだった。よく知っている感じでいて、なかなかに思いつかず、日かずが過ぎてから、ああ雪だなとわかった。雪が突然ざざっと、廂をすべり落ちた、あれによく似ていた。』
by papiko-gokko | 2008-06-20 23:19 | Diary | Comments(0)

頭が働かない


 哀しい。今日も昨日も、書きたいことが見つからなかった。哀しい。キーボードに指を置いても離しても、胸が詰まって気が焦る。「どうせ暇でしょやることやってさえくれればあとは遊んでていいよ」と上司に言われてしまう、そんな私の八時間労働、はい、正直いって、最近とても暇です。暇なので、いくらだって、考え事ができるはずなのに。何も考えなかった。自分の事も、周りの事も。来月で会社を辞める社員の顔を、どんなだったかなぁ思い出せないなぁって三分弱、考えたとすればそれぐらい。よくない傾向。悪い状態。あ、そうか、夏がくるだからだ。ぼんやりして、気だるくて。今日はウナギを食べたから、明日は元気がでるかな。元気がでたとしても、問題は、やる気だな。まだまだこれから暑くなる、モリモリ食べてすやすや眠って、会社ではクーラーのバカな温度設定に負けないよう防寒具をつけて、ともかく毎日がんばりましょう。あ、なんだかんだで、書いてしまった日記。

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 文学全集を読んでぐっときた文を抜き出そう月間。今日は桜桃忌なので、太宰治の文章にしたい。三鷹に「太宰治文学サロン」というのができたらしい。ぜひぜひ行ってみたい。できれば平日、人のいなさそうなときがいいなぁ。誰の目も気にせず堪能したい。桜桃忌ということで、「桜桃」より。

生きるという事は、たいへんな事だ。あちこちから鎖がからまっていて、少しでも動くと、血が噴き出す。
by papiko-gokko | 2008-06-19 23:17 | Diary | Comments(2)

 B'z20周年記念のベストアルバム、B'z The Best “ULTRA Pleasure”を、一日早く手に入れた。DVDつきの、超豪華版だ。
 10年前、中学三年生だった二つ結びの私は、制服を着替える間も惜しんで、母と車でサティーまで『B'z The Best Pleasure』を買いに行った。ついこの前の出来事のように思い出されるあの日からもう、10年が経ったとは。当時私はまだB'zファン歴1年半ぐらいで、アルバムを「LOOSE」と「SURVIVE」の2枚しか持っておらず、ベストアルバムが出るまでその2枚をひたすらに聴きまくっていた。だから、ベストアルバムの登場はちょうどタイミングがよく、夢のようにありがたいものだった。確か、そのベストアルバムが大ヒットを記録して初めて、B'zがめちゃくちゃ売れてる人気バンドなのだと知り、ショックを受けたんだったっけ。
 『B'z The Best Pleasure』を手に入れた中学三年の私が、中一のころ初めて自分専用に買ってもらった小さなCDコンポの前に座り、金色のあの表紙に指紋がついてしまうことを気にしつつ爪で歌詞カードをめくりながら、ビフナイトちょこ塗りしすぎの顔で胸をふるふるさせたのが、『Don't leave me』。稲葉さんのあの、悲痛な歌い方にしびれた。しびれまくりながら、題名「Don't leave me」の意味や、歌詞の中にでてくる「it's too late」と「pain」などの意味を、ジーニアスの辞書で調べたのを、はっきり覚えている。この歌のサビ部分にあたる「誰もいない、僕を許してくれるのは、君以外に」という歌詞について、あのころあらゆる人にあらゆることを許されている立場だった私は、単純に、「僕がどんな悪いことをしても君だけは許してくれるのにその君がいなくなるなんて」、という不良男の懺悔ソングと受け取っていた。それが一年前、祖母が意識不明になった直後にこの曲を聴いて、聴き方が変わった。この曲は別に不良男が主人公なわけではなく、「君に対してして僕がしてしまった過ちを許すことができるのは君しかいないのに、もう二度と君は帰らない」、という、何処にでもありながら二つと存在しない一人と一人の根本的な絆を歌っているのかもしれないと、気づいたのだった。
 そのDon't leave meが、今回はDVD映像として収録されている。今、観たら、ちょっと、どういうことだろう。かっこよすぎる。ちょっともう、これは。かっこよすぎる。あぁもう、中学三年生の、当時流行っていたごてごて太いシステム手帳に稲葉さんの切り抜きを張りまくって思春期の欲望を満たしていた、あの、ソックタッチでソックス貼り付けすぎの私に、見せてあげたい、この稲葉さん。あのころなんて、映像といえば目ざましテレビなどでたまに流れるPVぐらいだったものなぁ(地元ではケーブルテレビに入らないとミュージックステーションが映らないため、高校のときB'zみたさで親に泣いて頼んでつけてもらった)。
 ちなみに今回、初回の特典として、くじ引きがあったため、くじ運のウルトラ悪い私は買いに行かないほうがいいと思い、恋人に買ってきてもらった。その結果、ストラップが当たった。やった!今は借り物の携帯だから、新しい携帯電話をかったら、即効でつけよう!
 今回のアルバム、きっとB'zのふたりの意向というよりは、事務所の契約的なあれなんだろうなぁ・・・と、最初はあまり気が進まなかったのだが、やっぱり、出してくれてよかった。20年分のシングルをひとつにまとめてもらえたのだと思うと、嬉しいもの。ありがとうB'zの関係で仕事をしているたくさんの人たち。20周年が落ち着いたら、来年はソロ活動かな。それもまたすごく、楽しみだなぁ。あー、なんだか、しあわせだー。今日は、しあわせで、しずかすぎる夜だー。明日は渋谷がB'zだらけになりそうなので、仕事のあと、行ってみたいなぁ・・でも、ひとりで渋谷へいくのは、怖くて無理だなぁ・・・
by papiko-gokko | 2008-06-17 22:00 | Comments(0)