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日記と短歌


by papiko

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闇を這う風が鳴いていた


 祖母が喉にお餅を詰まらせ意識不明となった日から、昨日でちょうど一年がたった。一年間、意識はついに戻ることなく、今も植物状態のまま呼吸している。たぶん体が死ぬまで、祖母の記憶と感情は意識の底で凍りついたまま、戻らないんだろう。体が死ぬ時初めて割れて流れ出し、自由になるのだろう。せめて、そうであってほしい。消滅はしてなくて、凍りついているだけなのだと思いたい。
 祖母に対する認識は今、私のなかで、二層に分かれている。現状をまだ受け入れきれていない層と、受け入れすぎている層。一方の層で、今も本当は元気に暮らしているんじゃないかとか、ちょっと強く体を揺らせばはっきり目を覚ましてしゃべりだすんじゃないかなんて思いながら、もう一方の層では、もうほぼ祖母はこの世にいない存在として認識し、そのうえで祖母を懐かしんでいる。そしてそのふたつの層の分かれ目には、おばあちゃんともう一度話がしたいなぁという、共通の思いが溢れている。ありがとうとか、おいしいとか、そんな単純で真っ直ぐな感謝の言葉ばかりを、たくさん言いたい。そしてそのたび、頷いてもらいたい。
 一年前の今日、早朝の飛行機で東京から島根に帰り、そのまま病院へ行って大きな機械に繋がれて眠る祖母を見た時、祖母の意識はまだすぐそこにあるように思えた。家のなかも、祖母の意識で充満していた。だけど、今年のお正月にあった祖母は、意識がないことに慣れきっているような、からっぽで澄みきった目をしていた。夏のころはまだ、それでもどこかにごっていたのに。実家からも、祖母の気配は確実に消えていっている。たとえば座布団、受話器、障子、ペン立て、戸棚、そういったひとつひとつから、まるで炭酸が抜けていくように、祖母の気配が消えていく。どのテーブルにも、祖母の拭いた布巾のあとはもう残っていないし、生協で祖母が頼んでいた食材はもうとっくにみんな食べ終えてしまったし、祖母宛てのダイレクトメールもだんだんと来なくなった。祖母がこの世から、音もなく手放されていく。こうして人はゆっくりと、本当にどこにもいなくなっていくんだなぁ。
 祖母が買ったきりちっとも使っていなかった圧力なべを、この前のお正月に私がもらうことになり、今東京で使っている。すごく便利。なんでもすぐできる。もし今祖母の意識があったとしても、私が圧力なべを欲しいと言ったら、祖母は喜んでハイテンションでその圧力なべを私にくれたことだろう。今ここに圧力なべがある理由に、祖母の意志が含まれていたならば、どんなに素敵で温かいだろうかと思う。
by papiko-gokko | 2008-01-30 23:00 | Diary | Comments(0)

 事務員の先輩ひとりが妊娠して先週からつわりで休んでいる為、その人のぶんだけ仕事が増えて、毎日それなりに忙しい。あの人も、この人も、自分の子供を持っていく。自身の現状や将来について考えているうちに、むらっと、吸えもしない煙草をふかしてみたいような衝動に駆られた。ふてぶてしく、大人ぶってる子供でいたい。
 焦らないこと、ひるまないこと、とらわれないこと。だれがどう変化していこうとも、私は私の今を着実に生きていけばいい。大人はそれだけ求められ、それができれば十分えらい。

 新聞紙のように広げることを許され、私を育んだ人たちと一緒に楽しくとり囲んで眺めた将来の図案を、今はくるくる丸め筒状にして、ひとりで覗き込んでいる。筒の底では、これまでの日々で集めた希望の粒が色とりどりにきらきらとして、万華鏡のように、力を合わせ幾通りもの理想的な模様をつくっては散らばり、繰り返し私を楽しませる。筒の底が暗闇に覆われれば、どんな光の模様もすっかり見えなくなると知っているから、内側の明るさを絶やさないように、歌って読んで、書いて眠って夢を見る。万華鏡のしかけは、夢の中で磨かれる。

 仕事中、心が乱れることが減った。いいことだ。今私の心を大きく乱すのは、家族と恋人ぐらい。これは平和なことなのだろう。私はすごく、平和のなかにいるのだろう。嫌いな人から乱されない限り、心はどんなに乱れようとも、黒く蝕まれたりはしない。
by papiko-gokko | 2008-01-29 21:03 | Diary | Comments(0)

素晴らしい日々を


 エレファントカシマシがテレビで歌っていて、釘付けになった。CM以外で、ものすごく久しぶりに見た気がする。聴き手の耳とマイクに向けて、自分の声をねじ込むように歌う宮本さん、かっこよかった。いい声、いい歌詞、いいメロディ。好きだなぁ。
 今日はちょうど、2006年ぐらいから恋人パソコンのHDDに撮りためていたB'zやスピッツや椎名林檎の映像をDVDに焼くという作業をして、そのときたっぷり観賞もしたから、今日のエレカシも含め、自分の好きなアーティストの歌う姿を、一気に堪能できた一日となった。満足。

 恋人はご機嫌な歌が好き。私は不機嫌を含む歌が好き。だから、音楽の趣味はほとんどあわない。たまに彼のパソコンに入っている曲を聴いてみたりすると、どうもご機嫌なナンバーすぎて、気持ちがついていけなくなる。ご機嫌で軽やかで、なんだか隙がない感じ。私の好きなアーティストの歌には、どんなに楽しげな歌にもどこかに不機嫌が混じっていて、沈み込む隙がある。ふてぶてしさや、卑屈さや、苛立ち、そういったものが、曲の底にちゃんと漂っている。それを確認して初めて、私は安心して音楽に心を預けることができる。
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 ムーミンキャンペーンのボウルをゲットするため、サークルKサンクスに通って集めていたポイントが2個ぶん貯まったので、今日交換してきた。素敵だ・・・!大事にしよう。割りたくないから、めったに使わないようにしよう、だけど目に付く場所に保管しよう。

 そんな感じで、好きなものばかりを舐め回すように過ごした日曜。明日からはまた、難しいものを噛み砕かなくちゃいけないからな。
by papiko-gokko | 2008-01-28 01:04 | Diary | Comments(0)

 昨日から具合が悪く、寝たりぼんやりしたりして過ごした。熱があるわけでも風邪を引いているわけでもなく、ただなんだか頭の中がだるい感じ。なぜだろう。ここのところ、自分の大事な人たちのことでいろいろ心配事があって、考えてもわからないことばかりを夢中で考えすぎたから、脳みそが疲れたのかもしれない。
 どうか、これから訪れる春を、誰もが健やかな気持ちで迎えられますように。今願うのは、とにかくそれだけだ。大好きな春がくるのは、楽しみだけど怖い。草木が芽吹き動物が目を覚ますほどの強烈な季節だから、眩しい色彩にひるまないよう、冬のうちから、春を迎える生命力の準備にとりかからないと。
by papiko-gokko | 2008-01-26 23:23 | Diary | Comments(0)

欲望はぐるぐる


 誰の悪意も含まれていない楽しい会話を聞いているうち、勝手に惨めな気持ちになって、勝手に傷ついていた。泣くな泣くなと自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、胸がねじれて涙ぐんだ。自分の席が誰からも見えにくい場所でよかった。会社で働く自分のことを、私は好きになりたいと思うけれど、あの子の明るさや、あの子のしとやかさや、あの子のスマートさが、それだけのことも難しくする。誰か働く私のことを、気に入ってくれませんか。

 仕事を終え、タイムカードを押してフロアをでたら、会議を終えた営業係長がちょうど戻ってくるところだった。すれ違いざま、「お疲れ様」と、私に小さく会釈してくれたそのときの、遠慮がちでささやかな笑顔が、夕暮れの帰り道いつまでも印象に残っていた。うっすらとしてさりげなくて、慈しみのある笑顔だった。
 男の人の笑顔は、力強くニコニコしたのよりも、うっすら静かなのが好みだ。目を伏せてふっと頬を緩めるような人が、好きだなぁ。そういう人が、たまにまっすぐ目をみて二カッと笑ってくれたりしたら、素敵すぎて、目と心臓の位置が入れ替わりそうだ。あぁ、なんだか今、男の人の優しい笑顔を、たくさん見たい。それも、ちゃんと私に向けて笑ってくれてる笑顔が、見たい。なんだかひさびさに、男の人から優しく笑いかけてもらって、男の人の笑顔は素晴らしいなぁと、うっとり再認識した、木曜の欲求不満事務員。
by papiko-gokko | 2008-01-24 23:43 | Diary | Comments(0)

 家を出たら、ぶわぶわ雪が舞っていて、いきなりまつげに飛びついてきて、驚きのあまり鍵をかけるのを忘れかけた。朝は眠たすぎてテレビもつけないしカーテンも開けないから、いつもその日の天気を知るのは玄関を出てからなのだ。雪が降っているだけで、歩くのが楽しい。いつもの道が物語の舞台になる。歩く人や電柱やポストや家、普段別々の景色としてバラバラ視界に移りこんでくるすべての上に等しく雪が降ることで、それらすべてが「雪景色」というひとつの世界となって私の視界に等しく入り込んでくるから、主役を待つ舞台を見ているような錯覚に陥る。雨や雪や夕日、空から等しく降るものは、見える景色を接着させる演出家。
 雪が降ると、どうして世界が静かになるのだろう。音はいつもと変わらずあちこちで発生しているはずなのに、車のエンジン音も、駅の喧噪もみんな、しゅんしゅんと舞う雪に吸い込まれていっているような、電車の中までしんしん静けさの漂う朝だった。地元でたくさん雪が降るときなどは、雪の吸い込む音もないほどに静まり返った雪の中を歩いていると、チタチタチタチタチタチタ、雪の着地音だけに四方八方を囲まれたりする。あのチタチタ音に聴覚を満たされると、チタチタによってこの世から音という音が閉じ込められたんじゃないかという恐怖に駆られてきて、「おー」と無意味の声を出したりしながら、別の音を発生させて歩く。東京の朝にチタチタ音は聞こえなかったけれど、誰もが知らず知らずのうちにチタチタに耳を澄ましていて、それで静まり返ったのかもしれない。あのチタチタは、耳を澄まさずにいられない異様さがある。
 会社では、外から入ってきた人がみんな、「外は雪がすごい」と言い、そのたびみんなが口ぐちに、積もるかな?積もるんじゃない?積もらないでしょう?と言い合っていた。「積もる」と誰かが口にするたび、めったに使わないその言葉の被っていた埃がぶわぶわ舞って、それが雪になって降ってくるような、窓の外は、そんなきりのないような降り方をしていた。「東京でこんなに雪が降るのひさしぶりじゃない?」といわれて、「確かに、なんか久しぶりかも」と答えながら、そういえばもう、東京の久しぶりがわかる程度の期間、東京に住んでいるんだなぁと、思ったりした。今日は東京に、久しぶりの雪が降ったのです。大学一年生のとき、ちょっと積もったあのときほどじゃないけれど、久しぶりなのです。
 お昼すぎまで勢いよく舞い続いていた雪も、帰社時刻には雪がすっかり雨に変わっていて、道が濡れているだけだった。東京の雪は、なかなか積もらんなぁ。一度ぐらいは積もったら楽しい。でも恋人によると、東京の人は冬になっても車にチェーンを巻く習慣を持たないらしいので、積もったら、大騒ぎになりそう。
by papiko-gokko | 2008-01-23 22:25 | Diary | Comments(0)

 自分にできることなんてないんだ必要とされていないんだ居る意味ないんだ、というようなことを、誰かの言動から思い知らされたり何かの状況で感じたりしたときに、あーもー死にたいなーと思う。無論、本気で死にたいわけはなく、この場合の死にたいなーは、生きかえりたいな―、っていう意味。あぁ、生きかえりたいな―、忘れたくない眩しい瞬間に、物語の世界を信じきっていた子供時代に、お母さんのお腹のなかに、生きかえりたいなー。

 大丈夫?と聞いた時に、優しい人が痛みを堪えて笑顔で返す「大丈夫だよ」という返答、あれほど私に自分の無力さや不要さを叩きつけるものはない。誰にとっても、役不足なのか、私。

***

 会社の階段で、相談役のえらい人とすれ違い、普通に挨拶をしたら、その人がおもむろに振り向いて、「あ、私は先日あなたから、お菓子のお土産をいただきました、ありがとう」と、穏やかに言われ、驚いた。直接あのえらい人に私が渡しに行ったわけではないので、あのえらい人は、私の顔と名前を、ちゃんと一致させて覚えてくれていたということになる。ほとんどかかわりがないのに、いつの間に?びっくり。そして、すごく嬉しい。お菓子のお土産のお礼を言ってくださったの、あなただけでした、えらい人。大好きになりました。お菓子のお土産、という言葉の響きまでもが、大好きになりました。ありがとう、覚えてくださって。今度会った時には、もっと笑顔で挨拶します。またお菓子のお土産買ってきます、出雲のおいしいの買ってきます。

***

 憧れの正体は、違和感。駅前のキラキラを眺めていて、今日ふと、気づいてしまった。あぁ、なんだ、違和感だったのか。自分自身が違和感を纏えば、外側の違和感を埋めることができるのかな。外部の違和感と内部の違和感が、パズルのようにぴったりとあわさって、流行という絵になりました。

 スナフキンは言いました。「おまえさん、あんまりおまえさんが誰かを崇拝したら、ほんとの自由はえられないんだぜ」。あの人は自由。誰も崇拝していないから自由。そして自由な人はこうして時々、突き放すようなことを言って、自由じゃない心の人を孤独にする。
by papiko-gokko | 2008-01-22 23:15 | Diary | Comments(0)

 誠実で、切実な言葉を。今この瞬間の自分にとって、誠実で切実なことを。それだけを、私はここに記そう。へらへらごまかすことも、取り繕うことも、ここでだけはしない。これは私の日記なのだから、いい人と思われたいとか、嫌われたくないだとか、そんなのは一切、捨てよう。そんなことを気にしておどおど書いた文章を、誰が読みたいだろう。少なくとも、私はそんなものの含まれている日記、二度と読み返したくない。これは日記なのだ。自己PRの履歴書じゃない、弁論大会に出す作文じゃない。私が私に気づき続けるため、私の内部音声を拾い続けるために書く、私の日記だ。唐突な、うわのそら四年目の決心。

***

 私が思い通りにならないでいることを、目の前で誰かが叶えていて、理想に向かってまっすぐのばしていたはずの手は、先走る欲望に力んで歪み始め、指が鷲のように曲がり、ガサツにその爪を立てては、提案ポスターを手当たりしだい掻っ攫う。本質を見失っていく。

 悔しい、認めたくない。自分らしくあろうとすればするほど、そんなものばかりが、いくらでも増える。受け入れたら、私のなかの強さが壊れてしまいそうだから、きりきりと視野を狭めて、私は、ふてぶてしくなる。この二年間ぐらいで、私はずいぶん、ふてぶてしい女になったと思う。そんなにしてまで守る強さを、一体私はどこで誰のために、使おうというのだろう。ふてぶてしさで守られた強さは、人を痛めつけるだけじゃないか。もしくは、もはや強さではなく、子供じみた強がりに、変形してるんじゃないか。

***

 今日は朝から不機嫌だったが、不機嫌でありつつも恋人の実家へ遊びに行った。移動中は吊革に噛みつきそうなほど不機嫌だったけれど、実家ではご機嫌に過ごすことができた。恋人ママの手作りピザはおいしかったし、飼ってる犬も可愛かったから。もう私がダメな娘であることはばれているので、今さらよくできたいい子を演じる必要もなく、緊張することもなく過ごせる。そういえば、恋人ママから恋人のお姉さんに赤ちゃんが生まれると聞いて驚いた。いいなぁ、周りの女の子たちがみんな可愛い赤ちゃんを産む。私も産みたい。産まれたら、愛しまくって可愛がりまくる自信はあるけど、正しく育てる自信はない。でも産みたい。産んだら仕事を辞めて3~4歳ぐらいまで育児のみに専念したいから、そのためのお金を貯めるべく、今働くんだ明日は月曜。
by papiko-gokko | 2008-01-20 20:39 | Diary | Comments(2)

本を読んだこと


 一日の大半、本を読んで過ごす。途中うたたねしたりしたが、なんとか一冊読み終えた。読んだのは『日本人の遺書』という新書。私が親書を読むなんて珍しい。もともと恋人が勤め先の書店から入手してきた本なのだが、面白そうなので横取りした。君はまったくのジャイアンじゃないかと散々なじられたが、本を入手するたび、スネオみたいに見せびらかす彼が悪いのだ。
 この本は、煩悶 ・青春・時世・戦争・敗北・反俗・思想・疲労・憤怒・絶望・悔悟・愛情の12章に分かれており、そのなかで66名の遺書が取り上げながら、その人の生涯や思想、死因、歴史的背景などが書かれている。最近私は、この手の本が好きだ。第三者によって描かれる、ひとりの人間の一生。そこには、自伝では表すことのできない味わいや切実さがある。この本を読んでいて、人の人生は時代につくられていくのだなぁと思った。荻原裕幸さんの短歌「まだ何もしてゐないのに時代といふ牙が優しくわれ噛み殺す」を、ページをめくりながら幾度となく思い出した。
 遺書を取り扱っているけれど、悪趣味に死を美化しているわけでも、いたずらに悲観に暮れているわけでもなくて、ペンは剣より強いって本当だなと思わずにはいられない強く切実な言葉から、一人の人間の立ち姿が、ぴしっと浮かんでくるような、引き締まる本。
 あぁ、やっぱり、感想文をかくのは苦手だなぁ。真面目くさってしまうなぁ。なにしろ私は本を読むとき、他のどんなときより真面目な心になるから、感想文ががちごちしてしまうのも、仕方ないか。
by papiko-gokko | 2008-01-19 01:40 | Comments(0)

 自分のためにした自分のなかだけの小さな約束が、つぎつぎと、春めがけてやぶられていく。冬はあんまり寒いから、カイロを開封する勢いで、とっておきの約束まで使い果たしてしまう。

 少しずつ、日が長くなってきている。定時で仕事を終えて会社をでたら、もう日は落ちていたけれど、わずかに群青色の空をしていた。一週間前の同じ時間帯にはもう完全な夜だったのだ。日が長くなってきているのを感じると、それだけでうきうきと嬉しくなる。これはきっと、動物の本能なのだろう。自分のなかに動物の本能を感じてますます嬉しくなり、嬉しくなりすぎてテンションがぐんぐんあがり、北風に震える体を無視して、もうすぐ春ですね!と盛り上がり、春になるまで我慢する予定だったひとりカラオケを、思わず決行してしまった。春の気配は私に、いろんなことを思わずさせる。そして私はいろんなことを、思わずしてしまうときが大好きだ。悲しいことと、意地悪なことを除いて。
 ひさびさの一人カラオケは、すごく気持ちがよかった。一時間ひたすらB'zの新しいアルバムの歌を熱唱し、横隔膜が痛くなった。腹筋を50回ぐらいしたあとみたい。思えば中学時代の合唱部でも、高校時代の演劇部でも、毎日腹筋をたくさんさせられたものだった。しっかり声を出すためには、腹筋が必要ということなんだな。この数年間で私の腹筋は完全に退化していると思われる。今日からまた腹筋を開始しよう。一時間歌ったぐらいで疲れるようじゃダメだ。
 B'zを熱唱しすぎて横隔膜がふるふるし始めたから、いったん休憩にと、昨日恋人に似ていると言われたcharaを歌ってみたら、ろくに歌えず、やっぱり全然似てなどいないことが明らかになった。人前で歌うまえに、早めにわかってよかった。だけどcharaの歌は好きだから、一曲ぐらいはまともに歌えるようになりたいな。練習しよう。自分の声にあうかあわないかじゃなくて、自分の好きな人の歌を素敵に歌えるようになりたい。週に一度ぐらいのペースでカラオケに通って、練習しようか。声量や音域は持って生まれたものがあるからある程度仕方ないにしても、自分の好きな歌を、もっともっと心をこめて素敵に味わい深く歌えるようになりたい。静かに歌うのも、力いっぱい声を出すのも、いろんな声を出して遊ぶのも、大好きだ。声をだしていると、体も心も生き生きしてくる。頭がすっきりしてくる。どうして声を出すのが好きなのに、ぺらぺらしゃべるのが苦手なんだろう。しゃべるのが得意だったら、他の事務員さんたちみたいに、会社でもたくさん声を出せるのに。よし、週に一回ぐらいひとりカラオケにいって、声をだすよう心がけよう。あとちょっとで春だもの。スナフキンのやってくる季節。

 明日から、下の妹のセンター試験。本人にとって、満足のいく試験の受け方ができますように。
by papiko-gokko | 2008-01-18 23:16 | Diary | Comments(0)