うわのそら papiko.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

日記と短歌


by papiko

<   2007年 12月 ( 25 )   > この月の画像一覧



 朝、ダバダバと風が窓を震わす音で目を覚まし、犬さん親子にえさをやりに外へ出たら、雪がちらついていた。低く切れ目の無いどんより曇り空、冷たくて容赦のない北風。山陰の冬だ。

 午前中は、おせち料理作りをする母に頼まれて紅白なますをつくった。去年までは祖母と母が分担してつくっていたのだが、今年は母がひとりでやらなければならないので、ちょっと大変だ。完成した紅白なますは、おいしいともまずいとも言えない、ぼやけた味になったけど、包丁の使い方がうまくなったと褒められた。

 午後は中高時代の友人に会い、ドライブとお茶をした。彼女はいつも都合をつけて会ってくれて、会うたびに、あぁ今回もちゃんと帰ってよかったなぁと思う。窓際で、激しく降ったりふわっと弱まって止んだりを繰り返す雪と、灰色の空と、遠くなだらかに続く山の陰を見るとも無く眺めながら、仕事のことや、結婚をした友達のことや、恋愛の複雑なことや、いろいろ話した。違う場所で違う世界を生きながら、時々こうして会って話せる人がいることは、なにか、自分の人生をまろやかにしてくれる。話したり聞いたりするうちに、直線で捉えていた自分の時間間隔が、相手の時間に反射して膨らんで、そっと弧になっていくような。中高時代より今のほうが、いろんな話をできるようになった気もしていて、また次に会えるのが楽しみだ。

 先ほどまで、NHKで中原中也の特集をしていたので、妹と見ていた。中原中也は、今の所私の一番好きな詩人だ。中原中也の故郷の景色が映し出され、なんだか自分の故郷と景色が似ているなぁと思っていたら、山口だった。そうか、そういえばこの詩人さんは、山口県出身なのか。生まれ故郷の近い人の歌う詩は、心が馴染みやすいものなのだろうか。
 東京への憧れと、こんなところに染まりたくないという反発、中原中也はそのジレンマのなかで詩を書いたのだそうだ。きっとそういうジレンマって、田舎から東京へでてきた誰もが感じるものなのだろう。故郷で得る閉塞感と安心感、東京で得る開放感と孤独感。どちらに自分を落ち着ける覚悟をするか。両方を知った以上、どちらを選んだって、苦味が残る。これは、地方出身東京暮らし人の、永遠のテーマか。

 それにしても、母が何かにつけて三輪明宏の言葉をやたらと例に出す。いつも誰かしらの言葉や生き様に影響を受けつつ日々を暮らしている母だが、今回三輪さんとは。スピリチュアルとは。どうしたものか。とりあえず、「三輪さんがそう言うのなら間違いないかもしれん」ということにしている。
by papiko-gokko | 2007-12-30 23:46 | Diary | Comments(0)

東京→出雲


新幹線に乗っている。出雲への到着は、夜十時ごろになる。

品川駅で30分ぐらい時間ができたので、駅構内のショッピングモールをぶらぶら歩き、雰囲気のよい雑貨やさんで、透明プラスチックのなかに薄紅のバラを閉じ込めてある飾りのついたゴムと、ぴかぴか赤いりんごの半分に切ったのがついたネックレスを買ってしまった。元旦にある、高校時代の演劇部飲み会に付けてゆくのに、ちょうどいいと思ったのだ。めったに飲み会的なものに参加しないから、参加するとなると張り切り張り詰める(そして緊張して飲み過ぎて後悔する)。

新幹線の窓から眺める東京は、いつも私を魅了する。いくつもの建物、坂道、霞み空。数え切れない現実と物語を背負う、東京の背中。
ぐんぐん進んで、あっというまに恋人の地元横浜を過ぎ、田園風景と広い空がひろがり始める。背景には山のシルエット。あぁ、私はこれから、自分の生まれ育った景色のある場所へとどんどん帰ってゆくのだのだ!と、嬉しくなってくる。名古屋をすぎたあたりで日が暮れ始め、ひさびさの夕焼け空にうっとりした。ここ数カ月は日が短くて、会社をでるころにはすでに夜になっていたから。空を、信号や看板を見るついでのようにではなく、空単体として見たの自体が、ひさびさのようにも感じた。

さきほど岡山駅で新幹線から特急やくもに乗り継ぎ、iPodを再生したら、B'zが流れだした。しかも今一番のお気に入り曲。さすが私のiPodだ。やっぱ稲葉さんの故郷岡山では、しっかりB'zを聴かなくちゃ。

そしてそろそろ、山地にはいって揺れはじめるところ。起きていると酔うから、眠ろう。目覚めたころには、米子あたりまで帰ってたら楽でいいなぁ。
by papiko-gokko | 2007-12-29 19:18 | Diary | Comments(0)

 明日は仕事納め、2007年のお仕事終了の日だ。あぁ、思い返せばいろいろあった。悔しい思いをしたし、腹を立てたし、悲しくなったし、憂鬱すぎてわけがわからなくなった日もあった。比較的単調な仕事の割には、様々な思いを味わったものだ。人が二人以上存在する場所で意志をもって行動する限り、感情は常に揺り動かされる。終わりよければすべてよしというし、最後の最後にアホ失敗しないよう、がんばろう。忙しくなるなぁ。

 明日が無事終わったら、明後日土曜日から一週間、帰省する。今、準備を終えたところ。帰ったら、何しようかなぁ。とりあえず、編み物グッズは荷物にいれたので、紅白みながら編もうかな。なんとなく、クリスマスが終わったとたんに気持ちが急いてきている。あれしなきゃこれしなきゃと思いながら、編み物したり本を読んだりがやめられない。帰省するまえに、ちゃんとしておかなければいけないんだけど、非日常が苦手なものだから、ぎりぎりまで同じ日常を続けようとしてしまう。内側をどんどん焦りで混乱させていきながら、体はぎりぎりまで動かない。あぁ、今年が終わるのに。急がないとな。

 恋人の髪を切ったら、変態新任教師みたいになってしまった。私は毎回、草野マサムネさんの髪型を目指しながら鋏を動かしているのに。あんなふうに可愛くするにはどうすればいいのだろう。
 
by papiko-gokko | 2007-12-28 00:46 | Diary | Comments(0)

 今年が終わろうとしている。
 なんだか今年は、長い一年間だった。全然あっという間じゃなかった。命のことを、たくさん考えた。上の妹が無事に成人式を迎え、今年のうちに二人の友達が結婚し、三人の友達が子供を産んだ。その一方で祖母の意識は戻らないまま、この一年間延々と眠り続けた。人は生まれて死んでいくということ。そんな当たり前のことを、こんなに目の当たりにした一年間は、これまでなかったと思う。下の妹が生まれた年以来だろうか。誰もかれもが、最初からここにいるわけではなく、そして、最後までここにいるわけでもない。みんながみんな、途中参加の途中退場。見そびれたものだらけ、見届けられないものだらけ。だからこそ人の一生は愛しいのだと、今はまだそこまで悟れなくて、ただ儚さに胸を締め付けられる。人生のまえで立ちすくむ。
 
 今年読んだ本は、よい本が多かった。特に引っ越してからの数か月は、素敵図書館に出会えたおかげで、読書環境をたっぷり充実させることができた。何を読んだか思い出せるだけ書いていってみようかとも思ったけれど、前半読んだ本なんてもうかなり忘れてしまったし、それになんだか恥ずかしい。自分の読んだ本の題名を人に教えるのって、自分の履いているパンツ(下着)の柄を教えることに似ているような気がしてどうも、恥ずかしい。本は心のパンツさ。
 
 それから今年は、恋人が様々なジャンルのマンガを読みはじめた影響で、自分もさまざまな漫画を読んだ一年だった。まず春がきたころ藤子・F・不二雄SF短編集に始まって、夏の間際のころ「ドラえもん」にはまり、夏の暑さに耐えながら手塚治虫「ブラックジャック」を熟読し、暑さが和らいだころ引っ越し準備に追われながら山下和美「天才柳沢教授の生活」をじわじわと読破し、引っ越してからは落ち着かない心で吉野朔実「僕だけが知っている」を読み終え、先日は関川夏央原作「坊ちゃんの時代」に心動かされた。
 このほかにも恋人の買ってきた漫画は大抵読んで、全部夢中になった。来年も、おもしろい漫画読みたいな。恋人が漫画に飽きませんように。
by papiko-gokko | 2007-12-26 22:58 | Diary | Comments(0)

 心を奪われた音楽は、共有したくなる。心を掴まれた言葉は、独占したくなる。
 昨日の日記で書いた「Snufkin's Song」、ちゃんとリンクできていなかったので、貼りなおしました。ここにももう一度。あまりにも心を奪われたので、昨日の日記で少しでも興味を持ってくださった方がもしおられたなら、是非是非、聴いて欲しくて。ちなみにリンク先は、英国語版の公式サイトに紹介されていたyoutube動画です。

**

 月曜日。ここ数週間の月曜に比べたら、幾分元気な気持ちで過ごすことができた。お正月休みがまじかに迫っているからというのも大いにあると思うが、先週の土曜日に高校時代の級友と会い、ゆっくりとお茶をしたのがなんだかよかったみたいだ。彼女は今、それまでの超ハードな営業販売系の仕事から代わって、事務の仕事をしているという。仕事内容は結構私と似ているみたいで、それだけに、似たような仕事に就きながら、自分とは異なった捉え方で仕事を選び働いている彼女の考え方は新鮮で、ぎしぎしに無理やり整列させていた私の頭の中に、季節のはじめみたいな驚きの風が吹いて、ほどよく思考をばらつかせ、風通しをよくしてくれたような気がした。私もそんなふうに捉えるべきなのだ!というふうに姿勢を正されたのではなくて、そっかどんなふうに考えることもありなんだよなぁ、と、襟元のボタンが風でちぎれて、楽になった感じ。やはり、ちょくちょくこうして外へでて、自分にとってのめずらしい人と会い話すことも大事なのだな。特に私みたいな、すぐ考えが絡まった末に凝り固まってしまう人は。

 今日はお昼休み、昨日どんなクリスマスイブを過ごしたか、事務員同士で聞き合った。旦那さんとおいしいケーキ屋さんのケーキを食べて過ごした人、大好きなアーティストのクリスマスライブを見に行って筋肉痛になるほど盛り上がった人、仲間で集まってケンタッキーをほおばりながら桃太郎電鉄で一夜を明かした人、だれもが楽しく過ごしたみたいだ。みんなの話を聞いていて、クリスマスという行事を、なんだかひさびさに見直した。サンタさんを待ちわびた子供時代が終わってからは、クリスマスに対する魅力が年々しぼんでいたのだけれど。大人のクリスマスは、自分にとっての幸福感や楽しい過ごし方を、探したり発見したりできる日なのだと思う。上手に探し出せない年や、他人にとっての楽しさばかりを発見してしまう年、いろいろあるけど。つくづく、カップルを盛り上げるための行事にしてしまわないでほしい。

 悲しみだとか苛立ちだとか怒りだとか、そんな柔軟な言葉でくるんで蒸らしすぎては腐らせ嘆きに変えているのは、「これから一体どんなふうに生きていけばいいのだろう?」という、たったひとつの疑問にすぎない。そんな今すぐ分かるはずもない疑問には、蒸らして腐らせでもしなければ、まともに向き合えないから。
by papiko-gokko | 2007-12-25 23:06 | Diary | Comments(2)

今年のメリークリスマス


 クリスマスイブ。夕食を買いにスーパーへ出かけたら、クリスマスムードで大にぎわいだった。チキンやケーキやシャンパンが、あちこちでワイワイ売られて、誰もが買い物かごのなかに、クリスマスのごちそうをたくさん入れている。すごい!そんなにクリスマスな気分でもなかったのに、なんとなくクリスマスを楽しまないのは損な気がしてきて、自分も気づけばチキンをカゴに入れていた。もうちょっとでシャンパンも買いそうになった。すごいなぁ。

***

 ムーミン谷博物館の公式サイトを眺めていて、心奪われる音楽に出会った。こちら。流れ出して間もなく引き込まれ、一体誰の曲なのだろうかと最後まで聴いたら、テロップに「Music:Snufkin's Song」とあった。スナフキンの歌!この音楽は、スナフキンが奏でるハーモニカだったのだ。ぴったりすぎる!ムーミン谷にくるとき奏でるのかな、去る時なのかな。やってくるときなのだとしたら、ムーミンはさぞかし焦がれるだろう。去る時なのだとしたら、ムーミンは毎年さぞかし切なかろう。スナフキン!
 よく調べたら、この曲をつくって演奏しているのはフィンランドのHeikki Mäenpää(ヘイッキ・マエンパー)さんという音楽家で、このスナフキンの歌以外にも、たくさんのムーミン曲をかいておられるそうだ。その一部は、こちらで聴くことができて、今日は大掃除をしながら、ずうっと聴いていた。素敵だ・・・。陽気で物悲しくて、可笑しくて奇妙で、優しくて怖くて、まさにムーミン谷。いいなぁ。すっかりはまってしまった。

 一番好きなのはスナフキンなのだけど、二番目に好きなのは、「ムーミン谷の冬」にでてくる、犬のめそめそくん。めそめそくんへの想いは、いつかじっくり書き綴りたい。このお話自体大好きなのだけど、特にめそめそくんとサロメちゃんのところが好きで、めそめそくんのところなんて声を出して読んだら絶対に震えると思う。それほど好きなくだり。好きなのでへたに感想をかきたくない。うー、いつかちゃんとかきたいなぁ。めそめそくんがいかに好きか。
by papiko-gokko | 2007-12-25 01:03 | Diary | Comments(0)

誰も触れない


 体調不良につき、今日は、めずらしく写真日記。うちにある、愛しいもの。
d0038776_22151376.jpg
恋人の集めたボタン入れ。色とりどり。カンの入れ物だから、降るとジャンジャカ強く鳴る。楽しくなる。
d0038776_22161179.jpg
編み上がったばかりのマフラー。二目ゴム編み。とても好きな色の毛糸で、素晴らしく好みに仕上がった。
d0038776_2217372.jpg
先日買った、スナフキンのマグカップ。どんな飲み物も、三度口をつけたあたりで適度に冷ましてくれる優れもの。
d0038776_221852.jpg
小瓶たち。まるい瓶にはコーヒーと、緑茶と、ココアと、角砂糖。細長い瓶には、調味料が入っている。
d0038776_22191125.jpg
今日の恋人の夜ごはん。おいしそう。私は体調不良で胃が弱っているため、月見うどんを作ってもらった。
d0038776_22303393.jpg
現実をかみしめながらあざむいて、夢のように物語のように、生きてゆきましょう。暴かないで。
by papiko-gokko | 2007-12-23 22:35 | Diary | Comments(1)

何を嘆いているのか


 拭いたそばから曇る視界。内側と外側の温度が、違いすぎるんだ。ぼやけた視界は主張の強い色ばかりをだらしなく捉え、好きと嫌いの区別もつかなくなってくる。優しくしてくれる人に酷いやつあたりをしてしまいそうで、距離感を取り戻すためのため息を何度もつく。無理やりに眠り込んでしまうか乱暴に決めつけることでしか、思考と感情の帳尻を合わせられない、私に足りないのは心の余裕と冷静な思考回路。私がこれ以上、わがままになりませんように。これ以上、間違った憧れにひきつけられませんように。

 今日はMステスペシャルのB'zを観て元気を出すんだー!と思って帰ってきたのだけど、稲葉さんの声がとても不調で途中から苛立っているのがわかったので、胸ががくがくして泣きかけた。最後がむしゃらな感じでヘイヘイ連呼し始めたときは、なんかもう、手が冷たくなった。稲葉さんがイライラしたらとても悲しい。声がでない日でも予定通りに、でて歌わなくちゃいけなくて、大変だなぁ。欲を言えばスーパーラブソングじゃない歌を歌って欲しかった。せっかくアルバムの曲が素晴らしいのに。ともかく、あの人たちが、お正月には家族とゆっくりまったりできますように。タモリさんに対してだけは、稲葉さんが無駄に愛想笑いをしないので、やっぱりMステのB'zが一番好きだなと思う。ヘイヘイヘイとか日テレの徳光さんとかには、かなりニッコニコ優しい笑顔しちゃうから。それもすっごく素敵だけど、やっぱり、タモリさんと話しているときの稲葉さんがいいです。あぁ、稲葉さんは、毎回毎回、ハラハラさせる。声が治るといいな。気にしなければいいな。私キモいな。強く愛すれば誰でだってキモい生き物になるのだばかもの。稲葉さん今日はつらそうで悲しくなったけど大好きです。
by papiko-gokko | 2007-12-21 23:24 | Diary | Comments(0)

ちゃくちゃく


 うちに帰ってからずっと編み物している。編み物に集中していると、くだらない思考がとまって心地よい。ちゃくちゃくちゃくちゃく編みまくる。今編んでいるのは自分のマフラー。好きな色の毛糸三色つかって編んでいる。このあとは帽子も編む予定。ちゃくちゃくちゃくちゃく。私のために、ただただ私のために動かす手。上達したら、好きな人たちにあげられるようなのも編みたいな。それは思考をせき止めるための行為ではなく、もっととても満ち足りた気持ちになる行為だろうな。
by papiko-gokko | 2007-12-19 00:31 | Diary | Comments(0)

 雲ひとつない冷たい青空、白く鋭利な日差し。体を小さくして、うつむき加減に歩く。ホッカイロ貼って、ニット帽ふかくかぶって、厚手のタイツをはいて。まるで夏みたいにくっきり晴れ渡っているのにものすごく寒くて、太陽も青空も、氷でできた張りぼてみたいに思える。冬にはほとんどの日が低い雲に覆われている出雲の地で育った私には、いつまでたっても慣れることのできない光景だ。こんなに乾いて冷え切った青空と、こんなに硬く強張った太陽は、どうにも奇妙すぎて見上げていられない。白昼夢のような、近未来のような、舞台の上のような、絵本の中に入ってしまったような、まったく嘘っぽい感じ。

 土日で心の表面に形成されたささやかな幸福感の膜は、出社とともに破られる。ダメ出しで始まる月曜日。破られた膜は、あふれ出してきた負の感情をアメーバみたいに吸いこんで、どろどろどろどろ増殖して体中に広がり、まぶたや肩や心臓を重くする。

 憂鬱や苦々しさが沸きあがるたび、自己暗示の言葉をおまじないのように心の中でつぶやいてやり過ごす。たとえば歌の歌詞、小説の一文、アニメのセリフ、自分がどこかで書いた言葉、誰かの発言、自己暗示に使えそうな文字列は、なんでもかんでも手当たりしだいに唱える。自己暗示の言葉は一時的に私の気分を浮き上がらせて前向きにするけれど、おまじないには必ず効き目の制限時間があるものだから、効力が切れて再び心が重苦しい感情に飲まれかけるたび、何度も何度も、繰り返し唱えなければいけない。一日のなかで十も二十もおまじないを唱えてそのすべての効力を使い果たしたころには、もう、自分が何を嫌で何を欲しているのか、よくわからなくなっている。

 私が日常的に抱く、不満や不安や苛立ちや恐怖や躊躇や切なさやその他多くの感情は、客観的に解釈すれば、「わがまま」と「思い込み」いう二つの言葉で、片付いてしまうものなのだろうな。私からわがままと思い込みを取り除いたら、何になるだろう。濁りがいくらか消えたとしても、美しくはならないだろう。

 希望でも絶望でもない、焦燥でも倦怠でもない、私がいま感じているのは、これは、低音で低温の、怒りだ。
by papiko-gokko | 2007-12-17 21:15 | Diary | Comments(0)