日記と短歌
by papiko
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パジャマ着て朝までしゃべり続けたい過去も未来もごちゃ混ぜにして
 考えすぎの一歩手前ぐらいの思考をいつも保っていられたら、無闇に傷つけたり傷ついたりすることが、随分減ると思うのだけど。浮かれて何もきちんと考えられていないか、あれこれ一気に考えすぎて混乱しているか、私はいつでも、そのどちらかだ。



 時間は限られている。本に出てくる言葉や、ニュース番組が伝える暗い事件や、それから眠り続ける祖母の記憶なんかが、私にそれを日々意識させる。分かりにくいけど限られているのだ。私の時間も、そして、私に語ることの出来る想いも思い出も。限られているのならば、私はそれを語り尽くしたい。生きれば生きるほど増えていくであろう語りたいこと語りたくないこと、片っ端から語り暮らしたい。文章という手段がこの世にあって、本当によかったと思う。文章にして語っていくということが、私にとって何よりも、死への恐怖を和らげてくれる行為だ。おじいちゃんがおばあちゃんの日記とケンカをはじめたとき、日記っていいものだなぁと、改めて思った。自分とそして共に歩む愛する人の人生に宛てた、長い長い長い手紙。毎日追伸だらけの手紙。



 大学の文芸学科でどっぷり文芸な生活を送っていた日々よりも、社会人になりエクセルの計算式と向き合っている今のほうが、よっぽど読むことや書くことに飢えて楽しんでいるなぁと思う。あのころは、立場があまりにも、あからさますぎたのだ。何事も、あからさますぎると嫌になる。そっぽを向きたくなる。私はそういう性質らしい。今は何もあからさまじゃないので、心地よい。今後もできるだけ、あからさまじゃない毎日を送っていきたいものだ。

***

 うまくやれる日、やれない日。今朝は、通勤ラッシュの駅で人をうまく避けられずにぶつかってよろめいてばかりいて、あぁなんだか今日はうまくやれない日のような気がするなぁ・・と思いながら、会社へ向かった。予感は的中。うっかりミス連発な一日となった。少し前の私だったら、どんより落ち込んでいただろう。だけど、最近はもうちょっとやそっとのことでは落ち込まない。胸が痛まないと言えば嘘になるけれど、仕事をしている自分というものに対して、いくらかドライになったのだと思う。だから仕事中に生じる胸の痛みに、それほど頓着しなくなった。どうして?なんで?と考え出すまえに、さっさと気持ちを切り替えることに専念するようになった。それがいいことなのか悪いことなのか、わからないけれど、楽に笑えるようになったから、まぁいいかな、いいのかな。

 それでもうまくやれなかった日は、うまくやれた日よりも疲れる。疲れている日は、疲れていない日の何倍も濃い濃度で、音楽が染み込んでくる。会社をでてすぐ、ほとんど靴を履くのと同じぐらい必然の習慣としてIPodのイヤホンを耳につっこみ、最初に流れてきたエレファントカシマシの『今宵の月のように』が、これでもかってほど染みた。
 「くだらねぇとつぶやいて、冷めたツラして歩く」・・・そういえば今日営業さんが、電話をきったあと、「やってらんねぇ~!」って、つぶやいていたなぁとか、そんなことも思い出しつつ、今日一日への愛しさがこみ上げてきて、ちょっと音量を上げる。「夕暮れ過ぎて、きらめく町の明かりは悲しい色に染まってゆれた」・・・日が短くなって、いつも帰りは夕暮すぎの暗い空。パチンコ店やコンビニやマクドナルドの明かりが、駅へと続く道を次々と鮮やかにしている。「明日もまたどこへいく 愛を探しに行こう 見慣れてる町の空に輝く月ひとつ」・・・電車の窓から月は見えなかったけれど、見慣れてる町の空は、私に安心とそれからかすかな誇りを与えた。生まれた町から遠く離れたこの土地の空の一部を、いまでは見慣れているだなんて、誇らしいかもしれないじゃない。なんとなく、同時にそれは軽薄なことなのかもしれないにしても。
 
 エレファントカシマシの歌に出てくる「町(街)」は、私にとって、会社からの帰り道に観る街に、ぴったりしっくり合う。疲労感のなかで、休息の場所をめざしながら眺める街。足取りにつられて尾を引く街頭、電飾の光。
 自分の好きなアーティストの歌う「町(街)」には、それぞれ自分のなかで異なったイメージがある。例えばスピッツにでてくる町(街)のイメージは、季節の風が吹いていたり、細かい雨が降っていたり、夕日や朝焼けに染まっていたり、不思議な形の影がのびていたり、そういう、何か大きな力に包まれているときの街。B'zの街は、車がびゅんびゅん行きかう大通りで、大きな交差点がいくつもあって、信号機があちこちで点滅しているような、町(街)。椎名林檎の町は、新宿とか池袋みたいな賑やかなターミナル駅前を、ちょっと一本奥へ入ったところにあるような町(街)。くるりの街は、電車でいくつか離れた、ちょっと寂しげな下町。アジカンの街は、小奇麗な郊外の線路沿い。
 どの町(街)も好きで、イメージに近い街に出くわすと、自分が好きな歌の主人公になったみたいで、ちょっと浮かれる。だから今日は会社の帰り道、ちょっと浮かれた。音楽は、私をこうして何度でも浮かれさせてくれるし、それでいてサビで盛りあがった後には必ず終わって、浮かれさせすぎもしない。調子に乗りやすい私にとって、なんともほどよい快楽、救済。
by papiko-gokko | 2007-10-30 22:52 | Diary
晴れた空だ日曜日
 昨日の荒れ模様が嘘の様な、からっとした秋晴れ。恋人と自転車で買出しにいく。歩くとそれなりの距離があるように思えたお店まで、自転車だとすいっと到着してしまった。車輪って偉大だ。歩いてはいけなかった遠いお店にもすいすいっとたどり着けて、初めての曲がり角をいくつも曲がり、初めての景色をたくさん見た。こいだぶんだけ、自分の住む街に対するイメージの範囲が、音波みたいに広がっていくのを感じた。自分ひとりの力でいける範囲が広がる喜び。乗り物ひとつで、世界の範囲は大きく変わる。車に乗っている人の世界と、徒歩と自転車しか知らない私の世界は、たぶんまったくの別物だ。
 買い物の途中で、街の図書館へも立ち寄ってみた。うちからは自転車で15分もあればいけそうな距離だ。規模はそんなに大きくないけれど、入ってみると案外奥行きがあり、本棚の並べ方がゆったりとしていて観やすかったし、教室みたいな木目の床も素敵で、とても気に入った。置いてある小説の趣味もいい感じ。今日は下見だけのつもりだったのに、結局4冊ほど借りてしまった。
 図書館へいくたびに、私は自分のなかで今後の借り方のルールを決める。本棚順に借りていこうとか、題名に○○という文字の入った本を借りていこうとか、小説3冊と歌集1冊というで借りていこうとか。けれどそういう決め事は大抵、次にまた借りるときにはもう守られない。決して忘れているわけではないのだけれど、すっかり気分がかわっているのだ。だからまた、そのときの気分で新しい借り方を生み出して、性懲りもなく、今後もこの借り方をしていこう!、と、自分のなかで決める。これはもう、中学生ぐらいのころからずっとしている気がするが、残念ながら、二回以上続いている決め事はひとんどない。ちなみに今日は、好きな作家2冊新しく読む作家2冊というふうに借りていこう、と自分のなかで決意した。たぶん次回は守られない。
 図書館で4冊本を借りて、恋人も6冊借りて、そのうえ買い物もあれこれしたので、帰りの自転車はかなり危なっかしいことになっていた。自転車カゴで揺れているネギのつきでた買い物袋が、漫画みたいだった。よい日曜日。

***

 他人の状況変化は、いつも突然に知らされる。だからそれらは、自分の状況変化以上に私を動揺させる。例えば結婚、妊娠、転職。本人にとっては、日々の流れの中で段階を踏んだ結果の自然な出来事であっても、聞かされたほうにとっては、突然のことで、まさに寝耳に水なわけで。突然に知った状況変化は私を驚かせ、心の濃度を乱し、欲望を偏らせ、時には急激に焦らせ、価値観を揺るがしさえする。その状況変化が成功と幸せの気配に溢れていればいるほどに。
 ここ1、2年で、そういうことが多くあった。そのたび、自分の心の動揺と焦燥に戸惑い、自分はなんて了見の狭い人間なのだろうかと、自分自身にうんざりした。でも、私ぐらいの年頃で、他人の幸福をすぐさま手離しで喜べる人間なんて、一体どれぐらいいるだろう。こんなあれこれ選択を迫られる悩み多き年頃に、他人の状況変化に動揺しないはずがない。少なからず自分の現状と重ねて、あれこれ思うものだと思う。まったくそんなことなく手離しで喜べるのなんて、よっぽど自分自身が隅々まで満たされているか諦めているか、他人の人生にまったく興味がないか、神さまレベルに優しい人ぐらいだと思う。他人の不幸を蜜の味とは思わないけれど、誰もが同じように日々悩みながらがんばっていると思うからなんとか現状維持で生きていけているところは多いにあって、そんななかで、突然に結婚や妊娠や転職の知らせを聞いたら、私はまだこんな私のままでここにいてがんばってるのにあなたはもう飛び越えちゃったのかと、抜け駆けされたみたいな気分になって、ふてくされたくもなる。そんなの当たり前なんだ。相手が自分にとって大事な存在であればあるほど、急な状況変化には面食らって、ちょっとぐらい、ふてくされたくもなる。
 だから、どうか自分の心の動きを責めすぎないでください、という、これは、私の好きなある方の日記に対しての個人的なメッセージも含めた自分の気持ち。
by papiko-gokko | 2007-10-28 22:14 | Diary
泣いてると気付いたくせに「風邪引いた?」なんて目も見ずおどけた声で
 土曜は家事の日。お昼ごはんを食べてから日暮れ間際のころまで、たっぷり時間をかけて、洗濯物とお掃除をする。一週間暮らすと、部屋はそれなりに散らかる。平日仕事から帰ってからは、どうしても最低限のことしかする気になれないから、土曜の掃除は欠かせない。だらしなくてすぐ部屋を散らかしてしまう私だけど、掃除をするのは気持ちがいい。散らかった物を片付けて、掃除機をかけて、クイックルワイパーで拭いて、トイレとお風呂と洗面所もゴシゴシして、空気を入れ替えて。休日は、自分の生活をたっぷり労わりたい。

 掃除を終えてしまうと、やることがない。今日も恋人は労働。二人暮しの部屋に一人でいると、なんだか時間も空間も手に余る。持て余す。退屈してしまう。
 誰もいない部屋でひとりの時間を過ごすのが、私は苦手だ。何か一つのことに没頭してしまえば何時間でも平気だけれど、それは自分がひとりで過ごしていることを忘れていられるからに過ぎない。何に没頭するでもなくただひとりで過ごすとなると、とたんに時間の使い方がわからなくなる。何かしようとするたび、無意識のうちに親しい誰かの表情や提案や相槌を求めて、うろうろもたもた、まごついてばかりいる。
 ひとりで何かをすること自体は、ちっとも苦痛ではない。むしろ誰かと一緒にするよりひとりでするほうが楽しい場合も多々ある。私が苦痛なのは、私がひとりで何かをしているということを、誰からも認識されていないことだ。ひとりで何かする私と同じ空間に、誰かがいて欲しいのだ。実家暮らしのころみたいに。
 思えば実家は騒がしかった。物心ついたころには妹が二人いて、わいわいきゃあきゃあ常に誰かがしゃべっているような家で育った私は、ひとりで過ごすということにまったく慣れないまま大きくなった。実際、大学で一人暮らしを始めるまで、誰もいない家で過ごすなんてことはほとんどなかった気がする。たとえ親が用事で家を数日留守にしたとしても、家には祖父母なり妹たちなり誰かしらが必ずいて、時間と生活空間を共有していた。
 時間と空間の共有。これは私の精神にとって必要不可欠な要素らしい。上の妹が鏡の前で髪の毛にアイロンをあてていて、下の妹が時間割の準備の途中でなにやら見つからないと探していて、父が野球の実況に一喜一憂していて、母が生協のチラシに印をつけていて、私が本を読んでいて、そうやって誰もがバラバラのことをしていながら、誰もがそれぞれの状態をなんとなく認識している状態。決して監視や干渉じゃなく。そういう感じが、私にとってはすごく安心で心地よかった。
 初めての一人暮らしがスタートしたばかりのころは、だから非常に苦痛だった。なんとか誰かに自分の状況を認識してもらいたくて、チャットにどっぷりはまったりした。『ただいまおうちに帰りました』とか『今からお風呂に入ってくるよ』とか『そろそろ眠いのでおやすみなさい』とか、どこの誰かわからない相手に向かって自分の過ごしている時間を発信することで、なんとかかんとか、ひとりで過ごすということを成り立たせていた。そうでもして誰かに認識してもらっていなくては、自分の存在が世界から忘れられて消えて居なかったことになってしまう、そんな危機感に本気で駆られていた。
 そんなどうしようもない私なので、結婚するまえから割と強引に恋人と暮らし始めたわけで、恋人が仕事でいない休日はひとりでのんびりぐだぐだ過ごすぞうと思っていても、いざひとりになるとむずむずしてきて、人の多い場所にいきたくなって、気付けば電車に乗っているという日が多い。人と関わるのは苦手なくせに誰かと居たくて、誰かと居たいけどひとりで何かをしていることが好きで、その矛盾が、日々私を疲れさせているのだろうなと思う。
 さぁ、これからひとりでどう過ごそう。今まではこの日記を書くことに没頭していたから全然平気だったけれど、そろそろ書き終わってしまう。美味しいお茶でも飲んでリラックス?いや、これ美味しい!と言い合うまでは、美味しさを自分のものにできないからつまらない。録り溜めている映画を観る?観終わったあとにすぐ感想を言い合ったほうが楽しいから、ひとりで観るのはもったいない。こんなふうに、何も没頭することがなくなると、ぼんやり帰りを待つということに、大事な時間を費やしてしまう。待っているよ、というだけで、私は私を待たれせいる人から私が待っているという事実を認識し続けられるから、待っているよと口に出す。
 ・・・いや、男の帰りをしっとり静かに待つ女というのは自分の趣味じゃないので、やはりこれを書き終わったらすぐさま新しい何かに没頭しよう。そうか、今こうして困っているのは、ちょうど昨日から読みかけの本がなくなったせいだ!読み始めて、何冊か読みかけの本を増やそう。没頭中の本を増やせば待つ女にならない。
by papiko-gokko | 2007-10-27 22:03 | Diary
眠たい木曜
 喜ぶことにも悲しむことにも楽しむことにも苛立つことにも、今日はなんだか等しく疲れていて、たっぷり眠りたい。別にネガティブな意味ではなくて、本当に単純に、気分をつかさどる風車が疲労していて、どこからどんな風が吹いても、回り損ねて突っ立っている感じ。自分がどんな表情をしているのかも、自分で認識していないような1日だった。一週間を自分なりにきちんと暮らすって、それだけで十分に疲労することだなぁ。規則正しい生活のなかで、強い感覚を麻痺させないでいることは難しい。なんだっけな、なんだったっけな。
by papiko-gokko | 2007-10-25 23:51 | Diary
冬支度
 「冬支度」という言葉が好きだ。冬眠できない寒い季節を、なんとかあったかく快適に乗り切るための準備。その、慎ましくも逞しい人々の暮らしを、いいなぁと思う。なんだか愛しい。
 会社でも人それぞれの冬支度が始まっている。ひざ掛けを持ってくる人、あったかいスリッパに変えた人、ホットココアを何度も入れて飲む人。ミニストーブをデスクの下においている先輩もいて、今日用事で先輩のデスクに近寄った瞬間に、足元からぼわぁんと眠気を誘うあったかさに包まれて、「うわぁあったかぁい・・」と、思わず感嘆の言葉を漏らしてしまった。そうそう、この感じ。冬特有の、慎ましやかな幸福感。
 私も持参のひざ掛け(去年購入)を膝にかけ、張るホッカイロを引き出しに常備し、デスクに下敷きにはさんでいる、いわさきちひろのポストカードを、麦藁帽子にワンピースの女の子から赤い毛糸の帽子と手袋の女の子に変えて、よしこれで冬がやってきても大丈夫だなぁと、ひとりで自分の冬支度に満足した。たちまち受注ファックスやら帳簿やらで散らかって、ポストカードはあっというまに見えなくなってしまったのだけれど。
 あったかく、あったかく。爪先も首も指先も、耳も頭もあったかく。寒さが感情にまで吹き込んでくる隙を与えないように、しっかり身体を丸めて過ごそう。

 エステー「消臭プラグ」のCMが、大好きだ。今後もいろんなバージョンの殿様が登場するようなので、楽しみでしかたない。一個買ってみようかなとさえ思う。
by papiko-gokko | 2007-10-25 00:06 | Diary
自転車でいきたいなするりするりと
 先日買った自転車で、昨日から駅まで通勤している。古き良き商店の並ぶ細い道。当たり前のことだけど、徒歩に較べて景色の過ぎ去るのがすごく早い。これはもう、私にとってほとんど車と同じ速度だ。歩いているときにいつも見えていた、熱帯魚屋さんのくすんだ水槽も、コーヒー豆屋さんの機械も、おすし屋さんの高いメニューも、コインランドリーのテーブルに置かれた『少年ジャンプ』も、傘屋さんの色鮮やかな壁も、ペットショップのパーマの犬も、全然見えない。道路の「止まれ」マークと、ブレーキ握るたび私を追い越していく自転車の背中を認識するので精一杯。今はひさびさの運転で緊張して視野が狭まっているから、仕方がないのだろうか。慣れてきたら、またもう少しいろいろ見えてくるようになるのだろうか。
 せっかく自転車に乗るのなら、もっと力いっぱいペダルを踏んで、遥か遠くの橋まで続く土手の道を、ぎゅんぎゅん走りたいなぁと、通行人と曲がり角だらけの路地を恐る恐る漕ぎながら思ってしまう。島根では歩くのより断然自転車のほうが気持ちよかったけど、東京では、自転車より歩くほうが楽しいのかもしれないな。しかし、それでも自転車の速度は魅力的で、今後の通勤に欠かせないアイテムだ。毎日乗って慣れて、自転車でも街を楽しめるようになろう。自転車で楽しめるようになったら、歩くのよりずっと遠くまでいけて、歩くのよりもっともっと楽しくなるはず。

***

 大人が大きな子供に過ぎないのだとしても、少なくとも会社のなかでは、誰もが努めて大人でいるから、ほとんどのことが正しい具合に保たれている。挨拶も、距離感も、表情も、感情も。しかし、たまにそれを保てない、もしくは保とうとしていない人もいて、そういう人の言動は、周りをイライラさせる。こっちまで、必死で保っているものを乱されそうになるから。あまりにも大人じゃない対応をされると、つい、ちったぁ大人になれやこのボケが!!と、心のなかで暴言はかずにはいられない(心のなかではもっとひどい暴言も余裕で吐いている)。そんなことを、いえる立場じゃ全然ないのだけど。こっちが必死で大人でいるときは、相手にも大人でいて欲しいと、思ってしまうところが子供なんだろうな。

**

 自然に生きる、ということ。自然な生き方は、人それぞれに違っていて、だから、誰かの生き方が自分にとって不自然に思えたからといって、深く考えもせずに咎めたり笑ったりしちゃ、いけないのだと思う。
 休日のたびにパチスロでお金をつかっちゃう同僚とか、ややこしい恋愛ばかり繰り返す同級生とか、正直なところ、彼らの生き方は私にとって、不自然なように思える。けれど、その生き方が本人にとって自然なのならば、それはそれでいいのだ。自分にとって自然なことを、誰かがそれは不自然だなんて指摘するから、居場所や行き場がわからなくなって、自分にとっての不自然な生き方をしてしまって、疲れ果てる。周りにとって自然なように生きたって、それが自分にとって不自然に思えるなら、そんなの誰にとっても気持ちよくない。私の好きな人たちには、自分にとっての自然な形で、生きていって欲しい。世間がそれを常に許してくれる場所ではないということも、承知しているけれども、なんとかかんとか抜け道や隠れ家を探して、自分が自然に受け入れていける生き方をしていけたらと思う。自分の自然ばかり求めすぎて周りに迷惑かけちゃうのはただの自己中なので、くれぐれも、そうならない範囲を慎重に見極めて。
by papiko-gokko | 2007-10-23 22:06 | Diary
秋の日曜日
 目覚ましに噛み千切られるようにではなく、体のリズムの揺らめくままに目を覚まし、きちんと起きなくてもいい休日の喜びをぐだぐだとしばらく布団のなかで噛み締めながら、カーテンの向こうの明るさ具合で、今日は布団を干せそうだなぁ干したいなぁと思う。そんなふうに穏やかな朝を迎えることに成功した日曜日は、一日を通して穏やかに過ごせることが多い。
 今日はそんな日曜の朝の迎え方に無事成功し、雲ひとつない秋晴れのベランダに、威勢よく布団を干した。こんな晴れた日に朝からしっかり干しておけば、夕方にはふかふかになるだろう。そう思うと、たまらなく夜が楽しみになった。夜になったら、月曜日がすぐそこまで近づいていて、ふかふかの布団なんてかえって憂鬱を助長するだけかもしれないにも関わらず、とにかく、楽しみになった。嫌な可能性について考えるのを忘れるほど楽しみになれるのは、幸せなことだ。
 のろのろと顔を洗い、平日より3時間ほども遅い朝ごはんを食べていたら、引越し業者さんが、ダンボールを引き取りにやってきた。昨日ようやくすべてのダンボールを空っぽにして潰すことができたので、さっそく引き取りを頼んだのだ。引越しに使用した大量のダンボールを引き取ってもらうと、部屋が俄然すっきりとして、引越しをしたのが一気に遠い日のことのように感じた。ついに引越しのすべてが終わったのだと思うと、嬉しくなって、スピッツをかけながら掃除機をした。休日の部屋にスピッツが流れていると、それだけで心地よい休日になりそうな気分になる。スピッツマジック。

 遅くに起きた午前中はぼんやりしているうちに過ぎて、恋人と共に昼食夕食の調達をしに出かける。少し歩くとなんだかいつにも増して急に人通りが多くなり、なんだろうなんだろうと不思議がりながら歩いていたら、小川沿いの区民グラウンドで、区を挙げての大々的なお祭りが催されていた。広々としたグラウンドに、白テントがぎっしり並び、ワイワイガヤガヤ人で溢れかえっている。グラウンドの中心には舞台も用意されていて、ハッピを着た子供たちが、元気いっぱい掛け声をあげながらソーラン節を踊っていた。人の群れの間から子供たちに配られているらしき風船が色とりどりにひょんひょんのぞき、大人たちは焼きそば片手に挨拶を交し合い、いかにも愉快で楽しげな雰囲気が、グラウンドに充満していた。
 気付けば私も恋人も、文字通り吸い寄せられるように、ビニール風船でつくられたお祭りの入場門をくぐっていた。大音量すぎてスピーカーの音が割れているソーラン節と、テントから漂ってくる焼きそばソースの匂いが、気分を高揚させる。テントは、個人商店や趣味の団体や企業など様々な人たちが出していて、イカ焼きや綿菓子といったオーソドックスなお祭り系食べ物から本格的なケーキに漬物、手作りのカバンやプチテニス教室体験テントに至るまで、その内容も実に種種雑多だった。所々に休憩所というテントも用意されていて、そこでは大人たちがビールを飲んだり、子供を膝に乗せておしゃべりしたりして、和気藹々とくつろいでいた。ベビーカーを押す若い夫婦、風船を持ってはしゃぎまわる子供、ゆったりと歩き雰囲気を満喫している風なご老人、ハッピ姿のはりきりおじさん・・・誰もが思い思いにお祭りを楽しんでいて、ぐずる子供の不満顔さえも楽しげで、なんて健やかで朗らかな風景だろうかと、感動してしまった。そしてそのお祭りに、自分たちがふらりと立ち寄れることに、喜びが沸いた。自分もこの街の風物詩に、参加することができるんだ。よそ者じゃないんだ。ゴミの日やルールを把握して、同じ道の交通規制に戸惑う私も、この街の住民なんだ。来年もこのお祭りに、ふらりと吸い寄せられていくような自分たちでいられればいい。
 どこのテントもにぎわっていて行列だったので、何か買ったりはせず雰囲気だけ楽しんでお祭りをあとにし、マクドナルドで昼食を済ませて(隣で小さな女の子とお母さんが、あさっての遠足のお弁当なに入れようかという会話をしていて、ほのぼのした)、夕食の買い物をして、それからでっかいアイスを買って帰った。冷凍庫にでっかいアイスがあるということの安心感といったらない。だってアイスだから腐らないのだ。しかも裏切ることなくおいしいのだ。

 家に帰ってからはずっと、夕食のころまで読書をしていた。昨日と今日で一気に読み終えてしまった本は、可笑しく穏やかな小説で、全体を通して素晴らしかった。文体も内容も素晴らしくて、一行一行酔いしれた。最後の最後まで心ゆくまで酔いしれて、まだ本の世界から抜け切れずにぼーっとする頭で今朝干した布団を取り込んだら、ふかふかになっていた。十月の日差しは強くても風が冷たいので、布団の表面はひんやりとしていて、本を読み終えたばかりの火照った額にそれがちょうど心地よく、しばらくの間ごろごろ抱きついていた。
 秋はいい。夏よりずっと食べ物を美味しく感じるし、夏には胸焼けがして読めなかった種類の本も、さくさく読めてしまう。だから秋は、命が元気になる。今年も夏は辛かった。肉体的にも精神的にも、なんだかしらないが非常にしんどかった。何をするにもくたびれて、何を考えるのも苦痛で、なにからなにまでストレスで、終わらせたいことばかりあるように思えた。どうして私はこんなにも夏が苦手になったのだろう。ここ数年の夏を思い返すにつけ、東京の夏は尋常じゃなく生き辛い。あぁ、秋はいい。空気の乾燥以外、なにも不快じゃない。
 恋人がテレビをつけ、「サザエでございまぁす」というおなじみの自己紹介とテーマソングと共に、夕食の準備及び夕食が始まる。前の家に住んでいたときから、なぜだか毎週、私たちはサザエさんを欠かさず観ている。ストーリー展開について邪悪な感想を述べ合ったり、マスオさんの肩身の狭さに同情したりしながら観るのだ。そうして、エンディングに近づくにつれ日曜日が終わろうとしていることを実感し、残りの時間を大事につかわなくてはと、切なくなる。
 そんなふうにして、終わろうとしている日曜日。明日は月曜日。そしてもうすぐ給料日。私の意識の外側で、みるみるうちに成り立っていく日常。
by papiko-gokko | 2007-10-21 22:37 | Diary
違う命が揺れている
 恋人がいない土曜日。部屋を片付けながら本を読み、本を読みながら洗濯物を干し、洗濯物を干しながらお菓子をたべ、お菓子を食べながら引越し関係の書類を整理し、そうこうしているうちに日が暮れて、洗濯物を取り込んだ。二つのことを同時に出来る性格ではないのに、休日が嬉しくて一気にいろんなことをしたがってしまい、結果的に、片付けにも洗濯にも倍以上の時間がかかってしまったのだった。だけど、楽しかったから良し。
 恋人と二人暮しの部屋にひとりでいると、かえって部屋における恋人の存在感が増す。灰皿やビールの空き缶や脱ぎ捨てたシャツ・・のような、そんなドラマっぽいものからではない。彼はタバコを吸わないし、ビールの缶は潰してゴミ箱に捨てるし、シャツはむしろ私のほうが脱ぎ捨てる。彼の存在感が立ち昇るのは、例えば折り紙、手芸箱、習字道具。
 彼は何か作り出すことが、とにかく好きらしい。東急ハンズでバッチ作りの機械を買ってきて大量にオリジナルバッチをつくり、無印で無地の袋と専用マジックを買ってきてオリジナルカバンを作り、100円均一で筆と墨汁を買ってきて習字で文字を書き、吉祥寺のユザワヤで手芸用品を揃えてオリジナルのぬいぐるみをつくり、LOFTで大量の折り紙を買ってきて鶴を千羽以上も折り、最近ではオリジナルシール作りにはまっている様子で、ヤマダ電機でシール用の印刷用紙とコピー機インクを買ってきて、パソコンでビンやタッパーに張る為のラベルを大量生産している。そのどれもこれもが、それなりに様になっていることが、何よりの驚きだ。彼は、かなり器用な人間なのだと思う。そして本人曰く、センスがある。
 彼は常に、何かについて興味を抱いている。女子中高生をこよなく愛し続けていることを除けば、彼の興味は日々絶え間なく変化している。私が新しい音楽を聴いて、『この人の歌ってばなんて素敵なのだろう・・・』と、ひとつ興味の扉をしみじみじわじわ開いて覗く間に、彼は五つぐらい興味の扉を開け放っている。そして、扉を開けた興味の世界を、臆することなく自分のものにしようとする。元々器用な彼がある程度ひたむきになれば大抵のことをすぐそれなりに自分のものにしてしまえるということを、彼自身がよく知っていて、だから一度開いた自分の興味に対して、彼は非常にひたむきだ。自分には上手に出来ないかもしれないなんて思考回路が、どうやら彼にはないらしい。
 大抵のことが私には上手に出来ないだろうと自分自身でよく知っている不器用な私が、ひとつの興味を漠然とした憧れへ昇華させうっとり悦に入っているころ、彼の興味は次々に彼の具体的な趣味となり、その結果、恋人のパソコンデスクには、原稿用紙と折り紙と習字道具と手芸道具とバッチの機械と無地の袋がぎっしり収納されていて、彼の持ち物には自作のバッチやらシールやらがあちこちついている。
 そうして多くの趣味を増やしていきながら、彼はどの趣味にもしがみつかない。自分の興味に対してひたむきでありながら、同時にドライなのだ。一方自分の興味に対して消極的でありながら執着心だけは人一倍強い私は、憧れに変化させた自分の興味を、消極的な心のままで、いつまでもいつまでも追いかけ続ける。恋人が別の趣味からまた別の趣味へと移行を繰り返すその横で、私の憧れは終わらない。
 大学の文芸学科で出会った私と恋人の基盤にあるのはあくまでも文筆で、もしひとつしか趣味を持つことを許されない世界になったら、私も多趣味の恋人も、迷いなく文章を選ぶだろう。そこは私と恋人の貴重な共通点だ。ただ、文筆の方法もまた、彼と私ではかなり違う。彼が、小説に短歌に俳句に落語にと様々な文体を書いていくなかで、私はずっと、同じ。小学校のころ習った作文の延長みたいな文章と、中学生から始めた短歌。彼は同じことをずっとやめない私をすごいといったり、他のことに挑戦したらといったりするし、私もまた、あれこれやる彼に、どうしてそんないろいろできるのと感心したり、たまにはひとつのことだけやってみたら?と憎まれ口を叩いたりする。そんなふうにして四年間、成り立ってきた。
 恋人のいない部屋で、恋人について書いている時点で、私の興味は消極的だ。彼は今頃、職場である書店にて、仕事しながら新たなる興味の発掘に明け暮れていることだろう。今日はnonnnoの発売日だから、買ってくるのだろうな。彼の唯一といっていいほど不変の興味である、女の子研究の資料として。その研究資料を私も読ませてもらい、あぁこんな服着てみたいなぁこんなふうにメイクできたら可愛いだろうなぁと消極的興味を示し、そこに憧れを見出すのだろう。
by papiko-gokko | 2007-10-20 20:07 | Diary
ため息で熱いミルクにさざなみを立てあの人の冬まで届け
 会社帰りに疲れた気持ちで歩いていたら、どこかの家の台所から煮物の美味しい香りがただよってきたから、今夜のメニューは肉じゃがに決めた。スピッツの『さざなみCD』が、あまりにもよいアルバムだから、明日は一日家にいて、ずっとCDを聴く日にしようと決めた。今日帰りの遅い恋人から、晩酌のビールを冷やしておいてと電話があったから、今夜は1時半ぐらいまで起きていようと決めた。
 大事なことも大事じゃないことも、いつもそんなふうに決めてきた。論理的な理由なんて、一度も持ったことがないかもしれない。将来の夢についてなど、先生や親しい大人に理由を求められたときには、そのときどきで自分自身を騙していくらでもそれっぽいことを言ってきたけれど、どれもこれも、言ったそばから立ち消えるような、でたらめだった。私の決定の先にあるのは、理由じゃなくて、もっと単純でワガママな感情。

 昨日祖父母と会ったことで、祖父母が見てきたであろう自分の成長過程に思いを馳せてみたりして、果たして自分は、どんなふうに、ここまできて、どういうわけで、仕事終わりに東京駅で祖父母と会うに至ったんだっけなぁ・・と、考えてみた。どこでどういう選択を、一体どの程度した結果、私は東京駅で、祖父母と会うことになったんだっけ。
 考えても、考えても、具体的な選択の記憶が、でてこない。高校を決めるときも、大学を決めるときも、東京に残って働こうと思ったときも、私はその生き方を、選んだというより、願った。選ばなくちゃ選択しなくちゃ、とは、何度といわず考えて、そのたび焦ったと思うけれど、最終的には、ただただ、願っていた。願い事を、なるべくそれなりに叶えながら歩いていたら、いつの間にやら、東京で事務員してる24歳の私がいて、祖父母と東京駅で会うことになったんだった。私はこれから何を願って、どう叶ったり叶わなかったりしていくのかな。願いが途切れませんようにと、今は願う。
by papiko-gokko | 2007-10-19 22:47 | Diary
黄昏の東京駅で会いましょう君を見つけてみせたいのです
 東京駅にて、ドラマのような再会体験をした。母方の祖父母が岡山から東京へ日帰りで出てくることになり、私の仕事が終わったあと少しでもいいから会おうということになったのだ。なんでも、祖父の長年の趣味である写真がこのたび入選して、今日東京でその展示会があったらしい。会っておめでとうを言いたかったし、岡山の祖父母にはもう一年以上も会っていなかったので、ちょっと無理してでも会いたくて、祖父母が帰りの新幹線で利用する東京駅まで会いに行くことを決めた。東京駅がいかに広く深い駅であるかを、このとき私は、すっかり忘れていたのだった。
 最初、東京駅の待ち合わせスポットとして有名な「銀の鈴広場」で待ち合わせることにしていたのだが、経験上そこが案外行きにくい場所だと知っていたので、足の悪い祖父母をそこまで歩かせては悪いと思い、「銀の鈴広場がすぐに見つからなかったら、適当な喫茶店で待っててくれればいいよ」と伝えた。しかしこれがかえっていけなかった。五時半、定時で会社を出てすぐ祖父に電話をかけると、何度もコールした後にようやく出て、「東京駅には、喫茶店が、見あたらなんだわ・・。銀の鈴広場も、なかったんじゃ。今回は無理かのう。会いたかったけどのう・・・・」と、弱りきった声で言うのだ。うろたえた。聞けば新幹線の時間は6時50分。職場から東京駅まで、少なくとも40分はかかる。待ち合わせ場所がお互いの中ではっきりしていればすぐ会えるだろうが、東京駅のどこかにいる祖父母を、限られた時間で探すのは難しい。だからといってそんな心細げな祖父の声を聞いたあとで、「じゃあまた今度会おうね」なんて言えなかった。「とにかく私そっちへ向かうから、楽な場所で座って待ってて」と、それだけ伝えて電話をきり、あとは走った。会社から最寄の駅へ、池袋駅から丸の内線の改札へ、人をかきわけ走った。待っている人がいる、それだけで人はいくらでも走れるのだ。

 東京駅へは、6時15分には到着したと思う。ここまでは余裕だった。問題は、東京駅についてからだった。東京駅に下りると同時に、あ、これはやばい、と、直感。広いのだ。東京駅って、これでもかってほど改札があって、わけがわからない場所なのだ。いつも表示だけをみて新幹線乗り場へ直行していたので迷わなかったが、こんなでっかい駅で、どこにいるのかわからない祖父母を限られた時間で探し出し会おうだなんて、そんなの考えが甘すぎた。こうするほかなかったとは言え、こんなわけのわからない駅で祖父母を歩かせ待たせてしなったことに、罪悪感を覚えた。
 とりあえず祖父に到着の電話し、改札口でも聞けばわかるかと「今なに口にいる?」ときいたら、「携帯ショップじゃ」と、答えになっていない答え。その後も、「ひよこまんじゅうを売りおる」とか「弁当屋があるんじゃ」とか「電光掲示板がぎょうさんあるで」とか、一生懸命に居場所の景色を伝えてくれるのだが、ひよこまんじゅうも弁当屋も電光掲示板も、東京駅のいたるところにあるわけで、ますます混乱するばかりだった。友達と待ち合わせろするのとはわけが違うのだと、ここにきてようやく気付いた。そうこうしているうちに、どんどん時間は過ぎ、気付け6時40分。出発時刻10分前になっていた。
 くじけそうになりながらもう一度電話をかけると、祖父ではなく駅員さんが電話にでた。場所を尋ねていたのだろう。これは助かったとすぐさまその駅員さんに改札口を訪ねると、自分の思っていたのと全然違う場所。もう、笑うしかなかった。私がふへふへ困り果てていると、電話の向こうの駅員さんが、「もう、時間もないですし、ホームで会われたほうがいいです。お連れの方は私が案内しますから、18番ホームの4番乗り場へ急いでいらしてください」と、安心感溢れるハキハキボイスで教えてくれた。
 その駅員さんの声にすがるような思い出入場券を買い、言われたとおりのホームに駆け込む。18番ホームには、すでに新幹線が到着していた。博多行きののぞみ。いつも私が帰省のとき利用する新幹線だ。乗車券を持たない新幹線は、いかにも冷たく閉ざされていて、なんだかますます泣きたくなりながらホームを見渡した。が、それらしき姿はない。もう新幹線に乗ってしまったのかと窓をのぞきこんでみるけれど、やはり見当たらない。時計をみると、もう46分をさしている。駄目か、駄目だったか。
 入場券、無駄だったな。会いたかったな。このまま動き出しちゃうのかな。笑いたいんだか泣きたいンだかよくわからなくなりながら、もう諦め半分でぼんやりとホーム全体を見渡していた、そのとき。エスカレーターから、こちらに向かってステッキを大きくふる人がいる。祖父だ。そして、隣には祖母。まるくて優しい、親しく懐かしいふたりの姿。歓喜のあまり我を忘れて駆け寄ったら、祖母も転げるように駆け寄ってきて、気付けば硬く手をとりあっていた。手の動きって、本能的で正直だ。「会えたが、ぱぴこに会えた」と、母とよく似た小さくあったかい手で、祖母は私の手の甲を何度もぎゅうぎゅうした。祖父も「会えたなぁ」と、手を手をとり、会えた、会えた、と、三人でその言葉を繰り返していた。会えたというそのことが、こんなに嬉しかったのなんて、いつぶりだろう。会えた、なんだか東京駅わけわからんかったけど、ナイスボイス駅員さんのおかげで、会えたよ。
 会えた会えたと何度か繰り返したのち、はっと我に返って時間をみると、もう48分。「新幹線のらんとでてしまう」と、あたふた新幹線へふたりを促す。乗る間際、祖母が、秘密の暗号を渡すみたいに、握手しながらくしゃっと私にお札をにぎらせた。それから祖父も、「これでなんか買うとええ」と、今度はハンカチを手渡す紳士のように、そっとお札をくれた。「また今度ゆっくり会おうなぁ」と、また手をとりあいながら会話しているさなか、まもなく発車しますの合図があり、白線の内側へお下がりくださいの警告があり、ドラマのワンシーンみたいに、祖父母と私のあいだで扉が閉まった。帰る人、留まる人、警告の人。
 あわただしく手を振っているうちに、しゅるりしゅるり涼やかに新幹線が動き出す。その動きにあわせ、ほとんど無意識に数歩ほど追いかけて、追いつくはずのないことに気付き、立ち止まったら、あっという間に過ぎ去った。なんだかもう、すべてがあっというますぎて、新幹線の去ったホームでしばらくぼんやり立ち尽くし、あぁ、まるでドラマだった・・・と、思った。東京駅を駆け回り、ホームでギリギリ会えただなんて。90年代メロドラマだ。東京ラブストーリーだ。

 ドラマみたいだったなぁ・・・・と、そればかり思いながら電車に揺られ、帰り道、祖父母からもらったお金で、自転車を買った。こういうありがたいお金は、形あるものに変えたほうがいいのだ。間違っても生活費になてしちゃいけないのだ。引っ越して駅までの距離が長くなり、徒歩だとちょっとキツイ感じになっていたので、前々から欲しいと思っていた。選んだのは、クリーム色の自転車。サドルをグレイから茶色に変えてもらって、ますます好みの感じになった。これから毎日晴れた日は、駅まで自転車で通おう。大学のころ、地元で自転車を乗り回していたときと同じ感覚で自転車にのって事故に合い、それ以来東京自転車恐怖症になっていたのだけど、もう大丈夫。これからは、ここは東京なんだと認識して乗る。
 もう祖父母も家につき、今頃寝ているころだろう。東京駅は、疲れただろうなぁ。でもこれに懲りず、今度またゆっくりきてほしい。いろんな人に、東京に来てほしい。そして私と会って欲しい。あえて、東京駅で待ち合わせしたい。そして再会を、必要以上に喜びたい。
by papiko-gokko | 2007-10-18 23:47 | Diary


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