日記と短歌
by papiko
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あたまがたいふう
 私は今まで何を考えていたんだろう!、で、始まる日記を書いてみたいな。いろんなことがあるけれど、そのどれもこれもについて、わかったようなわからなかったような、常にそんな半端な納得で、根本を動かされるようなことなど、めったにあるもんじゃない。

 思い通りになればいいのに。私は大人で自由になったはずなのに、ますます思い通りじゃない感じ。思いどおりにならないことのほうがこんなに多いのなら、みんなの思いはどこを通り抜けてどこへ落ち着くのだろう。膨らませるほどに圧迫されるばかりの思いを、どこへ片付けるの、どこへ逃がすの誤魔化すの。

 間違ったことを指摘されるの、大嫌い。しらじらしく謝りながら、ネチネチ悶々気にして忘れないよ。
 がんばったことを褒められるの、大好き。もっと褒めて私を見てと、ニヤニヤしつこくまとわり付くよ。

 出社早々、アポの詰めの甘さを指摘されてへこむ。毎朝私が振り分ける書類を今日は月末で忙しすぎて振り分け忘れ、可愛い年下の子から「朝一でやる習慣つけたほうがいいですよ」と指摘されて情けない気持ちになる。伝達がうまくいっておらず、怒らせなくていい人を怒らせる。迷惑かける、集計間違える、アハハ今日も順調にクソッタレな一日消えたくなるなる。
 でも、大丈夫!設定を変えたから。『不器用で仕事の覚えは悪いけれども一生懸命に努力してることをアピールの、頑張りマス子ちゃん』から、『どこまでもぽやんとおとぼけで、仕事は遊びの延長みたいな甘い認識で、空気も人の心もさっぱり読めない、脳みそ春子ちゃん』に転身してみた。するとどうでしょう。自分の仕事のできなさが、そんなに辛くない。指摘されてもそんなにまでは、悔しくない。だって私、脳みそ春子ちゃんだから。仕事ができない自分を気に病んだりなんかしないし、何を言われても、自分がどの程度のことを指摘されているのか、あんまりわからないから、あんまり深く考えないし、とにかくいつでもぽかぽか心キープなんだ。みんな、指摘する気にもならなくなって、春子はいつまでも平和に脳みそ春子のまま。
 いいえ、世の中は個々のなかで組み立てた設定に、従順に動いてなんてくれないんだよ、どんな設定組み立てても、あっというまに踏み荒らされて、繰り返しわからなくなるんだよ。君が何を演じたつもりになっていようと、スナオなワタシで生きていようと、傍から見ればどこにでもいる仕事出来ない鈍くさいOLでしかなんだよ、ある意味脳みそ春子ちゃん。

 おかしいな、ここに仕事の悩みを書くのはやめようと、いつも思うのだけれど、今日も気付けばカタカタ。書いても書いてもきりがないのに、仕事はしんどくて当たり前なんだから、みんなそれでもがんばっているのだから、ぐだぐだ言ってもしかたないのに。共感も同情もないのに。私は今の仕事をまだ辞めないし、転職なんてしない、これといって、やりたい仕事も、出来そうな仕事も、見当たらないもの。やりがいなんて、もういい、いらんよ。東京生活維持の為に働く、それだけ、以上。東京が好きなんだもんね!がんばりたい、がんばりたくない、がんばれる、がんばれない、がんばれ、がんばろう、がんばりましょう。がんばるのです。

 こんな日記がかきたいんじゃない、こんな日記かくためにこうしてネットで日記やってるんじゃない、違うとわかる、これは違う。なら公開しなければ?嫌だよ公開しなくては、こんな日記を非公開にしていてはお墓でささやいてるみたい。明日からは。自分で、頷けるような日記を書こう、この場所を大事なのに、こんな日記はかきたくない、誰が読むの、不快にするばかりで、なんて不毛な文章かくの。今日で最後。こんな日記は今日で最後。でもな、私は嘘つきだから。わからない。でも最後。
by papiko-gokko | 2007-08-31 22:42 | Diary
ラジオ体操すりゃ治るかい
 昨日の日記は、書きすぎた。憂鬱に心をつぶされて、考え事が空回りしていた。思考の媒体に心と頭があるとすれば、普段私は心主体で思考している方なのだけれど、憂鬱でつぶされた日の心はもう使い物にならないので、そんな日は無理に頭を使って思考しようとする。しかし、普段使いなれていないうえに元々冷静に順序だてて思考するということが苦手な私の頭では、必死で考えようとすればするほど、かえってわけのわからない方向に暴走してしまう。例えるなら、いつもママチャリに乗ってる人が、いきなりマウンテンバイクにまたがったみたいな感じ。ハンドルがぐらつきサドルも高すぎて、重心がつかめず全然うまく進めない。ぐらぐらぐらぐら、景色も見えない、風の向きもわからない。転ばないようにがむしゃらにペダルを踏みながら、ただただ道路標識ばかり血眼で追いかけて、「~すべきだ」「~すべきではない」「~しなければならない」「~してはならない」といった一般的ルールや既成観念に従うことで何とかハンドルを固定しようとやっきになり、その結果、目指していた場所を見失う。しまったと気付いて引き返そうにも、そのころにはもうマウンテンバイクの空気がすっかり抜けてしまっていて、もう戻れない。

 今日は木曜になったから、あと明日いけばお休みで、随分と気持ちがらくになり、憂鬱につぶされずに一日を終えることができた。ここのところ毎週、日曜の夕方から水曜あたりまでは憂鬱に心をつぶされてしまっている。毎日今日みたいな感じでいられたらいんだけどな。
 本当には自分が何をしたいのか、どうありたいのか、何を楽しみとし、どこを我慢して生きていこうと思うか。それをじっくり考える必要がありそうだ。そんなことも考えずに、憂鬱につぶされた心で、辞める!会社嫌い!とか言っていても、話にならない。子供の世界の話じゃない。だから、責任さえ背負う覚悟をもてば、いくらでも自由に発想していいし、どこへ行くのも行かないのも、選びたいように選んでいい。ちょっとぐらい正しくないほうを選んでも、もう親は困らないし先生も眉をひそめない。大人になった今、私以上に私に対して責任のある人は、もういないのだから、だから私は、ちょっとぐらい間違えていい、自由になっていい。

 昨日は散々空回りした末に、太宰治の「人間失格」を手に取るに至った。太宰治のほかの作品はちょくちょくふらふら読み返すけれど、「人間失格」だけは、中学時代に読んでどかーんとなって以来、読み返していなかった。でもそろそろ内容もかなり忘れてしまったし、太宰治作品を読んでいると不思議なくらい心の勢いが落ち着くので、読み返してみることにした。昨日は最初のほうを読みながらうっとりうとうと眠りについて、とても心地よかった。文体が、たまらないんだよなぁ。とても心地よい文体。耳掻きの綿を、耳の穴にふぉしょふぉしょしつつ時計の針をぼけーっと眺めているみたいな心地よさ。

 そして人間失格といえば、最近新しくなった集英社文庫の装丁は許せない・・・あればっかりは、どうしても許せない・・・もう私、集英社文庫は買わない・・・
by papiko-gokko | 2007-08-30 20:03 | Diary
かくしてる鬼のような面で叫んでごらんよ
 同じ新卒採用で入社した同期事務員の子が、9月いっぱいで辞めることを知った。入社してから今までで、一番ショックな出来事。配属された部署が違うからそんなに頻繁に話したりはしなかったけれど、話していて疲れない楽しい子で、心強い存在だったのに。新卒で事務員として採用されたのは私を含めて3人だけで、そのうちのひとりは去年の秋ごろ別の営業所へいってしまったので、本社にいたのは私とその子だけだった。これでひとりになってしまう。腕がガコンと抜け落ちるような寂しさと、なぜか沸き起こる悔しさ。誕生日を覚えていてくれてメールをくれたの、あなただけで、すごくすごく嬉しかったのに。
 他の会社がどうなのか知らないので比べようもないが、私の勤め先は割と離職率の高い会社かもしれない。それも、精神的な限界という感じで辞めていく人が多い。やっぱりそうなんだな、あんまり社員の扱い方が、よくない会社なんだ。上のほうで勝手に決めたことを勝手に押し付けてくるばかりで、私たちが意思意見など求められることなどなく、従うことに専念するしかなくて。現場を知らない社長の思い込みと思いつきで指令がくだっている臭いもぷんぷんするし、そうして黙ってふりまわされま仕事を増やされて、それをなんとかこなしても、その仕事がどこでどのように役立っているのかについては全然教えてくれなくて、疑念と虚しさばかりが募っていく。仕事というよりは、仕打ちって感じさえする時もある。理不尽。ほがらかなのは上のおっさんとそのおっさんにうまいこと可愛がられている社員だけで、それ以外の多くの一般社員は、理不尽な思いばかりしている。それが社会というものだと言われたら、それまでだけど。それにしたって。
 私も、辞めたい。気付きたくなかったけれど、今日のショックをきっかけに、はっきり気付いてしまった。今、私は勤めている会社のことが、嫌いなのだ。会社のことを考えるだけで、心臓がギシギシピリピリする。嫌いな会社からお金もらっても、嬉しくない。気持ちよく感謝なんてできない。気付いてしまえばあとは単純。別に私は重役でもなんでもなくて、辞めてもいくらでも代わりがいるのだから、辞めたけりゃ辞めりゃいいんだ。そう、辞めたければ辞めたっていい。ひとたびそう思ったら、ふうっと気が楽になった。辞めてもいい、新しい場所を目指してもいい。それはパワーのいることだけど、このままずるずる理不尽だ理不尽だと思いながら働くよりは、自分の為にも会社のためにもきっといい。ただ、辞めるとしても、来年の3月までは勤めよう。できれば辞める1ヶ月前ぐらいに新しい営業事務社員をいれてもらって、その人にすべて自分の仕事をちゃんと託してから辞めよう。営業事務の先輩のことだけはとても好きだから、辞めることになっても、迷惑かけたくない。
 仕事のやりがい。それを考えるとき、私はいつも、職種というものにばかりとらわれていた。どのような仕事をすることがやりがいに繋がるなのか、そればかり考えていた。だけど、それだけ考えていても答えは見つからないということに、今ようやく気付いた。どんなに自分のやりたい仕事につくことができたとしても、自分の所属している組織を愛せなければ、せっかくのやる気も削がれてしまう。それに、業種もやはり重要だ。たとえ仕事が苦手だったとしても、自分の会社の商品なり事業なりに少しでも興味をもつことができれば、楽しさややりがいを見出せるはずだ。
 私の就職活動に間違いがあったとすれば、業種を選ばなかったことだろう。それなりに切羽詰っていたし、とにかく一般事務で雇ってくれればどんな業種でもかまわないと思っていた。その結果、一向に興味を持てない業界で働くことになったわけだ。仕事をがんばったところで評価や給料があがるわけでもなければ、誰かからすごいねがんばってるねと褒められることもなく、職場の雰囲気が特別楽しいわけでもない。その上自分の働く業界にまったく興味がないとなると、これはもう、きっぱり割り切って、かせいだお金を何か明確な目標の為に貯めるか趣味に費すか、または休日をめいっぱい楽しんだりしない限り、かなり虚しさに苛まれる。かせいだお金が生活費に消えていく私のようなタイプは、仕事を選ばなくっちゃ駄目なんだ。
 今度就職活動をするときには、業種を重視しよう。多少仕事内容が苦手でもいいから、興味のもてる世界にいたい。転職できる時期は短い。後悔したくない。せっかく働くのなら、がんばろうと思いたいし、自分の仕事に誇りなり興味なり、少しでもいいから、プラスの感情を持っていたい。

 ここで仕事についてなど書き連ねたところで、立派に働く大人からすれば、世間知らずの小娘の戯言に過ぎないのだろうけれど、私は至って真面目。なんだかもう、考えすぎて疲れた。考えることは得意じゃないのに。考えすぎると、本当の本当には、自分が何を思っているのか、もう、わからなくなる。ともかく、同期が寂しい、ということ。
by papiko-gokko | 2007-08-29 21:15 | Diary
意味わからんし
 社屋玄関付近の階段掃除をしながら、初めて会社を訪れた日のことを思い出していた。大学4年生になってもなかなか就職活動をする気になれなくて、秋ごろからようやく始めてみたものの、11月半ばになっても一向に内定をもらえる気配がなく、いい加減あせり始めていたころ、年内最後という気持ちで挑んだ就職試験が、今の会社だった。
 今は憂鬱の扉でしかない玄関のドアノブに手をかけたとき、私は力いっぱい緊張で膨らんでいた。就活参考書で読んだ礼儀作法を必死で思い返しながらギクシャク入って会釈すると、すぐ優しげな事務員さんがテストを受ける部屋まで案内してくれて、それで一気にこの会社のことを気に入ったんだった。こんな優しいお姉さんと働けたなら素敵だなぁと思い、俄然やる気がでた。だけど筆記試験は数学が(私にとっては)難しくて、面接でもうっかり変な答えばかりしてしまって、あぁ絶対また落ちちゃったな・・・と意気消沈しながら、涙ぐんで、夕焼けの道をしょんぼりとぼとぼ帰ったのだった。寒さで耳が痛かった。
 だから、内定通知がきたときは、本当に嬉しかったのだ。封を切る指が震えていた。母に報告の電話をする声も震えていた。4月から社会人になれる、一人前になれる、働き始めることができる、そのことが、ただただ、嬉しくて嬉しくて、がんばろうと思った。感謝の気持ちでいっぱいだった。少なくとも三年、三年は同じ会社でがんばるんだと誓った。

 それが、たった一年半前のこと。あのときの新鮮な気持ちは、どのあたりで使い果たしてしまったのだろう。私はもっと、余裕でがんばれるはずだった。感謝して働けるはずだった。誰も意地悪じゃないし、仕事はしんどいけれど、そんなのどの仕事だって同じで、みんなしんどくても生活を成り立たせるためにがんばっているのだし、何をうじうじうじうじ。自分が恥ずかしい。私は自分の仕事に対して、もっと前向きで謙虚であるべきだと思う。
 だけど。同時に思ってしまう。私はもっと、自分の仕事に対してワガママになってもいいんじゃないか。趣味興味を生かした仕事についてスキルを磨いている友達や、大学で学んだことが仕事に繋がって役立っている友達や、バイトで食いつなぎながら夢を追いかけている友達や、なんだかんだで周りはほとんどそんな人たちで、あれ、私はどうしてこんなに苦手な仕事をわざわざやってるのかなぁと、わからなくなる。自由時間を持てる職種ということで一般事務を選んだわけだけれど、その結果どうにもしっくりいかないのなら、いつまでもくすぶってないで、もっと自分の人生にワガママになっていいんじゃないか。自分の人生のためのワガママは尊重すべきだとも思うし、しかしそうやって誰も彼もがワガママを通せば世間は成り立たなくなるし、どちらも正しい選択に思えない。ひとつわかるのは、そうやってうだうだうじうじ言いながら仕事に熱心になれていない今の自分が、もっとも間違っているということだ。やりがいのある仕事ってなんだろう。それを手にしている人は、どのぐらいいるのだろう。
 ともかく、秋には引っ越すのでお金がいるし、今仕事を辞めることはできないので、今自分のすべきことをがんばりましょう。

 ふう、それはそうとして、稲葉さんカッコいいなぁ。毎日稲葉さんカッコいい。稲葉さんがカッコよくなかったためしがない。稲葉さんカッコいいなぁ。脳内直属上司。
by papiko-gokko | 2007-08-28 23:02 | Diary
重要な制御装置のリモコンを君が容易く粉々にした
 必要とされることよりも、必要とされなくなることのほうが多くなってきたような気がして、歩く速度が遅くなる。一歩進むごとに、かつて誰かが私を呼んだ声が、体から剥がれ落ちていく感覚。子供のころのほうが、たぶん人から必要とされていた。自分が必要としていたぶんだけ自分もまた、大人からも、子供からも、必要とされていた。自分ひとりで生きていけるようになることは、外側の世界に対しての存在が大きく広くなることだと思っていたけれど、ひとりで平気になればなるほど、私の存在は、外側の世界に対して小さく細くなっていく。

***

9月は人事異動の季節で、うちの社内でも、部署や営業所の変わる人が数名いた。私は一般職の事務員なので、変わらないけれど。ある月を境に部署が変わるって、どんな感じなのだろう。転校みたいなものなのだろうか。仕事も人間関係も最初からで、大変だろうな。でも、希望していた部署にいけたなら、新鮮で楽しいかも。私も違う仕事をしたいな。がんばりたくなる仕事、したいなぁ。こんな何の技術も資格もない私が、そんなこと思うのは、わがままなのかなぁ。雇ってもらえたことをありがたがって勤めてりゃ、それが一番、誰にとっても、いいのかなぁ。とりあえず今の生活には、それが一番いいんだろうなぁ。でもなんか、お給料低くてもいいから、駅からちょっと離れたところにある小さなお菓子屋さんとかで、エプロンして働きたいな。とか。そんなことはアホな妄想なのだろうな。うん、うん、わかっている。

 会社で勤めだして一年と半年もたつと、大人社会で元気に生きてゆくコツを、それでも少しずつひとつずつ、習得していく。ひとつ、深刻になりすぎないこと。深刻になればなるほど仕事ははかどらない。ひとつ、反感をもたないこと。理不尽なことなどきりがないしそれに対して自分は無力なのだということを知り、極力穏やかに軽やかに諦めるべし。ひとつ、辛い一言ほど爽やかに受け流すこと。社会にはいろんな人がいて、誰もが優しいわけがない。イチイチ悲しまない、憤らない、口答えや言い訳を脳内で繰り返さない。ひとつ、人と話すときには、ともかくほがらかな表情でいること。誰も心地よく仕事がしたい気持ちは同じ。ひとつ、深入りしないこと。ひとつ、疑問を抱かないこと。ひとつ、ヘタなことを言わないこと。ひとつ、責任は適度にわからない程度に擦り付け合うこと。ひとつ、自分であろうとしすぎず尚且つ自然体で生きているっぽい感じの雰囲気を醸し出すこと。ひとつ、自分は冷めた聞き分けのいい女であると思い込むこと。
by papiko-gokko | 2007-08-27 22:02 | Diary
鉄フェンスごしに眺めた夕焼けとキリンと嘘のようなビル群
 ぎゅっと手を繋いで歩いている親子がいて、あぁ、手を繋ぐことは素敵なことだなぁと思った。スキンシップの種類はいろいろあるけれど、手を繋ぐことには、ただ触れ合うということだけでなく、離れ離れにならないためという、具体的な理由がある。離れ離れにならないようにしている二人は、もうそれだけで、二人にしか培えない世界を作りだすことに成功していると思う。



 私は軌道を踏み外していませんか。いいえ、ガツンと踏み外すほど、しっかり歩いてさえいません。軌道から外れても生きていける方法を探しながら、いつでもどこかで繰り返される軌道のなかにのまれて生きています。

 世界は、軌道なのだと思った。どんな世界も、何かしらを中心に回り、繰り返すことで成り立っている。いつも新しい世界を探しているけれど、どの世界へ入り込もうと、私はその世界の軌道に巻き込まれ世界のほんの一部になるに過ぎない。だけど、その流れのなかにいることを、悲観するのは間違いなんだろう、喜ぶことなのだろう。軌道のない場所は枯れて寂しい。
 それに、少なくともいつだって、私は私の世界の軸だ。私が回り続ける限り、私の知るもの愛するもの見たもののすべてが、私のつくり出す軌道にのってきまわり続け、繰り返し続け、私の世界は成り立っている。私の軌道は、軸の私が回る事をやめたら、たちまち軌道が失われ、私の世界を形成したすべては遠心力を失い宙に舞う。宙にまってしまったらもう、ないのと同じ。だから、まわれ、まわれ、私の世界を保て。いろんな世界の軸にまきこまれて公転しながら、そのなかで、あくまでも自転するのだ、まわれまわれまわれとまるなとまるな。

***

 空前の漫画読みブームが沸き起こっている恋人と、読みたい漫画の足りない巻を求めて、中野ブロードウェイの、まんだらけへ行く。漫画にはまって中野まんだらけに行くという、この安易さ。そんな安直な行動をさらりとが実行できてしまう東京が大好きです。さすがはまんだらけ、ブックオフを3件周っても見つからなかった漫画がすぐに見つかった。まんだらけには、古本屋だけでなく、セル画のお店やらグッズのお店やらも並んでおり、ガラスケースになにやらいかにもレア物っぽいグッズが飾られていたりする。かなり昔のアニメのグッズなんかもたくさんあるし、生粋のアニメ好き漫画好きにはたまらない場所なのだと思う。あまりにも本格的すぎて、古本屋以外のお店に足を踏み入れる勇気はなかったが、ガラスケースを眺めるだけでも面白かった。あんなにも多くの誰かが非常に強い想いで欲しがりそうな品々を集めて並べられるなんて、すごいよ、中野。
 中野の駅前では、アイドル志望らしき女の人がフリフリのドレスを着て歌っており、幾人かの観客が拍手を送っていた。彼女の頭の中には、武道館で歌う自分の姿がイメージとして浮かぶのだろうか。私はいくら武道館ライブを思い浮かべても、そのステージに立っているのはあくまでも私の好きなアーティストで、私ではない。自分がステージに立つイメージをできるだけでも、すごいな。すごいのか?臆せず外側へ夢をさらけ出せることが、そんなにすごいか?

 明日からは会社だ。会社だ、とかこうとして、学校だ、と打ってしまった。いまだに、会社を学校といい間違えることがある。いつまで学生気分ですか。あー、稲葉さんが上司だったらいいのに・・・稲葉さんから電話がかかればいいのに・・私、稲葉さんに雇われてたらいいのに・・
by papiko-gokko | 2007-08-26 22:49 | Diary
夕焼けは待ってくれない君だけに見せたいものを今見つけたよ
 最近どいうわけか、隣人と洗濯物を取り込むタイミングがかぶって気まずい。衝立があるのでお互いの姿は見えないのだが、サッシを開ける音とか、洗濯物とハンガーのカチカチバサバサ擦れ合う音が聞こえるので、お互いが同時に何をし始めたのかは、考えなくてもわかる。
 不思議な現象だ。夏は他の季節に較べて、日暮れの瞬間がわかりやすいのだろうか。眩しさがフワっと傾いて緩まる瞬間が、家の窓にもフワっと伝わってくるから、同じ向きの窓を持つ私と隣人は、「あぁ日が暮れたなぁそろそろ取り入れるとするかぁ」と、同じ瞬間に思ってしまうのかもしれない。そうとなると、ますます気まずい、気恥ずかしい。もじもじする。そんなことを思っているのは、自意識過剰な私のほうだけな気もするが。
 今日も顔すら知らない隣人と同時に気まずい思いで洗濯物を取り入れながら、物干し竿の向こうに広がる夕焼け空に感動していた。夜空一歩手前の濃い青空と、夕日に染まった桃色雲のコントラストが、ニスで固めてしまいたいほど綺麗だった。蚊が入ってくるのを気にするのも忘れて、長いこと窓を開けたまま見とれていた。隣人も、同じ夕焼けに見とれたのだろうか。
 しばらく見とれたのち、こんなに綺麗な夕焼けならば出かけよう!と、急遽出かけることにして、トイレにいき、払わなきゃいけない公共料金の請求書を探したりIPodを探したりメガネを探したり帽子を探したりそれらをつっこむカバンを探したりして、準備を整え外にでたら、もう夕焼けが終わっていた。残念すぎる。夕焼けは、何が見つからなくても待ってくれない。残念な思いで空を見上げながら曲がり角をひとつまがったら、高架の上空に、ぽそりと月がでていた。先日、秋から住むかもしれない街で見たときの月より、いくらか丸みを帯びていて、ますます優しげだった。
 やがて高架を電車が走って猛スピードで月を隠したので、それ以降は空を見上げることをすっかり忘れて、公共料金の計算に夢中になって歩いていたら、吉本新喜劇ぐらいクッキリ派手につまずいた。その影響で今も腰と爪がいたい。どうせつまずくのなら、計算に気をとられながらじゃなく、月に見とれながらつまずきたかった。

***

 地元のプールで水死事故があったり、いつも帰省のたびに乗っている「特急やくも」という電車で事故があって死者がでたり、全国ニュースで地元の悲しい事故を立て続けに知った。事故の内容もショックだったし、それに、全国ニュースで地元の事件が報道されたことに、なんだか傷ついた。出雲空港に東京からどかどか報道陣が降り立ったのかと思うと、たまらなくって鳥肌が立った。どうかどうか彼らにあちこち映され痛めつけられませんようにと、切に願った。
 私は東京を好きだけれど、東京でどんな痛ましい事件事故が起こっても、どんな報道をしていても、傷ついたりはしない。怖いなぁ酷いなぁ気をつけなきゃなぁとは思っても、東京を痛めつけるなとは、これっぽっちも思わない。東京に憧れ住み続けていながら、私の心が繋がっている場所は、出雲なんだと気付いた。

***

 恋人と小説の趣味はあまりあわないのだが、漫画の趣味はとてもあうようで、彼がおもしろいといった漫画はいつも私を虜にする。ギャグ漫画も恋愛漫画も、どんぴしゃでツボに嵌る。笑いときゅんきゅんのセンサーが同じ仕様なのか。最近特に彼がどんどん漫画を仕入れてくるようになり、おかげで私も素晴らしい漫画満喫ライフを送ることができている。漫画最高。
 今日は、恋人が昨日仕入れてきた業田良家『ゴーダ哲学堂』という漫画を読んだ。これはギャグ漫画でも恋愛漫画でもなく、「人生に意味はあるのか」をテーマにした人間ドラマっぽい短編集で、ちょっと重たい内容なのだけど面白い。人間の醜さやせこさがえぐいほど描かれていたり、かと思えば人間の優しさや温かさも描かれていて、読めば読むほど、人として生きていくことが嬉しくも哀しくもなる。このどうしようもない人の世を、憎くも愛しくも感じる。人間愛、人間臭さ、人間味。この世に生まれ生きてやがて死ぬことは、どういうことなのでしょう。どの程度のことなのでしょう。それは綺麗なことでしょうか。それとも怖いことでしょうか。
 ゴーダ哲学堂という題名なだけあって、かなり哲学の世界入ってる感じがしたけれど、最後まで味わえた。大学時代一般教養で習った哲学は、意味不明理解不能すぎて始終ぽかーんとしていたし(教授が繰り返し用いていた『アガペー』という言葉しか記憶に残っていない)、哲学書を読みふけったことのある人になりたくて図書館でニーチェとか開いてみたものの数分で無理だと悟って閉じたりしたけど、そんな私にも、この漫画の哲学は、身近な感覚で味わうことができた。
 哲学者になるためには、たぶん、ひとつのことをものすごくものすごく考えなければならないのだろうなぁと。私は、あまりにもわからないことが目の前に現れたら、泣くか怒るか笑うかして誤魔化し、そのまま逃げてしまうから、哲学者になれない。哲学者になって、この頭で解ってみたいことは、いろいろとあるんだけどなぁ。
by papiko-gokko | 2007-08-25 22:06 | Diary
滅びの定め破って駆けて行く
 書きたくない日にも日記を書いて、公開したくない日にも公開する。よほどの事情がない限り、毎日、義務みたいに。それは、文章を書いていなければ生きていかれないほど必要だからだ、なんて、本当はそんなかっこいいことではなくて、本当は、文章なんて書いていなくても、私はきっと全然平気で生きていけるから、だからこそ、書き続けるのだと思う。一日に一行の文章も書かなくてもすんなり眠れる自分に、恐らく三日もあればなれてしまうであろうそのことが、とても怖い。
 文章を書かなくなったら、私は、自分が何を感じ考えているのか分からなくなるだろう。文章を公開して誰かに読んでもらおうとしなくなったら、私は、誰かに自分の本当の気持ちや考えを伝えようとすることを、やめてしまうだろう。普段の私など大抵の場面でぼーっとしていて、視界にも思考にもモヤがかかっていて、妄想と欲望まみれでろくなことを考えていないのだ。そんな風だから、人に何か自分の気持ちや考えを本気で伝えようとすることも伝えたいと思うことも、ほとんどない。だけど、文章を書いている間だけは私なりに真剣に物事を想い考えることができ、そうして生じた自分の想い考えを、別の誰かにも伝えてみたいと強く思う。文章を書くことが私の意識を鮮明にし、文章で何かを伝えようとすることで、人の心の存在を実感できる。
 それをわかっていても、自堕落な私は、一度文章をかく習慣を失いそのことに平気になってしまったら、もう二度と二度と、書かない気がする。書くという感覚すら忘れてしまう気がする。だからこれからも、「私は文章をかかなければ生きていけない」、という暗示に、自分をかけつづけなければならない。私の何よりの手段なのに、それを失くして生きていけてしまっては、困るから。

***
 
 恋人が昨日熱心に読んでいた「恋風」という漫画、妹と兄が恋に落ちてしまう話というので、ウワーこの人またそういうの買ってまったくーと引いていたのだが、絵の雰囲気がなんだか好きで、ちょっとこっそり読みはじめてみたら、はまってしまった。これでもかというほど猛烈にきゅんきゅんした。恋をしてはいけないとわかりつつも惹かれあってしまうふたりの、切なくも激しい葛藤が描かれているのだ。うおお、お兄ちゃん・・・!子供のころから、お兄ちゃんがいる子って羨ましくてしかたなかった。お兄ちゃんって、そりゃもう、優しいに違いない。いろんなところへ連れて行ってくれて、悪い虫が付かないように、いつでも見守ってくれて、そりゃもう、ヒーローなのに違いない。
 まだ最後まで読んでいないので、きゅんきゅん真っ只中だ。こんなにまで心臓が痛いほどリアルな感覚できゅんきゅんした漫画は相当久々だ。それは単に特別な設定のせいだけではなくて、恋に落ちていく様子とその葛藤がすごくリアルに描かれていたからだと思う。繊細なタッチで描かれている苛立ちや切なさの表情に、なんとも迫力がある。やはり、私にとって恋愛漫画でもっとも重要なのは表情の細やかさだなぁ。漫画を読んでいる間、私も完全に恋をしていた。一緒に胸を締め付けられ、奪いたい想いに駆られていた。きゅんきゅんしてしまって行き場のないこの思いをどこにぶつけよう。ため息がいっぱいでる。憂鬱じゃないため息なんて久々だ。桃色吐息だ。よかった、私の心はもりもり生きていた!恋心って素晴らしいです。恋人が早く続きを買ってきますように。
by papiko-gokko | 2007-08-24 22:18 | Diary
朱くかすむ夕陽を待とうか
 朝降っていた雨が昼前にはやみ、立ち昇る蒸気に太陽光が反射して、金色の午後だった。雨がやんで太陽が照ると同時に、セミが鳴き始めた。夏の最後がほとばしっている!

 一昨日昨日と打って変わって、ご機嫌な一日。理由は明確。今日が木曜で、あと明日いけば会社がお休みだからだ。昨日と今日行ったのが同じ職場だとは思えないほど穏やかな気持ちで仕事をこなし、お昼は朗らかに会話を楽しみつつ食べた。なんの不快感もない一日だった。昨日は過去にしがみつかなければ生きていかれないような気持ちだったのに、今日は未来のために生きていけるような気持ちだった。昨日は誰の顔もみたくなかったのに、今日はいろんな人に会いたくなった。一日一日で気分の変動がありすぎて困る。日々浮き沈みがあるは誰もが同じなのだろうけれど、それをうまくコントロールできないのが私の問題だ。気分屋なんだなぁ。気分屋というのは言い換えれば勝手気ままの自己中ということで、とんだはた迷惑だ。なぜにがっしり落ち着けないのだろう。何に対しても心ここにあらずで、真剣に向き合っていないからか。

***

 今日は恋人の仕事が早く終わる日だったので、秋に引っ越す街候補No.1の街へ行ってみた。先週行ってみた街はイマイチだったのでちょっと緊張していたのだが、今日行った街は、とてもよかった。便利そうなスーパーもあるし、大通りから一本奥へ入ればそこはもう閑静な住宅街だし、CDショップや書店もあったし、それに一番嬉しいのは、ちょうど住み心地のよさそうなところあたりに図書館があることだ。どうやら若者よりもファミリーがたくさん住んでいる感じで、穏やかに暮らせそうだ。恋人も街を気に入って、ここに住もうと言い合った。
 住むかもしれない街に到着したころ、空はちょうど夕焼けていて、淡い朱色に染まった帯雲がきれいだった。大通りを一通り見て住宅街に入ったころには日が暮れて、並ぶ屋根の遥か上空に、ほんのりとおぼろ月が浮かんでいて、静けさを優しくしていた。あぁこの街なら受け入れてくれそうだと思った。
 街が決まったら、次は本格的な家探し。何件も見てまわるつもりでいるので、綿密に計画を立てねば。
by papiko-gokko | 2007-08-23 23:33 | Diary
同じとこぐるぐる
 私を支えているのは過去の記憶で、未来への希望ではないらしい。大人になって未来のことは、考えるほど切羽詰って、しんどい。がんばろうとか、責任をもってとか、見方を変えてとか、うるさいなぁ、うるさいなあ。後ろ向きじゃなきゃ笑えない時もあるのだ。いまは、未来の私を支える過去を生産するために、今を輝かせる努力をして生きていきます。

 客観的に見ればきわめて平和な日常のなかにありながら、苛立ちや不安から逃れられず、わからないまま絶望しそうで、眉間に皺をよせて口をとがらせてばかりいて、私は何様なのだろう。

 おくーちとんがらかいてわーしゃあひる。子どものころ、気に食わないことがあって私が口を尖らすと、祖母がそうやって歌った。とんがらかいて、というのは、尖がらせての、出雲の方言。口を尖らせている私が、いかにも滑稽だと言わんばかりに、可笑しげにちょっとからかうように歌った。そんなふうに歌われると、自分でも自分が可笑しく馬鹿馬鹿しく思えてきて、笑ってしまった。
 それから、私が悪いことをしたときには、「ぼろこ!」と言った。これも出雲の方言なのだろう。悪い子、駄目な子、というような意味の言葉だ。ぼろこと言うときの祖母の口調は他のどの言葉を言うときよりも厳しかったけれど、それでも「ぼろこ」と言う響きそのものが、悪い子とか駄目な子という言葉に比べると幾分やわらかかったから、私は悔しくも悲しくならならず、たいして反省もしなかった。そんな私に祖母もまた、本気で反省させようとはせず、その場のぼろこな行為が終わったら、それ以上の教育はしようとしなかったし、どうしてこんなことする子になったのだろうと両親のように真剣に悩んだりもしなかった。
 だから、祖母に何を言われようと、親に叱られたときのような悲痛な気持ちにはならず、ただ、口を尖がらせた自分が、ぼろこと呼ばれた自分が、子供ながらに可笑しく馬鹿馬鹿しくなるのだった。祖母は私をどうしようともせず、ただ、私の尖がらせた口やぼろこな行いを、親の立場よりも少し離れた地点から、単純に呆れ可笑しがっているだけだった。子供のころの私にとって、祖母は気楽な存在だった。
 その祖母に今、子供のころみたく、わしゃあひるの歌を、歌って欲しい。ぼろこ!と、強く言って欲しい。きっと馬鹿馬鹿しくなって、可笑しくなって、笑えてくるだろう。笑いたい、本当はなにも、深刻じゃないはずなんだ、しょせん。
by papiko-gokko | 2007-08-22 22:22 | Diary


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