日記と短歌
by papiko
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困ったことになりました
 恋人のパソコンが、壊れた。今朝突然にウインドウズが起動しなくなったのだ。パジャマのままでサポートセンターに電話をして状況を説明したところ、「大変申し上げにくいのですが・・・こちらと致しましては、リカバリーをお勧めいたします」と、宣告された。リカバリー、それがどんなに悲しい結末なのかは、一度この自分のパソコンで体験したから知っている。個人的記録と記憶の詰まったパソコンを、購入時のまっさらな状態に戻してしまうあの無情な作業。あのときは、作業しながらぼろぼろ泣いた。ドラえもんが故障したときののび太ぐらい泣いた。当時運営していたサイトのデータだけは、気持ち悪いほどこまめにバックアップを取っていたので割と無事だったのだけれど、その他の大事データ(入れていた音楽やらワードで書いた文書やら絵やら写真やら)は、すべて消えてしまった。リカバリーって、自分の手で最後の決断を下さなければならないわけだから、本当に悲しい。もしかしたらパソコンのなかで、壊れながらも生きているかもしれないデータを見限り、息の根を止める作業。
 がっくりして恋人にサポートセンターに言われたことを告げたところ、恋人は思いのほか平気な様子で、「まぁ、取っておきたいものはネットにアップするか印刷するかしてあるし、しかたない」と頷き、それどころか、「購入したときに戻るのとか、なんか楽しいね、ふふふ」と、勝手にわくわくし始めた。意味が解らない。これが、さまざまなものに過度に依存しながら生きている人間と、適度に利用しながら生きている人間の違いというやつか。
 そんなわけで意を決してリカバリーの作業に取り掛かったのだが、何度リカバリーしても直らない。私のパソコンよりずっと新しいのに、どうしたってこんなことになったのだろう(きっと恋人がいかがわしいゲームを取り入れすぎたからに違いない、そうとしか思えない)。それまでありとあらゆる色を鮮やかに映し出していたモニターと同じものとは思えないような真暗画面の隅に、飾り気のない白い文字で、「ソフトウェアでエラーが発生したためWindowsを起動できませんでした」とだけて出て、そこからうんともすんとも動かない。何度やっても駄目だ。私はパソコンに依存して生きているけれどパソコンに詳しいわけではないので、こんなふうに見放されてしまったらもう、なすすべもない。
 恋人のパソコンが起動できないことは、私にとっても問題だ。「人間ごっこ」の更新ができない。少しまえまで自分のパソコンで更新していたのだけれど、5年つかって寿命が近づいているので、念のため買って間もない恋人のパソコンのほうへデータをまるごと移行し、恋人のパソコンから更新していたのだ。一応、数ヶ月前のデータがメモリースティックにバックアップしてあることはしてあるはずなのだが、どれに入れたんだか忘れたし、ちかちか地味にいじっているから、数ヶ月前となるとあれこれ違ってくる。私がそれを嘆いていたら、同じく自分のホームページのデータが闇に沈んだ恋人が、「これを期に、全部新しく作り直そうかな」と、またわくわくし始めた。うろたえない人だなぁ。私がすぐに、うろたえすぎるのかな。
 それにしても、困った。誰か誰か、助けて助けて。ともかくもう自分では無理っぽいので、どこかへ電話して専門の人になんとかしてもらうしかない。このパソコンだっていつどうなるともわからない状態なのに、困るよ。新しいパソコンを買うお金なんて、ないよ。秋葉原へいけば、安い中古があるのかな。ウインドウズのソフトを買えばいいのかな。
 壊れたパソコンの暗闇に向かっていると、データって、一体なんなのだろうと思えてくる。普段はあんなに便利で、パソコンを起動すればあらゆる作業ができたのに、何かがちょっと壊れたら、もうなにもできないなんて。そのうちどんどん世界がデータ化して、実態をなくしていって、ある日何かの拍子に世界を左右する重大なソフトが壊れて、世界がまっさらになって、あらゆることがふりだしに戻ってしまったりして。私だってこうしてここに文章を打ち込むことで、自分の一日分の記憶や思いをデータ化してネット上に保存している。だから、もしこのブログのサーバーかなにかが壊れてデータが消えてしまったら、私の意識はどうなるのだろう。重大なそふとうぇあが破損しました。ぱぴこの記憶データを、リカバリしますか。あぁ、やだやだ恐い。藤子・F・不二雄氏のSF短編を読みすぎて、どうもこういうことばかり考えてしまう。
 よし、もう一度リカバリをしてみて、駄目だったら、カレーライスをつくろう。カレーライスを食べたら、何かが解決する気がする。
by papiko-gokko | 2007-06-30 20:55 | Diary
この花を渡せたらそれが人生だ
 怒涛の決算を終えて、へとへとで帰る。がんばった。これが今の私にできる精一杯のことなのだから、正しいんだ、自分にできることを見つけて、そのことをがんばることでお金をもらえて、そのお金で、大好きな人にプレゼントを買って、そのプレゼントで大好きな人からほんのひと時でも喜んでもらえて、その笑顔で嬉しくなることができたなら、それが人生だ!私が料理上手ならおいしいお料理をつくってご馳走したいけれど、私が歌手ならばいくらでも歌を捧げたいけれど、私は料理が上手じゃないし、歌手になれない。だから、決して得意とはいえない仕事を出来る範囲でがんばって、毎月きまったお金をもらうのだ。そうしてそのお金で、好きな人に会いに行ったり、記念日にはちょっとしたプレゼントを買ってわくわくしたりするのだ。それが今の私にできる、自分のなかの大好きや嬉しいを育む有効な手段なのだとしたら、私は今私にとっての、それなりに正しいことをしている。いろいろ逆らいつかれたので、ともかくそう信じてみる。ぐらぐらしながら信じてみる。

 会社へ行ったら、ひとりの営業さんに、「ぱぴこちゃん、おめでとう」と言われた。なんのことかさっぱりわからず、しかも朝で大変眠たかったので、ぼーっと首をかしげていたら、「石見銀山、世界遺産登録、おめでとう、島根ってすごいね」と言われ、それでようやく気がついた。そうかそうか、そんなにも、めでたいことなのか。私の田舎は出雲のほうなので、石見ってイマイチ地元って感じがしないのだけれど、おめでとうといわれると、嬉しくなってくる。おめでとう島根、最愛の故郷島根。今まで島根といえば出雲大社だったのが、これからは島根といえば石見銀山になるんだろうか。それは、ちょっとジェラシーだ。あちこち結構な遺跡もあるし、島根は今後、ますます観光地となってゆくのだなぁ。観光地となっていくということは、現在の景観が崩されずに残されていくということなのだろうか。だとしたら嬉しい。だけど世界遺産に認定されたからには、もうちょっとぐらい、交通の便がよくなったりしないかなぁ。岡山と島根の距離が、あと1時間でもいいから、短くならないかなぁ。やはり、どこでもドアしかないよ、ドラえもん。

 会社から帰ったら、ひとまずドラえもんを読む。順調に駄目っぷりを発揮するのび太を、ドラえもんが素敵グッズでなんとかするさまを眺めるのは、実に愉快爽快。最終的には道具で失敗するという落ちがつくのもよい。そのたびにドラえもんが浮かべる呆れ顔が好きだ。ドラえもんって、読めば読むほど謎な性格のロボットだ。すごく子供っぽかったり、さらりとやけに大人びたことを言ったりする。こんなのが家にいてほしい。いいなぁのび太は。ドラえもんは夢中で一緒に遊んでくれるし、ふむふむ相談にも乗ってくれるし、叱ってくれるし、一緒になってぷんぷん怒ってくれさえするし・・・あれ、今打っていて思ったけれど、そういえばそんな存在の人は、自分にも、ちゃんといるなぁ。そういう人たちに出会って救われながら生きてきたなぁ。あれ、ドラえもんって、案外、ポケット以外、普通の人?謎は深まるばかり。ドラえもん素敵。あと、漫画のしずかちゃんって本当に可愛い女の子だ。のび太が好きになる理由もわかる。しずちゃんラブ。

 それにしても暑い。なにも考えられない。暑いよ、世界。
by papiko-gokko | 2007-06-29 23:14 | Diary
何かが欠けた正義感
 私の勤めている会社は6月が決算月なので、今月とても忙しい。のろまな私は今日もてんてこまいなのだった。
 私の担当している営業さんは、決して意地悪な人じゃないけれど、不都合なことが起こると、それが誰のせいで起こったことなのか自分の中ではっきりさせなければ気がすまないらしくて、そういうところは正直苦手だ。別にそれを本人に向かってきつく言うわけではないし(場合によっては言うときもある)、それに大体いつも的を得ているので、『そうだそうだ!あの人のせいだ!』と心の中で一緒に思ってすっきりするときもあるのだが、『その人にはその人なりにわけがあったのだろうし、今更言ってもしかたないし、誰のせいでもいいじゃないか・・・』と、空しい気持ちになるときもある。仕事なのだから失敗は突き止められてしかるべきで責任を負うのは重要なことなのだろうけれど、それとこれとは、何かが違う気がする。
 今日は、営業さんの外回り中に起こったちょっとした不都合を説明したら、別部署で働く私の好きな事務員さんを責めるようなことを言われたので、「いやいや、○○さんのせいじゃ、ないんですよー」と、冗談っぽくへらへらと、だけど始めて営業さんに、意見した。意見してはじめて、あぁ私はじめてこの場所で、自分の意見を言ったなぁと気付いた。気付くと同時にあっというまに、「いやでも結局こうこうこういうことだから、○○さんに責任はあるでしょう」とすらすら言い返されて、「あぁ、そうかぁ」と、今度はへらへら同意したのだけど。意見など、言える立場じゃありませんから。仕事の出来る事務員ならまだしも、今日も肝心なことをうっかりしたりして、もう、ひたすらに申し訳ない最低事務員ですから。担当かえてくれって、いつ言われてもおかしくないですから。私の意見も気持ちも無用。仕事だもの、当然です、そういうものです、そういうものが仕事です。
 悲しい悔しい気持ちの帰り道は、ゆっくりゆっくり歩く。一歩進むごとに生まれるかすかな風を、体じゅうの粘膜にこすりつけながら歩く。どんな気持ちも願望も、風に焼かれて砂になれ、泡になれ、歌になれ。

 最近の日記には、けれど、けど、だけど、が、多い気がする。私はもっとすんなり潔く、肯定しなきゃいけないのかもしれないな。けど、だけど、今の私にとって、肯定することは、意見をなくすことに、とても似てしまっているよ。どうしてだろう。否定するより肯定するほうが、気持ちがひろびろして好きなのに。 軟弱魂、忌々しい。しゃんとしなさい。

 スピッツのルキンフォー(歌詞)(youtube)が、泣けます。マサムネさんの歌声は、こんな軟弱な気持ちでさえ、ひゅるんと肯定してくれるので、優しすぎて聴けなくなったりします。ギチギチの笑顔が一気にぐしゃっとなってしまいそうな優しさです。
by papiko-gokko | 2007-06-28 20:23 | Diary
逢ってみたい このボクを求める人に
 雨があまり降らないので、あじさいがカラカラ枯れ始めている。毎年あじさいが乾いてくると、夏がくるんだなぁと思う。あじさいは、時期が終わって乾いても、花びらを散らしたり、牡丹のように花ごと落ちたりしない。夏じゅうあじさいの形のままで、ずっと茶色く干からびている。炎天下のなか干からび続けるあじさいは、夏の苦手な自分にちょっと重なって、手でくしゃっとつぶしてあげたくなる。すべての季節を同じ体で受け入れるのは、楽じゃないね。どこかで枯れなきゃどこでも咲けない。

 会社で、朝から無様な失敗をしてしまって、その後もいろいろあって、落ち込んだ。入社1年目のときは、「まだ新人だから」という極上の言い訳で、自分を慰められたし周りも失敗を受け流してくれた。けれどもう、2年目なのだ。2年目からの失敗はもう、「新人だから」など通用しない。使えない事務員だなぁいつまでもしっかりしないなぁ覚えが悪いなぁと、周りは呆れ、自分も自分の無能さを思い知るのみ。同じ時期に入った子たちはみんなもう立派に一人前に働いているし、今年入ってきた人に仕事を教えている人もいる。私より2ヶ月ほどあとに入ってきた営業事務の子も、私よりずっとしっかりして、いろんなことを把握している。それなのに私はいつまでもおどおどして、同じ失敗を繰り返してばかりいて、情けなくて申し訳なくて悔しくて、こんなのでも仕事を続けるのとさっさと辞めちゃって別の人を雇ってもらうのと、みんなにとってはどちらのほうがマシなのだろう、なんて、考えながら、いつもうじうじ泣きかけている。自分がこんなに社会で通用しない人間とは、思わなかったなぁ。せっかく一生懸命に働くのなら、少しでもありがとうと思ってもらえるような仕事、したいのだけど。ごめんなさい、すみません、は、いくら真剣に言ったところで、誰にとってもプラスじゃないし心地よくないし、もう、正直、言い飽きたのだけど。

 気持ちがギザギザすると、言葉を攻撃の手段に使ってしまいそうになる。今にも暴言を吐きそうで、必死で飲み込んでいる。ケンカしたいよ、こっぴどいのを。絶対に仲直りできる人と、つねりあうような、髪の毛ひっぱりあうような、激しいケンカをしたいよ。でも大人になって、大切な存在を私なりに多角的に捉えるようになって、もう、絶対に仲直りできると簡単に言い切れる人なんて、いなくなったので、自分の髪をひっぱるしかない。しかし、はげたくないし、それも嫌だな。大人は、ややこしいことだなぁ。
 どれもこれもが独りよがりで、誰にも何も触れないまま触れられないまま、明日もなんとかやるしかない。がんばれがんばれ。
by papiko-gokko | 2007-06-27 20:59 | Diary
オレはジャイアン
 別に私は悪くないのに、これ私の責任じゃないのに。一体そう思い始めると、きりがなくなってみるみるストレスがたまってしまう。私だって失敗ばかりして、無関係な誰かに私の失敗を謝らせたり、責任をとってもらったりしながら生きてきたくせに。誰もが誰かのために頭をさげ、無関係な問題の責任をとり、そんな幾人もの胃の痛さに支えられて成り立っているのが、社会というものなのかもしれない。釈然としない責任を負うこと、それが仕事というものなのかもしれない。
 今日は、いつも本社にいない営業課長さんが久しぶりにやってきて、営業部の事務員みんなにアイスをくれた。私もpinoをもらった。pinoおいしい。一口で食べられるのがよい。営業課長さんは、いつも部下のことをちゃんと考えてくれているから、仕事をがんばりたくなる。経費で、部屋の環境をよくするものも買ってくれようとするし。今営業部の部屋は席替えしたばかりでまだいろいろ汚れていて、それをみた営業課長さんが「ぼくは掃除が得意だから」と掃除をはじめたので、外回りから帰ってきた営業さんも、手伝わないわけにはいかず、ぞくぞくと掃除を手伝い始めた。ワイシャツの袖をまくりネクタイをはずしてせっせと掃除する30代半ばの営業マンの姿は、なかなかに、かっこよかった。最近つくづく思うのだが、営業マンって、カッコいい。仕事の中身はすごくストレスがたまって大変そうだけれど、颯爽と営業へ出かけて行く姿は素敵だ。そういう意味では、営業部に配属されてラッキーだったかな。

 藤子・F・不二雄氏の短編SF漫画と、「ドラえもん」にはまっている。ドラえもん、おもしろい。おもしろすぎる。言葉のやり取りも笑えるし、表情やシチュエーションがなんともいえずおかしかったりもして、昨日も寝る直前までケラケラ笑いながら読んでしまった。ドラえもんって、精神年齢がのび太たちと大体同じぐらいなんだな。だからあんなふうに自然に子供たちに打ち解けていられて、そのおかげで大人に四次元ポケットを悪用されることなく、オモチャを取り出すみたいに便利グッズを次々出してはつかいまくれるんだな。そしてのび太もジャイアンもスネ夫もみんな、子供らしく自分とその周辺のことしかほとんど考えていなくて、目の前の出来事や願い事をなんとかすることで頭がいっぱいだから、そのおかげで、四次元ポケットが世界を揺るがすことなく平和に活用され続けているんだな。
 ドラえもんの登場人物のなかで似ているのは誰かなぁと考えたところ、私は、外のびた内ジャイアンだという結論に達した。スネちゃまとしずかちゃんにはそこまで感情移入できないけれど、のび太とジャイアンの気持ちは、すごくわかる。ドラえもんが言うところの「わがままでらんぼうでずうずうじくて」なジャイアン。やたらとリサイタルひらいて強引に自分の歌を聞かせたがるジャイアン。機嫌が悪いと当り散らすジャイアン。単純ゆえにへこみやすくて面倒くさい性格のジャイアン。オレはジャイアン。

 ドラえもんを読みながら眠ったからだろうか、不思議な夢をみた。不思議な注射の力によって、植物状態の祖母が一時的に目を覚まし、焦点の合わないままの目で、取り付かれたようにしゃべりだすのだ。口に管が通っているので聞き取りにくくて、それでもなんとか聞き取った内容は、倒れた日までに自分がやりかけだったことについてだった。あれがどこに置いたままだとか、洗濯をまわしたまま干してないとか、漬物が冷蔵庫の奥にしまってあるとか、おとといつくった煮物はもう食べてしまわんといけんとか、○○さんとこのズボンの裾上げがまだ終わってないとか、生協を頼んでもうすぐ届くけん、とか。私や母は、それを一生懸命に聞き取った。聞き取りながら、あぁ、人は日常のなかで、いろんなことをやりかけたままなんだなぁ、と、思った。そして、祖母が意識を失くした直後の、今後も祖母が日常を続けるようにしか思えない部屋の風景を、夢の中でリアルに思い出していた。洗濯機に入ったままだった洗濯物を、呆然とした状態でよろよろ干していた祖父の太い指まで、まざまざと思い出していた。
 その不思議な注射は、夢の中の看護士さんによれば、「この注射を首筋に打つと、現時点までの記憶が、絶対に薄れないものとして保存され、どんな事情があっても、忘れなくなります。そして、たとえ意識がなくても、人に話してきかせることができるのです」というような、すごい注射なのだった。おばあちゃんのこれからはもうないけれど、注射のおかげで、おばあちゃんのこれまでは保たれたんだ!と、嬉しくて、私も母も、その注射を打つことにした。その夢の中の私たちにとって、記憶の薄れていくことは何よりの恐怖だった。注射を打ったから、もう何が起こっても、今までの記憶は絶対的なものとして保存されるから、大丈夫だね!よかった!母と私は笑い合い、祖母は操られるように自分の生きた記憶のすべてを語り続けていた。電話番号をぶつぶついったりしていた。記憶力のよさを自慢にしている人で、電話番号なんかもしっかり覚えていたから。
 夢は、音楽のなかで覚めた。好きな歌を歌うことが、その注射の効き目をはやめることだったので、私はカラオケで歌をうたっていたのだ。エレカシの「夢のかけら」を歌っていたような気がする。歌のなかで目が覚めてパンをかじりながら、そっか、おばあちゃんが意識を失って今後もう自分で生きられなくなったことへの悲しさや無念さよりも、元気だったころにおばあちゃんが培ってきた記憶が、意識とともにあっというまに消えてしまったことへの寂しさが、私のなかでは今大きいのだなぁ、と、気付いた。お正月の茶碗蒸しに、手まり団子を入れたら私が喜んだのをいつまでも覚えていて、それから毎年お正月の茶碗蒸しには必ず手まり団子が入っていて、そのうえ毎回「ぱぴこが、好きと言ったが、おばあちゃんは、ちゃんと覚えとるけんっ」と、わざわざ記憶力の素晴らしさ主張までして、ちょっと呆れるぐらいだったというのに、急にその記憶を放っちゃうなんて、そりゃあ、孫としては、寂しいよ。もともこもないよ。手まり団子の件は、少なくとも死ぬまで覚えててそれを主張し続けるものと思い込んでいたんだから。あんなにも記憶を重視して暮らしていたくせに、そいつを一式放って眠りこけるなんか、そりゃあ、物悲しいよ。
 祖母の夢はよく見るけれど、昨日みた夢は、ちょっと異質で長く意識のなかに残っていた。記憶したこと全部、しゃべりたいのねおばあちゃん、代わりに私が書いていくから、まぁ、安心してすやすやしなよ。
by papiko-gokko | 2007-06-26 21:51 | Diary
キミにもちょっかい出させないよMY WORLD
 社内のあれこれの事情により、営業部内で席替えがあった。席替えなんて高校生ぶりぐらいなので、今日は一日ちょっと楽しかった。席替えの直後は、なんだか全部よそよそしくて、近かったものが遠くなったり遠かったものが近くにきていたりで、夢の中にいるように、視界がふわふわする。ここのところ、結構仕事が忙しい。暇すぎるよりは、ちょっと忙しいぐらいがいいな。

***

 誰一人として不快にしない文章を、一体誰が書けるのだろう。言葉は必ず発した瞬間、必ずどこかの誰かにとっては不快なようにできている。例えば、「今日はお仕事がんばりました。落ち込むこともあるけれど、明日もがんばります!」って爽やかに書いたとしても、誰かにとっては不快だろう。どんな巧みな嘘の言葉を書いたとしても、それが言葉である限り、どうせ誰かが不快になるのだから、それなら、ぎりぎりまで真実をぶつけたい。だけど恐くて、この日記で今日は誰を不快にするのだろうか、と思いながら、こうして自分の日記を更新する。
 こうしてブログとして自分の日記を公開するのは、言うまでもなく、誰かに読んでもらいたいと思うからだけれど、別に誰にでも読んでもらいたいわけじゃない。何かのきっかけでここにたどり着き、なにかしら通じるところやひっかかる共通点などを見つけて立ち止まってくれた人がいれば、そういう人に読んでもらえたら嬉しい、と、思って公開している。無理に不快感を抱きながら読んでもらいたいとは、まったく思わない。商品として売り出されている小説だって、何も不快になる人にまで無理やり読ませようとはしていないのだ。況やこれは個人のブログである。
 先日ミクシィをやめた。ミクシィなどのソーシャルネットは、基本的に知り合い同士の繋がりで、それは、文章などネット上で自分が公開しているものを通じて始まる繋がりではなく、相手の中にあらかじめ存在している私自体から始まるネットを利用した繋がりだ(もちろん、例外は多々ある)。ミクシィで私とネットの繋がりをもったことにより私の日記に触れた多くの人にとって、私のこんな日記は、不快でしかないだろう。ただひたすらに、うざくてめんどくさいだろう。あたりまえだ。これは、交換日記じゃない。近況報告じゃない。私は私なりに、この場をかりて、外の世界へ向けて、魂をぶつけている。そうして伝えたいのは、ぶつけた魂の音なのであって、魂をぶつけている私の実態実情現在じゃない。しかしそれを、読む人誰にでも求めるのは、単なる私のワガママだろう。そう思ったから、ミクシィをやめた。愛すべき知り合いを、愛すべき文章によって、不快にしたくなどない。
 毎日毎日、よくも懲りずに、同じようなことをぐずぐず書き散らかすもんだと、ちょっと離れた位置から冷静に眺めれば、私は随分気持ち悪いネット依存女なのでしょう。何を生み出すわけでもないのに、こんなにまで真剣に、毎日こうして文字など打って。検索エンジンの邪魔になるので、消えたほうがいいのかもしれませんねと思ったりする。でも、やめない。やめられない。書いていたくてしかたない。書いて書いて毎日書いていれば、たまには何かに触れられるかもしれないし、もしくはある日突然、文章を書くことを嫌いになって、苦しまずにやめることができるかもしれない。だから今は、やめられない。どんなに価値がなくたって、検索エンジンの邪魔者だって、書きたくて、毎日とにかく書き留めたくて、それを外側へ放ちたくて、しかたないから。そうすることでしか、私は私の毎日を真剣に考えられないから。魂をぶつけたのちの地響きでしか、自分の立ち位置を認知できないから。書かせてください。どうにもこうにも不快になる人は、どうぞ、見放してください。でも、不快にならないでいてくれる人やある程度の不快を許してくれる人は、どうか、見放さないでください。読んでくれる誰かがいてはじめて、ぶつけた魂が音につつまれる、つつまれてはじめて、ごくろうさまと、魂が眠気をつれてもどってくる。
by papiko-gokko | 2007-06-25 20:42 | Diary
バスの揺れ方で人生の意味が解った日曜日
 目を覚ますと同時に気分がねじれて俯いて、放っておけばせっかくの日曜日をただ鬱々と過ごしそうだったので、半ば無理やり、おでかけしましょう!と心を決めた。行き先は、『ちひろ美術館』。かねてから行きたいと思っていたのだ。
 雨が降っていたし、何度もやめようかな~と思いかけたけれど、なんとか気持ちを奮い立たせ、「なんか楽しい面白いこと起こりますように!」と唱えながら家をでたら、10歩も歩かないところで、6歳ぐらいの可愛らしい男の子に、「すいません!○×ランドはどこですか!」と、道を尋ねられた。あいにく私はそのランドを知らなかったので、「ごめんなさい知らないです・・」と答えたら、少年は困りきった顔で「うーん、○×ランドへ行きたいんだけれどなぁ・・・」とつぶやきながら遠ざかっていき、私がどうしたものかと少年の背中を目で追いつつおろおろしているうちに、すばやく別の大人を見つけて尋ねていた。しっかりした子だ。あんな小さな子供が、ひとりでランドへ行くのだろうか。謎だ。彼が無事に私の知らないその国へ到着しますように、そしてそこで素晴らしい思い出をつくっていますように。
 しっかりした大人と話をしている少年の姿を見届けながら曲がり道をまがったら、白いワイシャツに薄いジーンズという組み合わせをみごとに着こなした金髪白人美青年が、目の前にあるスーパーマーケット入り口のベンチで焼き芋を食べており、WOW!と思った。雨のなか、ベンチで焼き芋。そんな謎のシチュエーションさえもハリウッド青春映画のワンシーンみたいにしてしまうような白人美青年だった。
 家をでて3分弱のあいだに立て続けに面白いことが起こり、外の世界に圧倒された。出てみるもんだなぁ。私の家から『ちひろ美術館』へは、まず電車で数駅先の駅までいって、そこからバスに乗ることになる。始めてなので、ちゃんと調べていったつもりだったのだが、散々だった。まず、駅でバス止まる出口と逆の改札を出てしまい、駅員さんに頼んで改札を抜けさせてもらい、その後バスにはなんとか乗れたものの、今度はぼーっとしているうちに、降りる場所を間違えてしまったのだった。上井草駅入口というところで降りなければいけないのを、うっかり井草通りというところで降りてしまったのだ。降りてから間違いに気付き、知らない町でしばらく途方に暮れてから、コンビニを見つけてそこで道を聞いた。「ちひろ美術館へ、いきたいのですが、ここはどこなのでしょう」と尋ねたら、店員さんがすぐに優しく解りやすく教えてくださった。まったく私は、いつでもどこでも親切な人に助けられてなんとかなってばかりいて、一人じゃ到底生きていけない人間だなぁ。

 ちひろ美術館は、綺麗な緑に囲まれて立っていた。中は木を基調として作られていて、どこまでも心の和む場所だった。ひとつひとつが、いわさきちひろの絵の世界をきちんと意識して作られている。まずは、いわさきちひろの絵を一枚一枚眺めた。いわさきちひろ好きな母の影響で子供のころから親しんでいた絵が、たくさんあった。「ひさの星」の絵もあった。どれもこれもが、静かで優しい絵だった。特に子供の絵は、どこまでも愛らしくて柔らかで、抱きしめたくなる。
 いわさきちひろのアトリエが再現してあったり、写真や言葉の飾ってあるフロアもあった。いわさきちひろさんが生前に語った言葉の展示のなかに、こんな言葉があった。『大人というものは、どんなに苦労が多くても、自分の方から人を愛していける人間になることだと思います』。はっとして、何度も読み返した。私の知りたかったこと、見つけたかった言葉を、見つけたような気がした。自分から人を愛していける人間。愛されようとするのではなくて。
 私の本当の名前は、ちひろという。千尋の海のように深い心という意味と、そして、いわさきちひろの絵のような人になって欲しいという思いを込めて、名づけられた名前だ。ちひろという名前で24年間暮らしてきて、いつの間にか大人になった私は、いわさきちひろの絵のように、優しいかな。やわらかいかな。随分違う気がする。ちょっとのことで心が揺らいでとがってしまって、優しくないし、柔らかくない。そういえばいつだか実家でぼけーっと頬杖ついていたら、「いわさきちひろの絵みたい」と母に言われた。ぼーっとしていたら、母の言ういわさきちひろのような子に、なれるのか。でもおかあさん、今日ぼーっとしていたら、私はバスを降り間違えてしまったんだよ。
 館内には、いわさきちひろの絵だけはなく、日本の代表的な作家さんの原画も飾ってあったし、それから企画展として、アジアの絵本も展示されていた。観ることが出来て特に嬉しかったのは、『わたしのワンピース』と『いないいないばぁ』と『スーホの白い馬』。三冊とも思い入れのある絵本だから、感慨深くて長いこと見入った。それから、アジアの絵本のなかにあった、韓国の絵本『かあさんまだかな』の絵に魅了された。内容は最後まで解決しなくてぞくっとしたのだけれど、坊やが可愛いのだ。ちょっと滲んだような細い線で描かれている町の風景や人々も、よい。あの絵本、どこかで見つけたら欲しい。
 いわさきちひろの絵や、展示されていた様々な絵本作家さんの絵をみて、絵本を好きだなぁと思った。絵の隣には、作家さんの説明と共に、その作家さんがどこかで言った言葉や書いた言葉が抜粋して紹介されており、どれもが読み心地の言葉で、これからは文筆家の書く文章だけじゃなく、別の仕事をしている人の書いたエッセイや自伝をたくさん読もうと思った。

 居心地がよくて、ゆっくりゆっくり2時間ぐらいはいた気がする。最後はお土産コーナーで、ポストカードと、実家へのお土産を買った。そして帰り道、またしても地図が読めなくて道に迷い、人に聞いてしまった。その人も優しく教えてくださった。世の中、道をちゃんと把握している親切な人が多いなぁ。私もあの少年に、どこかのランドの場所を、教えてあげたかった。今日一日で少なくとも3人の知らない大人に助けてもらい、それでいてたったひとりの少年を助けられなかった私。あまりにも不甲斐ない。どうすればもう少しぐらい、しっかりできるのだろう。
 帰りのバスは、よく揺れた。窓から、小さな池と数台のスワンボートが見えた。こんな近くに、スワンボートのある池があったなんて、知らなかった。一度、あれにカップルで乗ってみたい。でも、恋人は絶対に、乗ってくれないと思う。誰も乗らない雨の日のスワンボートは、白さが光って際立ち、静かで秘密めいていて、いわさきちひろの絵に似ていた。

追記
今、少年に尋ねられたランドを検索したら、うちのちかくにある小さな公園のことだった。あの公園の名前なんて、知らなかったよ・・・ランドというからてっきり遊園地と思ったし。ごめんよ少年・・・雨なのに、公園で遊ぶつもりだったのかな。可愛い天然パーマの髪の毛が、濡れちゃったんじゃないの。あぁ、生むなら子供は女の子がいいと思っていたけれど、男の子も、可愛いなぁ。言動に、女の子にはない独特の真剣さがあって。かわいかったなぁ。ランドと名のつく公園まで、私が案内したかったなぁ。
by papiko-gokko | 2007-06-24 18:47 | Diary
あなたを思い浮かべひとり遊ぶ
 持っている優しさの種類は人それぞれで、それと同じように、隠された冷たさの種類もまた、人によってそれぞれ違う。冷たさの特徴はそのまま、その人のものすごく重視している部分、もしくは極端に無関心な部分をを示していると思うから、うっかり冷たさの表面に触れてしまうと、あ、しまった、と思う。

 稲葉さんの夢を見たので、ひとり稲葉祭りを盛大に開催した。まず稲葉浩志ソロライブDVDをかなり久しぶりに観て、それから去年のB'zライブジムのDVDに移り、映像を満喫したあとは、長い時間をかけて稲葉さんの絵を描いた。ソロとB'zのライブを立て続けで観てみると、やはりソロとB'zとでは稲葉さんの雰囲気が全然違うことに気付く。ソロライブの稲葉さんは自転車をこぐ悩める内気青年、B'zライブの稲葉さんはハーレーぶっとばす人生経験豊かなお兄さんという感じがする。松本さんのいないステージに立つ稲葉さんを安心して眺めていられないのはなぜだろう。B'zのライブDVDで、歌う稲葉さんのほうを観ながらギターを弾く松本さんが映った時、親を見つけた子供みたくほっとしてしまった。安心感のある人だ。居酒屋でいつも同じ席に座っている常連のおっちゃんみたいな安心感。いないとお店のバランス狂う。稲葉さんを安心して堪能するためには松本さんの存在がすごく重要なので、これからも稲葉さんを絶対に手放さないでください。
 稲葉さんの歌詞には、「もうひとりじゃない」という言葉がよくでてくる。「もうひとりじゃない」と思うということは、そのぶんだけ、「あぁ自分はひとりぼっちだ」と思うということで、きっと誰もが、あぁ自分は独りぼっちだなぁと寂しくなったり、あぁ自分は独りぼっちじゃない!と嬉しくなったりを、繰り返しながら生きているのだと思う。
 描いている途中で母から電話があり、何をしているのと問われたので、「稲葉さん眺めてお絵かきしとる」と答えたら、ひゃひゃひゃと笑われた。そして、先日母が岡山へ里帰りした際にたまたま稲葉さんがよく行く温泉に行ったことをワクワク自慢され、悔しくて仕方なくなった。なんでも、露天風呂の柱に小さく、直筆サインがしてあるのだそうだ。「娘が大好きなんですよー」と言ったら、サインの場所を教えてくださったらしい。そんな露天風呂、お湯に浸かる前にのぼせてしまうじゃないか。いきたいなぁ。。以上、楽しい稲葉祭りでした。ひとり祭りはとても楽しいので、今度はマサムネ祭りを開催しよう。
 そういえば、稲葉祭り開催中に判明したのだが、私のIPodに今はいっているB'zの曲数が、期せずして178曲だ。これからもこの数字を保とう。
by papiko-gokko | 2007-06-23 21:31 | Diary
あんなこといいなできたらいいな
 考える力が沸かなくて、欲望ばかりが具体的になっていくのだけど、これも夏のせいだろうか。物欲色欲独占欲、ひかえめなのは、食欲だけだ。一刻も早く体を夏に慣らさなくてはは、このままではこのままでは、重大な判断を誤りそうだ。大体、夏ばてになるのが早すぎる。がんばりなさい。

 藤子・F・不二雄氏の大人向けな短編SFを読んで、その恐い悲しい内容によって絶望的気分を味わい、「嫌だもう嫌だドラえもんが読みたいすごくドラえもんが読みたい」と面倒くさいことをぼやいていたら、恋人がドラえもんを買ってきてくれた。書店勤務の恋人をもつと、このような欲求が迅速に叶うのでとてもよい。
 ドラえもん、楽しすぎる。どこでもドアでどこでもいけて、タケコプターであたりまえに空も飛べるし、机の引き出しからタイムマシーンに乗り込めて、タイム風呂敷で壊れたものも元通り。あぁ、素晴らしすぎる。
 ドラえもん、こないかなぁ。私が一番欲しいのは、ダントツでどこでもドアだ。常に近くにどこでもドアを置いておけば、それが冷蔵庫のドアにもなって楽だし、お風呂もすとんと入れるし、会社もそのドアでいけるし、実家にもさらりと帰れるし、海外旅行も日帰りで、あ、どうしよう、いろいろ行ってはいけないけれども行ってみたいようなところへも行けてしまう!どうしよう!
 もっとドラえもんを読もう。子供のころからドラえもんは普通に好きで、同じビデオを、妹とゲラゲラしたりハラハラしたりしながら繰り返し見ていていたけれど、恐いSFを読んでからドラえもんを読むと、何か違って感じた。楽しい夢や明るい未来ばかりを考えていたのでは、ドラえもんは生まれてこなかったのだと思う。絶望の予感あってこその希望。とっても大好きドラえもん。

 歯医者だった。素敵歯科医が、髪を短くしていて、かすかにショックだった。きらないほうが可愛かったのにな。でも、見慣れると、それはそれで素敵に思えた。夏だものね。今日はまた麻酔レベルの治療で、辛かった。「緊張しないで~」「力をぬいて~」「そんなに恐がらなくても大丈夫だよ~」と、何度も言われた。かちこちだったみたいだ。だって心なしかこの前より乱暴だった気がする。もう三回目だから大丈夫と思ったのだろうか、歯医者なんて、何度目でも恐いもんは恐いんだ。今日は目を合わせて話すことができた。「まだもいっこ、虫歯があるんだヨー」と説明されたので、まだ歯医者通いは終わらない予定。
by papiko-gokko | 2007-06-22 23:06 | Diary
オトナになれよってボクを見下ろすけど笑えるよ
 家に帰ってからずっと絵を描いていた。ネクタイを緩める稲葉さんという、快楽全開の絵。最終的にアンバランスでへたくそな絵になったので保存しなかったけれど、妄想の世界にどっぷり浸かりつつその表層で現実的なことも漂わせて手を動かしていたら、心の中が静かになった。絵を描くことは、泉で水浴びをすることに似ている。言葉を書くことは、泉を掘ることに似ている。どちらも没頭の世界。

 だいたい私は、どうでもいいことをいちいち過剰に捉えすぎるからいけない。それで本質を見失い、やたらと「どうしよう!」を繰り返して混乱する。オーバーなのだ。大抵のことは、自分が思っているよりずっと、たいしたことない。「どうしよう!」と思いそうになったら、「べ、べつにたいしたことねーよ」、とむりやりにでも思いなおすように心がけよう。
 これは反省じゃない。ちょっとした軌道修正。なんとなく今は、反省なんていう安直な方法で、大人に近づいたような気分になりたくないから。しっくりいかなくなった部分についての、ちょっとした起動修正。不機嫌であればあるほど意地になるのだ。

 お気に入りの営業さんが、「ぱぴこさんももっと有給とりなよー夏休みとりなよー」と言ってくれた。嬉しかった。こんなぶーぶー文句たれの私を気遣ってくれる。有給、まだ今年15日ぐらい残っている。夏休みかぁ、とりたいなぁ。どうせまた実家に帰るんだけれど。まとまった休みは、全部帰省につかってしまう。旅行もしたいのだけど、どうしても。
by papiko-gokko | 2007-06-21 23:46 | Diary


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