日記と短歌
by papiko
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迷いなく生きてゆけたらいいのにね西日が爪を立てて沈んだ
 わからなくちゃ、わからなくちゃ、と精一杯に思考を巡らす。一体何をわかりたいのか、それすらわからないままで、ともかくわからなくちゃいけないと、焦る。本当は、大抵のことについてわかりたくなどない、物事の判断なんか、大人ぶってしたくない。どうしたって考えながら進んでいくしかないのならば、判断よりも、決意がしながら進みたい。

 どうもここのところ情緒が不安定で困る。自分で自分がわずらわしい。理由はなんとなくわかっている。何にも夢中じゃないからだ。人でも物でも行為でも、何でもいいからとにかく何かひとつに心を奪われ、憧れに胸を焦がし、心の90パーセントぐらいどっぷり染められていなければ、私は自分の感情のバランスをとれない。夢中なものがないと、夢中になっているときには見ないでいられた身の周りのありとあらゆる物事が、西日の角度でぬらぬらと五感に射し込んできて、ぎりぎり直視できてしまう程度に眩しく、すべての輪郭が必要以上に鋭さと鮮やかさを増して、いったい何をどう思えばいいのかわからなくなり、あれもこれもと混乱し始め、ついには何も手に付かなくなってしまう。私はたくさんの情報を一度に処理できないから、そんな自分の感情と視界を守る手段として、ひとつのことに夢中になり没頭しやすくなったのだと思う。それなのに最近、うっかり何にも夢中にならずにいた。新たな夢中になるものを、探さなくては。今年はB’zのライブがないから、恐怖の夏を稲葉さんに夢中になって乗り切るということもできないし、小説は夢中になればなるほどすぐに読み終わってしまうし、どうしよう。誰かに何かに心を奪われなければ、もう嫌だ、あれこれ鋭利で眩しくて、目を開けていられない。
by papiko-gokko | 2007-05-31 12:43 | Diary
あの人の望むようには生きられぬ体をもてあまして目指す海
 がむしゃらの思い込みと、強烈な衝動と、粘着質の意地。私の決意と行動は、大抵この三つの要素から成り立っている。本当は、ひとつひとつの行動について、もっとじっくり考えなくちゃいけないのだと思う。だけど立ち止まって考えたら、私は憂鬱に飲み込まれて、何もできなくなる気がする。立ち止まって考えれば考えるほど、すべてが大切すぎて愛しすぎて、そしてわずらわしすぎて、謝りながらしゃがみこんで死んでゆきたいような気持ちになっていく気がする。だから、思い込みと衝動と意地に頼って生きる。そうすれば、死にたくなんかならずに済むから。私は自分の命が好きで、死にたいなんて思いたくないのだ。けれど、そんな思い込みと衝動と意地に頼った行動は、しばしば周りにとって非常に突拍子もないらしく、困惑させたり振り回したりしてしまう。大人気ない。考えなければ。立ち止まるということを、覚えなければ。憂鬱に飲み込まれる覚悟を。

***

 「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気でいこう。絶望するな。では、失敬。」
 これは太宰治『津軽』の最後の文。思い通りじゃないことが重なるといつも思い出し、文庫をひっぱりだして読み返す。カッコいい。この切れ味、ナルシストぶり、たまらない。そして今文庫をぱらぱらめくっていたら、切れ味とナルシストぶり抜群の一文をもうひとつ発見した。姪から服装を「おかしい格好」といわれたときの太宰治氏の台詞。
 「ばか。これが、東京のはやりさ」
 かっこよすぎる。「ばか」のあとが、句点じゃなくて読点なのがまたなんとも艶かしい。これから何か笑われるたび言おう。
 「ばか。これが、東京のはやりさ。では、失敬。」

***

 昨日何かのテレビで出演者の誰かが、「会社って、演技する場所みたいなもんだからね」といっていて、ちょっと新鮮だった。そういえば会社では、演技している。電話対応なんて完全に演技だし、目上の人に対する態度も、言ってしまえば演技だ。演技の場だと思えば、いろいろと諦めがついて、楽しくもなるかもしれない。

***

 土日は積極的に外へ出ようと心に決めた。買い物はお金がなくなっていけないので、都内のいろんな美術館や原画展へ行こうと思う。今まで、友だちに誘われなければいかなかったけれど、自分から探していくつもり。大学のころは、芸術学部だったから、自分から何もしなくても、なにかしら芸術っぽいものや芸術家っぽい人を感じながら日々暮らすことができていた。けれど今は、自分からふれようとしない限り、芸術なんて程遠い、現実的で物質的な毎日にいる。なんでもいいから、誰かが全身全霊を込めて創ったものを観たい。芸術とは何かなんてわからないし語れないけれど、大学時代を思い出したとき、ともかく全身全霊かけて何かを創ること、内側を形にするためにどこまでも血眼になれること、そういうのが芸術っぽいものかなぁと、漠然と感じている。
by papiko-gokko | 2007-05-30 23:18 | Diary
石川啄木と歯科医が素敵であった
昨晩、寝る前に石川啄木の日記を読んだら、なんだか気持ちが落ち着いた。ブックオフで手に入れたハードカバーの立派な全集で、短歌だけでなく、日記や論文なども収録されているのだ。本当は短歌を眺めるつもりで開いたのだけれど、開いたページが短歌ではなく日記のページだったので、なんとなく目を通しているうちに、どんどん気持ちが落ち着いた。
 きちんと日記をしている日記って、いいなぁと思った。その日の出来事と、自分の気持ちと、日常的な覚書の綴られた、飾り気のない日記。そこには石川啄木という人が生々しく息づいている。書かれている出来事のなかにいる彼と、そしてその出来事を書いている彼の姿を浮かべて、親近感を覚えたり、圧倒されたりした。一日は誰にも等しく与えられていて、それぞれがそれぞれに一日を区切りつつやりくりしている。その無数の一日のうちのひとつに石川啄木の一日があり、その一日が書き留められているということの貴重さ。一日一日の日記から、石川啄木という人の生きた形跡を、強く実感できた。
 昨日は日記のほうが心地よくてそのまま寝てしまったのだが、今日は、短歌も読んだ。そして、あぁ短歌っていいものだな!と思った。最近短歌に少し辟易していたのだ。狭い空間で気難しい言葉どうしがせめぎあっているような感じがして、詠むのも読むのも、イライラした。短歌は言葉のせめぎあいではなくて、鼻歌と叫びの延長。少なくとも私が好きだと感じるのは、そんな歌だったと、石川啄木の歌にうっとりしているうちに思い出した。日記を読んでから短歌を読むと、石川啄木の歌が、日常と追憶から生み出されていることもよくわかった。だから歌にも、生きてきた軌跡と生きている実感があふれているのだと思う。すごいなぁ、さすがだなぁ。にじむ哀愁。短歌を嫌いになりかけたら、いつも石川啄木を読もう。
 
****

 歯医者に行ってきた。奥歯のつめものが取れてしまったのだ。新しいつめものをしてそれでハイ終了になるとばかり思っていたのだが、つめものの下で思いのほか虫歯が進行しており、まさかの麻酔レベル治療となった。虫歯の写真を見せられたあと「麻酔を打ってやるけどいいよね?」といわれたときには、ちょっと泣きたくなったけど、ほがらかにがんばった。歯科医さんが、かっこよかったから。若くてメガネで白衣で細くて親切で、それでいてどこか人を小ばかにしているような雰囲気を醸し出していて、非常に好みだったので、キュインキュイン削られても、麻酔でうがいが上手にできなくても、がんばった。削りながら何度も、「大丈夫?」と「もうすぐ終わるよ、大丈夫!」を繰り返してくださって、大丈夫という言葉が好きな私は、それだけでキュインキュインも麻酔も平気になった。助手の女性もすごく優しい人で、治療をそばで細かく説明してくださって、ねぎらいの言葉もかけてくださって、助手さんの声が聞こえるたびに恐怖が和らいだ。
 キュインキュイン治療から二時間たった今も、麻酔が効いていて、うまくしゃべれない。不快だけれど、これはあの素敵歯科医さんのかけた魅惑の魔術と思えば耐えられる。私が歯科医さんのすごさを言いふらさないように、しゃべれない魔術をかけたんだ。次は来週の金曜日だ。キュインキュインもうしたくないけど、歯科医さんが素敵なのでがんばろうと思う。類まれなる我慢強い女性だ!と思われたい。
by papiko-gokko | 2007-05-29 21:34 | Diary
日記
 会社へいくと、やっぱり気持ちがしぼんだ。学生時代だって別に学校が楽しくて仕方なかったわけじゃなかったはずなのに、どうして今ほどぐったりしょんぼりした気分ではなかったのだろうかと考えた結果、そこに好きな人がいたからだ!と気付いた。どんなに学校がつまらない日も、教室もしくは部室へいけば、そこに好きな人がいた。だから私は、ぐったりしょんぼりすることなく、会いたいという一心で学校へ通うことができたのだ。眠たい朝も『偶然自転車小屋で会えないかなーふふふ』と軽やかに自転車をごけたし、難しい授業中も『偶然私の夢をみていないかなふふふ』と眠りこけている横顔をスケッチできたし、疲れた放課後も『偶然帰る時間がかぶらないかなふふふ』とときめくことができたのだ。相当にイタイ子だったけど、そのおかげで大丈夫だった。ところが今は恋人と暮らしていて、会社には好きな人がいないので、当然家のほうがよくなってしまう。稲葉さんが上司だったらいいのになぁ。稲葉さんが上司だったなら、残業だって厭わない。

 ZARDの坂井さんの死に、ショックを受けた。強い思い入れがあったというほどではないけれど、ちょうど自分が曲をきちんと聴き始めたころからでてきたアーティストで、自分の気持ちと歌詞とを重ね合わせながら聴いたことも、日常のなかで幾度となくあったし。なんだか信じがたい。そんなことってありうるんだな。自分のよく知っているアーティストが突然に亡くなってしまうなんてこと、現実にありうるんだなぁ。もし自分の思い入れの強い人が亡くなってしまったら、私はどれだけ落ち込むだろうか。計り知れない。悲しい。人が死ぬこと、それを受け止めなければいけないこと、人の死は、この世で一番の、物悲しい出来事と思う。

********

 祖母が病院を移るという。法律かなにかで、3ヶ月以上同じ病院へいてはいけないと決まっているのだそうだ。今は呼吸器がはずれて自発呼吸をしており、もう完全な植物状態となっている。延命治療はしないという方向で、決まっているという。祖母はこのまま、体が死ぬまで生かされるだけの存在になった。意識は戻らない。奇跡は起こらなかった。
 今日から何度かで、祖母のことを書こうと思う。薄れてしまうまえに。すでに私のなかで、祖母はもう随分昔から意識をなくして眠っていたような感覚になりつつある。しゃべらぬ祖母の物悲しさに、慣れてしまっている。祖母に意識のないことについて、完全に違和感の消えてしまうまえに、私のなかにある、意識のあったころの、自らの意思で生きていたころの祖母のことを記したい。さぐりさぐりで、キレイにまとまっているような文章はかけそうにないけれど、とどめておきたい祖母の姿を探して書きたい。

祖母のこと1
 子供のころに一度、祖母の女学生時代の写真を見せてもらったことがある。確か、古いクッキー缶のなかに入っていた。集合写真の一列目真ん中あたりで、女学生の祖母が気の強そうな口元をして、きゅっとした目でカメラのほうを見ていた。女学生の祖母が写っているという事実がおかしくて、私はけらけら笑った。祖母も笑った。気の強い女の子で男の子たちに恐れられていた言うのを聞いて、ますます笑った。それが私の記憶にある、一番若い祖母の姿。
 私は一番最初に生まれた子供なので、祖母は、私の生まれた日からおばあちゃんになった。生まれたばかりの私が、写真のなかで幾度も祖母に抱かれている。ちょうど私が物心つくころから祖父母との同居が始まったのだが、どのあたりから祖母の記憶があるのかははっきりとわからない。なんとなく一番最初に覚えたであろう印象として残っているのは、紫陽花柄の青い前掛けと、曲がった肘。祖母の両肘は、若いころに売ったリューマチの注射のせいで九十度に曲がったまま固まってしまっていて動かない。だから手をだらんと下に下ろすことができず、いつも手を前掛けのあたりで組んでいた。そうするととても、しゃんとして見えた。実際いつもしゃんとしようとしていた人で、肘が曲がらないなんてさぞかし不便だったろうに、そのことについてたまに「手が伸びんだけんやりにくて!」と苛立ちはしても、それを理由に何かを諦めたり同情を買おうとしたりしているのは、一度も見たことがない。
by papiko-gokko | 2007-05-28 23:28 | Diary
痛みのない時間がきて
 楽しい日曜日を過ごした。日曜日は、こうでなければっていうような、楽しい日曜だった。

 昨日は恋人とケンカをして、午前4時まで及ぶ論争の末に仲直りした。私は別れ話ぐらいの心意気でケンカをふっかけたのだが、恋人に敢え無く論破され、最終的に、よって別れる意味がないという結論に着地させられたのだった。意味が分からない。彼に理屈で攻められると、なんかそんなような気がしてきてしまって、最終的に、同意してしまう。腹が立つ。彼の屁理屈の途中で、「君は主観的なようでいて、実は自分を客観視することに没頭しているだけだ」というようなことを言われ、頭が極度の混乱状態にありながらも、なるほど確かにそうかもしれないと思った。

 仲直りをしたので、今日は吉祥寺へ行った。最近恋人がにわかに手芸に目覚め、それを友だちに話したところ、吉祥寺にいろんな手芸用品屋さんがあることを教えてくれたのだ。吉祥寺には本当に手芸用品がたくさんあるお店があって、見ているだけで楽しかった。布や綿やビーズや糸や、未完成の材料が色とりどりで売られていて、一体これはどんなふうに使われるんだろうかと想像しているだけで、楽しくなった。
 あらゆる手芸品のなかで私が一番心を奪われたのは、ボタン。私は洋服を買うときにもボタンの感じで選んだりするボタン好きで、ボタンがずらーっと並んでいるコーナーを見つけた瞬間、あまりの可愛らしい光景に、ひゃへほと奇声をあげてしまった。ボタンはいい。小さなボタンひとつの中で、しっかりと個性が完成完結していて、それでいて、ありとあらゆる可能性を秘めている。洋服のボタン、帽子のボタン、見えるところのボタン、見えないところのボタン、一番上のボタン、真ん中のボタン、いつも外されているボタン・・・どんな場所でどんなふうに使われようとも、ボタンはボタンのままで、使われた場所や使用法に従いつつ、しっかりボタン独自の個性と存在感を発揮する。四角いのも丸いのも、木製のもプラスチックのも透明のも、全部好き。曇りのない個性と無数の可能性、ボタンはまるで幼児のようだ。
 ボタンの次にうっとりしたのが、アップリケのコーナー。アップリケもまた、それだけで独自の存在感と個性を発揮していて、それでいて無数の可能性を秘めている。付け方次第で、可愛らしくもシンプルにも奇抜にもなる。恋人が綿や布やビーズなどいろいろ本格的なものを買い揃えていくのに付いて行きながら、私はボタンふたつとゾウのアップリケだけ選んで買った。ハイレベル不器用な私には本格的な手芸なんて絶対できないけれど、ボタンやアップケをちょっと持ち物に付けるぐらいなら、できるかなーと思って。アップリケは、アイロンでくっつくのだし、できるかも。

 吉祥寺で手芸品を買ったあとは、急遽、昨日夕食をご一緒した友だち夫妻と、私と恋人と、ちょっと二時間ほどお酒を飲んだりした。昨日友だちと旦那さんとご飯を食べたという話を恋人にしたら、一緒に飲みたい!と言うので、友だちにその旨をメールをしてみたところ、OKをもらえたのだ。私は結婚式の日以来友だち夫妻のことが大好きなので、恋人も加えて4人で一緒に飲んだりできるようになるなんて、夢みたいな出来事だ。そんなことをできる年齢になったことが嬉しい。全員同じ大学の同じ学部出身者なので、それだけでやはりなんともいえず心地よいし。東京きてよかったと感じた瞬間ベスト5に入るぐらいの、貴重なひとときだった。東京大好き。昨日はもう田舎帰ろうかとまで思いつめたけど、やっぱり東京にいる。

 明日からは仕事で、昨日までは絶望的に仕事にいきたくないと感じていたけれど、今日とても楽しく過ごせたから、もう大丈夫だ。やはり、私が意味不明な意地をはってリフレッシュしようとしなかったから、会社と家との往復だけの毎日に勝手にどんどん飲み込まれてしまって、閉塞感を感じてしまっていたのだと思う。休日は、積極的に出歩こう、そして趣味を増やそう。
 吉祥寺で、会社で使う用の、スヌーピーの「℡ありました」スタンプも買ったし。電話の取次ぎの際、取り次ぐ相手が不在だったり電話中だったりした場合、メモ用紙に℡ありましたと書いて渡すのだが、先輩はそれに可愛いプーさんの「℡ありました」スタンプを使用していて、私も欲しい!とずっと思っていたのだ。嬉しい。アヒルクリップのように破壊しないよう、大事に使おう。
by papiko-gokko | 2007-05-27 22:40 | Diary
不器用なのかダラしないのか心が弱いのか
 さまざまなことが容赦なく重なって、久々ずっぷり打ちひしがれていたら、ひとりの友だちから「ぱぴこにハガキを送ったよ」と可愛いメールが届き、それからもうひとりの友だちから、「遊びにこない?」と誘いの電話がきた。遊びに行ってしばらくしたら、旦那さんがお仕事から帰って来て、3人でよるご飯をいただいた。2月に結婚式をあげて私に結婚式初体験をくれた、新婚夫婦さんなのだ。旦那さんと友だちは、ドレスとタキシードのときも素晴らしくお似合いだったけれど、私服同士でもやっぱりとてもお似合いで、それに友だちのお腹は大きくて、ふたりとちいさなひとりと一緒にご飯をたべたら、ギスギスしていた気持ちが、なんともふかふか幸せになった。夫婦っていいな、家族っていいな。私もあんなふうに、生まれたときから家族だったんだなぁ。今はもう家をでていて金銭的にも誰の家族でもなくなっているけれど、また、家族になりたいなぁ。あんなふうに家族をつくりたい。ふかふか家族。
 素敵な友だちがいて、私は幸せものだ。泣けてくる。大好きだ!と切実に思った。大好き、という思いだけは、いつも切実だ。いろんな感覚がぼやけているような今でも、その思いだけは切実だ。大好きという思いだけは、いつまでも切実であればいいと思う。大好きの生む切実さが、生きる気持ちを高めてくれる。大好き大好き。もうすぐ届くハガキも、夏に生まれる赤ちゃんも、大好き。

 生活を共にするということは、それだけ相手に何かを求める場面が増えるということで、求める場面が増えるということは、不満足の場面が増えるということで、好きになるきっかけよりも、嫌いになるきっかけのほうが増えていく。肥料をやりすぎた花壇の雑草みたいに容赦なく。これからもずっと好きでいる自信がないとは思わないけど、ただ、好きでいる気力がない、とは、思ってしまいそうだ。生活しながら、夢を追いかけながら、なおかつひとりの人を好きでいるには、相当の気力がいる。無理かもしれない。いくつものことをいっぺんにできない。生活や夢を守るために、憎んでしまいそうになる。
 無理かもしれない気持ちになって、別れの場面を考える。私は今の恋人と付き合うまで片思いばかりしていて、恋愛経験が限りなく乏しいので、告白の経験はあっても、別れ話の経験がない。どんなものだろうかと想像して、想像しているうちに現実味をおびてきて、悲しくなる。失いたくないけれど、繋ぎ続ける気力も果てて、途方に暮れる。易しく優しく歩きたいのに、リズムが崩れてしまって、どんどん気難しくなる。付き合い始めたころのことなど、やたらと思い出したりする。私と付き合うまえに恋人を彼氏にしようとしていた腹の立つ女や、別れたのち恋人が次に付き合うどこかの知らない女に、殺したいほどの嫉妬をしたりする。無理かもしれない、どちらにしたって、私には、満足なことなど、無理なんだ。ピーターパンか、乱馬か、面堂くんか、稲葉さんか、マサムネさんか、私を好きといってくれた人が、私を迎えにきてくれたらいい。

 何かがうまくいかないと、あれもこれもうまくいかなくなり、死にかけの金魚みたいに、音楽をパクパクむさぼります。
by papiko-gokko | 2007-05-26 23:37 | Diary
悲しみを湯せんにかけて泡立てる あなたを責めて泣けばよかった
 すばやく断ち切らなければとか、なんとか繋ぎ続けなければとか、ともかく突っ走らねばとか、日々のすきまで様々な問題と思いが湧き上がっては薄れ、それらがどれひとつとして切実ではないことが、もっとも切実な問題として残る。どれひとつとして切実ではないから、どこへも放たれることのない中途半端な問題と思いがだんだん体に積もってきて、その重さで私はずぶずぶ現実に食い込んでいく。そして食い込むごとに視界が狭まり、目の前のことしか見えなくなってきて、気を抜くとこのままここに根を張ってしまいそうで、必死に暴れる。留まる気はない。根を張れば、この場所の養分で花が咲いてしまう。そんな不本意は花は、咲いたところでむしりたくなるだけで、困る。

 くだらなくつまらなくなっていく自分を実感している。なんだかんだで会社に日常を飲み込まれていて、用なしの自意識を持て余して、家でも会社でも、眠たがってばかりいる。うとうと眠って、欲しいものの夢をみて、それでいて目を覚ませばもう、その詳細を忘れている。

 大学生のころだって、やっぱり私は退屈だった。授業もほとんどが眠たかった。だけど、今感じている退屈とは、何か種類が違った。教室で頬杖をつく退屈と、会社で貧乏揺すりの退屈。ひらいた手にとめどなくふりそそぐ時間と、むすんだ手からすらすらこぼれていく時間。学生時代は、砂時計の下側、砂の降り注いでくるほうの時間間隔のなかにいた。今は、砂時計の上側、砂のするする減っていくほうの時間間隔にいる。大学時代、呼吸が苦しくなるほどに降り注いでいた時間が、今、すらすらと、意図せぬままに、奪われていく。頬杖の退屈は、もったり溢れる思考を支えていた。貧乏揺すりの退屈は、芽吹きかけの思考をつぎつぎ踏み潰す。

 ほら、いろんなことをこうやって、書くには書くが、書き終わって読み返してみれば、さして切実でもなくて、どうでもいいことなんだ。どれもが解決しようというほどの、強い思いでもないんだ。そうか、つまり、これは愚痴か。どこまでも、くだらなくなっていく。もっと日常のことや外側のこと、たっぷり豊かに切実に、感じていきたいのだけれど、集中力がない。いろんなことが気になっている。悪いのは状況じゃない、私の気分。要は、休日を利用して積極的に気分転換をすればいいのだ。しかしどうもその、休日を利用して気分転換っていういかにも都内OLな感じが、なんか癪に障って、意地でも気分を転換させたくなくなってもくる。普段大人しくしてるぶん、こうして変なところで無駄に自己を主張し始める。手に負えない馬鹿。そんなわけで、明日は気分転換に外へでようと思います。主に、はしかの予防接種を受けに行ったりとかします。東京ではしか大流行というニュースを見た親が絶対受けなさいというので、親を安心させるためにもうけます。実際なんだかとても恐い症状のようで、私は恐がりなのでうけておきます。

 わざと悩もうとして悩んでいるだけなんじゃないのと、本当にはそんなに悩んでいないでしょうと、思うでしょうか。あたりまえです、ただ、意識的に悩むことぐらいでもしなければ、どんどん腑抜けていくばかりで、自分の理想とか苦痛とかを見失いそうで、恐いから、それが人から見れば非常に無意味でうっとうしい行動であろうとも、悩もうとして悩みます。そうして方々で悩んで解決案をあちこちに生みつけたまま放置して、誰かが正してくれるのを、または肯定してくれるのを、待ってます。
 
 ジャパハリネットを聴いている。グリグリ元気がでる。すごく、よいです。3枚アルバム聞いたけど、今のところはやはり「現実逃走記」が、一番好きだなぁ。

 短歌を詠もう。氷をひとつつくるみたいに、一日一首、ともかく詠もう。自分なりに一日を、そんなふうにして、かたちづくろう。ならべていこう。
by papiko-gokko | 2007-05-25 21:44 | Diary
世界が見えるのは受話器からだけなのさ
 玉ねぎとネギをしばらく放置していたら、玉ねぎが人差し指ほどの芽をはやし、ネギが花を咲かせていた。野菜が成長していると、ぞくっとする。生気が恐い。土を離れ食材として人の手に渡ってもなお、生き続けようとする自然の力が、底知れなくて気持ち悪い。完全な死体としてパック詰めで売られている魚や肉よりたちが悪い。植物は動物と違って様々なことに気を取られることなく、ただ生き延びることにのみ命の全てを注げるので、どんな状況に置かれようとも、あくまでも成長しようとする。それを今日は、うっとうしいと感じた。
 
 明日でやっと一週間が終わる、今週はひときわ長かった。会社で自分のアホな間違いを穏やかに指摘され、自分の駄目っぷりに腹が立って、イライラしてメモ用紙をちょっと乱暴に引きちぎったら、メモ用紙を止めていたアヒルのクリップが大破した。がちょんとチャチな音を立てて、目とクチバシがぶっとんだ。去年働き始めたばかりのころ。少しでも会社での時間を楽しく過ごそうと思って東急ハンズで買い求めたクリップだ。直るところまでなんとか直したけれど、ぶっとんだきり見つからないパーツもある。こんなものは、買わなければよかった。
 仕事中は、かかってくる電話だけが、外の世界を味わう手立てなので、受話器から届く声のその背景の雑音を、無意識に聞こうとしている自分がいる。遮断機の音とか、別の人の話し声とか、町の喧騒とか、そういうものがほんのわずかでも聞き取れると、ちょっと景色を分けてもらったようで、つかのま楽しい気分になる。
 だけどそういえば今日は、ちょっと久しぶりに電話口で怒鳴られたりもしたのだった。電話口で意味不明に怒鳴られるのにはもう慣れて、電話中も冷静でいられるのだけれど、電話を切って我に返ると、手足が震えていて、喉元が火照り頬がひきつっている。頭の中は、本当に平気のはずなのに、どうしてだろう。思考と体がバラバラだ。大体昔から、恐いことや悲しいことが身に降りかかると、思考よりも体が先に反応する。涙が出てきて、ああそうか私は悲しいんだなと気付いたりする。

 ジャパハリネットのアルバムを4枚借りる。どうやら今のところ出しているのはこの4枚らしい。今流しているのは、「現実逃走記」。いい、題名からしていい。CDと一緒に見たかった映画も借りたし、昨日図書館で借りた本たちも今回はなかなか当たりが多い気配だし、今、スピリチュアル的に、よい作品に出会える運気がきている気がする。もりもり取り入れなければ。何を聴いても何を読んでもしっくりこない時期も結構あるので、この時期は非常に貴重。
 今日はテレビも収穫だった。「アメトーーク」に、ヘリクツ芸人ということでおぎやはぎと劇団ひとりがでていて、相当おもしろかった。おぎやはぎと劇団ひとりは、私の大好き芸人さんなのだ。そうか、私は、ヘリクツな人が好きだったのか。
by papiko-gokko | 2007-05-25 00:31 | Diary
退屈が忌々しい
 うんざりするほど長い一日だった。労働しているというよりも、時間を売ってお金をもらっている感じ。自分のタイムカードを眺めながら、『モモ』にでてくる灰色の男たちを思い出した。私は葉巻を吸わない代わりに、激甘のミルクキャンディーを次から次へと口へ放り込んで、自分の時間間隔を操作している。口の中が甘い間だけは、ちょっとだけ時間の流れが速い気がして、つい舐めすぎる。退屈なのだ。仕事が忙しい日も忙しくない日も、どちらにしても退屈で、そんな時間がもったいなくて苛立つ。退屈してお金がもらえるなんて、楽で素晴らしい。願ったり叶ったりの状況のはずだ。それなのに、なんだかうんざりしてしまう。個性も考えもまったく必要とされず、あくびを噛み殺しながら誰が目を通すのかもわからないグラフを作る私の日々を、誰が認めてくれるのでしょう。あ、そうか、お給料が認めてくれるんだ。あさっては給料日、売った時間の返却日。
 時間を売ったお金で、洗い桶を買おうと今日お店にいったら、値段が割としたので、踏み切れなかった。僕はもう灰色の男たちなので、無駄が恐くて仕方ないんだ。
by papiko-gokko | 2007-05-23 22:02 | Diary
意味があろうとなかろうと想えるように生きたかった
 身近なよき理解者に、ある日の日記を、しらじらしいと言われた。そんなふうに感じようと意識して無理やりそう感じているだけで本当は別にそう感じていないんじゃないのと、言われた。腹が立った。そして何を今更と呆れた。
 人に読んでもらうことを意識しながら書いている日記である時点で、どうしたってどこかしらじらしさが混ざるに決まっている。私の一日なんて、大抵の日はなんてことなく過ぎていき、ただ会社に行って帰るだけの単調な日々で、そんな毎日を、それでも文章にして留めておきたいと思えば、無理やりにでも感じようと想いを巡らせるしかない。そうしなければ、何も確かな感覚として残ってはくれないのだ。
 意識的に感じ考えた事の全てはどこかしらじらしく、それを言葉にして自分の外側に出していけばいくほど、ますますしらじらしくなる。それでも、感情を燃料にすることでしか私は突き進んでいけないから、言葉にすることでしか物事の性質を理解できないから、無理やり感じようとした結果沸きあがったにすぎないかもしれないそれを、真実の感情だと思い込んで、燃料にして、言葉にして、一日を私なりに意味あるものに成り立たそうとしている。それをしらじらしいというただ一言で表されてしまうのならば、愛することも憎むことも、いよいよ嫌になってくる。私の嘘つきは、今に始まったことじゃないというのに。いざというときには平気で嘘をつける人間だと自分で認識しているからこそ、日記を公開できているのに。

 ジャパハリネットがよい。ネットでいろいろ聴いたり歌詞を読んだりして、どんどん好きになる。早くアルバムを入手しなくては。今日ネットで聴いた中では、「物憂げ世情」(歌詞)(youtube)と「金色の螺旋」(歌詞)(youtube)が好き。この人たち、愛媛出身らしい。バンザイ西日本。狂気が咲いた~、うん、咲いたわ。
 そして、ジャパハリネットを聴いているうちに、アジカンへの想いも再沸騰。「リライト」(歌詞)(youtube)とか聴くと、スカッ!!とする。youtubeで君という花のPVもみつけたので、繰り返し見る。このころの後藤さんは学生だったのころの恋人の雰囲気になんだかよく似ているので、懐かしい気持ちになる。いってきますただいまじゃなく、やあこんにちはじゃあまた明日の間柄のころ。
by papiko-gokko | 2007-05-22 21:16 | Diary


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