日記と短歌
by papiko
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見慣れない色に包まれていった
 桜が、あっけにとられるほど咲いている。今日1日暖かかったので、一気に花開いたのだろう。今週末はどこも、花見でにぎわうだろうなぁ。桜を好きになったのは、東京へでてきてからだ。なぜなのだろう。土日に友達が泊まりにくるので、花見にいこうと思う。今のうちに見上げとかなければ。来週にはもう散りはじめてしまうなんて。あぁ、毎年のことながら、はかない。まもなく散ってしまうのだと思うと、見上げても見上げても十分じゃない。

 明日は月末、そして年度末。忙しいに違いない。今日もそれなりに忙しかった。締めくくり、ともかく失敗せぬようにがんばろう。そして桜をくぐって、わからないことだらけのままで、社会人2年目に突入だ。
by papiko-gokko | 2007-03-30 01:23 | Diary
その後のストーリー分け合える日まで
 日に日に桜が咲いていく。まだ裸の木だったころから桜の季節を想って見上げていた木もあれば、咲いて初めて嗚呼この木も桜だったかぁと驚かされる木もあって、毎日通勤の時間が楽しい。これからしばらくは、桜色の街の住民でいられる。去年買ったお気に入りのスプリングコートも出したし、私の大好きな季節、ついに到着。昼間、会社の給湯室に入り込んでくる日差しが香ばしい。こんなにいい天気なら毎日毎日布団を干したいのに、会社に行くから干せないよ。
 会社からの帰り道、恐ろしい金額の請求書を桜並木のポストに投函して、ぼーっと桜に見惚れつつ歩いていると、ふいに視線を感じた。なにげなくそちらへ目を向けたら、なんだか知った顔の男の人が、私の顔を見つつ自転車で通り過ぎていく。数秒ぐらい目があい、完全にすれ違ってから、誰だっけ誰だっけと記憶を辿り数歩歩いたところでようやく思い出した。大学生のころアルバイトしていたお蕎麦屋さんの、常連さんだ。確かよく、家族で食べにきていたような気がする。彼が私の顔をかすかにでも覚えていたのか、はたまたただ桜を見上げている私が変態っぽかったから見ていただけなのかはわからないけれど、思わぬ懐かしい人と桜のしたで視線を交わすなんて、なんだかそれっぽくて素敵だ。
 懐かしいなぁと思いつつ道を一本まがったら、建物と建物の間からちょうど夕日が見えて、それがまた、とろりとした紅色の春らしい夕日で、何かのヒロインになった気分がした。桜はどんな出来事もそれっぽいエピソードに変え、夕日はどんな背中も主人公に見せる。春は、どぎつい魔法に満ち満ちている。

 今日は会社があまりにも忙しすぎて、テンションがあがった。ある程度忙しいとイライラし、もっと忙しいと泣きたくなり、それを越えると笑えてくる。アハハハハ御社様のFAXが大量すぎてゴミのようですーと心の中ではしゃぎながら必死で片付けた。営業所へ電話をかけたらそちらも忙しそうで、二人で問題をひとつ解決したときは、意味不明に嬉しくて、お互いヨカッタヨカッタアハハハアハハハ笑っていた。駄目だし食らっても落ち込まない、薄ら笑いの根性でゆく。アハハハハアハハハアハハハ。

 私が現在よりも未来よりも過去を愛しやすいのは、私が忘れっぽい人間だからだと思う。先を見通す力の乏しい私に未来は愛しようがないし、現在はめまぐるしくてリズムとか気持ちを保つので精一杯で、愛せない。だけど、過去はもう終わっていて安心だし、都合の悪いこと全部忘れちゃっているから、へらへらといつまでもどこまでも愛せる。自分にとっての辛い過去さえ愛しているのは、辛い過去の一番辛かった箇所を、都合よくごっそり忘れているからだと思う。もしも私が、自分にとって都合の悪い過去を何一つ忘れていなかったら、恥ずかしくて恥ずかしくて、何処にもいられないに違いない。忘れっぽくてよかったー。たぶん、自分が思っている何倍も、私は悪人。

***
今日頭をぐるぐるしたフレーズ
旅人」スピッツ 
ぐったり疲れた だからどうしたこのままじゃ
ひっそり死ぬまで空を食ってくだけの道
by papiko-gokko | 2007-03-28 22:04 | Diary
バルス
 宮崎駿の密着ドキュメンタリーを観た。ジブリ作品の影響をもろに受けながら育った世代なので、私のなかで宮崎駿という人は、魔法使いみたいな存在感だ。実際ドキュメンタリーのなかでペンを走らせている宮崎駿氏は、まさに魔法使いだった。まったくどうしてあんなふうにペン一本で新しくて懐かしい世界を描き出せてしまうのだろうと、ため息が漏れた。だけど、絵を描いていない場面の彼は魔法使いという感じではなく、可愛かったり気難しかったり、子どもっぽかったり哲学者だったり、一緒にいると相当疲れてしまいそうな、天才肌のちょっと変わったおじいさんだった。
 それに、ペンを握っているシーンにおいても魔法使いの時間は実はすごく少なく、ほとんどの時間うまくいかないなぁこれは違うなぁとイライラ悶々悩んで過ごしていた。意外だ。宮崎駿クラスともなれば、物語がどんどんあふれてくるものなのだと思っていた。シーンひとつひとつをあんなにも悩んで悩んで描きあげているからこそ、あんな印象深いシーンがいくつも生まれるんだなぁ。目がぁぁ目がぁぁぁ!とか、ほら、恐くない・・とか、モロめ、首だけで動きおった!とか、まっすぐ飛びなさい!燃やしちゃうわよ!とか、とか、とか。
 「もう十分に名声を得たのに、なぜ映画を作り続けるのですか?」というインタビュアーの質問に対して、宮崎駿氏は呆れたようにこう答えた。「そんなもん、映画を作ることで自分が存在しているからに決まっているじゃないですか」。カッコいい、かっこよすぎる!そうか、そうなのか、だから誰しも、理屈を越えてやめられないことというものがあるのか。自分がこの世界に存在しているのだということを認識するための手段。どうして文章をかくの?どうして短歌を詠むの?と、何度も何度もぼんやり自分に問っては暗がりに放ってきたその答えが、フラッシュをたかれたように一瞬パッと浮かび上がった。
 「僕は基本的に不機嫌でいたい人間なんだよ。でもそれじゃいけないなって思うから、笑顔でいるようにしているだけだ、誰だってそういう部分をもっているだろう?」という発言も、なかなかに印象深かった。わかる、なんだかわかるよ。本来、人間として生きることは不機嫌になるなんだ。あれこれ認識できるがゆえに何かしら不満足で、何かしら不十分で、不機嫌要素だらけだもの。そっちのほうが自然だったりするのだ。でもそれじゃあ、誰からも相手にされなくなるし、自分自身もつまらないから、心地よく快適に生きていくために、自分の機嫌を操るすべを身に付けるのだ。不機嫌で居ても誰もが優しくしてくれるなら、大抵の時間不機嫌なのに違いない。不機嫌でいたいときに思う存分不機嫌でいることができないから、ストレスがたまるんだ。
 それから、何か伝えたいメッセージを決めてつくるのかという問いに対しての、「伝えたいことがはっきりわかる作品は胡散臭い」「命の大切さを伝えたかったら、命は大切ですって文字で書けばいいじゃない」というのも、納得。まったくそう思う!子どもは物語にテーマなんて求めちゃいないのだ、ただ、世界観を求めてるのだ。キキの空とぶ瞬間の足とスカートの動きとか、トトロのおなかのふわふわとか、シータのペンダントの光り方とか、とか、とか、とか。
 あぁ、とっても楽しいドキュメンタリーだった。またジブリの森美術館へ、行きたくなった!恋人とニヤニヤしながら見た。恋人と世代が同じでよかったと思うのは、こういうときだ。同じものに同じ感慨をもって、同じ瞬間ニヤニヤヘラヘラできる。
by papiko-gokko | 2007-03-27 23:51 | Diary
要するに酸素不足だ誰一人ほころばぬ春の満員電車
 三月末締めの準備が始まっている。末締め請求書を投函したら、4月の始まり。びっくりだ。なんだかんだで、一年勤めたことになる。去年入社したてのころ、通勤途中髪の毛についた桜の花びら一枚をなんとなく挟んで押し花にしたノートは、ずっとデスクに立てかけてあり、この一年間、ちょくちょく開いては眺めていた。割としょっちゅう眺めていたので、挟んだ当初と現在で花びらの色がどのぐらい変わったのか、イマイチよくわからない。もうじきまた新しい桜が咲く。また今年も髪の毛に花びらがついたら、ノートの桜と比べてみよう。
 社会人一年目、ひと月ひと月は飛ぶように過ぎていったけれど、一年単位で振り返ると、ものすごく長かったなぁと感じる。ぐわりぐわりと新たな方向から世界がこじ開けられて、目が乾いたり潤ったりした。やめたーいとは幾度となく思ったけれど、辞めよう!とは思わなかった。仕事量も人間関係もそれなりに安定していて、そんなには辛くなかったし、会社で起こる種類の嫌な出来事は、大抵一日寝れば忘れる程度のものばかりだったから。相変わらず仕事にはこれといってやりがいも楽しみも感じないけれど、二年目も、とりあえずは続けるんだと思う。些細なことで憤ったり悲しくなったり自信喪失したり、たまに嬉しくなったりして、「やめたいなー」と「ともかくこんな感じでがんばろうー」を繰り返しつつ日々を送るんだと思う。アホな失敗で迷惑をかけないこと、安心して仕事を任せてもらえる人になることを、二年目の目標にしましょう。あとは、貯蓄をがんばりましょう。それ以上のことは、考えないでおきましょう。今は大好きな春だし、面倒です。
by papiko-gokko | 2007-03-26 23:56 | Diary
浜松から帰った。
 浜松で過ごした、充実の一日。妹の演奏は午後からだったので、「浜松にきたら、浜松城みてうなぎ食べんと」という母の言葉に従い、午前中は観光をした。浜松城は、桜が咲いていればすごくきれいだったろうなぁ。
 お城をみたあとは、浜松駅のすぐ近くにある、楽器博物館へ行った。ここが、とても楽しかった。世界中のあらゆる楽器が展示してあって、備え付けのヘッドフォンでその楽器の演奏が聴けたりもするのだ。叩く楽器、つまびく楽器、掻き鳴らす楽器、こする楽器、振る楽器、小さい楽器大きい楽器、精密な楽器、単純で荒削りな楽器、音を作る方法はこんなにもあるのかと、改めて驚く。どの楽器の音も、それぞれに素敵だった。考えてみれば、コップをスプーンで叩いたらそれがもう楽器の始まりなのだから、人類のあるかぎり楽器の種類や音色はこれからもどんどん増えていくのだろう。
 そういえば、楽器博物館のお土産コーナーで「ケーナ」を発見し、思わず買ってしまった。1800円。旅行中じゃなかったら、買わなかっただろう。でも、買わなければ絶対後悔すると思ったのだ。自分の好きな音のでる楽器の所有者になりたかったのだ。先ほどから一生懸命に吹いてみているのだけど、音の出し方がわからない。恋人にかしたところ、一瞬まぐれで音がでた。やっぱり、すごくいい音だった!演奏できるようにとまではいかなくても、せめて音をだせるように、なりたいなぁ。

 午後は演奏を聴きに行った。妹の高校だけではなく他の高校の吹奏楽部の演奏もあり、一校が3曲ぐらいを演奏していた。吹奏楽は、強い音楽だ。毎回、バァンと演奏が始まるたび涙が出る。感動とかそんな複雑なことじゃなく、ただ強烈な音の存在感に圧倒されてしまって。無数の音があまりにも一気に飛び込んできて、体全体をつかっても受け止めきれなくて、受け止め切れなかったぶんの音符が目から零れでてきてしまうのだ。だから、演奏のなかにたまに歌がはいったりすると、すごくほっとする。視界をこえて広がり続ける草原の真ん中に、ぽっと花をみつけたような気持ち。やっと何処に焦点をあわせればいいのか、何を思えばいいのか認識できる。
 妹の高校がでてきたときは、号泣してしまった。今度はそれこそ感動で。演奏をしているときの妹は、いつも本当に心から楽しそうなのだ。彼女はパーカッションなので、リズムにのって木琴や太鼓を叩いていた。踊りのある演奏もあって、そのときにはタンバリンをもちながら、家では見たことのないような清々しく愛らしい笑顔でぴょんぴょん踊っていた。今まで勉強との両立に苦労しながらも最後までがんばってきた彼女の姿をあれこれ思い出して、もうまったく滑稽なほど涙がでた。母も隣で泣いていた。遠いところで妹が楽しそうにしていると、愛しくて嬉しくてぽろぽろ涙がでてくるよ。遠いところで妹が辛そうにしていると、悔しくてもどかしくて、やっぱり涙がでてくるよ。

 妹の演奏を聴いたあとは、新幹線の時間まで、母とショッピングなどして過ごした。盛りだくさんの、長い一日だったなぁ。母は島根、私は東京ということでホームでわかれ、新幹線が動き出したらまた涙腺が緩んだので、気持ちをきりかえなければ!とiPodを再生したら、スピッツの「放浪カモメはどこまでも」が流れ出した。旅の終わりのスピッツは、車窓からみえる風景の色調を、ぶわぁっと水色に包み込む。思い出を包装するみたいに。短かったけれど、いい旅だった。
by papiko-gokko | 2007-03-25 23:35 | Diary
浜松より。
 静岡県浜松に向かっている。明日、吹奏楽をしている下の妹の、高校生活最後の演奏会があるのだ。
 実家に帰るときに乗る新幹線はいつも、横浜を過ぎたら名古屋までとまらないのだが、今日載った新幹線は、もちろん静岡にもとまったし、そのまえに三島という町にも留まった。この三島という町が、なんだか気になった。今日のような春の曇り空がよく似合う優しげな町並みで、背景に緩やかな山がのびていて、縁もゆかりもない町なのに郷愁を誘われた。それに、ホームで見送るの人の表情がみんな、屈託なくて可愛かったのだ。どんな町なのだろう。街ではなく、町という感じの風景だった。「街」は賑やかで楽しいイメージがあるけれど、「町」は、どこか寂しいイメージがある。町という言葉には、人々の営み、生活が含まれるからだろう。営むことは、孤独な作業だ。だけどこの、いとなむ、という言葉、好きだなぁ。
 今日は、島根から見に来る母と合流してホテルに泊まる。母と二人でホテルなんて、大学受験以来だ。時間があれば浜松城いこうと話しているけれど、どうなることやら。これから先の出来事は、明日の日記にかこう。なにしろ携帯の充電器を持ってこなかったもんで、これ以上の使用は不安だ。
by papiko-gokko | 2007-03-24 12:48 | Diary
玉ねぎの匂いの染みた手のひらが見上げる頬を包んで笑う
 会社を出てすぐの大通り、おじいさんがひとりぽかんと上を見上げていて、その視線をたどってみてはじめて、通りに並ぶ桜の木々のつぼみが随分ふくらんでいることに気付いた。いよいよ桜が咲くのだ。来週か再来週あたり、舞うのだろうか。人が見上げていると、自然とその視線の先をたどって一緒に眺めてしまう。人が俯いていると、自然と自分も俯いてきて、爪先を見ながら歩き出してしまう。桜の頃は見上げる人が多いから、視線の連鎖が眩しく忙しい。

 今日は会社で嫌な気持ちになることが、些細だけれどいろいろあって、コンチクショウ!!だったので、このまえ帰省したときに祖父がくれたお小遣いをもって、池袋へでかけた。先日友達と遊んだとき、私の服にあうようなタイプのバッグも教えてもらったので、あちこち歩き回って、素敵なバッグを買った。籐のバッグ。がばりとひらいて底も結構ひろいので、ハードカバーの本でも余裕で持ち歩けるし、きちんと閉まるのですぐにものをなくす私でも大丈夫だし、それに中が三つに仕切られているから、バッグのなかがすぐにぐちゃぐちゃになる私でも、財布をさっと取り出せる。
 買おうか迷ってほかのバッグを手に取っていたら、別のお客さんがそのバッグを手にとって眺めだし、割と真剣に鏡のまえで持ってみたりなどしはじめたので、その瞬間に買うことを決めた。独占欲とか所有欲の強い私にとって、自分のお気に入りを人に奪われ所有されることほどの屈辱はないのだ。そのお客さんが店員に「色違いもあるんですよー」声をかけられて色違いバッグに気を取られているすきに、買っちゃった。とはいえ、もし店頭に一個しかなかったものだったとしたらさすがに気まずいので、別の定員さんに在庫の確認をしてもらい、在庫を出してもらってから買ったのだけれども。あぁよかった。危うく名も知らぬ人を一生恨み後悔し続けるところだった。
 恋人にまだ見せていないので、緊張する。彼は自分の趣味に合わない場合鋭利な言葉でもってサラッとザクっと否定するので、相当打ちひしがれるのだ。いいんじゃないと言ってくれますように。

 会社をでたころはまだ夕焼けだったけど、家路につくころにはすっかり暗かった。ヒヒヒッと奇妙な笑い声の聞こえてきそうな細い細い下弦の月が、明るい池袋駅のはるか上空のどうってことない位置に浮かんでいて、つられてヒヒヒッと自分の今日一日をバカにした。ヒヒヒッとなにもかも白々しかった。いくらこまめに時刻修正したって無駄だよ、狂うようにできている。
by papiko-gokko | 2007-03-23 22:06 | Diary
気まぐれに吹いたタンポポ綿帽子どうだっていい命のゆくえ
 寒さが去って、徐々に本格的な春の陽気。朝から職場に漂う空気がどことなくゆるんでいて、ブラインドから漏れる日差しがちょうど眠気を誘う程度に眩しく、ちょっと明けてある窓から入る生ぬるい風がふぉうふぉう首筋を撫で、仕事をしながらも、うとうとせずにいはいられなかった。誰かが書類をめくる音も、キーボードを叩く音も、会社の前の道をバイクのブイブイ過ぎ去る音も、けたたましくなる電話の音も、そしてその電話を取り次ぐ自分の声さえも、やけにうららかに間延びし、春めいていた。
 春爛漫になればなるほど、私の思考は散漫になり、冬に眠っていた命が目を覚ませば覚ますほど、私の意識は朦朧としてくる。春は季節そのものが魔法じみている。一見優しくみえて、かなりどぎつい種類の魔法だ。裸の木からある日を境にどんどんと桜が咲いて、咲いたとたんそれを誰もが見上げずにはいられないのだから。魔術みたいな春独特のもやもやした気だるさと焦燥が、あくびを大量生産し、うつらうつら頬杖をつく時間が多くなる。頬杖の先にあるものは、ほんのりどんよりした妄想だけで、計画とか構想、そんなものは皆無。それが許される空気だから、春が好きなのだ。最も苦手な夏の到来まで、しばし春の魔力にもやもや酔いしれよう。瞼が重い、急ぎたい、座りたい。

 せこいなぁ、なんかいろいろ、せこい。せこいわぁ。そこはかとなく腹が立つから、進まないように見せかけて、突っ伏しているように見せかけて、一方向へ地下鉄掘るよ。ばかみたいにメルヘンな電車走らせて、どの電車も回送。一方通行なので、ばかみたいにでかい車庫が必要。ばかみたいなテラテラの虹色路線図が、一方通行のくせいたるところに張ってある。
by papiko-gokko | 2007-03-22 22:48 | Diary
過ぎ去った日々を胸に抱き働いてる
 大学時代の友達と遊んだ1日。友達の家でのんびり話したり食べたり観たり読んだり笑ったり、学生のころとよくにた感覚で時間が流れていって、あっというまに日が暮れた。楽しかったなぁ。大学時代はあたりまえに感じていて特別意識していなかったような感覚が、過去になったとたん、キラキラ特別なことになる。まったく私は、過ぎ去った日々と、その日々を共にした人のことが、大好きだ。システム手帳を買っても予定を書き込むのが億劫でいつもほとんどつかわなくって、そのくせ日記を書くのはちっとも億劫じゃなく大好きなのは、私にとって、これから起こる出来事よりも、これまでに起こった出来事のほうが、大きな存在だからなのかもしれない。
 日々のどうってことないような鬱憤をぽちぽち愚痴ったら、心の中がからりとした。明日は仕事、がんばろう。
by papiko-gokko | 2007-03-21 22:56 | Diary
僕のすべてを汚してほしい
 昨日の明け方スピッツのマサムネさんからメールの届く夢をみて、目が覚めて夢かとがっかりしていたのだけれど、今日仕事から帰ってポストをあけたら、スピッツのはがきが届いていた。先月ファンクラブの継続手続きをしたので、その感謝状みたいのが届いたのだった。さすがスピッツ粋なことする。このはがきの写真のマサムネさん、尋常じゃなくかっこよく且つ可愛い。30代特有の芽生え始めた落ち着きと、いつまでも消えない少年性の、絶妙なバランス!この人があの素晴らしい歌詞たちを生み出していると思うと素敵すぎて溶ける。そんな嬉しい出来事。これはちょっとした正夢。夢だけどー夢じゃなかったー!

 暗い言葉は、明るく生きていくためにあるのかもしれない、と思う。暗い言葉を過剰に吐きまくったあとは、なんだかふっとどうでもよくなって、笑えてくる。もやもやと立ち込めていた感情を暗い種類の言葉にはめ込んでしまうと、雲が全部雨になって降りつくしたみたいに、晴れてくる。暗くなりたいからじゃなくて、むしろ、明るくなりたいからこそ、暗い言葉を必死で探して並べなくちゃいけない日もある。情けない言葉をあえて並べることでしか、自分をしっかり保てない日もある。
 だから、暗いことや情けないことを、かっこよく、きれいに、かろやかに、それでいてどっくり的確に表現できる人に、惹かれる。私の好きと感じる歌を歌う人は、そういう人たち。稲葉さんなんて、あのルックスと声と音楽のイメージで随分覆われているけれど、結構とんでもなく情けないような暗いようなことを歌っていたりするんだ。。そしてそこにこそ、救われる。暗いこと情けないことを的確に歌にしてくれる人がいるかぎり、どうしようもない気持ちを鼻歌にできるから、どんなにどんよりした日も、絶望なんか知らないでやり過ごせる。
by papiko-gokko | 2007-03-20 21:36 | Diary


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