日記と短歌
by papiko
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少しだけ首をかしげて歩く癖わたしひとりが知っていたいの
 ある人が、「ぱぴこちゃんは、雰囲気がいい」と言ってくれた。いつも人をなんとなく雰囲気で好きになったり苦手になったりしている私なのに、自分自身の雰囲気に関して言われると、とても驚いた。そして、涙が出そうなほど嬉しくなった。
 人がそれぞれに纏っている雰囲気は、不思議だ。雰囲気はどこから立ちのぼってきているのだろう。服装や髪型を変えるだけで変わる部分もあるし、性格や性質や育った環境など、どんなにとりつくろっても変わらない部分もある。そういったいくつもの要素が混ざり合って、その人のまわりで化学反応を起こし、その人特有の「雰囲気」を醸し出している。
 人の好みがそれぞれ違うのと同じで、人のもっている雰囲気をどのあたりから感じとるのかもまた、ひとそれぞれなのかもしれない。私の場合は、佇まいと、相槌の打ち方と笑い方から、その人の醸し出す雰囲気を感じ、記憶する。特に相槌と笑い方は、その人の性質を、とてもよくあらわす気がして、重視している。佇まいに関しては、女の子の場合座っている横顔、男の人の場合歩く後姿が重要。横顔と後姿にこそ恋をする。なにしろ真正面から人と向き合うことなんて、めったにないもので。
 雰囲気を褒めてもらってから、私の雰囲気ってどういうのなのだろうと考えているのだけれど、想像つきそうでどうもイマイチつかない。鏡を見ても、いじってしまったにきびしか目に入らず雰囲気どころじゃない。人のもつ雰囲気は、客観的な立場からでなければ、味わえないものかもしれない。だからこそ、雰囲気を褒めてもらえたことが、こんなにも嬉しかったのかもしれない。こんなに嬉しい存在の肯定は、久しぶりだった。客観的な立場からの存在肯定は、単純に勇気をくれる。
by papiko-gokko | 2007-02-28 22:31 | Diary
センサーも感知できない魂の浮遊を僕が見届けてやる
 先月ひとりの事務員さんが、出産を機に退社した。それから先週、急に欠員が出たからという理由で、もうひとり別の事務員さんが、本社から都内の支社へ移った。急遽支社へ移った彼女と私は同期で一緒に入社式にも出たから、個人的に思い入れがあった。ふたりとも私の所属している営業部の事務員さんではなかったけれど、同じ部屋にある部署の事務員さんでいろいろ関わりもあったので、毎日存在を認識しながら働いていた。
 人はいなくなる。なにかの拍子にいなくなる。それが本人の意思だろうと周りの影響だろうと、前々から告げられていようと急に決まろうと、どんな場合であれ、私の日常風景から人がいなくなるのは、いつだって突然の出来事だ。そしてその出来事は私の日常風景に、劇的な変化をもたらす。にもかかわらず、なにもなかったように時間は流れ、会社はいつもどおり忙しい。それでやっぱり、寂しい。特に仲良くしていたわけではなかったのに、ある時を境に声が聞こえなくなることが、信じられない。誰かがいなくなることは、寂しくてしかたない。仕事が終わらなくて残業になったとき、仕事を終えた事務員さんがひとりまたひとりとタイムカードを押して帰っていく感じさえも、堪らなく恐い。ひとりいなくなるごとに、自分の居場所が削り取られていくような、ぞっとする思いがする。いなくならないでほしい、私がいる間、誰もいなくならないでほしいと、願う、というよりは、祈ってしまう。
 誰もいなくならないでほしいなんて思うのは、わがままなのだとわかっている。人それぞれの人生があるし、私だって、とりあえず3年は今の会社で続けようと思っているけれど、それ以降どうするかはわからない。いずれは、いなくなるだろう。これまでも、いろんなところからいなくなった。転校したり、卒業したり、上京したりして、どんどんいなくなり続けている。心地よい居場所から新しいどこかへと移っていくことが、私の人生を前に進めてきた。
 自分の人生を進めていくことは、誰かの日常のなかからいなくなることで、自分の人生を振り返ることは、自分の日常からいなくなった幾人もの誰かに、思いを巡らすことなのかな、と、思う。日常からいなくなった誰かの笑顔を並べてみると、そこに私の人生があり、私のいなくなった場所を浮かべると、その場所である時期を共有した誰かの、私の知らない人生の続きがある。 

***

 過去の自分を思わせる人を見かけたときには、恥ずかしさを感じつつもほのぼのした気持ちになれるのに、現在の自分を思わせる人を見かけたときは、ただ猛烈に恥ずかしく、嫌悪し、苛立つ。いつのときも、過去の自分は愛せるのに、今の自分をちゃんと愛せない。ちょっとのことでコンプレックスむき出しになってしまう。困ったなぁ。
by papiko-gokko | 2007-02-27 21:47 | Diary
これ以上きみを嫌いになりたくはないから同じ話をしよう
 私は人に対しての感情に、かなりの温度差がある。自分にとっての親しい人や興味をそそられる人に対しては、とても温度が高い。それに対して、親しくないと感じている人、興味を持ちたいと思わない人に対しては、一気に温度が低い。私の感情仕様の赤外線カメラで私の視界を覗いたら、真っ赤な人と真っ青な人しかいないと思う。
 そうして感情にはっきり温度差をつけることで、私は視野を狭め防御しているのだ。温度の高い感情は表面がやわらかくて傷み易いから、好きだと感じたもの以外への感情は瞬間的に温度を下げ硬くすることで、感情が傷み腐敗することを防いでいる。好きなものをいつまでも好きでいたいから、くれぐれも好きなものを含んでいる世界そのものを嫌いにならないように、好きなものを取り囲むその他大勢に対する温度を下げて、温度の高いものだけを熱心に見つめるよう心がけ、視界を狭める。つまらない人間の始まりです。

 お弁当を忘れて真昼に会社の外へでたら、白昼夢のなかへ紛れ込んだみたいにしらじらと眩しくて、立体感がなくて、くらくらしているうちに自転車にひかれかけた。自転車を運転していたおばさんに、すごい厭らしい目でじっとり見られた。確かに悪いのは私だが、あんな、存在してすみませんでしたとまで思わせるようなひどい目で見ることないじゃないか。存在していてすみませんでしたという想いに、一日中蝕まれたじゃないか。こんな思いを他人に与えるような人間にはなるまい。そのまえに、注意力散漫なのをなおさねばならないのだが。

**こぼれ歌**

唐突に無性に会いたくなる君と戻りたいのか進みたいのか

大切なものに心を奪われて大事なことを見落としていく

炎天下自称根暗の心根を青空高く引っこ抜いたら

根っこまで晒して君は水中花 視線を失くすことのみ恐れ

まだ水を弾く素肌に問う彼と素直に出会うリミットはいつ

いつだって僕は前方不注意で君を見つけるまでどこまでも

仮定だけ並べて泣いていたいのにそんな器用に証明するな
by papiko-gokko | 2007-02-26 20:41 | Diary
落書きだらけの夢を見るのさ
 思春期のころに芽生えた、曖昧で気難しいモヤモヤとした悩みや葛藤や焦燥感は、ある時期を越え大人になれば、終わるものなのだと思っていた。けれども実際は、何一つとして衰えず、今も私のなかにあり、たまに暴れる。悩みも葛藤も焦燥感も、そのままモヤモヤ持続している。ただ、長いこと持続しているために、モヤモヤに心がだんだん慣れてきていて、芽生えたばかりのころのようには、モヤモヤを掻き消そうとしてもがいたり、戸惑ったり、訴えたり、しなくなっただけだ。
 大人になることは、思春期に芽生えたモヤモヤをすっかり理解し解決してくことじゃなく、ただ、思春期のころに芽生えたモヤモヤに、心ごと慣れきっていくことなのかもしれない。そう思ったら、楽になった。あのころと変わらないことでぶつくさ悩んでいることを、恥ずかしいと思うのはよそうと思った。まだ慣れきっていないだけだ。あと少し、あともうちょっと悩んだら、慣れて、大人になれるだろう。仕方ないから今は悩もう。

 今日も引きこもる気でいたのだが、どうにも気が滅入るばかりで何も手につかず、夕方になって結局遊びにでかけることにした。私がひとりで遊びに行く場所は、もっぱら池袋。電車で一本、15分ぐらいなのだ。
 池袋は、相変わらずにぎわっていた。マクドナルドの前の脂っこい匂いや、声をからして安さを叫ぶマツキヨのお兄さんや、電飾まみれのゲーセン入り口で踊るマスコットや、そういうものが次々と私の感覚を刺激して、沈んでいた気持ちがだんだん浮き上がってきた。無くてもかまわないものたちがこんなにも堂々と煌びやかに存在しているうちは、私だって、寂しい存在になったりはしない。大丈夫だ。
 田舎育ちなので、ひとりで池袋へ出ても、実際には遊び方など未だによくわからない。ので、まずはカラオケに直行し、1時間半ほど歌う。つじあやのがぴったり自分の音域に合うことがわかった。女の人でキーを変えずに歌えたのなんて、中島みゆきとユーミン以外で、初めてだ!嬉しい。つじあやのに初挑戦したあとは、いつものように好きな人の歌を片っ端から歌い、すっかりすっきりした。歌はいいなぁ。実に浄化作用がある。
 すっきりしたあとは、ジュンク堂書店へ行き、ぐるぐる気ままに本を見て回った。池袋のジュンク堂は、8階建てぐらいの大きな大きな本屋さんなので、行く度にうっとりする。初めて行ったときなんか、感動のあまり頭が痛くなったぐらいだ。読みたい本も読みたくない本もいくらでもあって、手にとって眺めたり、ちょっと熟読したり、「こんなん売れる意味わからん!」とか頭の中で悪態ついたりしているうちに、あっというまに1時間が過ぎていた。本屋さんは好きだけど、本屋に行くと、本がぐびぐび時間と興味を吸い取っていって我を忘れるので、気をつけないといけない。
 それで私の遊びは終わった。カラオケと本屋さんしか行っていないけれど、十分遊んだ気持ちになった。東京にはいろんな街があって、そのどれもそれぞれに魅力的だけれど、池袋のごっちゃりした感じ、好きだなぁ。
 本屋を出たのはもうすっかり夜で、ちょうど恋人の仕事が終わる時間だったので、落ち合って、焼肉を食べて帰った。働いているのだから、たまには贅沢したっていい。
 そんな日曜日。あぁ、終わっちゃう。また月曜になる。がんばりましょう。
by papiko-gokko | 2007-02-25 23:48 | Diary
いつもはにかんで気にして欲しいよ
 久しぶりに、ひとりでどっぷり引きこもる。音楽を聴きながらぼーっとしていたら、一日を乗り切ることで精一杯で散漫になっていた意識が、集まってきて、それからずっと、低空飛行していた。たまに地面を擦ってえぐった。考えるべきことは何なのか、考えあぐねた。わからないから久々に、思う存分憂鬱を、ぶちまけてしまおう。

 結局のところ、私も、人にどう見られているか、どう評価されているのか、そればかりを気にして歩く、さもしい大人になりさがったわけ。いや、大人になったからっていうのは都合のいい言い訳で、小さいころから、そうだった気もする。なんでも、褒められたかった。すごいねって言われたかった。大人に近づいていくにつれて、その欲求に猜疑心とか恐怖心がブレンドされ、「されたい」に「されたくない」が加わっただけのことだ。嫌われたくない、拒否されたくない、不快がられたくない。期待が脅えに変わっただけ。

 真実じみた言葉ならば、いくらでも転がっていて、ころあいを見計らっては突き刺してみるけれど、突き刺した結果、後悔ばかりして、決定的な真実だったためしはないよ。真実なんて、勝手に突き止めて勝手に分かった気になっていればいいのであって、自分や他者に突き刺して苦しめちゃだめだ。真実は好き嫌いと同じぐらいに個人的なことだ。

 「君は象徴的なことにとらわれすぎて、そこに至までの経過を雑に考えすぎる」と、恋人が言った。だって、経過なんて考えたら、うんざりするよ。象徴的なことは、ひっぱる力をもっているから好きなのだ。素敵な憧れに、ひっぱられるように進みたいのだ。だから、経過が重要なのならば、君がしっかりそばにいて、経過を丁寧に記憶してくれたらいい。小説をかける人は、経過を捉えることが、上手だもの。

 会いたい人が相変わらず幾人か。いつでも誰かに会いたい。会いたい病。連絡しようか。元気にしとるー?って、連絡しようか。したら、返事がくるだろう。どんな返事であっても、私から具体的に会おうとは、しないだろう。うざがられたくないから。会いたいぐらい好きな人には、うざがられたくない。うざがられたくないなぁと思うと、会おうって言えない。そうして離れていく。アホなんだね。

 夢のなかで、祖母とお茶を飲んでいた。いつもの部屋で。私も家族も、祖母が本当は病院で寝ていて、目の前でお茶を飲んでいるおばあちゃんは魂なのだと知っていた。おばあちゃんだけが、それに気付いていなくて、お餅を喉に詰まらせたときのことを、まるですっかり解決した過去の出来事みたいに、いつもの調子で、話していた。悲しくて、聴くのが辛くて、辛すぎたから夢だと気付いた。夢と気付いたとたん、安心感と絶望感が一気に沸いて、泣いても大丈夫だと、泣くことにした。泣けば夢から醒めると思ったのに、私は泣いている私と向き合っていて、泣いている私の目からは、てらてらと緑色に光るヘドロが流れ出していた。綺麗な涙なんて流せないほどに後悔していることが、いくつもあるのだと気付いた。
by papiko-gokko | 2007-02-24 22:49 | Diary
あなたとの通話も文字も隙間なく数値化されて届く明細
 突然なのですが、「人間ごっこ」が、引っ越すことになりました。今までの人間ごっこのTOPにもありますが、新しいURLは、http://www7b.biglobe.ne.jp/~gokko/です。リンクやブックマークをしてくださっている方、お手数ですが、リンク先の変更を、お願い致します。
 ぼんやりうっかりし続けているうちに、なんだかプロバイダとの契約が2月いっぱいで解約になっていたのです。プロバイダと契約が切れればネットに繋がらないし、これは大変だ!!!と、大慌てで契約をしなおしました。その結果、アドレスが変わったりとかいろいろ億劫なことになってしまったのでした。あぁ、まったく恐いなぁ、契約って、うっかりしていると切れるんだなぁ。

 最近、解約だの契約だの継続期間だのお支払方法だの、お金のことで、いろいろ悩まされている。毎日せっせと働いて稼いでいる私の僅かなお給料が、ぼんやりうっかりしているうちに、正当な理由に則ってあちこちから吸われていって、ごちそうさまの合図みたいにポストにぺらんと請求明細が届いていて、それを恐る恐る開いては、現実の渋さをかみ締める日々。もう、バカ。あちこちといっても、家賃と携帯とプロバイダと電気とガスと水道とカード会社ぐらいなんだけれど、私にはそれさえ手に負えない。

***

 大学時代の友だちが、最近ネットでプチ小説のような文章を書き始めていて、それを読むのがとても楽しい。私が通ったのは文芸学科なので、大学時代の友だちはみんな文章をかく。それから恋人も。学生時代はそれをあたりまえのことのように感じていたけれど、卒業して文章を書かない世界で日常の大半を過ごすようになって初めて、自分と同じように文章を書いたり読んだりするのが好きな人たちとめぐり合い親しくなれたことが、いかに素晴らしく貴重なことであったのか気付いた。
 大学時代の友だちとは、自分で不思議に思うほど気兼ねなく話ができる。それは、お互いの文章を読んでいるからなのだと思う。少なくとも、私はそう。大学時代の友だちは、私の文章や短歌を読んでくれるし、私にも作品を読ませてくれる。大学に入るまでは友だちに読んでもらう機会なんてなかったし、個人的に読んでもらうなんて恥ずかしくてできなかったけれど、文芸学科のなかではそれが日常的に可能で、それが私に、この上なく安心な関係をくれたのだった。友だちと作品を読みあうのは、魔法のかかった名刺を交換するような気持ちだ。人見知りすぎてなかなかスムーズに人と話せない私だけれど、魔法の名刺を交換すると、いろんな話がしたくなる。
 在学中はいろいろ不満だったりつまらないと思ったりもしたけれど、卒業して一年たってようやく、自分の通った学校に感謝し始めている。
by papiko-gokko | 2007-02-23 22:18 | Diary
更新をしました
 人間ごっこのTOP、新しい絵をかきました。変わらない場合は、更新ボタンを押したら変わるかと思います。ブランコ。遊具で遊ぶの、子どものころは、なんであんなに楽しかったんだろう。今はブランコにのっても、酔うか寂しくなるかぐらいだな。

 会社でキーボードを叩きつつ、私が歌のなかで歌われている「好き」に出会ったのはいつだったろうなぁ・・・と、ぼんやり考えているうちに、ふと、「あのね、かあさんが好きなのよ」というフレーズが浮かんできた。ほんのちいさいちいさいころに覚えたであろう、ぞうさんの歌だ。
ぞうさん ぞうさん おはながながいのね
そうよ かあさんもながいのよ
ぞうさん ぞうさん だれがすきなの?
あのね かあさんが すきなのよ
 
 ひさしぶりに思い出した。なんとも、穏やかで優しい歌だなぁ。自分と同じお鼻の長いかあさんが好きだなんて、なんて満たされている「好き」だろう。ゾウは一番好きな動物だし、初めて出会った「好き」の歌が、この歌だなんて、嬉しいな。

 会社の健康診断の結果が返ってきた。特に再検査みたいなことはなかったけれど、気を付けるべき項目みたいなのに、「低コレステロール」と書かれていた。コレステロールを上げるには、どうすればいいんだろう。
by papiko-gokko | 2007-02-23 00:04 | Diary
思い出を同じ角度で振り返る君と笑いに変えた悲しみ
 よくわからないが、朝から気が滅入っていた。目覚ましのなるタイミングがいけなかったのだと思う。それでも会社では気丈に働いていたつもりだったのだが、よく電話をかけてくる得意先企業の営業さんに、電話で「今日はなんだか元気がないねえ~」といわれてしまった。トイレの鏡で自分の顔をみたら、生気がなくてぞっとした。もともと大きくない目がますますしょぼしょぼ落ち込んでいて、唇はかさかさ、顔色もどんより。こんな枯れ葉OL、見たことない。どうもここのところ胃腸の具合が悪いのと、昨日まで夢中で読んでいた小説があって三日連続夜更かししたので、それが顔にでたのかもしれない。体調が悪いと気が滅入るし、気が滅入っていると体調が悪くなる。悪循環。
 そんな今日にかぎって残業となり、完全に気が滅入り、椎名林檎の「やっつけ仕事」を歌いながら帰った。仕事で気が滅入った日はこの歌に限る。明日は元気にがんばろう。仕事をしなきゃ自立して暮らせないのだから、仕事はしなきゃだめなのだ。

 ほぼ毎日、祖母が夢に出てくる。元気になってあたりまえのように家事をしていたり、呼吸をやめて冷たくなってしまっていたり、病室のベットで息も絶え絶えに何かをしゃべろうとしていたり、いろんな祖母の姿がでてくる。そしてそんないろんな祖母を、私はいつも、ふたりの妹と眺めている。妹は、私と同じ立場で同じ角度から祖母を感じ関わって育った、唯一の存在だ。だから、夢の中でもいつでも妹と一緒に眺めている。あれこれ言葉を交わしたり、笑ったり泣いたりしながら眺めている。
 妹がいてよかった。共通の大人のことを「おばあちゃん」「おじいちゃん」「お父さん」「お母さん」「おじちゃん」「おばちゃん」と、あたりまえに呼びながら育ってきた存在である妹となら、それらの身近な大人に対して矛盾や恐怖や面白さを感じたとき、存分に共有しあえるから。父と母が喧嘩したときなんかも、妹がいるから、「またなんか激しく言っとるね」「どっちも悪いね」とか言いつつ、隣の部屋で笑い合える。ひとりだったら泣いてしまうことも、妹と分け合うだけで、笑いになってきた。基本的に、深刻になりたがらない三姉妹だし。妹がいるから、突然で面食らった祖母のことも、ちゃんと冷静に乗り越えられたつもりだし今後も乗り越えていけると思う。
by papiko-gokko | 2007-02-21 23:39 | Diary
この街で歌っていてもいなくても届きっこない声なんだけど
 会社からの帰り道、ふんふん歌を口ずさみつつ歩きながら、都会ってひとりで歌える場所がいくらでもあるんだなぁと思った。電車が轟音と共に通り過ぎる高架下、車がひっきりなしに行きかう大通り、駅や商店街など雑踏のなか。あっちもこっちも騒音でごった返して、誰にも語りかけていない私の声など、なんのためらいもなくかき消してくれる。ちょっとぐらい歌っても気付かないし気にもしない無関心な(もしくは無関心であろうと努めている)不特定多数の人々のなかに紛れてこんでいることへの、開放感。それでいて、もし突然私が「誰かこっち、見てーー!!」と大声を張り上げれば、はっと私のほうに視線や意識を向けるであろう幾人もの他者に囲まれていることへの、安心感。
 地元でも、外で歌おうと思えばいくらでも歌える場所はあった。けれどもあまり歌わなかった。人口の少ない出雲の場合、誰にも気付かれることなくひとりで歌うためには、人が誰一人としていない場所を選らばなくてはいけない。そんなにたくさんの人がいるわけでも音でごったがえしているわけでもない駅やお店や歩道でぼそぼそ歌いながら歩いたりしたら、普通にめだってしまうからだ。特に地元の駅と大型量販店(サティー等)は顔見知りとの遭遇率が非常に高いので、かなり危ない。
 だから地元にいて外で歌を歌いたい気分になったときは、犬の散歩のとき土手なんかで、ちょっと口ずさんでみる。だけどいつも、すぐにやめてしまう。土手はあまりに見晴らしがよすぎて、自分の声と風の音だけが遮られることなく吹き抜けていって、なんだか、はるか向こう側にいる誰かに向かって呼びかけているような、遠くから誰かが駆け寄ってくるのを待ちわびて歌っているような気持ちになってくるのだ。するとワンフレーズも口ずさみ終わらないうちにそわそわしだして、それからどんどん寂しくなって、歌ったことを後悔さえしてしまう。何処へも届かないのに歌ってしまった自分への、恥じらいを含む後悔。
 同じ、誰にも届かない声なのに、東京だと寂しくなくて楽しくて、島根だとたまらなく寂しいのは、なぜなのだろう。東京の場合、もっと大きな声で歌えば誰かの耳には確実に届くだろうという気持ちがあるからかもしれない。島根は視界にはいる自然の割合が多すぎて、どうしたって届きっこない存在にどんどん声が吸い取られていく感じがして、それが寂しさを誘うのかもしれない。私は、耳を持っている大勢の人のなかにいながら、聞えないよう細心の注意をはらって歌っていたい。
by papiko-gokko | 2007-02-20 20:57 | Diary
中心の破壊を隠し平然と繋ぎ続ける日常会話
 日曜の朝ぐだぐだと心ゆくまで惰眠を貪りそのぶんだらだら夜更かししてしまうので、月曜日は昔からいつも寝不足だ。寝不足の月曜ほど、テンションのあがらない一日はない。テンションがあがらないせいか、やけに不快なことに対して敏感になる。いつもはさらっと見ないふり聴かないふりして無頓着でいられることに、ピリピリチクチク反応してしまう。

 家に帰ってじょしゃじょしゃモヤシを炒めながら、あぁ今日は、うんざりしたなぁ・・と思った。たまに、何もかもに対して、うんざりする日がある。過去に起こった事実に対しても、今後起こりうる可能性に対しても、起こり得ない願望に対しても、やらなければならないことに対しても、やってはいけないことに対しても、好きなものに対しても、嫌いなものに対しても、笑うことに対しても起こることに対しても泣くことに対しても、自分に対しても他人に対しても、本当に、なにもかもに、うんざりするのだ。
 今日はまさにそんな日で、本当に、あれもこれもうんざりだった。仕事が果てしないことにうんざりし、お昼のカップラーメンがおいしくなかったことにうんざりし、帰り道寄ったスーパーが混雑していて全然前に進めなかったことにうんざりし、なんとか買うべきものを買ってレジに並んだとたん自分が財布を持っていないことに気付いてうんざりし、冷蔵庫に牛乳がすんなり入らなかったことにうんざりした。家に帰ってきた恋人に、「今日とてもうんざりしたよ」といったら、恋人もちょうど今日とびきりのうんざりエピソードを抱えていて、ふたりでうんざりしあった。ふたりでうんざりしあったら、うんざりすることにうんざりしてきて、そこでようやくうんざりがストップした。
 うんざりしつくすと、それでもまぁやっていくしかないわけだよね、と、諦めなんだか決意なんだか、後ろ向きなんだか前向きなんだかよくわからない気持ちが芽生え、とりあえず次の日を迎える準備が整う。うんざりすることは、砂場を均すことに似ていて、砂で作りかけた山やらお城やら川やらを波がざっぷりさらってただの砂浜に戻すみたいに、心の中で出来上がりかけていた中途半端な期待や願望が、うんざりの波にうんざりざんぶり飲まれくずされ、平らになる。そうやってなんどでもなんどでもなんどでも、期待や願望を抱けるようになっているのかもしれない。
 あぁ、うんざりした一日だった。今日こんなにもうんざりしたから、明日はうんざりしないだろう。しませんように。
by papiko-gokko | 2007-02-19 22:51 | Diary


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外部リンク