日記と短歌
by papiko
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日記
 激動の二日間だった。今日夜7時すぎに東京へ戻り、松屋で豚メシかきこんで、家に到着。

 空港に到着したら母と上の妹が迎えに来てくれていて、そのまま病院へ向かう。おばあちゃんに、会ってきた。
 おばあちゃんは、ICUというところで、難しそうな機械に囲まれ何本も管を通されて、だけどつるつるした綺麗な肌をして、深く深く深く、眠っていた。脳にひと時ほど酸素がいかなかったので、たったそれだけのことで、脳は命令することを、ぱったりやめてしまったんだって。けれど日ごろ自転車であちこち飛び回っていたおばあちゃんの心臓がとても強かったので、命は助かって、まだ身体が生きているんだって。
 一晩かけて大抵の想像をして相当の覚悟はしていたつもりだけど、やっぱり、恐くて思いがけなくて、長くは直視していられず、機械のきざんでいる数字やら点滴やらを、きょろきょろ観察するふりをした。一緒に始めて面会した妹はぽろぽろと泣き、それでもふたりで、おばあちゃんの手をにぎった。ちゃんと少しあたたかい。普段どんな熱いものもでかいものも、ぐわっ!と掴む頑丈な手なのに、今回ばかりはまったく握り返してこないから、なんだか単純に、拍子抜けした。面会して手をにぎったら言おうと思っていたことはいくつもあったはずなのに、いざ手をにぎっていえたのは、「よく働く手です」という、よくわからない解説まがいの言葉たったひとことだった。
 嘘みたい、というのが、素直な感想。嘘みたい。軽く体をゆすったら、「あらまけ、今何時かね!」とか言って、がばりと起き上がりそうなのに、それなのに先生は、医学的観点から、今は刺激をあたえちゃ駄目という。嘘みたい。

 今日は、母と上も妹と叔母といとこと5人で、一階の整理などをする。我が家は二世帯住宅で、一階がおばあちゃんとおじいちゃんの生活空間なのだが、なにしろ一階の家事全般は大抵おばあちゃんが取り仕切ってやっていたので、突然こうなっちゃうと、おじいちゃんはなにがどこへあるのやらさっぱりわからなくって、いちいち困ってしまうのだ。だからとにかくおじいちゃんの使いやすいようにしなくちゃいけないということで、がんばった。
 主に今日やったのは、台所。昔ながらの広い台所は、漬物のビンとタッパーと、あらゆる物の買い置きだらけ。なんでも、足りなくなるのが嫌いな人なのだ。それに、突然のことだったから、何もかもが、日常のまま残っている。これから使おうと思って置いてある野菜、ゴミの日に捨てようと思って潰してある缶や洗ってあるペットボトル、あとで洗おうと思ってつけてある食器、長くつかっていこうと思ってぴっかぴかに磨いてあるお鍋、私や妹に仕送りで送ろうと思って用意してあったお菓子。なにかを手に取るごとに、それを買った時やその置き場・使い道なんかを決めた時のおばあちゃんの「思い」がちゃんと伝わってきて、どんな物にも、それが誰かの持ち物であるかぎり、少なからずその人の思いがやどっているんだなぁと、ぼんやり思いながら、だけどあんまり思うと感情に流されてしまうので、あわただしく忙しく、5人でわいわい片付け、おじいちゃんがつかわないような台所製品やお菓子は、山分けした。おばあちゃんは人に何かをあげるのが、特に自分の発見して買った台所製品を、すごい!便利!って使ってもらうのが、大好きだし。私も水きりマットとか、チョコとか、いろいろ、いろいろもらう。今おばあちゃんの意識は遠いところへいるみたいだけど、あらゆる物に「思い」は付着してるから、その「思い」は家族がちゃんと感じて引き継ぐよ、使うつもりだったものは、全部つかうし、くれるつもりだったものは、遠慮なくもらっちゃうよ、おばあちゃん。

 実家にいるあいだは、いつもみたいに、よく笑った。ゆっくり涙に暮れている場合じゃなかったし、家族も叔母もいとこも、笑っていたから。誰もが泣いた目はしていたけれど、同じ悲しみを抱えたとき、できることといえば、悲しみを共有して泣きあうか、もしくはお互いを笑わせ合い笑い合おうとすることで、誰もが無意識にか意識的にか笑い合うことのほうを選んでいたから、なるべく多くの時間、おかしい話をして笑った。おばあちゃんの話もした。おばあちゃんという人は、まったく、いろいろ腹を立てたこともあったのに、不思議なことに、話題にすれば面白おかしいエピソードばかりで、本当におかしくて、泣きそうなのに笑えた。悲しいとき笑い合おうとする人たちに囲まれて育ったんだなぁ、私は。だから、笑いたがりなんだ。
 お金の管理がどうなっているのか確認するために、おばあちゃんの日記(日記というよりは覚書)を、おじいちゃんが開いて、日記に記されていた「(おじいちゃんが)お酒を飲みすぎないよう病院で言われた」という文相手に喧嘩しはじめたときも、一緒にいた一同、泣きそうで笑った。おじいちゃんもまた、面白おかしい人で。おじいちゃんに寂しい思いをさせないこと。それが今家族みんなの気持ち。難しいけれど、徐々に徐々に。おじいちゃんは帰り際、お小遣いをくれた。こんなときまでくれるだなんて。

 今ちゃんと文章にできるのは、これぐらいだろうか。本来文章にすべきかどうかもわからない、心の半分は文章にしたくないと思っている、でも私は記憶しておきたいし、感じた思いは、外側へ、伝えられるだけ伝えたい。ともかく、忙しかった。これからも忙しいのだろうけれど、まだ今後どうなっていくのかはっきりしないし、私は東京へ戻ることになったのだった。今、どんな気持ちなのか、洗いざらい書くのは難しい。生まれた日から知り合っていた人がこんなことになったのは生まれて始めてで、衝撃的な出来事すぎて、理性と本能とか、感情と思考の境目が、震えていて、わからないから。これ以上、今一気に、自分の今の感情を、理解しようとするのはよそうと思う。シンプルに、今自分のすべきこと、今後の予定のみを考えて、シンプルな思考回路で、過ごそうと思う。考えすぎて壊れている場合ではない。明日は会社へいって、今日できなかったぶんの末締め請求及び月末集計をがんばる。そして連絡があればまたすっとんで実家へ帰る。それだけ。それだけのこと。
by papiko-gokko | 2007-01-31 22:35 | Diary
日記
 明日、朝一番の飛行機で実家に帰る。祖母がおもちを喉につまらせちゃって、意識不明の重体になってしまって。神戸にいる上の妹は、これから電車で一足先に実家へ向かい、父も、今夜急遽帰国する。下の妹が心配だけど、上の妹が帰るから、もう大丈夫と思う。父も帰るし、父は頼れる人だから大丈夫と思う。母も、いざというとき強いから大丈夫。おじいちゃんは、素直な人だから、電話をしたら、悲しいような、途方にくれたような声だった。でも、父さんが帰るから、おじいちゃんも、大丈夫。ともかく一番最後に帰るくせに、私がいま泣いたらいけないんだ、と思った。誰よりも冷静な頭でいなくてはいけないんだ。
 でも、部屋をあたたかくしてしまうと、お腹をみたしてしまうと、泣き出しそうだ。いまは恋人が仕事でいなくて、ひとりぼっちで泣き出したりなんかしたら、絶対怖い。だけど寒いし、ひとりでいるのもいやなので、スーパーへいって、さんまを買う。さんまを二尾かおうかと思ったけれど、明日実家にかえるのに、あまらせてもいけないから、一尾かう。
 そして帰って暖房をつけて、たべっこどうぶつ食べながら、この日記を打ち始める。なんで打ち始めているんだろう。こんな日にまで、なにも文章なんて書くこと、ないじゃないか。こんなときでさえ、文章にすれば、なにか心に収まりが付くとでも、思っているのか。バカじゃないのか。言葉になんかしないまま流して、忘れたほうがいいことだって、いくらでもあるのに。今日なんてまさにそれなのに。なんで書かずにいられないだろう、私、こんなときにまで、こんな無表情で、指が震えているくせに、パソコン起動して、だがだがキーボード叩いて。
 張り詰めた意識と意識の合間をぬって、悲しみとか恐怖とかが、忍び寄る。負けない。明日は気丈にいる。だから意識をもどしてください。あーもー帰る必要なかったがねーもーもーといえますように。
by papiko-gokko | 2007-01-29 20:15 | Diary
お決まりのカップ持ち寄りお茶しよういつもの時間いつもの部屋で
 衝動的にがまくんとかえるくんシリーズを図書館で借りる。このふたりの友情の形が、大好きなのだ。いつでも一緒にいろんなことをして、お互いの日常にとってかけがえのない存在になっていながら生活に踏み込みすぎることはなく、互いを尊重しあっていて、安心感で満たされていて。ワガママで気分屋でちょっと気難しいがまくんが生み出す問題に、かえるくんは気分を害したり頭ごなしに叱ったりはせず、がまくんのことを真剣に思いやり、そして彼なりに全力で解決策を考え説得または実行していく。時にがまくんはそんなかえるくんへの感謝の想いを素直に表し、その感謝にかえるくんもまた、素直に感動する。そんな風にして友情が、心地よくふたりを包んでいる。
 かえるくんとがまくんは、互いが日常からいなくなることを一番恐れている。『がまくんのゆめ』では、かえるくんの身体が小さくなっていなくなっていく夢をみたがまくんが、「かえってきておくれよ、かえるくん!ぼく、ひとりぼっちになっちゃうよ!」と叫び、『はるがきた』では、春がきたのでがまくんを起こしにいったかえるくんが、なかなか目を覚まそうとしないがまくんに、「でもねぇ、がまくん。それじゃそれまで、ぼくさびしいよ。」と言う。お互いがお互いを、心から大好きで大切に思っているのだ。「友だち」という関係で、そこまで素直に思いあいまたそれを伝え合える人がいるだなんて、なんと幸せなふたりだろう。
 ふたりの会話は本当にいい。これほどすばらしい会話の感覚って、他にあるだろうか。いいなぁ。声にだして読んでみたら、もうもう、舌と声帯が歓喜した。
 がまくんとかえるくんシリーズ、揃えたいなぁ。借りるんじゃなくて、こういうのは、常にいつでも開ける場所においておきたい。これは、本当に本当に、素敵なふたりなのです。
by papiko-gokko | 2007-01-28 22:17
靴音を響かせ歩く四季のない景色になじみすぎないために
 恋人が、ダウンした。昨夜夕食後、突如としてノロウイルスにとことん似通っている症状が次々と起こり、今にも崩れ落ちんばかりの様態になったので、これはやばい!と思い、ネットで緊急外来やってる病院を調べ、最も近くの病院へ電話をいれて診て貰う。
 夜の病院待合室は、がらんとして声がひびいて、廊下も椅子もやけに長かった。病院にはお医者さんと看護婦さんがあたりまえのようにいて、あたりまえのこととして私たちを受け入れた。今では様々な機関であたりまになっている24時間体制だけど、その24時間体制を支えている人に支えられると、改めてそのありがたみに気づく。何時でも誰かが目を覚ましている街にいることの、安心感。
 彼が検査をうけている最中に救急車がやってきて、担架で運び込まれてきた。血だらけだったらどうしよう!!と、とっさに目をそらしたのだが、まもなくそれが、お風呂でのぼせてちょっと具合が悪くなったので救急車を呼んだおじいちゃんだったことがわかった(おじいちゃんの耳が遠いので誰もが大声で話していて、それでわかった)。ちらりと見てみると、担架にはおじいちゃんがぼんやり横たわり、妻らしきおばあさんが動揺しているわけでもない様子でにこやかに付き添っている。きっとよくあることなのだろう。
 おじいちゃんを救急車で運び込んできたのは「東京消防庁」の人で、きびきび無駄のない動きでおじいちゃんをベットにうつし、身の回りのものを片付け、それから寄り添っているおばあちゃんに、凛々しく丁寧な説明をしていた。背が高くがっしりした男性ふたりと、はきはき利発そうな女性がひとり。三人ともが親切で、忙しい中おばあちゃんのゆっくりした質問に穏やかな笑顔で答えていて、けれど瞳と頬はキリリと引き締まっていて、なんてカッコいいのだろうと感動した。廊下をいったりきたりする背中の「東京消防庁」という文字に恋をしてしまった。恐い事情に巻き込まれたとき、あんなふうに凛々しく親切に救助し話しかけてもらえたら、どれだけ安心するかわからない。凛々しいって、素敵だ。凛々しい人の姿を好きだ。厳しいではなく、あくまでも、凛々しい人。
 一方お医者さんは、なんだか少し冷たいような人だった。若くてめがねをかけていて、数字と白衣が実にしっくり似合うような。恋人が点滴をうけているとき、ベットにタオルケットしかなくてふるえだしたので、「寒気がするようなので毛布をいただけますか」とお医者さんにいったら、「かんごふさーん、点滴の子、寒いからもっと毛布くれってさー」と、なんとも悲しい変換伝言されてしまった。言い方ひとつで、全然ニュアンスが変わってしまう。正しく伝えてもらえないことが、こんなにも不快とは。でも、お医者さんは、それぐらいにクールで、人をある意味見下しているぐらいじゃないと、勤まらないのかもしれない。身体や心のどこかしらを弱らせた人が救いを求めてやってくる場所だもの、人を愛したい敬いたいという気持ちで接していたら、同情やら恐怖やら様々な感情で、自分の心身が壊れてしまうのかもしれない。もちろん、一概には言えないけれど。
 点滴をして、お薬をもらって、ノロウイルスかどうかわからないまま(お医者さんの説明は難しい言葉の上に早口で、頭のよくない私と憔悴しきっている恋人には理解できなかった、なんとかの値がうんちゃらで、なんちゃらかんちゃらなので、消化のいいものを食べましょう・・ということだった)、家に帰って即効眠る。歩いていけるところに緊急外来のある病院があって、本当によかった。今日はどうやら落ち着いていて、まだ起き上がるのはしんどそうだけれど、とりあえず苦しそうではない。このまま直りますように。健康は尊いなぁ・・・。部屋を散らかし放題しても長時間ネットしすぎてもお昼ご飯を抜いても彼が叱ってくれないので、なんとなく困る。
by papiko-gokko | 2007-01-27 16:31 | Diary
手放した両手で君の旅立ちに精一杯の拍手を贈る
 ここのところ、夜の海に似ている謎の寂しさに、捕らわれていた。これはどうしたことだろうなんなのだろうと、考えていたのだけれど、今日ある一文に出会って、ようやくわかった。私は祝福することが、寂しかったんだ。周りの友だちが、結婚したり赤ちゃんを産んだり、もしくは立派に夢をかなえたりして、ゆるぎない居場所やゆずれない存在を持ち落ち着いていくことが、寂しかった。不安定な空中遊泳の仲間がひとりまたひとりと大人ワールドへ着地していってしまうようで、もう同じ感覚を共有できないのかな、こうして遠い存在になっていくのかな、と想うと、寂しかった。
 友だちの立派な着地を祝福するたび、嬉しい気持ちでいっぱいの心のどこか一部が、それにもかかわらず泣きだしそうで、それは感極まっている証拠だと自分に言い聞かせていたけれど、本当はそうじゃなくて、私は寂しかったんだ。そういえばいつも祝福の場面には、寂しさが伴う気がする。誕生日も、なぜだか心のどこかが寂しい。祝福は、ひとつの物語の完結であり、同時に新しい物語の始まりでもあって、流れの裂け目だから、寂しいのかもしれない。繋ぎあっていた手を離し、その両手が拍手にかわるひと時。拍手するほうも、されるほうも、まだ手を繋ぎたくて、寂しい。けれどそれでも拍手する。舞台の幕は、拍手でひらき、拍手でとじるんだから、終わらすためにも始まらすためにも、繋ぎたがらず拍手しなくちゃ。
 来週の土曜日は、待ちに待った友だちの結婚式。寂しさの理由がわかったら、祝福したい想いがますます膨らんできた。寂しい気持ちが逃げるぐらいに、いっぱい拍手したい。くれぐれも着物を汚さないように、腕をまくってぱちぱちしよう。二次会にも誘ってくれたので、初結婚式&初披露宴&初二次会、一気に楽しんでこよう。
by papiko-gokko | 2007-01-26 21:06 | Diary
夕暮れのジャングルジムでキスをした全神経で君を捕らえた
 日の暮れかかった公園のジャングルジムで、高校生のカップルが、くすくす話していた。女の子はジャングルジムに腰かけて、男の子はジャングルジムの真ん中に立って、女の子の座っているそばのバーに寄りかかって。危なっかしくて切なくて、可愛い光景だった。
 日の暮れかけている時間は、好きな人に対して、心が最も油断する時。明るいうちはお互いがはっきり見えすぎていて躊躇ばかりするし、夜になってしまったらそれは非日常すぎて硬くなる。一日分の想いが溶け出してくる夕暮れが、一番ゆるむのだ。すべての輪郭がぼやけシルエットとなっていくなかで、ほっぺたや肩や瞼や口元の曲線が、昼間以上に立体的に浮かびあがってきて、思わず、最も伝えかねていた言葉を、口走ってしまう時間帯。うっかり核心に、踏み込んでしまう時間帯。
 自分の高校時代を思い出しながら横目でこっそり見つつ通り過ぎかけたとき、ふっと瞬間ふたつの影が重なった気がしたので、はっと目を離した。いいなぁ、私も、チョークの匂いの学生服同士で、キスしてみたかったなぁ。学生服でするキスは、さぞかし儚い気持ちになるんだろうなぁ。
by papiko-gokko | 2007-01-25 21:04 | Diary
押し花のようにあなたの一言を記して閉じる大学ノート
 眠ろうとして目を閉じたら、急激に胸の中が、がらんどうになった。真暗の世界で、いろんな人の声が押し寄せては遠のき、それは夜の海そのもので、淋しさと恐怖に飲まれて泣いた。どこからが空で海で陸なのかさっぱりわからないのに、波の音ばかりが、昼にも増してリアルに響く。見えないのに、声ばかりが胸を這う。愛すべき誰も彼もが、夜の海の向こう側にいる気がした。
 呼吸困難なぐらいに泣いたら、やがてしゃくりあげだした。しゃくりあげるたびに、心臓がひゅわりとひっくり返って、そのたび心臓の内側に飛び散った水滴が少しずつ乾くようで、心地よかった。しゃくりあげているうちに、横隔膜の辺りから疲れと眠気がやってきて、ティッシュの箱を抱えたまま寝ていた。
 たまに夜は、私を、がらんどうにする。がらんどうになると、泣くほかない。泣いてしゃくりあげて心臓をひっくりかえさなければ、直らない。しゃべりすぎた後みたいな、からっぽ。誰に何をしゃべりすぎたわけでもないのに、もうこれからは何も言わないほうがいいんだ、と強く思う。愛すべき人たちが、傷つく場面ばかりが浮かんで、同時に自分の無力をきりきりと実感して、泣くほかない。愛している、どうかどうか健康で、どうかどうか怪我をせずに、どうかどうか心を痛めず、どうかどうか穏やかでいて、多くの時間を笑っていてほしい。夜の海の向こうが、真昼ならばいい。私が真昼にいるとき、どこにも夜の海がなければいい。
by papiko-gokko | 2007-01-24 18:08 | Diary
新しい命が泣いて幾人の手に守られて瞳をひらく
 友だちの赤ちゃん、本日誕生。仕事が終わって帰り道、携帯をひらいたら、写真つきでメールが届いていた。真っ黒な目の男の子。生まれたてなのに、もうぱちくりとひらいてた。すごい。感動してしまう。あの子は友だちのおなかから生まれて、そして新しい自分の目で、これからあらゆるものを見つめていくのだ。すごい。どうしてこんなことが起こるんだろう。不思議すぎる。
 今日生んだばかりだというのに、もうメールも打っているなんて、体力があるなぁ。そういえば中学3年生のころはアルトのパートリーダーで、がんばりやさんだった。高校になってからも、卒業して働き出してからも、いつも彼女は気丈で、へこたれているとこなんて、見たことがない。中学時代の彼女を思い出していたら、なんだか知らないけど泣けてきた。すごいよ、だって、たったこの前セーラー服着て一緒に歌ってた友だちが、子どもを産んでお母さんになっちゃうんだもん。なんだかわけがわからない、わからないけど、とにかく胸が苦しくなるほど素敵だ。今年はこれからあとふたりもの友だちが、赤ちゃんを産む。今までいなかった命をつくりだして、それから生んで存在させて、守り育てるだなんて。すごい。わけがわからない。
 今度実家に帰ったときには、抱っこしにいきたいなぁ。地元の友だちは、病院まで会いに行くらしい。あぁ私もいますぐ行きたい!もどかしい!未来のどこかじゃ「どこでもドア」が、在庫オーバーになってるに違いないというのに!仕方ないので、土曜日にお祝いを買いに行こうと思う。ベビー服にしようか、おもちゃにしようか、迷うなぁ。

***

 日記を書くということは、一日分の記憶や感情を標本にすることなのだと思う。標本は決定的に切り離された過去、時間の冷凍保存。保存したその日から、もうそれ以上、成長も腐敗もしない。文章にして記した時点で記憶は言葉に封じ込められ、もうそれ以上、はみ出して暴れたりしない。
by papiko-gokko | 2007-01-23 22:12 | Diary
懐かしいもどかしさだね一歩ずつ前ゆく君の影ふみ歩く
 何かを待つことと、秘密を持つことは、同じぐらいにもどかしい。そして私はそのどちらもが、同じぐらい苦手だ。もどかしさは、私の苦手な感情らしい。
 思ったことを何でも言葉にしようとする癖がついたのも、もどかしさから逃れるためなのだと思う。もやもやわからない感情が充満するもどかしさ、耐えられない。放っておいたら叫びかねない。だから、無理やりにでも言葉に変える。わからなけらばわからないほど、簡潔な言葉に無理やり押し込む。例えば「好き」とか「素敵」とか。
 もどかしさは、私にとって危険な種類の感情だ。もどかしさが募ると、破壊衝動が沸いてくる。なんだかよくわからないから、この果物、とりあえずナイフで切りまくってみていいですか、というような恐ろしい心境。切りまくってから後悔しても遅いのに。
 そうならないために、もどかしさをどんどん言葉にして固体化していかなくちゃいけない。もどかしさから逃れようと言葉にすがるあまり、精神を整理するべきはずの言葉に、いつのまにか精神が引きずりまわされていたとしても、嘘まみれになっていたとしても。
 先日読んだ本に、「文字は言葉の影にすぎない」という一文がでてきたのを思い出す。そうなのだとしたら、この日記は、まさに私の影法師そのもの。私は自分の影を見ているの、嫌いじゃないから影でもいいや。そういえば影踏みという遊びは、もどかしい。
by papiko-gokko | 2007-01-22 22:35 | Diary
踊り場でばったり会ったその刹那気づいてしまう想いがあった
 心地よく晴れて、元気もあり、恋人も仕事が休みだったので、久しぶりに行ってみようかと話していた場所へ行く。5年前私が上京して始めて住んだ街、大学時代の前半2年間を過ごした街。チェーン店とゲームセンターしかないギラギラした商店街、その商店街を抜けたところにある4階建てのブックオフと、私の住んでいたマンション。雰囲気自体は何も対して変わっていなくて、けれど確かに時間が流れた気配はあった。私がいなくても、すべての場所は何の違和感もなく成立する。
 始めて一人で食べた吉野家、ちょくちょく立ち寄ったCDショップ、一度だけ足を踏み入れたけどちっとも面白くなかったゲームセンター、マツキヨ、ダイソー、マクドナルド。人がチェーン店の策略に支配されめまぐるしく変わっていくようなこの街を、好きではなかった。それでも、目に映る風景あちこちから私だけのエピソードがシャボン玉のように湧き出してくる。当時の私は無気力なネット廃人で割と辛い毎日だったはずなのに、蘇ってくる記憶は決して嫌なものではなく、かつて自分がここで生きていたんだという感触が、むしろ愛しかった。こんなに愛しい日々ではなかったはずだと一生懸命鮮明に日々を思い出そうとするのだが、記憶は不思議なもので、どんなにがんばっても、断片的にしか思い出せない。長編小説を書いていたはずが読み返してみたら短編小説になっちゃっているような、ノンフィクション映画を撮影していたはずが、限られた場面を切り取った写真になっちゃっているような。
 同じ大学に通った恋人にとっても懐かしいその街を、ひとしきりふたりで歩き懐かしんだ後、やることがなくなったので結局ほとんどの時間を、思い出のブックオフで過ごした。今住んでいる街にはブックオフがないので、絶対行こうと決めていたのだ。恋人と階段をのぼりながら、ふたり同時にひとつの記憶に触れる。それは恋人と私の共有する最も古い思い出。まだ付き合っていなかったころ、ブックオフの踊り場で、彼とばったり会ったのだった。話したことはなかったが同じ授業を受け顔見知りではあったので、前方からやってきた彼と思い切り目が合った瞬間は、ひどくギックリとした。私は当時はまっていた漫画「うる星やつら」を抱えていて、それを大学の人に見られたのが恥ずかしかったのかもしれない。彼もギクリとしたのが瞬間的な空気でわかり、やけに気まずく、思い切り目が合ったにもかかわらず、会釈さえせずすれ違った。思い出の場所がブックオフの階段の踊り場って、全然ロマンチックじゃない。
 ブックオフで本を仕入れた後は、さして思い出のあるでもないチェーン店でご飯を食べ、お菓子屋さんでお菓子を買って家路に着いた。帰り道、何の話の途中だったか、ともかくくだらない話をしているとき、「君は精神を言葉に引っ張られてる」と彼がいい、ほんのひと時はっとする。言葉で精神の形を引っ張り出してきているつもりが、言葉の威力に精神が、未熟のまま無理やり引きずり出されているような、気がしないでもない。
 恋人とは、まだ共有していない思い出の数のほうがよっぽど多くて、だからこそ、共有している思い出の場所は、重要なのだった。また10年後ぐらいに行こうと思う。
by papiko-gokko | 2007-01-21 22:22 | Diary


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外部リンク