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日記と短歌


by papiko

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 指導課にでもなんでも呼ばれて、規定の用紙に反省文、だらだら書いて、自分の悪いところを自ら暴いてこねくり回して、私自身も指導課の人もすっかり反省を終えたつもりになって、許しの言葉を得て釈放されたい。広い広い校庭に、誰もやたらと場所をとるボール遊びなんかしていない、私の遊びたい遊具を誰にも占領されていない、だけれども一人ぼっちでは決してない、そんな雰囲気の校庭に、靴を履くのももどかしいようなふくらんだ思いで、飛び出したい。

 違う。許されたくなどない。別に、他人に許される筋合いはない。許されなければならないほどの過ちって、どの程度のものなのかもわからないのに、なんで、こんなに心が許しを請うのだろう。普通に生きているだけだ、泣いても次の日は会社に行って、今日はゴミを出すのを忘れたけれど、いつもはそれだって忘れないし、タバコも吸わないし不良なことをしたことはないし、なんで?誰が何を許してくれる?
 あぁ、そうか、誰かに許されたいときに、悪いことをしたりするのか。牛乳を、コタツ布団にぶちまけて、許されたい。だけど許されたら、とたんに、叱られたくなる気もする。ちょっと叱って、ずっと許して欲しいよ。私の過ちや悪意や堕落を、叱るでもなく許すでもなく、ただ悲しむなんて、そんなの一番ずるい、一番優しくない、アプローチ。
by papiko-gokko | 2006-11-30 00:14 | Diary | Comments(0)

 大切にしたいことや、やるべきことに、きちんと優先順位をつけながら過ごすことができれば、こんなにも混乱しないのだろう。大切にしたいことを見落として誰かを悲しませたり、やるべきことができなくて誰かに迷惑をかけたり、そんなことにならず、人に優しく誠実に、生きていけるのだろう。だけど、優先順位なんて、どうやってつければいいのだろう。何もかも大切で、やるべきことはきりがなくて、きりがないけれど何もないようでもあって、結局、混乱して、散乱して、ぼんやり。何も見極められないまま、捨てていくのか、捨てられていくのか、曖昧に笑いながら、諦められて生きていくのか。
 ぐるぐる、今日は、暗い気持ち。誰もいじわるじゃないのに、暗い気持ち。
by papiko-gokko | 2006-11-29 00:04 | Diary | Comments(0)

 今日は部内掃除当番の日。ひとりひとりのデスクを拭いていると、デスクマットに、仕事と関係ない写真やカードがはさまれているのが目に留まる。愛犬や我が子の写真、映画俳優のポストカード、故郷の山の写真、入社したてのころの自分の写真をはさんでいる人もいた。真中に何枚もはさんでいる人もいれば隅のほうにひっそり一枚だけはさんでいる人もいて、内容もはさみ方も人それぞれ違うけれど、誰もが同じように、デスクマットにはさんで見つめていたい対象を持ち、その存在を思うことによって、笑えたり、癒されたり、がんばれたりしながら、毎日を過ごしてしているのだろう。そう思うと、写真を見つめる人も写真に写っている知らない人や犬や景色も、何もかもが、愛おしくなった。会社のデスクに愛すべき対象の写真を挟んで、仕事の合間にふと、見つめたくなる瞬間が、誰にでもあるということ。人のそういう一面が好きだ。
 私のデスクマットには、まだ覚え切れていないことや覚えたてのことに関する紙ばかり挟んであって、写真を挟むスペースなんてないのだけれど、もう少し余裕ができたら、好きな写真をはさみたいなぁ。何をはさもう。たくさんある。まずはやっぱり、実家で暮す犬さん親子の写真。彼らはいつも今がすべてで家族と散歩とご飯が好きだから、仕事の合間にみると、さぞかしほっとするだろう。妹たちの写真もいい。今の写真もいいけれど、三姉妹そろって小さかった頃(私が6歳で、上の妹が3歳で、下の妹が0歳だった頃)の写真なんか、気が抜けていいかもしれない。それから、島根の日本海。腹が立ったらその写真に向かって、海の馬鹿ヤローって心の中で叫べばいい。あとは、好きなアーティストの写真もはりたいけれど、好きすぎるアーティストの顔写真をだと始終仕事に集中できなくなりそうだから、CDジャケットとかがいいかも。それから、いわさきちひろや林明子のポストカード、友だちからもらった絵葉書、破らなかった包み紙、恋人のへそ曲がりな字・・・あぁ、きりがない。敷き詰めても敷き詰めても足りないかもしれない。



スピッツのファンクラブ会員限定ライブチケットが、とれた!よっしゃああああ。ついに、マサムネさんの生声が、聴けてしまうわけで、それは相当すごいことなわけで、気絶しかねない!楽しみすぎる!2月10日が、待ち遠しい!!!早くもきゅんきゅんする!うううー!
by papiko-gokko | 2006-11-28 23:06 | Diary | Comments(2)

 愛すべき人のくれる、優しい錯覚に、支えられて笑っているような、一日だった。

 ゾウの背中に乗る夢を見た。一歩一歩が大きくて大らかで、ぐわりぐわり、景色が揺れてはびゅんと流れた。歩いていた場所は、いつも見ているような町並みだったのだけど、ゾウが大きかったので、全然違うふうにみえた。人は誰もいなかった。耳が可愛くて心地よくて、ゾウのテンポはやっぱりいいな、と思った。
 なぜだか、ゾウが好きだ。あの大きさも、優しげで穏やかな目も、戦わずして何者にも負けないような存在感も、遠い昔から歩いてきたような古びた色あいも、彼らの習性も,隠し持っているであろう凶暴性も、人よりずっとゆっくりうつ心臓も。ゾウのドキュメンタリーを見ると、哀しい物語じゃなくても必ず泣きそうになる。ゾウが鼻で絵を描くのをテレビで観た時や、仲間が死ぬと弔いをする習性があることを知ったときは、本当に感動して、一日中ゾウのことを考えていた。ゾウはあんなに身体が大きくて、耳も大きくて、鼻も大きいから、思い出をたくさん身体に蓄えることができるんじゃないかな。だとしたら、いいなぁ。私の思いでも、一緒に蓄えてほしい。

 「オペラ座の怪人」を観た。音楽が素晴らしかった。サントラが欲しいと思うぐらい、何度も聴きたい音楽や歌があった。そしてやはりファントムが、なんとも魅力的だ。私もファントムの歪んだ愛の罠と感情的な歌声に、魂を溶かされてみたい。ラブファントム。
by papiko-gokko | 2006-11-27 01:28 | Diary | Comments(0)

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今日は一日コタツにはまって、この絵を描いていました。稲葉浩志さんなのです。一日中どっぷり没頭できて、楽しかったなぁ。何かに没頭している間は、心がたっぷりしていろいろなことを肯定してくれます。一番自分が自分のままでいられる時間かも。今度は、誰を描こうかな。描くことでわかることがいっぱいあるから、自分の好きな人を、かたっぱしから描いてみたいです。描くぞ。修行あるのみだ。

***

 さっき、焦って洗物をしたら、たった数分前に麦茶を飲んだコップを割ってしまって、とても哀しかった。一度壊れたら直せないものを、元に戻らないものを、せめて人は、これ以上地球に増やさないでくれたらいいのに。哀しいし、しばらく動けないほど後悔するから。未来の人は、直せば元に戻るものばかりを、作ってください。取り返しのつく技術ばかりを、発展させてください。壊れないものが増えたら、後悔が減る。あ、だけど、壊れないものばかりだったら、大切にする気持ちも減ってしまうかな
by papiko-gokko | 2006-11-27 01:11 | Diary | Comments(2)

池袋駅東口に、今年も大きなツリーが設置され、行きかう人の首にはマフラーが巻かれていて、お店の中ではクリスマスソングが流れクリスマス限定商品がキラキラ並んでいて、あぁまた今年も東京が冬になったなぁと実感した。東京の街は、冬の季節に一番東京らしさを発揮すると思う。上京して一年目の冬、始めて東口のツリーとその側を行き交う人の群を見たときは、ドラマみたいな風景!と感動して、携帯でとった写真を母に送った。池袋のツリーを見るのは、これでもう5回目なのだけど、毎年その東京らしさに、感動してしまう。数え切れないほどたくさんの人に見上げられるツリーがあることの、楽しさ優しさ残酷さ。

 今日池袋へいったのは、新しいコートを買うためだ。3年前ぐらいにセールで買ったグレイのコートはあるのだけれど、どうしても今年は着る気にならなくて、今年こそお気に入りのコートを見つけて買おう!と決めたのだ。いろんなお店を見たけれど、結局いきついたのは、いつも私を惹きつけてやまないSM2のコート。色も襟の形もボタンのつきかたも、見た瞬間、一目で気に入ってしまった。コートと一緒に、大きな木のボタンのセーターも買った。これがまた、可愛い!SM2のボタンや襟の具合は、本当に可愛い。あぁ、冬は服を買うのが楽しいなぁ・・・。だけど、もう今シーズンの冬服は今日で最後。次は春服のころまで我慢だ。節約、節約。
by papiko-gokko | 2006-11-25 00:45 | Diary | Comments(4)

 刹那的でいよう、と思った。そう思ったら、少し、気持ちが楽になった。ただぼんやりと未来を妄想したり過去に思いを馳せるのは気楽で楽しいのに、未来を具体的に推し量ったり過去を正確に保とうとすると、とたんに切羽詰って立ちくらみがする。
 未来も過去も、基準にする単位次第で全然景色が違う。例えば、一日や一週間単位で未来と過去を考えれば、やらなければならない事とかやってしまった失敗とか、そんな日常の細々としたことで頭がいっぱいになってうんざりする。一ヶ月や一年単位で考えれば、あぁなんていろんなことが遠いんだろう、どれだけ繰り返せばひと息つけるんだろうかと、無駄にしんどくなってくる。それでいて10年単位で考えると、あぁ一生はなんてあっという間に過ぎていくのだろうか、こんなにもあっという間に過ぎていく人生のなかで、一体なにができるだろうかと、まだ23年しか生きていないくせに早くも途方に暮れる。
 そんな、単位次第で変わることを真剣に考えるなんて、少なくとも現時点では、馬鹿げている。未来はなるようにしからならず、過去は選ばれたぶんだけ思い出になるのだ。それならば、のんきに未来を妄想し、ぼんやり思い出と遊びながら、今繋がっている大切な人達と今ある出来事のことだけを、本気で夢中で考えてよう。さよなら、このまま離れていくであろう人たち、夢中で考えたくなくなった時点で、君はもう、思い出だ。
 つまり、稲葉さんの言葉を借りて言えば、「いつだって今が最高ョ」。椎名林檎の歌詞を借りて言えば、「確信できる今だけ重ねて」、ということ。

 手が荒れている。カサカサと無数の縦皺ができていて、まるで手のひら全体が、牢屋に入れられているみたい。こわいなぁ。クリームをぬりたくろう。友だちが持っていた、クリスマス限定のNIVEAクリームがちょっと欲しい。あれをもっていれば、手荒れが楽しくなりそう。彼女は、本来楽しくないことが楽しくなりそうなものをいろいろ持っていて、素敵だ。
by papiko-gokko | 2006-11-24 20:55 | Diary | Comments(0)

 恋人とそれなりのケンカをした後、「それで結局どっちが悪かったんだ?」と聞いたら、彼は「どっちも全然悪くなかった」と言い切った。「どっちかが少しでも悪かったということにしたら、じゃあ僕らの正しさって一体なんだ?ということになってしまうから不快だ」と。
 仲直りのスタンダードな手段は、お互いが自分の否を認め謝ることだ思う。だけど、私と恋人の仲直りは、どうやら違う。お互いがどちらも見方によっては正しかった、ということを、しぶしぶ認めあうことで、平和が保たれている。自分の否を認めようとすると、お互いの内側に相当のストレスが発生するけれど、相手の正しさをしぶしぶ認めるのであれば、しばらくある程度の苦々しさを感じるだけで済むのだ。まぁそれも一理あるってことにしといたげよう、あなたは仕方のない人だから、と、そういう解決法。お互いに謝るとしてもそれは、あなたにとっての正しさを否定してごめんね、という意味であって、自分が間違っていてごめんね、ではない。
 そういえば先日読んだ江國香織のエッセイに、こんな文があった。
 「甘やかしたり甘やかされたりするのは大人の特権だ(中略)幸福にしたりされたりする方が、教育したりされたりするよりずっと素敵だ。
 すごく共感。私と恋人の仲直り方も、結局こういうことなのかもしれない。正しさを認め合うことで、お互いを甘やかしている。特に恋人は、私に甘やかされていると思う。言い合いになると何かしらいかにも正しいようなことを言うので、後でよく考えれば明らかにダメ発想なことでも、ついなるほどと認めてしまう。恋人は恋人で、私がとんちんかんなことを言っても、まぁぱぴこは基本的に馬鹿だから仕方ないんだよね、と、諦めという形で私を甘やかしているふしがある(ある程度を超えると叱られるけど)。教育は、友達とか親がしてくれるから、恋人とは、幸福にしたりされたりしていたい。ある種の間違いを正すのではなくて、ある種の正しさを受け入れる(もしくは受け入れたことにしておく)。そのほうが素敵。あまりにも明らかに間違っていたら、さすがに正すし反省するけど。

 髪を切った。そして久しぶりに、少しばかり染めてみた。いかにも染めてますという感じにはしたくなかったので、ほとんどわからないぐらい微かな茶色にしてもらった。それでもやはり心なしか軽くなった気がする。大学生のころ、ちょっと染めたりしていたけれど、就職活動が始まるとかで長いこと染めるのをやめていたので、本当に久しぶりでドキドキした。
 長さも胸のあたりまで伸びていたのを鎖骨のあたりまで切ってもらって、かなりすっきりした。微妙に癖髪なので、短すぎても長すぎても跳ねていけない。肩より少し長いくらいの鎖骨のあたりがベスト。最初、「どんな髪型にしますか」と言いながらエビちゃんとか倖田來未が表紙の雑誌をもってこられたときは、わぁしまったどうしようと思ったけど、中身には普通っぽい髪型もあったので、よかった。明日会社に行くのが、ちょっと楽しみだな。

映画「かもめ食堂」を、恋人が借りたので一緒に見る。淡々としていて、のんびり物語が進んでいって、どこか確実に変わっていきながらも一番変わって欲しくないところは変わらないまま、解決しないまま終わったのが、とても好みだった。はっきり解決しない物語のほうが好きだ。初めと終わりで思考や世界がまったく変わってしまうような劇的変化のあるのは、苦手。私は前から見てみたいと思っていた「オペラ座の怪人」を借りたので、土日に見よう。それこそ劇的っぽいけど、恋愛に限っては、劇的なのもよい。
by papiko-gokko | 2006-11-23 22:25 | Diary | Comments(2)

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 今日はなんとなくお絵かき。子どものころ、眠れない夜が本当に怖かった。妹たちの寝息が深くなっていって、時計の針がちくちくまわって、自分だけがどんどん取り残されていく感じ。誰かに、私はまだ眠れていないってことを伝えなくちゃ、忘れられそうで、それがたまらなく嫌で、布団をでて親のいる部屋へ行っては泣き眠れないことを主張し、散々困らせた。ある夜母に、「眠れないときは、お布団にもぐって、小さい声で遊んでごらん」と提案され、それをするようになってから、少しだけ、眠れないことがこわくなくなった。寝転んだまま、ぬいぐるみや指人形を相手にごっこ遊び。自分の発するかすれたつぶやき声が、暗い布団のなかでこもって熱を帯び、なんとなく特別なごっこ遊びっぽくなる。あれこれごっこをしているうちに、だんだん指が動かなくなってきて、しゃべるのを忘れ始めておやすみ。
by papiko-gokko | 2006-11-22 00:58 | Diary | Comments(0)

 がしゃごしゃ洗い物をしながら、中学時代合唱部で歌った「カントリーロード」や「君をのせて」を口ずさんでいた。私はメゾソプラノだったから、今でも合唱で歌った歌を口ずさむときには、無意識にメゾのメロディをなぞっている。口ずさんでいるうちに、声が記憶をくすぐって、頭の中で懐かしい友だちの歌声が、自分の声に重なり始めた。気のせいじゃなく、はっきり聴こえハモり始めたのだ。
 一番一緒にいろんなことした友だちはソプラノ、いつもそばにいた安心な友だちは私と同じメゾソプラノ、恋の話に花を咲かせた友だちはアルト。部活で存分に歌って、終わってからも、すぐには帰りたくなくて、しょっちゅうぐだぐだ教室にいた。サッカー部が練習を終えて片づけをしているのを眺めたり、黒板でセーラー服を粉だらけにしながらおもしろい先生の真似っこして遊んだり、好きな男の子の机にちょっと座ってはしゃいでみたり。あのころ教室は、常に好きな男の子の机を中心に成り立っていたなぁ。
 歌えば歌うほど、頭の中で和音が広がり、当時のこっ恥ずかしい記憶が甦った。中学時代の記憶なんて少し前まではあまりにも痛くて恥ずかしくてなるべく思い出さないようにしていたけれど、ようやく冷静に思い出してニヤニヤできるようになってきた。曖昧な子ども時代の記憶とは違う、はっきり自我と記憶のある過去が、こうしてだんだん増えてきて、あぁ、私は間違いなく私の人生を、じわじわ生き続けているのだ、と、実感する。
 同じ部活で同じ歌を歌っていて、ソプラノとメゾとアルトという違いが全てだった友だちが、今はもう、それぞれ全然違うリズムの毎日を送っているということが、たまらなく不思議で不可解だ。あの頃にした予想であたったことはふたつ。一番早く結婚しそうだねって言い合っていたアルトの子が本当に去年結婚したことと、当時からナースさんになるって言っていたソプラノの子が、今年めでたくナースになったこと。それは素晴らしく特別な出来事のような気もするし、ごく自然で当たり前のことのような気もする。メゾソプラノだった私と友だちは、メゾソプラノらしく、漂っているところ。
 ちょっと旋律を歌っただけで、懐かしい声がちゃんと記憶のなかで一緒に歌ってくれたことが、嬉しかった。
by papiko-gokko | 2006-11-21 00:31 | Diary | Comments(0)