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日記と短歌


by papiko

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 なにやってんだかしたいんだか、よくわからないまま、今日もちゃんと生きました。
 なぜ一気にみんなして、なくなっちゃうのでしょう。リンス、洗顔、石鹸、洗濯洗剤、食器洗い洗剤、サランラップ、醤油、料理酒、お米・・・みんなして、一気になくなっちゃうもんだから、買わなくちゃいけなくて、買いたいものが全然買えない。まったくまったく。

 今日の短歌は、もうひとつのバージョンがあって。
『不器用にガードレールを飛び越えてまた同じ空あせた標識』
どっちのほうがいいかわかんなくて、題名はスカートにした。どっちがいいかなぁ。
by papiko-gokko | 2005-03-31 19:49 | Diary | Comments(0)

 絵本の絵を今日は二枚描いた。一枚描き始めるたびに思うのだが、物語にそって絵を描くのって、すごく難しい。それに、何枚も描いているうちに、だんだん絵の雰囲気がかわってしまいそうになる。できあがっている文章を読みながらイメージを自分の中につくって描いているのだが、なかなかそう簡単にはイメージどおりに表現できなくて。絵本作家さんや漫画家さんってすごいんだなぁと改めて感じた。やっと今半分ぐらい描きあがったところ。あと半分、はやく完成させたいなぁ。楽しい。
by papiko-gokko | 2005-03-30 19:48 | Diary | Comments(0)

太宰治


 少し久しぶりに太宰治を読んだ。「ろまん燈籠」。うん、いい。太宰治はやっぱり読んでいると気持ちよくなる。内容はずっと前に読んだ三浦しをんの「ロマンス小説の七日間」と通じるものがあり、題名的にも、もしかしたら、三浦しをんは太宰治のこの作品を意識して書いたのかなぁとか思う。
by papiko-gokko | 2005-03-30 16:03 | Comments(0)

 三年生の時に受けた詩歌論の先生(歌人)が、ご自分の著書の中で、現代短歌についてこんな風に述べておられた。

 『送られてくる雑誌や歌集を拾い読みしていていつもそう思うのだ。歌わずにはいられないという切実な想いからは遠い所で、自分を迎え入れてくれる結社や歌壇の人々に向けて、抗いなく発せられる賀状のような歌たち。歌いたいという必然の欠落したお遊戯!』 

 これを初めて読んだとき、かなりガツンときた。賀状のような歌たち。歌いたいという必然の欠落。歌いたいのまえに、読まれたい評価されたい、そっちの欲のほうが露骨ににでているお遊戯。そうだ、本当にまったくそのとおりだと思った。私のいくつかの歌も含めて。
 今はネットのおかげで、自分の短歌を他者に読んで貰うことが容易くなった。プロの歌人さんを中心としたコミュニティや企画などもいくつか存在する。そういったところで発表すれば、それなりに反応を得ることが出来る。しかし、だからといって、その魅力にばかり捕らわれ、短歌を詠む一番の理由を見失ってしまってはいけないなぁと思う。
 私はいつのまにか、短歌を詠む一番大切な動機を見失いかけていたかもしれない。ネットで公開することで反応がかえってくるという刺激に溺れ、反応ばかり気にし始めていた。だけどもう、そんなからっぽ短歌は詠みたくない。ありふれたテーマで、奇抜じゃなくてもいいから、私は私のために、そして、評価を得るためではなく、感情を伝えるために歌を詠もう。そう思う。それが現代短歌・ネット短歌の流れに反しているのだとしても。
 詩歌論の先生は、ゼミでこんなことを言っておられたそうだ。「一首の歌の背景には、一千枚の物語がある」と。言葉の表面を波立たせるだけの薄い歌じゃなく、私も、そんな短歌を詠めるようになりたい。そして同時に、メロディにのせて歌えるような歌を詠めたら、最高。
by papiko-gokko | 2005-03-29 19:48 | Diary | Comments(0)

 『八雲立つ 出雲八重垣 妻篭みに 八重垣作る その八重垣を』
 ご存知、日本で一番最初に詠まれたという、日本最古の和歌である。この和歌、とても好きだ。理由は単純で、「出雲」という自分の生まれた土地の地名が入っていることが嬉しいから。私は転勤族だったから、ずっと島根で育ったわけではないのだけれど、生まれたのも実家があるのも島根だし、期間が一番長いから、それなりに自分の故郷を愛している。島根にいたころは、田舎であることがイヤでイヤで、早く都会にでたいとばかり思っていたくせに、今はちょっと不安定な時なんか、出雲という文字を見ただけで泣きそうになったりする。だから、私の生まれた地で、日本で一番最初の和歌が生まれたのだなぁと思うと、本当に嬉しい。新幹線通ってなくて、どこへ行くにも交通の便が悪くて、岡山にでるのさえ三時間かかってかなり不便なので、住む土地としてはオススメできないけど。
 で、何を書きたかったんだろう・・・つまり、そう、そんな地で生まれることができて、よかったなってこと。
by papiko-gokko | 2005-03-28 19:47 | Diary | Comments(0)

 今日のバイトは死ぬかと思った。こんなに忙しかったのは久しぶりだった。大きなバケツたっぷり入っていた蕎麦つゆが4時間でからっぽになるぐらい、引き出しいっぱいあった割り箸が足りなくなるぐらい、思考回路が膨張しすぎて頭が痛くなるぐらい、そんぐらい忙しかった。
 今日は気候が春めいたから、みんな浮かれて一斉に外に飛び出したんだな。お洋服着て時計して、やってることは虫や草花と一緒なんだから、まったく人間てば、へんてこ動物。へんてこ動物の襲来のせいで、大好きな春がちょっと嫌いになりそうでした。でもやっぱり大好きだけど。
by papiko-gokko | 2005-03-27 19:45 | Diary | Comments(0)

僕らの音楽


 「僕らの音楽」にB'zがでた。たっぷり30分間B'z、素晴らしかった。私はこの番組のことをすっかり忘れていたので、直前に恋人がメールで教えてくれなかったら、絶対あとで悔しい思いをしたと思う。本当によかった。やっぱりB'zのパワーってすごい。ぐぐっと元気がでた。
 歌詞をつくるときどうするのかを聞かれたとき、稲葉さんは「自分の中でタブーの言葉を作らないこと。」と答えていた。タブーの言葉をつくらないこと、確かにこれ、重要だよなぁ。タブーがひとつあるだけで、ぐんと幅が狭まってしまいそう。
 それからやっぱり歌詞は、生活の変化の中から生まれてくるものなんだって。稲葉さんほどビッグな人でも、やっぱりそうなんだなぁ・・・。どんなビッグな人にも、「生活」がある。生活していくということは、実はすごく大変なことだ。だからこそ、歌が生まれるのだろう。にしても稲葉さんの生活って想像が付かない。奥さんと子どもと犬と仲良く暮らしてるイメージ。
 B'zが長年続いた理由を問われた時には、松本さんが「互いの意見を尊重しあったからだと思います。」と言っていた。恋人同士みたいなことを言う。でも、互いの意見を尊重しあうって本当に大切。それができるとできないとでは、大違い。
 ああ、今日は三回も日記書いちゃった。暇人だ。明日は一日バイト。がんばろ。
by papiko-gokko | 2005-03-27 15:05 | Comments(0)

ぺろんちょ


 この前受けた筆記試験やっぱ落ちてた。早くも結果がきてて、「まことに残念ながら、ご希望に添いかねる結果となりましたので、ご了承下さいますようお願い申し上げます。」だって。
 いいもんいいもん、院長の髪型、ぺろんちょしてて変だったし。ぺろんちょめ、眼科の癖に、こんなにもメガネ&コンタクト歴の長い私を落とすとは、愚かな。私の頭が悪いからって。一応頑張って勉強したのに。まったくもってぺろんちょだ。

 今、隣の人がものすごいでかい音で音楽を聴いてて、胃がキリキリキリキリする。こういうのは本当に勘弁願いたい。自分の家にいるときぐらい、他人から開放されたいのに。うるさいから私も大音量で聴いている。ヘッドフォンでだけど。ヘッドフォンで大音量にしとけば、とりあえずあっちの音が聞こえないので良い。あ、今稲葉さんが「勝手にしやがれ」歌ってる。そうだそうだ、勝手にしやがれ、みんなみんな、勝手にしやがれ。世界なんか大嫌いだ。

 あ、日記かいたら、すっきりした。隣の音のこともどうでもよくなった。この日記すごいな。ここに感情を吐き出すことで、私はいろんな今を飲み込める。ありがとうここ、そしてこんな私のこんなぼやきを読んでくれている方。公開している以上本当はもっと楽しいこと書ければいいんだけど、そういう才能はないみたい。

 トップ絵とサイトの内容があってないのは変だと思ったので、トップの絵を書き換えました。個人的には十六茶風も気に入っていたので、男の子と女の子はアバウトの方に移動しました。そしてトップにはまた風船少女を。風船少女=私では決してないんだけど、髪の毛がぼさぼさになってしまったのは、私の髪の毛がぼさぼさだからだと思います。髪の毛って、無意識に自分と似た感じにしてしまいます。たぶん単純に、一番見慣れている髪型だからでしょう。

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 ネットで出会った友だちが、島根県へ一人旅に出かけたしたそうです。その旅行記を今ブログで書かれていて、それを読んでいると、なんかすんごい嬉しく切なくなります。自分の故郷を訪れてくれる人がいることが、こんなにくすぐったいことだなんてなぁ。彼女のブログの中に、「山陰の空は高くて広いんです。あんなに大きな空は初めて見ました。」という一文があって、わぁやっぱりそうなんだなぁと思いました。そう、高くて広くて、そして雲がもくもくのびのび。今は竹島問題で、ちょっとのびのびしてられないかもだけど。
by papiko-gokko | 2005-03-26 19:44 | Diary | Comments(0)

 「ネット短歌」「ネット歌人」という言葉が、好きじゃない。それはひとつの世界のようで、飲み込まれてしまいそうで、怖いのだ。ネット短歌って、どこから生まれた言葉なんだろう。ネットの短歌?ネットで短歌?ネットに短歌?ネットと短歌?・・よくわからないけれど、私は私の短歌を、「ネット短歌」だとはどうしても思えないし、思いたくない。しっくりこない。
 私が短歌を詠むのは、ネットがあるからじゃない。「私」がいて、幾人もの「君」がいて、その間を流れる「時間」と、時間に伴って変化していく「風景」があるから、だから詠むことができる。ネットは、そうしてできた歌を公開してそれを人に読んで頂く事で磨いていくための手段に過ぎない。だから、君のはネット短歌ですかと問われたら違うと言いたい。
 これは、「ネット短歌」「ネット歌人」という言葉に、コンプレックスを抱いているのかもしれない。だって私がそれらの言葉を知ったのはつい最近(短歌をネットで公開し始めてかなり立ってから)で、その流れには完全に乗れていないし、最近ネット短歌の世界で盛んに行われているらしい題詠み短歌(お題にそって歌を詠む)も苦手でできないし。だって題名を与えられると、たちまち気持ちがしぼんでしまう。視野が狭くてガキだから、自分で見つけたお題じゃなきゃ、自分の短歌を詠めない。与えられたお題で詠めば、感情の入っていない、ただ技巧を凝らしただけの歌になってしまう。そんな短歌は趣味じゃない。
 ほら、きっと全部、コンプレックスなのだ。自分を中心にした歌しか詠めない、うまく時流に乗れない私の、幼稚な嫉妬なのだろう。私の発する「嫌い」「イヤだ」という言葉には、いつもどこかに劣等感がまじっている。私のあちこちにねっとりこびりついている劣等感の膜を引き剥がされそうになったとき、私は必死で嫌いだイヤだと叫ぶ。そうすることでしか、恐怖をはじけない。

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 今日今まで聴いた中で、ビリビリきた歌
スピッツ『うめぼし』『アカネ』『ジュテーム?』『ハチミツ』『初恋クレイジー』、稲葉浩志『Soul Station 』、B'z『儚いダイヤモンド』、GARNET CROW『この冬の白さに』、エレファントカシマシ『孤独な旅人』、中島みゆき『忘れな草をもう一度』、アジカン『N.G.S』、椎名林檎『本能』、鬼束ちひろ『infection』。自分の趣味がよくわからない。とりあえず、今日の1位はスピッツ。マサムネさんの言葉の並べ方って、大好き。もーまさに、私の憧れとする言葉の柔軟さだなぁ、これは。
by papiko-gokko | 2005-03-25 19:32 | Diary | Comments(0)

 愛知万博の開会式を見ていた。ロボットが人間そっくりの動きをしていて面白かったけど、ちょっと恐かった。あんなに人間そっくりなのに感情がないなんて、なんか不自然で不気味だ。ロボットがこれ以上素晴らしい人間ごっこ始めたらどうしよう。だんだんどっちがどっちかわからなくなって、そのうち劣等感という感情を持つ人間が優秀ロボットごっこを初めて、感情が邪魔とされる世界になるかも。だからロボットは、あんまり人型じゃないほうがいいな、二投身のネコ型とかにすべき。

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 私は感情モーター人間だから、理屈ブレーキ人間が傍にいてくれないといけない。私が感情でスカスカな意見を言ってしまったとき、そんな私の言葉を、理屈でねじ伏せることのできる人が必要だ。じゃなきゃ、私は感情をむくむく太らせて、視野がどんどん狭まって、やがては外を歩けなくなるかもしれない。
 物事を理論的に考えることができることはいいことだ。様々なことを、きちんとじっくり「思考」することが出来る。例えその答えが出なかったとしても、そこには答えが出なかったという「結果」があって、組み立てた理論の軌跡が残る。しかし、私はへなちょこで、物事をうまいこと理論的に考えることが出来ないものだから、なんだって、感情論に逃げてしまう。「悲しい」、「悔しい」、「辛い」、形容詞だらけだ。そうして物事に自分の感情をあてはめることで、それを思考し解決した気になってしまうのだからたちが悪い。
 理論と感情論の間では、現実が渦を巻いている。理論は外側から現実に真実を刺すことが出来るかもしれない。だけど感情論はただただ現実に飲み込まれて流されていくばかりで、一体何が出来るのだろう。流されていく中で、現実の内側に色を与えることは、あるいはできるかもしれないけれど・・・。
 昨日、テレビでやっていた討論みたいなのを初めてまともに見てそんなことを思った。理論で責める人たちは、精神論感情論を「きれいごと」という一言で片付けてしまう。それはあまりにひどい冷たいって思いながら、だけど一方で、ああ確かにそうかもしれないと思っている自分もいて。でも、討論って相手が傷つくかどうかお構いなしに言い合うからすごく苦手だ。ふかわりょうと一緒に泣きかけた。もう見ないな、あの手の番組は。

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 Tankaを更新しました。あと、先日ここで紹介した短歌の漢詩も、コラボレーションという感じで、Tankaのほうにアップしました。なんかこの場合コラボレーションという言葉を使うのは、微妙に違和感あるなぁ。レーションっていうあたりが特に。それっぽくするなら、レショニズム。コラレショニズム。
by papiko-gokko | 2005-03-24 19:29 | Diary | Comments(0)