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日記と短歌


by papiko

雷雨


 帰宅時間めがけて、すさまじい雨が降った。バケツをひっくり返したような、どころじゃなく、水道の蛇口を引っこ抜いてしまったみたいな、力加減を知らない全力豪雨。会社からでたら道路はすでに水たまりじゃない場所のほうが少ない状態になっており、折りたたみ傘を開いたとたんバチボチ大きな雨粒が叩きつけてきて、傘の柄を握る手までその振動が伝わり、駅までたった五分の移動で、ズボンの裾から膝ぐらいまで、びしょぬれになった。鳴り響く雷と激しい雨音に、街の騒音はほとんどかき消され、風がふくたび空気中の雨がぶわぁっとカーテンみたいに波打って、なんだか地球の創世記にいるような気分になりながら歩いた。喜びのようでもあり、怒りのようでもある、創世記の感じ。
 駅のホームに立ったところで、空から地上へ向けてカカカッと走る稲妻を見た。おおお!と自分が全身を強張らせるのとほぼ同時に、小さな子が「ぎゃあー!」と泣きだし、それからすぐそばにいた女子高生ふたりが、「今のみたよね!?」「みたー!こわー!」と、手を叩き身体をよじりながら笑いあっていて、恐い時に本能で泣きまくれるか、もしくはその瞬間を共有したことについて笑い合える相手がいるのっていいなぁと微笑ましく思い、泣けもせず笑い合う人もなく平静を装っているしかない自分の立場が、ちょっとさみしくもなった。仕方がないので、同じようにひとりでホームに立ち稲妻に驚きつつも平然としていたおじさんの真似をして、折りたたみ傘をたたんだりまた開いたりして、時間をつぶしていた。各駅停車の到着を待つ間に、豪雨をくぐって特急電車が過ぎ去っていき、猛スピードの車体全体で白く鋭いしぶきを上げながら走るその姿は龍のようで、びゃっと一瞬しぶきがかかったのも、嫌じゃなかった。
 最寄りの駅からは、ちょうど雨が弱まったときを見計らって、自転車で帰宅。帰宅後また雨足が強まっていたようだ。七時頃まで雷も鳴っていた。雷は祖母を思い出す。ある夏、母が用事でおらず、祖母と私と上の妹の三人でいたとき、お昼寝のころにすごく雷がなって、私と妹が怖がるたび、「おへそかくいて(隠して)寝とれば、なんだいおぞい(恐い)ことないわね」と力強くいい、私と妹は、一生懸命にタオルケットをおへそのところへかけて、祖母に寄り添った。おへそを隠していれば大丈夫という言葉以上に、雷をまったく恐れていない様子の祖母の口調に、とても安心した。雷が鳴るたびに、あのお昼寝の夏を思い出す。自分が恐がるものを、ちっとも恐がらない人がそばにいる安心感。子供のころにはいろんな人がそれをくれたけど、今は減ったなぁ。
 今はすっかり雨もやみ、静かな夜。日記を書いて今日もおやすみ。怖い、許せない事件、頭から離れなくても、平然と明日がきてしまうから、私は新しい一日を迎えるというそれ自体で、誰かの魂を、裏切っている気持ちになる。

***

 文学全集を読んでぐっときた文を抜き出そう月間。今日は梶井基次郎。この人は文庫を持っていたのだけど、なにかの折りに、当時恋をしていた人が読みたいと言ったからあげて、それきり読んでいない人だった。ので、ある意味で私の青春の作家さん。水中に転がる色とりどりのビー玉を、掌でぶわりかちゃりと弄ぶような、透明な不安にひきつけられる文章。

 『この溪間ではなにも俺をよろこばすものはない。鶯や四十雀も、白い日光をさ青に煙らせている木の若芽も、ただそれだけでは、もうろうとした心象に過ぎない。俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る。俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心は和んでくる。』(桜の樹の下には)

 『川のこちら岸には高い欅の樹が葉を茂らせている。喬は風にそよいでいるその高い梢に心は惹かれた。ややしばらく凝視っているうちに、彼の心の裡のなにかがその梢にとまり、高い気流のなかで小さい葉と共に揺れ青い枝と共に撓んでいるのが感じられた。
「ああこの気持」と喬は思った。「視ること、それはもうなにかなのだ。自分の魂の一部分あるいは全部がそれに乗り移ることなのだ」
 喬はそんなことを思った。毎夜のように彼の坐る窓辺、その誘惑――病鬱や生活の苦渋が鎮められ、ある距りをおいて眺められるものとなる心の不思議が、ここの高い欅の梢にも感じられるのだった。

(ある心の風景)
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by papiko-gokko | 2008-06-09 23:22 | Diary | Comments(0)