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日記と短歌


by papiko

夕焼けがきれいで花が咲きそうで僕とあいさつ交わしませんか


 朝はまぶたと気が重くて足元ばかり眺めながら歩いているし、帰るころにはどんどん日が暮れてきて景色が鮮やかじゃないから、ここ数日うまく春を感じられないままでいる。眠くても暗くても桜が咲き始めているのくらいはわかるけど、まだ、きれいとは一度も思っていない。日曜日は近所を散歩して、花見をしよう。私がてんで変わらなくても、桜はせっせと咲いてせっせと散るんだから、満開めがけて焦らねば。

 近所の肉屋の店先で、帰宅するころ毎日おじさんが焼き鳥を焼いている。小柄でお茶目で、にこやかなおじさん。引っ越して間もないころに一度だけそこで焼き鳥を買ったら、三百円のお釣りを手渡されるときに「はい、おつり300まんえん」と言われて、一緒にいた恋人とふたりして「えへへ」と思わず昭和の子供みたいな笑い方をしてしまい、そんな自分たちと新しく越してきた街の人との関係に感動したのだった。おじさんのお店からはいつも焼き鳥の焼ける美味しいにおいがするから、歩きながら無意識のうちにそちらのほうへ目がいって、それでたまにおじさんと目が合ったりなんかすると、顔を覚えてくれているのか誰にでもそうするのか、必ずニコッと笑いかけ小さく会釈してくれる。
 今日の帰り道、そのおじさんはちょうど買出しか何かだったのだろう、いつものエプロン姿で私のちょっと前をひょこひょこ歩いていて、すれ違う人ひとりひとりに、和やかな調子で「こんばんは」と挨拶していた。それまで無表情で歩いていた人も、おじさんと挨拶を交わすと同時に歩幅から指先まで和やかな様子になって、私はそんなおじさんの後ろを追い越さないように歩きながら、家族や友達以外の人とこんな自然体の挨拶を交わせる人が今自分の住む街にいるのだということを嬉しく感じた。そして、挨拶の度ちょこんと丸く曲がるおじさんの背中を眺めているうちに、あぁこの人が死んでしまったら悲しい・・・!と急に強く思い、泣きそうになった。おじさんがどんな性格なのかもどんな人生を歩んできたのかもしらないのに、ただ夕暮れに交わす挨拶を聞いただけで、その人の死を悲しめたりするものなのか。
 単純に、自分に対して自然体の挨拶をしてくれる人がこの世からひとりでも減ってしまうことを考えると悲しくなるし、それに、挨拶は、人の死に一番寄り添っている言葉のような気もする。おはよう、こんにちは、こんばんは、ただいま、おかえり、おやすみ、繰り返すけど永遠じゃないね、だけど明日もその次も続くといいよね、そんなふうに、互いに毎日教え合い確かめ合うための言葉。そうか、だから挨拶は大事なのか。今日という日に自分の生命を馴染ませるために、同じく今日を生きる人たちと自分の生命とを繋ぎあうために。私もそのうちおじさんの後ろを歩くのじゃなくて、すれ違い挨拶を交わせたらいい。あの和やかな、日暮れの群青に灯るような挨拶。

***

 最近、自分と同年代ぐらいの人が、ドラマやら歌やらスポーツやらで活躍しているのを見ると、それだけで元気づけられるようになった。学生時代は同年代の人が周りにいくらでもいたけれど、社会人になると年齢がバラバラだから、同年代でがんばっている人って、もうそれだけで無条件に愛しい。あぁ、この人もがんばってるんだなぁ私もがんばろう!と、なんのひねくれもなく思えてしまう。

 会社にいると、気持ちも言葉もどんどんどんどん縮んで一色になってしまうのだけど、今日は家に帰って、高校生男女の織り成す純愛少女漫画を読んだら元気がでた。やっぱり、私の活力の源は恋なのだな。恋すれば花も涙も美しい。はぁ、きゅんすかきゅんすか。浮気とか不倫の類は全然したくないけど(私みたいな鈍臭いのがそれをしたら、自分も周りも傷つけまくると思うから)、いつまでもいろんな人やいろんなことに恋をしていたいな。恋というよりは大抵ただの憧れだけど、片思いって楽しいから。片思いといえば新曲の稲葉さんがかっこよすぎる。公式サイト(音量注意?)でPVが流れて、あまりのかっこよさにどうしようかと思った。稲葉さんのかっこよさときたらもう不滅すぎる。はぁ、片思い楽しい。
by papiko-gokko | 2008-03-25 22:11 | Diary