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日記と短歌


by papiko

純情アクション


 仕事帰り、駅のホームから紅い夕焼けが見えた。目に見えて、日がだんだんと長くなっていく。もうすぐ春!だいたい毎年、「もうすぐ春!」と百ぺんぐらい心で叫んだころに、桜がひらき春の核がくる。

 営業さんたちにあげるバレンタインチョコを、今年は私が営業事務代表で買いに行くことになった。バレンタインの代表!これまで務めた幾つかのどんな代表よりも、楽しい代表の気がする。気さくで優しいイケメン三十代の営業さんたちに、ちゃんと喜んでもらえるようなチョコレートを選ばなくては。妻がイラッとひるみかねないくらいの素敵チョコが見つかるといい。予算はひとりあたり500円だし、もし自分の恋人が外でそんな素敵チョコをもらって帰って見せびらかそうものなら、握り潰して酢でしめて塩焼きにするけれども。
 私の務める会社の営業部は、ひとりの営業さんをひとりの営業事務員が担当するというマンツーマン体制だから、チョコもそれぞれ事務員から自分の担当する営業さんに渡すことになっている。去年もそうだった。去年は確かメッセージカードも書いたなぁ。そのころ私は担当の営業さんにまだ馴染めていなくて、それどころか苦手意識が強くやたらと恐がっていたから、「いつも迷惑ばかりかけてすみません、おせわになります」みたいな、そんなメッセージを紺色のペンでぎくしゃく書いた記憶がある。
 去年から担当の営業さんはずっと変わっていないので、それぞれ今年も同じ人にあげることになるけれど、私は去年よりはずっとずっと、心を込めて渡せる。なんたって今は、担当の営業さんをとても好ましく頼もしく思っているのだから、去年とはまるで違う。きっぱり的確にものを言えるところも、スバスパっと謝れるところも、何気に休日不良なところも、顔が柔道の野村選手似で迫力あるところも、去年は全部が苦手で恐かったのに、今は面白いなぁ素敵だなぁと思いつつ味わっている。一人の人を本当に好きになるか嫌いになるには、私の場合、最低でも二年かかるようだ。それも毎日顔をあわせなくては、二年でも馴染めない。そんなわけでほとんどの人とは、本当に好きか嫌いになるまえに離れてしまうので、数少ない本当に好きになれた人のことは、心ゆくまで味わうのだ。

 昨日の日記の最初で書いたことについて。自分をこう思われたい、こうは思われたくない、と、会社でしきりに思ってしまうのは、一緒に働いている人たちのことを、私が好きになったからだからなんだと、気づいた。自分をよく思われることで、ちやほやされたいとも思っているわけじゃない。見返りを求めるわけでもない。ただ、「仕事をするからには役に立ちたい」「お茶を入れるからには美味しく飲んでもらいたい」と思う、その単純な思いの向かった先にいる人を好きだった場合、思いが想いと化し、「この人から役に立ったと思われたい」「この人から私のお茶をおいしいって思われたい」に、発展してしまう。理想が自分の感情範囲をはみ出してしまう。
 だいたい、自分の好かない人間にもよく思われようとしてがんばれるほど、私は心の広くひたむきな人間ではない。自分の好きじゃない人に映る自分になどほとんど無関心だ(時と場合によっては、そういう人の存在にこそ執着することもあるが)。相手を好いているからこそ、相手の目に映る自分を意識し、相手の気持ちに気持ちを走らせてしまう。それは、無様な、みっともないことか。純粋な感情でないことだけは確かだけど。
 好きは好きでも、家族や恋人や親友に対する好き、つまり自分にとって内側にいる好きな人に対する場合、今度は、私の嫌いな私も分かって好きになって欲しい!というワガママまででてきて、これでもかというほど包み隠さずさらけ出す人になるので、また話は変わってくる。そういう人たちといるとき、超内弁慶の私はとても気楽で、ご機嫌だったり不機嫌だったりおしゃべりだったり無口だったり、自由気ままでいる。親しくなりたての友人とか会社の人とか、そういう、自分にとって外側にいる好きな人たちといるのが、一番刺激的で、気が気じゃなくて、神経をつかって、くたくたに疲れる。
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by papiko-gokko | 2008-02-08 21:36 | Diary | Comments(0)