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日記と短歌


by papiko

うさぎのバイクは見つからない


 雲ひとつない冷たい青空、白く鋭利な日差し。体を小さくして、うつむき加減に歩く。ホッカイロ貼って、ニット帽ふかくかぶって、厚手のタイツをはいて。まるで夏みたいにくっきり晴れ渡っているのにものすごく寒くて、太陽も青空も、氷でできた張りぼてみたいに思える。冬にはほとんどの日が低い雲に覆われている出雲の地で育った私には、いつまでたっても慣れることのできない光景だ。こんなに乾いて冷え切った青空と、こんなに硬く強張った太陽は、どうにも奇妙すぎて見上げていられない。白昼夢のような、近未来のような、舞台の上のような、絵本の中に入ってしまったような、まったく嘘っぽい感じ。

 土日で心の表面に形成されたささやかな幸福感の膜は、出社とともに破られる。ダメ出しで始まる月曜日。破られた膜は、あふれ出してきた負の感情をアメーバみたいに吸いこんで、どろどろどろどろ増殖して体中に広がり、まぶたや肩や心臓を重くする。

 憂鬱や苦々しさが沸きあがるたび、自己暗示の言葉をおまじないのように心の中でつぶやいてやり過ごす。たとえば歌の歌詞、小説の一文、アニメのセリフ、自分がどこかで書いた言葉、誰かの発言、自己暗示に使えそうな文字列は、なんでもかんでも手当たりしだいに唱える。自己暗示の言葉は一時的に私の気分を浮き上がらせて前向きにするけれど、おまじないには必ず効き目の制限時間があるものだから、効力が切れて再び心が重苦しい感情に飲まれかけるたび、何度も何度も、繰り返し唱えなければいけない。一日のなかで十も二十もおまじないを唱えてそのすべての効力を使い果たしたころには、もう、自分が何を嫌で何を欲しているのか、よくわからなくなっている。

 私が日常的に抱く、不満や不安や苛立ちや恐怖や躊躇や切なさやその他多くの感情は、客観的に解釈すれば、「わがまま」と「思い込み」いう二つの言葉で、片付いてしまうものなのだろうな。私からわがままと思い込みを取り除いたら、何になるだろう。濁りがいくらか消えたとしても、美しくはならないだろう。

 希望でも絶望でもない、焦燥でも倦怠でもない、私がいま感じているのは、これは、低音で低温の、怒りだ。
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by papiko-gokko | 2007-12-17 21:15 | Diary | Comments(0)