日記と短歌
by papiko
私の体験した地震。
 恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい地震。これまで生きてきた中で、もっとも恐ろしくて、心細い体験でした。
 揺れを感じたのは、授乳を終え、ご機嫌の娘を膝にのせて戯れながら金八先生の再放送をみているとき。ゆさゆさ小さく揺れはじめ、嫌な感じの揺れだなと、娘を抱いて立ちあがりベランダのある窓の方へ向って歩くうち、みるみる揺れが強くなり、これまで聞いたことの内容な音につつまれ、片手で娘を抱いたまま、もう片方の手で窓をあけ、揺れが収まるまで、目を見開いてサッシにしがみついていました。揺れでパソコンのキーボードが落下したとき、これはただ事ではないと、あまりの恐怖に、喉の奥から声にならない声が漏れました。長い長い揺れでした。
 揺れが収まり、部屋に目をやると、本棚から本が落ち、全身鏡が倒れ、飲んでいたお茶のカップも落下して、お茶が携帯電話の上にこぼれていました。今連絡が取れなくなったら大変と、娘を抱いていないほうの手で携帯をとり、がむしゃらに服へ擦りつけました。恐怖と焦りで、息が上がっていました。操作してみると携帯は無事に動いたので、即座に夫へ電話をかけました。しかし、繋がりません。これでますます事の重大さに気付き、どうしよう、どうしよう、どうしようで、頭の中がいっぱいになり、荒い息を吐きながら部屋を動き回っていました。テレビは緊急特番に切り替わり、慌ただしい様子で、「落ち着いてください」と言う言葉を繰り返しており、繰り返されれば繰り返されるほどとんでもないことになったという思いが強まって、冷静さを失い、本の散乱している部屋のなかを、右往左往している自分がいました。まだ何もわからない娘は、片手できつく抱かれたまま、目をぱちぱちさせ、「あう」「うー」と、相変わらずご機嫌な声をだしていました。
 ニュースで次々と情報が伝えら、その間にも小さな揺れが続き、とにかく、誰かと話をしたいと、震える片手でマウスを握り、メッセンジャーを立ち上げて、母に「すごいじしん、こわい」と話しかけました。母がすぐに応対したので、しばらく、こわいよ、どうしようと、漢字変換する余裕もなく、ほとんどひらがなで打ちまくりました。現在中国にいる母も、日本のテレビチャンネルをみて大変な地震が起こったことを知り、「家のなかにいたら大丈夫よ」「外に人はいるの?」「外にでたほうがよさそうならでなさいね」「しっかり」と、励ましてくれました。
 そうするうちにも余震は続き、一度強い揺れがきて、再びサッシをあけると、窓の外に、抱き合って揺れに耐えている女性ふたりがいました。動揺は膨らむばかりで、私も誰かと抱き合いたい、と、強く思いました。もっともっと同じマンションの人と親しくなっておけばよかったと、心の底から思いました。外に出たほうがいいのか家にいたほうがいいのかもわからず、もうとにかく恐くて心細くて、「だれかといたいよ、だれかのいるところにいきたいよ」と、母に打った、そのときでした。チャイムが鳴ったのです。だれかがきてくれた!と、大慌てで玄関へ走りドアをあけると、そこにいたのは、ご近所に住んでいる友達一家の、旦那さんと子供ちゃんでした。嬉しくて、嬉しくて、とにかく安心して、緊張の糸が切れて、「うれしいー!」と、鳥の雄たけびみたいな変な声で泣きました。友達のうちはうちと逆でお母さんのほうがお仕事へでてお父さんのほうが家にいるためその日も旦那さんと子供ちゃんが家にいて、地震のあと私が娘とふたりで家にいることを思い出し、ふたりで来てくれたのです。この訪問に、どんなに救われたことか。
 来てくれてからは、次第に気持ちが落ち着いてきて、物の散乱していない和室でコタツに入り、テレビを見て呆然となったり、私も旦那さんもそれぞれの知り合いにメールを打ったりしていました。娘はずっと泣くこともなく、腕の中でいい子にしており、子供ちゃんも、何が起こったかを理解するにはまだ少し幼いようで、いつもと変わらず、娘をかまったり、ぬいぐるみを出したりして遊んでいました。その間にも余震はたびたびあり、揺れを感じるたびに、小さく揺れるベッドメリーのほうをみながら、収まるのを待っていました。
 どれくらいしてからか、夫がバタバタと帰ってきて、和室に入ってくるなり、「ああぁよかった」と、ひざから崩れました。生まれて間もない子がいることを知っている上司が、自転車通勤の夫に、一度家の様子をみに帰ってこいと言ってくださったそうです。全速力で自転車をこいで帰って来た夫は汗だくで、息を切らしながら、よかったよかったと、娘を抱っこしました。旦那さんが来てくれていたことで、夫もすごく安心したようで、ありがとう、よろしくと、再び仕事へ戻って行きました。夫の勤め先は本屋さんなので、本がすべて本棚から落ちていて、これからそれらを元に戻す作業をしなければならないとのことでした。
 夫が帰ってきてからまた少しして、今度は旦那さんの奥さん、つまり私の友達が、職場から直接うちへやってきました。メールも電話も通じなかったけれど、ツイッターでうちにいることを伝えることができ、スムーズにうちへ向かってもらえたのでした。ツイッター、今まで使わずにきたけれど、私もアカウント取ろうかと、今回のことで思いました。友達一家は、その後、夫の帰宅時間まで、ずっと一緒にいてくれました。自分たちの家も片付けなどあって大変だろうに、いてくれました。
 夫が帰ってきてからは、ずっとニュースをみながら、家の片づけをしました。食器棚の中で、数枚の食器が割れていました。これが割れたら悲しいねとついこの前話していたムーミンのマグカップも、割れてしまいました。落下した壁掛け時計は、地震のあった時間で止まっていて、あのときの恐ろしさが鮮明に蘇り、戦慄しました。テレビから流れる映像や数字は、信じられないものばかりで、私も夫も、恐さと悲しさで、気持ちがどんどん沈みました。
 その日は、寝る前に、転倒防止のつい立て棒のネジを締め直したり、非常用持ち出しリュックを整理して玄関先に置いたりしてから、布団に入りました。娘はいつも通りおっぱいを飲んでは腕の中で眠り、ベッドにおこうとするとぐずって再びおっぱいを口に含んでそのまま眠っていました。娘がいつも通りであることが、救いでもあり、切なくもあり、いつも通りであればあるほどに、この子のことだけは守らないとと、緊張が高まりました。

 翌日も夫が仕事で、娘とふたりきりでいるのがどうしても恐くて、友達の家にいかせてもらおうかと思っていたら、友達一家が再びきてくれました。それに、義母も急きょ、顔をみにきてくれました。義母と一緒に、実家に泊まっていた義姉と姪っ子もやってきました。義姉は職場が都内にあり、電車がとまって帰れず、義母が車で迎えに行って、実家に泊まったのだそうです。帰れないというのは、とても恐かっただろうと思います。
 友達も義母もお昼ごろにきたので、みんなでお昼ご飯を食べました。義母より一足早くきていた友達が、料理のへたな私の代わりにてきぱきとステキパスタを作ってくれて、友達一家と、義母と義姉と姪っ子と、わいわいがやがや食べました。おかげで、心細さは少しもなく、その間続いていたのであろう余震も感じることなく、楽しく過ごすことができました。人と人との繋がりの尊さ、寄り添う人のいることの喜び、ありがたみを、これほどまでに強く感じたことは、ありません。人づきあいが苦手だなんて、そんなのは平和だから言っていられることなのだと、思い知りました。
 お昼ご飯のあと、3歳の子供ちゃんと、2歳の姪っ子と、それから0歳のうちの娘とを並ばせて、写真を撮ったりしました。3人とも、本当に可愛い、大事な大事な子供たちです。この子たちが可愛ければ可愛いほど、今日本のあちこちで恐ろしいことが起こっているという現実が、辛く重たく、たまらなくなります。 
 義母と義姉と姪っ子は1時間ほどの滞在で帰り、友達一家は、この日もまた夫の帰宅時間近くまでいてくれました。いつかきっときっと、大事な場面で恩返しをしたいです。人は人によってこんなにも救われるのだということを、今回、友達一家が教えてくれました。
 夫が帰ってきてからは、ニュースを見て過ごしました。地震発生当日よりもさらに厳しい、信じがたい現実が、次々と報道され、一体何を思えばいいのか、あまりのことに、何も手に着きませんでした。テレビの前で、授乳と抱っこばかりしていました。

 夫の休みだった今日は、日常を取り戻すということに、専念しました。いつものようにご飯を食べて、娘を初めてベビーカーに乗せて、ほんの少し散歩にでたりしました。外はぽかぽかよく晴れて、公園では子供たちが、いつも通り遊んでいました。すぐ隣の家の瓦が落ちていて、お昼頃、それを直しているような音が聞こえました。ニュースでは、ますます酷い状況が流れ、見れば見るほど辛くなります。私は日常を取り戻すことができたけれど、日常を取り戻せなくなった人が大勢いるのだと思うと、悲しみと恐怖で、目の前が暗くなります。しかし、私が暗くなったところで、被災地の人にとって何のプラスにもならないのだからと、自分の日常に目を向けようとするけれど、とても楽しい気持ちにもなれません。何を思えばいいのだろう。思えばなんてどうでもいいから、何をすればいいのだろう、何が出来るのだろうと、それを考えるべきなのか。だけど、あの映像を見てしまうと、なにもできない、と、やっぱり、目の前が暗くなります。今は、祈ります。これ以上ひどくならないことを、とにかく祈ります。
by papiko-gokko | 2011-03-13 22:32 | Diary | Comments(0)
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